ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

授賞式の翌日のこと…〝新宿御苑〟と〝東御苑〟です!

2024年06月01日 | 俳句

 とうとう6月に突入しました。何もかも中途半端にしたままで…ほとほと私はダメになったもんだと、自己嫌悪ですよ。だって、夜になるともう疲れ果てて眠くって眠くって、根が続きません。このままこの調子でどんどん弱っていくのでしょうか。先を考えると…コワい!だから考えないことにしています。 

 さて、5月24日の文學の森賞受賞式の翌日のことです。せっかく東京へ来たのだからと、娘と相談して「新宿御苑」と「東御苑」へ行くことに。

 朝10時ホテルを出て、娘は行ったことがないという「新宿御苑」へ。既に昨日は1万歩以上は歩いたから今朝は足がパンパン…なのにまたここから歩いたら30分は掛かると言う。ムリムリと言うと、じゃあ地下鉄で一駅だけでも乗っていこうと…実はそれが大きな誤算でした。

 だって駅を探すのにウロウロ、分ったら今度は階段を地下へドンドン。電車を降りたら今度は階段を昇って…目の前が新宿御苑じゃないから更にまた歩いて…。結局そのまま平地を真っ直ぐ行っても距離は同じくらい…と言うことなら上り下りのない方がラクでしたよ。だってエレベーターを探すのでもウロウロしなくちゃいけないし、小さな駅では階段しかないんですもの。たまたまエスカレーターがあったとしても、上りのみ…都会の人は膝の悪い人の下りがどれだけ大変かと言うことが分ってないんでしょうか。娘も若いから同じでドンドンと先に行くし…付いて行くのに必死でした。

 この日はまた気温が29度と暑い日だったから、フウフウ言ってやっと着いた新宿御苑の入口…。ではそこで撮った写真がありますので、それを見て下さいね。

 ホテルを出ると都庁がデ~ンと…。

 新宿御苑へは何度か来ていますが、とにかく広い。娘が観て回りたいという所だけを歩きました。

 上の写真は何だと思いますか?大木の下で撮ったら芝生に…これ木洩れ日なんですよ。ビックリでしょ!今時は花が少なくて、まさに〝みどり〟の新宿御苑でした。土曜日でしたので外人さんが多くて…それもベビーカーを押したり、芝生にシートを広げて赤ちゃんと一緒に寛いでいたり…と。東京のど真ん中にあって、ここは広いし静かでもってこいの憩いの場ですね。珍しい〝一葉松〟…五葉松は知ってるけど、これは初めて。あと〝金糸梅〟と〝青鷺〟…どちらも夏の季語なんですよ。

 次に向かったのが、皇居。前日〝明日はどこかへ行くの?〟と聞かれて、私が〝江戸城を見たことがないからそこへ行こうと…〟と言うと大笑いされました。友人なんかは一瞬〝江戸城って?ああ、皇居のことじゃないの!〟と何だかバカにされた感じ…。どうして東京の人は江戸城と言うと笑うんでしょうね。昨年馬醉木1000号記念式で東京へ来た時、行く予定だった〝江戸城〟が月曜日で見学できなかったんですよ。それで今度は…と思ったのですが、〝あんなところへ行っても今はもう何もないわよ〟と、けんもほろろです。田舎者からすると皇居なんてテレビで観るだけだし…と憧れますよね。だってお城のある所へ行ったら必ずお城は見学場所なんだもの。なのに娘から今度は江戸城へ行ってみたいと言われて、今まで何度も東京へ来ているのに、私も眼中になかったんですよね。でも、江戸城と言うのは本当のこと…なのになんであんなに受けるの?と、娘と不思議がりました。

 まあ、こちらで〝どこへ行く?〟と聞いたら〝ときわ公園〟と言うようなものかしらね。ヘンなの!

 では、その江戸城の〝東御苑〟へ行ったことを書きましょうか。でも、長くなりましたので次に…。

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「文學の森」の各賞の贈賞式と懇親会へ行って来ました!

2024年05月27日 | 俳句

 5月24日の金曜日に、山口宇部空港7時40分発の始発便で羽田へ。この日は天気もよくて、飛行機からは富士山がよく見えました。霞が掛かったようすが却って幻想的で…まるで浮世絵のよう!とてもステキでした。

 実はこの金曜日の12時から15時まで、東京新宿・京王プラザホテル本館42階「富士」にて、(株)文學の森の「第25回山本健吉評論賞」・「第14回北斗賞」・「第16回文學の森賞」の、それぞれの各賞贈賞式および懇親会が開催されたんですよ。

 身に余る光栄なことで、その「文學の森賞」に拙著『目からウロコ』が入賞しました。大賞は黛まどか氏、準大賞に坂口昌弘氏。入賞には清水道子・江川貞代・三井量光・岡村千惠子・須田眞里子・影島智子・江見悦子・山田一男・櫻井波穂・安藤喜久女・奥山ゆい・江副史湖・祢宜田潤市の各氏と私。特別賞として黒川悦子氏。北斗賞は若林哲哉氏で、山本健吉評論賞(奨励賞)をやまだようこ氏が受賞されました。

 現在俳壇でご活躍中の錚錚たるメンバーに、各賞の審査委員の先生方や来賓などなど…約80人ほどの人が集まったんです。11時半受付の会場へ行くと、もう正装された方々で一杯でした。私は今までこんな晴れがましいところには全く縁がありませんでしたので、オタオタとして本当に恥ずかしいこと…誠に畏れ多いことでした。

 でも、付き添い1名の招待がありましたので娘に同行して貰いましたし、文學の森の知人や俳誌「いには」主宰の友人も出席してくれていましたので安心。それで何とか無事に終わって、ホッとホッとです。

 懇親会では現俳人協会理事長の能村研三氏を始め、星野高士氏や稲畑廣太郎氏など、また私の本を推薦して下さったかしまゆう氏などにご挨拶ができて本望。受賞は殆どが句集ばかりですので、そんな中にあって何となく場違いな感じでしたが、でもとても面白くて読みやすい本だったと言っていただけて有り難かったです。推薦理由も「俳句と季語の基本を平易な話し言葉で綴り、楽しみながら俳句の魅力を感じることのできるエッセイ集」ということでしたから。選考委員の先生方、本当にありがとうございました。

 畏れ多くも文學の森大賞を受賞されました黛まどかさんと…記念撮影を!ありがとうございました。

 とにかく私は東京へ来る度にどっと疲れます。もう歩くところが多くて多くて…すぐに一万歩は超えてしまいますものね。地下鉄に乗るにしても今度は階段ばかり…まさに足が棒のようになって、痛くてたまりませんでした。でも歩くしかないんですよね、東京は。閉会後友人達とちょっとお茶をして、解散。この日泊る新宿ワシントンホテルへ歩いて行くのに…すぐ側が都庁なんですね。始めてしげしげと眺めました。ホテルの部屋が21階でしたので窓からもよく見えましたよ。そこで一服して新宿の末廣亭へ…ちょうど中入り後から入ると割引もあるというのでそれを待って入場。

 東京には馬醉木の大会や新年会で何度も来ているのに、こういう寄席とか落語を直に聞いたり見たことがなくて、今回が初めてでした。とにかく雰囲気だけでもと…良い体験をしましたよ。それにしてもこの新宿駅周辺の人の多さにはまたまたビックリです。宇部ではお祭の時でもこんなに人出はありませんもの。歩くにも人とぶっつかりそうで…何だか都会はコワイ!いろんな事件などをニュースで見たりしているからでしょうか。

 それにしても若い人たちの多いこと!これが花の金曜日だからなの?でも、次の土曜日の朝でもこんな人出でしたからこの新宿辺りでは当り前なのかも。

 末廣亭を出て、文學の森の友人と娘の3人で食事をしようと…これもどこへ行ってももう満席と断られて、やっと3軒目で席が取れました。金曜日の夜の飛び込みはどこも入れてくれないんですね。末廣亭が8時半まででしたので結局食事にありつけたのは9時半頃かな…でも、とても美味しくてリーズナブルなお店が見つかったのでラッキー!でした。ホテルへ戻ったのが11時半…本当に疲れましたけど、ホテルの窓からの夜景は…とってもキレイ!お陰でグッスリ眠れました。

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桜紀行 その5 新潟県の〝弥彦公園〟と〝彌彦神社〟

2024年05月23日 | 日記

 桜紀行もいよいよ福島県から新潟県へ…。ガイドさんの情報では西蒲原郡弥彦村にある弥彦公園の桜も余り期待できないと。それでコースには入っていない〝彌彦神社〟の方へ回りますかという提案に全員一致で行くことに。12時半鶴ヶ城出発。これから約2時間半ほどは磐越自動車道を走って行くので、到着まで車中でお休みタイム。15時前に弥彦公園へ到着。見れば、ナント、ナント…見事に桜がほぼ満開!これはまたまた予想に反したウレシイ悲鳴でした。ヤッター!

