折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

Fresh Air  By空倶楽部

2020-04-29 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


緊急事態宣言が出て以来、

休日の外出は朝夕のかのんを連れた散歩と

家内に付き添っての買い物だけだ。

ただ、買い物といっても、

かのんの夕方の散歩ついでに

近所のスーパーに寄るだけだから、

外出は日に二回に留めている。

外出が制限されるとストレスを感じる人も多いようだが、

買いだめした本を読んだり、古い映画を観たりと

今のところ暇を楽しんでいる。

一方で、少ない外出の機会も貴重で

物々しくカメラを持ち出して

今まで気づかなかった景色を探したりもしている。

今の自宅に引っ越してきて20年あまりも経つが、

自宅と職場の往復がほとんどだったせいか

振り返ってみると近所のことはあまり知らない。

それで、もの珍しい散歩の道中が楽しいのかもしれない。

 

さて、先週末の朝のこと。

Sony α7R3  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (50㎜ f/5.6,1/200sec,ISO100)   

 

自宅近く、川沿いの八重桜が満開となっていた。

並木道に差し掛かったときは先を急ぐかのんに引かれ、

桜を時折り見上げる程度だったが、

川と空を大きく見渡せる橋の上に出たところでふと足が止まった。

まぶしい快晴の空と、空の色が映り込んだ川面に映える八重桜。

そのブルーとピンクの取り合わせに心惹かれたからだ。

そしてその時、ふと、ひんやりとした川風を顔に感じた。

4月もあとわずか、日中には汗ばむほどの暖かさとなることもある。

けれども、早朝の気温はまだまだ低く10℃に満たない。

その気温の中でも尚、川面を渡って来る風はさらに冷たく感じる。

その風を大きく吸い込んだ。

たっぷりとした水の上を渡ってきた風なら

混じりっけがなく新鮮だろう、と思ったからだ。

そして、久しぶりの新鮮な空気の感触とともに

あらためてこの景色に見入ったのである。

 


タイトル「Fresh Air」のこと。

いきなりこの言葉を思いついたわけではない。

記憶の中にある刷り込みから出たもので、それがこの曲だった。

 

 Fresh Air  Quicksilver Messenger Sirvice

1960年代にウェストコーストの音楽シーンで活躍した

クイックシルバー・メッセンジャー・サービス。

ただ、活躍したといっても、

それを知っている人がいたなら、

洋楽ファンでもかなりマニアックな方だと思う。

(...というか、ほとんど「病気」に近いかも)

そして、「フレッシュ・エア」のこと。

当時のウェストコーストにはCSN&Yやイーグルスなど

世界的に名を馳せる「優等生」もいたが

一方でサイケデリックやシュールレアリズムなどと言った言葉が示す

どこかドラック体験が付きまとうグループもいた。

そのひとつがクイックシルバー・メッセンジャー・サービスで

この「Fresh Air」にしても、

歌詞をつらつらと眺めてみても

爽やかな朝の雰囲気ではないようだ。

「新鮮な空気」を想像した方の梯子を外すようだが、念のため。

 

 

 

 

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国境の風景  Across the Boaderline

2020-04-26 | 折にふれて

「折にふれて」とのタイトルをつけ、

写真日記として綴っているので、

季節感を大切にしたいところだが

この騒ぎで、旬な写真は枯渇。

これまでも出しそびれ写真を「置き去りにできなかった写真」と

言い訳がましくアップしたこともあったが、

この先はそんな写真が多くなりそうだ。

 

 2019.11.16 軽井沢見晴台(旧碓氷峠山頂)から  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/20,1/100sec,ISO100) 

 

旧碓氷峠山頂からの景色を見てみたいと思ったのは

学生時代のある思い出があったからだが  ( 「帽子」の風景 2019.11.19 )

一方で、ある曲を思い出すとともに

「国境」の風景を想像してもいた。

 

