音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

世界で1番低い音の出る楽器は?

2023-05-31 21:02:00 | 楽器
月曜の18時からは渡辺橋サロン ド プリンシパルでフルートアンサンブルレッスンでした。

梅雨入りしたそうで、雨の中傘を指してバスフルートとコンサートフルートを担いで行くと、橋の上から写真を撮ることが、できませんでした。
替わりに低音セクションの写真を上げます。

アルトとバス。
「ブルー・タンゴ」は、これにコンサートフルート3本、フルート五重奏でやります。

ベートーヴェンの「田園」は神戸エスカルの人とやるので大阪だけでは全パートは揃いません。

私はバスフルートを吹きます。
なかなか音量が出なくて苦労しています。練習、練習!

カミーユ サン・サーンス(1835-1921年)フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没

の「交響曲第3番(オルガン付き)op78.R.176」は1886年作曲されました。
イギリスの「ロイヤル フィルハーモニック協会」(1813年創立現ロンドン フィルハーモニック協会)の依頼で作曲されました。
ロンドンのセント・ジェームスホールでサン・サーンス自身の指揮で初演されました。
「この曲には私がそそぎこめるすべてを注ぎ込んだ。」と彼は言っています。
翌年パリ音楽院演奏協会によるフランスでも演奏され、好評を博しました。
この曲はその年に亡くなった友人のリストに捧げられました。

オーケストラの中の低音セクションが活躍する曲というと、この曲があげられることが多いです。


弦楽器の最低音はコントラバスのG


と思いきや、グランドハープのH,

金管楽器のチューバの最低音はC


木管楽器のコントラファゴットはB


までさらに半音低いです。

ピアノはAまでで、


ここまでで1番低いですが、さらに世界で1番低い音がでるのはパイプオルガン。


ピアノの最低音のCの1オクターブ下のCが出ます。
ト音記号の下線1のCから4つ目です。
32フィート10mのパイプだそうです。ここまで低いと人間には音としては感じられず音圧として認識されるそうです。
但し、ここまでのパイプを持つものは少ないですが…。
サントリーホールのパイプオルガンの最低音を試奏する動画がありました。
5898本32フィートのパイプがあります。

そのパイプオルガンを二楽章の第二部にファゴットや金管楽器と共にふんだんに使っている交響曲第3番は低音が活躍する曲と言えるでしょう。





バレエは義務

2023-05-30 21:00:00 | ロマン派
沖縄旅行の余韻に浸りつつ、明日は牧野生涯学習センター「聴き合い会」をするのでいろいろ準備。


橋を渡ると
うるま市の海の駅「あやはし」


浜辺にグンバイヒルガオ軍配昼顔が…かわいい💞

海に足浸けるだけで幸せ。
ウィンドサーフィンをしている人以外誰もいません。
まだ、寒いのかな?全く寒くなかったけど。
漫然と計画もなく、オチもなく海をただ見て、貝からを拾ったりしました。

アミルカレ ポンキエッリ(1834-1886年)オーストリア帝国ロンバルド ヴェネト王国生まれ、イタリア王国ミラノ没

オベラ「ジョコンダ」は
ヴィクトール ユーゴー(1802-1885年)フランス共和国トゥー県ブザンソン生まれ、フランス共和国パリ没

の書いた「ラ・ジョコンダ」を元に脚本を起こし作曲しました。 

出版社リコルディ社の依頼でつくりました。
歌手のジョコンダが、言い寄ったバルナバを拒否すると、彼は彼女の盲目の母に濡れ衣を着せて殺そうとします。

なんとか助けられた二人。

ジョコンダは愛するエンツォはラウラと両思いであることを知ります。

しかし人妻ラウラは不倫がバレて夫に殺されそうになります。

ジョコンダは仮死薬とすり替えラウラを助けエンツォと逃します。

その後、バルナバがジョコンダに迫り、ジョコンダは「裏切らない身体をあげましょう。」と、心臓に短刀をあて自殺します。

このドロドロオペラの第3幕第二場に出てくるのが「時の踊り」。
館の一室でラウラが夫に死を命じられ、毒薬(仮死薬)を飲み倒れたシーンの後、大広間で多くの人々が集まり、バレエを楽しんでいます。