 この〝弥彦公園〟にはソメイヨシノや八重桜など約50種の桜があり、大正五年(1916)、現在のJR弥彦線の前身である参宮線開通を機に越後鉄道株式会社(当時)の駅舎と一体の公園として整備され、昭和三十七年(1962)に彌彦神社外苑として献納されたのだとか。

 また弥彦山(東京スカイツリーと同じ634m)を借景に、自然美と人工美とを巧みに調和させた名園として、四季を通じて多彩な表情を楽しむことができ、苑内の通称「もみじ谷」は近年紅葉の名所として、秋には境内の菊まつりと並んで多くの観光客で賑わうんだそうです。

 〝彌彦神社〟の方は、越後一宮として古くから信仰を集め、「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れるんですって。御祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社で、日本最古の万葉集にも詠われています。祭神と妃神の仲が良いことから、縁結びにご利益があるといわれているんですよ。でももう私には必要ないんですけど…アッそうだ、息子のために拝んどこ!(笑)


 この彌彦神社には見事な鎮守の森があって、樹林に覆われた境内には神聖な空気が漂っていました。紅葉スポットとして特に有名だそうですが、年間を通して美しい自然と森林浴を楽しむことができます。桜は神社の裏手の方に〝桜苑〟があって、ソメイヨシノがほぼ満開だったと。残念ながら私は行かず仕舞。今から5月の八重桜まで、50種類以上の桜がかわるがわる咲き競うんだそうですよ。この旅行で、私の頭に棲みついていた〝新潟は雪が多くて寒いところ〟というイメージが完全に覆されてしまいました。やっぱり何でも体験してみないといけませんね。

 さて、境内を進むと津軽の〝火の玉石〟というのがありました。この石(重軽の石)は持った時の重さの感じ方により、願いが叶うかどうかを占うものなんだそうです。

 ぜひ試してみてはとガイドさんに勧められ、みんな代わる代わる抱えてみました。心の中で願い事を思いつつ持ち上げ、軽いと感じれば祈願が成就、重いと感じたら叶わないと。では私もと…持ち上げてみると、わあ、やっぱり重い!小さい方がやっと持ち上がったぐらいですから大きいのは…腰を痛めるからと止めました。これじゃあ願い事はダメだわ…。うえ~ん(; ;)ホロホロ

 弥彦山山頂には奥宮の彌彦神社御神廟があるとか。神社から10分ほど歩いたところに弥彦山ロープウェーの山麓駅があり、そこから山頂駅まで行くことができるそうですが、残念ながら下から眺めるだけ。ということで、16時過ぎには今日の宿泊地岩室温泉へ出発です。宿の「ゆもとや」へは彌彦神社からは10分でしたので、あっと言う間に到着。

 部屋に入って、食事までにはまだ時間がありましたので、暗くなる前に近くを散策。この宿の裏手に源泉があると聞いて行ってみると、確かにありました。この300年の歴史を誇る岩室温泉は、一羽の傷ついた雁が流泉につかってけがを治したという伝説からで、別名「霊雁の湯」とも呼ばれ、新潟の奥座敷として親しまれており、またここが新潟芸妓の発祥だとも。その傍に「夜泣き地蔵」もありました。

 この「ゆもとや」には、趣向を凝らした「雁の湯」「夢殿」二種類の大浴場があり、それぞれ1日ごとに男女交替制。それで私はもちろん夜も朝も入浴して、両方を堪能しましたよ。食事は珍しくバイキングではなくて、新潟・日本海の幸がふんだんに…生きのいい魚は当然のこと、私が一番期待したのはやっぱり魚沼産のコシヒカリ…はい、とっても美味しくてお代りをしてしまいました!これでまた、肥るわ~イヤダ!なんて…しかし、お料理もお風呂も大満足でした。

 それなのに明日の天気予報は雨100%だと…。さて、さて3日目はどうなることでしょう。では、またの続きを…お楽しみに!

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桜紀行 その4 会津の〝鶴ヶ城公園〟へ!

2024年05月19日 | 日記

 投稿が遅くなりましたが、5月12日の第2日曜日、はい、〝母の日〟でしたよね。昨年はお婆ちゃんが居ましたので、私たちが義母を祝ってお花などをあげましたが、今年はもう…だから仏壇にお花と大好きなお菓子を。

 私は今年は娘から〝魔法のお箸〟を、息子からはお花と食事で祝って貰いました。〝魔法のお箸〟というのは、お箸で未来を創造する企業、あるふぁちーむ合同会社の〝あるふぁスティック〟で、一度使ったら虜になるという摘まみやすさと一般市場には出回っていないという希少価値の高いものなんだそう。〝父の日〟のも合せてと、二人分を貰いました。写真がなくてゴメンナサイ!

 また、息子のくれた今年の花は〝ベゴニア〟で、花言葉は〝幸福な日々〟…ありがとね!更に私が海老を食べたいと言ったので、昨年お婆ちゃんと行った秋穂にまた行こうと…ところが、予約をしていなかったので海老料理専門店は全部ダメ。仕方なく国民宿舎の〝あいお荘〟へ行くことに。ここには以前行ったことがあるのですが、海眺の宿と言うぐらいでレストランからは周防灘が一望できます。この日はお天気が今イチでしたが。そこで食べたのが…私は刺身定食、主人は何とステーキ定食、息子は天刺定食とみんなバラバラ…でも、名物の海老はフライの単品で注文して食べましたよ。やはりこの辺りは魚が美味しい!お刺身はみなプリプリして…さすがです。ゴチソウサマでした。みんなみんなアリガとさん!

 玄関外にクサフジ(ナヨクサフジかも?)がたくさん咲いていました。    

 それでは「桜紀行」のその4にいきましょうか。喜多方の〝日中線〟のシダレザクラの次は会津〝鶴ヶ城公園〟の約1000本のソメイヨシノでした。しかし、ここも残念ながらやっと開花宣言がなされたばかりで、殆どがこれからでしたね。でも会津へ来たいという念願は一応叶いました。が、私の一番観たい白虎隊の飯盛山などは、残念ながらバスガイドさんから〝あちらのほうですよ〟という説明を聞いただけで又の機会にと…。クヤシイ!

 喜多方からは40分ほどでここに到着。お城の入口まで誘導して貰い、自由に城内を1時間ほど散策。その後城の出口にあるレストランに集合して、名物「会津わっぱ御膳」の昼食でした。でもこれは…ちょっと期待はずれでしたね。だから写真もありません。

 さて、この城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、武士の誇りを貫き通した難攻不落の名城として有名です。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建。平成に入り茶室や隅櫓も復元されて、平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられましたが、この赤瓦の天守閣が観られるのはこの鶴ヶ城だけだそうです。

 天守閣への入場は別料金でしたので、膝の悪い私は遠慮して主人だけが観に行きました。この日は下で待っているだけでも汗を掻くぐらい暑い日でしたが、私は待っている間にいろいろと写真を…ではご覧下さい。

〝タカトウコヒカンザクラ〟が一本だけよく咲いていました。ああ、今度は高遠へ行きたいな!

