刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

朝廷が畏れた神々の正体?(;´Д`)

2021-03-21 12:15:22 | 古代史
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YouTubeで古代史を解説した非常にいい動画を見つけましたので、ご紹介します(^◇^)


日本の歴史上に存在した神の正体の謎…考古学上隠されていた古文書に記述された神話の真実とは?【都市伝説】
99,423 回視聴•2021/02/04 雑学ミステリー通信

日本神話に登場する神である天照大神。実はその正体について驚きの仮説があると言うのです。

とてもいい解説をありがとうございます。

日本の古代史に謎が多いのは、すべて創作によるものだからです。アマテラスが女神というのも日本書紀の創作でした。

伊勢の神も賀茂大神も、そして、ほとんどの神も、その正体は記紀神話などで大国主と呼ばれた人物だと突き止めました。魏志倭人伝にある狗奴国の官狗古智卑狗のことで、兵庫県豊岡市久々比神社のご祭神久々遅命でした。棟上式の祭神とありますからスサノヲの子で木霊五十猛神(イタケル)の直系の子孫です。代々久々遅彦を襲名しています。

記紀神話や風土記などではその正体を隠すために、大穴牟遅神(オオアナムジ)・大己貴命(オオナムチ)・葦原醜男(アシハラシコオ)・八千矛神(ヤチホコ)・三諸神(ミモロ)・大物主神(オオモノヌシ)・顕国玉神(ウツクシタマ)・伊和大神(イワタイシン)などなどとして登場させています。大山祇神(オオヤマツミ)、大山咋神(オオヤマクイ)、一言主大神、アジスキタカヒコネも事代主もタケミナカタもアメノヒボコも大元神も荒神もすべて大国主の分身ですから、別名や分身が一体いくつあるのか分かりません。

また、日本武尊(ヤマトタケル)は日本建国の真の主役だった大国主を隠すために創作されたスーパースターだと分かりました。(^◇^)

大国主が国譲りした神話の元になった史実があり、ヤマト朝廷は大国主の祟りを最も畏れました。崇神天皇の宮中の神殿から本来天皇を護るはずの皇祖神を遠い伊勢まで遠ざけなければならないのも、あり得ない話です。後に、出雲に高さ約50mの日本一の大神殿を造っていますから実際に崇りを畏れていると分かります。(^_-)-☆

また、国譲りの際に大国主と共に戦死した、大国主にわずか十三歳で女王に立てられた若い妃台与(トヨ)の祟りも朝廷は恐れています。記紀神話などでは武内宿禰と神功皇后、サルタヒコとアメノウズメ等々夫婦神の多くが様々な別名で祀られています。神功皇后の妹トヨヒメも淀姫も白山比売、菊理姫、豊受大神、稲荷神(ウカノミタマ)などなどすべて台与のことでした(*^▽^*)

さらに朝廷に怖れられたもう一柱が、卑弥呼です。狗奴国のヤマト勢が倭国を侵攻する直前に日食が起こったので、霊力が衰えたとして難升米(注1)によって殺害されたと推理しました。卑弥呼もヤマトに恨みがあるのでその祟りも朝廷は恐れています。記紀では、卑弥呼の日食で殺された伝承から天岩屋神話が創作されました。卑弥呼はさらに宇佐八幡宮の比売大神(宗像三女神)、そして厳島神社の祭神イチキシマヒメとして祀られています。三女神の残りの二柱の女神は台与の分身です。

実は、日本書紀は天武天皇の勅命で編纂が開始されましたが、完成前に崩御され、後を引き継いだのが宮廷の権力を握った藤原不比等でした。皇后鵜野讃良(うのさらら、持統天皇、天智天皇皇女)と組んで、本当は皇太子だったと思われる大津皇子を冤罪で自殺に追い込み、実子の草壁皇子を即位させようとしました。しかし、病気で早逝したので年の離れた異母妹阿部皇女(天智天皇皇女、元明天皇)と草壁の間の子、幼い孫の軽皇子(文武天皇)を即位させるために、取り敢えず皇位を奪いました。その史実をもとに天孫降臨神話や日向三代の神話にしました。不比等は持統天皇の正統性のために神話でアマテラス女神を創作し、前例の二人の女帝(推古天皇と皇極・斉明天皇)も創作しています。

