退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

思ったとおりに動かない

2013-07-23 09:34:50 | 犬の話
11才になったサクラは寝ていることが多くなった
それでも時々、突然、思い立ったように張り切って走りだす
身の程知らずというか、以前のように走れると思って、小雪(4才)のおもちゃをとって逃げてはすぐにつかまり奪い返されたりする
車の乗り降りも、以前のようにできると思って一揆に飛び乗ろうとして乗りそこなったり、飛び降りようとしてこけたり
この前も一揆に飛び降りて足を痛めてしばらく歩けなくなってしまった
このところテニスを休んでいるサクラ母は、久しぶりにテニスをした。自分では走っているつもりが足が上がっていなくて何も無いコートの表面に足がつかかってこけそうになった
台所で片づけをしていて、よく食器を落とす、自分ではしっかりと持っているつもりがもてていないのだ
体が思うように動かなくなっていく感じ年を取るってこうなのね
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2013-07-23 09:32:56 | 韓で遊ぶ

目標に80%だけ達すればいい
若い世代はつらい、苦しいという。努力しないから苦しいのか。探って見るとそうではない。大学の図書館は週末、祝祭日にも24時間忙しく動いていて、最近の大学生達は本当に一生懸命勉強する。職場人はやはり夜昼なく仕事をする。しかし、苦しいとだけ言う。  何か間違っているのではないか。
つらい理由は、上手くやらなければと考えすぎる圧迫感から始まっている。私達は幼い頃から「必ずやらなければならない」という当為的な命題の影響を受けながら生きてきた。
「お前は立派な人にならなければならない」「成功して金持ちにならなければならない」
当為的思考は現在との落差を作り出し、結局ストレスとして作用し人を疲れさせる。当為的な思考の根源は実体がない。ただ私達が間違って作り出した幻想であるだけだ。両親が立派な人になれと言う言葉が「立派な人にならなければお前を愛さない」という意味ではないのに、自分を責めて苦しくなる。このような罠にはまった人は99点取っても100点を取れなかったと自分を責める。
人は失敗するものだ。だが、いつも最高にならなければならず、上手くやらなければならないと思うために苦しくつらい。
<幸福は成績順ではないじゃないの>という映画のタイトルのように幸福は100点から始まらない。幸福は自分を励まし慰める術を知る勇気から出発し、他の人を抱いて慰める時に完成される。
「必ず」という強迫観念から抜け出して余裕を持ってみよう。ネジが一つ抜けたように生きる知恵が私達を人間らしくするのではないか。完璧感よりも偉大のことは未完成な自分を認めて一つずつ満たしていくというやり甲斐だ。


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物忘れ

2013-07-22 19:15:42 | 日々の暮らし
東京や、普段暑いといわれているところがすごい暑さのようだけど
函館は申し訳ないぐらいにさわやかな日が続いている
朝夕には寒いぐらいで、寝ていても布団が必要だ
そんな中、我が家に新車がやってきた
軽のワンボックスだが、以前のキャンピングカーに代わってこれから我が家の旅の足になるのだ早速今週末から2匹と2人この小さな車で旅に出ようと思い、予定を立てた。が、、、
道の駅の名前がどうしても思い出せない
道の駅の周囲の状況とか、ここからどのように行くとかは良くわかっているのに名前が出てこない
よく聞く名前なのにそんな自分が情けなくなる、ボケが始まったのかと、、年だし、、、
次の日、松前と江差の名前を思い出す
こうやって老いていくのね、、なんて感じるこの頃
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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-22 19:13:33 | 韓で遊ぶ
今が一番重要だ