 さて、ここでこの調子なら次の新潟県の〝弥彦公園〟での桜もきっとまだ早いだろうと…ということで、予定コースには入っていない〝弥彦神社〟に寄って行くことになりましたが、そこはナント……。でも、これはまた次にね…乞うご期待! 

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桜紀行 その3 喜多方の〝日中線のしだれ桜並木〟

2024年05月09日 | 日記

 昨日(5月8日)の夜のナント寒かったこと!最低気温8度でしたよ。ところが、今日の日中の最高温度は21度まで上がると。この13度の気温差…体に堪えます。この頃の体調不良…いや、それだけでなく精神状態までおかしくなったのか、何となく鬱状態なんですよ。心が重たいです。でも、しなくてはいけないことは待ってはくれませんので…ガンバロウ!

 さてさて、では延び延びになっている「桜紀行」の続きでも書いて、少しは心を軽くしましょうか。今頃?…そうです。一月遅れなんて言わないで、読んで下さいね。

 それでは〝その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」〟からの続きです。4月8日の月曜日の朝、裏磐梯のホテルを8時半に出発。この日の最初の桜見物は、福島県喜多方の「日中線のしだれ桜並木」でした。

 主人も私も〝喜多方〟といえば、〝喜多方ラーメン〟のことしか知りませんでした。まさかこんな場所にあったとは思いもしませんでしたね。東京周辺やそれから以北の土地勘が全くなくて、県名は知っていてもその配置がさっぱりなんです。だから最初のサービスエリアで上信越・東北地方の道路マップを貰って、それを見ながらのバスの旅…でもこれもなかなかいいものです。地理の勉強にもなって…

 さて、その「日中線」なるものは一体何なの?〝ニッチュウセン〟と音で聞けば直ぐに思い浮かぶのは〝日中戦争〟のことかしら。ツアーの皆さん、みんな似たり寄ったりの年頃ですからね。実際は知らなくてもいろいろ聞いたりしていて…。ところが、字を見て〝戦〟じゃなくて〝線〟とは?ガイドさんの説明を聞いてやっと分かりました。

 日中線しだれ桜並木には、長さ3kmにわたって約1000本のシダレザクラが咲き乱れ、福島県でもほかにない壮大なスケールの桜並木が楽しめると。昭和59年に廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道として残したものなんです。中間点付近には当時走っていたSLが展示されて、さくらまつり期間中にはライトアップも行われるそうです。

 これが満開の時の写真だと…ネットよりお借りしました。スミマセン!

  私たちが行ったときは、本当に咲き始めで…これが満開になったらと想像しながら歩きました。

 「日中線」というのは、喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた旧国鉄のローカル線で、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止と。路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来するのだそうです。

 最初行って見ると下の写真のような石碑がありましたので、てっきり日本と中国の〝日中〟だと思ったんですけどね。違ってました!

 確かにこの並木道が満開になるとキレイでしょうね。中に気の早い木が1,2本咲き出していましたので、そこには人が集まって記念撮影を…ここだけで写真を撮ると結構咲いてるように見えるでしょう。

 この喜多方市は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置し、北西に世界遺産の国内候補に挙げられた飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる豊かな自然に恵まれた風光明媚な市なんです。ここが会津の北方に位置していたことから、古来より北方(きたかた)と称されていて、江戸時代には、会津藩の領地となっていました。明治以降、小さな集落を合わせて町や村が形成され、昭和20年代後半から30年代にかけて、町村合併促進法により複数の市町村が形成され、その後5つの市町村が平成18年1月4日に合併して、新しい喜多方市が誕生したんだそうです。

 また、ここはラーメンだけでなく、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の町」としても知られているようです。人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」で、市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻だそうですよ。時間があれば歩いてみたかったなあ。アッ、本場のラーメンも食べてみた~い!返す返すも残念です。

 

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防府市の〝こいながし〟へ吟行してきました!

2024年05月04日 | 俳句

 あれだけ愚図ついていたお天気が、今日も快晴です。昨日は5月3日、はい、そうです…国民の祝日の一つ、「憲法記念日」。今人気の朝ドラ〝虎に翼〟の舞台は昭和10年過ぎの…即ち「大日本帝国憲法」がまだ幅を効かせていた頃ですよね。敗戦後、現行の「日本国憲法」が昭和22年のこの日に施行されて、それを記念して設けられた祝日なんですよ。

  憲法記念日何はあれけふうららなり   林 翔

 昨日はまさにこんな一日でした。このゴールデンウィークはどこもお天気がいいようですから、行楽地などは人出の多いことでしょう。例に漏れず我が恒例の吟行会も昨日出かけました。行先は先ず防府市の佐波川上流の〝こいながし〟です。

 山口県下有数の河川「佐波川」の広い川幅を利用し、鯉のぼりを水中で泳がすアイデアから生まれた「こいながし」。防府市小野小学校地区では、毎年ゴールデンウィーク中に約120匹のこいのぼりが川の中を泳ぎます。水中を色鮮やかに悠々と泳ぐたくさんの鯉のぼりと周辺に連なる山々の緑が相まった美しい風景を見に、今年も市内外から多くの見物客が訪れていました。

 この日が初日でしたので、まだ全部が完成していなくて、その〝こいながし〟を作っているところを見ることが出来ました。ラッキー!

 実は、私や主人は昨年のゴールデンウイークにもお婆ちゃんを連れて、この〝こいながし〟を見に来ていたんですよ。去年は4日でしたので、同じく佐波川の下流では鯉のぼりを空に掛け渡して泳がせる〝こいわたし〟もやっていました。お婆ちゃんはまだまだ元気で、昼食の海老フライが美味しいと食べていましたからね…歳のことを考えれば欲張りな事かも知れませんが、でも何だかはかないです。

 この写真は去年のものです。〝こいわたし〟はお借りしました。スミマセン!

 さて、吟行ですが、この〝こいながし〟を見た後は〝岸見の石風呂〟へ。最後は近くにある〝久兼の棚田〟を見学して、防府駅の方へ戻り、その傍のルルサスで食事と句会です。

久兼上地区の棚田の画像

 久兼の棚田の中ほどには埴山神社があって、境内の石燈篭に安政5年と彫られています。神社周辺は一面の棚田で、神社では今も春・夏・秋と3回祭礼が行われているそうです。棚田の写真はお借りしました。スミマセン!

 久し振りの吟行日和、ちょっと暑いぐらいでしたが見るべきものもたくさん有り、句材にも事欠かない楽しい吟行でした。でも、家に戻ると…どっと疲れがでて、やっぱり歳ですかね!

 ところで、今年になって奥様の具合が悪くこの吟行会をずっと欠席されていたN先生が久し振りに出てこられて、さすがはといういい話も聞けたんです。句会に出た句に対して、私が〝この言葉がないとこの句もいいのに…〟という句評をすると、先生が突然…〝お昼に出たデザート、アイスクリームに小豆が乗っていたもの。あれに更に黄粉が掛かっていましたが、皆さんどう思われましたか?〟と。みんなが口々に〝あれは余分よね〟とか〝全く必要ないし、却って邪魔…ない方がすっきりして美味しいのに!〟と言う。その中で一人だけそう思わない人がいて、〝ぼくは美味しかった!〟と。

 アイスクリームだけでも美味しいのに、お店の人のサービス精神で小豆をトッピングするところまでは許すけど…と。そう、これは俳句に通じるという話だったんです。そして、その句を詠んだのが、黄粉が邪魔だと思わないと言ったSさんで、もう拍手喝采ですよ。それからは〝これも黄粉よ…〟という句評が頻りに使われ、笑いの絶えない句会になりました。更に〈鯉ながし観る人垣や股間にブル〉という句も出ていて、〝この鯉ながしはまだ季語にはならないからこの句は無季ですよ。どなたの句?〟と言うと、なんとN先生でした。〝じゃこの股間にブルとは何ですか?〟と聞くと、〝鯉ながしを橋の上から眺めている人が、股間にブルドッグをはさんでて…〟と。すると〝橋から見下ろしていて…高所恐怖症でブルブル震えたというのかと…〟と言う人もいたりして…ナントも愉快な句会でしたよ。

 N先生は結社は違うのですが私よりも句歴は大先輩、宇部市の俳句大会で共に選者をしています。ご一緒に吟行するようになっていろいろと教えていただき、有り難いことです。ちなみに、なぜこんな句を出したんですかと聞くと〝鯉ながしを季語として認めて貰おうと…〟ですって。だったらもっと感動する句を詠まなくちゃ、これでは到底ムリですよ!と言うと、真顔で〝ダメかな…〟ですって。何歳になってもそのチャレンジ精神は見習いたいものですね。ウラヤマシイ!