それが「時の踊り」
そこにバルナバがジョコンダの母を拉致して現れます。
ラウラが死んだことが告げられ、エンツォが復讐を遂げるために剣で夫に襲かかり大混乱になります。

オペラのすじとはあまり関わりがありませんが、当時のオベラはバレエシーンを入れることを義務付けられていたために苦労したようです。

夜明け→昼→夕べ→夜へのときの移ろいを描いたとスコアには書かれています。血みどろの事件の前の癒やしの時間かもしれません。
この曲は今でも単独で人気の高い曲になりました。




音登夢結成25周年記念コンサート

2023-05-29 21:00:00 | コンサート
土曜、沖縄から帰ってきて、日曜の朝はレッスン。
午後4時〜は木村直子先生、政雄先生の

音登夢25周年結成コンサート
フェニックスホールでした。

音登夢(おととむ)は、直子先生と政雄先生のユニットですが、それに長年ピアノ南木優子さん、ヴァイオリン宮下和子さん、ヴィオラ白木原有子さんを加えた五重奏でヴィヴァルディの「四季」から「春」の第一楽章
美しくて元気が出る演奏!

ピアノ独奏で山口良介さんの「白砂村莊の庭」
銀閣寺の側にある日本画家 橋本関雪(1883-1945年)
琵 琶 行1910年

萬波一水 関雪遺印1923年

が住み作品空間としていました。
それにインスピレーションを得て書かれたそうです。
さらさらと砂が流れるような幻想的な曲でした。

山口良介さん作曲の「源氏物語」
松本則子さんの詞を
ピアノ五重奏と紫の上役のソプラノの岡田由美子さんと光源氏のバリトンの難波洸さんの演奏で。
2002年初演、その後改訂、2008年常田富士男(日本昔話)さん

の語りで初演されたものです。
今回はバリトンを加えての再演です。
短い中の小編成で美しい詞で源氏の遍歴が語られ、紫の上の苦悩、死を前にして1人で生きたいという紫の上と、懺悔し2人でいたいという二人の関係に焦点を当てた源氏物語の深い世界が繰り広げられます。

ギュッと濃縮された素晴らしい世界感でした。
作曲の山口良介さん、詞の松本則子さんも会場にいらして大きなチーム音登夢を感じました。

二部はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第一楽章。

オーケストラをする協奏曲を難波さんのヴィオラが入ってピアノ五重奏とプリンシパルで。

直子先生のヴァイオリン、やっぱり素晴らしいです。

五重奏のオーケストラも、引き締まったいい演奏でした。

ここで戻ってビアノ五重奏でピアソラの「ブエノスアイレスの春」
ヴァイオリンはピアソラ合います。

お二人の「猫」政雄先生の作った二重奏。

猫の鳴き声を取り入れ、普段は仲良し猫の夫婦が喧嘩をしてまた仲直り。というたのしい一品でした。

打って変わって「どうする家康」のテーマ。
作曲家の稲本響さんと友だちで十数年も前に直子先生と会われた時に
「僕は大河の作曲をしたいんだ。」と言われていたそうです。
友だちの願いが叶ったのが嬉しくて毎回ドラマを見て、演奏もしようと思ったそうです。

いやすごかった政雄先生の編曲力。
「今日帰ったら大河を見てください。私たちの演奏の方が良かったですから。」
まさに!迫力満点でした。

最後に「ニュー・シネマ・パラダイス」政雄先生編曲。

しっとりとした部分ばかりでなく、成長、家出、捜索など
不安や強さを感じる部分も取り上げた珍しい編曲でした。
ソプラノが途中で入るのもいい感じでした。

アンコールは
アメージンググレース
とにかく楽しかった!