「あの時はよかったけど」と言うな 
幸福に生きようとすると2つのことだけ良く守ればいい。どうしようもない過去にしがみついて執着してはならず、近づいて来ていない未来を恐れて心配するなということだ。しかし、意外に過去と未来からくる大きなストレスを受けて苦しむ人が多い。現実の困難が多いほどに、現在に集中できずに過去と未来に視線を向ける。現在に焦点を合わせなければならない。
いくらか前に名門大学を優秀な成績で卒業したのに、やっと就職したという学生が訪ねてきた。会社生活がとてもつらいと言った。
「私はいつも一等を逃したことがありません。高校の時もいつも一等で、一度も自分が不足していると思ったことがありませんでした。ですが、大学を卒業して、望んだ会社は落ちて、結局、気に入らない会社に入りました。私自身に対する懐疑が多くなりました。私は一生懸命やろうと努力しますが、成果は良くなく、会社も気に入らないです。私が、ここでこんな業務や担当する人ではない、という思いに懐疑が生じます。仕事をやめるべきかとても悩んでいます」
何よりも重要なことは、心をなだめることだと助言した。手も自分のもので、足も自分のもので思ったとおりにできる。だが、心は自分のものでも望んだ通りに動かない属性がある。自分の心を他人のもののように他のことに奪われた状態で、外見だけは職場生活をしている。この時、押し寄せてくる空虚感と虚脱感は言い表すことができない。心が安定せず、いつも揺らぐようになる。
なぜそうなのか。それはつかむ事のできないことに執着しているからだ。過去と未来ではなく現在に集中して焦点を合わせなければならないのに、過去の自分の姿に没頭する余り、現実との落差に苦しくなっているのだ。私達は「私が以前ですね、、」という言葉を良く聞く。過去への執着的思考は、現在の自我との落差を作りストレスの主犯となる。有名芸能人が自分の大衆的人気が衰退する時に精神的な衝撃にはまりうつ病になる状況のようだ。

「あの時は良かったのに」と言うのは、やめよう。過去は過去であるだけだ。過去に自分がどんな人であろうが、今、重要ではない。過去に良かっただろうと悪かっただろうとすでに過ぎたことだ。現在と未来だけを話しても手に余る。過ぎたことは果敢に忘れてしまおう。
今、大事なことは立派な過去に対する未練ではない。今、自分が持っている物だ。自分が持っていることが何年か後に過去になるではないか。だから、過去のストレスをパッパッと振り払って立ち上がり現在に満足しなさい。もう一度自分を見てみよう。自分は今もすごくいい人だから。


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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-21 18:09:34 | 韓で遊ぶ

準備できた人の特権、チャンスを1番目につかむ
準備できていない者にチャンスは毒だ。徹底して準備して、しっかりと心を決めた状態でチャンスと遭遇しなければならない。徹底した準備と強力な意志があってこそチャンスがあなたのものになり成功を持ってきてくれる。
未来のビジョンを達成するために準備する人は苦しい。苦しいほどにばら色の未来が待っている。ビジョンに向かう努力と実体なしにチャンスをつかむことがどれだけ危険なのか、地方から来た手紙を一つ紹介しようと思う。

「こんにちは。私は広州広域市に住むキムカンジュです。代表の著書を読んで本当に多くの考えをしました。外食業を経営しながら自分なりに将来を見ながら一生懸命走り、また走りましたが、続く赤字に門を閉めました。生きていくことは簡単ではないですね。2年前、突然に妻と死別して、2人の息子を一人で育てながら私自身を失ってしまいました。ですが、代表の著書が私を再び立ち上がらせました。「習ったのが泥棒だし食堂でもまたやろうか」というように、外食業を大したことではないと考えていた姿を反省しました。徹底して準備してこそ、だめにならないという貴い教訓を今になって悟ることになりました。貴い教えに感謝いたします。死ぬ覚悟でやっても、上手くいくか、いかないかわからないのに、準備無く手軽だからと外食業を始めようとした私に徹底して準備させてくれてありがとうございます。」

この人がもし、準備無くまた外食業を始めたならば、まただめになるか、ただそんな風に生計を立てる形として暮らしただろう。はっきりと強調するが、チャンスは徹底した準備をしてこそつかむことができる。外食業の本質を理解したところで出発しなければならない。ただ、「食堂でも一度やってみよう」という考えから抜け出したならば、食べ物ストリーを作ることなどでも勉強して、生涯の仕事として、自分をどんな食べ物に盛り付けるか体得する時間が必要だ。今が苦しくても準備することに集中することを願う。大きな成功ではなくても、ある程度の事業の安定は維持したことと確信する。
細かく準備しようと苦しいのか。ならば、あなたは良くやっているのだ。準備からトップになるとチャンスも1番に訪れる。今、苦しいならばチャンスを一番につかむために最善を尽くしている最中なのだ。準備の無い人が機会をつかむことは矛盾だ。ただ大丈夫だと慰めと激励してあげたいが、チャンスは準備できたと悟った者の専有物だということを言わないでいられない。
チャンスをつかむための準備をしなさい。目的地だけ決定して地図もなしに走ったならば、そこに到着することはできない。人生の方向と目標を設定して行程表を描いて準備しよう。今からでも一段階ずつ自分だけの人生のナビゲーションを描いてみよう。


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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-19 20:59:36 | 韓で遊ぶ