 今日も桜紀行の続きが書けませんでした。時期がズレてしまうと…やはり気が抜けますね。俳句と同じかな。要するに〝当季雑詠〟ということかも。では、それはまた…ねッ!

  

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〝第29回中原中也賞〟の贈呈式へ行って来ました!

2024年05月01日 | 俳句

 一昨日の29日は、嘗ては昭和天皇の〝天皇誕生日〟でしたが、天皇崩御後は〝みどりの日〟となり、それが平成19年から〝昭和の日〟と改められた国民の祝日でしたね。この日は天気予報通りの雨…それも予想以上の大雨でした。

  昭和遠く平成鬱とみどりの日    山崎聰(句集『荒星』より)

 この句は「みどりの日」が季語ですが、今だったら「昭和の日」。しかし、この「昭和の日」の方は季語として用いられるようになってからまだ15年余ですから、歳時記などには例句など殆どありませんでした。

 調べているときに、「響焔」の名誉主宰・山崎聰氏の上掲句がありました。これはやはり「みどりの日」でないと通用しない句ですよね。もしこれが「昭和の日」だったら様にならないでしょう。同じ日だからといっても大違いなんです。俳句にはこういう一面があるのですよ。

 歳時記を見ると傍題がいくつかある主季語があります。それを見て、初心者でどれを用いても同じだと勘違いされる方がおられます。例えばこの表現の方が面白そうだったからとか、音数がこれでしか入らなかったからなどという簡単な理由で選択して…。

 やはり俳句は韻文なんです。意味だけ分かればいいのではなく、口に出してみてその音の響きを味わうことも鑑賞の一つだと思います。また、それぞれの語でその言葉の持つイメージというのもありますからね。

 先日投句された句に、「いたち草」を使ったものがありました。この季語を知らない方はどんな草を想像されるでしょうか。恐らく「いたち」という動物のイメージから茶系だとか、動的なイメージとか…。または〝鼬の最後っ屁〟という慣用句もありますからあまりいいイメージではないかも。ところで余談ですが、同じイタチ科でも〝ミンク〟とか〝オコジョ〟と言えば全くイメージが違ってくるでしょう。

 そのように言葉にはそれぞれの持つ伝達力があります。同じ内容のものだからと言って均一には使えないのです。特に俳句のような短詩型文学では言葉数が少ない分、よくよく吟味して使わないといけません。ましてや俳句の命でもある季語に関しては言わずもがなですよ。

 実はこの「いたち草」というのは連翹(れんぎょう)のことなんです。なぜかは分かりませんが、この呼び名は昔からあって…。皆さんはあの花を見て〝イタチ〟を想像できますか。実際の句をここには掲げられませんが、こういうことも考えて、季語だけでなく言葉を選んで下さいね。

 さて、この日は、桜紀行の続きを書こうと思ったんですが、実は知人に誘われて、湯田温泉のユウベルホテル松政で行われた「第29回中原中也賞」の贈呈式へ出かけたんです。忘れないうちにそちらの方から先に書くことにしましたので、よろしく。

 ホテルの写真はお借りしました。スミマセン!他の写真は、遠くからのスマホで、ボケていますが、悪しからず。

■JR湯田温泉駅より徒歩13分。湯田温泉バス停より徒歩0分。

 中原中也がここ湯田温泉の出身で、有名な詩人であることは皆様ご存じですよね。優れた現代詩集を対象とした、新人の登竜門とも言われている「中原中也賞」。その今年の受賞者が、若手俳人としても有名な佐藤文香さんだったんです。彼女の初めての詩集『渡す手』(思潮社)がそれでした。

 佐藤文香さんの受賞のことばの中に、彼女が詩を作る過程が述べられていて、興味深く読みましたので紹介しますね。これは俳句を作る時も同じかも…

 〝暇なので歩きます。生き物の名前や街角のムードを書き取って、電車や家でつなげていきます。あるいは、おでこあたりに湧く音を写すように指を動かすと、愉快な文字が現れます。言葉たちを捕まえたら、元気なうちに整列させ、グループをつくっていきます。ヤツらは隊列を組んで走ってくることもあります。そういうときはもう、ずっと指の運動です。胸が息を忘れます。〟と。

 
 
 また、文香さんは会見で、俳句で使う季語を詩集に盛り込んだ点に触れ「言葉が持つきらめきを効果的に生かすことを考えてきた成果を現代詩集で表すことができた」とも語ったそうです。
 受賞作は24篇構成で、日常生活の目に見えるものや内面を写生したという。更に先程の受賞のことばの締めくくりとして、〝日本語の見せる景色、聞かせる音のさまざまなパターンを、これからも念じて製造していきたいと思います〟と書いておられます。もちろんこれは詩に限ったことではなく、〝日本語〟の係わるあらゆる文学的分野でのことでしょうから、頼もしい限りですね。本当におめでとうございました。  
 
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桜紀行 その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」

2024年04月28日 | 日記

 一昨日はやっとのこと〝菜種梅雨〟の合間の快晴で、溜まっていた洗濯物を目一杯干しました。車に乗るとナント31度もあって、エアコンがガーガーと回りっぱなしだったんです。ところが、次の日はもう雨。するとまた今日は晴れなんですよ。でも明日がまた雨という…いやはやこのところお天気様に振り回されっぱなしで、この異常気象には体の方も悲鳴を上げています。

 さて、先日の〝桜紀行〟の続きを書かないといけませんね。それでは、〝三春の滝桜〟を観てからの以後の行程を…。

 この日の宿泊は、五色温泉の「メルキュール裏磐梯リゾート&スパ」。三春からここまで約1時間ほど。ホテルに近づくにつれ磐梯山がバスの窓からよく見えました。

 このホテルはあの有名な〝五色沼湖沼群〟の近くで、ホテルに着いてから時間がありましたので、その五色沼でも一番大きな「毘沙門沼」まで歩いて散策に出かけました。この沼は確か、コロナ流行の前年に友人と東北へのツアーに参加したときにも来たことがあります。あの時は11月でしたが、まだたくさんの観光客で賑わっていて、紅葉が美しかったのを覚えています。今回はまだこの辺りは雪がたくさん残っていて、大して見るべき物も無くとても寂れていてビックリしました。これもやっぱりコロナの影響なんでしょうか。

 以前にもすぐ気が付いて写真を撮りましたが、毘沙門堂と秋櫻子先生の句碑です。表に〈水漬(みづ)きつつ 新樹の楊(やなぎ)ましろなり〉、裏には「昭和十三季仲秋. 磐鏡園主人 秋山義次建」と。

 雪解け水で沼はとても冷たくて…見ると点々と若緑のものが…それは小さな蕗の薹でした。

 以前は気が付かなかったのですが、ここには磐梯山が噴火したときの日本赤十字社の記念碑もありました。平成元年に、噴火百周年記念の「日本赤十字社平時災害救護発祥の地」の碑として建立されたものです。

  

 このホテルは、以前は「アクティブリゾーツ裏磐梯」と言っていたのが外資系のホテルになったのだそうです。だからか夕食のバイキングにはその種類の多さと多彩さには驚かされましたし、お酒類は何でも飲み放題の無料でした。

 しかし、ホテルの何処へ行くにも広すぎて…お風呂から部屋へ戻るのにも歩いて歩いて…でしたから、歩数計が1万歩を超えていましたものね。

 では、続きはまた今度… 

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きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟

2024年04月21日 | 俳句

 本当は今日は、桜紀行の続きを…と思っていたのですが、ちょっと先に書いておきたいことがありますので、それはまた次にします。よろしくね。 

 実は、令和6年度〝きらら俳句教室〟の第1回目が昨日あったんです。昨年度より2名増えての13名でのスタート。それにお世話して下さるレンジャーさんも交替して今年度はHさん。彼女は以前この教室が始まった令和2年に入会して2年ほど一緒に俳句を作りましたので、とても心強いです。

 考えてみればこの〝きらら俳句教室〟も今年で4年目に。何だかあっと言う間でした。毎年公園の同じような所を吟行しているのですが、季節季節で、またその時々で全く同じということがありませんし、だから同じような句にも出会ったことがないです。それだからいいのかも知れませんけどね。

 さて、その俳句教室のことは今回は置いといて、今日は「きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟」のことを書きます。それはレンジャーのHさんが担当している5・6年生の〝子どもレンジャークラブ〟の今日のイベントに俳句教室をやってほしいと頼まれたからなんです。

 今日の活動目標は、「季節のうつりかわりなど小さな変化に気付く」ということで、公園を見て回って気付いたことを俳句に詠もうというものでした。

 参加者は宇部や山口からの子どもたち23名です…〝俳句作ったことある?〟と聞くと殆どが〝ハ~イ!〟と。〝じゃあどうやって作るのかしら〟と言うと、〝五七五で…〟〝季語がいる…〟と答えてくれます。以前子ども夢教室での3、4年生はたくさんやりましたが、やっぱり5、6年生は違いますね。

 黒板に〝斑〟と書いて読める人と言うと〝まだら〟と。じゃあ〝斑猫〟と書いたらなんと…みんな首を傾げています。私がまだ俳句を始めたばかりの頃、この読み方や意味が分からずに〝まだらねこ〟と読んでヘンなの?と思った話をして、その読みを〝はんみょう〟…と言った途端、何人かの男の子たちが〝知ってる!〟と手を上げてくれました。〝とってもキレイな虫で、近づくと前の方へ飛んで…〟と説明する必要が無いくらい。さすがは〝子どもレンジャー〟だとビックリしました。幼い頃から自然に親しみいろんな生き物への洞察の眼を持った子どもたちがどんどん増えていけば、そしてこのような子らが成長して大人になったらきっと自然を大切にしてくれるのではと思うと、未来も明るくなって平和な日本になりそうで…と頼もしくなりました。

 10時から外へ出ていろんな物を見ながら…昨日も同じコースを歩きましたが、子どもたちが関心を持って見るのと大人たちとは全然違いますね。草や花よりも虫などの生き物が好きで、中にはカニを見つけて捕まえる子も居ました。

 私が出る前に…秋に実がなる〝グミの花〟と秋に花が咲いてもう〝グミの実〟になっているものが、今日は両方見られるのよと話したので、子どもたちはそれを一生懸命探していました。そして、やっと見つけると…みんなで取り合いこです。食べる子もいて…まだ酸っぱいんですけどね。

 11時前教室へ戻ってきて、早速俳句作り…できたらそれを短冊に書いて黒板に貼ります。それをみんなでいいと思う句を2句選びました。

 その結果、次の〈ダイサギのくちばし青し夏が来た〉〈ぐみの実はグミの味からほどとおい〉〈タンポポは太陽みたいにあざやかだ〉〈ウグイスのきれいな声はあそこから〉の4句が最高点になりました。

 どの句も今日のテーマの〝季節のうつりかわりに気付いて〟素直に感じたことを詠んでくれていますよね。他の句もそれぞれのいいところを鑑賞して、最後に私が〝みんな才能アリ!〟と言ったら大喜び!拍手で無事12時に終了しました。帰るときに子どもたちから〝楽しかった!〟とか〝ありがとうございます!〟と言ってもらい…とても気持ちよかったです。こちらこそありがとうございました。

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桜紀行 その1 三春の〝滝桜〟

2024年04月19日 | 日記

 今年はあっと言う間に桜前線が通過していきました。散々気を持たせていたかと思うと、突然暑くなって一気に開花でしたね。その挙げ句に今度は強風が吹き荒れてあっと言う間に散ってしまいました。まるでその時の私の〝こころ〟のように…

 皆様、ご無沙汰致しました。前回のブログからナント2週間以上も…、こんなに間が空いたのは始めてのことです!しかし、そんなブログにもかかわらず毎日閲覧して下さっている方々がいらっしゃったのをみると、本当に感謝、感謝です。

 この間が忙しかったという理由だけならいつものこと。どうってことないんですが、実を言うと強烈な精神的ダメージを受けて書けなかったんです。長い人生のうちには心が打ちのめされることって何度かはありますよね。が、今回は今までにないほどのダメージを受けてしまいました。ここにその詳しい内容は書けませんが、何十年も信じて付き合ってきた人に裏切られるという…まあ、考えてみればそれも昔からの〝仇も情けも我が身から〟ということかもと反省しています。しかし、それが見抜けなかったという自分にも腹が立って落ち込んでしまったのです。ちょっと大袈裟だったかしら。でもそれぐらいのパンチを、それもダブルで受けたんですから…やはり私には耐えられないことでした。だからこんな気持ちでは到底筆を執る気にもならず、全てが空しくって…哀しい!(; ;)…

 しかし、毎日こんな気持ちで鬱々と過ごしてもいいことは何ひとつありませんし、また、報告すると約束した記事を待っていて下さる方がいるのだと思えば…と気を取り直して重い腰を上げました。くどくどと泣き言など言って…ゴメンナサイ!

 それでは、先日行って来た〝上信越・南東北(福島・新潟・長野)ぐる~り3県7つの桜名所めぐり4日間〟の桜紀行を報告しますね。写真も沢山ありますし、長くなりますのでちょっとずつ分けて書きますから読んで下さい。

 先ず初日(4月7日)は、ANAの始発便で山口宇部空港から羽田へ。10時第1ターミナルに集合、一路バスで「三春の滝桜」へ。

 以前退職したら主人がキャンピングカーを買って、二人で全国の桜を観て回ろうという遠大な願いを持っていたんですが、いつの間にかその夢もどこかへ…。更に義母たちがこちらへ来てからは、旅行といっても一緒に近場のところへ行くだけでした。それが昨年102歳の義母を見送って、それなら念願の桜を今年は観に行こうという計画を立てたのでした。もちろん車で観て回る元気はもうありませんので、どこかのツアーを探してのことでした。最初は今年の桜は開花が早いという予想でしたので7日ではもう遅いかしらと思いつつ、7ヶ所も巡るんだから運が良ければどこかは満開かもと期待を膨らませながらの申込でした。ところが、ガイドさんの話では4月に入ってからの意外な寒さでこの滝桜はまだ咲いていないかもと…。

 東京では満開の桜とスカイツリーを横に観ながら高速を走って行きましたが、福島県の三春に近づくに従い、道々のシダレザクラは殆どが開花前…。ところが、この日が20度を超すというナントも暑い日でしたので、もしかしたらと思ったら…まさに今日開花宣言が出たという…ヤッター!です。もちろん2、3分咲きでしたがそれでも大感激でした。

 東京はやや曇り空、でも三春に近づくに従って快晴でしたよ。バンザイ!

 この「三春の滝桜」は、福島県の三春町に樹齢1000年を超える桜の巨樹で、三春ダム湖の東岸にあり、エドヒガン系のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)です。岐阜県の根尾谷薄墨桜、山梨県の山高神代桜とともに、日本三大桜の一つとされています。樹高13.5m、根回り11.3mの巨木には、四方に伸びた太い枝から薄紅色の小さな花が無数に咲き、その様子が滝が流れ落ちるかのように見えることから滝桜と呼ばれたといわれています。大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。皇居宮殿の正殿松の間を杉戸絵「櫻」(橋本明治画伯)や、赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」(千住博画伯)が、滝桜をモデルに描かれたことでも知られています。令和4年(2022)10月12日には国の天然記念物に指定されてから100年目を迎えました。

 それでは三春の「滝桜」をどうぞ…まだこの程度でもやはり迫力がありました。ぐるりと一周して色々な角度から写真を撮ってもどれもみな格好がいい!さすがは日本三大桜のひとつです。もしこれが満開だったらと思うと…でもこれぐらいで満開を想像して観るというのもまたいいかも。1時間ほどそこにいて最後に振り返って見ると、その間に最初より少しピンクが濃くなっているような…。するとこの2、3日後に行った人はきっと満開が観られたでしょうね。羨ましい!

