ジューンのつれづれ物語 先天性臼蓋形成不全・変形股関節症とともに生きる

先天性臼蓋形成不全・変形股関節症を東海中央病院でAAOで手術。10年後さっぽろ病院で両足人工股関節です。白内障も発覚!!

夏風邪

2012-08-31 19:23:59 | 股関節
暑くてムシムシだけど
風の強い日、
窓開けてたら、

朝喉痛い。

ああ、やっちゃった。
風邪だあ。
腰の手術以来、二年間ほとんど風邪ひいてないのになあ。くすん。

と、ノドヌールスブレーはいまいち。

生姜のハチミツ紅茶はつくるのがおっくう。

と、イソジンがきいてくれた!けど、学校でずっとうがいしてるわけにもいかず、どなるし、怒るし、喉いたーーいーー!

鼻水も結構でるなあ。。

はあ、憂鬱と、

同僚は声がでずらいと。。職業病、ポリープかなあ。なんて。

ああ、タバコすってた時はもっと喉いたかったな。

明日は、楽になりたいな。

脚、腰は悪くないから、助かっている。ふぅ。
まあ、すごくいいわけでもない。

朝、新しいセブンイレブン前の行列見てびっくり。すごいわあ。
どんどん街が変わって行くんだなあ。

あと十年たったらどうなるかな。甥っ子の将来決まっているかな。楽しみ。きっときっといい方向になってるよね。

満月が綺麗です。
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暑い

2012-08-29 21:44:16 | 日記
札幌、記録的暑さだとか。
教室は鼻血や具合悪い子がどんどんでてきたあ。

軟性コルセットは、あせもができそう。。

脚腰はいつも通り。こんなもんかなあ。。です。

今日は寝苦しいとか。

いやだなあ。
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脳外科

2012-08-28 22:07:41 | 認知症
同僚のお母さんが脳外科にいる。
父が一昨年はいっていたところ!びっくり。
父と同じく、脳血栓で点滴でちらしてる。若干の麻痺があるらしい。

うちの父親はまひがなかった。けどアルツハイマーなのでナースさん達が大変でした。

脳外科のドクターとは、アルイミけんかは、してない。救急車で運ばれていろいろ検査してその後お話したきり。

この病院では、ナースさんと医療相談員さんとたくさんコンタクトとっていた。

すごく大変ですごくよくして貰ってそれが普通と思ってた。。

なつかしくおもいだしましたあ。
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残暑 暑い暑い学校

2012-08-27 21:15:55 | 日記
こんなに暑いのは、十数年ぶりと思う。
でも、湿気は今回があまりにきつい。

暑いけど、本日はプールだったから、よかったなぁ。

でも、もぐったり、勝手な行動、コースロープで
遊ぶ子などを捕まえては、
プールからあげていくので、
私のウィークポイントの脚。腰が大変。

委員会の三階教室は、すごい暑さで
私の独断で家庭科室の窓あけて。
やっと涼しいというほどではないが、
風は通る。

そすがの北国で夕方からは、ほっとするけれど。

プールでちょっ試し泳ぎで、
本当に平泳ぎはぎくしゃく。
ぬけそうな感覚と
怖いってかんじでキックてべきにかったぁぁぁぁ。
ショック。
横泳ぎは挑戦するのもやめた。

今のところ、背泳ぎだけが、
脚にも腰にもやさしい。。

ないものねだりはしないで
現実受け入れで行かなきゃだめなんだろうけれど。。。

一週間暑いらしい。
29度とか28度とか
乗り切れるかなあ。。。。
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ドクターとけんかする??? 母親編

2012-08-26 21:02:48 | 認知症
私はよく、ドクターとけんかしたぁとか
言うし、書く。

闘病記や介護、などのブログを見ていると
言いたいこと言えなかった。。。
とか
聞きたいこと聞けなかった。。

とかがある。

実は私だってある。


はじめてのはじめて
母の癌の時。

この時に救われたのが、
「ask doctor」という当時は携帯のサイト
今は、パソコン版も使っている。

ここは、「現役のドクター」が質問に
答えてくれる。。と。。

母はがんで私は咽喉癌と思い、
当時は5年以上前になったなぁ。。。
と、
「咽喉がんでは、たべられますか。」
「放射線治療とかになったら、食べられなくなりますか?」とか
ことこまかに質問していた。

