私の父と母

2023-03-31 01:01:22 | 
毎日毎日…

母が父を想っては涙ぐむ


あれだけいがみ合っていたのに

あれだけ喧嘩ばかりで

あれだけ傷つけられていたのに

自由なんてなかったのに



父が居ない毎日を
自由に過ごせない母が居る


父は面会も出来ずにいる為何を考えているかわからない





母は先日
A4サイズの真っ白な紙に
太マジックで大きな文字を書いて
父への着替えの中に入れたらしい


『お父さんのこと 忘れてないからね!
コロナやから 面会行けないけど退院するのを待ってるからね。』

そう書いたのを入れたのだそうです。


それから、ナースステーションの奥にかすかに見える父に向かって大きく手を振ってきたと私に話してくれました。


☆。.:*・゜

今日たまたまYouTubeで見つけた
老夫婦の認知症の動画


こちらは妻が認知症


旦那さんの気持ちが
今の母の気持ちに似ているかもしれないなと思いました。


そう思って考えて

何度も見直しました。










優しさの花束❀.*・゚

2023-03-19 11:02:52 | 日記
「オトちゃんのこと大好きで色々言いたくなるお母さんや
言わないでぐっとがまんしているお母さんや…
とにかくオトちゃんのこと一生懸命なお母さん

お母さんとっても素敵だと思います。


自分は駄目だなんて思わないで。

自分のしたいことを無理やり見つけて離れようなんてしなくても大丈夫。

オトちゃんのことを考えてたっていいじゃない。

オトちゃんが大好きなんだから。

それもこれもまるごとお母さんなんですよ。





先日、無事にオトが中学を卒業しました。
卒業式には勿論行きませんでした。


明るく楽しく未来に羽ばたく子どもたちが眩しいばかりです。





こういう時は区役所の子育て相談員のNさんに会いに行きたい







行くと貰える優しさの花束






❁❁❁❀.*・゚❀.*・゚❀.*・




私はダメだ。

変わらなきゃ💦


そう思いながらこの3年間を過ごしてきました。

言いたいことを我慢したり
理解できないと思っていたことに寄り添ったりで頑張ってきました。

でも本質的には変わらない。
今はまた先に見えている未来に
不安と期待を勝手に持ってしまう。

こんな自分はダメだ。

“私はダメな親だ“って自分を追い詰めていました。



そんな私にきっと誰かは“考え過ぎだ“と言うでしょう。

そんなふうに言われ過ぎて
“考え過ぎな私“
私は大嫌いでした。


だから、そう言われたくなくて
私は自分で自分のことを

「私って、考えたり悩んだりすることが実は好きなんかな(笑)」

なんて言って先に
笑い飛ばしました。


そんな私にNさんは
「それもまるごとお母さんです。
自分を責めないで。
変わらなきゃ、離れなきゃって思い詰めないで。
オトちゃんのことで一生懸命なお母さんはすごく素敵なお母さんです。



私はオトが大好きなお母さんでいいんだと

オトのことで頭いっぱいになるお母さんでいいんだと

やっと肯定できたように思いました。



3年間お疲れ様 私


オトを大切に思える私は素敵なんだ


だから私は私のままでも大丈夫なんだ




父の様子

2023-03-18 10:06:20 | 
3月10日

先生から連絡あり

~お父さんの様子~

・非常に落ち着いている


薬が効いているのかもしれないし、お酒を飲んでいないからかもしれない。
離脱症状もなし。
セルシン15ミリを飲んでいるが何も無い


・今後の治療

これからセルシンを少しずつ減らしてゼロへ目指す予定。
(セルシンはずっと飲んでいると良くない薬のため)


今日から15ミリ➝10ミリにする。

来週前半にはセルシンを飲まなくなる見込み。


・気になること

セルシン以外におこりっぽさを抑える粉薬を処方しています。

入院時血液検査で白血球がやや少なめなのが気になる。

2630 (通常3500~9500)

好中球
1228と少なめ


だけど、あわてなくていい


今は発熱や感染症はない


ひょっとしたらおこりっぽさを抑える粉薬が原因かも


入院中に合うものを探す


・来週の予定

血液検査をする予定





3月17日
~お父さんの様子~

特に問題なく穏やかにすごしているが、認知機能が下がっている様子

・認知機能について

水曜日に認知機能の検査をした
MMSE 30点満点中17点
(23以下は認知症となる)


脳の萎縮やMMSEの結果により
アルコール性認知症だと思われる
(大量飲酒歴がある為)


・血液について
前回 白血球の減少を心配したが元に戻った

・肝機能について
γ-GTPが改善傾向(少し高い程度)




・これからのこと

普段怒りっぽさはなし
しかし、他の人の部屋へ勝手に入ってしまったりと認知機能の低下によるトラブルがあり部屋に鍵をかけている状態
鍵をかけると戸を叩いて怒るのでトピナをのんでもらっている