日本神話は藤原氏が権力を維持する目的で創作されました。建国時代に活躍した有力豪族を抑えるために、藤原氏の遠祖を活躍させる神話を創作しました。日本書紀の神功皇后紀で魏志倭人伝の記事や西晋の起居注から引用していますから、史実を理解していながら歴史を改ざんしていたことが分かります。江戸時代まで、荻生徂徠など多くの学者はアマテラス大神が男神だと分かっていましたから、建国の真相はある程度知られていました。

大国主らを従来のやり方で鎮魂祈祷しても天変地異などの祟りが起こります。そこで、民間では六世紀の仏教公伝よりも少し早く新羅仏教が導入された模様で、九州北東部の人々の間で弥勒菩薩が信仰されました。その頃の人々は半島からの渡来人で、そのほとんどが半島南部に住んでいた江南系と縄文系の倭人です。新羅の土地から来たので新羅人と呼ばれたわけです。

七世紀末から八世紀の初頭に不比等が宇佐での民間信仰に便乗したことが本格的な神仏習合の始まりでしょう。

宇佐地方の渡来人の中で卑弥呼ゆかりの縄文海人ムナカタ族が八幡比売神卑弥呼を祀っていたのですが、八幡大神応神天皇は、後に藤原氏が建国の真相を隠すために創作して広めた話なのです。日本の神社の中で八幡神社の数が最も多いのは朝廷が真相を隠すためでした。真の八幡大神はその本当の父親の大国主狗古智卑狗のことです。725年、現在の宇佐八幡宮一の御殿で八幡大神を祀り、弥勒禅院が宇佐八幡神宮寺として創建されて、ご本尊として本地仏弥勒菩薩が祀られました。七福神の毘沙門天も布袋も寿老人も福禄寿も、あと恵比寿さんまでも大国主の分身です。弁財天が卑弥呼、八番目の吉祥天が台与でした。十一面観音も薬師如来なども台与の本地仏でしょう(^_-)-☆

応神天皇の母親神功皇后は卑弥呼の死後に、前述のとおり若くして女王に立てられた台与です。崇神紀にオオモノヌシの祟りで疫病が流行ったので、その子のオオタタネコを呼んで祀られたら祟りがおさまったという話ですが、これがヤマトの初代祭祀王(応神天皇)の即位の史実を誤魔化したものです。実際はヤマトが後ろ盾にしていた呉が西晋に滅ぼされたので、西晋に朝貢した台与・大国主の倭国を滅ぼしたヤマトが追討されるのを怖れました。そこでヤマトは、先代や先々代の女王の時代から朝貢している倭国(邪馬台国)ということにしたのが本当の理由だと推理しました。

邪馬台国はヤマ国(宇佐市安心院町に比定される和妙抄の野麻)に居た女王が治める国という意味でしたが、それをパクって奈良県桜井市の纏向遺跡を「ヤマトゥ」と呼ぶことにしました。邪馬台国山門説がありますが、邪馬台の「ト」の発音が「トゥ」とちょっとだけ異なるので、山門(ヤマト)は間違いと分かります。後に、沢山いる大国主の子孫の一族ともヤマト王権は和解して政治参加を許したので、新たに生まれた大きな倭国の都を大和と書いて「ヤマトゥ」と呼んだのだと、その謎が解けました。(2021.3.22 赤字訂正)

応神天皇が即位した後に、すでに伊都国で戦死して平原王墓に葬られていた母台与を纏向の箸墓で改葬しました。また、高良山で戦死して祇園山古墳に埋葬されていた大国主久々遅彦も桜井市外山(トビ)の茶臼山古墳で改葬しました。

