退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

いい考え(2009,2)より

2013-02-25 17:03:49 | 韓で遊ぶ
あなたの名前はスーパーマン
チェミジョン/キョンナム マサン市サムゲリ
同じ会社に通う男性と4年間交際して2006年結婚しました。一生懸命お金をためて去年自分の家も持ちました。その日は一日中浮かれて二人共に一睡もできませんでした。ですがうれしさは一ヶ月も持ちませんでした。夫がソウル勤務を命じられたのです。
同期の5人のうちで夫だけが昇進対象から除外されて、3ヶ月に一回の割合で人事発令がでました。私は怒って夫に一日無断欠勤させました。小心な抵抗だったのでした。ですが、一日の欠勤の間にもまた、人事が発令されました。結局夫は会社を辞めました。
8年間勤務した会社はあまりにも冷たかった。夫の突発的な行動が気に入らないと言う理由で代表理事が月給日の前に辞表を書くように要求しました。月給日まで仕事をしたら月給を全額支払わなければならなくなると言う理由でしょう。ですが、「ご苦労様」と言う一言でもと願いましたが最後までつらい仕打ちでした。
夫は2ヶ月余り家の中で針のむしろに座っているように生活し、鉄鋼会社に就職しました。寝ている夫の顔には疲労感がにじんでいました。熱い鉄を扱って見ると両手は水ぶくれだらけです。作業服はオイルで汚れ作業場も熱いと見え、1.5リッターのペットボトルの氷水がすぐになくなるそうです。
離職は思うほどに簡単ではありませんでした。人材のため池の中で生き残るにはすごい忍耐が必要です。深刻な経済難のせいで皆が英雄を待っています。ですが、本当の私たちのスーパーマンは家長という名の人ではないですか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-24 12:26:16 | 韓で遊ぶ
体で文章を書くこと(몸으로 글쓰기)
チェジェボン/「ハンキョレ新聞」文学記者
湖公園を見下ろせる小説家キムンの作業室で暖かい清酒をいただいて飲んだ。彼が大事にしている自転車「風倫」と16巻にもなる膨大な「漢韓大辞典」をはじめとする各種の辞典類が日常的である彼の部屋で、バーナーで温めた清酒の温かい味は最高だった。それだけでも恐縮するところなのに、私の本当にほしいものは他にあった。それは、まさに、ちびた鉛筆である。
彼が文章を書く机の上には秤が一つ置いてある。韓薬局を営んでいた祖父の遺品だ。その秤の上にキムンは使って残ったちびた鉛筆をのせて置くのだ。よく知られているように、彼はまだ、原稿用紙に鉛筆で文章を書く。だから秤の上のちびた鉛筆は、小説家キムンの文章を書く労働の証拠であり、存在の確認とも同じことになる。作業室を出て来る時に私は一番短く見えるちびた鉛筆を一つつまんで持ってきた。後で長さを計ってみると5センチぐらいだった。
キムンが私と同じ職場で文章を書いて働いていた2002年頃、彼はコンピューターを使って文章を書こうとしたこともある。しかし、結局、彼はキーボードやモニターと言うものとは友達にはなれなかった。彼が機械音痴だともいえるけれども、それよりは文章に関する彼なりの哲学が、コンピューターと親しくなることを拒んだのだと私は考える。彼が少し前に出した散文集「海の便り」の一文を見てみよう。「私は文章を体で書く。体が文字を押し出す感じがなければただの一行も書けない。鉛筆を握った手と手首と肩に思惟の力が作動してこそ文章がかけるのだ。」
文章を書くことに関するこんな言及は、どうしたものか、自転車に乗ったキムンの姿を思い浮かばせる。彼の文章を書くことは力をこめてペダルを踏んで少しずつ前に進む自転車の動きと似ている。文章を書く彼の体が最も貴くなるということが事実だと言う世界の肉体性だ。(글을 쓰는 그의 몸이 가장 귀하게 챙기는 것이 사실이라는 세계의 육체성이다)事実を重視し、観念と修辞を嫌う点で、彼は「リアリスト」と言うに値する。キムンはよく美文を駆使する文章家として知られているが、つまらなくて華麗なだけの文章を彼が嫌ったことは違いのないことだ。
彼の小説「南漢山城」で清の皇帝が降りてくる文章に関する教示は、キムン自身のことと見てもよい。「言葉をたたむな。言葉をもみくちゃにするな。言葉を広げて外に突き出せ」力を持った美しい文章は何よりも具体的な事実に立脚したことであることを、キムンの文章は見せてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-19 09:58:04 | 韓で遊ぶ
果たして石は邪魔物か
編集部
太平洋のイースター島について研究している考古学者は農業地だと推定される地域が石で覆われているのを見て驚いた。石があるならば畑として耕すことは大変であり、収穫するときも邪魔になるからだ。
ところがすぐに考古学者は石が農業をする上で重要な要素だと言うことを悟った。ペルー、中国、ニュージーランドのような国で収穫率が高い農業地ごとに石がたくさんあったのだ。驚いたことに、この地域は砂漠のような乾燥した所として農業をするには劣悪な環境だったのだ。
農地のたくさんの石は、昼の間太陽熱を吸収して、夜になると熱を吐き出す。また、石の表面に結露した露が土地に不足した水分を補充し、土が風に飛ばされるのを防いでくれる。乾燥した土地でも作物が育つことができる環境を作ってくれるのだ。
農地の石は邪魔者だ。だが、果たして邪魔者をなくすことがいつもいいことなのか。


