音楽の喜び フルートとともに

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花も咲かない世界

2024-05-15 21:00:00 | 国民楽派
今日は子育てサロンでした。
次男が骨折ったまま働きに出てるので車がありません。
うちから会館まで1.5キロ、久しぶりに歩きました。
子どもたちと遊んだあと歩いて帰ると、お馴染の景色もいろいろ変化があることに気づきます。

ここは人が住んでいましたが、廃屋になっていました。

猫さんだけがのび〜っとしていました。カメラを向けたらそっぽ向いて行ってしまいました。

この校区は空き家が増え、高齢化率高いです。
経済もインフラもイノベーションも人口がある程度維持できてこそ。
子どもがいないとお金も使わない。
引越しもないので、不動産も動かない。レジャーにもいかない。
国力も下がり、円も安くなる。
お花畑で何が悪いのでしょう。
花も咲かない不毛の国に誰が育つでしょうか?
本当は経済の問題なんて無くても、子ども達の声や笑顔があふれる世界がいいです。世界を暴力や恐怖や不安で満たさないで。

モデスト ムソルグスキー(1839-1881年)ロシア帝国カレヴォ生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没

1865年ムソルグスキー
ムソルグスキーは魔術と悪魔の幻想というテーマに早くから興味を持っていました。
1858 年19歳に遡り、彼はN.V. ゴーゴリ

1809-1852年ゴーゴリ
の「イワン クパーラ前夜」

  
ディカーニカ近郷夜話 ロシア民話を下にしたゴーゴリの創作集で「イワンクバーラ前夜」が収められています。
を基にしたオペラの制作を計画していました。

2年後、彼はメングデンの戯曲「魔女」に基づいて作曲をデザインしました。

そのプロットは主要な特徴においてすでに「はげ山の一夜」のほぼ完成版でした。

1860年9月26日付のM・A・バラキレフへの手紙の中で、ムソルグスキーは台本の主な部分を挙げています。

「…魔女たちの安息日、魔術師たちの個々のエピソード、このくだらないものたちの厳粛な行進、フィナーレ…」

1866 年の春、出版されたばかりのM. S. ホチンスキーの魔術に関する本にインスピレーションを受けて、作曲家はバラキレフにこう告げました。

「私は魔女のスケッチを始めました、...悪魔の列車はまだ私を満足させません。」

そして4か月後、
「魔女について話したいと思っています。」

イメージは数年かけて徐々に成熟していきました。

6月23日にスコアを完成させたムソルグスキーは、リムスキー=コルサコフと喜びを分かち合い、ミュージカル映画のプログラムとそのコンセプトの特徴を詳細に説明しました。

「構成の計画と形式は非常に独創的です...散りばめられたバリエーションの形式は、このような混乱に最も適していると思います。作品の全体的な特徴は熱く、長さはなく、つながりは緊密です。」

1867年7月12日付のV.V.ニコルスキーへの手紙の中で、ムソルグスキーは次のように書いています。

「 ...私の故郷の畑に注ぎ込まれ、ロシアのパンによって栄養を与えられたオリジナルのロシアの作品です。」

聖ヨハネ祭(洗礼者ヨハネの誕生日)の前夜に不思議な出来事が起こる」というヨーロッパの言い伝えの一種、「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグ(黒い神」夜や闇、破壊と死、冥府の神・悪神とも言われています。)


が現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」というロシアの民話に基づいています。