音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

白バラ

2008-12-31 22:24:23 | Weblog

12月16日images18日images22日images27日images31日images

31日の写真は今撮ったところです。15日間かかって、ゆっくり咲いてくれています。

バラは寒い時には寒いなりに、暑い時には暑いなりに咲いていて、美しいです。

今年あった、子ども達も、大人達も、このバラのようにそれぞれの場所で、それぞれの幸せと不幸を背負って懸命に生きていました。

2008年、私にも、出会いがあり、別れがありました。痛い思いもしましたし、うれしいこともありました。
うまくいったと思ったこともあったし、またやってしまったということもありました。でも、こんな私でも何とか生きています。

こんな、かわり映えもしない私の日常のことや、気持ちや、考えを書いたブログをよんでくださったみなさん。本当に、今年一年、お付合いありがとうございました。このブログに書く事で、落ち込んだ時にも、気持ちを整理して、立て直すことができました。

最後になりましたが、来年も、皆さんのご健康と、ご活躍をお祈りしています。





チベットの音

2008-12-30 22:37:13 | 楽器

お正月用の有頭えび。冷蔵庫に入れて置いたら、次男がエビフライにしてしまいました。まあ、いいか。14歳、初エビフライでエビフライカレー。

「しっぽ、食べないんだったら、僕が食べてあげようか?」
「ありがとう、よくあがってるから、食べるわ。」
「いつも食べんのに。」
「うまいことあげてくれたから、ありがとう。」
ほんとに、おいしかった。ごちそうさまでした。

今日は大掃除で捨ててしまった。古くなった布製のタオルストッカーの代わりを探して、枚方サティへ。イズミヤでも、探したけれど、ないです。もう作ってないのかなあ。困ったなぁ。
サティの、エスニックグッズを売っているお店で、インドの楽器を見つけました。タブラー(太鼓系)、バンスリ(横笛系)、ハンドベル(密教用)、シンギングボール。
このシンギングボールはチベット密教の祈りの道具ですが、厚めの鉄製の小鉢で、叩くのではなく、木の棒で周囲をグルグルこすっていると、鉢が共鳴して、独特の音が響きます。グラスに水を入れてぬれた指でこする、グラスハーモニカと同じ原理で音がなりますが、水は入れません。

左手に鉢を持ち、右手の棒でこすると、私でもすぐ音がでました。瞑想を助ける道具で、寺院でみんなで鳴らすそうです。
買わずに帰ったのですが、左手から、響きが伝わり、頭のてっぺんに共鳴し、足の土踏まずがびりびりした感触で、体に芯が通ったような感じで、気持ちよかったです。不思議な感じ。体のひずみや、血流の滞り音の波動で解消するのかもしれません。

ネットで探したら、楽器として作られたものも安価で売っています。クリスタルボールといって、ガラスや陶器で作られたものもありました。これは音程を取っていくつも合わせて使いますが、CDがでていて、音を聞いてみると、とっても素敵。年末に出会った、不思議な音楽でした。


年内最終レッスン

2008-12-29 23:21:25 | Weblog

年内最終レッスン&ピアノ合わせ。粗大ごみセンターにごみ出しをしにいってくれる夫を尻目に、朝から、来年1月25日(日)13時から、メセナひらかたでする「手と手ジョイントコンサート」のピアノ伴奏合わせです。

生徒さんたちの、伴奏をしてくれるのはSさん。朝から一人40分ずつの合わせにつきあってもらいます。たくさんではないというものの、大変です。こういう人に支えられてコンサートもできるのです。
フルートはソロ楽器でもありますが、ほとんどの曲を伴奏を必要とします。パートナーが絶対必要で、それがたいへんでもあり、楽しさでもある楽器です。

ピアノと、フルートは、同じ舞台に立つ共作者です。テンポ、息継ぎの場所、フレーズ感、感情表現など演奏を始めれば二人で瞬間瞬間のベストを判断して、終わりまでやりきるしかありません。
息を合わせるとはよく言ったもです。

生徒さんたちもこの一年すっかり実力をつけてきました。人の成長を見る事ができるのは、本当に幸せです。本当に感謝でいっぱいです。
多くても、少なくてもフルートを持つ特別な時間さえあれば、前の自分より確実に成長していくことができる。できることを増やすことができる。これも音楽をやるものの醍醐味の一つだと思います。

ピアニストのセイモア・バーンスタインさんの言葉。
「楽器の習得は、絶え間ない挑戦である。これに立ち向かうことは「自分と向き合う」ことである。「これまでの自分」と「こうありたい」と願っている自分との間の戦いです。才能に程度の差はあってもそれは重要な問題ではないのです。「個人個人」が何を達成できるのか、それが重要なのです。