 帰り道に満開の時の写真が売っていました。

 それでは、この続きをお楽しみに…

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今日はいづこも〝花の雨〟ですかね!

2024年04月03日 | 俳句

 今朝起きると天気予報通り…小雨ではなく結構降っていました。それに、ゴミ出しに行くと、今度は傘が吹き飛ばされるくらいの強風ですよ。

 一昨日、昨日と俳句教室へ行きましたが、やっと開き始めた桜を見ながら、この調子ならもう2、3日もしたら満開になるかも…などとウキウキしてたんですが。

 こちらではまだ2、3分ぐらいですからまだいいのですが、これが満開の所だとするといっぺんにダメになるかも知れませんね。桜の一番の見ごろをいい天気で目にするのはなかなか難しいこと!

 テレビではあちらこちら満開の桜が映し出されています。が、今日は西日本から東日本にかけて全国的に雨のようですもの。これぞ〝花の雨〟でしょうか。

  手を引いてやる母は亡し花の雨   大木あまり

 確かに去年は義母の手を引いて花見をしましたのに…身に沁みますね。〝花の雨〟だからこそ余計に。あのふっくらとした手の温かさがまだ残っています。

 ところで、一昨日の兼題が〝四月馬鹿〟でしたが、面白い句が出ていました。〈腑に落ちぬことも飲み込み四月馬鹿〉という句。採った人は〝世の中には納得できないことがたくさんあるが、それを飲み込んでガマンするしかない…四月馬鹿ならいいが…〟という気持がよく解ると。〝これは作者のこと?なら何か手がかりになる具象が欲しいわね〟と言うと、作者が〝実はこれは大谷翔平のことを詠みました〟ですって!それは想像できなかったわと、みんなで大笑い。おまけに同じ作者のもう一句は〈とぼけても褒められてをり万愚節〉。〝今度は翔平の奥さんの真美子さんのこと…〟と。ホントにあの事件は青天の霹靂だったでしょうから、これがまさに〝四月馬鹿〟のニュースだったとしたらよかったのにね。

 今年になってからは余りいい話題がなくて…この一年が思いやられます。政治にしても経済にしても、このどんよりとした重い空気を吹き飛ばすような明るいニュースはないのでしょうか。そういえばパリ・オリンピックの開催までもう4ヶ月を切りましたよ。以前のように心がちっとも躍らないのはなぜでしょう?そりゃあ前回は東京での自国開催でしたから当然でしょうが、それ以外の時でも胸をワクワクさせて楽しみに待っていたんですけどね。皆さんはいかがですか?

 話が変わりますが、ネットを見ていたら次のような言葉が目に留まりました。〝自分が買ったワンピースの値段で、子どもが売られていた現実。(その値段はナント一万円ですって!)日本の大学生が設立した「かものはしプロジェクト」とは?〟

 このようなことが後進国で起っているということは今まで知らなかった訳ではありません。この「かものはしプロジェクト」という名もどこかで見かけたことがあるような気がします。今回詳しく読んでみて…次のような思いで応援をしてみようかと。その時のメッセージですので、読んでみて下さい。

「だまされて売られる子どもを守りたい。」かものはしプロジェクトの応援をはじめました。

私の大学時代の友人が生涯を掛けて、カンボジアの小学校設立のプロジェクトに携わり支援していましたが、昨年末亡くなりました。
私もカンボジアには観光で行きましたが、貧富の差が目に付きました。また、子どもたちの物売りが観光客に商いする姿を見ては、戦後の日本を見る思いでした。ましてや女の子が性商売の奴隷にされて売られるというのも、嘗ての封建時代の日本です。常に貧しいが故に…そういう環境に生れてきたが故に理不尽な生き方を強制的に…いや暴力的にさせられるという…そんな社会が許せません。しかし、それをしているのも同じ人間であると言うことにも腹が立ちます。弱い人たちを虐げて甘い汁を吸っている人間たちにも腹が立ちます。でも何も出来ない自分が悔しくもあります。そういう現実に立ち向かって闘っている若い人たちを少しでも応援したいという気持です。
子どもが売られる問題については、こちらから知ることができるので、よければ読んでみてください!
http://bit.ly/2wpnIwe

 関心のある方は是非読んであげて下さい。以前もユニセフや赤十字、東南アジアの子どもたちの学業を支援するという寄付をしてきましたが、ホントに本当に微々たるものです。でも、何かせずにはおられないという…そんな気持です。でも、またそんな善意の人々を騙す人もいるという…コワい世の中でもありますから、気をつけましょう。いや、気をつけますね。

 写真は、「かものはしプロジェクト」からです。

      

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『早苗のあゆみⅡ』が出来ました!エエッ、〝四月馬鹿〟?

2024年04月01日 | 俳句

 昨日は3月31日…〝三月尽〟でした。以前にも書きましたが、これは陽暦の三月の最後の日ということで、陰暦の三月最後は〝弥生尽〟。三月と書いても〝やよい〟と詠めば陰暦の三月のこと。

 結局どちらかをはっきりして詠まないと、詩情が違いますので混乱しますからね。だって、〝やよいじん〟ということなら、これは春という季節が終わるということですから〝惜春〟の情が中心になります。しかし、〝さんがつじん〟といえば、これは年度の終わり。学校では新学期がすぐで、進級やクラス替え、先生の異動なども、今から春たけなにという雰囲気でガラリと変わりますもの。役所や会社などでも退職者と新入社員などと、人事異動もありますから。その辺のところをよく見極めて季語を選んで欲しいですね。

 以前この季語で詠んだ人に聞いてみると、字数がちょうど良かったからとか〝やよい〟と言った方がかっこいいからという。内容がそぐわないものだったら却って違和感が生じて、その句をダメにしてしまいます。俳句を始められる方が、古語が魅力的だと思われるのは嬉しいことですが…。

 確かに俳句は短詩型文学ですので文語(古語)が似合います…が、使い慣れない分十分に意味を吟味して使ってほしいものです。生半可な耳学問でよく聞くからなどと安易に使用しないこと。後で〝これ、歳時記で調べましたか?〟と聞くと、殆どいいえということが多いんです。

 特に初心者の方は、古語であろうと歳時記であろうと、言うなら今無意識に使っている言葉であっても確かめてみること。これが上達するための先ず一歩でしょうか。

 今時の季語に〝百千鳥〟と言うのがありますが、それを以前〝たくさんの千鳥〟と思って使われた方がいてビックリしました。こんなことは初心者教室ではざらにあって笑い話で済むんですが、ある程度やっておられる人には恥になりますからね。

 ところで、昨日昨年のブログが送られて来ていましたが、それを見ると…懐かしいことが…。私がフォローしています〝徒然さやか日記〟のさやかさんに初めてお目に掛かった日でした。その時(2023・3・31)の「〝ブロ縁〟と言っていいのでしょうか?」の記事を見て頂くと分かりますが、家族みんなで蟹料理を食べに行った…それもこの日をもって店仕舞いをされるという叔父様の店へ。そこでさやかさんともお会いできたんです。

 でも、その時はまだ義母が元気で…おいしいね!と言ってモリモリ食べていました。まさかその7ヶ月後に亡くなるなんて…思えばもう随分昔のことのように思えて、〝去る者日々に疎し〟なんでしょうが、淋しいですね。でもいい想い出です。また、その時に書いていましたが、「早苗」の終刊に向けての運営委員会でその日広島へも行っていたんです。