今の状態はお父さんにとってストレスなので認知症専門病棟のある〇〇病院への転院を勧めたい

お父さんがおだやかに過ごしていくことを大事に考えていきたい



………………☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜


母の涙が止まらない



現実を受け止めようとしている部分と
受け止めきれずに迷走してしまう部分があって


口にする言葉は
「父を退院させて私が面倒をみたらあかんやろうか」



母が…母のお母さんの認知症の姿とダブるんだと言いました


トラウマか



あの時自分の母を最後までみれなかった

あれだけ認知症が進むまで何にもしてやれなかった

トラウマが
母を今も苦しめているんだなと思いました





電話で先生と話をしている時に、
近くでは母とオトがスピーカー越しに私の会話を聞く。



母が帰ってからオトから叱られた。



「ばぁちゃんは、多分自分の泣いている弱さを私たちに見せたくない人やと思う。

なのに、ママは

ばぁちゃんが泣いてしまうようなことを言う。

余計なこと言わないで話は簡潔に終わらしとかな!」




どうやら
私が母の目の前で
「母が1番不安だと思うので…」などと言っていたようです。

言ったと思う…言いそう…


泣きそうな時に「大丈夫?」と聞かれ泣いてしまう時があるように、
ひっしに気持ちを我慢しているときに
我慢できなくなるような言葉を勝手に言うな!ということを
オトは私に言ってくれたのでした。


今日もまた母を傷つけているのは実は私のよかれと思う言葉なのかもしれない。





昼の15時からケースワーカーさんと話をすることになりました。

できるだけ母が自分の気持ちを吐き出せるように黙っておこう。

抜け殻のような父

2023-03-14 09:19:31 | 
入院したのは月曜日。

あれから1週間が経ちました。


金曜日に主治医から連絡がありました。


父はとても落ち着いているのだそうです。

恐れていた離脱症状は出なかったようです。

ジアゼパムという精神安定剤がうまく作用したからでしょうか。
詳しくは聞けませんでした。


土曜日、
着替えを持って行った母

父は一般病棟に移ったと聞いてきたそうです。


☆。.:*・゜☆。.:*・゜

今週に入り月曜日
父の着替えを持って行ったのですが、


一般病棟へ移ったと聞いていたはずだったのに今は閉鎖病棟へまた入っていました。


どうやら自分の部屋を覚えられないのと、
一般病棟で他の患者さんが居てることに落ち着かないようだと聞きました。


会話は、私や母の居場所を聞いたりするわけではなく

“ごはんを食べたかどうか“を聞いてくる…

そんな感じの会話だそうです。


☆。.:*・゜☆。.:*・゜

アルコールの抜けた父は

私たちのことも忘れちゃったのでしょうか。


それとも、縁を切られたと思っているのでしょうか。


入院は何のためにしたと思っているのでしょうか。


そもそも、今 入院しているとは思っていないかもしれません。

知らないところに泊まっている

知らないところで一人暮らしをしている


……


“今が全てではない“

そう思い直そうと思います。

入院中、色々変化するはずです。
今がずっとではないので、とりあえず退院までを見守って行こうと思いました。





父が入院してから、正直

母も毎日泣いていましたし、
私も毎日泣いています。


母を見ていると、
“父を許せない“部分と
どうしようもない父だけれども
だけどどこか“好き“な部分があるんだなぁと感じました。




長い長い夫婦生活の中で、
意地を張って固くなった気持ちのしこりが
少しゆるんで

母が必死にこらえる涙が見えて

父を心底憎んでいなかったんだとわかりました。



私の心の中は、
優しかった時の父でいっぱいになってしまい

入院させてしまったと自分をどこかで責め続けています。






時々 冷静になって
私も母もすごく傷ついているんだなぁって受け止めています。





今の気持ちを忘れないようにしよう.*・゚ .






※長々と父の話をありがとうございました





父の抜け殻

2023-03-11 21:06:09 | 
父はしばらく閉鎖病棟の個室で過ごすことになりました。


お酒の離脱症状がでるかもしれないからです。


病棟のすぐ傍らにある個室で私と母は、担当の看護師さんや事務員さんと入院手続きをし、A4サイズの書類に次から次へと署名をしていきました。






しばらくして
看護師さんからパンパンに荷物の詰まった白いビニール袋を2つと父の鞄を渡されました。


袋の中には父の衣類が入っていました。


「先程ね、お父さんと少しお話したけど
すごく落ち着いておられましたよ。

この荷物持って帰ってくださいね。
こちらの病棟では専用の服を貸出していますので。


それから、これまでの父の様子や家での困り事などをヒアリングして下さいました。

父のことを話しているうちに、
だんだん父はそこまで困った人ではないような気がしてきて、だんだんと罪悪感でいっぱいになってきました。

確かに困って困って疲労感でいっぱいだったのにも関わらず、
さんざん父のことを言いつけるにつれて
それでも優しいところやいい所が沢山あったことに気づいていくのでした。


☆。.:*・゜

病院の帰り道、スーパーへ寄ってお昼ご飯を買って帰ることにしました。

「もう、疲れたからたまには豪華なお弁当でも買って帰ろう」
と私が言うと
「そうやな」
と言う母。


いざスーパーへいくとお弁当は食べたいという気になれず、
とにかくパンでも買って帰ろうという話になりました。

そうして、とりあえずパンを2つずつ買ってかえることになりました。


帰り道、歩きながら

「お母さん 自分を責めたらあかんよ。」

元気な声で母に話しかけました。


私の家と母の家との別れ道で

「じゃあ、お母さん、ちょっと重たいけどこの荷物お願いね。」


そう言って父の着ていた服がパンパンに詰まった袋を2つ渡しました。


「こんなん 軽い軽い。大丈夫や。
この(お父さんの)鞄が邪魔やわ〜。
ほんなら 、今日は迷惑かけたねぇ。
お母さん1人じゃ、無理やったわぁ。
助かりました。

今から仕事やのにごめんなぁ。」


そう言って母がとぼとぼと家の方角へ去っていくのをしばらく見送りました。


下を向いて、右や左にフラフラと力無く歩く母。
その両手に 父の抜け殻を持って…