なぜって、検査までは長く、
結論でるまでに1か月はかかった。
最初の耳鼻科から、近所の総合病院、
癌センター、ホスピスの病院と。。。

私は、入院したことない。
子どもも生んだことない。
この時点でもう、父はだめ。

母の癌は最初の耳鼻科から私が告知。
ドクターによばれたのが私一人で
待合室で告げた。
まわりの人ナースさん職員さん目が点。

偶然私の家はよく話していて、
告知すると延命なし、
母の場合は病院にいきたくない、
自宅介護希望と
なっていたので、

耳鼻科のドクターに余命は?今後f?と聞いた。
でも、肺がんだったんだけど。
検査しないとわからないといいつつ、
癌でこの年齢で。。。
癌だったら一年か。。。と
なんとも誠実に答えてくれたおじいちゃん先生でした。

総合病院っていっても大きいとこで、
咽喉がんとしてあつかわれたけれど、
ここでは、検査できないからって、
「たべられないから、それでしんじゃう」って
栄養点滴をすごく時間かけてやるよって。。。
また、衰弱したらいつでもおいでって。。
癌センターとのつなぎの間。。。

先生のみたてだとどうってまたきいた。
耳鼻科の先生と同じくいわれた。
癌間違いないと。
そして、みのまま、たべられなくてのこう言う
衰弱だともっともっとはやくなるから、
すぐ、癌センターに行きなさい。。と。

ホスピスがいいんだけれど。。。と、
まだ癌の名前すら判明してないんだよって。
検査している間にどんどん悪くなるんじゃないの?ドクター!!!
いなめないけれど、まずは、きちんと調べるの。
と、説得された。

癌センターまでは、
見えない未来への不安。
これを「ask doctor」によくきいた。

入院は癌センター。
この時は、ドクターというより、
栄養士さんとけんかした。という表現になるから、
誤解を生むのかな。
でも、栄養士さんの方から、
喉に腫瘍があってたべられないから、どうするか。。
などを母と私と3人で話し合った。
きかれたから、いろいろと意見要望を言った。
私は家庭科専門で栄養士系列でもある。
と、できないとか難しいとか。。
で、「できないなら聞くなぁぁぁぁる」って感じになる。

そして、母も気にするので
食べ残しを持ち帰ったり、
戻さずに処分したりになっていったりする。

要望は、クレームととられる。
その気持ちはわかる。
私も親からクレームだぁって思うから。

ドクターになかなかいえなかったのは、
もう、とにかく、自宅で看取りたい
のでとっとと退院したいんだけれど、
結構長くて、なかなか話すじかんがとれなくて。
えんえんと検査の日々だったのだ。
三月いっぱいくらい。
年度末の忙しい時で転勤つき。。。
おいっこは、高三の最後。

で、つぎの病院の紹介状をもらうが、
それまで、家に帰るというのがあまりないらしく、
とってもとっても
ドクターが心配してくれるわけで。。
いやぁ、とにかく、退院したいのです。
母は外に出る人ではないので、家にいたい人なのです。

癌もなんだかんだいろいろといわれてる昨今だけれど、
治療や入院を望む日ちが多いみたい。。

で、次のホスピス系の病院が
ホスピスや緩和病棟をうたっているわりに
治療というか、なかなか退院させてくれなくて、
「医療相談室」とかの相談員さんに訴えることになる。

余命三か月から、半年っていわれているのにここで無駄な一か月で
余命二カ月しか家にいられないじゃんって
わめきました。

ドクターとは、やっとやっとの一回しかはなせなかったかな。
でも、医療相談室が充実していてよかった。

ドクターに話がいくまで、ナースさんが間にはいるので
とっても面倒だったなあ。。。

こちらは、「痛みをとって自宅療養」ってずっといっているのに
鎖骨あたりにいれる栄養点滴の管もいらないって
いっているのに。。。
これいれるのは、ホスピスの考えじゃないと思うんだよなあ。。

管いれれなくて、血管がもろくてだめだったのに、
一時間も格闘してくれちゃって
母の左胸の内出血は、
いた痛しかった。。。。

でも、なんだかんだと私のせいにされた、
「娘さんがはっきりいつから、学校休むっていわないと
 心配で退院させれない。」と。
はあ????というけんかになっていくんだけれど、
時間のむだなので退院させてくれればいいのだ。。。。

相談員さんに言ったのが、
「退院して何があっても何もいわないけれど、
 これ以上入院して家帰れなくって 
 自宅介護できないなら、訴えますっ。」で
すぐ退院できた。
この病院は、自宅介護の人のために訪問医療もやっているのだ。