2023年7月1日(土)14:30〜西宮市フレンテホールで直子先生、タンゴ コケータと共演されるそうです。
「ELEGANT TANGO華麗なるアルゼンチンタンゴ」
昨年の演奏の様子があがっていました。素晴らしいですよ!


南の海の音楽

2023-05-28 21:19:00 | 近代
沖縄といえば、やっぱりハイビスカス。




やちむん通りのいつものお店でスープカップ買いました。

沖縄の猫さんも、見下ろしていました。





夜は屋台が集まっているお店でリーズナブルに呑み食べました。
島らっきょうと豆腐チャンプルーが美味しかった!

シャルル ルイ ウジェーヌ ケクラン(1867- 1950年)フランス帝国パリ生まれ、フランス コート・ダジュール没

15歳から作曲を始めましたが、若くして徴兵され、病気退役後パリ音楽院で学びました。
マスネ、フォーレ、ジュダルジュに学び、ドビュッシーのバレエ「カンマ」や劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションを行いました。
1937年スコラ カントルムの教授になり、アメリカ、カナダでも教えました。

キプリング


の「ジャングルブック」

に音楽をつけました。

他にもハリウッド映画に触発された作品を残しています。

タイユフェール、プーランクを教えました。

作曲家としては自分なりの作風を確立したのは1910年以降でその頃ケクランは「室内楽という危険な領域に踏み込むのに十分な手応えを感じた」と書いています。40代になっていました。

ピアノ曲集「陸景と海景」op63は12曲からなります。
1915年〜1918年に作曲されました。
幼少期に育ったノルマンディーからブルターニュの海岸の印象を描いたものです。
全部で12曲。
I. 断崖の上で 
II. 穏やかな朝 
III. 海に向かう道 
IV. ヤギ飼いの歌 
Ⅴ.夏の夕べ
Ⅵ.夜、沖へ向かう釣り人たち
Ⅶ.不安の夜
Ⅷ.花盛りの林檎の木の歌
Ⅸ.10月の陸景
Ⅹ.釣り人の歌
Ⅺ.大きな畑にて
Ⅻ.ウェルギリウスの詩

そのうちのはじめの4曲。





おもちゃの交響曲

2023-05-27 21:17:00 | 古典
鬼滅の刃号。


炭次郎に旅の安全を祈られてしまいました。

沖縄です。

ゆいまーるに乗りました。

今度はピチューが

今回の旅はキャラに取り憑かれているみたいです。

こっそりテンション上がりました。
大人だって可愛いものは好きなんです。
バカにしてた夫もアメリカ軍の下げおろし品の店で買いました。

なんのキャラ?
「いいだろう?」だって!

「おもちゃの交響曲」は、1820年から長くヨーゼフ ハイドン(1732- 1809年)神聖ローマ帝国下オーストリア大公国ローラウ生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

の作曲だと思われてきました。ホーボーケン番号も与えられていました。
しかし、自筆譜がなく、手紙などの二次資料も無く、確証はありませんでした。

1951年、バイエルン州立図書館でレオポルド モーツァルト(1719-1787年)神聖ローマ帝国自由帝国都市アウクスブルク生まれ、神聖ローマ帝国ザルツブルク没


のカサッシオン(曲集)が発見され、全7曲のうちの1曲が「おもちゃの交響曲」でした。レオポルドの作品はほとんど伝わってなく、この説は広く信じられました。

ところが1992年スイスのチロル地方のシュタムス修道院


の音楽蔵書の中から、1785年シュテファン バルセッリが写譜した「おもちゃの交響曲」が、出てきました。

そこに、エトムント・アンゲラー(1740-1794年)チロル地方 サンクト ヨハン生まれ、チロル地方フィーヒト没

Berchtolds-Gaden Musick"(「ベルヒテスガーデンの玩具店製のおもちゃを使った音楽」といった意味の造語)が付けられており、おもちゃ以外の弦楽器の編成としてヴァイオリン、ヴィオラ、バス(Violino, e Viola, con Basso)で1770年に作曲したと記されていました。

