暮らしと古民家

折々の暮らしの中気が付く大切なこと

不完全

2020年06月18日 | 古民家

 3日前の夕飯を思い出せなくても・・・子供の頃、誕生日でテーブルに並んだチキンやケーキ・・・

家族で出かけた時の出来事が、スライド写真の様に瞼の裏に映し出される・・・

曖昧な人の記憶があって・・・一瞬で50年以上前の記憶が蘇る精密さがあって・・・

人は・・・子供も大人も関係なく・・・思い浮かべる以上の能力を持っているのだと思います・・・。

機械のように正確に・・・それでいて、機械には出せない僅かなゆがみを持たせながら仕上げる研ぎの技術・・・

5年・・・10年と、毎日使う道具を手入れして、素材を生かす技術に磨きをかける・・・

どんな伝統工芸にでも・・・どんな職種にでも言える考え方ですが・・・

結果を求める今は・・・少し経験してある程度の仕上がりになる、機械化された技術で良いとする・・・

薄利多売の生活に・・・古来の考え方は不要なモノになってしまいました・・・。

僅かばかりの若者が、自分の生き方に目を回しながら・・・伝統の世界に飛び込み・・・

危なげながらも・・・多くの手を借り、後継者となるべく腕を振るっています・・・。

自分の好きな仕事でも・・・望まれて選んだ仕事でも無い人もいます・・・。

飛び込んで、のたうち回って諦めた人もいます・・・。

苦しい記憶は、辛く悲しく・・・でも忘れる事の出来無い無情な思い出であっても・・・

一緒に過ごし、これからも忘れてはいけない記憶で、すべて自分自身・・・

この先も多くの出来事が映し出され、通り過ぎても・・・

不要なモノは一つも無く・・・不完全で精密な、そのままの暮らしがあれば良いと思います。

 

 

 

 

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