このときにケアマネージャーとかいろいろとわかるように
なった。

結構な頻度で訪問看護の人が週一と
ドクターとナースが週一くるので、
いたれりつくせり。
この隙間をぬって「ask doctor」に頼ったり。

下血しました。。。なぜ?
吐血です。とかとか。。
いっぱい答えてもらいました。
ありがたかったです。

やっぱりあと一か月はやく自宅介護にしたかったけれど、
モルヒネの関係もあるから、しかたがないかぁ。。。

この病院も徒歩五分なので
恵まれた札幌だよなあ。。。

と、まあ、この時の経験でひきさがないぞっと
自分の意志を貫くとか
言いたいこといわないと大変だぁとか
の感覚がインプットされる。

自分のことでなく母の代理だからこその闘いであったし、
闘えたのだと思う。
ある意味自分のことは、まっいっか。。。とかなりがち。

ああ、最初のけんかは寒い日にシャワーされて
風邪ひかされたことにすごく私はおこったのだ。
母は洗いたくないって言えなかったのだ。。。
私も同じく岐阜で風邪ひかされたけれど。。。

それで、すぐ、いろいろという
病院からみると「モンスター ペイシェント家族」であったのだろう。

でも、余命いくばくかの患者で告知があって
ホスピスをうたっている病院なら
もうちょっと患者によりそってほしかったなぁ。。。

と、病院とのつきあいとか仕組みを学んだ。。


三年前は父の精神病院と脳神経外科、
私の腰の病院と入り混じることになる。

父の時の闘いもまたいろいろあったなあ。
アルツハイマーだからこそのいろいろも。。。

こんど、いつか、父親編で。

硬書いてみるとやっぱり、母の記録もきちんと
まとめておきたいなぁ。。。と。。。


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AAO(臼蓋内転骨切り術) 術後1年6か月3週間 踏ん張り

2012-08-26 13:55:37 | 股関節
AAO(臼蓋内転骨切り術) 術後1年6か月3週間 踏ん張り

ヨガでちょっと。。
あれ???
すこーし、少し、右が踏ん張れちゃう。
ほんの少しだけれどうれしい。

約1年前にヨガやったときは、
仰向けで脚を抱えるっていうのが
できなくって。。。

そこからだったなぁ。

と、振り返ると全然何もできなかったんだなって。

いつも、ヨガの旅に右が
力ないなぁっておもってて、
いつもがっかりして。

なのに、今日はちょつとだけれど、
ふんばってた。

それだけでうれしい。
小さいこと、すごく時間のかかったこと。

このあとあとどれくらいこういうことあるかなあっ。
だって、もう50になるし、
どんどん体力落ちていくだけだし。

股関節の自骨手術を50ちかくでする
ということの1番の心配はこれ。
30代の方は回復したり、が、私とは違うんだろうと思う。
なんとなーく、このあと回復するのかなぁって
腰はなんとかなったけれど、
なんとなく。。。
だつて、年取ればとっただけ、脚腰弱る人が沢山いる。

なのに、50で脚を切るんだ。。。
年とって脚骨折して寝たきりになる人とか
車いすの人とか。

と、入院中60代で自骨手術の方がいた。
ひとそれぞれだなぁと。しみじみ。

太ももが仰向けでひきつけられなかった。。
術後3か月くらいで。。
がんばってがんばって。。。
やっと左右そろったかなぁって
おもったら、筋力が違うし。。。
次々とリハビリが増えていく。。。

最初の印象では、ある程度術前と同じになると
言う感じでドクターこと話していたと思うんだけれど。。。。

ここまで、機能低下あるなら、もっと警告してほしいんだけれど、
推測で、
「いたみとりたい。」
「跛行なく歩きたい。」
「杖なく歩きたい。」
こう言う方が多いのだろうと思う。

まあ、なんとかここまできたけれど
だから、うらみつらみの言葉まではいかないけれど、
そして、「自己責任論」
自分がドクターに聞かなかった
確認しなかったという部分。
でも「いいわけ」何をどこまで予測して
聞いていいかわからない。
わからなかった。

今は、インターネットで情報を収集できるけれど、
ここまでのことは、なかなか。年齢と状況が
似ている人を差が差なくてはいけないし。

そして、
普通の日常生活なら、なんの文句もありません。
本当です。
小学生体育しなかったら、何もないです。

手術を考えるって難しいな。



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AAO(臼蓋内転骨切り術) 術後1年半年3週間 考える暇なし

2012-08-25 19:39:01 | 股関節症物語 2012.8-
学校始まって1週間。
北海道と思えない湿度。
暑いのもたしかだけれど、こんなにベタベタする
暑さは今までにない。