箸墓の被葬者は大国主の妻という伝承です。ヤマトトトビモモソヒメの名前がヤマトとトビ(大国主の御神体ヘビの別名)を百回唱える姫という意味でした。台与は当時六十歳近くの老人だった大国主久々遅彦に、前述のとおり妃とさせられ、最後にヤマト勢に殺されましたから、ヤマトもトビも恨んでいるはずだということでしょう。カゴメ歌の鶴と亀もヤマトと大国主のことです。鶴と亀がスベッた(退いた、消えた)後に誰の霊魂が残ったのと、台与の悲劇を哀れんだものです(^_-)-☆

話が脱線しかかったので、元の話に戻します。伊勢神宮内宮の祭神の正体が三輪山の大物主大神(大国主の和魂)であり、その御神体のヘビであったことは、江戸時代くらいまで民間でも分かっていたようです。江戸時代の女性天皇は、皇統の男系男子が即位することになっている天皇とは認知されていなかったことも分かっています。

しかし、明治時代に新政府が国民の結束のために記紀神話に基づく復古神道による国家神道を創設して、学校で皇国史観の国史を教育したので、日本人に記紀神話が定着しました。そのため、アマテラス女神が日本の皇祖神で、何となく神話は史実に基づく話だと思わされているわけです(注2)。

多くの国民は不比等に騙されていますが、記紀神話を信じて女性天皇や女系天皇を容認すれば伝統国家の日本は消滅しますよ(;´Д`)。

ということで、正史は権力者の不都合な真実を隠し、権力者が権力を維持するために書かれるという当たり前の原理に気付きました。

だから、魏志倭人伝でも邪馬台国の行程記事を正しく読めばたどり着くはずだというのはそれは錯覚です。

三百年近く議論しても邪馬台国の場所が確定しないことから証明されています。

行程記事は後世の日本人のために書かれたものではありませんから(注3)。


ですから以下の記事で提案する手法によって、考古学などの成果からヤマト王権の成立過程を推理してはじめて、邪馬台国の位置問題が解決できるのです(^_-)-☆

古代史の謎を解く!

(注1)女王を補佐する男弟、一大率で伊都国男王です。実は奴国大王スサノヲをクーデターで殺して倭王になった師升の子孫です。魏の正規軍の軍旗が手渡されているので、軍事を掌握する倭国王だったと分かります

(注2)日本書紀より前に成立したと言われる古事記も、実は九世紀に宮廷で日本書紀を講義していた学者多人長(おおのひとなが、太安万侶の子孫)がその存在を初めて言い出したものなのです。古事記の完成を証明する文献も存在しませんが、独自な部分があるので、原古事記の内容が一部伝えられていると考えられます。異説を連ねた日本書紀よりもストーリーが分かりやすい神話になっているので、本居宣長が誉めたのでそれが現代まで伝わっているのです。しかし古事記の存在は、宣長以前にはほとんど知られていませんでした。

(注3)当時の倭国のことを全く知らない魏・西晋の朝廷の人々が納得できればいいようなデタラメな内容なのです。ですから、不弥国まで里程表示だったのが、その後突然、投馬国から邪馬台国まで水行一月・陸行一月というべらぼうな日数表示になっているのです。邪馬台国を置きたい場所に置くためのつじつま合わせでしたので、放射説、短里説やどんな理屈でも解決しないのです。

従来の邪馬台国の位置に関する、行程記事に基づく諸説は、司馬懿の功績を持ち上げたかった帯方郡太守劉夏たちと魏を後ろ盾にしたい難升米王の罠に嵌っているので、決着がつかなかったということなのです。三国志の編者陳寿も西晋のためにけったいな行程記録をそのまま記載したということです。



くどい話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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東鯷人(とうていじん)って?(^^)/

2021-03-13 09:27:54 | 古代史
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2018-11-14 15:52:09に掲載した記事を少しだけ修正してアップします(HN名「弟子」さんの日記をリンクした日本を愛する人たちのSNS「my日本」はすでに終了しています。大変お世話になりました(*^-^*))。通説と違うので色々と疑問点をお寄せください(^◇^)