青春は元々手に余って、苦しいがもじもじしている時ではない
青春は元々手に余ってつらいが、ためらっている時ではない
私は長い間、企業でCEOとして活動してきて、人生の後輩が望む話が何であるかよく知っている。若者は、自分がつらく苦しく、既成世代が享受したチャンスが、すでになくなったと言う。両親と既成世代から、「君達がつらいのはわかる」「大丈夫だ」という言葉を聞きたがる。
子供を持つ親の立場で、私も同じ言葉を言ってやりたい。ただ、大丈夫だと、つらい君たちを理解していると、大丈夫だと、自らを締め付けないようにと、青春は元々苦しく手に余るつらい時だと。しかし、決してためらってばかりいてはいけないと言ってやりたい。余りにも早く青春は過ぎていくから。
「チャンス」は頭だけあって尻尾がない。自分の分野で最高を成した人は、迅速に正確に決定した人だ。ほかの事をしていて、途中で進路を変えてもタイミングを逃さない。そうだ、人生に訪れるチャンスを感知するセンスが必要だ。ためらっていて、ちゃんと気づくことができなければ、ただ過ぎてしまう。二度と再び戻ってこない。今、後悔することが思い出されるのか。そのように惜しくも逃がしてしまったチャンスが思い出されるのか。ならば、もはや、見回して近づくチャンスを逃がさないことに集中しなければならない時だ。どうしたらチャンスが訪れたときに逃がさないで捕まえることができるか。

目標を黙想する人がチャンスを感知する。何の考えも無く一日一日を生きるのに忙しい人はチャンスが来ても気づくことができない。目標があるのか、ないのかの問題ではない。漠然とした夢とか目標は誰でも持っている。誰でも、いい車、いい家を夢見て生きている。そういう段階ではなく、目標は具体的に立てなければならない。それで終わりではない。その目標を絶え間なく黙想しながら生きなければならない。
夢と目標が明確な人は周辺の状況に特に振り回されない。環境に引きずられないで積極的に自分の夢を主導する。度々訪ねて来ては相談を受けた青年の中に、職場生活5年目になる20代後半の代理がいる。経歴を生かして留学したいという目標、そして後々は経営学の教授になろうという夢があった。その人にとって職場の生活は、実務を学び、外国で学位をとるための基礎を固める時間であり、ひたすら月給をもらうための窓口ではなかった。いくらか前に彼女はドイツに向けて出国した。日常の中で海外勤務に対する熱情と本社とのコネクティングへ特別に熱心に打ち込んだ彼女に、本社勤務のチャンスを提供したのだ。ドイツ本社で勤務しながら学位取得のチャンスを持つことができると言った。彼女は明らかな計画と夢を、いつも心に持って生きてきて、5年の間、他の人よりも、より熱情的に業務に臨むことができた。なんでもなく過ぎていく事を絶対絶好のチャンスとして掴んだ。
夢と目標を瞑想する人は、自分の発展のため仕事をするという心で職場生活に臨む。業務と上司から来るストレスも目標がない人より少なくなる。生涯会社に縛られた身ではないと思うからだ。段階別に夢とビジョンに集中して、生きることに、状況に能動的に対処して、一喜一憂しない。仕事が終わってからと、週末には留学に必要な英語の勉強をして、スタディの集まりを通して同じ目標を持った人とネットワークを形成する。職場生活と余暇時間が均衡を持って分離され、暮らしの活力が生じる。関心がある学校に先に留学してきた先輩に会って必要な情報をもらう。自己紹介書に書く話を作成するために多様な経歴を積む。月給日を待ちながら苦労して生きる職場人とは生きる質が違う。

あなたに、明日に対する具体的な目標があるか。ないならば、今すぐに立てなさい。どんなことであろうと関係ない。2年の間に借金を返すこと、来年には昇進すること、1ヶ月に3kg体重減量など、精密に決めてこそ成し遂げられる。努力が必要な部分だという話はいくらでも変えることができるという意味だ。正確な診断だけが問題を確実に解決できる。仕事の成果が出ない理由、対人関係で誤解が繰り返される理由など、不足な部分はあきらめないで理由から探しなさい。わかったら治すことができる。いくら成長するかの問題であり、絶対に失敗しない。
自分にはチャンスが来ないと悲観する人が多いが、チャンスが来ないのではなく、チャンスが来たのか、行ったのかを知ることができない鈍い判断力が問題だ。明らかな目標意識と未来に向かう執念で武装した人がチャンスを掴む。チャンスはあなたを待ってくれはしない。チャンスは人生において明確なコンセプトを持った人に、神がくれる贈り物だ。チャンスが過ぎた後に後悔して悔やんでも仕方ない。
瞬間のチャンスを掴む人は結末が幸福だ。今、あなたに訪れたチャンスは何であるか。でなければ、どのようなチャンスを望んでいるのか考えて見よう。志のあるところに道があり、時には道があるところに志がある。順調な大路に広がった道は、チャンスを掴む人だけが歩くことができるのだ。


