2024/01/17

2024-01-17 09:13:58 | 日記
令和6年1月17日
午前5時27分
父が永眠しました。


今は辛くて何も手につかない状態です。
ブログはしばらく閉鎖したいと思います。


また元気になったら戻ってきます。




夢で会う

2024-01-07 16:47:22 | 日記
つい先ほど夢を見ました。

お母さんとお父さんとお兄ちゃんと私
家族揃って家に帰る場面でした。

お母さんが「ちょっと先に帰ってお風呂の用意しておくわ!」と元気に言って走って先に家に帰る姿を見て
お兄ちゃんと私が笑いました。


幸せな気持ちになりました。


それから夢の中の私は「あっ!」と思い出してしまいました。


お父さん歩けるの?

お父さん帰っても大丈夫なの?


そう気づいて
だんだん夢から覚めていきました。


お父さんの顔はどんな顔してた?

まだお父さんと私 話ができていない。

そう
思って何度ももう一度夢に戻りたかったんだけど

戻れませんでした。






このごろブログがかけていません。

父はまだ生きていますが、お別れの日がそう遠くないことを感じる日々です。

少しずつ、今の状況をブログに残していこうと思います。

少しずつ…

2023-11-08 09:58:20 | 日記
心配事や辛いことがあっても
『オトの前では日常を過ごす』

これを心掛けてから
救われたのは私でした。


辛いことで頭をいっぱいにさせないこと
祈る思いで毎日を埋め尽くさないことが
大切なんだと
43才にしてやっと気付いたのです。



※しろくまちゃんのホットケーキ


※かぼちゃクッキー(犬と食べれる)


※おばけかぼちゃのミートパイ


※かぼちゃのスコーン


私の悲しみと日常を切り離して
好きなことを少しずつ
季節を楽しむことを少しずつ

すると私の家族は日常の幸せの中にちゃんと居ました。


私が私のことを楽しんでいても
父はちゃんと生きています。



私がちょっと不幸なほうが家族は案外うまくいくんだという思い込みが認知の歪みだったと今更に気付いていく…
そんな日々を過ごしています。


自分を犠牲にしない
自分のしたいことをする
高いものでも買ってみる
欲しいものを手に入れる

我慢していた事から自分を解放してみています。


※夫とオトと3人で競馬に行きました
家族でのお出かけを少しずつ増やしています











点と点が集まれば

2023-11-04 22:50:32 | 
父と母の結婚生活

幸せなんてあっただろうか。


些細なことで一方的に怒る父
それに立ち向かい喧嘩を買う母

幼い私にはそういう構図に見えて
父の繊細さや苦悩が見えずにいた。

母は父が理想の夫ではないことに見切りをつけていたし、父の優しさを受け付けなかった。

結婚してはいけない2人が結婚し
兄と私が生まれたとしか思えない。


父が母に悪く言う度
母が父の愚痴を私たちに言う度

私は大好きな人を悪く言われて傷ついていました。


それでも私が仲を取り持てば幸せな時もあるはず。
そうやって、父と母が離婚しないように見張っていました。


誤魔化していた日々の末、父のアルコール依存症が増してしまい、父が母にはじめて手をあげてしまいました…

私は早く離婚をさせてあげればよかったと後悔しました。



まずは、アルコールを断たせて
父の残りの人生は父に責任をもってすごしてもらおうと思いましたが…

アルコールが抜けた父はひどい認知症だったということがわかったのです。

あれだけ父に苦労をした母は、
父が認知症だと知ると毎日泣いて
父を精神病院から退院させて私(母)が面倒を看ると言っていました。



父と母は水と油

そう思い込んでいた私ですが

離れて暮らす2人をみていると
案外幸せな日々もあって
そんな日々がまだ2人を繋ぎ止めているのかもしれないと思うようになりました。


救急病院に運ばれた日も、
父は母に「死にそう」と言いましたが、
母は父に「大丈夫 死なへん。こんなんで死なへんから。」と言いました。
すると父は苦しみながらも頷いていました。
また右手の手のひらを母の前に出して
「お金くれ」とジェスチャーをし、
母はその手のひらを上から叩いて、
2人で笑っていました。

昨日の面会時も、父は母のことを真っ直ぐみて安心していました。

帰り間際に母が父の車椅子を押して
真っ白になった父の髪の毛を触っていました。

こんな時に
こんなところに
幸せはやってくるんだと思いましたが

だったらお父さんが元気なときに幸せがほしかったと思ってしまいました。

病院からの帰り道、
「お父さんのこと、見捨てられへんねん。
最後までみてあげなあかんねん。
身内兄弟みんな縁を切ってるから、1人はかわいそうやろ」
と母が言っていました。


