自由に作る

2023-08-25 10:27:47 | 日記
昨日の夜、オトがピザソースを作ってくれました。


携帯を見ながら材料を計量して…

「あ、トマト缶 半分残っちゃうわ。」


とオトが途中で言ったので

「じゃあ、倍の量を作って保存しよう!」

と私が提案しました。



「じゃ、そうしよっか!」ということで、

炒めていた途中の玉ねぎも
途中で火を止めて
新たにみじん切りを追加しました。


炒めるのを手伝う私の隣で、
オトは先ほど調合した調味料を追加します。

 
さっきはちゃんと計量スプーンを使って几帳面に量っていたオトですが…


「だいたい『小さじ2』はこれくらいかな。

それから『大さじ1』はこれくらい。

トマト缶は全部で400グラムで、でも100グラム余っちゃうな。

全部いれとこーー」





この、ファジーさが嬉しいと思いました。


「おっ‼️
だいだいの目分量がわかるようになってるやん!
それでいいとママも思う~



私の子育ての大半は、

『失敗させたくない』『悲しませたくない』『よい母親でいたい』

そんなきもちでいっぱいでしたから

オトを知らず知らずに、『完璧こそ正解』と洗脳してきてたのかもしれないと

今でも自分を責めている所があります。

(自分を責めるのは良くないですね。
だけど、まだ傷は深いです。徐々に許すつもりです )


だからこそ、

『きっちり』とか『しっかり』とかに縛られないときのオトに安心しました。



今日はこのピザソースを使って

晩御飯をピザにしようかなって考えています






家にあるものでつくるプレゼント

2023-08-20 22:33:51 | 
今日は父の77回目の誕生日でした。

金曜日からのバタバタで
買い物もろくにしてこれない毎日でしたから、誕生日と言っても父に何か特別なものを作ってあげれないなぁ…と半分諦めていました。


ふと、思い付いたのはマドレーヌ


バター
小麦粉
砂糖

これだけあればマドレーヌが作れると❗



早速材料を計量して

オトにも手伝ってもらいながら作りました。



そして焼きたてをオトと2人で食べてその日のおやつとなりました。


8月20日は父
8月21日は母

それぞれの誕生日に
小さなマドレーヌを1つずつラッピングをしました。





特別じゃないけれど、
甘くて幸せな気分になってくれたら嬉しいなって

そんな気持ちで作りました。



今日も父の施設へ行きました。


父に渡すと4分の3だけ食べてくれて
残り4分の1は私のお腹の中へはいりました。

「おいしいやろ?
私とオトが作ったんやで」と言うと


「うん なかなか  うまい」と父。


お腹いっぱいになってベッドに横になると
父はいつも眠たくなって寝てしまいます。



「お父さん、また 土曜日か日曜日かどちらかでお父さんに会いに来るからね。」


そう手紙に残して帰りました。










毎日会うと見えてくる。

今の施設だと父はしんどいんじゃないかと。

今回のブログには書きませんが
今日も色々と感じたことありました。



父の為にも、また違う道を見据えて情報を集めるべきだと思いました。








施設入所からの備忘録

2023-08-20 00:07:59 | 
あまりに色々ありすぎて
細々と書けなくなってしまいましたが…

それでも
私が父と向き合う日々を書き記したいと思います。

先月
7月7日施設入所後から繰り返される脱走は
『徘徊』なんだと受け入れるようになりました。

父が
外出しようとする全てに理由はあるけれど、
戻ってこれない
父の外出は『徘徊』なんだと思います。


また父は恐ろしいことにベランダからも脱出を試みました。
幸い落ちずにすみましたが、ご近所さんや施設にご迷惑をかけてしまいました。

その他にも、隣の部屋を自分の部屋と間違い入ってしまったり
他の部屋の扉を叩いたり
自室でわめいたりすることもあるそうです。

その多くは夕方から夜間にあり
おそらく『夜間せん妄』ではないかと思われます。

また、それと同時に急スピードで進む認知症になす術もありません。


思い返せばいつも父は8月の誕生日前と冬におかしくなる…


そんな風に何かわからないもののせいにしないとメンタルが保てない位に悩み…
いや悩んでも仕方ないと呆気にとられるばかりでした。




8月11日に父は発熱したそうです。

熱中症だろうということでした。
2日ほど寝込んでいたようです。

回復するとあのベランダ事件を起こしました。夜中なのでせん妄でしょう。

14日会いにいくと、
ぬれた洗濯物がゴミ箱の上に大量におかれていました。

トイレも尿で汚れていて
ストーマ(便)が中身を排出せずそのままで放置されていました。


またちぎっては捨てちぎっては捨て…
そんなトイレットペーパーが散乱していました。
母は半分怒りながら
「なんでやろ、なんでやろ」と言いながら
せっせと片付けていました。