買ってきた。。。( ̄ー ̄)
2018年11月13日15:24 弟子さんの日記@my日本


ナンプラー買ってきたー♪

今日の夕飯はガバイご飯(ガパオライス?)を制作するよー!o(゚▽゚)o

くさーい!(><)

でも。。。 

まーいうー!o(゚▽゚)o

・・・久々にタイのおいにー嗅いだw

クサいモノ同士って事で。。。 納豆にナンプラーって、どーだろ?
攻め過ぎかにゃ?( ̄ー ̄)


>刮目天

ナンプラーってカタクチイワシの魚醤だって?

このあいだ初めて知った( ^)o(^ )

そういえば古代史で東鯷人というのが後漢書に出てくるんですが、

昔どこかで鯷(ひしこ)のことをナマズだと書いてあったので、訳分からなかったのですが(注1)

本当はカタクチイワシだそうです。

そうすると、東鯷人の居場所がハッキリしましたよ。

済州島の北の何とか諸島が昔からカタクチイワシの漁場で、
キムチの原料?
納得しました(*^▽^*)


「ナンプラー カタクチイワシ」 で検索すると・・・

東鯷人?

「とうていじん」って呼ぶようですよ( ^)o(^ )

「後漢書 東夷列伝倭条」に会稽郡(かいけいぐん)の海の彼方に20余りの国を作っているって書いてあります(^_-)-☆
古代は耽羅(たんら)国と呼ばれた済州島も含むかもしれませんが、
その北側で半島との間に楸子(チュジャ)島というのがあって、
そこが暖流と寒流がぶつかり合う最良の漁場のようです!
卑弥呼よりも前の時代から多分倭人だと思うけど、
古くから漁をしていたんだと思いますよ(^_-)-☆

「東鯷人って人達は東南アジアに散らばって行ったんだにゃー」って思っちゃいました^^;

いい、センス(^_-)-☆
倭人は江南出身の水田稲作と漁労をやって暮らす人々ですから、
東は半島南部から五島列島、北九州、有明海へ
大陸の沿岸に沿って南西方面にも行ってました(^^)/
確か一番遠くはマダガスカルあたりにも出没していたと
どこかで読んだ覚えがありますよ~

見つけました!(^_-)-☆
倭人がマダガスカル島へ(注2)

やったー!ヽ(´▽`)ノ いいセンスですかー?!

古代史って推理できて楽しいですにゃー♡
自称シャーロキアンとして興味津々でございます^^



折角、興味持ってもらったので、もう少しだけいいですかあ~(*^▽^*)

「後漢書 東夷列伝倭条」には倭人や周辺の国についてかなり正確に書かれていますンよ!

女王国の東へ海を渡り一千里(約450km)には
卑弥呼に敵対する同じ倭人の狗奴国があるとしっかり
書かれているので、もう女王国も狗奴国もどこだか
はっきり分かるんですが、

「魏志倭人伝」には女王国の南に狗奴国があると書かれているために、
九州説・大和説の学者から「後漢書」の方が信用されなかったんですよ。

でもね~、冷静に考えると、

卑弥呼の邪馬台国は、

帯方郡の東南一万二千里の海上で、

「三国志」の「魏」のライバルだった「呉」
(都は長江河口の建業、現在の南京)を圧迫する、

その東の海上にある大国なんだぞ!

って「三国志」の編者「陳寿」が「魏志倭人伝」にハッタリを書きたかった理由も分かってきたので、

「魏志倭人伝」よりも後の時代に書かれた「後漢書」の方が女王国に対する政治的思惑がないから信頼できるんですよ~(^_-)-☆。



考古学の成果から狗奴国の位置は奈良県の纏向遺跡と推理できます!