돌은 과연 방해물일까?
태평양의 이스터 섬에 대해 연구하던 고고학자들은
농경지로 추정되는 지역이 돌로 뒤덮인 모습을 보고 깜짝 놀랐다.
돌이 있으면 밭을 갈기도 힘들고,추수할 때 얼마나 방해가 되겠는가.
그런데 이내 고고학자들은 돌이 농사 짓는데 중요한 요소라는 것을 깨달았다.
페루,중국,뉴질랜드 같은 나라에서 수확률이 높은 농경지마다 돌이 가득했던 것이다.
놀랍게도 이들 지역은 사막처럼 건조한 곳으로 농사짓기에는 열악한 환경이었다.
농경지에 가득한 돌은 낮 동안 태양열을 흡수했다가 밤이 되면 열을 내뿜는다.
또한 돌 표면에 맺힌 이슬은 땅에 부족한 수분을 보충하고,
흙이 바람에 쓸려 가는 것도 막아 준다.
건조한 땅에서도 작물이 자랄 수 있는 환경을 만들어 주는 것이다.
농경지에 돌은 방해물이다.
하지만 과연 방해물을 없애는 것이
언제나 좋은 것일까?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-18 12:33:14 | 韓で遊ぶ
おばあさんじっとしていてください。
カンウンジュ/ウルサン市ナン区シンジョン5洞
ジュンヨンは今年6歳です。共稼ぎをしているママの代わりにおばあさんが世話をしてくれています。ある日、おばあさんが腰を痛めてリハビリに行き、先生からの指示通りに暇を見ては運動をしました。おばあさんが両手を壁に添えて立ったり座ったりを繰り返していると、ジュンヨンこのように言いました。「おばあちゃんは大変だからじっと横になっていてください。おばあちゃんの代わりに私が運動します。」孫のこの上ないおばあさんに対する愛に私たち皆、笑い出しました。

息を3回してください。
チンハヨン/ソウル市ソンパ区ムンジョン洞
幼稚園から送って来た質問用紙を作成していると、娘のチウォンがその質問用紙の片隅に落書きをしました。瞬間、自分でもわからないうちに子供をしかりました。すぐに、あっ、しまったと思いました。「チウォンが、わからないでしたことなのに、ママが怒ってごめんね。」すると、チウォンが言いました。「ママ、21回数えて頂戴。そうすれば少しよくなるから。」何を言っているのかわからず、「何を21回数えるの。」と聞くと、チウォンはちゃんと答えました。「アニのママが息を3回しなさいって、そうすれば気持ちがよくなるって。」普段、本を読むのが好きなチウォンが怒ったときに息を3回するという言葉をおぼえていたのでした。この瞬間、子供が非情に愛おしくなりました。小さなことで怒った自分が恥ずかしかった。

