今日は本来、kameyaさん教室だったんだけれど、じゃらんが自動更新だったらしく手違いがあって、予約を受け付けになっちゃったみたいで・・・。つまりダブルブッキングになっちゃって、kameyaさんのメンバーに事前に伝えて、終わり次第午後からの変更にして貰ったのね・・・。
そんなこんな朝は、台風の情報が流れて、みんなからヤキモキした連絡が来るものの、何も無く無事にいつも通り。って事で、まずはじゃらんの親子教室
から。それが台風の話から、何処からいらしたみたいな話になり・・・すると、慶應に近いらしく、アトリエに到着するともっと盛り上がる話になる。
えっ、これが中学生の作品ですかぁ・・・こっちの小学生のも良いぃぃって。そうなのね、そんなに自宅が近いなら、モザイクを体験する位、興味があるのなら、いっそ労作展に行けば、最低5作品のモザイクが見られる訳で・・・しかも無料。って事で、労作展のご紹介から・・・。そんなスタート。
とは言え、オーナメントなサイズなんで、どんなに掛かっても2時間あれば何とかなるのね。しかもイベントのように廻さなくても良いから、ゆっくり出来るし・・・そう言う訳でお母さんは心配無しなんで、俺の役目は未就学児の女の子。ただちょいと手を添えて、何枚か切ったら自信が付くもんで・・。
後は1人でも十分作れちゃうのね。そんな中、テーブルとか、良いなぁ・・・こんなの作って見たいなぁ・・って随分と気に入って頂いて、いずれにせよ、台風の事は特に何の心配も無く、遠くからいらした分も楽しんで頂いたようで何よりだったのね。と言う訳で支度をしてkameyaさんへ。
こちらは3人。ただ到着までは日も差していて、特に何も無く・・・そんな訳でスタート。
棟梁は娘さんにおねだりされたらしく、温度計で・・・そりゃ棟梁の腕で2つ目となれば、困る事は無く楽しみながらの制作なのね。そもそもが困らないのだから、楽しい。楽しい、たのしい、楽、らくって話。つまりらくな事は楽しいものなのね。では、どうして?何が?楽なのか?って話ね。
良くこんな事を掘り下げると、大抵上手いから・・・みたいな事を言う人がいるのね。じゃ上手いのは何?って事になると、モザイクなんて答えたりするのね。何かこのやり取りに疑問は無いかな?・・となると、そうね例えば、歌が上手いって言うのと、歌を作れるって言うのとは意味が違うのね。
仮に歌が上手かったとしても、歌を作れるとは限らない。逆に歌を作れても歌が上手いとは限らない。これを棟梁のさっきの話に当てはめると、あの大作を作っている人なのね・・・棟梁は。その人が小物の温度計を1つ作ったものを娘さんが見て欲しい・・・って言われての2つ目。
まず1つ目が大した事が無かったり、好みじゃ無かったりすれば欲しいとは言われないだろうから、2つ目を作るに当たって、欲しいと言われての制作であって、しかもデザインはほぼ一緒で、しかも娘さんの好みに寄せて行くような変更をちょっとしたりして・・・確実に好みになる方向にしている
こんな作り方をすれば、確実に気に入られる方向にある。しかも嫁いだ娘さんへ・・・となれば、テンションも上がる。離れている分、おねだりされての制作なんて、そりゃ作りごたえもある。しかし、もしそれがあの大作のようなものだったら?・・・・こんなに楽しく作れるだろうか?無理なのね
要するに1つ目の成功ありきで、お手軽に作れて、完成度は高く、プレゼントをして喜ばれる。そして苦労が無い・・・だから、楽しいのね。じゃ何で苦労が無いのか?・・・それはまず思ったようなパーツに切れる技術があるから。これはさっきの例えで言う、歌が上手いからって話。
では、歌が上手いのだから、問題なのはオリジナルなのだから、歌を作れば歌うだけじゃん。って話。って事になると、1つ作っているのだから、そうね、例えば、1作目のきっと・・・・の部分を、ずっと、もっと、そっと・・・みたいな言葉に変えて、2番を作ろうかな?位の話。
もう大まかな骨格ありきの変更だから簡単なのね。じゃ何が簡単?そうなのね・・・全ての答えは考えなくて良いから簡単なのね。つまり今日の棟梁は考えたくない・・・って言っているようなものね。何も聞かなくても、今日の棟梁は考えたくない・・・って言う日なんだな・・・ってね。
