手術と気がかりと

2023-10-25 23:07:30 | 
父がイレウス管を入れて1週間

症状の改善はされませんでした。


「管を入れたまま退院か手術か
ご家族で話し合って決めてください」

そう内科の先生から電話があったと
母からLINEが入っていたのが水曜日。

父の体はもうすでに沢山の手術跡でいっぱいだったのと
なぜかその時はもう父は長くないようなしていました。

「管を入れたまま退院で、その後緩和ケアをしてくれるような病院に転院希望です」

そう答える為、金曜日に私から病院に電話をしました。


けれども、内科の先生と話をしてみると、
どうも父の場合『手術をする』の1択しかなかったようです。


肺炎の原因は腸閉塞
腸閉塞を治さないと肺炎は繰り返される

また、7年前の直腸がんの転移も考えられる


そういう訳で
今日父は腸閉塞の手術を受けました。


手術室に入る前に母と私で父の顔を見ました。

意識朦朧としているのか私たちをみても
誰ともわからずにキョトンとする父でした。



そして急に顔を歪めて「喉が痛い」
そう弱々しく呟きました。


飲まず食わずでもう14日

イレウス管を左鼻から入れてずっと耐えてきたのですから、喉が痛いに決まっています。




手術は朝の9時過ぎから始まり12時前には終わりました。
短時間で終わったのでほっとしました。




腹腔鏡をお願いしていましたが、
中を覗くと腸が柵状に何個も癒着していて開腹手術にせざるをえなかったようでした。


開腹してみると腸があちこちで癒着している上に、腸捻転もおこしていたようでした。

癒着はなんとか離してあとはバイパス手術をしたとの事でした。



「お父さん、肝臓がかなり悪いみたいで栄養がほとんどないみたいよ。
普通の健康な人と比べると25%くらいしかない。

この場合、手術の跡やバイパスした箇所がちゃんと修復されるかっていうのがあるね。

あと気になるのが、ご飯が食べれるかっていう事です。
嚥下がうまくできるかなって。

施設や認知症病棟ではどうやったんやろ。

お父さん、食がもともと細い?

お酒のんでたんやったらあんまり食べるタイプじゃなかったんじゃない?」


とてもよく分かってくださるザックバランな先生に心許して

「そうなんです。
お酒で栄養をとっていたタイプなんです。」
なんて言って母と私は困った父の話をポロポロと漏らしては少し談笑をしました。

けれども心の内では
先生の指摘した『気がかり』を気にしていました…



帰りにICUの父を見てから帰ることにしました。


ベッドの上でスースーと寝ていました。


管が外れてスッキリした顔を見て安心しましたので
父に話しかけず帰ることにしました。












暗い夜

2023-10-16 23:56:00 | 
父は腸閉塞の為イレウス管の挿入手術を急遽しました。


鼻から小腸までチューブを挿入し、腸液を排出することで腸内圧力が下がり腸管が開くということを期待するというものでした。


手術前に父のベッドから離れないといけなくなったので
「お父さん、今からちょっと行かなあかんから行ってくるけど必ずまた戻ってくるからね!」
と耳元で言いました。


父は小さく頷いてくれました。


父の元を去った後、待機室に案内してくれた看護師さんが
「実はもうしばらく会えないんですよ。
入院後1週間は面会ができないんです。
1週間後も予約制でご家族の誰かおひとりだけ15分面会になるんです。」



私があまりに『必ずお父さんに会いに行く』と父に強く伝えていたので申し訳なさそうに教えてくださったのです。





そうか…
お父さんに嘘をついてしまった…





ぽっかりと何か穴があいたような気持ちになりながら父のイレウス管手術を待ちました。


待合室の大きな窓にはすっかり夜が広がっていました。
暗い黒い景色の中
時々通る電車の光の流れを
母と私はぼんやり眺めて
父の手術が終わるのを待ちました。



父の手術が終わったのは夜の10時でした。

父 転院

2023-10-16 13:58:55 | 
木曜日、父の認知症病院の担当医師から電話がありました。

「お父様の事なんですけれど、水曜日から嘔吐を繰り返し食事を取れない状況だったようなんです。(水曜日は休診日の為担当医師が対応できなかったとのこと)

今日も腹痛と嘔吐を繰り返して食事もできていないようです。

恐らく、腸の癒着か何かになっているかと思いますので消化器内科がある病院へ転院を進めていってよろしいでしょうか?」


父の腹部はカチカチに固くなって膨れているとの事。


私は仕事にまさに向かっている最中だったのですが…

混乱しながらも優先すべきは父なんだと気付き

すぐに仕事を休ませてもらえるよう職場に電話をかけました。




それから、家まで止めどなく流れてくる涙をマスクで受けながら
夫へ
母へ
電話をし、今からどう動くかを決めながら帰りました。







転院先の病院が決まったのは結局夕方の4時でした。

父が転院先のB病院に救急車で着いたのは夕方6時前。

救急処置室へ入れたのは夕方6時を過ぎてからでした。


細いベッドで寒いと震えている父と対面しました。



「熱が38度あったようなんです。
今、コロナの検査を出していまして
その結果が出ないことにはお布団を貸し出しをできないことになっていまして…。」

そういう訳で
父は風を通さないとされている不織布のシートを2枚被せているだけなんだと看護師さんから説明を受けました。



急に現れた私と母を認識した父が首をもたげました。


「お父さん しんどいって聞いて来たんやで。」

そう言って父の冷たい手を私と母の手で温めました。


今 どこにいて
何でここに居てるかわからない父の顔。

時々やってくる腹痛に顔を歪めながら
父が苦しむ姿を祈るような気持ちでただ見つめることしかできませんでした。



7時頃にやっと救急の医師から呼ばれ
腸閉塞と誤嚥性肺炎になっているようだと知りました。





スクーリング頑張っています

2023-10-06 22:41:52 | 日記
父のことで頭いっぱいの春と夏。

そんな中でも
時々、オトへの心配が押し寄せてきたりしていましたが

オトの事を『ほおっておく』が何とか出来ていたのは
父のお陰なのかもしれません…


父の『困った』は、
私を助けてくれている…


私の子離れを手伝ってくれているのかもしれないないなぁなんて。


そうだとしたら、

お父さん

ありがとう




オトは9月の末になってやっと思い腰をあげました。


スクーリングです。


当日の朝ギリギリに
「ママ、学校  
行きだけ付いてきてくれる?」


そう言ってきたので付いていきました。




その日の翌日からは、地元の最寄り駅までは送り出し
現在までで5日間何とか行けています。


『行って帰ってこれたらもうそれで100点満点やで』

そう伝えて

それ以外は静かに心で応援しています。



夕方仕事から帰ってくると好きなことをして過ごしているオト。

時折、ため息と
「あーーー嫌だ。行きたくない。」という声をあげています。

それからポツポツと気持ちを吐き出して

体育の日は
メイクをしたスカート短いいかにもギャルとグループを組まされ頑張ったとの事で、
それも辛かったなどと話してくれたり

毎時間毎時間、早く帰りたいと思いながら授業を受けているとも話してくれました。



「そっかそっかぁ。
そんなに帰りたかったのに何とか頑張ってきたんやなぁ。」



行ってみたら意外となんとかなったやろ?なんて口が裂けても言えないなぁって思いました。


オトなりに何とかギリギリ頑張っているんだから。



自分の中で、何とか避けて生きていきたい問題に

オトは今一生懸命にやり抜こうとしているんだから。


どうしようもない孤独のなかで頑張っている。

今をどんな形になろうとも受け止めてあげたい。


オトを後ろから照らす
あったかいお母さんになりたい。