刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?!

2020-11-28 19:54:00 | 古代史
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戦国兄弟  覚恕法親王と正親町天皇  浅井氏と武田信玄の民俗学的考察
2020-11-28 13:37:52 | 民俗学 城郭 長谷川博美 基本記録

◆戦国異腹兄弟
対談者
この投稿は猿に始まり猿で落す投稿ですね?
最期まで読んで楽しみたいと思っています。


いつも大変興味深く読ませていただいている城郭研究家長谷川博美先生のブログですが、
今回は、わたしがハマっている古代史に関係あるので、ブログにさせていただきました。

猿が何故、神の使い?

日吉丸=猿?

答えは、
猿=申ですから、

示す扁に申(サル)で神を示しますね。


これ、実はわたしがフォローしているkunorikunori様の受け売りですが、

つまりサル自身が神なのでしょう!


猿田毘古大神(19世紀後期画) Wiki「サルタヒコ」より


突飛に聞こえるかもしれませんが、古代史を研究して大国主命とサルタヒコは同一神だと突き止めました。大国主狗古智卑狗(久々遅彦)は初代天皇(八幡大菩薩応神天皇)の実の父で実在人物なのですが、サルタヒコも神武天皇の曾祖父瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨を先導した神です。どちらも似た役割でした。

大和朝廷に国譲りした大国主が日本で一番畏れられる神=サルタヒコでした。つまり大国主は祟ります。祟られる方が問題ありなのですが。高天原の命を受けて大国主に国譲りを命じ、大国主に懐柔された天神アメノホヒも実は同一神で、その末裔の菅原道真も天神ですから祟ります。

戦国時代の人々もサルは大国主サルタヒコと知っていたのではないでしょうか?(^_-)-☆

ややこしいのですが、大国主は三輪山の大物主大神であり、その正体はヘビ=巳(ミイ)様ですから、比叡(日枝)山の麓の日吉大社の御祭神のオオヤマクイも大物主大神でヘビ。その南の長等山三井寺で弥勒菩薩が本尊として祀られています。長等山は「ナガらさん」でこれもヘビのことです。宇佐八幡宮の神宮寺が弥勒寺ですから、大国主が祀られています。

日本は古(いにしえ)の倭の奴国。

奴国=ナーガ(龍蛇神)の国です。

日本各地に龍(竜)王山がありますが、全て奴国王に繋がる大国主とその祖神の御神体ですよ。

古事記に書かれた日本最初の神が天御中主。つまり天は海を表し、中=ナーガ(龍蛇神)を信仰する海人族の主(首長)の意味です。「神」という文字はサルタヒコに由来する暗号だったと考えています。ご興味が湧けば、こちらもご覧ください。


古代史のカギを握る神々の正体?

能楽「翁」は大国主のサンバだった?
悲劇の女王台与のはなし(その3)

【参考】
「神」の象形文字を調べました。


「申」は「いなびかり」を示す字という説明のようです。

『漢書』律暦志によると申は「呻」(しん:「うめく」の意味)。果実が成熟して固まって行く状態を表しているとされる。
後に覚え易くするために動物の猿が割り当てられた。
Wiki「申」より)

しかし、この説明では良く分かりません。「申」を「サル」と読むのはやはりサルタヒコと関係があるのかも知れませんね。どなたかお詳しい方がおいでなら、お教えください(#^.^#)

【関連記事】
「申」をなぜ「サル」と読むの?


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纏向遺跡が邪馬台国である根拠?

2020-11-26 06:59:15 | 古代史
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「考古学から見た邪馬台国大和説」を読んで
2020年11月26日 | 書評


しばらく「日本書紀」のデタラメ振りをなんとか皆さんに分かって頂きたいと思い、古代史ブログを中断していましたが、非常にいい内容のブログを見つけましたので、以下のようなコメントを入れさせて頂き、その内容をそのままブログにしました( ^)o(^ )。

興味深く拝見させていただきました。しかし申し訳ありませんが、畿内説の方は纏向遺跡だけに目が行って、北部九州の存在を無視しているようです。

二世紀末の倭国大乱から女王の共立で大和朝廷が纏向で成立したと考えるのは無理があります。
三世紀初頭に纏向に政治都市が作られた理由は何か?
倭国大乱の対立はどういう勢力によって何故起こり、何故そしてどういう経緯で、最終的に纏向でヤマト王権が成立したのか?

これらは纏向邪馬台国説では説明できていません。



なぜなら当時の列島で文化的に最も進んだ、大陸・半島との玄関の北部九州の存在を無視しているからです。北部九州へは畿内の土器が搬入されているにも拘らず、畿内では北部九州の土器が皆無と言っていいほど出土していません。

これは北部九州の倭国と纏向が対立関係にあったことを示す事実です。

通説では熊本を邪馬台国と対立する狗奴国と見ていますが、これも纏向でヤマト王権が成立した事実を説明できませんから、北部九州に邪馬台国が存在し、纏向にあった狗奴国によって邪馬台国が滅ぼされ、ヤマト王権が成立したと考えるのが最も妥当です。

すいません、邪馬台国纏向説では当時のことを合理的に説明できませんので、邪馬台国が九州にあったとする説は正しいと思います。詳しくは以下をご参照ください。どうもお邪魔しました(*ノωノ)
【検証11】定説の根拠を疑え(^_-)-
【検証12】狗奴国は熊本じゃないよ|д゚)



【参考記事】
【検証5】纏向は邪馬台国じゃないよ!(^◇^)
 古代史の謎を推理する(^_-)-☆


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