ただ個人レッスンなら、ここを掘り下げるだろうが、みんなのいる前で、更に遅れて来ている状況では、そこまで掘り下げる時間は無いのでスルー気味にしたが、まっそう言う事になる。あれだけ額縁に彫刻があしらえる・・・って喜んでいたのに、今日はそんな感じ・・・。
勿論、緊急性があったり、気分転換だったりいずれにせよ、そんな事があった・・・それなら、それを早くやってすぐに戻んなきゃ・・・って言うのが、棟梁なのね。何しろ二言目にはチッチキやる・・・って手際良くがモットーな人だから。ただね、って事は良い事と悪い事は背中合わせ。
チッチキ出来るのは何故?勿論、手先が器用・・・これはどれにでも当てはまるんだけれど、無駄な動きをせずに能率効率でやるから。しかもやれるような事に手を出している事になるのね・・・つまりどれに手を出しても初めての事ではあるのだけれど、やり方さえ大体判れば、簡単じゃんみたいな
・・・まっ俺はこう言う人を体験荒らしと呼んでいるのだけれど。そもそも本来体験は初めての人のもの。勿論、棟梁も何処に行っても初めてだから、一緒じゃん・・・と言うだろう。じゃそこまでは一緒で良い。がしかし、手先が器用って言うのは、既に技術の何%か?を持っているに匹敵する。
じゃ初めてって人のパターンを何個か紹介すると、例えば謙虚に聞く・・・なんて人だったりすると、キチンと聞いて、間違えないように・・・って思う人なら、聞き過ぎて手が中々出なくなったりする・・・えっと、どうだったっけ・・・なんてね。
ここで勇気のある人は、先生ぃぃと声を掛けられるが、えっとえっと・・・って四苦八苦するも、声を掛けられないし、何とか先生が来るまでしのいで、来るまでに聞きたい事をまとめて置いて、一挙に・・・なんて感じなのが、ここでは・・・・
それをもっともっと手を挙げるぅ・・・とか、困った声を出すぅとか、アピールをする事って教えている人がこの方。ただ宿題でやって来たパーツが実に増えて来て、こんなに頑張れるなら・・・・と数では無くて精度に切り替えようと思っているのね・・・そろそろ。
その理由は、年齢とか、体力なんかを考えると、大きな作品は重くなるし難しい。となると、恐らく40cm程度が限界。その大きさの中で上達を・・となると、いかに精度の良いパーツが切れるか?みたいな技術が要求される。しかもモチーフにお花が多い以上、緩やかな曲線が切れてなんぼになる。
そんな理由もあって、これだけ自宅でやれるなら・・・数では無く質を問う感じにしようかなぁ・・・って。話を戻して・・・
こんな人が体験の大まかな普通な人なのに、そこに棟梁を入れれば、恐らくあぁなるほどね、そうすりゃあぁなるのか?じゃこんなの作れるな・・・って、もはや先生が教えもしない事をやらかす。しかも、みんなおぼつかない状況で、先生のサンプルの真似をやっているのに・・・。
つまり棟梁の場合、習うんじゃなくて、情報を盗みに行った・・・。こう言う表現が適切かな?あはははは。だって職人の娘だしね。となると、レシピ的な図面的な、楽譜的なものがあれば、そこから自分のやりたい事に結び付ける・・・つまり全ての1が知りたい・・・そうすれば10になるから。
これこそが1を知って10を知る。ってやり方なんだけれど、それは誰にでも出来る事では無いから、能力なんだけれど、それを能力と思っていない自覚の無い状況では、先生いじめにも繋がるのね・・・あはははは。勿論、棟梁よりも腕のある人なら全く問題は無いがね。
要するに棟梁はそのサンプルを真似してそのモノが欲しい訳じゃなくて、そもそものやり方や材料を揃える場所やらを知りたいだけで、明らかに体験教室の趣旨とは違った存在なのね。本来、習うって言うのは、1から10まで段階を経て10にやっとたどり着く・・・なんてもんなのね。
ただこれはサンプル教室の場合ね。つまり仏像彫刻のような、一切勝手は許さない。伝統、伝承、伝える・・・って言葉に尽きるのね。この場合は、レシピ通りに彫刻刀を変えてもいけないはず。まっ、習った事は無いがお茶だのお花はそう言う匂いがするのね。ではその対極にあるもの・・・。