「ぴょんぴょん飛び」が食べたい。
シンキルスク/テジョン市デトク区ソンチョン洞
大きいほうの娘タヒョンが4歳のときのことです。ある日突然私に「ママ、ぴょんぴょん飛びが食べたい。ぴょんぴょん飛びを作って。」と言うのです。私は「ぴょんぴょん飛び」が何なのかピンときません。それで、「ぴょんぴょん飛びって何」と聞くと、タヒョンはぴょんぴょんと飛び跳ねながら言いました。「こうやって、こうやってぴょんぴょん跳ねるやつ~」ですが、どうしてもわからず、いらいらしたタヒョンは台所をがさがさと探して何かを持ってきました。それはポップコーン用のとうもろこしでした。とうもろこしが飛び跳ねる姿を見て「ぴょんぴょん飛び」と名前をつけたのでした。子供の純粋な表現にひとしきり笑いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-17 21:33:49 | 韓で遊ぶ
忘れられた人たち
ユン判事からの手紙/ユンジェウン/判事
蘭を見ていたらその後ろに親指ぐらいのミニサボテンの鉢を見つけた。かなり前に娘から贈られたものだが、蘭に隠れて忘れられていたのだ。サボテンは水を貰えず、すでに乾いて死んでいた。どんなにのどが渇いただろうか。
サボテンを見ていたら、ふと被告人が思い浮かんだ。この頃、刑事裁判をしている間、心が重くなっている。強盗罪を犯した40代序盤の被告人は21年を刑務所で送り、これからはちゃんと生きていくので許してくれと叫んだ。しかし、前科が多く減刑する方法はなかった。険しい人生を生きてきた人のようではなく、きれいな顔をしており環境さえよければ平坦な人生を生きられたのではないかと残念だった。
常習的にスリをしてきた女性も思い出された。スリだけで懲役6回、治療看護(精神病)で4回、刑を受け、また捕まってきたのだった。彼女は私生児として生まれ、継父に性暴力を受け家出、スリの組織に加担する等、苦難の人生を生きてきた。それによる精神病が深刻となったが、裁判の途中で癌により余命いくばくもないことを宣告された。生命が消えていこうとする彼女の青白い顔を見ていてあまりにも胸が痛かった。
この人たちのように常習的に犯罪を犯し刑務所で人生の大部分を送る人たちが少なくない。この人たちにどのような処分をするのが正しいのかいつも悩む。寛大な処分をしてもいくらも経たないうちに再び犯罪を犯して人々に被害を与えるか、重い刑で処罰したとしても矯正効果がないからだ。
常習犯罪者は大概似たような人生の苦難をなめている。幼い時からちゃんと養育されず、家出、退学、などをして社会の暗い淵に捨てられた。学歴も経済力も、近い家族もない。そうだけれども一番の問題は精神的な問題だ。この人たちは内面の傷がとても大きく犯罪の習癖から抜け出せないのだ。
犯罪防止に対するいろいろな学説があるが、優れた対策は特別にあるわけではない。更生に成功した人たちの経験によると、確実なのは唯一つだけだ。これは平凡だけれど狭く困難な道だ。宗教的に改心をするとか、配偶者や子供など愛する家族ができるとか、本当の恩人(後援者)に出会うとかだ。すなわち、純粋な愛を体験する道しかないのだ。自分が愛されている存在であることを体験し感じることが傷を癒してくれ、新しい心を持てるようになるのだ。
人は愛されると自身がぱっと咲くが、蔑視と虐待を受けると不安になり乱暴になる。ひどい不安と暴力性が自身に向かうと自虐や自殺をする精神病になり、他人に向かうと犯罪になる。ヘンリー ナウエェンは犯罪者を「荒々しい暴力で他人に害を及ぼす方法ではなく、愛されたい欲望を他に表現できない人」だと言った。犯罪の根底には愛に対する必死な渇望がある。
家出した青少年を支える「野の花の咲く村」運動をしているキムヒョンス牧師は社会に2種類の同心円があると言った。強者が中心に弱者と最弱者が端に生きる同心円は「競争」が支配して、端に押しやられた弱者は死ぬか捨てられる。反対の同心円は弱者であればあるほど中心にいて、強者は端に暮らすが、これを動かす原動力は「分け合うこと」であり、この時、強いことは本当の能力となり、弱いことは誰しも持っている傷を癒す共感帯となる。そして愛と生命が花開き同心円がだんだん大きくなる。
この濁った社会で強い心で分け合いの同心円を成す人々が少なくない。長期服役囚を根気強く世話をする人々、無期懲役囚の里親になって面倒を見る人々もいる。この人たちは「受刑者を助けながら、自分の内面にある惰弱で、傷を負った幼い子に会ってむしろ自分が先に癒されているのだ。」と言った。
常習犯罪者は加害者である前に、過酷な運命の被害者だ。枯れ死にしたサボテンのように最小限の愛も受けられないで霊魂が乾いてしまったのだ。この人たちは誰も愛してあげない忘れられた人たちだ。分け合うことの同心円にこの人たちを招待することだけが私たち皆を救うことができることだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)