 昨日もそう、「早苗」のために広島へ行って来ました。でも違うのは、今回が最後ということ。その「早苗」のお別れ会で、やっと出来上った『早苗のあゆみⅡ』を皆さんにお披露目することができたんです。

 以前の『早苗のあゆみ』は、創刊号から700号までの約60年近くを纏めたものですから、その膨大な資料の量でそれはそれは大変でした。その時のことを思えば、今回は701号から900号までの17年足らずですから…。でも以前は若かったし、やる気満々だったからでしょうか。それ程苦にはならなくて、忙しくも却って充実した日々の中で出来上るのが楽しみな程でした。今回は年を取ったから何するのものろくて時間が掛かってしまいますし、お婆ちゃんの介護とも重なっていて、とてもしんどかったんです。おまけに今度は終刊に因んでの座談会を行い、それを編集して載せましたので、益々大変でした。なんせ一日がかりの座談会でしたからテープ起しをしてくれた人も大変だったでしょうが、そのボリュームを、30頁に纏めるという気の遠くなる作業で…でもまあ、皆さんに読んでもらって面白いと言っていただけましたから本望です。やった甲斐もあるというもの。

 私が40年近く「早苗」でお世話になり、今日まで育てていただいた、そのご恩へのお返しが少しでもできればと思ってしたことですもの。思い残すことはありません。

 ところで、今日は4月1日。俳句では〝四月馬鹿〟とか〝万愚節〟などと詠みますが、実は今日の午後からの教室の兼題がまさにこれ。他の教室でも確かこれが兼題になっていたような。さて、さて、どんな面白い句にお目にかかれるか、楽しみです。それはまた書きますね。できれば今月はUp回数を増やしたいと思っていますので、よろしく。さあ、ガンバロウ!

 

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〝年寄りの冷や水〟?それとも〝好期幸齢者〟?

2024年03月30日 | 日記

 昨日に続き今日もいいお天気で暑いくらい。車に乗ると23度を示して、エアコンからは涼しい風が吹き出てきます。この暖かさでは桜のつぼみが一気に開き始めるでしょうから、ときわ公園の桜が満開になるのも4月の初め頃でしょうか。4月5日に恒例の吟行会をときわ公園で行う予定ですので、きっと一番の見ごろになるかも。これは楽しみです。

 さて、昨日はラジオ体操の参加者で、毎年花見をしてきたんですが、その大きな桜の木が昨年伐り倒されてしまったので、今年は代わりに〝みんなの鼻でも見て体操の輪を広げよう〟ということで、〝鼻見〟親睦会を開きました。

 いつものラジオ体操を終えて、会館の二階で総勢18人が集合。注文していた花見ならぬ〝鼻見〟弁当を開いて、みんなで和気藹々と…

 その食事が一段落すると、今度は〝頭の体操〟をしましょうということで、連想ゲームが始まりました。回答者になった人がみんなから出されたヒントで答を当てるゲーム。これがなかなか高齢者には難しい。問題が「ゴジラ」や「ウサギ」などの時はよかったのですが、「恋」とか「青春」とかになると…ヒントもあやふやでなかなか正解になりません。中でも一番傑作だったのが、「青春」のヒントで、〝今の私〟とか〝幾つになっても〇〇!〟とかが出た後に、Oさんが〝胸がドキドキ〟と言うと、即座に〝心筋梗塞〟と答えたのにはみんな大笑いです。それぞれ誰もが身につまされる年齢ですからね。そんな笑いの中で更にもう一つ…と世話役のNさんが持ち出したのは小豆と容れ物と…それにお箸。そう言えばもうお分かりでしょうか?

 ほら、よくあるでしょう。脳梗塞などで不自由になって、そのリハビリにお箸で豆を抓む練習をするのがあると。それを2チームに分かれて、豆拾いリレーなんです。最初は小豆を5粒抓んで他の容器に移し次の人へ。行き着いたら今度は大豆に変えて、また同じようにリレーしていく。やってみると意外と難しいんですよ。特に小豆の方が…結局、前半後半で勝ちと負けが同じということで引き分け。それで全員が賞品を貰いました。

 というわけで、体も頭もしっかり働かせて、…最後の仕上げはボーリング。これは全員ではなく有志でしたが。私と主人は久し振りのボーリングに参加して楽しかったです。

 写真はお借りしました。ゴメンナサイ!なんせ投げるのが必死で…でも、米寿に近い人も投げるんですからね。負けてはおられませんよ。アハハッ…

6月22日はボウリングの日!ボウリングの歴史と健康メリット(季節 ...

 エエッ、結果は?ですって…ハイ、今日はその掃除のし過ぎで体がガタ、ガタなんですよッ!これでもうお分かりでしょう。これを〝年寄りの冷や水〟なんて笑わないでくださいね。

 ほら、今年米寿を迎えられた高田宏成氏の著書・『あなたになってほしい好期幸齢者、これからが本番のワクワク人生戦略』(Kindle版)ですよ。

 その本の中には〝これまでの人生は「助走」で、これからが本当の幸せを意識して行動する「本番」人生です〟と書かれているのだとか。氏はクラーク博士の名句「少年よ、大志を抱け」をもじって「好期幸齢者よ、大志を抱け」として米寿記念出版されたものなんです。著者の大志(夢)は「一燈照隅(いっとうしょうぐう)、万燈照国(まんとうしょうこく)」なんですって。もともとは半世紀以上も企業の問題解決を業としてきた経営コンサルタントなんだそうです。

 いい言葉ですね。私もこれからはこの「好期幸齢者」を使わせて貰おうっと。要するに何を始めるにしても〝思い立ったが吉日〟ですし、〝今が一番若い〟んですからね。じゃあ私もまた4月から心機一転してガンバリましょう。応援ヨロシクお願いしますね!

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宮島で10年ぶりの同窓会をしました!

2024年03月29日 | 日記

 新幹線を降りて新山口駅から外へ出ると、小さな雨粒がポツリポツリと…。こりゃあ大変と急いで駐車場へ。車に乗り一路山口宇部道路を走らせていると、次第に雨脚が強くなっていきました。

 家に着く頃にはナントものすごい土砂降り…おまけに家へ入ろうと傘を差した途端に〝グァシャ~ン、ガラガラ、ドーン!〟と雷が…。ビックリして差し掛けた傘を慌てて閉じて家へ一目散…それでずぶ濡れ。

 雨を拭いながら居間へ入ると、主人が〝雨女さん、お帰り…〟と、ニヤニヤ笑いながら言う。その嫌みな言い方に私もすかさず、〝二日間雨に降られて、いい気味と思ってるんでしょう。残念でした!傘はほんの少し差しただけ…男性群なんか殆ど差さずに歩いてたわよ。終わり頃はお日さままで出て…〟と言うと、〝うそじゃろ、ホントか?〟と信じられないという顔。

 そうなんです。この24日~25日前後にかけての天気予報は、どこをどうひっくり返しても全国的に雨、雨。雨。要するに〝菜種梅雨〟なんだと。

 だから、広島の先輩からも今回の同窓会が終わって〝晴女の神通力も効かなかったようですね〟という慰めのメールなど頂いたりして…。殆どの人が今回ばかりは雨に降られて…と思ったんでしょうね。でも、本当に不思議なくらい私たちが歩く時は雨が止んでくれて、何か乗物に乗るとその間に降るんです。こんな経験が私には何度もあるんですが、話しても信じて貰えないことが多い。しかし、行動を共にしたことのある人はみんな信じてくれますよ。今回もそれを実証しましたものね。

 ところで、大学の同窓会は女性は9年ぶり。男性は10年ぶりでした。私がお世話するのももうこれが最後かもと、懐かしい広島でやったんです。いつも男性群の幹事を引き受けていたYさんが昨年亡くなられ、それで彼やその他の亡くなった同級生たちを偲び、想い出を語ろうということで企画したもの。今年は桜も例年より早いという予報で、宮島に宿を取ったのでした。でも結局来られたのは8人、男性3人と女性5人だけでした。