「自分を大切に思っているのなら、たとえ天才になれなくても、天才と同じように行うことはできる。自分は何者なのかを真剣に見つめることだ。自分の資質を嘆いたり、華々しい活躍が期待されないのであれば良心的に練習する必要がない、勉強する必要がないという考えに屈したりせず、自分の才能は自分独自のものと考えて、それを伸ばすようにすることだ。」

発表会、みんなで成功させましょう
入場無料 1月25日(日)メセナひらかた 13時開演 どなたでも聴いていただけます。ぜひお越しください。ヘルマンハープ、ピアノ、声楽、フルート盛りだくさんです。




大掃除

2008-12-28 22:41:55 | Weblog

明日、一般ごみ年内最終回収。今日は当然大掃除です。

おかげさまで、普段家事をさぼっているので、大掃除は大事です。家族の力を結集してと、思い、前から28日は掃除と繰り返し言っていたのに、当日になってみると、長男は、「友達と約束があるから…」

「前から今日は掃除と言ってたじゃない。後から約束いれたの。」「いやあ…〇×△*…。」と、いなくなってしまう。次男は「風邪引いたみたい。」と、また、寝てしまった。

結局逃げるわけにはいかない夫と、私でせっせと働き。換気扇から、壁、電気の傘、レンジ台、シンク周り、油でべたべたの高い棚の上。お風呂、トイレは長男が残しておいてというので、そのまま。

エコロジカルに、石鹸と、重曹、びわこ布巾でほとんどの汚れを落とします。
油汚れはぬるま湯とアルカリ石鹸で落とすと、おもしろいくらい簡単に落ちます。ステンレスは重曹でピカピカ。

びわこ布巾は綾織と言う織り方で織った日本古来から伝わる布で、普段のお皿の油汚れなら、2,3回お湯で流しながらこするだけで、きれいに落ちてしまいます。石鹸と洗剤は絶対にいると思って育った私には、驚きの経験でした。以来、固形石鹸とびわこ布巾を愛用しています。どうしても取れにくい時には布巾に石鹸をつけて、と思って置いていますが、普段はほとんど、石鹸も使いません。

簡単な石鹸と、布巾を持ってしても、一年の汚れはなかなか、手ごわい。
暗くなってもまだ、終わらず、廊下のゴミ袋はどんどん、増え続け、そこへ、お気楽長男が帰還。
「掃除するよ。」と言って、机の前に座って自分の机を掃除しだす。

「今日は、共有部分を掃除するんだと思ったてたけど?」
「トイレするよ。」
「ごみ先に集めてきなさい。言われんでも考えなさい。」と夫が言いました。
「…。」すぐに立ち上がって、自分の部屋のごみを回収に。

「疲れたから外に食べにいかへん?」
「次男は?」
「雑炊があるから、寝てるだけやし」
「僕は待ってるから、なんか買ってきて。」
「一緒に行かんの?」
「うん。」
「遅くなるよ。」
「あんまりお腹すいてないし。」

食べて帰ると、まだトイレ掃除を始めていない。
「なんで?」
「食べ終わってからのがいいでしょ、トイレなんだから。」

食事をして、9時を回ってのトイレ掃除。あくまで、マイペースの長男でした。



忘年会

2008-12-27 20:12:39 | Weblog
今日は、ヘルマンハープ「星のパレット」と忘年会をしました。3月に、5月、11月にご縁を頂いてコンサートを開きましたが、誰も試みたことの無い、ヘルマンハープとフルートとのアンサンブル。同じ曲を深めたり、編曲、楽譜作りも、何度も聴きあっては手直しを繰り返し、コンサートの度にすこしづつクォリティーの高い演奏ができるようになってきました。

演奏の質を追及していけば、切りはないし、まだまだ未熟者ですが、今の私たちにできる精一杯のことをやれば、いろんな面で自分が前の自分より成長していることに気づきます。演奏はもちろんですが、他にも、調整、会場設営、交渉、宣伝、フィードバック、グループ内コミュニケーション、楽譜作成、資料、プログラムやチラシを作ったり、いろんな能力を、フル活動する必要があります。

こういう能力が助け合って、少しずつグループとして上がって来ているような気がします。

それに演奏の質をじっくりと考えてあげることができたのは、本当に幸せなことでした。一人でできることってたかが知れていますが、8つの耳で聴いて練った音は、自分一人では絶対にできなかった美しい音がします。きっとこのプログラムは、みんなを幸せな気持ちにすることができる。たくさんの人に聞いてもらいたい。今、そんな気持ちになっています。演奏に対するプライドも生まれています。レベルが高いとかそういうことではなく、自分たちの仕事に対するプライド、自分達の努力へのプライド。かけた時間に対するプライド。

そんな感じ。来年はもっと多くの人にこの音楽をきいてもらえますように。

私設音楽であそぼう!

