katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

健さん教室と椅子の下地

2024-05-02 06:37:33 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室なんで、それまで椅子の下地。目の位置を削ったりして、昨日までのザックリの状態をだいぶまとまって来た頃に、大家さんがやって来て、下地を見るなり、おーって。


良いじゃん・・・凄いねって。こんな些細な事がとても重要で、そもそも大家さんはペンキ屋さんなのに自宅を作っちゃうような人なのね。つまり大工さんバリ。その人に凄いって言って貰うって

話半分にしても、早々出来ないよ・・・って位にはなっているって感じだと思うのね。それと、ここまでは・・・の話で、これを終わるまでキープ出来れば、もっと凄くなると思われるのね。

何せまだ始まったばかりの段階なのだから。そこまで出来れば、本当に得意なのはモザイクなのだから、今より心配は無くなるのね。立体中学生読んでるかなぁ・・・立体って俺でも別もんで、

こうして悩みつつやっているのね・・・そんなこんなでお教室。そんな中、他の分野の作品を数点見せてくれたのね。それは一見似ていて、でも明らかに違うものなんだけれど、恐らく一緒に扱う

人はいっぱいいると思うのね。そこでそれを俺なりに解説して、この分野とこの分野の違いは・・そして、それを作る段階での諸注意すらも語って見ると、大体合っているって。これも大事。

つまりやった事が無い事を、習ってもいないのに、大体合っているって言うのが判るって言うのは、やる前の段階で、そこそこ間違いは無い方向に進めるって事。後はやると難しいってだけで、

手慣れるまでやれば、そこそこ形にはなる。ただやりはしないけれどね。それとその分野の考え方は、あの分野と一緒みたいに・・・。例えば海外だろうが日本だろうが、人の考える事は一緒。

それを踏まえて、きしめん、うどん、そばって、粉で日持ちって考えれば、そうするだろうな・・って言うのを、海外ならパスタって事になったり、浮世絵の版画みたいに順番に押さないと、

あっ入れ違いになった・・・みたいなのは、アニメのセル画と一緒みたいな事だし、楽器のベースの引っ張ったり、叩いたりするチョッパーとかスラップって演奏は、三味線のバチの使い方と一緒

だったりする。こんな事を見ている時に、あっこれって・・・気付く事は、職人の見て盗むって基本なのね。この行為に器用不器用があって、すーさんや大家さんはそれがとても早くて上手い。

それからすると俺は非常に劣っているのね。ただ1つだけ大きく違うのは、劣っている事が大きな武器になるのね。しっかり自覚があるから。出来る人って言うのは、早く出来てしまう分、

悩み事は少ないのね。それは器用だから。でも手慣れない側は判っていてもモタモタする。それは道具に慣れていない分、怖かったりするから。でも使い方を教わって、絶対やっては行けない事を

しっかり聞けば、危ない事だけは避けられる。そうすれば後は手慣れるまでの回数なのね。その時に、劣っている、不器用側だと、こんな事が出来ない、こんな所でつまづいた、あぁこうなるのか

・・・みたいに、1回では出来なかったりした分、失敗談が増える。でも先生になれる側にいるのね。出来る側つまりエリートは、より早く手際良くを目指すから、出来ない奴の気持ちが理解

出来ないのね。しかし、出来ない奴が先生の場合、出来ない事が良く判るのね。何せ自分が困っているから。だからエリート先生は、何か質問ある?って言うのね。はぁ?判らない事を質問出来る

時点で教えるまでも無く、後一息なのね。でもそこまで具体的に質問されれば、教える方も楽ちんなのね。だってほぼ理解しているんだから。でも本当に困っている人は、その質問が出来ない。

何がどうして良いか?って感じに、質問したい気持ちがあってもね。しかもそこに性格って目に見えない気持ちが上乗せすると、フォワード的に、積極的に、図々しく、どれも一緒だけれど、

そんな場合、なりふり構わず聞けるのね。人が居ようと居まいとね。何しろ良いのが作りたいとね。所がディフェンダー、消極的、人見知りとなると、その手が上げられない。それが身に付いて

いるから、身の丈身の程って決め付けて、まっこんなもんか・・・になる。俺は今まで後者で生きて来たから、その気持ちは良く判る。だからそれを見逃さないように心掛けているのね。

もじもじしている行動、隣を気にする目、小さな声・・・困っている人は必ずこんな事をする。逆に同じ困っていても、自分から声を出して手を上げる人は、耳だけで済むのね。でも最初だけ。

ここで難しいのは、体験ならそれで済むけれど、慣れて来るとこの説明を知っているから、フォワード的な人が、遠慮したり、こんなもんかな・・・と身の丈身の程なんて事をすると、目を離した

一瞬に、何でそんな事をしたぁーってな事が起きたり、逆にディフェンダー的な人が、気分が良いのか、乗っているのか、いつもとは大きく違う積極的を履き違えた、大胆を通り超えて無謀なんて

事をしたりもする。これが相席の慣れて来た人に起こったりする事で、お互いのエキスが入って行く混じり合う初期段階。エキスが程良く混ざると、きちんと足りないものを補える反応が起こり、

隠し味チックになるんだけれどね。まぁこれらは、出来ない人側に起こり得る事だけれど、エリート側って言うのは、底辺が高い分、ここまでは判っている前提って進めるから、弱者救済の考えは

無く、最高峰を目指す考え方になる。だから一度の失敗が命取りになる可能性がある。だから切磋琢磨なんて事になるから、一番を競い合う。逆に非エリートは、考え方が逆だから、ペケには

なりたくない・・・になる。野球ならエースになりたいとか、4番を打ちたいとかがエリートで、何とかレギュラーになりたいとか、一度で良いから試合に出たい・・・みたいなのが非エリート。

こうした違いがあって・・・と思い続けていたのね。それは例えば役者として、歌舞伎座や明治座の舞台に立てる奴と、旅役者として点々としている奴の違いくらいの差があるとして、それを

ずっと旅役者のような心持ちで修行期間が長ければ、そりゃ非エリート気分になるのね。しかしながら、立ち位置さえ変われば、腕は見劣りしない・・・と言うのなら、後は大舞台の観客やギャラ

のプレッシャーに耐えられる環境に押し潰されない心の問題。イップスなんてのはそんな話。こんな話、自分には関係無い・・・なんて思っていると、意外とすぐそこに迫っているかもね・・・

関わった人達みんな・・・勿論身近なものが大作。いつ終わるか判らない作品と向き合っている・・・まっ良いかって、自分を甘やかせば時間を短縮出来るし、必要以上に追い詰めれば、

やりたくなくなる。だって趣味なのだから。でも趣味って言い続けて何年持つだろうか?趣味って楽しくやりたいのなら、たのしく・・・っていうのは、音読み訓読みで、楽とも言う。らく。

もう時間も少なくなって来たから、健さんにもお伝えして、趣味では無く生きがいにしましょう・・・って伝えた。きっとこれが健さんの名刺になる作品になるから。そうしたら最後まで

終われるだろうから。その意味が判れば、特に何も問題は無い。

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