 久し振りですので私もいろいろ計画したんですよ。それなのに…全て当てが外れました。何度天気予報と開花予報を調べたことでしょう。最後は桜は諦めて、せめて天気だけでも…私の〝晴女〟というお加護を信じてまさに神頼みの心境でした。だって、宇部を出るときは降ってなかったんですからね。

 広島駅に12時集合。さてと見ると、…やっぱり降ってましたのでタクシーで平和公園へ。小雨の中をとにかく休憩所へ行き、そこで広島の有名な〝お好み焼〟を食べました。本当は鉄板で焼いたのを直に食べたかったのですが、なんせ昼時の混雑は酷いもので、1時間待ちは当り前。席は予約出来ないがテイクアウトならいいというので、焼いてもっらていたんです。

 なぜそんなに時間が無いのかというと、宮島へ行くひろしま世界遺産航路の船が14時出発で、以後は潮の関係で出ないというから。さて宮島まではゆっくりと45分間の船の旅。これで桜が咲いてたら最高なのに…と言いつつ、元安橋から出発して、原爆ドームや平和公園を眺めながら雨に煙った海へ。でも景色はそっちのけでお喋りに花が咲いてたら、途中から横殴りの雨になり、宮島に着いたらこれはまた大変だわと思いながら…。

 写真を撮る余裕がなくて…下の写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

航路イメージ

map

れいら

 でも、もうこうなったらやけくそ!泣いても笑っても…と腹を括っての宮島上陸ですよ。しかし、タラップを降りる頃にはまたもや小雨。男性群は〝春雨じゃ、濡れていこうか…〟と傘も差さず。でも、本当に傘も差さなくていいぐらいの宮島だったんですよ。ほら、こんなに潮が引いて…。ところで、私たちが帰った次の日にここでフェリーが座礁してニュースになっていましたよね。ビックリです。

 完全に潮が引いて、たくさんの人が大鳥居の傍まで下りて行ってました。でも、やっぱり桜は残念ながらまだ。荷物は宿の車で運んで貰っていましたので、私たちは〝銀ブラ〟ならぬ〝宮島ブラ〟で、商店街を抜けて宿まで歩いて行きました。

 16時過ぎ宿に到着。それ以後のことは…ご想像に任せて、翌日のことを。ナント、晴れ…とまでは言えませんが、雨はすっかり上がっています。また、昨日よりは暖かい。見ると昨日大きくふくらんでいた宿の前の桜が、今朝は2,3輪開いているではありませんか。ヤッター!です。

 3枚目のは満開の頃の写真をお借りしました。ゴメンナサイ!

宮島の写真

 さて、朝食が済むとまたの再会を約し、それぞれの予定で一応宮島で解散。しかし、6人は一緒に広島駅へ行くので、そこでまたコーヒータイムでのお喋りを。

 男性群と分かれて私たち3人は、東京へ帰る友人が元大学のあった所へ行ってみたいというので、今度は懐かしい路面電車に乗って行きました。嘗ての面影を残した校門のフェニックス…これが大学のシンボルで校章にもなってました…でもこんなに伸びて高くなっています。これこそが卒業してからの年数なのよねと、感慨一入。また、四季折々に美しいメタセコイアの並木も残っていました。ここは〝森戸道路〟と言って、なぜかここを歩くと誇らしい気分に…これも変わってないわね!と、懐かしいこと。

 そう言えば、確か卒業式の日、新聞社の人にこの校門で記念写真を撮ってもらい、それが新聞に掲載されたことがあったのよ…と。でも、その時の3人娘とはメンバーが違うけど、気分は同じ。ほらやっぱり〝三人娘〟でしょう!(笑)なんちゃって、パチリ!

 今は公園になっている校内に洒落たレストランを見つけてお昼です。懐かしさの味も加わってナント美味しかったこと!外を見ればお日様までキラキラと…。

 ほら、言ったでしょう、私〝晴女〟だって。すると彼女らも〝私だって〟と。そう、なら男性群がみんな〝雨男〟だったのかもね。しかし、私たち〝晴女〟の方が多かったからこの程度で済んだのよね。…ということで、同窓会も無事終わり、メデタシ、メデタシ!でした。

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彼岸の〝お中日〟なのに…大荒れでした!

2024年03月20日 | 俳句
 今日は彼岸の〝お中日〟で、〝春分の日〟でした。昔から〝暑さ寒さも彼岸まで〟と言われているのに、ナント、ナント寒くって大荒れの天候でした。
 義母が亡くなってもうすぐ5ヶ月。元気なときはお婆ちゃんはこの日は必ず広島・本照寺の彼岸会に出かけて、お墓参りを欠かしませんでしたから、今年は代わりに主人と私がお参りに行きました。
 しかし今日は、気象庁の天気予報では西日本から東日本で明日にかけての大気の状態が非常に不安定になるとして、20日は、落雷や竜巻などの激しい突風、急な強い雨、ひょうに注意を呼びかけていましたし、西日本の日本海側と東日本の山沿いでは大雪の恐れもあるとか言っていました。
 それでちょっと不安でしたが、11時からの法要に間に合うよう8時に宇部を出発。その時の宇部はナント日が差していて、これは予報が外れたのでは?と思ったほどだったんですよ。ところが、高速に入って佐波川SAに着いた頃には小雨が降り出し、それがやがて雪混じりになり、気温も6度前後と…寒いったらありゃしない!でも、向こうの方を見ると山には日が差しているところもあったりして…何という天気でしょう。何だか私たちが頭上に雪雲をどっかり乗せて、それを引き連れて走ってるみたいでした。
 普通「彼岸」というとやっと穏やかな春めいた気候になったと思って、それを句にすることが多いようですが、悪天候の方が却って類句にならずに詠みやすいのかもしれませんね。例えば次の句のように…
  あしたより降り驚かす彼岸雪    森澄雄
  彼岸中日は昨日となりしを雪が降る 細見綾子 
  彼岸荒れ帽子がとんできたりけり   百合山羽公
 とにかく寒い!広島に着くと雨は土砂降りに…そうかと思うと、法要の途中からは窓に日差しが見えたりしたのでホッとしていると、またすぐに雨が降りだし…それも何だか霙のような…
 今回はコロナでしばらく無かったお斎(とき)が出ましたので、それを頂いて外に出ると、またもや雨でした。風も強くって帽子が吹きとばされそう!まるで次から次に天気が変わって…日替わりメニューのようでした。
 実は今回は他にも用があって広島へ来たんですよ。それは、この24日から一泊で、大学の同窓会を開くための下見を兼ねて来ていたんです。
 私があれこれスケジュールを考えたものの、それほど広島に詳しくはないし、体が不自由な人もいるので、時間的に無理があるのでは…と心配になり、お彼岸で広島へ行く序でに下見をしておこうと考えたのでした。
 やっぱり下見に来て良かったです。だって広島駅は今大きく変わろうとして周りは工事中ばかり。かって知っていた広島駅はもうどこにもありませんもの。久し振りに来る人たちもきっと何が何やら分からないでしょうし、おまけに皆後期高齢者ですものね。とにかく、12時集合で14時には船で宮島へ行かなくちゃいけませんし…ねッ。
 無理のないスケジュールを立てたつもりですが、思い通りに行くかどうか心配。その上お天気が…予報では雨のち曇だと、心配だらけです。ここでは私の〝晴女〟も通用しないかもと…。まあ、下見ができたので少しは安心しましたが…それはまた次にご報告しますね。
 広島の写真は暴風雨で撮るどころではありませんでしたので、先日誕生祝に行きたいと息子が言っていた防府の「ウミコヤ38」の写真です。防府市にある道の駅「潮彩市場防府」の傍にある「牡蠣好きが集まるカキ小屋」で、全国各地から、その時期最高の牡蠣が年中集まるのだとか。11-5月までは牡蠣小屋として、6-10月までは丼屋に変身 するんだそうです。
 主人と息子は牡蠣をバリバリと、私は牡蠣に弱いので、他のものを…エビやウインナー、じゃがバターなどが美味しかったです。ゴチソウサマ!
 
 
 
 
コメント (4)
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