katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

椅子の下地

2024-05-09 01:03:29 | モザイク作家
今日はお教室も無く椅子の下地になるんだけれど、何しろ実力以上の事をやっているようで・・・

下絵を描いて見たものの、何しろ難しいのね。椅子だから座れないと駄目だし、でももっと足を出っ張らせたいのに、かさばるし、邪魔だし・・・となると、限界があるし・・・。

もう既に下地の段階でそこそこ重いし・・・何とか逃げ切りたいのね。ただいつも通りだけれど、人ってこうしたい、あぁしたい・・・って理想があったりする。けれどその構想段階に、

自分の実力以上の事をしていた場合、予想以上に手こずる事になり、場合に寄ってはそのダメージは大きく、病は気から・・・の気が滅入ったりするのね。これが思いの外、上手く行けば、やる気

が出て、そのやる気が難しい事にもチャレンジする気持ちになったりもするのね。だからきちんとそれを操作して、朝ダメージが少ない段階で、チャレンジして行くのか?嫌、今日は簡単な所で

気分良くなって、午後からチャレンジなのか?・・・って自分の気持ちと向き合うのね。所がそこに先生としてお教室が入るから、午前中が空いていたり、午後が空いていたりすると、そこをも

踏まえてどうする?なんて事になり、その上、色んな準備も加わるから、中々大変だったりもするが、これもまた当たり前の事で、人と話さなければ孤独になり、人と向き合うと孤独にならない。

でも、人の話で疑似体験をするから、本気で向き合うと、その人の喜びも悲しみも拾う事になる。だからこそ、先生katsuをしている時間が孤独じゃない時間であって、作家katsuの孤独な時間が

減る事にもなる。何しろ余暇が無い分、作家katsuだけの孤独ではかなりきついし、とは言っても、逃げている訳でも無いのね。しかもモザイクでは無い立体造形・・・。

ここさえ何とか逃げ切れれば、何とかなるんだろうが・・・そもそも上手く行かない事は、大抵経験不足な事なのね。立体なんていつ振り?なんて事になると、モザイクとは違って完全にね。

ただそれでも何度かやっている事から、昔よりは良くはなっていると思うんだけれど、そもそもバランスの悪さなのね。この比喩も良く使うが、ラッツ&スターみたいなもんで、最初は友達で、

多少の個人差はあっても、左程差は無かったと思うのね。けれど、ずっと歌い続ける鈴木さんと、他のメンバーでは、差が出て当たり前。だとするのなら、モザイクのkatsuは鈴木さんのようで、

上手くなり続けていると思うのね。でも立体造形だったりすれば、回数の少なさは明らかに見劣りする。それが木工となっても、モザイクと比べれば、当然見劣りする。それ位、モザイクとの差は

大きいと思うのね。みんな俺なんだけれどね・・・モザイクのkatsuと向き合う時よりも、見劣りする分、中々上手く行かない気分は、とてももどかしいし、先日のさくらの話の時の気分とは

違うだろうが、大きく似ている部分もあると思うのね。もどかしさって言う点ではね。ただ何とか乗り切れば、これが今大満足にならなかったとしても、経験値になる訳で。ただそれをただの

経験値だけ・・・って訳には行かないから、1点でも多くの点を取りたい訳で。そこを何とか逃げ切れれば、モザイクのkatsuが何とかしてくれるはず・・・って思ってやってるのね。

ただこれが厄介なのは、このスタイロフォームって断熱材は、厚みによって値段が大きく変わるのね。だから厚みを出す為には、重ねないとならないのね。この考え方はプラスして行く、足し算。

これが最初から厚いものなら、削り続けるのだから、マイナスになり、引き算。この引き算は、棟梁のような彫刻の人達の技術になるし、足し算は陶芸のような人達の技術になると思うのね。

そうね、どちらにしても棟梁の目は欲しいね・・・って感じなのね。今の自分に無い力なんでね。




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