伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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蒙古放浪記

2022-02-02 05:26:29 | 歌の風景

先日が古い歌を口ずさんでいた。

その歌なんていう歌

昔日大出身の同僚がことあるたびに唄っていたので

憶えたんだ 

 

哀調のある唄だった。

ネットで調べると鶴田浩二が唄っていた。

ネットより

  蒙古放浪記   作詞・作曲 不詳
 

蒙古放浪記は昭和初期に歌われた大陸雄飛の歌である。日本民族発生の地である蒙古平原を思慕する、ロマン派男児の声が聞こえて来る。

    蒙古放浪記

1、心猛(こころたけく)も鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
  母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等と何時亦会はん

2、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
  胸に秘めたる大願あれど 生きて帰らむ希みはもたぬ

3、砂丘を出て砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
  明日も河辺が見えずば何処に 水を求めん蒙古の砂漠

4、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
  大和男の血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路

5、負はす駱駝の糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
  砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越えなん蒙古の砂漠


歌が世に出たのは、アジア大陸進出が本格的に進められた昭和初期。

戦前、若者達がアジア大陸に憧れ、満蒙流浪の旅を夢見た時代があった。この歌は旧制高校の逍遥歌や寮歌のように扱われ、現在まで大学応援団などの学生達によって伝承されてきた。

加藤登紀子が歌っていた。旧陸軍中野学校で愛称された「三三壮途の歌(さんさんわかれうた)」の元歌でもある。

昭和6年の満州事変で、関東軍が満州全土を占拠したが、これを契機に国策で満蒙開拓と称し、満州、内蒙古への日本人農業移民が始まった。

しかし満蒙開拓には夢と現実とのギャップがあった。移民は、自ら身を守るため軍隊から武器を与えられ、訓練を受けた武装集団でもあった。

27万人の移民が終戦で置き忘れられ、逃避行で8万人の死者を出した。満蒙開拓は、一からの開拓ではなく、農地の60%が農地買収で得たもので、時価8%~40%で強制買収された。

特に満州国では国土総面積の14.3%に当たる農地が日本に買収されている。植民地統治勢力の庇護の下での構造的な収奪とも言える。
(数字などwikiより)売り渡した現地農民は、自分達が食べるためにまた、新たな開拓をやったと思われる。

 

コメント (2)
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12時間の歌謡番組・・・自分のことは棚に上げて

2019-01-04 19:50:13 | 歌の風景
先日BSで12時間もの歌謡番組をやっていたので

 しばらく見た。


 懐かしいコマドリ姉妹とか出ていて






 すさまじい顔の変化に驚き・・・(自分のことは棚にあげて)

 92歳の菅原スズ子さんの変わらぬ歌声にも

 驚嘆。




 何か歌謡番組を見ているとほっとする高齢者でごじゃります。


 そうそう


 北島兄弟というのも面白い。
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幾春別の詩

2014-04-06 12:16:24 | 歌の風景
 今日の道新の歌の風景は

 倉橋ルイ子の幾春別の詩だった。



 へぇー・・・こんな歌があったんだ

 知らんかった・・・。


 早速ネットで聴いた・・・

 なかなか哀調のある表現力のある歌

 だった。

 歌手も作曲も作詞もグットだった。



 三笠市は私の新卒の頃の

 思い出がイッパイ詰まった街・・・

 幾春別には同僚が住んでいて

 よく遊びに行っていた・・・。


 当時私は同じ三笠市の幌内中学校に

 勤務していた。


 一学年10何学級のマンモス校だったが

 ほどなく炭鉱も斜陽になり


 三年で私は札幌に出ることができた

 ラッキーでした

 若かったからね・・・。



















 






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偶然

2014-02-16 22:53:40 | 歌の風景
 今日の道新の歌の風景は

 津軽海峡冬景色だった。



 朝の掃除をしながら

 上野発の夜行列車おりた時から

 青森駅は雪だったぁー

 と気持ちよく唄っていたら

 雪の中・・・と昭南さんから

 クレーム・・・・。


 めげずに

北へ帰る人の群れはいつも無口でぇ


 またまた完璧主義の昭南さんから

 誰も無口でぇー

 とチエックされた・・・・。



 まっいいけどさ・・・。








 自分の部屋の多肉の水やりをしていたら

 本棚から

 コトリと写真立てが落ちた。

 姪の結婚式の時の写真である。

 何気なく

 年号を見ると

 1988年

 この数字に記憶がある・・・・

 急いで新聞を広げるとやっぱりネ

 連絡船の最後の航海が88年とある・・・

 コトリと落ちたのは何かの縁・・・・か

 偶然か・・・・。

 そんな訳でパチリした。

 

 






 連絡船は80年間続いたんだって・・・

 私も随分利用させていただきました。




 連絡船には

 いろいろと物語があったのでしょうネ・・・。

 私も含めて・・・・。




 連絡船で北海道取材に訪れた時の

 記者時代の昭南さん・・・

 あんまり載せないで・・・と言われたが

 若い時の写真だし

 いいっしょ・・・

 明日こっそり載せますネ。



 既にエッセィ「雪の街のシズ子さん」に載せていました。


 「雪の街のシズ子さん」より




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店の名はライフ

2014-01-09 00:36:47 | 歌の風景
 先週の道新「歌の風景」は

 中島みゆきさんの

 「店の名はライフ」だった。



 私はこの歌は知らない・・・・。



 彼女は私の大学の後輩だが

 どういう青春時代を過ごしたのか

 興味があった。



 記事によると

 北大のフオークソング研究会に

 所属していて

 「歌で世の中を変える」

 と語っていたとのことである。



 数々の作品を発表し続け

 才能があり


 まさに音楽界の革命児であると思う・・・。









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