2008-12-26 23:41:08 | 音楽で遊ぼう

寒くなりました。我が家は隙間だらけなので、息が部屋の中でも白いです。私は寒がりなので、冬はつらいです。

今朝は、友達が休みの間だけやっている私設の留守家庭児童会のお手伝い。
朝、10時~2時間だけ、「音楽であそぼう!」ワークショップをしました。
絵本に音をつけたり、自分で絵本を作ってそれに音をつけて発表してもらおうとおもったのですが。
絵本作りがとっても気に入ってしまい。枚数も2枚一組のお話をいくつもいくつも書くこどもや、一枚の画用紙を細かく仕切って漫画のようなストーリーをびっちり描くこどもが出てきて、音楽をつける時間がなくなってしまいました。まあ、それもありのワークショップなので、とっても楽しかった。

例によって、音楽や、絵を描く力や、お話をする能力を伸ばすといった事が目的ではありません。
それは副次的なもので、ワークショップで一番大切なことは、どのような考えや、感じ方をしてもそこでは受け入れられる。という体験を保障することです。

そして、友達の感じ考え方に対しても、保障していく場になるように啓発します。
そのことによって、お互いの話に耳を傾け、どんな考え感じ方をもってもOKで、いろんな感じ考え方があるということはおもしろく楽しいって言うことを感じてくれたら大成功です。

それは、どの人の考え方、感じ方も大切にされる。人としてどの子どもも大切であり、多様性を保障するということです。もちろん現実の生活で何か事を進めるためにはその考えを、すり合わせたり、より良い方法を一つだけ選んでいくということが多いかもしれません。その場合でも、考えていることを頭から否定せずにきけば、どんなにばかげた方法と思えるものの中にも、素晴らしい思いもかけない良い方法が混ざっているかもしれないし、自分では思いつけないような突飛な方法を試してみるのもたのしいものです。

中には怖い話をする子もいます。それは、そういう思いをしたことを他のお話に託しているのかもしれません。今日は、障害を持った5年生の男の子が、たくさんたくさん怖い話を描きました。終わってからも、私を車まで荷物を持って送ってくれました。その間中彼は、ずっとその話をし続けました。「さようなら」を言って車のドアーを閉めるまで。彼は、一見障害だとはわかりません。4年、5年どんどん友達との学力の差が開いてきます。夏には「死ね。」と口癖のようにいうので「そういうことを言われてるの?」というと、「こんなんたいしたことない、毎日友達に言われてる。」「言われて傷ついたの?」というと、怒りながら「ええねん、おれなんか死んだら良いねん。」こんな子どもに悪態をつかないように注意しても効果はありません。荒れ狂い、暴力を奮う彼を止めながら、「私は死んで欲しくない。私はあなたが大切だよ。あなたにはいい所がたくさんあるよ。」と言い続けました。

今日の彼は怖い話を描きながらとても、明るく、楽しそうで、自信に満ちているようにみえました。表現できるってどんなに人に力を与えることでしょう。わかってもらえること、話を聴いてもらえることを子どもは本当に待っているのだと私は思います。今日はこどもたちに会えて本当によかった。子ども達に感謝こんな場を作り続け、私をよんでくれたTさんに、感謝


サンタクロース

2008-12-25 23:36:24 | Weblog

「朝、起きたらね。カービーの攻略本とね、ゲームが置いてあったよ。サンタさんが来てくれたんだよ。」

「でも、どうして僕の欲しいものがわかったんだろう?」
「お手紙書いた?」

「お手紙は書いていないけど、ああ、そういえばね、昨日の夜寝る前に、カービーの攻略本とゲームが欲しいなぁって言ったんだ。だから、わかったんだよ。」
「そうかぁ、だからわかったんだ。」

「サンタさんってすごいなぁ。」
「そうだねぇ。」


「先生は、プレゼントもらった?」
「先生は、もらわなかったよ。大人だからね。」

「僕はもらったよ。」

プレゼントの話をしてくれる子どもばかりではありません。クリスマスに胸が痛むような家庭の話を笑いながら聞かせてくれた子どももいます。

不幸は経済や、社会的階層、家族構成とは、全く関係がありません。
孤立して、傷ついた子どものような振る舞いを子どもの前でする大人はたくさんいます。かく言う私も、時によっては。愛しているから子どもはすべて受け止めて赦しています。
もういい加減にしよう。早く大人になろう。大人こそ、赦しあいましょう。すべての争いや戦いをやめましょう。クリスマスの精神はそのためにあると思います。