その日は私の顔も母の顔もはじめの30分ほどはわからない様子でびっくりしましたが…
だんだんと帰る頃には思い出してくれているようでした。





18日(金)の朝
父が行方不明になりました。


朝7時まえから居室にいなかったようです。

警察に捜索願を出し探すもみつからず、至急私たちも警察に父の写真を持って行かなくてはならないことになりました。

母は汗だくで
とにかく色んなことを考えながら思考があちこちに飛んでいる感じで、焦りでいっぱいな様子でした。
見た目では「たいしたことない。覚悟してる。」と言い普通にしてはいるものの…何となくわかる母のパニック。

父の住んでいる地域の警察署まで、私たちが電車で向かっている最中に父が見つかりました。

父が通院したことのない病院を何度も出入りしていたところを、そこの職員の方が不審に思い通報してくれたとのことでした。


喜びと安堵と…父への憤りもありましたが、沢山の方に叱られて帰ってきたであろう父には、その日は何も言わずに普段通り優しく接して帰ろうと母と決めました。





施設の人ひとりひとりに頭を下げてお礼を言っているところ、

「あの、実は昨日にストーマを自分で外されてたみたいで…
お部屋のあちこちに便がついていて…

できる限り掃除したんですがまだ掃除の行き届いてない場所があると思うんです。」

そんなまたびっくりする話を聞いて私と母は父の居室に向かったのでした。



先に居室に帰っていた父は
ぼんやりとどこか遠くを見ながら一人で昼食をとっていました。


私が誰かわかない顔をしていましたが、

せっせせっせと父が汚したものの掃除をしている母を横目に見て

ふとお父さんの奥さんだと気づいたように見えました。


「おーい お母さん 
あの あれ ……」

呂律が回っていない感じでしたが母を認識して落ち着いたようでした。

半ば怒りながらせっせと掃除している母には父の言葉は届かないようでした。


そうしてまた勝手に外に出ようとする父。

ついていくと

チョキをして(タバコを持つ手)私に見せていました。


私がじゃんけんのようにチョキを父に向けると、父は鼻で力なく笑いました。


「ふん(笑) これ分かる?
チョキとちゃうで。

タバコ。

どうしても吸いたいねん。


なんかなー。
どうしても吸いたくなってん。



お金ちょうだい。」



私にお金頂戴なんで初めて聞きました。


「ごめんね。私、働いていないからお金ないねん。

そう言って嘘を言いました。


その後、施設長さんが来てバツが悪くなってお父さんはあれだけ外に行こうとしていたのにすんなり部屋に入りベッドに横たわりました。


迷惑をかけたことは認識しているように感じました。



19日(土)
また父のところに行きました。

ちょうど部屋を出ていこうとしている父を止めている場面に出くわしましたので、明るく笑顔で手を振って
「会いにきたよー!」と言いました。

「会いに来たから戻ろう」と優しく手を取るとすんなり部屋に帰ってきてくれたので助かりました。


ちょうどお昼ご飯だったので
私は父のご飯食べている隣に座り見守って、


母は昨日できなかった箇所の掃除と、持って帰った洗濯の山を整理整頓をしました。


父は自分が汚したもののシミを
「あぁ、あそこに虫がいるわ」と言っていました。


「きれいに洗うね」と伝えました。


やはり目で追うのは母の姿でした。
母のせわしなく動くあの感じが懐かしく落ち着くんだと思いましたがやはり一緒には住めません。

あまりにも父はおかしくなっている。

母の生活は母の為にあるもので、父の言いなりに為るためにあるものでないと思います。

父にはもう母を思いやれる力はありません。ただ自分本意に生きるだけです。

また夜間せん妄や徘徊を繰り返し、私たちを見ては酒やタバコがほしいと言ってきます。

それに、父は母の声が言葉が何故か一番聞こえないんです。



だけど、父は確実に認知症がすすんで、サービスつき介護高齢者住宅には合わなくなってきているように思う…
そんな恐怖で私たちはまた岐路に立たされています。



どうすればいいか

どうしたらいいか


そんな不安と一緒に前を向いて歩いていかなければなりません。


それでも、どんな時も、自分ができることをできる範囲でやっていくしかないですよね。













私は何故か恵まれている

2023-08-11 00:17:03 | 日記
時々、思うんですけれど
私の人生誰かに助けてもらってばかりなような気ガシマス。

特に社会に出てからは、
同期の友達に助けてもらい、
少し年上の先輩に助けてもらい
得意先の人にはお菓子をもらったり、元気のないときは電話の向こうで励ましてもらったり。
母親になってからは、ママ友に出会い、
今もオトのことや父のこと話を聞いてもらって励ましてもらって。