だから、そこから西に約450㎞瀬戸内海を渡って行けば、

宇佐に邪馬台国があったと分かるんですw!(^◇^)




そして、「後漢書」では女王国の南へ四千里余りに身長が三、四尺(90~120cm)しかない小人が住む侏儒国(しゅじゅこく)があると書いてますW~。つまり宇佐の女王国から南へ約2000km離れたフィリピンに古くから住む小柄な少数民族アエタ族のことで、ピナトゥボ山付近に住んでいた模様。東南アジア一帯に住む小柄な先住民族ネグリートの一種族のことでしょう(^_-)-☆

また、「後漢書」には「侏儒国から東南へ海路を1年行くことで、裸国・黒歯国に至る。中国への使者や通訳が往来する所としては、ここが最遠の地である。」(藤堂明保等「倭国伝」講談社学術文庫2000、p.32)とあるのが、「魏志倭人伝」は女王国の東に千里海を渡ったところに倭種の国があって、そこから南へ四千里余りで侏儒国、その東南に裸国・黒歯国とあるので方角が少しだけ違うだけで大体同じと言うことでしょう。裸の人や歯を黒く染めた人たちはニューギニア方面には居るようです。侏儒国へ女王国から直接南と書いた「後漢書」の方が少しだけ正確ですね(*^▽^*)。

ちなみに東シナ海の海流(左図)や倭人の航路は龜山勝さんの「安曇族と徐福」によれば右図の黒い矢印ですが、水田稲作の日本への伝来ルートは多分赤い矢印だと思いますよ。顔に入れ墨入れて、刳り舟(丸木舟)に乗って航海する人たちです(^_-)-☆



【関連記事】
水田稲作が日本へ伝来したルートは?


(注1)『漢書』地理志呉地条

「會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云」
会稽海外に東鯷人あり、分ちて二十余国と為し、歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。

「鯷(テイ)」は大きなナマズの意味である。

東鯷人と倭人の関係は不明であるが、谷川健一は「わが列島の中に「東鯷人」の国を求めるとすれば、阿蘇山の周辺をおいてほかにないと私は考える」と記している[1]。
(Wiki「倭・倭人関連の中国文献」『漢書』より)


(注2)「記事をよく読まれたし。
どこにもマダガスカルまで倭人が行ったなんて書いてまへんがな。このリンクと文章、消しといてや。
めーわくやから。」
とKawakatu様よりクレームが来たので、本文からリンクを除きました(2021.3.16 17:18:3)。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。いや、意見が違うことは記事を読んで気づきましたが、マレー人が何で倭絹?倭人が伝えたに決まっているさかい、そう書いたのかと思いました(^◇^) つづきはコメント欄でどうぞ(*^-^*)

【参考記事】
日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!(^_-)-☆倭人Oー47zとマレー人(越人系O-M95)はルーツが違います!

マダガスカル島の特産品に天蚕絹があるようです。
固有種であるタピアの葉しか食べない蚕から取れる「ランディべ」と呼ばれる天蚕絹は、マダガスカルにしか存在していません。自然環境の中で集められた繭か ら糸を取り、手織りにします。粗く仕上げた織り地を、植物染料だけで染め上げていきます。最近まで天蚕絹は経帷子使用にされるだけでしたが、現在では ファッション業界とインテリア業界に進出しています(スカーフ、靴、ドレス、テーブルクロスなど)。駐日マダガスカル大使館 より)
しかし、天蚕は江南出身の倭人アズミ族が開発した信州の安曇野穂高にも在ることが分かりました。
“てぐす” という糸がある。あの釣り糸や手術糸、モノを吊るす糸が “てぐす” である。
 その “てぐす” を漢字では “天蚕” と書く。・・・そう、繊細でありながら強度ある天蚕(てんさん)糸は、共通の意味を持つ、てぐす、の語源でもある。
 さて、繊維のダイヤモンドと呼ばれる天蚕、なぜダイヤモンドなのか、いったいどんなカイコなのだろうか。
 ・・・信州、安曇野穂高にその答えがある。
絹の道 第三話 天蚕編 より)


天蚕(やままゆが)の原産地は日本家蚕(かいこが)と特性が異なり、天蚕の飼育には特殊な技術が必要のようです。(2021.3.19 追加)