1992年発見されたおもちゃの交響曲のスコアの表紙


ベルヒテスガーデン
木工玩具の制作地のベルヒテスガーデンが近く、今はこの説を翻す説は出ていないそうです。





政権に近づきすぎた男

2023-05-26 21:00:00 | 近代
木曜から、なんと沖縄です。2泊3日。
GWにはどこも出かけず、次男のコロナでほぼ家に缶詰めだってのでいいよね~。

旅行中は記事落ちそうなので、後半部分は先に書いておこうと、準備中ですが…。まだ、そんなにかけてない。

やっぱり、書けなかった…。
30日の準備でプログラム作成してたらいろいろアクシデントが…。
2時半までかかりました。
そして、

当日です。

ANAラウンジのたけのこおにぎりと鶏めしおにぎり。

ニコライ ヤコブレヴィチ ミャスコフスキー(1881-1950年)ロシア帝国ノルヴォゲオルギイェフスク生まれ、ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ没
の交響曲第16番ヘ長調op39は、「航行交響曲」という異名をもっています。
マキシム ゴーリキー号は
ゴーリキーの文筆活動40年を記念して作られました。


記念式典の1935年5月18日モスクワ上空のデモ飛行の最中に同じくデモ飛行中の1-5戦闘機と衝突。墜落しました。
招待されていた党幹部を、含む45人が死亡しました。

1936年モスクワで初演されました。
ちなみに事故直前唯一取材を許されたのがサン・テグジュペリです。

これから飛行機に乗るのに不吉。と、思っていたら、ご紹介しようと思っていた16番の動画がありません。

交響曲は27曲書いています。  
もっとも演奏されているのは25番。
それに次ぐのが19番。
1938番モスクワ騎兵隊軍楽隊の楽長イヴァン ペトロフからの依頼で、書かれました。
赤軍の創設21周年に捧げられました。
ミャスコフスキーは軍人の家庭に生まれ、25歳で軍隊を退役してから、ペテルブルク音楽院に進みました。
音楽院では、プロコフィエフと親友になり、共作もしています。
ミャスコフスキーは1933年第14番以降、政権に重用され、古典的な手法を取り新しい実験をしなくなっていきます。
そこが西側では演奏されなくなった理由かもしれません。





炎の天使

2023-05-25 21:01:00 | 近代
火曜は、ヴィオラの金重美代さんピアノ坂田恭子さん、フルート久米素子のセンメルトリオの練習でした。

5月30日ワンコイン聴き合い会の練習です。
曲は、C.P.E.バッハのGdurのカルテットWq.95の練習です。
前回初めて合わせてみましたが、もうちょい精度を上げなければ…。

パイ皮のラム酒入りのシュークリーム
を金重さんが京橋で買ってきてくれて、食べました。30年変わらない味だそうでおいしかった!でも写真忘れました。

後は、夫の北海道出張のお土産柳月の三方六のバウムクーヘン。
季節限定メロン味頂きました。

メロン模様!

血糖値を上げて集中力アップ。

後は本番!頑張ります。

三方六サンポウロクって変わった名前。
調べてみたら、開拓時代の北海道の冬は厳しく、焚き木が必需品です。
その薪は、サイズの決まりがあって三方が6寸(18cm程度)と決まっていたそうです。

こんな感じ。
長さは2尺2寸(66cm程度)結構大きいです。
これを乾かして火に焚べます。

このサイズの焚き木を作った人の投稿や比較した投稿が結構転がっていましたが、これは焚き木としては、現在は、かなり大きなサイズだそうです。
乾くギリキリのライン。
家庭用のストーブにはギリキリ入るサイズで現在はもっと細い薪を使っているそうです。

