コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

村松大輔、徳島に期限付き移籍。

2014-06-30 22:44:33 | 清水エスパルス
今日タイスケのヴォルティスへの期限付き移籍が発表されました。
このところ試合に起用されていなかったので心配していました。六平や竹内の台頭でレギュラーを奪われていた事も原因なのでしょうか。
ボールの奪取能力は高いので試合の流れを変えてくれる選手だったと思います。
寂しく思っているのは高校の同級生の河井かもしれませんね。

タイスケは頑張ってもらいたいです。現在ヴォルティスはダントツの最下位ですのし、試合内容からもタイスケ一人入ったくらいでは解決しそうもありませんがヴォルティスに喝を入れる事ができたらいいんじゃないでしょうか。
8月にアイスタでVSヴォルティスがありますが元気な姿を見せてもらいたいと思います。

気になったのはタイスケのコメントです。期限付き移籍なのですが何か完全移籍のようなコメントだったです。
半年後戻ってきてほしいな。

頑張れタイスケ!!

家康の散歩道(浜松)を散歩しました。

2014-06-29 16:56:25 | タウンウォーク
タウンウォーク第2弾は地元のウォーキングをしたいと思います。浜松市内に「家康の散歩道」というウォーキングコースがあります。浜松に住んで長くなりますが行った事のない所ばかりですので今日チャレンジしてみました。
HPにあったコースと現地の案内とでは2か所ほど現地の方が多くなっています。
しかし今日は暑いです。先日の横浜のタウンウォーキングの時も暑い日でしたが今日は更に熱い日ですが、好天に恵まれた事は感謝しなければいけません。

まずは、先日も行きましたが「徳川秀忠誕生の井戸」からスタートです。家康の側室西郷局が二代将軍秀忠を生んだ時に産湯として使った井戸との言伝えがあります。


HPでは「椿姫観音」ですが案内の看板によると「浜松八幡宮」になっています。近い所なので浜松八幡宮に向かいます。この浜松八幡宮は浜松に来て初めて行きます。
この浜松八幡宮は徳川家康公が祈願所とし、武運長久を祈ったと伝えられています。

武田信玄との戦い(三方原合戦)に敗れ武田軍に追われた際、洞穴に潜んだと言われる境内の御神木「雲立の楠」は、その時、瑞雲が立ち上ったとの故事により称されるようになりました。また「雲立の楠」は、静岡県の天然記念物に指定されています。


浜松八幡宮からすぐのところですが狭い道の中にある「椿姫観音」に行きます。
引間城主飯尾豊前守乗竜の妻お田鶴の方が徳川家康に攻撃された時女ながらも懸命に戦い、侍女たちと共に討死して果てたところといわれている。家康はこの地にお田鶴の方と侍女18人の亡骸を手厚く葬り祠を建て、その周りに100本余の椿の木を植えて供養を営んだ。毎年椿の木は美しい花を咲かせ、付近の人々はこの塚を椿姫塚(又はお台塚)と呼んで追善供養を捧げたと伝えられています。
 今は街角にひっそりと立っています。

次に5分ほど歩いて「東照宮」に行きます。東照宮は各地にあります。特に日光と静岡の久能山が有名ですが、浜松にもありました。この東照宮は明治19年(1886)に創建されました。この場所は引間城の跡です。


さてまたまたHPではこの後は浜松城に入って行くのですが現地案内板は「五社神社・諏訪神社」に向かわせます。ちょっと離れていますが五社神社に行きます。
途中で浜松城大手門跡の碑がありました。


この「五社神社・諏訪神社」は場所は知っていて前は何回か通った事はあります。戦前は五社神社本殿と諏訪神社楼門はが国宝になっていましたが空襲で焼失してしまいました。
ここも家康ゆかりの神社です。


再び浜松城方面に戻ります。
浜松市役所の近くに「家康公鎧掛松」があります。元亀3年(1572)三方原の合戦から浜松城に帰った時に大きな松の木陰で休みました。そのとき鎧を脱いでその松に掛けたことから、鎧掛け松と呼ばれるようになりました。