日本は島国だから国境は海の彼方にある。

つまり、国境の風景といっても正直なところピンとこないのだ。

けれども、遠く山並みが続くこの風景を眺めていたら

ふいに、その曲 Across the Boaderline が頭の中をよぎった。

そして、間奏に流れるスライドギターの

伸びやかな音色を思い出しつつ、

「国境の風景とはこんなものかな」と思ったりしたのだ。

 

 
 Across the Borderline    Ry  Cooder

 

道すべてに黄金が敷き詰めてある。

そんな場所があるって聞いたことがある。

ちょうど国境を越えた辺りなんだそうだ。

けれども、お前さんのために教えておこう。

見つけようと望むほど失うものも多いってことを。

 

荒れ果てた約束の地に着いたとたん

全ての夢はお前さんの手から滑り落ちてしまう。

その時になって決心を変えても

もう遅いってことを知ることになるだろう。

せっかくやり直そうとこんな遠くまで

金をかけてやって来たのにな。

だけど、お前さんはまだ国境を越えたばかりだ。

 

リオグランデのあちこち

砂の上に幾千もの足跡がついていて、

そこには誰もが明らかにできなかった謎が息づいている。

そして、河は人の生と死のはざ間を行き来するように流れていく。

さあ、言ってみろ。次に国境を超えるのは誰なんだ?

 

荒れ果てた約束の地に着いたとたん

全ての夢はお前さんの手から滑り落ちてしまう。

その時になって決心を変えても

もう遅いってことを知ることになるだろう。

せっかくやり直そうとこんな遠くまで

金をかけてやって来たのにな。

だけど、お前さんはまだ国境を越えたばかりだ。

 

そうさ、まだ国境を越えたばかりなんだよ

 

 

※ご訪問ありがとうございます。

 本日コメント欄閉じております。

 

 

 

 

 

 

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あふれ出る涙

2020-04-22 | 折にふれて

 

「置き去り」にできなかった冬の写真を今頃マヌケにも掲載。

 

福井県敦賀港 2019年12月21日  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/22,1/80sec,ISO100) 

 

小春日和の一日。

晴れ渡った空を眺めながら、つい口ずさみたくなる曲があって、

そのひとつがジャクソン・ブラウンの「Here come those tears again」だ。

愛する女性との別れのシーンを歌ったもので、

主人公の心情を歌詞から想像するなら、

悲しさが半分、そして苦しさも半分といったところだろうか。

いかにもジャクソン・ブラウンといった

青臭さや女々しさを気恥ずかしく感じたりもするのだが、

一方で、そのもどかしい表現に感心もしてしまうのである。

 

ところで、冬晴れの日にこの曲を思い出すのはいったいどういうことだろう。

 

初めてこの曲を聴いたのは学生時代。

その頃は、心のもつれを描いた歌詞だとも知らず、

いきなり伸びやかに流れ出すジャクソン・ブラウンの声に

ただウェストコーストの明るい空を重ねていただけのように思う。

ずいぶんと後になって、そんなノー天気な気分で聴く曲ではないと知ったのだが

快晴の空とこの曲の結びつきはこの年までついにほどけなかったという次第だ。

 

 
 Here Come Those Tears Again  Jackson Browne

 

また、涙があふれ出てくる

君のことを忘れようとしていたのに

君がいない夜の寂しさも乗り切れると思ったのに

すべてを乗り越えて強い自分にならなければと思ったのに

ホールに響く君の足音を聞いたとたん

また、あの涙があふれ出てくるんだ

 

今までがそうだったように

僕たちはまたここに立っている

たとえ君が出てゆくことを当然だと思えたとしても...ね。

だって、君はいつも決して戻らないような顔をして出ていくけど

結局は、今日みたいにまた戻って来るじゃないか

 

だけど今度ばかりは

ドアを開けて君を迎え入れることができそうにもないんだ

...ほら、涙があふれ出てくる

また、あの涙があふれ出てくるんだ。

 

君は僕に訴えるだろう

どんなに自由が必要だったかを...

今まで自分は努力してきたってことを...