だから、通常バージョンの三方六は薪模様。


無音、雨、鳥の声、火(焚き木を燃やす音)の音を用いた実験で集中力を試した結果。

もっとも集中できたのは「火」で、次が「鳥の声」、「雨」もっともできなかったのは「無音」という結果だったそうです。

コロナ禍で焚火の映像と音だけを流すテレビ放送がノルウェーで流行ったそうです。8時間焚火だけを流して国民の20%が見たそうです。
他にも鉄道の運転席からの映像を流すだけとか…。

焚き木の音はよく眠れるそうで、日本では、その用途で動画があげられていました。8時間!

セルゲイ プロコフィエフ(1891-1953年)ロシア帝国ソンツォフカ生まれ、ソビエト連邦モスクワ没



が書き上げたオペラ「炎の天使」は1919年に作曲を開始し、1927年フランスでかきあげました。台本はバレリー ブリューソフ(1873〜1924年
)モスクワ生まれ、

が1908年に発表した同名小説によりました。

初演1928年パリにおいてセルゲイ グセヴィツキー指揮で演奏会形式で上演されたのみでした。
没後、1954年シャルル ブリュック指揮、パリ放送交響楽団とレネ アリクス合唱団の演奏で演奏会形式で全曲が初演され、翌年、フェニーチェで舞台初演されました。

生前に初演されなかったこともあり、プロコフィエフは1828年にこの作品の主題を流用して交響曲第3番を作曲しました。プロコフィエフはマリエリとハインリヒを炎の天使として印象をづけるため、あえて声楽を入れませんでした。

オペラ「炎の天使」
宿屋のみすぼらしい屋根裏部屋にやってきた。アメリカ帰りの騎士ルブレヒト。 

そこへ叫び声が聞こえてくるので行くとレナータが悪霊に取り憑かれて悶え苦しんでいます。


レナータは幼い頃、マリエリという炎の天使と美しく不思議な世界の中で、いつも一緒に過ごしていました。
年頃になり、友情は愛情に変わり、告白すると「時が来たら人間の姿になって再びレナータの前に現れる」と約束して去っていきました。

やがてハインリッヒと名乗る伯爵に巡り会います。レナータはマリエリの生まれ変わりと確信し、幸せな時を過ごします。
しかし、伯爵は突然レナータの前を去ります。
以来、毎晩悪夢を見ながら、彼を探し続けています。

ルブレヒトはレナータを守ることを誓い、愛してしまいます。
告白しますが、レナータから「マリエリの足元にも及ばない」と拒絶されます。

二人は、ケルンで魔術師に助けを求めますが、やってきたと思った。伯爵は幻で魔術師は不吉な予言をして、2人は逃げ出します。

やがて、ケルンに滞在した伯爵に巡り会うことができましたが、伯爵は、彼女を魔女と呼び屋敷に入ることを禁じます。

レナータは深く傷つき、気まぐれな伯爵はマリエリの化身ではないと考えるようになりました。そして、自分を恥ずかしめた伯爵に決闘を申し込み殺して欲しいとルブレヒトに訴えます。

しかしレナータは祈りの陶酔の中で伯爵の姿を見てやはりマリエリの生まれ変わりと思い直し、ルブレヒトに殺してはならないと誓わせます。

そしてルブレヒトは深手を負います。

レナータは必死に介護し、ルブレヒトは助かります。
結婚を申し込むルブレヒトに感謝はしますが、愛することはできないと、何度も自分の体を傷つけ彼の制止を振り切り逃げてしまいます。
居酒屋で二人の様子を見ていたメフィストフェレスとファウスト。