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今つらいならば、よくやっているということだ

2013-07-18 20:31:41 | 韓で遊ぶ

崖っぷちに立たないために、、安住するにはまだ早い 
世の中が余りにも苦しいからと、現状維持だけしてもいいことだと思う人が多い。職場に入社したらそれ以上学ぼうとしない。学校で学んだことで十分だと考える。これは錯覚だ。給料が凍結されているのに物価が3%ずつ上がったならば、果たして現状維持で成功したと言えるだろうか。人生も同じだ。世の中が絶え間なく変化しているのに、自らは過去に比べて少しも変わらなかったならば、大きな崖っぷちに遭遇することになる。

職場で、学校でも続けて挑戦して、生涯勉強して専門性を確保してこそ競争力を持つことができる。大企業の採用試験で入社したことだけでは、バラ色の未来は保障されない。今、階段を一段上っただけだ。これに早く気がついた人は賢明な人だ。今、立っているところが終着点だと考えるな。無限な停留所の中の一つに到着しただけだ。
今いるところが崖っぷちだという考えをしなければならない。健康で適当な危機意識は人生を建設的に導いてくれる原動力だ。
崖っぷちに立ったことがあるか。私は幼い頃、すごく高い裏山に上り、仲間達とウサギを捕まえようとした。一度、ウサギを追いかけていたら岩の崖っぷちに立ってしまった。危ないと思った瞬間、誰かがしっかりしたロープを木に縛り付けて、ロープをつかんで降りてきた後、そのままウサギを追いかけた。どんなに切り立った崖っぷちでも通り抜ける方策はあるものだ。崖っぷちだと考えて自分を育て没頭すれば強くなれる。

崖っぷちはこれ以上落ちることができない危機状況に直面することになる。今、うまく切り抜たと崖っぷちを考えないと強くなることはできない。一生、職場に通うように月給取り根性の道を選んだならば、崖っぷちに追いやられた時、対策が無い。今、崖っぷちに立っていると考えて、危機を自覚したら絶対に危機に追い込まれない。最も愚かな人は、昨日と同じ今日が繰り返すと思って怠ける人だ。
あなたは崖っぷちに立っていると思うか。そうならばよくやっているのだ。私は所謂、超一流企業というところで数十年仕事をした。一日たりとも危機のないことはなかった。いつも、近づいてくる問題と崖っぷちが私達を危険にし、危機に陥れた。行っても、行っても超えなければならない山が絶え間なく生じた。
危機だと宣言して共有することが最優先課題だと思った。危機として定義して、対応策を準備すると本当の危機は来なかった。大企業だと楽だ、と考えたら誤算だ。中小企業の職員も一生懸命働いているだろうが、大企業の職員は業務時間に比べたら、年俸は中小企業よりも少ないといえるぐらい一生懸命働く。崖っぷちに立った危機意識で考えて、問題を解決して最善を尽くしたならば崖っぷちは自分を育てる栄養分になる。

崖っぷちに立った人は夢を見る。夢を見ることで現在が崖っぷちでないことを知る。いつも夢により危機意識を持って挑戦する。どんなに切り立った崖でも、全力を尽くしてみれば崖を抜け出す方策はいつも準備されている。崖っぷちを抜け出すことができる秘密は、自分を叩いて勇気を与え自信感を吹き入れることだ。
今、苦しくて悲しいのか。汗がでる程に走ってみなさい。意気消沈する程に家に閉じこもり人に会うのもいやなのだろう。若さの活気を思うままに運動で発散すれば新しい考えが芽吹く。暗く悲しい内面のカスが抜け出してくると信じなさい。体と心は緊密に連結していて健康状態が似ている。体が病んだ人は心を癒し、心が傷ついた人は体の管理をしなければならない。身体と精神の均衡を持って自己管理をした人の未来は明るい。
自分の身の上についての愚痴ばかり言っていたら絶対に人生を変えることができない。むしろ、一度ワンワン泣きなさい。涙と鼻水でぐじゃぐじゃになるほどに泣いたらさっぱりする。さっぱり感が苦しさに変わったら、また泣きなさい。自分の感情を隠さず吐き出しなさい。崖っぷちに立った人が最も強い理由は切迫しているからだ。生きるか死ぬか熾烈に悩み苦しんでいる。