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女性天皇待望論は伝統国家を破壊する!(;一_一)

2021-03-09 10:47:57 | 古代史
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色々な用事が重なって投稿をちょっと中断しているのですが、読者の方から以下のコメントを頂いたので、考えを纏めてみました。


アマテラス大神はヘビだった?(;一_一)



早うございます!
ご意見の提案有難うございます。
男系男子の天皇説、神話の域を出ないと思われます。遺伝子分析をすれば、理解できるのではないでしょうか。男性は、戦争、戦い、暴力によって支配しているようにしか感じられません。現代社会においては、徐々にではありますが、暴力より発言力が勝って来る時代となってきたように感じます。仕事は見て覚えろではないと思います。新しい時代の幕開け、女性天皇を歓迎しています。
ご投稿有難うございます。 K.M 


K.Mさん、おはようございます。初めまして!貴重なご意見、心より感謝します(*^-^*)

しかし、あなたのご意見は、わたしには良く分からないのですが、結論の部分はしっかり書かれているので、了解しました。

でも、なぜそれが良いのかはほとんど不明です。もう少し、議論していただけるとあなたの論理が理解できるかもしれませんが、ダメかも知れませんので、わたしのような悪いアタマでも理解できる筋道にしていただけると助かります(´ω`*)

この文面を拝見すると、新しい時代の幕上げを女性天皇によって実現されることを期待されているのでしょう。

しかし、女系天皇ではなく女性天皇ならばその方1代限りです。女性皇族を順に即位させるお考えでも、現在のご皇室だけなら2,3代、しかもほとんど同じくらい年齢ですから、あと70・80年くらいで女性皇族は居なくなりそうですから、その後はどう考えておられるのでしょうか?

その状態が新しい時代ということで、それを歓迎されているのでしょうか?

いやいや、この女性天皇に一般男性と結婚していただき、その子供に即位してもらう、女系天皇を考えているのならば、それは天皇家がその配偶者の血筋に変わるということを意味していますから、それを多くの国民が歓迎すると考えているとしたら甘いと思います。

今の憲法のままならば、天皇の地位は国民の総意に基づくのがルールですから、国民を分断するような天皇は存在できなくなりそうです。

日本から天皇陛下が消える?

まさかそれを望んではいないと思いますが、どうなんですか?

あなたの希望は将来天皇陛下が居ない日本が新しい時代で、

それを歓迎するというご意見ならば明確に反対します。

それでは天皇陛下の役割はなんでしょうか?

天皇陛下の存在しない日本を日本と呼べますでしょうか?

誤解されているかも知れませんが、

日本神話は政治的な理由から当時の権力者たちが創作したものと考えています。

日本の建国の過程でどのように天皇陛下(ヤマトの祭祀王)が必要とされて登場されたかをすでに解明しました。

あなたが遺伝子分析を言われていますが、何を理解するのか意味不明です。

先史時代や古代の人々は気候や地形などの生活環境の激変により、食料などを求めてリーダーの下で家族や一族や民族が結束して、生存できる土地へ移動しながら生存していたようです。先住民族との力関係で抗争も起こりますし、凶暴な異民族も押し寄せてきますから、みんなの命を護るために腕力も強く、勇気があり、みんなを結束させて敵を撃退できる賢い男性リーダーが求められます。もちろん、平穏な時代は女性がリーダーになる場合もあると思いますが、厳しい時代は世界中どこでも男性がリーダーでしょう。この戦いを乗り越えた偉大な男性リーダーがその民族の太陽神として崇拝されたのだと思います。

特に、日本列島では時々大地震や大噴火などの天変地異が発生します。それでも絶滅しないように神に祈りながら過酷な環境に耐えて生き延びてきました。こういう長い出来事がこの日本だけでも起こり、それに耐え抜いてきたのが今の私たち日本人です。天皇陛下を国民結束の象徴としたのは他の民族に見られない驚くべき、素晴らしい伝統なのですよ(^_-)-☆