それが木彫。もう好きなモチーフを自由に何しても良いから・・・的な何にも決まりなしみたいな・・・つまり棟梁は木に関して、規定演技も自由演技も習っている事になるのね。ここまでで感の良い人は、ほぼ全て察しが付くと思うのだけれど、一体何が違うのか?って話。
だから、勝手にやっちゃいけないのと、勝手にやって良いんでしょ?・・・・って復唱しちゃった人は、俺の説明を繰り返しただけなのね。1を知って10を知っちゃう人は、その直接表現的な言葉を聞いて、砕いて離乳食にしちゃうから、考えちゃいけないのと、考えなきゃいけないものの違いね・・
って間接表現って言うか、比喩って言うか、そう聞こえるのね。つまり伝統、伝承は考えてはいけないし、自由なんてする余裕は無いのね。真似する事に必死で、それは超絶技法だから。1つ間違えると地獄を見る事になるから。こっちを先に彫らずにこっちから・・・なんてやれば、彫れなくなる。
まぁ、やらずとも当たり前の事なのね。だって現代には機械があっても、昔ながらの手法で作らないとならないから。それこそが伝承、伝統。だから、自分の考え何て捨てろ、捨てろ・・・無心で言われた通り、計って彫れ彫れなのね。所が相反する木彫は、木を好きですかぁ?はぁぁぁぁい。
良い匂いですねぇ・・・木目が素敵ですね、この節は他には無いですねぇ・・・・1点モノぉぉぉぉ。こう言うスタイル。だから、何をどうしなくちゃいけないなんてなぁぁぁぁんにも無い。じゃ、自由だわ。雑に言うとこんな感じたと思うのね・・・ちなみに俺はこっちよりだから。
ただ、自由って事は・・・良い事と悪い事は背中合わせ。つまり何で自由か?となった時、レシピや伝統が無いからなのね。って事は1が無い。そもそも木を彫刻刀で彫る・・・一緒じゃん。けれど違うのは何故?・・・それは一方は考えるものと、一方は考えちゃいけないものだから。
と言う事は、自由って事は考えなきゃいけない事になるのね。これを踏まえて棟梁は一体何を作っているのか?って検証すれば、自ずと答えは出る。
さてそれでは、今日作った温度計。2時間で張り終わったのだから、小物だね。しかもオリジナル。誰のデザインでも無い。本当か?・・・あはははは
自分のデザインの使い回しです。つまりレシピ通りだったのね。しかもたった2時間のレシピ通り・・・棟梁の得意中の得意なのね。しかも、娘さんへのプレゼント・・・そりゃテンションも上がるよね?だって今の所1つもマイナス要因が見つからない。しかも本人にテレビ電話で確認もした。
完璧だったはず。でもね、年齢は?とか、そんなにラクちゃうの?って事になると、1作目とちょっと変えた方が良いんじゃない?って話。それでキウイは2つの温度計で四苦八苦したエピソードは既にお伝えしているのね・・・楽し過ぎぃぃなのね。腕利きな人にはね・・・単なる色違いなんてね。
大きさっと話を戻して、要するに一方は真似をする。一方は真似をせず考える。の違いがあり、今回の温度計は1作目は考えたけれど、2作目は自分の真似してラクをした・・・って事は真似はラクなのかい?じゃ彫り方も図面も先生もいる仏像彫刻の真似は条件揃い過ぎぃぃで簡単なはずじゃん。
あはははは、違うのね。それは超絶技巧の真似なんでしょ?つまり今日はお気楽極楽の真似したんでしょ?でも100歩譲ると、そのデザイン自分のだよね?・・・じゃオリジナルだからOKにする。って言っているだけなのね。先生としては・・・ね。勿論、真似がダメって言っている訳じゃないのね。
まだ切る事がおぼつか無い状況のこの方は、やりたい気持ちはあるのに、上手く行かない・・・進まない・・・ってへこみつつある。けれど何が?何処が?となると、例えばマーガレットの花のような、花びらを1枚で切るみたいな部分は見事であって綺麗なのね。しかし、流れとして髪の毛のように、
10枚で1本の髪になる・・・みたいなものは、全ての幅を合わせたり、段々細くしてみたり、10個全て美しくて1つのものであり、1つのパーツで1個出来上がりの丸のような技術とは雲泥の差になる。つまり進級してつまづいているだけになるのね。何がつまづいているのか?心でーすって話。
だから、やたらと手は出せないし、乗り切らないと上手くならないし、とは言え、へこたれ過ぎても楽しく無いし・・・でもそれでも、こんな作品だからねぇ・・・まずまずなんじゃ無いの?切る練習作品としてはね。これで切る事を一通り体験したら、オリジナルへようこそ・・・なんてのもあり。