2013-02-15 22:41:24 | 韓で遊ぶ
義理と言うこと
チョンソキ TVコラムニスト
「あれが義理と言うことか。死ぬとわかっていながらも呼ばれると行くことが。お前も俺も上手くやったと後頭部を殴られるこの世の中に、俺ぐらいはバカみたいに義理を守って生きてみよう。」ドラマ(家紋の栄光)より
SBSドラマ「家紋の栄光」でテヨン(キムソンミン)「私が義理の犬ハテヨンじゃないか」と言っていつも「義理」を連発していた。しかし、家紋の本家の一番上の孫でありまっすぐに正しい兄、スヨン(チョンノミン)に比べると、到底信じることができない、事件ばかりを起こし、口から出てくる言葉は家族にしろ、周囲の人にしろ皆、バカとしか言いようがなかった。
いろいろな因縁で絡まった警察官のナマンスン(マヤ)もテヨンをただ情けないとだけ思っていた。ある日、マンスンは飲酒運転の取り締まり中に交通事故にあうと、見舞いに来たテヨンが手厚く看病してくれた。マンスンが「何で、あだ名が犬なの?硬いやつだと言うことを知らせたいなら他の名前もあるじゃない。」と聞くと、テヨンはあだ名にまつわる話をそっと話した。実は、私も気になっていた。頼りなく見えても人柄だけは正しいのになぜよりによって犬なのかと思った。
幼い頃、テヨンは偶然犬を捕まえて連れて行く現場を目撃し大きな衝撃を受けたのだった。田舎では伏日の補身用(食用の犬)として犬を育てることは当たり前のことであるのは今さらながら言うことでもないが、正に死ぬ直前の犬が綱を切ったのか矢のように山に逃げて行ったのだ。ところが、主人が「ジョン~」と優しく名前を呼ぶと、涙をためて山を一度見て、主人を一度見て、ためらいながらそのおじさんの前に来たのだと。死ぬことをわかっていながら主人の呼ぶ声を運命として受け入れた犬を見て、幼いテヨンは心に決めたのだ。人間として生まれて犬ほどもできずに生きることはできない。
普段のテヨンをいい加減だとばかり思っていたマンスンの目にハートが描かれ、私もやはりテヨンを見る目が変わった。そんな一言一言がどうしたものか正しい言葉で、特に皆が同じように苦しいこの頃、私たちがそれでも耐える力は「義理」ではないかと。

"저게 의리라는 건가.

죽일 거라는 걸 알면서도 부르면 가는게.

너도 나도 잘났다고 뒤통수치는 세상에...

나만이라도 미련하게

의리라는 거 지키며 살아보자."