そして、君は僕の前に立って説得しようとするだろうよ

「もうオトナになったから大丈夫...」ってね

 

また、涙があふれ出てくる

すると君は僕に言うだろう

元通りなら泣かなくて済むってね

...ほら、また涙が出てくる

そう、またあの涙があふれ出てくるんだ

 

もっと強くなって、元気な気持ちで

泣かずに君の顔を見ることができるようになったら

その時は、君を友達の一人と思えるかもしれない

でも今は、心を開いて君を受け入れることができそうにもないんだ

あの涙があふれ出てくる

そう、またあの涙があふれ出てくるんだ

さあ 行ってくれよ

僕は部屋に戻って明かりを消すよ

そして、君の姿が見えなくなるまで

暗闇の中に佇むだろう

 

邦題は「あふれ出る涙」だが、ただの涙ではない。

those tears とあるから、あの涙、過去に流した涙である。

歌詞のほとんどが現在形、もしくは進行形で書かれていて、

「あの涙」の事情にジャクソン・ブラウンは触れていない。

この曲が収録されたアルバム「プリテンダー」が完成する直前に

ジャクソン・ブラウンの妻フィリスが自死している。

そのことが彼の心によぎっていたのかもしれないが

はっきりしたことはわからない。

いずれにしても、過去の悲しい出来事をthoseという言葉に込め、

その解釈をリスナーに委ねたのだろうと想像している。

現に私自身もHere come those tears again というフレーズを聞くたびに

悲しかったことや苦しかったことを

「あの涙」として懐かしく思い出したりする。

痛みを伴った過去の出来事も

痛みが癒えて懐かしい思い出に変わることがある。

それが地味ながらこの曲に魅力を感じる由縁だと思うのだ。

そして、さらに思う。

昨今の禍もいつか「those」と言える日々となることを信じたい、とも。

 

※ご訪問ありがとうございます。

 本日、コメント欄閉じております。

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さくら、何もなかったように  By空倶楽部

2020-04-19 | 空倶楽部

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

心の記録として残すため、

それも残念な記録として

書き記しておかなければならないと思う。

金沢の感染者は昨日で173人に及び、

人口10万人あたりに換算した感染者数なら東京に次いで2番目となる。

ところが、感染者の大半が集中している金沢に限って言えば

東京の数字をはるかに超える。

こんなことに順位などつけたくないが、

この事実が石川県民の危機感、自重感に繋がっていることは確かである。

ともあれ数字の上では日本で最も危険視されるべき地域と言えるのかもしれない。

新幹線開通以来、首都圏はじめ各地との往来が増えたことが大きな原因だという。

そこに初期の油断が重なったのか4つものクラスターが発生し、

感染者数の広がりは依然として続いている。

 

さて、当然ながら、休日の外出はできるだけ控えている。

この時期としては残念だが、休日のわずかな息抜きと言えば早朝のかのんとの散歩。

人気のない川沿いや公園など

いくつかの散歩コースを一時間程度歩くだけだが

急に高まった緊張の中、桜の様子が心を安らげてくれていた。

Sony α7R3 Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (f/4.5,1/500sec,ISO100)    

 

その散歩の途中で見上げた空だが

どこに焦点を合わせたか、よくわからない写真(笑)

 

電子式ファインダー越しに空を眺めていたら、

ボケた桜の花が溶け込んで空の色を薄めているように見えてきた。

それで、絞り値を変え、肉眼で見る空の色と比較しつつ

何枚か撮ってみたのだが、

ピンボケはさておき、

私同様に桜の花が空に溶け込んでいくように

錯覚していただけたなら幸いだ。

 

そして、今朝も近所を散歩。

今年も、何もなかったように桜は散っていた。

 

さくらさくらさくら咲き初め咲き終り何もなかったような公園  俵万智

 

 

 

 

 

 

 

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伏見川散策

2020-04-11 | 抒情的金沢

 

早朝の伏見川河畔。

 

伏見川は隠れた金沢の桜名所(...と勝手に思っている)。

それでこの時期、週末の朝は川沿いの道を

花見を兼ねてゆっくりと歩くのだ。

 