浜松城に入って行きますが最近場内がリニューアルされました。
天守門ができていました。

家康の銅像もあります。

浜松城天守閣。実際はもっと大きな天守だったようです。


次は犀ヶ崖方面に向かいますが、かつて奥山(現浜松市北区引佐町)まで走っていた軽便鉄道の遠州鉄道奥山線の面影を見に行きたいと思います。
浜松城の裏手に軽便鉄道のトンネルが残っています。亀山トンネルという名前だったようです。トンネルに入る前やトンネルの中に当時の写真が掲示されていました。
昭和39年まで営業していたそうです。
 
亀山トンネル。軽便鉄道跡は遊歩道になっていました。

犀ヶ崖に着きましたが、資料館は来年2月までお休みのようです。
犀ヶ崖は、三方原台地が亀裂、陥没したもので長さ2キロ、深さ40メートル、幅50メートル の断崖です。三方原の合戦で大敗した徳川軍が浜松城に逃げ帰った夜に、家康の家来、大久保忠世、天野康景が、一矢を報いようと崖を隠すように布を掛け、見えなくし犀が崖の北側に陣する武田軍の背後に廻り夜襲した。追い込まれた武田軍は布の掛った崖に気づけず、次々に人や馬が落ち、山と積まれて散った。という古戦場です。

写真では崖の深さが分かりづらいですがかなり高い崖です。

本多肥後守忠真の碑もここにあります。三方原の合戦で大敗して浜松城に逃げる際に殿(しんがり)を買って出て刀一本で武田軍に切り込んで死亡します。それを讃えて明治24年に碑が建立されました。


道路を挟んだところには三方原の合戦の敗走時に家康の身代わりとなって死亡した夏目次郎左衛門の碑もあります。


道を戻って西方向に向かい「普済寺」に行きます。細い道の通りにあります。
古刹で徳川家の保護を受けて家康も客殿を寄進しています。今は特に特徴のある寺ではないのが寂しいですね。


すぐ近くに「西来院」があります。ここは家康の正室「築山殿」の廟所があります。築山殿はこの後に訪れる佐鳴湖の小薮(太刀洗の池)で家康の家臣の手にかかり亡くなりました。


その次が「宗源院」です。三方原合戦の際、徳川家康の身代わりとなって戦死した成瀬藤蔵正義、旗手として討死した外山小作正重の墓があります。また、浜松城主 松平伊豆守信祝が娘・多世姫のために建てたという墓もあります。


この3つのお寺ですがいずれも建て直されて新しくなっていたのが残念でした。

さて、最終コーナーに近づいてきました。
少し歩いて浜松海の星高校の体育館の横を通り部活の元気な声を聞いて高校時代の部活を思い出しました。
その少し先に「蜆塚遺跡」があり、奥に「浜松市博物館」がありました。蜆塚遺跡は以前行った事があります。登呂遺跡に比べると規模は小さいですが復元住居が多数並んでいます。


浜松博物館も入ってみました。浜松周辺の原始時代からの移り変わりを展示していました。


さてここを出て最後の訪問地「太刀洗の池」に向かいます。
坂を下って浜松医療センターの前の駐車場の隅にありました。築山殿が殺害されたあと血の付いた太刀をこの池で洗ったとされる場所です。
同盟関係にあった織田信長と徳川家康両者間における政治的駆引き、岡崎城内における派閥抗争、武田勝頼に内通した疑いなどから、徳川家康は築山御前を殺さなければならない事態に追い込まれました。天正7年(1579)8月29日、築山御前は岡崎城から浜松城に向かう途中、佐鳴湖(さなるこ)畔富塚村の小藪で家康の家臣により殺害されました。築山御前38歳でした。

暗い話の場所が今日の最後になってしまいました。

浜松のちょっと知らなかった場所を何か所か尋ねる事ができました。来年が「徳川家康公顕彰四百年記念」という事で色々なイベントが行われるようです。家康検定なんてのもあるようです。
家康のゆかりの地なので知っておいた方がいいですよね。静岡や岡崎もゆかりの地なので近いうちに訪れてみようと思います。