だから、この方にそこまで強くは言わないが、棟梁だからね・・・それで余りに判らないから、みにくいアヒルの子の話をしたのね。あれをいじめられて可哀そうな話なんて下らない表現をするのなら、もはや教える事は無し。けれど、それをキャンディキャンディのように裏切者の話ぃぃぃ。って
言える捉え方を出来るようにならないと、人と違った考え方なんて言うのには程遠いのね。まずは結論としていじめられていたアヒルは何だったか?あの野郎、ハクチョウだったんでしょ?裏切り者じゃん・・・アヒルから見れば。しかもアヒルの癖に黒いんでしょ?人は見掛けで判断するもの。
変だって言われても普通だわっ。職人だって、昔は迫害されていた。大昔なら、ホワイトカラーとブルーカラーとか、3Kとか、いくらでもそんなのはある。けれどそこに屈しない、諦めない、努力を重ねる事で、もしかするとアヒルで生きようとした事が間違いで、住む世界が違っていて、ハクチョウだったから居心地が悪かっただけ・・・って話なら、自分が何か?を知るべきの話であって、可哀そうな話なんて何処にも無く滑稽なのね。
何処にもそんな可哀そうな話じゃなくて、むしろその窮屈な環境で1人生きる術を習い、万が一群れに戻れるような時が来たら、強く生きられるかも知れない・・・なんて事にも繋がるのね。まっ、これが全てが丸く収まったファンタジー的な発想ね。これが相反するホラー的になると、
所がハクチョウになったものの、群れに帰る事が出来たのだけれど、何しろ作法、所作がアヒル・・・下品で、まるで馬小屋のキャンディキャンディみたいで、女の子がスカートでパンツ丸見えで木登りして、男の子は顔で決める。アンソニーも、テリュースも丘の上の王子様も髪型しか変わらない
・・・だから、上品なハクチョウ達にそこでまたイジメられる・・・しかも、既にアヒルじゃなくてハクチョウだった・・・は使ってしまっているから、もはやハクチョウのまま・・・すると、魔女に長い首と飛べる羽根と引き換えに女の子になりたい・・・・なんて話にすると、どんどんと変化。
こう言うのがオリジナル的発想なのね。それをモザイクで表現するには・・・・ってね。所が今のはかなり壮大なスケール感があるでしょ?だから、それを絵にする事が難しいのね・・・だって流石の棟梁も手先が器用っていつもの得意技も、オリジナルの絵を描くってのが不得意・・・。
いつものようには行かない。所がここも気が付けば簡単だけれど、木彫って40cm以上ある?みたいな想像をするのね。あるかも知れないけれど、少なくとも棟梁の所で見た木彫は手のひらサイズ・・・つまり小物なのね。じゃ木彫を表現すると、考えなきゃならない小物の彫り物となる。
それが楽しいに繋がるなら、では棟梁がラクで楽しめるモザイクは、考えなきゃならない好きな色合いのタイルで作る小物みたいな表現になる。
じゃそれがそうなら、1か月に1個しっかり考えて大作の合間に小物を作って楽しめば良いじゃん。って事になる。
つまり逆を返せば、大作は、とんでもなく果てしない構想をまとめ上げ、絵を描き、その趣旨にあった色合いのタイルで作る遺作みたいになるから、何処にも楽しさなんて無いのね。ただひたすら、凄いだの、細かいだの、上手いだのって言われるだけ・・・なのね。あははははは。
ただだからこそ誰にでも出来る小物とは訳が違うのね。しかも小物100個作っても先生や作家になって売らないと、何の意味も無くなるし、その先に何も見出せなくなるかもね・・・けれど、大作とて果てしな過ぎてたどり着けなければ、増々意味が無くなる・・・どっちも同じなのね。
しかし、なのね・・・しかし、もしその大作の腕を持ってして小物に手を出した瞬間、忘れていたものが蘇るはずなのね・・・新鮮だってね。だって大作は厳しいんだもの・・・・ラクだわっ・・・楽しいわっってね。まっ、いずれにせよ、居残りして棟梁にはワクチン打って来た。
どうしてそんな気分になっているのか?・・・の原因を突き止めてね。そんな後はねアトリエに戻って片付けて、このまま帰ると棟梁疲れが伝染するのも困るんで、何かやって気分転換・・・。
幸せのお裾分けぇぇぇぇ。後はパールを塗って俺は終了。