ロンドンオリンピックの柔道の金メダリスト、キムジェボム選手は「死ぬ生きるを言っていたときは金メダルを取れなかったが、死ぬと思って一生懸命やったら金メダルを取った。」と言った。負傷で全身がまともなところが無く、一般人よりも体の状態が良くない状況で、世界最高が可能なことか。汗と涙で汚れた勝利の感激は見る人の胸をジンとさせた。私達も毎日、人生の現場でスポーツマンシップで武装したら、できないことはない。
人生を生きてみると誰でも風波に出くわす。今苦しいならばよく生きているのだ。完璧感を追及しようと努力するな。無様にもがいている姿そのままを愛しなさい。
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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-17 21:15:20 | 韓で遊ぶ


夢に向かった挑戦:崖っぷちから抜け出す方法
コメディアンのキムビョンマン氏は七転八起の芸能人として有名だ。幼い頃からの夢みていた芸能人になるために、30万ウォンを持って何の考えもなくソウルにやってきたが、はじめに行った演技学院で「見込みがない」といわれた。やっと入った劇団では雑役ばかりやった。寝るところが無く、舞台の上で寝て、時には大学路のマロニエ公演で野宿をすることもあったという。KBSの採用試験に3回、MBCの採用試験に4回も応募したがすべて落ちた。しかし彼は夢をあきらめなかった。結局8回目の挑戦で2002年KBSコメディアン採用試験で合格した。彼は当時を振り返ってこのように言う。
「その時あきらめていたら今の私は無いだろう」

崖っぷちから抜け出すことができる最も手軽な方法は挑戦だ。最後まで挑戦しなければならない。キムビョンマン氏がコメディアン採用試験で7回落ちた後に夢をあきらめていたらどうなっていただろうか。学んだものも無く、持っているものも無く、夢も無く、みすぼらしい彼ができることは本当に雑役だっただろう。
夢を実践しようとする能力が本当の内面の成長を引き出すことができる。今、崖っぷちにいるような気がするのか。そうならばもっと学び挑戦しなさい。まぶしく美しい若さがあなたの武器ではないか。失敗を恐れずに夢に向かって挑戦しなさい。

大企業に勤務した時、私が指導したチームに二人の代理がいた。パク代理とオ代理は、二人共にとても誠実で一生懸命仕事をする職員だった。しかし、この二人の仕事に対する姿勢と態度は確然と違っていた。
パク代理は会社に後10年ぐらい勤めたら、会社の一番大きな代理店の所長になることが夢だと言った。彼はその夢を実践するために、崖っぷちに立った人のように仕事に没頭した。現場で代理店の所長が物事をどのように管理して、マーケティングはどのようにするのかずっと勉強した。オ代理は現場に忠実であり、一日一日誠実に生きることが人生観だと言った。むしろパク代理に「今から所長になろうとストレスを受けるのか」と難癖をつけたりした。
仕事においては共に誠実だという評価を受けていた二人。しかし、ある日の瞬間から、この人たちが持っている夢の差が、仕事をする態度と結果に反映され始めた。代理店の夢をもっていたパク代理は会社と代理店の関係改善のために絶え間なく改善方案を提出した。しかし、オ代理は安定した職場生活をするのに満足していた。いくらも経たない内にパク代理は会社の重要な人材となり、オ代理は他の仕事を探すと会社を辞めた。
パク代理とオ代理の話を通してどんな姿勢で仕事をするのかが、どれだけ重要なのか悟った。夢を繰り返して話をして、今が崖っぷちだと考えて没頭したら夢が遠くに感じることがない。いつか成し遂げられる現実として信じられる。しかし、自分の限界を決めておいて、挑戦しない人は自ら決めた限界も守ることができない可能性が大きい。
あなたは夢を語る人ですか。限界を語る人ですか。崖っぷちに立ったように、何も失うものが無いということを武器にして夢を語りなさい。夢は肯定的な話を引っ張りだして、限界は否定的な結果を想像させる。一日に一回、10年後の自分の夢を話して見るのはどうだろうか。