-드라마<가문의 영광>중에서

SBS 드라마 <가문의 영광>에서 태영(김성민 분)은 "내가 의리의 똥개 하태영, 아니냐."라며 늘 '의리' 타령을 한다.
그러나 가문의 종손인, 깍아 놓은 듯 반듯한 형 수영(전노민 분)에 비하면 도대체 믿음이 안 가는 사고뭉치 입에서 나오는 소리이니 가족이고 주위 사람이고 다들 콧방귀나 뀔 수밖에.
갖가지 악연으로 얽힌 경찰관 나말순(마야 분)도 태영을 그저 한심하게만 여기는데, 어느 날 말순이 음주 단속 중 교통사고를 당하자 병문안을 온 태영이 극진히 간호해준다.
내심 감동 받은 말순이 "근데 별명이 왜 똥개야? 질긴 놈인거 알리고 싶으면 다른 별명도 많잖아."
하고 묻자 태영은 별명에 얽힌 사연을 넌지시 풀어 놓는다.
사실 나도 궁금했다.
못 미더워 보여도 인물 하나는 반듯하거늘 왜 하필 똥개인가 싶어서.
어린 시절 태영은 우연히 개를 때려잡는 현장을 목도하고 큰 충격을 받았다.
예전에야 시골에서 복날 보신용으로 개를 기르는 일이 비일비재했으니 새삼스러울 것도 없지만 맞아 죽기 직전이던 개가 줄이 끊어졌는지 쏜살같이 산으로 도망을 치더라나?
그런데 주인이 "쫑~" 하고 다정하게 이름을 부르자 눈물이 그렁그렁한 채 산 한 번 보고 주인 한 번 보며 망설이다가 그 아저씨 앞으로 오더란다.
죽을 걸 빤히 알면서도 주인의 부름을 운명으로 받아들이는 똥개를 보며 어린 태영은 다짐했단다.
사람으로 태어나 똥개만도 못하게 살 수는 없지 않느냐고.



평소 태영을 허랑방탕하게만 보던 말순의 눈에 하트가 그려지고 나 역시 태영을 달리 보게 되었다.

그러게, 구구절절 어찌나 옳은 말인지. 더구나 모두가 하나같이 어려운 요즈음,

우리가 그나마 버틸 힘은 '의리'가 아니겠냐고.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009.2)より

2013-02-13 11:37:54 | 韓で遊ぶ
キムチを漬ける日
チョヨンハ 小説家
主婦の冬はキムチを漬ける事に始まりキムチを漬ける事に終わる、と言う言葉がある。キムチを買って食べるのが普遍化した最近でこそ、スーッと入ってくる言葉ではないが、私のようにまめにキムチを食べる人には自然にうなずける言葉だ。キムチをつける季節になると、量が多い少ないに関わらず「あ、あれをまた、どうやってやろうかしら。」と、とても気にかかるものだ。そうしながらも、キムチを漬けた後には、どんなにひどい寒さが来ても心配ないと、気持ちが楽になるどころか意気揚々とまでする。それぐらい心の荷が大きいと言うことだ。
この冬も間違いなくキムチをつける季節が近づき、白菜が山積みのスーパーの前を通る度にため息が出た。新しく引っ越した家が問題だった。前の家は寒かったけれど広くて白菜を整えて洗うのに問題がなかった。しかし、今の家はベランダが狭く水圧も弱くどうしても白菜を整えて洗うに気が起こらなかった。何日か悩んだ末、塩漬けの白菜を買うことにした。費用は倍かかるけれどもどうしようもない選択だった。
ちょうど実家の母から電話が来て、その一部始終を話したら、母曰く「あなたのところのキムチ冷蔵庫、大きいから家のも一緒にやったらだめかしら。」家族が少ないと言う理由で未だに住まいにキムチ冷蔵庫がない生活をしている母は、毎年すっぱいキムチを処理するのに苦労していた。母の事情をよく知っていたので費用は倍かかるけれども快くオーケーした。実は、母も私もキムチ冷蔵庫のようなものは重要ではなかった。去年まで舅姑と一緒に暮らしていて、今年初めて別居したのがポイントだった。結婚17年目にして初めて母と共にキムチを漬けることになったのだ。
母はソレポグから買ってきたエビの塩辛と、きれいに挽いたニンニクの包みを持って早めにやってきた。来るなり、座りもせずに袖をまくって大根を洗って刻み始めた。私なりにキムチと漬けることは経験をつんできたと思っていたが、母の前では駆け出しに過ぎなかった。白菜の中に混ぜて入れて後処理まできちんと仕上げは母は私が作った白菜のスープを2杯も全部飲んで帰った。
母を見送っていく道で、私の手をしっかりと握って歩く母曰く、「昨日の晩一睡もできなかった。娘とキムチをつけると思ったらうれしくて眠れなかった。」やっぱり、キムチ冷蔵庫は口実に過ぎなかった。子供のように車窓の外に向かってひたすら手を振る母を見て、来年もキムチを漬ける時、絶対に母を呼ばなければと思った。その日が今から待ち遠しい。