ルブレヒトに興味を持ち、一緒に飲もうと誘って来ます。

逃げ出したレナータは修道院に身を置いていました。しかし、悪霊に苦悶するレナータによって修道院は不穏な空気に包まれます。


修道長はレナータを呼び出し、宗教裁判にかけ、裁判所は随行員とともに悪魔払いを始めます。

しかし、収まらず、封じ込まれていた攻撃的な悪霊を呼び覚ましてしまいます。


炎の天使の幻影がレナータを制圧し、修道女たちはサタンを賛美し始めます。

メフィストフェレスはレナータを救い出そうとするルブレヒトを阻止します。救出された裁判所長がレナータに火あぶりの刑を言いわたし、混乱の中幕がおります。

不条理で救いのないオペラですね。
8時間の焚き木の動画も最後に掲載しておきます。






偽作?それとも…。

2023-05-24 21:05:00 | 古典
里山にヘビイチゴが成っていました。

お花も。
ナワシロイチゴや、クマイチゴはもう終わっていました。残念。
ヘビイチゴは古くは毒があると言われていましたが、食べても美味しくないので、そう言われていただけで、毒は無いことがわかっています。
美味しそうなのに…。
旦那が口に入れて「まずっ!」と一言。
そう不味くもないと思いますが、例えてみると、青梗菜チンゲンサイの茎のような、味の薄い野菜のような味。

赤いいちごの姿形に脳が騙されてしまうのでした。

ルートヴィヒ フォン ベートーヴェン(1770-1827年]神聖ローマ帝国ケルン選帝侯領ボン生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
1803年ベートーヴェン
のフルート・ソナタは彼の没後、遺品の中から他の手書き譜面と共に見つかりました。

若い頃の作品1790-1792年の間に書かれたとされていました。

1906年
ブライトコプフ&ヘルテルとジンマーマン

から出版されました。
Bethoe Sonataと表紙に書かれていたそうです。

ボンにいた若い頃はBeethovenではなくてBethovenと書いていたので、あっているような気がしますが、はっきりとはしなく、WoO.Anh4あるいはHess,A11と、いう作品番号に変更されました。

しかし、未だに作曲者はわかっていません。
偽作か、そうでないかも決定的証拠はありません。
ベートーヴェンかそうでないか?
聴いてみて下さい。


グラスハーモニカ

2023-05-23 21:00:00 | 楽器
里山にマツバウンラン松葉海欄と

キキョウソウ桔梗草が群生していました。

どちらも南米から来た帰化植物だそうです。





ハハコグサも咲いていました。




グラスハーモニカGlass Harmonicaは、もちろん雑草Grassとはなんの関係も無いですが…。

避雷針の発明で有名なベンジャミン フランクリン(1709-1790年)

グラスハーモニカを演奏するベンジャミン フランクリン
が発明しました。
グラス ハープ(ミュージカル グラシィズ)

ルネサンスの作曲家フランキノ・ガフリオ(1451-1522)著「音楽理論書」(1492年)
という、グラスに水を張って、その縁を指で擦って音を出す楽器はありましたが、そのグラスに穴を開け、横に向け、調律し易いように並べました。


1762年7月13日トリノのジョバンニ バティスト ベッカリーアに手紙を書きました。
「あなたの音楽用語に敬意を払い、そこから楽器の名称を借用し、アルモニカと名付けました。」

水を貼った箱の上に横にしたグラスを置き、ペダルを踏むとグラスが回転します。

フランクリンはその楽器を親戚のマリアンヌ ディヴィス(1744-1792年)に譲ります。
彼女は姉セシリアの歌の伴奏にこの楽器を使うなどして演奏し、有名になっていきます。
彼女らは1768-1773年ヨーロッパ中を演奏しました。
そして演奏旅行をしていたモーツァルトがロンドンとミラノで二人の演奏を聴いていたと思われます。