この伏見という地名。

いや、伏見に限らず、金沢には東山、高尾、山科など京都に通じる地名が多い。

それは金沢の歴史に由来するのだが、

まず金沢と言えばすぐに思い浮かぶのは、加賀百万石前田家だ。

しかし、それは豊臣政権以降のことで、

その前は加賀一向宗(今でいう浄土真宗)の門徒が加賀一帯の地を治めていた。

これは日本の歴史の中でも「百姓が納めし国」として稀有なことらしい。

もともと加賀の地は守護職として室町幕府より遣わされた富樫氏が治めていたが

一向宗を弾圧したことから加賀一向一揆に発展し、逆に富樫氏は滅ぼされてしまった。

それ以降、織田信長配下の佐久間盛政に滅ぼされるまで「百姓の国」は百年にわたって続いた。

話が脱線して長くなったが、元々富樫氏は京が発祥。

加賀を治めてからも京が懐かしく、

京の風景を重ねては地名につけた...というそれだけの話(笑)

 

さて...

伏見川は金沢南部の住宅街を抜けて流れる。

拙宅もその流域にあるのだが、

上流、下流と誰が植えたものか、延々と桜並木が続く。

にもかかわらず金沢市民でもそのことを知っている人は少ない。

早朝ということもあるが、すれ違う人も少ない河畔を

せせらぎの音を聞きながら散歩する。

この時期限定の至極の時間なのだ。

そうだ!

金沢と京都のかかわりついでの話。

全国各地に「小京都」と呼ばれる町がある。

なんでも、「全国京都会議」と称する団体があって、

「京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある」ことが加盟条件らしい。

全国には金沢も小京都のひとつと思っている人がずいぶんと多いようだが

金沢は加盟しておらず、当然ながら小京都ではない。

金沢に本社がある地方新聞社の主筆の話をまた聞きしたのだが。

「金沢は武家文化。公家文化の京都とはその成り立ちが根本的に異なる。」

だそうだ。悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

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心してゆけ桜前線

2020-04-04 | 花歳時記

すっきりとしない4月を迎えている。

コロナウィルスの感染に歯止めがかからないからだ。

現時点での石川県の感染者は24人。

そのうちの8人が昨日感染が確認された人で

しかも感染経路はっきりしない人が徐々に増えている。

大都市圏に比べ少数とはいえ、

感染経路が特定できないことがなにより気味が悪い。

仕事柄、人に会うことが多いのと

30代の頃に原因不明の肺炎で20日間ほど入院したことがあって、

「過去に肺疾患があった人が感染すると重症化することがある」と

家内に脅かされているので充分に注意することにしている。

 

それでも桜は咲く。

不要不急の外出は避けてとの思いは強いが

「折にふれて」というブログタイトルをつけながら

この時期、桜の話題に触れないのもさみしい。

それで。

金沢城や兼六園などこんな状況でも

たくさんの人出が予想されるところは避けて

犀川河畔の桜並木であれば

人出は少なく、川に沿って風もよく通る。

人との接触はなるべく避け短時間ならば、と出かけた次第だ。

 Sony α7R3  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (24mm   f/5,1/320sec,ISO100)     

 

実はここにはお気に入りの風景もある。

ちょうど並木が始まるあたり。

桜の木が犀川にかぶさるように

大きく枝を張り出している。

何年か前、青空と犀川に映えるこの桜を見つけて以来、

自分だけの「桜の光景」となったのである。

 

さて、この記事のタイトルのこと。

昨年出会った本。

「震災歌集 長谷川櫂」から引用した。

俳人の長谷川さんが東日本大震災からの12日間、

「やむにやまれぬ思い」を歌集として綴ったものだが、

その中の一首。


   人々の嘆きみちみちるみちのくを心してゆけ桜前線

 

日本中が悲痛に暮れる中、人々に元気を与えてくれるのは桜しかない。

この歌から受けた力強い感動を思い出したのである。


映画「バック・トゥ・フューチャー」の主題曲として覚えている人も多いと思う。

 

 Back to the Future - The Power of Love (Huey Lewis and the News)

ヒューイ・ルイスの力強いボーカルが元気をくれる。

 

 

 

 

 

 

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