30度でもさらっとしていたと今は言える。

札幌の学校は暖房しかない。
クーラーはパソコン室のみ。

と、学校内の大人がダウンしている。
そうそう、本州の友達に聞くと水筒持って
学校行くのが当たり前の風景だとか。。。

と、脚が。。腰が。。。と
かまっている暇なしってことでした。

プール学習でのふんばりは、
結構きいたなあ。

ヨガでのふんばりは、術脚右は本当にきかないので、
左右の動きがばらばらです。。。。
あ、NHKの「きれいの魔法」で
今月号、アシュタンガヨガがのっています。

ヨガの先生いわく、
「良い川めいさんは、モデルさんで
手脚が長いのでビジュアル的にもいいです。
ただ、ポーズが初心者向けではないです。」
とのこと。
私は、先生のビジュアル好きだけれどなあ。。。

右と左とおなじくポーズとるんだけれど、
右でふんばるのは、できないんです。

いつかできる日ってくるのかなあ。

ああ、なんと、腰でダメと思っていた
前屈が、股関節から曲げるという
正しい方法でいくとできちゃった。
腰を痛めない曲げ方です。
腰悪い分、背中のばしてただしく前屈できているかが
自分でわかります。

腰は、若干想い感覚が右にあるけれど、
ああ、嫌な。。。とはなってないのでよしってことで。

体重は落ち着いているけれど、あと1キロおとしたいんだなぁ。
やっぱ、50キロにこだわっちゃう。
ドクターに50キロ以下といわれているから。
やっとこさっとこ、51.8キロくらいになってきた。
ふう。50.9キロでいいから。50キロ台になりたいなぁって。
私の中で50.9キロは50キロと認定しちゃう。

こんなに暑く手毎日汗かいて働いているんだけれどなあ。。。
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腰 後側方固定術 PLF 2o1o.7退院から、術後三か月 

2012-08-25 15:12:48 | 腰 後側方固定術
2010.7から2010.10

退院してきても硬性コルセット

椅子に座っても、正座でも、
長くはできない。

寝た姿勢とたっているときが楽。。。

なのに。。。
退院すぐ8月頭に股関節の東海中央病院に
飛行機で行く。
ナースさんたちが無理じゃない???
といっていた理由がよくわかる。
約2時間「すわっている。」はきつい。
なので、何度もトイレにいきなさいと。。

また、運転は10から20分で、
後ろをの確認が大変。
そして、腰の術後に右脚の股関節から抜けそうで
脚を手でもちあげてくるまに乗り込む。
ウ個性コルセットで身動きも難しい。
なんとか、15分の学校に休暇の書類などを
届ける。

ふう。

岐阜に行くのは、キャリアーを引くことは、できないので、
高齢者のように
キャリアーをたよりに歩きます。
でも、すぐ、腰が痛くなる。
よく行って帰ってこれたなぁと。
階段はアウトなので遠回りもいろいろと。。。
タクシーだってつらいわけで。
あのとき、名鉄にどうやって乗ったのかなあ。。

そこで、股関節の手術は
半年後の2011.2に延期となる。
この時までは、
両脚同時自骨手術aao予定であった。

さて、そんな辛い中、どうしても父親がおかしい。
ので、やっとのことで精神科の予約がとれる。
運転8分くらい。

でも、アルツハイマーの判定テストはながい。
また、レントゲンも。
お医者さんの話も。。。
この病院で私が死ぬかとおもった。
病院のソファで横になると
私が病人に見える。
そして、ここのドクターともけんかするはめに後々なる。

こんな苦労したのに、アルツハイマーの判定は下りず、
でも、もともとの手術予定日股関節の
の、時は入院あずかりしてくれると。。。

病名がでないのでここで足踏み。

でも介護の相談であたった
ケアマネージャーさんが良い方で
まずは、デイサービス。
でも、この手続きも面倒。
家で契約するけれどね
私は座ってられないのです。。。
でも、なんとか。。

と、硬性コルセットしての生活は、
座っていられないのと
脚がぬけそうなのと、
全身麻酔で筋力落ちて
幼児期に不安定だった、右の膝まではずれそうで
時々ずれて。。。