K.Mさんが、どういう意味で新しい時代を望んでおられるのかは正確にはわかりませんが、凶暴な男性(男性とは限りませんが)が弱い人々に暴力を振るう世界は、終わらせる必要があります。古代だけではなく、現実にお隣の国で起こっている人類の敵による蛮行は世界中が結束して止めさせなくてはなりません。そういう蛮族のファシストが支配する国がなくなれば、その後の平和な時代には女性がリーダーになる方が良いかも知れません(注)。

しかし、もう一度繰り返しますが、女性天皇は伝統国家の日本を終わらせることを意味します。

ご先祖が与えてくれた素晴らしい日本をより良い状態で残すのがご先祖の恩に報いるものであり、子孫のために日本人としてなすべき共通の義務と考えていますので、皇統の男系男子によって永遠に皇位を継承して頂きたいと心から望んでいます。

女性天皇や女系天皇は日本破壊を目論む反日勢力に利用される愚かな選択です。

長くなりましたが、刮目天の古代史をよく読んでいただき、ご理解いただきたいと思います。通説とは異なりますので、いろいろな疑問点や反論をください。よろしくお願いします(^_-)-☆


(注)でも、今の状況では私たちが人類の敵の餌食になりそうですから、日本国民は世界の国々と連携してファシストから自由世界を護らねばなりません。日本の(偽)平和憲法は今の時代には全く役に立たないどころか、日本国民の生存を危うくしていますから、早く破棄して世界標準の国防ができる憲法に改めるべきです。


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邪馬台国問題は解決しています(*^。^*)

2021-03-01 20:37:13 | 古代史
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【ゆっくり解説】邪馬台国のその後と大和朝廷 邪馬台国がどこにあったのか?の前に、卑弥呼の時代から後の時代に邪馬台国はどうなったのかを考える。
2020/09/09 妄想歴史探索 チャンネル登録者数 1.23万人

邪馬台国の所在地についていろいろと説を出す時代はもう終わりです。

考古学の成果によって今までの説はすでに古臭いものになっているのですが、

皆さんはそれを無視するから古代妄想がはんらんして収拾がつかないのです。

ハッキリと事実を云いますと、

三世紀に成立したヤマト王権発祥地の纏向遺跡に九州の土器が全くと言っていいほど出ていません。

これで従来の、邪馬台国東遷説も、神武東征説も成り立たないことが明らかです。

当時のヤマトはほとんど戦場にはなっていません。

一大卒を置いていた大陸・半島への玄関口の伊都国の人々が纏向には来ていないのですよ。

纏向の前方後円墳の石塚古墳は初期の王墓ですが、

このヤマトの大王の葬式に北部九州から誰も参列していないのですから、

北部九州の倭国と纏向ヤマトは敵対していたということです。

つまり纏向ヤマトは倭国と敵対する勢力であって

倭国女王が魏の支援を受けるほどの強国なのです。

そして、弥生時代終末期から古墳時代初頭の筑紫平野の環濠からも鉄鏃や

東海地方で使われた銅鏃が発見されていますから

北部九州が主な戦場になっているのです。(2021.3.2 赤字追加)

ということは最終的な勝者はヤマト王権を成立させた纏向ヤマトだと分かるのです。

つまり狗奴国以外にありません。

纏向の狗奴国が倭国女王に敵対する

狗コロの奴国=旧奴国という意味で付けられた蔑称なのです。

もうすでに考古学や民俗学の成果から

ヤマト王権の成立過程が解明されています。詳しくはこちらへどうぞ。

誤解と幻想の古代史(*^▽^*)
誤解と幻想の邪馬台国(´・ω・`)

誤解と幻想の卑弥呼(*^▽^*)
誤解と幻想の神武東征(^◇^)

天孫降臨と草薙剣の謎?(;´Д`)

古代史の謎を推理する(^_-)-☆

【科学的な手法で得られた一般化理論】
日本の歴史のはじまりはこうだ(連載中)
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆




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