さらに1773年17歳のモーツァルトは医師メスマーの演奏を聴いています。

この時父レオボルドが感銘を受けたと書いています。
「1773年7月21日
メスマーさんのところで月曜日に食事をしましたが、彼はデイヴィス嬢のハルモニカことガラス楽器を、それもほんとうに見事に弾きました! 彼はこの楽器に50ドゥカーテンを払いました。 それに、これはとても見事にできています」

レオポルドモーツァルト
この時、モーツァルトは演奏も試しています。

その後、1791年盲目のマリアンネ キルヒゲスナー(1769-1808年ブルッフザール生まれ、シャフハウゼン没)


がヨーゼフ アロイス シュミットバウアー(1718-1809年)が制作したグラスハーモニカをウィーンで演奏した時には聴き逃したことを悔やむ手紙を残しています。

そして、その後、彼女の為に「グラスハーモニカ五重奏曲」アダージョとロンドK.617を作曲しました。

ウィーンでの演奏会の告知(1806年、モーツァルトのグラスハーモニカのための作品K.617を含む

グラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロと言う編成です。



ハドリアヌス長城の向こう側

2023-05-22 20:58:00 | ロマン派
久しぶりの里山。


森の中ではウツギ(空木)がたくさん咲いていました。
ウツギは卯月(旧暦4月)に咲くので卯の花とも呼ばれるそうです。

卯の花…これのことか!
と、思ったのは、
芭蕉の弟子河合曾良の書いた句です。
奥の細道、みちのくを目指して旅にでた芭蕉と曾良は、

当時みちのくの玄関口と考えられていた白河の関までやってきます。

卯の花を かざしに関の 晴れ着かな
             河合曾良

そこで読まれた句。
「心許なき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と書いている芭蕉。
ここからは未知の世界。
中世の歌人西行法師に憧れ旅を始めた芭蕉。

衣服をただすかわりに、白い卯の花を摘んで、頭にかざして白河の関を越えようとするのは、藤原清輔の著書「袋草紙」の一節『竹田大夫国行というもの、陸奥に下向の時「白河の関過ぐる日は殊に装束をひきつくろい向かう」と言う。
人、問う「何んらの故か?」答えて曰く「古へ因能法師の『秋風ぞ吹く白河の関』と詠まれた所をば、普段着にては過ぎなん」と。殊勝なる事か。』
と言う故事に因んだものです。

ゼミでは不真面目な生徒でしたが、卯の花と芭蕉たちの映像が目に浮かぶ気がして心に残っていました。しかし、本物の卯の花を知らなかったし、知ろうともしなかった…。

ローマ時代のハドリアヌスの長城。

一世紀ブリタニア(現イギリス)までローマは勢力をのばします。
しかしケルト人が侵入し、ハドリアヌス帝は城塞を築きます。

4-5mの高さ、幅3mの塀が118キロに及びイングランドとスコットランドの間に築かれ、

1.5キロの間隔で監視所が設置され、6キロ間隔に要塞が設置され

500-1000人のローマ兵が駐留していました。
4世紀後半にはローマの支配は及ばなくなりましたが、17世紀まで利用されていました。

マックス ブルッフ(1838-1920年)
プロイセン王国ケルン生まれ、ドイツ王国ベルリン没


は、1880年「スコットランド幻想曲」を作曲します。

ヴァイオリニストのバブロ サラサーテに献呈されましたが、作曲にあたって助言を得たヨーゼフ ヨアヒムによって初演、ブルッフ指揮、リヴァプールフィル協会によるものでした。

「スコットランド音楽博物館」詩人ロバート バーンズ


ジェームズ ジョンソン編集 1787-1803年出版


の599曲からなるスコットランド民謡曲集に取材したものです。

序奏
(1)Thro’ The Wood, Laddie 
  森を抜けながら若者よ
(2)The Dusty Miller 
  粉まみれの粉屋
(3)I’m a Doun for Lack O’Johnnie          
  ジョニーがいなくてがっかり
(4)Scots Wha Hae 
  さあ、夜が明ける
というスコットランド伝承曲を引用しています。