困った時には、やっぱり人に癒されているといつも実感しています。



私は悩んで泣いてばかりいるけれども、それと同じ分だけ笑ってるかもしれない。


私は幸運なのかもしれないな。



単純だからかもしれないけれど、
いつも誰かに感謝して生きているような気がします。



オトだって
「ママ、おじいちゃんのこと なんかあったん?
聞いてもいいなら聞くよ」って言ってくれて。


本当なら私が苦しんだり悲しんだりは見せない方がいいんだろうけど
今さら隠しても仕方ないって思って話をしました。


「オト、じーちゃんに会いにいったほうがいい?」

「そりゃ 喜ぶと思うけど…
オトは会いたくないんでしょ?
オトが会いたいと思う時に会ってほしいからね。
大丈夫よ。」


「うん。じーちゃん よかれと思って学校のこととか言ってきそうだから今はまだ会いたくないねん。」


「そーやんな。じーちゃんは自分がいつも正しいと思っているタイプやからな。
ええよ。
大丈夫。
それにな、じーちゃんが選んだ人生の結果やから。ただママにとっては、じーちゃんはお父さんやから、特別な感情を持ってしまって苦しいだけやねん。
ありがとう。」


話を聞いてくれる優しいオトに甘えすぎたらあかんなと
反省しつつも、感謝でいっぱいになりました。





お父さんの脱走

2023-08-10 23:45:07 | 
施設入所から1ヶ月になりました。

父はあれから警察沙汰にはならないものの
最近は特に15分に1度位の頻度で何度も部屋を出ては出かけようとしているようです。


昨日突然施設から電話があり
「お部屋を引っ越ししてもよろしいでしょうか?今のお部屋だと、目の前に非常階段がありそこから降りてしまうんです。
簡単に通れないように封鎖してみたりするんですが、意図も簡単に抜け出てしまって…。
それから毎日守衛さんに出ていかないよう止めてもらっているのですが、あるときまたふいに隙をねらって出かけられて…
追いかけてくれたらしいんですけど、お父さまは足が速いみたいでなかなか追い付けなかったようなんです。

私たちで何とかお父さまのことをサポートしたいのですが、15分に1回は脱走しようとして、それに対応していると他の入居者さんのお世話ができなくなるんです。

ですのでとりあえずは奥まった部屋に引っ越ししていただけたらと思います。」

他にも、外に行けないときはエレベーターを使って他階に行ってしまうようです。

階ごとに色々な事業所さんの施設になっているマンション型のサ高住ですので、他の事業所さんのヘルパーさんにもお世話になってしまっているようです。

本人はマンションの管理人のお仕事をしているという設定でうろうろしているようです。



す…すみません…


そう伝え引っ越しして大丈夫と返事をしました。


「あの おとちゃん?ってお孫さんですかね?

おとちゃん おとちゃんって言ってるんです。


今日もどこへいくんですか?って聞いたら
おとちゃんにこのお菓子を渡しにいくんやって言って、買い物サービスで一緒に買ってきたお菓子を持って外に行こうとしていました。」



そう聞いて突然涙が出ました。

それから、こらえてもこらえてもこらえきれなくて泣いてしまいました。


そんなに、そんなにオトの事を大事に思ってたんやったら何で何で自分を大事にしなかったんやと。

お酒にのまれて家族を不幸にしてオトのことだってなんで大事にできなかったんやって。

悔しさと情けなさと寂しさと哀れさと
とにかくもう戻れない幸せな日々を急にた思い出したりして感情がぐちゃぐちゃになってしまいました。


それと同時に、父がここの施設に断られてしまうのではないかという恐怖も先を見越して感じてしまいました。

グループホーム 

特別養護老人ホーム


どうしたらいいんだろう。

うちにはお金がないのにどうすればいいんだろう…。

今ではなく先を勝手に見越して早く対策を練っておかなくてはいけないんじゃないかと焦りを感じたりもしました。




入院する前に、最後に渡してくれた父からのお菓子の写真です。

この頃は、常に酩酊状態であちらこちらで転倒していました。

このお菓子、スーパーでビールを1缶だけ買ったらスーパーの人がおまけでお父さんにくれたそうです。


最後の最後に、こんな大きなビスケット。
にっこりした顔

受け取ったときはもう医療保護入院のサインをした後でした。