暮らしと古民家

折々の暮らしの中気が付く大切なこと

おしまい

2022年11月19日 | 古民家
 どこでお終いかを決めるのは・・・誰のモノでも無く、自分が決めるモノでもないような・・・
決められているのか・・・ジクリジクリと決まってしまうのだろうか・・・
どこまでが自分で決められて・・・どこまでが最初から決まってしまっているのか・・・。
生れると行き先が決まっている方が楽なのか、窮屈なのか・・・
どこまでもワガママな暮らしばかりでは、行き先が後ろ向きで・・・
考える事も曖昧に・・・何かを守る事も叶わなくなってしまうのかも知れない・・・。

100種類から仕事を選ぶよりも・・・1000種類から選べた方が楽しいのかも・・・
でも、多すぎると迷ってしまうので・・・もう少し絞ってもらうか・・・
はたまた、誰かに選んでもらうか・・・あみだくじで決めてしまうのか・・・。
農家の子は農家・・・大工の子は大工と決まっていて・・・
親戚や友達関係・・・近所のお付き合い・・・仕事の関係まで・・・
嫁ぎ先や・・・お嫁さんが決められていた頃合いでは・・・
恋愛結婚も少なく・・・独身貴族も少なかったけれど・・・
子供が少なくなり・・・独身が増え、人口減少が進むと・・・
決められていた風潮が・・・暮らしの基盤を支えていたような気もする・・・。

いつでも自由が一番不自由で・・・何にでもなれる世の中が、一番何者にもなれないようで・・・
無いものねだりは・・・裕福で贅沢な悩みになってしまい・・・
不自由が・・・生み出す力を支えて、ずいぶん以前から暮らしに見え隠れしていた気がします・・・。
古くなった母屋を解体して納屋に再生する・・・土壁を壊して、また違う壁に使い廻す・・・。
古民家の造りは・・・どこがお終いなのか、あきれるほど解らなくなり、生まれ変わりをく繰り返す・・・
お終いの見えなくなる住まい方なんだと思います。







コメント
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