とてもジーンと来た話なのでぜひ原文をと思ったのですが見つかりませんでした。
([김장하는 날] 좋은 생각 2009,2 p28)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-12 12:16:36 | 韓で遊ぶ
決して軽くない配慮
ユソヨン 江原道ピョンチャン郡ハリ
姉が、私にソウルに住む甥といとこを連れに来いという任務を下した。いやだとごねたいところだが、勝てるわけもなくソウルに向かった。
朝から急いだが、市外バスは空席がなかった。仕方なく座席の肘掛に腰掛けた。1時間が過ぎると尻が痛く、休憩所で床に敷いて座る新聞を買った。しかし、トイレに行った人たちが濡れた靴で車に乗ってきたので、床が濡れて座ることができなかった。
また、肘掛に座ろうとした時、一人のおばさんが唐辛子の入っていた小さなスチロールの箱を差し出した。「この上に新聞を敷いて座りなさい。」尻が痛いのではないかと箱を縛った紐を解いてくれたのだった。暖かい配慮がこもった小さな箱がどんな椅子よりも楽に感じた。
甥といとこを連れて家に行くチケットは前もって予約しておいた。そして余裕のある気持ちで車に乗ったのだが、若者が一人、席がなくて哀れに新聞紙を敷いて床に座った。私がソウルに来る時に受けた気持ちを返すときが来たと思ったが、5歳の甥を膝に座らせて3時間も行くことを考えると漠々とした。いろいろな言い訳を考え、ためらったが、ついに、私は彼に席を譲ってやった。
私が受けたあの日の好意は決して軽いものではなかったのだ。私が受ける時は小さく、私があげる時には大きく感じるもの。これが親切であり、配慮だ。いくら小さな親切だとしても、いつも鉄釜のように重く、ダイヤモンドのように大切に受けなければならないと言う思いを心に深く刻んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-11 23:46:02 | 韓で遊ぶ
豆腐売りの成功の秘訣
東京の中央線に高円寺駅がある。そこでリヤカーを引いて豆腐を売る商いをしている豆腐売りは、競争相手が出てきて商売が上手くいかなくなり、私に愚痴をこぼした。「私が豆腐を売るのを手伝ってあげましょう。」豆腐売りは驚いた表情で「この商売はそんなに簡単ではないよ。売れるなら一度売ってみな。」と言った。「ならば、明日、家をでるときに時計を持って来てください。主にどの地域を回っていますか。」私は、豆腐売りが回る地域の地図を300枚ほどコピーした。
次の日の朝、豆腐売りが来ると、私はその地図を与え、このように指示した。「今日からこの地図に移動経路を書いてください。そして、豆腐が売れたなら、その時間と場所を印してください。」豆腐売りは、私の言った通りにその地図に印をして私に渡してくれた。15日後、私は一枚の地図を豆腐売りにあげて言った。「この地図の通りに動いてください。地図には回る経路が書いてあり時間も指定しています。ある地点に着いたら鐘を鳴らして3分間、止まってください。」
豆腐売り半信半疑ながらも、その通りに動いた結果、普段の半分過ぎない内に売り切れ、4日目には2倍半まで売れた。東京の中央線はサラリーマンの密集した地域だ。毎朝、同じ列車に同じ人が乗るように、サラリーマン朝の時間はとても正確だ。歯を磨く時間も、主婦が「豆腐屋さん」と呼びながら走って出てくる時間もほとんど同じだ。走ってでてきたときに豆腐屋がいれば必ず買うことになる。原理はこれだけだった。