施設に入ることになっても沢山会いにいってお父さんは1人じゃないって思えるようにしてあげないとねって話をしました。


漠然とした不安はいつどんな時も側にあります。

でも結局、なるようになっていくのを見守るだけなのでしょう。



夜、オトと散歩をしました。

「今日 じーちゃんとこ行っててん。
じーちゃん なんやかんやでばーちゃん来たら安心してたわ。」

そうオトに伝えると

「よかったやん。長年一緒にいてるから安心するんやな。」と言ってくれました。



「でも、ちょっとしか続かんで。
長いこと一緒にいるとまた喧嘩とかしそうやわ。」と私



「じゃあ、これからも会うのはちょっとだけにしたら?」とオト



「そんなんでええの?」と私


「ちょっとずつが積み重なればいいんちゃう。」とオト


「なるほどね。
点と点が集まれば線になるみたいな?

それってめっちゃ目を細めて遠くから見ないと線にならないんじゃない(笑)?」


そう私が言って


2人で笑いながら夜の散歩をしました。



お父さんのその後

2023-11-04 20:06:15 | 
11月1日(水)
入院先の病院から私の携帯に着信がありました。

父が順調に回復に向かっているとの連絡でした。



心配していた食事もとれているとのことで、きざみ食を食べているとのこと。

『父はまだ生きていける』
そう確信し、母と私は良かった良かったと胸を撫で下ろしたのでした。





11月3日(金)
父の面会に行ってきました。

ナースステーションで面会の紙を記入している間に、看護師さんが車椅子に乗せた父を連れてきてくれました。


父は、私たちを見つけるなり笑顔で両手を大きくふりました。


思っていたより元気そうでよかった
…そう思って安心したのも束の間




父は私たちに声をなかなか出さなかったのです。



しばらくは、話しかけても声もなく頷くばかりでした。



「お父さん、しんどかったもんね。
死ぬかと思うくらいだったもんね。」


救急で運ばれて来た時、父は母に
「死にそう…」と言っていたことを思いだし声をかけてみました。

すると父はやっとのことでかすれた声をだしました。

「申し訳ないことをした…。
こんな風になるなんて…。」

父は小さく震えたかすれた声で、はじめて私たちに「ごめん」と言ってくれました。


お酒のこと?と思いましたが
そうではありませんでした。


父の頭の中はどうやら40才代
勤め先の仕事でとても責任のある仕事をしていたようです。

環境問題に関わる仕事をしていたのを思いだしました。
汚染水や泥水を浄化させる装置を設計したりする仕事をしていたのです。

父の勤め先は家族経営で社長は父の義兄でした。
社員は父の他に何人か居ましたが、仕事のほとんどは父が中心となってやっていました。

そんな状況でしたから、仕事という仕事の責任の重さを一身に背負って頑張っていたそうです。

家では、そんな仕事の愚痴を母に沢山話をしてはお酒を浴びるように呑んでいたのです。


「あぁ、あのことかいな。

あの仕事は成功したやん。大丈夫やで。」


母がいち早く父の言っている意味をくみ取りました。




「いや、何かに感染したんや。
こんなに危ない仕事やと思わなかったんや。」


そう力なく声を震わせて落ち込む父。


「あぁそうや、社長は大丈夫か?」

義兄である社長はもう10年以上前に亡くなっていますが…


「…うん。元気やで。だから心配ないよ。」

そう母が答えました。


はぁーっと言って良かったというふうに胸を撫で下ろしていました。


それから

「だから、もうワシに会いにきたらあかん。お前らにうつしたらあかん。
もう早く帰ってくれ。」

と私たちに言いました。


父はいつもこんなに不安と隣合わせで仕事を頑張ってくれていたんだと思いました。
現場では危険な作業も職人と一緒にやっていたんだと後から母に聞きました。


「お父さん、お父さんは私たちにうつしちゃいけないって思ってくれてるんやね。

早く帰ってほしいなら、もう帰ることにするけど、また会いにくるからね。

何回も来るから。」


父の気持ち(思い込み)を否定しないように、でも見捨ててないよってわかるように
声をかけて帰りました。






家に帰って布団の中で沢山泣きました。

父の力ない姿に、勝手に傷ついてしまいました。


お酒を飲み過ぎなければ、いいお父さんやん‼️

なんであんなに私たちが止めても飲み続けたんやっ‼️って。


ごめんって言えるなら、
酒を呑んでは母や私たちを威嚇していたあの時に言って欲しかった。

せめて、いつも苦労をかけていたって
お母さんには謝ってほしかった…


こんなに、痩せほそって
人生に落胆している父を
施設にいれるしかない今を
どうしたらいいのか

どうしようもない今を
受け止める覚悟を泣きながらでもしていくしかありません…


そして
次会うときには父に

今まで頑張って働いてくれてありがとうと言いたいです。