で、とにかく、股関節はやく手術したいーーーーー。でした。

腰でそることができず、
洗い物を干すのが、、、できない。
なのに、父親は失禁など。
ふとんは、何枚捨てにいったかなぁ。。。

急に家を飛び出す父親を何度おいかけたかなあ。。

帰ってこない父親を捜しにいったなぁ。。。


買い物は、かごをのせてごろごろって押せるので
歩行器のようで楽でしたが、
買ったものを車に入れる、運ぶで一苦労です。ふう。

腰は1か月ごと検診で
ドクターにどなりそうになったのが、
「待合室にすわっていられません。」
「コルセットとってレントゲンの台に寝たりがキツイ」です。

もちろん待合室で同時期手術の方は、ぶーぶー文句。
首の方は、運転許可もでないので、
遠方の方は通うのも大変。

とにかく、硬性コルセットが取れる日を指折り数えて。。。

予定どおり、3か月でとれました。

と、このころまたまた父親でたいへん。。。
ああ、次々。

また、AAOのサイトで不調の方がかなりではじめるころ。

と、退院しても大変でした。
でも、まじめに腹筋というか、腹筋らしきものをしていました。
硬性コルセットしているので
あの、降り曲がるような腹筋はできません。

よくのりきったな。
そして、退院1か月で職場復帰は無理だったじやん。
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悪くない

2012-08-24 20:53:40 | 股関節
学校始まって
暑いし、蒸すし
いろいろと大変で
流れさって、

振り返ると脚の調子は悪くないなあ。

特に、腰の違和感がないのがうれしい。

これもつい最近、
あれ?気にならないなあって。

なんかうれしい。
やっぱり、ちょっとよくなる前の不調みたいのを感じる。

今日は若干涼しい。
北海道もムシムシするようになったなあ。。
温暖化なねかなあ。。

もうすぐ秋であっという間に雪なんだろう。
今年は寒くなったら、あしはどうかなあ。
去年以上にスキーにいきたいな。スキーは腰にも脚にも悪くないから。

1番気にしていたスポーツはできる。

今となっては、
バドミントンとテニスもうちょいやっておけばよかったな。

あと、バスケ。
本当は1番好き。

バレーも。

何いってるだあ!とおもわれると思うけど、
職員対抗体育があって、
今日はソフトボールしている同僚がうらやましく。

バッターだけでもやりたかったなあ。。

できないとなるとやりたいんだな。

そうだ!
1番得意の平泳ぎができません。。くすん。

今1番楽なのは、背泳ぎです。。
昔は1番きらい。
古式泳法というか、立ち泳ぎ、うーん、シンクロみたいには、今は完全に無理で悲しい。

元気なうちにみなさんいろいろしておくといいと思います。

孝行したい時に親は無しという状況と同じだよなあ。
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腰 後側方固定術  PLF 今振り返って 術後の想い

2012-08-23 20:11:08 | 腰 後側方固定術
入院2週間。

退院1か月で飛行機乗る。

退院3か月で職場復帰ok


と、どんなイメージですか。。。?
わたしは、退院したら、
すっきりさわやかって思っていましたっ。

ある意味、完治って思っていました。

退院したら、もう痛くないって
全快って思ってました。

違ったのでした。


退院して3か月、硬性コルセット。
24時間つけてます。

そして、ほねは今後、1、2年つくられていく。

で、のばせない。そらせない。
重いものもてない。
椅子に1時間すわっていられない。
運転は、20分以下。。。

きゃぁぁぁぁぁぁっの自宅療養でした。

そして、人によっては、骨が定着しない。
痛みが残る。
違和感が残る。
動きも制限される。。
などなど

退院しても大変。

最初運転は、ロボット運転でした。

3ヶ月後職場復帰は事務職ならできるかなあ。。。

ある意味、
ずっと座っていると辛い。

なんか、手術してよかったのかなあ。。。
すっきり差若な日はくるのかなぁって。

厚別中央病院は、術後1年まで、
1か月ごと検診。
薬は、
術後2年目の今も続いてます。
そのたびれんとげん。
1年から、2か月ごと、
そして、2年たった今、3か月ごと検診。

股関節は、1年ごと。薬なし。


そして、通院リハビリはない。
自分で腹筋1日30回(最低)
朝昼晩と10回ずつでもよい。

まじめな私はつづけてます。


さて、すっきりじゃなくってないていたけれど、
3か月すぎ半年になると腰は、全然大丈夫って
感じで私の場合は手術してすっきりでした。
家に居る限りは。。


学校もどったら、できないこといっぱい。
鉄棒、マット、はばとび、縄跳び
ひねる、そる、バレー、バスケ、テニス、バドは禁止

と、術後できなくなることは
結構あって、術前に確かめてなかった。


なので、手術を考えている方々は
ここまで考えてからがいいかなぁ。

そうそう結局入院仲間さんは、
術後半年で職場復帰に休みを
延長していました。

股関節の手術がなかったら、
市は欠航いい感じだったんじゃないかなぁ。。

あ、雪かき禁止。
これが一番だった。。。

明日、すこし涼しいといいなあ。。。


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