おみくじとクリスマスイブ

2008-12-25 00:22:06 | Weblog
今日は今年最後の、梅田でレッスンimages御堂筋のイチョウもこんなになってしまいました。imagesお初天神でおみくじをひいたら「もし、真の自由を求めようとするならば、心中の奴隷をとりのけることから、はじめねばならぬ。」と書いてあって、どっきり。
夢はあっても、今の自分の境遇や環境を考えると自由に追いかけるということができ無いなぁ。と思っていたところこのおみくじ。心の中の奴隷。そうですね、もう、あせる年代でもないし、じっくり自分を見つめるということですか。二礼二拍手一礼

イベールをまだまだがんばっています。先生のアドバイスは、テンポ120できっちり演奏すること、暗譜すること、小節の2拍目を意識して、そして次の小節の頭へ向かって吹くこと。
タンギングは無理に切ろうとしないで、レガートで吹いて舌を動かすだけというふうにすること。
シングルタンギングでしっかり一つ一つの音の粒をそろえること。

今日はイブすべての人に幸福が訪れますように

カミュとイベール

2008-12-23 22:59:26 | 名曲

午前中、Sさんとピアノ合わせの練習、年明けすぐのコンサートに間に合わせないといけません。
午後は実家で、練習。シーズーのメイは、姪に家を作ってもらっていました。室内犬なので、ダンボールに布をはってつくりました。騒がしい子ども達から逃れられて、ほっとするようです。

Sさんとは、カミュの「シャンソンとバディヌリ」をします。
はじめのピアノのアルペジオは霧の中を歩くようです。しっとりしたメロディですが、フランスものなので、メロウになりすぎず、ドライに。転調のたびに、霧の中から浮かび上がってくる感じで、19小節目からの転調の予感の後、21小節目の頭の和音が霧の中に差し込む一瞬の光りのようです。長い上昇形のスケールの度に明度が増し、hiF#の伸びやかなロングトーン。そして、明るさを増した1STテーマの繰り返し。そしてもう一度pで。また霧の中に消えていく感じ。

バディヌリはきらきらと水面を動く光のようです。こちらはまだもう一つ。また次回練習します。

Sさんと、イベールの楽譜を見ていて、旋律が、中声部にあるところは、ピアノ譜だけを見ていては、わかりにくいことに気がつきました。私はオーケストラを聴いているので、金管が吹き鳴らしている、中音域の旋律がわかりますが、ピアノ譜では、低音のベースと、高音域の16分音符に隠れて、とてもわかりにくい。
なるほど、ここを鳴らしてもらえるように次はおねがいしなくっちゃ。
おもしろいなぁ。一人でやっている時はこういうことには気づけないのに。感謝です


チョコレート2個

2008-12-22 23:03:00 | 哲学
日野原重明さんが、TVに出ていらっしゃいました。「私達は、戦争を経験した。GHQによばれて、チョコレートを3個頂いた、一つは目の前で食べたけれど、人が立ったので、残った二つをポケットに入れ、持って帰って家族全員で食べた。そういう時代を経験したので、今の幸せが実感できるのです。」
「私も、小学生の時、学校から帰って、家に、両親と家族が爆撃にあって死んでなければ、ああ、幸せと思いました。それから比べれば、今はどんなに幸せか。」黒柳徹子さんも応えていらっしゃいました。

日野原先生は6人兄弟姉妹に両親。チョコレート2個が、幸せでした。

たくさんの人が、雇い止めや、リストラと言う名前で職を失い、家を失いました。あの窮乏の時代と違うのは、その痛みを共有し、支えあう家族や仲間がいない場合が多いということです。

チョコレート2個を10人で分かち合った時代は貧乏だろうが、暖かかった。今、臨時職員が雇い止めになっている中、正社員は彼らと何も分かち合おうとしないのでしょうか?
ワークシェアリングという、可能性も提示されていないのでしょうか?
みんなが、力を合わせて危機的状況を乗り切ることはできないのでしょうか?

江戸時代、吉宗が緊急財政処置として行った、大奥のリストラは、美人で若い人、次の就職や結婚が見込まれる人から、出て行ってもらったといいます。
また、台湾に農業用水施設を建設した八田與一は、資金が少なくなって、立ち行かなくなった時に、力のあるもの、腕の良い職人からやめてもらったと言います。次の就職先がすぐに見つかるように。

いつから、こういう国民になってしまったんだろう?企業は本当に厳しくて余裕が無いというかもしれません。でも、まだ社員の誰も飢えていない。
これが、第三国といわれる国の人々への搾取を見てみぬふりをしてきた国民にふさわしい結末かもしれません。しかし、いろいろなことに目をつぶり、耳をふさぎ、口を閉じている残った社員こそ哀れな気がするのは、私だけでしょうか?