未来は宝くじのように、ある日、急に運が良く回ってくるものではない。人生は実体のない浮雲ではなく、準備しただけその甲斐のあるものだ。目的意識を持って与えられた仕事に最善を尽くしてみれば、未来は現在になる。夢がある人は、明日に対する下絵を描いて生きるために、望んだ暮らしに近づく。しかし、何の考えも無く生きる人は、状況と環境に引きずられた生活をするしかない。下絵を描いた後に一つずつ色をぬる喜びを味わうことを願う。
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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-15 13:08:33 | 韓で遊ぶ

若い時の失敗はそれ自体で美しい
世の中にただ二種類の人がいたと仮定して見よう。持っている物が多い人と少ない人。あなたはどの種類に属するだろうか。前途が青々としている若い人ならば、どの種類に属するのが当然であるか。若いということはまだ持っている物がない。両親から引き継いだいい家に住んだとしても、また、いい車に乗っていたとしても、あなたの物ではない。青春を分ける正確な区分法は生物学的な年ではない。失敗に対する恐れがなければ若者だ。挑戦精神は恐れがない時、花を咲かせる。

「お金を多くかけて語学の練習に行っているが、英語が上手くならないとどうしよう。」
「大学入学金がとても高いが、卒業して就職できないのではと心配だ」
自然に染みこんだ不安と心配を防ぐことはできない。最近の若者は不安と心配の中に埋もれ自身を手放してしまう。始める前から失敗を心配する。もちろん徹底的に分析した後に始めたことはいいが、失敗が恐ろしくて挑戦せずにあきらめるならば、そんなに惜しいことはあるだろうか。
青年という名は、無限の可能性をはらんでいる。青春であるから失敗しても美しい教訓を得ることができる。失敗の怖さに自身を閉じ込めてはいけない。若いあなたには失敗を克服できる無限の潜在力がある。結果を恐れる前に、それ以上の価値を得ようと心を決めなさい。かかった費用よりももっと多くを得ようという意志を発動してこそ、良い結果は付いてくるのだ。
「心置きなく挑戦してください。会社の発展と組織の利益のために最善を尽くして失敗をすることは私がすべて責任をとるから、恐れずに挑戦して進取的に行動してください。」
私は責任を任された組織で構成員たちにこのように話す。
私のこの短い一言が、青年達にどれだけ大きい力を与え、彼らをどれだけ創意的で熱情的に変化させるかわからない。この人たちを見ながら若者が一度の失敗に対してどれだけ恐れているのかを切感じた。崖っぷちで挑戦ができない人も同じだ。彼らは大概、自分の失敗を恐れる。挑戦したが失敗して、もっと多くの物を失うのではないかと恐れるのか。そういう時はすぐ目の前にあることにだけ集中しよう。負けても大丈夫だと考えてみよう。心配をしてもしなくても明日は明日の太陽が昇る。今は、まずあなたを縛っている不安を取り除くことが一番、最初だ。



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今がつらいならば、よくやっているということだ

2013-07-06 21:25:08 | 韓で遊ぶ


若さは不安なことであり、ときめくことだ
崖っぷちにたった将軍はもう道がない。死ぬほどの力を出して戦うために普段よりも何倍もの能力を発揮することができる。だから漢の国の名将、漢神は背水の陣を敷いて趙の国の20万の大軍を退けた。人生も同じだ。人生の真ん中で遭遇した崖っぷちは、毒ではなくむしろ機会だ。崖っぷちでは没頭することができる。
崖っぷちに立った人は生きる道を自ら作らなければならない。振り返って全身の力を使って没頭するか、崖を飛び降りるか、でなければ崖を飛び越えるか、しなければならない。だから崖っぷちに立った人が最も強い。私がいくらあなたを応援しても、市中に出回っている多くの本があなたの苦しい人生を支えても、依然と暗闇にはまり込んでいる若者がいることをよく知っている。時に、生きるということは、どのような言葉でも慰めにならい深い泥沼に私達を陥れる。もはや崖っぷちに立った、これ以上生きる意欲と力がなくなったと告白する時の事だ。多くの若者はそういう時、完璧を追及しストレスを感じ崩れていく。よく言うエリート没落がそれだ。崖っぷちということは何もない状態だ。力と知識、幼い頃の明敏だった聡明さと鋭さもなくなっている。
世の中に完璧はない。同じだ。完璧な失敗、完璧な絶望もない。20%だけ目を低くして崖に立った自分を観望して観照しよう。そして、大丈夫だと言ってみよう。私は、それが若さだと言いたい。若いということは未完成であり出発だ。若さは不安なことでありときめくことだ。
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