大きな杉の木が立ち並ぶ正面に、見上げるような鳥居がサラリと現れると・・・
それだけで厳かな気分に包まれて、なにやら圧倒的な存在を感じます・・・。
お寺は多くの方々が眠る場所・・・厳かと言うよりは・・・神妙な気分になって・・・
その存在を、なるたけ目立たないようなモノにしなければ・・・と思ってしまいます・・・。
昭和の大物芸能人は・・・良くも悪くも、目の前にすると・・・
その存在感や威圧感は想像を超えるらしく・・・
目力や・・・放たれる気は容赦無い感じで・・・
そんな方々も、今では少なくなったそうですが・・・
まれに出会う人で、とても存在感のある人はいるものだと・・・思う事はあります・・・。
そこに建つだけで、頭を垂れる佇まい・・・人が住む建物では無いけれど・・・
法隆寺金堂などは、そんな建物の一つだと思います・・・。
歴史があるだけでは無くて・・・造り手の想いや、建築当時の時代背景・・・
社会的状況など、知れば知るほど・・・そう思ってしまうのでしょうか・・・?
高校生で見た時は、何も感じなかった二条城や鳳凰堂・・・
無知が故か・・・知識が余計な感覚を持たせてしまっているのかは解りませんが・・・
自然と人が語り合いながら造りげたから、そんな風に思うのでしょうか・・・?
茅葺の古民家を前にすると・・・少し同じような感覚になるのも・・・
たぶん・・・同じ理由な気がします。