今日は暑かったので歩いた距離の割には疲れました。




後半戦に賭けるエスパルス。

2014-06-28 23:05:37 | 清水エスパルス
日本のワールドカップ敗退が決まりましたが、大会はいよいよ佳境に入ってきます。強豪同士の対戦が目白押しになってきますがこちらも楽しみですね。

さて、暫らくエスパルスのニュースから遠ざかっていましたが御殿場キャンプを打ち上げました。
トレーニングマッチではHonda-FCと慶応大と対戦しました。この中で注目はタクをワンボランチで起用した点です。前半戦コンディション不良で試合から遠ざかる事が多かったタクですが、いよいよ起用されてきました。
六平・竹内を1列上げて3トップ(元紀・ノヴァ・トシ)の布陣です。コヤチン的には面白いと思います。タクが本調子であればボール回しが円滑にいくし六平と竹内がより攻撃的なポディションで期待されます。
しかし相手が格下相手ですので結果をそのまま鵜呑みにする事はできないかと思います。
でもチャレンジしていく姿勢が大切じゃないかと思います。現在9位にいるとはいえ降格圏まで勝ち点差は僅かに3という状況。
中断前はチーム状態が最悪の状態でしたがゴングに救われて中断入りという感じでした。しっかり立て直して中断明けに臨んでほしいと思います。
まだ再開までにはちょっと時間があります。しっかり準備して19日のフロンターレ戦に合わせて行ってもらいたいと思います。

でも試合が無いと情報が入らないので不安ですけど。

アジア勢が勝てなかった…

2014-06-27 22:39:40 | ワールドカップ
日本敗退の後昨日アジア勢最後の砦の韓国もベルギーに敗れ敗退してしまいました。結局アジア勢(日本・韓国・イラン・オーストラリア)は1勝もできずにブラジルから帰る事になりました。
何故勝てないのかというのはすぐに出る答えではないのでこの後分析したもらう事にして、今回は中南米勢の躍進が目立ちました。伏兵のコスタリカは1位通過で死のグループを制しました。日本が2位通過ならコスタリカと対戦でした。(タラレバ言っても仕方ないですが…)

次回のロシア大会のアジアの出場枠削られちゃうんでしょうね。
でも日本がロシアで復活をする姿を信じています。
田島幸三サッカー協会副会長は「アジアの人口、国の数を考えたら、4・5枠を死守するために、われわれは戦わねばならない」って言っていますがどうでしょうね~

今日、日本選手団が帰国しました。1000人の温かい声援で出迎えたようです。でも選手達はブーイングの方が納得したんじゃないのでしょうか。
かつてはフランスワールドカップの帰国時に城が水をかけられた事件がありましたが、いい事ではないのですが国民の感情をストレートに表していたと思います。
まあ、全力を尽くして戦った選手ですので大人の対応をしたサポだったという事ですね。

日本、リベンジは始まっている。

ありがとうザッケローニ。

2014-06-26 21:41:57 | 日本代表
日本の敗戦から一夜明けてザッケローニ監督の退任の記者会見が行われました。
一度も海外での監督経験が無かったザックですが4年間にわたって日本のナショナルチームを率いてくれました。
プレッシングサッカーを貫いて攻撃的なサッカーをしてくれました。強豪に対しても引いて守るのではなく前に向かう姿勢を進めてくれました。

アジアでは強豪となった日本ですが世界は広い事を改めて教えられたブラジル大会でしたが、ザックも本大会で選手起用などで迷いがあったのかもしれません。でもやろうとしているサッカーは間違っていなかったと思います。(これにつては賛否両論あると思いますが)

色々な意味で日本は変わって行かなければならない。これは選手にしても新たなエースが出てこなければいけないし、戦術もテクニックも研ぎ澄まさなければ世界には勝てない。
後任監督にはそのような目を持った監督を選んでもらいたい。サッカー協会の思いつきでの人選が過去の通例のようですがじっくり考えてもらいたいと思います。

最後にザッケローニさん4年間ありがとう。あなたの事は忘れません。