두부 장수의 성공 비결(가라쓰 하지메, ‘마케팅의 과학’ 중에서)

도쿄의 주오센 선로에 고엔지역이 있다. 그곳에서 손수레를 끌며 두부를 파는 두부 장수는 경쟁자가 생겨 장사가 안 된다며 내게 푸념했다. “제가 두부 파는 것을 도와 드릴게요.” 두부 장수는 놀란 표정을 지으며 “이 장사 그렇게 쉬운 게 아니유. 팔 수 있으면 한번 팔아 보슈.”했다. “그러면 내일 집을 나설 때 시계를 갖고 와 주세요. 주로 어느 마을을 다니시나요?” 나는 두부 장수가 돌아다닐 마을의 지도를 300장 정도 복사했다.

다음 날 아침, 두부 장수가 오자 나는 그 지도를 주고 이렇게 지시했다. “오늘부터 이 지도에 이동 경로를 그리세요. 그리고 두부가 팔리면 그 시간과 장소를 표시해 두세요.” 두부 장수는 내가 시킨 대로 날마다 그 지도에 표시해서 내게 건네주었다. 보름 후 나는 지도 한 장을 두부 장수에게 주며 말했다. “이 지도대로 움직이세요. 지도에는 돌아다닐 경로가 그려져 있고 시간도 지정되어 있습니다. 어느 한곳에 도착하면 종을 울리고 3분간 멈추세요.”

두부 장수는 반신반의하면서도 그대로 움직인 결과 평소의 반도 지나지 않아 두부가 동이 났고, 4일째에는 이전의 두 배 반까지 팔았다. 도쿄 주오센은 샐러리맨의 밀집 지역이다. 매일 아침 같은 열차에 같은 사람이 타듯 샐러리맨의 아침 시간은 아주 정확하다. 이를 닦는 시간도, 주부가 “두부 아저씨!”하고 외치며 뛰어 나오는 시간도 거의 같다. 뛰어나왔을 때 두부 장수가 있다면 반드시 사게 된다. 원리는 이것뿐이었다.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい考え(2009,2)より

2013-02-10 20:39:20 | 韓で遊ぶ
主をなくしたかつら
イウニョン ソウルヤンチョン区シンジョン6洞
その日はとりわけ春の暖かい日が照りつけ、そよ風まで吹いていました。まるで私の見合いを祝福するかのようでした。私は今10000ウォンを投じて町内の美容室で髪をセットしてバスに乗りました。ですが、座席に座って鏡でヘアースタイルを見ていた私に試練が近づいてきました。前の席の開いている窓から強い風が入ってきて、セットしてきれいに整えた私の髪を乱すのでした。「だめだわ!」ミスコリアのヘア-スタイルと乱れ髪の白丁(ペクチョン)ヘアースタイルは紙一重の差でした。私の髪を乱す風を防ぐ方法はただ一つ。窓を閉めること。ですが、前の席に座っている男の人は頭を揺らして眠っていました。のどが渇いた人は井戸を掘ると言うし、私は力の限り前の方に窓を押しました。ところが、男の人の頭がその時、窓の方に揺れてきて髪の毛がそのまま窓に挟まってしまいました。窓をもう一度開ける間もなくバスは停車し、びっくりして目を覚ましたその人は「降ります」と叫んでドアが閉まる直前、すばやく飛び降りました。「あ、こんなことが」呼び止める間もありませんでした。その人は何本も残っていない髪の毛を風に翻してバスの停留所で呆然と立っていました。走るバスの中には、主をなくしたかつらだけが窓の隙間にぶら下がり、ぶらぶら揺れていました。自分のヘアースタイルを守ろうと、何の罪もない人の髪の毛をすっかり奪ってしまった私は罪責感で見合いもだめになってしまいました。たぶん、あの人は新しいかつらを用意するときはきっと内側にこういう風に書くでしょう。「拾われた方は連絡ください。010-000-0000」

原文はこちらに
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする