katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ピエロの壁画と寅さん教室

2024-06-04 22:28:34 | モザイクタイル教室
今日はかぐやとピエロの壁画、午後から寅さん教室って感じ。

まぁやっぱり2人になると、スピードもアップするし、ちょっとした事も相談しつつ、悩みも半減するだろうし、こうなって来ると、早急にバックのデザインが必要になりそうなのね・・・。

そんなこんなのお教室は、随分と切り方が安定して来た気がするのね。前半の目地幅は三角に大きく空いている部分があるが、今は全くそんな事は無いし、とても安定して来ているのね。

だいぶ、手慣れて来たって感じでもあるのね。完全にオウムの時とはタッチも変わっているし、明らかに上手くなって来ていると思うのね。これからはいくらか進みが良くなるかもね。

しかも外用流しで人に見られる・・・って言うプレッシャーや、制作時間として中々終わらないって事も経験しているから・・・。そこら辺の心配は要らないと思うのね。となると、問われる事は

焦らない事。何か気分で次の作品が作りたいから・・・早く終わらないかなぁ・・・なんて思えば、果てしなさを感じるかも知れないし、最初に始めた頃の気持ちを大作の場合は、何年も掛かる

訳で・・・。その気持ちをキープするって言うのは、とても難しい事なのね。しかも1回流しで経験しているから、その果てしなさも良く知っているし・・・だからこそ、長いぃぃって。

知らぬが仏で、知れば知るほど、知っているだけに厳しく思えたりもする。いずれにしても、こうして定期的に来ていれば、その内に終わる・・・その位、気持ちに余裕があると良いのね。

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杏さんと中学生教室

2024-06-03 01:03:03 | モザイクタイル教室
今日は杏さんと中学生の二組。では午前の杏さんから。そうね、丁度そんな時期って話になるんだけれど、まず大作って言うのは、果てしなく、イメージとしてはマラソンだとすると、鍋敷きや

コースターって言うのは100m走って感じね。だとすると、何も練習しなくても、ゴールの見えている100m走なら、俺にも走り切れるのね。しかも世界で一番早い人と比べても何分も変わらずに。

所がマラソンは?と言うと、聞くまでも無く無理なのね。こんな話をベースに、マラソンを始めた事になり、それが犬はほぼ終わっていて、ネモフィラも結構終わって来たのね。

これを具体的に説明すると、最初の不安から犬をこのグレードで走り切り、それを引き継ぐようにまたネモフィラに見えるだろうか?・・・って不安もグレードもまずまずに3分の1くらいまで来た

って感じかな?そうなると、ほぼ時間が解決って感じなんだけれど、安心安全な気分って言うのは、退屈とか、余裕とか、不安の解消って事から言うと、全く逆の事になったりもするのね。

そうかと思えば、同じ事の繰り返しになり、そんな気分から、いつ終わるんだろうか?みたいに果てしなさを感じてしまう・・・。例えば折り返したランナーの気分はどうだろうか?

それをやっと半分来た・・・後半分って気分なのか?それとも反対に、まだ半分かよっ・・・なのか?それは取り方次第なのね。しかもそこに気分って言うのを左右するのに、例えば杏さんの犬は

亡くなってしまっているから、違うんだけれど、生きている間に・・・となると、焦りに繋がったりもするし、プレゼントのように期限が迫ったり、時間に追われるって言うのは、緊張感も走る。

ただそれに寄っておしりに火が付くって効果が、労作展の子供達なのね。所が逆に期限なしって言うのは、慣れると焦りが無い分、呑気にもなるし、退屈になったりもする。果てしなさを改めて

確認する事もあったり・・・常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。いずれにせよ、今日は少しナーバスな気持ちになっていたようなのね。まぁそれについては、もしもしなのね、出来るなら

是正はあるのね。例えば昔は自宅でも仕込みパーツを切るなんて事も多々あったのね。ただあの頃とは状況や環境が違うんで難しい。しかしながら、もし切る事が無理でも、下絵を描き込んで

あったとしたら?・・・今は見ての通りに描き込みが少なく、その都度になったりすると、その分、ロスが出るのね。描き込みがあるって言うのは、楽譜がある感じだが、何も無いって事だと、

楽譜にソロって感じで、いきなりやるとアドリブでやっている感じになるのと、しっかり描き込んであると、しっかりその通りに切るだけになり、その都度考える事は無くなるから、昨日の棟梁や

りょうさんの話と同じになるのね。しかも描くだけなら、切るのと違って掃除も楽だし、時間短縮にはなるのね。ただそれだって大変って言えば大変なんだけれど・・・ね。

そんな後は、夕方からなんで、蛸の椅子。

吸盤の量産。まぁ吸盤だけなのに、そこそこ雰囲気が出て来たのね。そんなこんなで中学生教室。何だか急に雨が強く降り出した中・・・

前回に引き続き立体の下地の切り出し。2年連続で賞は取ったけれど、それは平面のモザイクで・・・であって、立体の下地の切り出しなんて、何の実績も無い事なのね。だから素人・・・

しかも彫刻チックだから、平面の下絵から、ここが高い・・・ここはこっちよりも低いみたいに、読み取らないとならないのね。ただその理屈が判ると、ある意味クラブ活動にも使えるのね。

例えば組み立てみたいな話だから、ここにこうして、こうなったらこうして・・・みたいに先読みが出来ると、相手の様子から伺い知れる事が出来るかもね・・・。

いずれにしても、手慣れない事をしているのだから、何とか逃げ切る事であって、上手く行く前提では無いのね。あくまで初めてな事なんだから、謙虚に取り組む事なのね。そして何とか逃げ切る

事で、モザイクになれば、2年連続の実力が発揮されると思うのね。

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棟梁とりょうさんの相席とリピーターさん教室

2024-06-02 00:55:38 | モザイクタイル教室
今日はまず棟梁とりょうさんの相席教室から。それでは棟梁。もう棟梁くらいになれば、諸注意は簡単な事になるのね。そもそも切る事に心配は無いのね。つまり下絵さえしっかりしていれば、

その通りに切る事は簡単な事なのね。所が美大を出た訳じゃ無いから、素人にしては上手いとは思うのね。だから素人程度に切れるのなら丁度良いんだけれど、半端無く切るのが上手いとする。

となると、半端無い絵が欲しくなる。つまり釣り合わないのね。ただ今から美大に・・・って訳には行かない。となると、最低でも今よりも画力を上げたい。じゃどうする・・・。

今よりも少しでも・・・ただ何しろここまでの理解をして、だからこうするって意識を変えないと、闇雲にただ言葉だけで、頑張ります・・・なんて何の意味も無いのね。だから差し当たって

・・・って事だけで良いのね。もっと具体的に言えば、切るのが90点で絵が40点では、40点を上げないと、90点の意味が無いのね。しかも意識を変えないと、切る点数ばかり92点、93点となり

100点に近づいたとしても、40点の絵が完璧に切れるってだけになるのね。つまり極端に言えば、切る事なんてどうでも良いから、何としても45点、50点・・・と底上げしたいのね。

そこで何をするか?って言うのは、フィーリングで作らない事なのね。つまり真似をする写真なり、絵を良く見て、何しろ見て、徹底的に真似をする・・・ってしつこく見る事なのね。

それを感だけに頼り、一度描いた絵を当てにして、作る時にはその真似て描いた元絵を見ないのね。ここに意識の低さが感じられるのね。シミ1つも逃さないってくらい見る。

そのしつこさの目をまず手に入れる事。それと白い花・・・って思い込むと、白にしか見えないし、その思い込みで作れば、どんな花も一緒の形に切ってしまうのね。でも花は微妙な違いで、

品種や名前が変わるように、単に白い、ピンク、黄色・・・って色だけ違う訳じゃ無いのね。そもそもモザイクってのは混ぜられない以上、色の変化なんてすぐに限界が来るのね。

つまりいかに形にこだわるか?・・・だから普通に最初はそう教えるのね。だからりょうさんは、

その練習になるから、一切原画を見なくても良いのね。その目は俺がやるから。つまり切り慣れる事が先決になる。良く切れるようになっているのね。中々形になって来たのね。じゃその差は?

切れない人にはきちんと切る練習になるのね。でも棟梁はそこに困らない。つまりりょうさんと指導内容が変わるのね。だからきちんと切れるから、きちんとした絵が欲しくなるのね。

じゃそのキチンとした絵って何?・・・ってなるのね。それが良く見て、どの線を残し、どの線を捨てるか?なのね。ただこの、いる、要らない・・・この選別って言う目は、曖昧な表現をする

気持ちでは話にならないのね。そもそもこんな小さな花を原寸大のような大きさで、描く事なら何とかなるかも知れないが、俺でも切れない。つまりデフォルメ的に、どの線が大事で、どの線を

捨てるか?になるのね。でも繊細に作りたい・・・となると、切れるって自信や、無謀なチャレンジをすれば、どんどんと輪郭線をはみ出す事になる。もはや手に負えないし、しかも色は白・・

みたいに思い込むと、もはや泥沼になる。繊細に切れるようになっているのに、繊細な絵では無いし、思い込みで色を決めるから、繊細さからは遠のく。それは細かい絵だからなのね。

逆に今日のりょうさんの花は、どでかいポピーだから、いくらでも繊細に作れるのね。だって本物の何倍なの?って大きさだから。つまり上手く切れないりょうさんは、切りやすい大きさの花を

作っていて、でも中々上手く切れないながらも、良く見える線の通りに切れるのね。所が棟梁は、切る事が上手いのに、実寸大の大きさだから、繊細に切りたくなるが、限界がある。

だから米粒に字を書くように、書けた・・・って仕上がりになるのね。それを何とか達筆に・・・ってこだわるのなら、いかにその花の特徴を見逃さないか?そしてどの線を残すか?になる。

この意識が身に付けば、行動が変わるのね。そうなると自然に今までとは変わって来るのね。その意識さえ何とかなれば、恐ろしく上手くなるはずなのね。その要素はたっぷりあるのね。

そんなこんなで入れ替わるように、リピーターさん教室なんだけれど、先日来た、マイトさんとつっちーを以前から知っていて、フォローしているらしいのね。それなのに何故ここに・・・。って

思ったらしいのね。それだけじゃ無くて、日本を代表するタイル商社さんの面接を受けた・・・みたいな話があったり、ガウディが好き程度では無く、勉強していたなんてエピソードが、半端無い

のね。そうなると、普通の体験って感じでは無いし、だからこんな体験下地を2回も掛かっちゃったりもして・・・

今日は目地からスタート。って事で、楽しいモザイクなんだけれど、いきなり本気モード。

自力で描いたレオパ。まず体験と大きく違うのは、体験はカットはしているものの、切ったと言うよりも割ったに近いのね。つまりここにしか使えないパーツでは無く、使い回しが利くのね。

でも今回は、尻尾の模様の形がしっかり狙って切っているのね。しかもえぐったりして・・・。
更に目もえぐっているのね。完全に狙ってその形を切っているのね。相当上手いのね。

そんな中、棟梁が荷物を取りに来て、ついでに見学をすると、2回目でこんな丁寧に・・・って褒めていたのね。棟梁に丁寧なんて言われたら、中々の美だったのね。つまり最後まで褒められれば

丁寧が、何個も重なるんだから、凄く丁寧な作品になるのね。ただまだ始めたばかりだから、特訓にならないように、楽しみながら・・・って話なんだけれど、中々のツワモノなのね・・・。

器用なのね。感が良いのね・・・でもまだ数回。大事に進めたいのね。そんな後は、プチっと蛸。

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ピエロの壁画正式契約ととんかつのモザイク

2024-05-25 01:36:52 | モザイクタイル教室
今日は午後からとんかつのモザイクの方。そんな訳で、朝はいよいよピエロのモザイクの壁画の最終打ち合わせ。もう小さい下絵でOKは出ているものの、原寸大で見るのは初めてなのね。

そんな訳で一応何の問題も無くすんなり通り、内金を頂いて正式に依頼となったのね。これで半年近く続いた営業作品作りから、やっとお金を貰える作品作りとなって、ひとまず生き延びたのね。

さてそうなると、余裕が出た分、やる事は大作をやる人が多くなった分、手狭なアトリエの片付けとなるが、その前にテーブル作りになるのね。収納も考えた上のテーブルね。

昨日からあれこれと考えて・・・ただ週末はお教室続きなんで、組み立て家具みたいなパーツ作りをしたのね。そんな中、つっちーから電話が入り・・・あぁイベントの椅子の件かな?・・・。

と思いきや、このイベントの主催のマイトさんと一緒に月末に来る・・・って、事になったのね。それじゃ隠す事でも無いんで、ご紹介すると、セラスタ2024って言うタイルの祭典に参加するのね。

会場は大阪市中央公会堂って所らしいんだけどね。まぁ俺は今の所は、作品を送るだけの予定なんだけれど、まぁシンデレラの立ち位置だからね・・・どうなるかは判らないのね。

シンデレラってのは、貧乏人だから舞踏会には行けないのね、まず。すると、やさぐれた娘に朗報です・・・魔法使いがやって来て、ドレスをレンタルしてくれるのね。そして馬車まで・・・

つまり、シンデレラの俺に、つっちーって魔法使いが、セラスタって舞踏会に誘ってくれたのね。幸いにもやさぐれたシンデレラよりも、舞踏会で誰よりもダンスが得意なもんだからね・・・

ただシンデレラのように、美人じゃ無いから、ドレスは借りられないのね。つまり自費参加だから、椅子を作らないとならないのね・・・当然制作に掛かる費用は自腹・・・どうする?って話。

ただ折角のお誘いなんで、乗ったのね。つまり舞踏会の切符と運送はつっちー持ちとなると、作品だけなの・・・って言われれば、乗って行くだろうし・・・って事になると思われるのね。

そんな話で終わっているのに、主催が来るって事になるとね・・・。それがここいらが少し厄介で、つっちーは友達って位でも良いけれど、このマイトさんって主催は、名古屋モザイクって、

日本の設計やタイル業界では知らない人はいないって言う、商社さんの枠で、Enjinってグループに所属しているのね。その仲間に、マイトさんやつっちーや、山周タイルさんがいるのね。

ほら何だかザワザワし始めるには、準備が整って来た感じなのね・・・まぁ来るにしても、来ないにしても、いずれでも良いけれど、こんな登場人物が揃って来ると、絶対にそんな事は起きない。

って良い切れる人はともかく、合ってもおかしくは無い・・・って思うような筋書きをお話すると、今、Enjinってグループの人達は、知名度としては高いし賑わっているとするのね。俺より。

って事で、そう言う人達をエリートと呼ぶとする。ではその反対側、つまり貧乏やさぐれチームに所属するのがシンデレラや、みにくいアヒルの子や、フランダースの犬のネロや、嘘つき少年の

狼の話の子や、落語のはたののりゆき、そして俺ね。こう言う図式と考えて貰って、じゃ腕は?って問われると、下手とは言われた事は一度も無いし、だから誘われたとする。しかも主催直々に、

アトリエにいらしてくださる・・・って、誰でもある事なのかな?・・・となると、そうじゃ無い気もする。じゃこれも話半分に考えて、そうかも知れない程度にする。じゃこの蛸の椅子を見て、

どう思うだろうか?そしてエリートサイドは、果たして作っているのだろうか?って考えると、もし俺しか作っていなかったとしたら?・・・主催者よりも先行して作っている事になるのね。

そして下手では無い人が・・・こんな話はここでは当たり前の話で、慶応の労作展の子達。2年連続受賞の子達が、既に動いているのね。下手じゃ無い奴らがね。ほら中学生だってやってる。

かと思えば、小学生なのに、労作展や夏休みの自由研究じゃ無くて、ピカソの泣く女を作っている子もいる。凄いってのは、ここでは当たり前の話で、普通なのね。じゃ年配の人は?お母さんは?

ほら、当たり前なのね。そこに男の人だって・・・ここではやる気1つで、凄いなんてのは当たり前なのね。それらをアトリエに来るって事は、見る事になるのね・・・そしてかぐやの作品も。

ここが中々面白い話で、大抵の人は、かぐやの作品を見て、これ先生の作品ですか?って聞くのね。勿論、モチーフが女の人だから、半信半疑って気持ちもあるだろうけれど、けど、けどね、

見間違える程、上手く見えるって事なのね。ただ一体それいつの作品なのよ。ここね。じゃかぐやって進歩して無いのかな?・・・もっと上手くなってるかもね。じゃその見間違いされる俺は?

・・・絶対上手くなっているだろうね。んで、どの位?・・・じゃ折角だからハッキリして貰おうか・・・って話になるじゃない?まぁみんなが嫌いな評価ってやつね。それは人に見せるって事。

ほら舞踏会って事になるじゃん・・・ここね。ではそこでどんな扱いを受けて、どんな評価になるのか?・・・ここで考えて見ると、下手では無い人が作った蛸の椅子って言うのが見られる。

では他はどうか?って言うと、椅子だから、椅子が出て来るのね。例えば、お花の付いた可愛い椅子とか、素敵なデザインの椅子だったり、幾何学模様や、色んな形のタイルを張った椅子・・・

その中に蛸の椅子って椅子に見えない、座り心地も悪い椅子が一緒にいるのね・・・これがみにくいアヒルの子の話・・・黒いアヒルになるのね。扱いはきっとね。ただ厄介なのは下手じゃ無い。

となると、目に付く・・・そこにはタイル関係者もいるのね・・・何せスポンサーとしてお金も払っているからね。当然誰かが、これって誰々さんの作った作品でしょ・・・って事になる。

この誰々さんって所に入る名前が、エリートさんの名前になるのね。つまりマイトさんやつっちーや、ジブリパークでお馴染みの白石さんね。そのグループに中村さんって女性もいるけれど、

作風が違い過ぎるし、まさか蛸は作らないだろうから・・・ね。そうやって誰かと間違えて貰うのね。ここまで来ればしてやったり。つまりエリート達の作品に見間違えてくれた事になるのね。

そりゃ間違えるとバツが悪い。だってエリートと間違えるのだから・・・ただ、その中に俺を知っている人も少ないながらもいるのね。例えば山周さんとか・・・。そんな人達がそれkatsuさんの

・・・って言ってくれるのね。俺が不在でもね。しかも、タイルの業者さんが、タイルの関係者に対して・・・はい、口コミ完了。十分過ぎる爪痕残しなのね。そしてここからがおまけ。

その俺を知らなかった人が、知っている人のプレゼンの仕方1つで、もしホームページや、インスタを見てくれたとしたら・・・もっと良く知って貰えるんだろうね、きっと。段々と読めて来た

人もいるかもね・・・そして、ここまで来ると、このブログのタイトルになると、芸術家への道なのね。単なるアヒルなら、黒いアヒルのままだから、虐められて死ぬだけになるんだけれど、

もしタイル屋のアヒルの群れから抜け出せると、一体俺は何になるのだろうか?って事になるのね。所が、所がなのね。これを見ているそこの生徒さん・・・駄目、他人事と思っちゃね。

本当はかつまるはだかぁ・・・では無くて、かつとかつに関わった人、まるはだかぁ・・・なのね。じゃそんな興味の湧いた人達が、ここを見てしまったら・・・どうなるのかな?

そんな黒いアヒルに教わった人達は、一体どううつるんだろうか?・・・そして一体どうなって行くんだろうか?・・・一応お知らせはしたのね。後は日本語の通りで、信じる者は救われるのか、

触らぬ神に祟りなしなのか?それはご自分で決める事なのね。ただ俺はkatsuって人を正しい評価に引き上げたいだけなのね・・・正しい評価にね。まっ、夏までにどんどんと導火線に火を付けるよ

・・・小さい、大きいに関わらずにね。勿論、火を付けたけれど、シケっちゃうのもあるのね。それはいつもの負の遺産なのね。今の俺には興味無かったって事で良いのね。ちゃんと覚えて置く

から・・・。関ヶ原以降の人は、外様とするだけだからね。だって誰でも甲乙丙丁があるのね。一律なんて100均じゃ無いんだからね。さてそんな導火線の話はこの位にして、とんかつさん。

段々何をしているか?が、判って来たような、そうでも無いような・・・って半信半疑。ただそれはそれで良いのね。でも、とんかつはサクッって感じ。サクッって尖っている感じがしない?

ツルンでは無いのね。つまりおにぎり禁止になるし、ゴツゴツでも無いのね。つまり岩石でも無いのね。だからサクッって見えるパーツを探す事なのね。でも必ず今の実力で切れるとは限らない。

だからそうじゃ無い・・・ってパーツを張らないようにすれば、間違いだけは防げるのね。つまり最高では無く最低限防ぐってやり続ける間に、段々と上手いパーツを見つけ出せると、その繰り返しなのね。

まぁもう少し慣れるには、もう少し雰囲気が出て来ると、制作意欲は増すんだけどね。ただ今の所、十分だと思うのね。

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杏さんとリピーターさん教室

2024-05-20 07:22:06 | モザイクタイル教室
今日は朝一番は杏さん教室から。ちょっと間が空いて久しぶりなのね。そんな中、良く思い付いた事を余白に書き込んで置いたりするのね。ちょっとしたメモみたいにね。それはその時に、そう

思った・・・って感じに書き込んでいると、しばらく振りに・・・なんて時に役立ったりするからなのね。すると、バックにリップル・・・と書いてあって・・・。二人で見て、これはねぇ〜

変更しませんか?って言うと、はいって。まぁ簡単に言うと、恐らくその当時に、犬には時間を掛けてもバックは・・・って事で、時間短縮みたいな感覚で暫定として決めていたんだろうね。

所がもうこの作品は、単なるウチの犬では無くて、杏さんの代表作になる予定だから、本人も判って来たんだと思うのね。ここが1つのポイントで、この1つ前の作品は何だったっけ?・・・これ。

この質問に、今の作品が見劣りするかしないか?みたいな話で、杏さんの場合、その前の作品よりもこの作品の方が明らかに上回る。こんな場合が、自分の中の大作って事になるのね。

その時に大作をやる意識として、やる気があるから取り組んだものの、果てしなさに気が付くと、ちょっとビビったりする気持ちがあれば、バックだから凝らなくても・・・みたいな気持ちが、

出てしまったりもするのね。だから、そんな気持ちを振り返る為にも、こうした書き込みは今の自分と比較出来る訳で・・・。つまりリップルは無いね・・・って話を共有出来たって事は、

あの時の気持ちを上回っている、もっと良いものにしたい・・・って意思が感じられるのね。そう言う意識の変化は、早く終わらせる方向にはならないから、じっくり取り組む事になる。

ただそれは大変な事ではあるけれど、これが自分の一番凄い作品になるのだから・・・って、意識を持てば、後は時間が解決して行くものだと思うのね。そんな後は、手違いがあったようで、

夜からのリピーターさんまで空いたのね。そんな訳で、急きょ椅子の下地。

大家さんが車庫使いなよ・・・って事で、サンダー掛けをしたんだけれど、角材にしたものを合体した時に、いきなり繋げてしまうと、奥の方が滑らかに出来なくなるから、繋げては削って・・・

の繰り返しなのね。そんな中、安全に座れるようにしたものを、もっと攻めたくなり、出っ張らせたのね。そんなこんなのリピーターさん教室。

残っていた部分をやるだけ・・・って感じだったから、すぐにでも先日作ったヤモリ下地に入るのかな?と思っていたら、かなりこだわってやっていたのね。何しろまだ2回目だから、どんな

スタイルなのか?まだ判らないながらも、普通目の前に新作の下地があれば、体験の作品なんて簡単に終わらせてしまいたい・・・なんて事は多々ありそうなのに、やっと張り終わる・・・。

まぁ見ていて困っている部分が、想像付いたんで、振り返りとして、今どんな感じか?って話をしたのね。本人も言うように、良く子供達の使うセリフに、レインボーカラーなんてのがあって、

恐らくそうしたいんだろうね。その時に黄色っぽい方から始めたのね。そして最初は頭の出っ張りから始めたんだけれど、この出っ張りを2パーツにする人いるかな?って言うと、恐らく普通は

1パーツで入れたくなると思うのね。だからやっぱりそうなっている。その後に良く見ると、四角いパーツが続くんだけど、台形のような、でもこっち向いたりあっち向いたりもしているのね。

その後の列から三角が多用されていて・・・じゃそのまま三角で色だけ守ってフィニッシュって言うのなら、簡単に終わったと思うのね。ただ本人の中に左右対称とかグラデーションとか、

いわゆる美術用語の知識を意識したんだろうね。あぁしたい、こうしたい・・・ってね。問題はここにあるのね。そもそも体験用下地って言うのは、初めての人が誰でも出来るようなものなのね。

つまりそんなに時間が掛からなくても出来る・・・ここ。そんなに・・・つまり逆を返せば、上手い人ならここに時間の限りいくらでも・・・って作り方もあるのね。例えば全て細かい花にする。

こうなれば、時間は掛かる。ただ切る事に困らないから、時間が解決するし、時間を調整するのなら、頭の広い部分に大きな花を入れるとか、工夫して時間内に収める形も取れたりする。

こんな事が構想として、時間内に、予算内で・・・こんな事がある程度計算出来たりする事が経験値だったりもするのね。まぁそれは先生サイドとしてのね。所がまだ2回目の方なのね。

これが絵なら色を混ぜられるから、帳尻を合わせる事が、得意だと思われるんだけれど、モザイクは混ぜられないから、必ずある程度の大きさの単色のタイルのスペースが取られるのね。

つまりレインボーって事なら最低7色のスペースが欲しいのに、そこにグラデーションなんて事を上乗せすれば、この下地を7等分に分け、その1つ分の中に例えば黄色なら、そこに何色混ぜるか?

ってな事になれば、かなり複雑になって来るのね。しかも頭の中で区切っていたから、前回やった所がもし、1つ分の区画をはみ出していたとしたら?そもそもこの下地を普通に7等分したパーツを

初めてなのに出来るのか?・・・そこに更に左右対称・・・こんな事を付け加えていたとしたら、最後の紺のゾーンは、三角では無くて四角い黄色ゾーンみたいにしたいのでは無いか?となる。

じゃこれを黄色側から1、2、3・・・と順番にやったとして、もし1じゃ無くて、コンマ3オーバーとか、次はコンマ2オーバーってやったら、紺ゾーンの四角が出来なくなるのね。

だから1、2、3・・・では無くて、7の紺から始めて、四角ゾーンを確保して、6、5、4って下がって合流したくなるのね。所が性格として、1、2、3・・・ってやりたい意識があったとしたら?

えっと・・・ってなるでしょ?ん・・・そうだなぁ、コース料理を食べているのに、最後がコーヒーで終わりたいのに、順番を変えて途中にコーヒーな気分の違和感みたいな気分になるかもね。

要するに順番ってのが、自分の中にあったりするとね・・・それと体験であっても全力な姿勢、それと、目の前の下地に惑わされない・・・若いのにそこがブレないのかぁ・・・とか、一貫して

頑固だねーとか、色んな取り方はあるけれど、しっかりした考えを持っている人だなぁって事は伺えるのね。やったら納得するまでやる・・・そんな姿勢ね。ただね、まだ2回だから、何とも

言えないけれど、最初は楽しんで欲しい気もするし、こんな事がしたかった・・・って言う姿勢も判った上で、無理はしないように・・・最初から100点みたいな感覚にならずに、始めたばかり。

上々じゃん。良いじゃん・・・くらいの65点くらいでスタート切ったってね。だから次は70点・・・って感じに。それをいきなり高得点って事になると、労力やお金を使って、結果に満足が

行かないと、へこたれちゃう恐れもある。そこはもっと気楽に。そんな事よりも、まず1年続けられる事。ある一定の習慣付けを出来るようにする事。これが出来れば、1年間定期的に通った事に

なり、来るって事が当たり前になるのね。来れば、折角来たんだから・・・になるけれど、じゃ自宅でやれるか?となると、その折角って気分が無いと、強制力が働かなかったり、質で言うなら、

落としたくないから出来ない・・・なんて事もあったりする。それをそれならパーツを切って来て・・・って、言うような事が出来ると、急激に速度は早くなる。アトリエの反復をするから。

いわゆる復習ね。そうなると月に1回が、自宅でも切るから、切る回数は2倍、3倍と膨らむ。つまりバッティングのみをする野球選手みたいな感じになる。それは切るだけだから。

張るのは仕上げとなると、不安も付きまとうから・・・ただ、切る事は非常に慣れて上手くなる。そのパーツをアトリエで張る・・・今度は張る特訓になるのね。パーツはいっぱいあるからね。

しかもアトリエは俺がいるから、安心して進む。失敗が少なくて済むのね。これを繰り返すと、自分でもこの位なら張れる・・・って自信が付いたり、自信は無いまでも、やってみようかな・・・

となると、多少やらかすかも知れないけれど、大きく点を下げなければ、勇気1つで進行速度を上げる事が出来るのね。これが労作展のスタイル。いずれにしても、まだ2回では、この方の方向性は見えず・・・こっちも慎重になる。

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今日はお教室がサザエさんのように3本立て

2024-05-11 22:01:18 | モザイクタイル教室
今日はお教室がまるでサザエさんみたいに、3本立て。まず朝から親子三世代さん教室。まぁここはみんな安定感が出て来て、あっちもこっちも飛び回る事が無くなって、順番に見れるくらいに、

落ち着いて来たのね。そんな中、何しろ小学生なんで、おやつタイムなんて事が定番になると、最初は近所スーパーで用意していたんだけれど、何が良いのかなぁ?なんて事になると、デートの服

じゃ無いけど、毎回同じって訳にも行かないから、迷っちゃう事になるのね。しかも、コンビニならギリギリ1個って言うのも有りかも知れないが、60の親父の買い物が、チョコ1つ・・・とか、

第三者として見ていたら、缶ビールや水、新聞に弁当なら左程気にならないが、チョコやグミ、スイーツと言ったものは、中々堂々と買いづらいのね。だから悩むのは買う事も入っているのね。

これがかりんとうとか、バームクーヘンとか、ぬれ煎餅なら老人のお菓子みたいだから、意識せずに買えるけどね。まぁそんな話をすると、グミ苦手って・・・。おー良かったぁ、悩んだ末ヤメた

のね。今の人ってガムじゃ無くて、グミが人気って聞いたから、一度は買おうとしたんだけれどね。セーフだったのね。まぁそれはそうと、みんな結構雰囲気が出て来て、良い感じで何より。


そんなこんなで入れ替わるように、ご新規さん。大抵体験は鍋敷きにしているんだけれど、何か年齢が若そうだし、送迎車中の会話で、ガウディ、建築、名古屋モザイクなんてワードが出たら、

きっと鍋敷きじゃ無いだろうな・・・となり、よくよく聞くと、続けたいとの事。じゃタイル切ってみたいですよね・・・となり、それなら鍋敷きよりは、手持ちの下地でぺきぺきでも切っての

制作にする事にしたのね。まぁ結構切る事が楽しかったみたいで、おっかなびっくりじゃ無かったのね。ただ体験と違って終わらなくても良いって事なんで、慌てずじっくり作っていたのね。


まぁ次回は続きをやってから、本格的に制作となるのでご期待なのね。そして最後は新規の中学生。今日は相談日だったんだけど、モチーフは決まったし、準備は整ったんで、後は下地ね。

そんな中、当然労作展なんで、制作に心配は無いけれど、制作日誌ってもんがあるのね。ただ本来はモザイク教室の先生だから、そんな心配をする必要は無いんだけれど、実は中学生が来るって

純粋なモザイクタイル教室では無くて、労作展対策だと思うのね。だから、制作日誌の取り組み方も教えているのね。勿論、一字一句こう書いてって言うのでは無くて、全てニュアンスね。

朝顔の観察日記にならないように・・・みたいなね。やれ大変だ、難しいじゃ無くて、何枚張ったとか、何時間やったとか、頑張ったとか、そんな事でも無くて、自分の気持ちを入れる事だったり

良い事だけは書かない事。何百時間もやれば、やりたくない日もある。そう言う日々の気持ちの心変わりすらも書く事。そうすれば、その制作にどんな気持ちで取り組んだか?伝わるはずなのね。

まぁ1つのコツなのね。いずれにせよ、今の所3年生が4人になった。そんな後、少しだけ椅子の下地。

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初めてのりょうさん教室

2024-05-08 04:01:59 | モザイクタイル教室
今日は初めてのりょうさん教室。今までは棟梁と一緒で来ていたんだけれど、1人で来るの初めてなのね。これがとても大事な事なんだけれど、本人はただ都合が合わなかったから・・・って、

とても単純な事だと思っているようなのね。でもそうでは無くて、ほぼ普通はみんな1人で来ているから、そんな人達から見れば、当たり前の事なんだけれど、今まで棟梁に乗せて来て貰っていた

のね。ある意味楽だったのね。でも今日は交通機関を使ったり、歩いたりしたと思うのね。本当に当たり前の事なんだけれど・・・。以前にも使った例えだけれど、世の中は未就学の子が、1人で

初めて1人で買い物へ行くだけで、見ている人が泣く番組があるのね。でもコロナ禍で自炊を始めた俺が買い物へ行っても泣くどころか、少し笑われたりもする。一体何処の何が違うんだろうか?

こんな事が感受性って話なんだけれど、初めてなのは一緒なのね。エコバックを持って、スーパーに買い物・・・これもまた一緒。ヨチヨチは歩かないけれど・・・。恐らく幼いって子供枠が、

そうさせると思うのね。ただその子供って枠も、小学生になって、1、2・・・って学年を上げて行くと、そうでも無くなって、中学生だったら、見ていても恐らく泣かなくなるのね。

まぁ違った意味なら、おつかいなんて行かないだろうから、珍しいね・・・って事にはなるかも知れないけれど。ってここまでの話なら、まぁ考えようとしなくても、まぁ大体判ると思うのね。

それと比較した時に、60をどんどんと上げて行くとする。70、80・・・きっと何処からか、違った心配事になり、扱いが未就学児と同じような目線になれば、お一人でお気の毒とか、ヨタヨタも

するかも知れないし、そんなに持てるの?忘れ物は無い?ってな事になる。つまり一番当たり前で、その対象にならないのがお母さんって枠になる。だってスーパーにお母さんがいる・・・って、

そんなに珍しい事じゃ無いからね。逆に60歳作務衣、ポニーテール、雪駄・・・一体何者?ってな事になる。何故なら、そのカッコの人はほぼ0に近いからね。だからコスプレ的な扱いとなれば、

変わった人だなぁ・・・って見られる。ある意味これも説明すれば、あぁそうかな?と感じる話だったりもするだろう。が、例えば、杖をついて来る人だったとしたら?大変だなとは思わない?

こんな事を聞いても、何が?って人は、それはそれとして、ただ来るとか、1人でとか、いつも誰かと来ていた・・・とか、アトリエに着いたら、みんなモザイクをするんだから、一緒であっても、

この出だしの1人で来た・・・ここは大きな事なのね。それは一緒にしか来れないって人は、一緒の人が来られないなんて事になれば、来月に延期になる。でも1人で来られれば、自分だけの都合

だから、自分の問題。そんな1歩だったのね。しかもアトリエに来て・・・となると、マンツーマンって事と、何人かいるのでは、その人数分の1の時間とでは、内容も変わって来る。

それと同時に、趣味って事くらいなら、わざわざアトリエに来なくても、kameyaさんだけでも・・って考えであっても良いだろうが、それをひと月に2回になって、しかも1回は個人レッスン

って事になると、趣味よりも上の心持ちな感じがしないかな?しかも自宅でも仕込みパーツを切っていたとしたら・・・ほら回数や時間はまだまだではあるものの、労作展の中学生スタイルみたい

・・・な気がしないかな?それが労作展ってのは、宿題って強制力が働くが、大人は自分が何かを持たないと、趣味って言葉にすると、楽しい、らくって方向に行っちゃうのね。目指さないから。

だから数回とか、数点やると飽きちゃうのね。本気の前に飽きちゃうから。でもこうした大作に向き合うって言うのは、嫌な例えだけれど遺作みたいな、極上の逸品作りだと思うのね。

つまりその人が今までとは違う姿勢で取り組む・・・だからその人の作品の中での最高になる方向に行けるのね。勿論、みんながみんな最後までたどり着く訳じゃ無いんだけれどね。それが継続は

力なり・・・って話で、続けりゃ誰でもそこそこ上手くはなる。けれど続ける事が難しいから、そんな当たり前の教訓があるのね。こんな事を踏まえたら、いつもとは違う刺激が欲しいよな・・・

ってな事になる。お互いにね。例えばりょうさんからすれば、初めての個人レッスン。しかも折角来たとか、わざわざ来たとか、何しろここまで来たのね。初めての1人なのね。何かを得たい・・

って言うのが、いつもよりも・・・って結果が欲しいじゃない?きっとね。じゃ先生側としては、それを踏まえて、個人レッスンじゃ無いと、目が離せない、こんな時じゃ無いと無理って事の方が

お互いに刺激だし、緊張感も生まれるし、結果もドラマチックだろうから・・・と、ガラスタイルにしたのね。ただいきなりガラスタイルをお任せってな訳には行かないから、基本の確認をしつつ

何しろ今日は考える事は無く、俺がしるしを付けたものを切る・・・わんこそばのように。そうすれば、何も考えずに切る事だけに集中出来るし、ガラスタイルを切るって事に慣れるのね。

何回も繰り返す事でね。ただ思っていたより失敗も少なく、あぁ切る事が上手くなったのかなぁ・・って。何しろ仕上がりに満足出来たり、上手く切れたりすれば、やる気になるのね。

気ってとても大切なもので、しかもどうしてもこの作品を完成させたい・・・って意気込みが、休みたくない・・・に繋がっているのだから、今度はそんな人への老婆心は、慌てないなのね。

やった分は進むのだから、休まなかったのなら、休まなかった分、進めたし、わざわざここまで来たんだから、来られた分のご褒美みたいな結果も出たし。これがまたガラスタイルに慣れた頃には

じゃしるしも自分でやって・・・って進級的な感じにはなるだろうが、何しろあれもこれも今日は初めてな事だらけ。良く逃げ切ったのね。そんな後は、椅子の下地になるんだけれど、材料を

買いに行ったり、野暮用があったりして・・・中々じっくりって訳には行かなかったりね。ただ方向だけは見えて来たんで、そこさえ解決出来れば・・・。

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さくら教室とあれこれ

2024-05-04 01:26:57 | モザイクタイル教室
今日は午後からさくら教室。って事で午前中に、コープみらい東京さんの下絵から。

昨日描いた絵は、お腹をこっち向きだったんだけど、お腹がこっちって事は、白がいっぱいになるって事なんで、背中をこっちに向けたのね。そうすれば、ピンクも青も使えたりするからね。

まぁこれで後は彫るだけなんで、これは明日にして、椅子の下地。

段々とタコっぽくなって来たのね。そんなこんなのさくら教室。相変わらず体調が悪く、今日はどうやら目に来ているらしく・・・正直、人の体の事は本人にしか判らないのね。ただそれでも、

治らないなら、ずっと付き合わないとならない。その時に大事なのは常に意識なのね。行動を闇雲に起こしても、結果はまばらになる。そうでは無くて、その日の体調に合った事を選ぶ事なのね。

その前にまず自分は病気である。つまりオリンピックに出るのでは無くて、パラリンピックに出る意識にする。それを意地だけで、乗り切ろうとしても駄目なのね。そもそもその日によって、

体調がコロコロと変わる。時には手が握る事がままならない・・・とか、二重に見えたりする目、こんな事と付き合うのはめげる。しかし、逆を返せば、それよりもマシな日もあったりする。

そんなマシな日に切る事に専念をして溜めて置き、不調な時に張るだけにしたり、目が不調なら、構想を練るとかにすれば、半歩でも前進は出来るのね。それを常に健常者のように、いつも一緒

なんて事を意地でやろうとすれば、出来ない事や、人と比べて進まないとか、不甲斐ない自分に嫌気が差したり、落ち込んだりしてしまうのね。それは意地を張った分の副作用的なもの。

つまりそんな時こそ、ディフェンダーとして、何とか最少失点で逃げ切りたい・・・と徹底的に守らないと行けないのに、常にどんな時も攻撃的に良いから俺に回せって感じに、言い訳はしない。

泣き言も言わずに意地を張る。それでも調子が良い時なら点を取る事も出来るだろうが、悪ければいつもの結果が出ない所か、逆に曲がって張ってしまったり、真っ直ぐ切れなかったり・・・。

これではやった事が報われずに、カウンターを食らってしまった感じがする。ただ問題なのは、それが問題点なのに、それが自覚の無さなのに、意地を張らないと乗り切れない・・・と思い込む。

でも意地を張っても結果に満足は出来ない癖にね。これが大きな原因であって、これを認めて是正をする事で、今日出来る事でいかにマイナスを防いで前進出来るか?であって、全力で最高点を

狙いに行くなんて無謀を辞める事なのね。ただ本人にその自覚が無いのが致命的なのね。何しろ常に全力で・・・って、そんな若造チックな事を続けられる程、若くも無いのにね。

いずれにせよ、さくらにはパラリンピックの星になって貰いたいと思っているのね・・・こんな状況でもこれだけ作れる・・・とね。十分にそんな人達が目指すには良い作品なのね。

それはさくらにしか出来ない事で・・・自分の体が、普通に手が動き、普通に見える目を持ち、何でも当たり前のように使っている人と、不自由過ぎる体のさくらでは、そんな人に寄り添えるのは、ウチではさくらなのね。

ただ、最高を作りたいって欲があるのは、作り手としての姿勢は正しいし、気持ちは良く判るつもりである。誰でもみんなそう。でもやりたい事とやれる事は違う事は多々ある。常にそう。

レギュラーになりたくて努力をしても、補欠だったり、勉強しても行きたい学校では無かったり・・・ただね、こんな事は言わなくても簡単に判るもんだが、さくらの言いたい事は判る。

それは目指した事が一切無かった・・・そんな人が本気で取り組んでいるんだろうね・・・きっと。だから一緒の気持ちにはなる。がしかし、俺はオリンピックって言う側を目指せる・・。

つまり最高側ね。でもさくらはパラリンピックの最高側では無く、オリンピックに出たいんだろうね・・・だから、認めたくないんだろうね。きっと。ここは簡単に気持ちは判るとは言えない。

何故なら、自分は最高を目指せる権利を持っていながら、そうで無い人へ、判るだの、頑張れだのと、安易には言えない。ただそれでもその権利を取得したのなら、一緒にやろうとは言える。

だからこそ、俺とてその権利取得の為にも、がむしゃらにやっているのね。俺がその立ち位置にこだわる理由の1つとしてね。俺がキチンと認められれば、一緒に努力した人達の作品も共に、

もっとキチンとした評価になる。正しい評価にね。それにはもっとしっかり広めないと・・・と。俺の腕を・・・と。一体、何処の何が他とは違うか?・・・俺は体験以外、楽しく1本で進める

ようなエリート達や、余裕のある人達の場所にこだわるつもりは一切無い。何か良く判らなくても、何かやってみたい・・・なんて始めても、いつか先人の生徒さん達の作品を見て、あんなのを

いつか作ってみたい・・・と願った人を1つで良いから、その人の最高の作品になるように、導く先生になりたい・・・たった1つで良いから。つまり遺作にもなるような神々しい一品をね。

例え素人だとしても、ここまで作れる・・・そんな作品をね。ただ、ただね・・・もしそんなのを作れたとする。じゃその値打ちは一体・・・って話。別に売るって話じゃ無くてね。

もしそんなものが作れる事が出来る腕になったら・・・俺の立ち位置が本当の立ち位置になれたら・・・俺の認められ方は当然変わる。その時は、俺と共に評価は変わるはずなのね。

一応、お伝えはして置くのね・・・良くも悪くもね。俺はただ純粋にそうなりたいだけなのね。後は、結果が後から付いて来るものだから・・・。今日はお開き。

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リピーターさん教室と中学生と椅子の下地

2024-05-03 03:45:27 | モザイクタイル教室
今日はリピーターさん教室から。久しぶりだったんだけど、どうやら手を怪我をしちゃったようで・・・リハビリですって事で。ただ何とも久しぶりな事と、手の怪我って事だと、どの程度が

無理なのか?って、本人にしか判らないから様子を見ながらになるんだけれど、幸いにも自宅で以前切ってあったパーツがあって・・・じゃひとまずピンセットを使って張るって事の繰り返し。

これが何でも無い事のように思えるけれど、手を怪我しているような場合、握るって行為だけでも辛いなんて事もあるし、根気って気も、定期的に来ていた場合、当たり前が身に付いているけれど

何ヶ月もやっていないと、果たして3時間同じ事を繰り返す・・・なんてやっていたか?って事になると、ちょっと億劫な気持ちになったりもする事もある。しかもこの作品自体が切る練習って話で

始めた事だから、特訓みたいな感じだったから、リハビリって感じで特訓と向き合うって厳し過ぎるだろうし、作品としても見応えあるものだから、質は落としたく無いし・・・。

ただ問題は特に無さそうだし、疲れたり痛かったりしたら休んで下さい・・・って言うと、先生は積極的に使って下さいって言ってたらしいけれど、何しろ本人にしか判らない事だからね。

こっちとしては、そうなると進む事よりも今までの質を落とさないように、じっくり慌てずに・・・って諸注意だけ。何か久しぶりだったけれど、元気そうで何よりだったのね。

そんなこんなの入れ替わるように、午後からは中学生教室。下絵を木に写したんだけれど、実際の木を見て、大きく感じたんだろうね・・・そんな理由で、あれこれ色々と変更があって。

それでも何とか写し終わって・・・そんな後は、椅子の下地。

最初から難しい事は判っていたし、ただ簡単にならスタイロフォームって断熱材を使うのが良いんだけれど、それでは余りに安易なんで、練習も踏まえて何とか木でやって見たかったのね。ただ、

こんなに難しい事になるとはね・・って感じな部位があって。もはや骨格とか、船底みたいなのね。そんな中、深夜に大家さんがやってる?って来て、悩んでいる事を伝えたら、じゃこんなのは?

って言うアイデアを教えてくれて・・・あぁそれなら俺でも出来るかもってな話で。まぁ何とかここを乗り切れば、大きな悩みは解決するんだけれど・・・。

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健さん教室と椅子の下地

2024-05-02 06:37:33 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室なんで、それまで椅子の下地。目の位置を削ったりして、昨日までのザックリの状態をだいぶまとまって来た頃に、大家さんがやって来て、下地を見るなり、おーって。


良いじゃん・・・凄いねって。こんな些細な事がとても重要で、そもそも大家さんはペンキ屋さんなのに自宅を作っちゃうような人なのね。つまり大工さんバリ。その人に凄いって言って貰うって

話半分にしても、早々出来ないよ・・・って位にはなっているって感じだと思うのね。それと、ここまでは・・・の話で、これを終わるまでキープ出来れば、もっと凄くなると思われるのね。

何せまだ始まったばかりの段階なのだから。そこまで出来れば、本当に得意なのはモザイクなのだから、今より心配は無くなるのね。立体中学生読んでるかなぁ・・・立体って俺でも別もんで、

こうして悩みつつやっているのね・・・そんなこんなでお教室。そんな中、他の分野の作品を数点見せてくれたのね。それは一見似ていて、でも明らかに違うものなんだけれど、恐らく一緒に扱う

人はいっぱいいると思うのね。そこでそれを俺なりに解説して、この分野とこの分野の違いは・・そして、それを作る段階での諸注意すらも語って見ると、大体合っているって。これも大事。

つまりやった事が無い事を、習ってもいないのに、大体合っているって言うのが判るって言うのは、やる前の段階で、そこそこ間違いは無い方向に進めるって事。後はやると難しいってだけで、

手慣れるまでやれば、そこそこ形にはなる。ただやりはしないけれどね。それとその分野の考え方は、あの分野と一緒みたいに・・・。例えば海外だろうが日本だろうが、人の考える事は一緒。

それを踏まえて、きしめん、うどん、そばって、粉で日持ちって考えれば、そうするだろうな・・って言うのを、海外ならパスタって事になったり、浮世絵の版画みたいに順番に押さないと、

あっ入れ違いになった・・・みたいなのは、アニメのセル画と一緒みたいな事だし、楽器のベースの引っ張ったり、叩いたりするチョッパーとかスラップって演奏は、三味線のバチの使い方と一緒

だったりする。こんな事を見ている時に、あっこれって・・・気付く事は、職人の見て盗むって基本なのね。この行為に器用不器用があって、すーさんや大家さんはそれがとても早くて上手い。

それからすると俺は非常に劣っているのね。ただ1つだけ大きく違うのは、劣っている事が大きな武器になるのね。しっかり自覚があるから。出来る人って言うのは、早く出来てしまう分、

悩み事は少ないのね。それは器用だから。でも手慣れない側は判っていてもモタモタする。それは道具に慣れていない分、怖かったりするから。でも使い方を教わって、絶対やっては行けない事を

しっかり聞けば、危ない事だけは避けられる。そうすれば後は手慣れるまでの回数なのね。その時に、劣っている、不器用側だと、こんな事が出来ない、こんな所でつまづいた、あぁこうなるのか

・・・みたいに、1回では出来なかったりした分、失敗談が増える。でも先生になれる側にいるのね。出来る側つまりエリートは、より早く手際良くを目指すから、出来ない奴の気持ちが理解

出来ないのね。しかし、出来ない奴が先生の場合、出来ない事が良く判るのね。何せ自分が困っているから。だからエリート先生は、何か質問ある?って言うのね。はぁ?判らない事を質問出来る

時点で教えるまでも無く、後一息なのね。でもそこまで具体的に質問されれば、教える方も楽ちんなのね。だってほぼ理解しているんだから。でも本当に困っている人は、その質問が出来ない。

何がどうして良いか?って感じに、質問したい気持ちがあってもね。しかもそこに性格って目に見えない気持ちが上乗せすると、フォワード的に、積極的に、図々しく、どれも一緒だけれど、

そんな場合、なりふり構わず聞けるのね。人が居ようと居まいとね。何しろ良いのが作りたいとね。所がディフェンダー、消極的、人見知りとなると、その手が上げられない。それが身に付いて

いるから、身の丈身の程って決め付けて、まっこんなもんか・・・になる。俺は今まで後者で生きて来たから、その気持ちは良く判る。だからそれを見逃さないように心掛けているのね。

もじもじしている行動、隣を気にする目、小さな声・・・困っている人は必ずこんな事をする。逆に同じ困っていても、自分から声を出して手を上げる人は、耳だけで済むのね。でも最初だけ。

ここで難しいのは、体験ならそれで済むけれど、慣れて来るとこの説明を知っているから、フォワード的な人が、遠慮したり、こんなもんかな・・・と身の丈身の程なんて事をすると、目を離した

一瞬に、何でそんな事をしたぁーってな事が起きたり、逆にディフェンダー的な人が、気分が良いのか、乗っているのか、いつもとは大きく違う積極的を履き違えた、大胆を通り超えて無謀なんて

事をしたりもする。これが相席の慣れて来た人に起こったりする事で、お互いのエキスが入って行く混じり合う初期段階。エキスが程良く混ざると、きちんと足りないものを補える反応が起こり、

隠し味チックになるんだけれどね。まぁこれらは、出来ない人側に起こり得る事だけれど、エリート側って言うのは、底辺が高い分、ここまでは判っている前提って進めるから、弱者救済の考えは

無く、最高峰を目指す考え方になる。だから一度の失敗が命取りになる可能性がある。だから切磋琢磨なんて事になるから、一番を競い合う。逆に非エリートは、考え方が逆だから、ペケには

なりたくない・・・になる。野球ならエースになりたいとか、4番を打ちたいとかがエリートで、何とかレギュラーになりたいとか、一度で良いから試合に出たい・・・みたいなのが非エリート。

こうした違いがあって・・・と思い続けていたのね。それは例えば役者として、歌舞伎座や明治座の舞台に立てる奴と、旅役者として点々としている奴の違いくらいの差があるとして、それを

ずっと旅役者のような心持ちで修行期間が長ければ、そりゃ非エリート気分になるのね。しかしながら、立ち位置さえ変われば、腕は見劣りしない・・・と言うのなら、後は大舞台の観客やギャラ

のプレッシャーに耐えられる環境に押し潰されない心の問題。イップスなんてのはそんな話。こんな話、自分には関係無い・・・なんて思っていると、意外とすぐそこに迫っているかもね・・・

関わった人達みんな・・・勿論身近なものが大作。いつ終わるか判らない作品と向き合っている・・・まっ良いかって、自分を甘やかせば時間を短縮出来るし、必要以上に追い詰めれば、

やりたくなくなる。だって趣味なのだから。でも趣味って言い続けて何年持つだろうか?趣味って楽しくやりたいのなら、たのしく・・・っていうのは、音読み訓読みで、楽とも言う。らく。

もう時間も少なくなって来たから、健さんにもお伝えして、趣味では無く生きがいにしましょう・・・って伝えた。きっとこれが健さんの名刺になる作品になるから。そうしたら最後まで

終われるだろうから。その意味が判れば、特に何も問題は無い。

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