一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2022年度上半期・私が勝手に選んだ驚愕の一手

2022-09-30 23:39:22 | 将棋雑記
「2022年度上半期・私が勝手に選んだ驚愕の一手」をお届けする。
今回は、8月24日・25日に行われた、お~いお茶杯第63期王位戦(新聞三社連合、日本将棋連盟主催)第4局・藤井聡太王位VS豊島将之九段戦である。
角換わり相腰掛け銀で始まった本局、私にはまったく分からない攻め合いになったが、藤井王位がリードのまま、終盤を迎えた。

第1図は豊島九段が△3三同桂と成銀を祓った局面。
ここで後手の狙いは△3八歩成▲同玉△5八角成である。それが恐いから、とりあえず▲3九歩と受けたくなる。事実、立会いの木村一基九段もそう説いていた。
ところが藤井王位の指し手は▲4一銀!(第2図)

それでなくても駒が欲しい後手に、さらに銀をくれてやるというのだ。
ところがこれが藤井王位らしい非凡な一手で、豊島九段は△4一同玉と取ったが、それ以外の応手も、すべて先手が勝ちになったらしい。
そして▲4三銀。なんとこれで、後手玉は受けなしになっているのだ。先手玉に詰みがないから、これで先手勝ちである。いやはや、驚いた。
「▲4一銀△同玉▲4三銀」は、寄せの手筋集に載っていそうだし、次の一手として出題されれば、何となく分かる。
しかし実戦では何が起こるか分からないし、その局面でこの手筋が適用されるということも、自力で精査しなければならない。想像のはるか上をいく難しさなのだ。そこを踏み込んで▲4一銀を敢行した読みがすごい。
対して豊島九段は面食らっただろう。局面は不利としても、まだ難しいところがある。それが「▲4一銀△同玉▲4三銀」というシンプルな手で寄ってしまったのだ。
本譜は以下△3八歩成▲5九玉まで、終局。ここで投げたところに、豊島九段の矜持を感じたのだった。
藤井竜王は今後、どんな手を編んでくれるのだろう。楽しみでしょうがない。
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有吉道夫九段、逝去

2022-09-29 22:34:58 | 男性棋士
9月27日、有吉道夫九段が亡くなった。享年87歳。
有吉九段は1935年7月27日生まれ。15歳のとき大山康晴名人の内弟子になり、19歳四段。そこから着実に力をつけ、1965年、A級八段。1969年には大山名人と名人戦を戦った。
1972年、第21期棋聖戦で中原誠棋聖から2連敗3連勝で、初タイトル。これは翌期に米長邦雄八段に取られたが、以後もタイトル戦には何度か登場した。
原田泰夫九段命名のニックネームは「火の玉流」。猛烈な攻め将棋と、あふれる闘志がそのゆえんである。感想戦でも、納得がいくまで自身の勝ち筋を探した。
同じ関西の内藤國雄九段とは終生のライバル関係にあり、対局は93を数えた。タイトル戦なしでこの数は突出しており、いかに両雄が勝っていたかを物語る。
A級も長く務め、1991年度の第50期A級順位戦では大山十五世名人に勝利した。これが両者の最終局で、何と68歳と56歳の戦いだった。
なお、意味のない「タラレバ」を書けば、このときの勝敗が逆だったら、大山十五世名人が名人戦に登場していた。
1994年度の第53期順位戦では苦戦し、翌年3月の最終戦の時点では2勝6敗。降級は1勝7敗の南芳一九段が決まっており、残り1枠を塚田泰明八段(3勝5敗)と争っていた。
有吉九段の最終戦の相手は谷川浩司王将。しかし対戦成績はここまで、有吉九段の9勝25敗である。誰もが有吉九段の降級を予想した。
しかし有吉九段は頑張った。将棋は矢倉の熱局になり、第1図はその終盤。

第1図以下の指し手。▲7七銀△1四玉▲3四銀△1三角▲6六銀引△2八角成▲2二銀不成(投了図)
まで、有吉九段の勝ち。

△5五角は△8八角成以下の詰めろ。有吉九段は▲7七銀でそれを防ぐ。
次の△1四玉に慌てて▲2四歩と角を取ると、△2五玉から逃げられる。黙って▲3四銀が好手だ。
△1三角と逃げる手には▲6六銀引と活用し、△2八角成とソッポにやってから、▲2二銀不成が「天来の妙手」を彷彿とさせる最後の決め手。ここで谷川王将が投了した。これが怒濤の「4連続銀」で、盤上の4枚の銀が輝いている。

なお塚田八段は米長前名人に敗れ、有吉九段が順位1枚の差で残留を決めた。これで還暦A級が確定し、師弟での還暦A級となった。師弟での名人戦、師弟でのタイトルホルダーなど、大山-有吉は史上最強の師弟であった。
有吉九段は現役時から大山名人記念館の館長に就任し、引退後も長く将棋の普及に努めた。
稀代の闘将に、合掌。
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第70期王座戦第4局

2022-09-28 22:00:08 | 男性棋戦
27日に第70期王座戦(日本経済新聞社、日本将棋連盟主催)第3局が行われた。ここまで永瀬拓矢王座の1勝、豊島将之九段の1勝。
将棋は永瀬王座の先手で、▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩。ここで▲7八金なら相掛かり、▲7六歩なら角換わりとなる。永瀬王座は後者を選び、角換わりになった。
仮に前者になったとしても、居飛車党の対戦は最近、この2大戦法ばかりだ。将棋の戦法はこんなに乏しいものだろうか。そうではないだろう。もっと振り飛車党が頑張って、無料の棋譜中継に採用されるようでなければならない。
将棋は相早繰り銀になった。イメージだが、永瀬王座は腰掛け銀より早繰り銀を好んでいる気がする。
そこから指し手が進んだが、永瀬王座が指し易いような気がした。
図は豊島九段が△2五銀と打った局面。

これが1時間13分の長考だったらしい。しかし苦労の末の指し手にケチをつけるのはアレだが、ここで▲2八飛は△3四銀で話にならぬから、勢い▲3三歩成△2六銀▲4二と△同金となる。その局面がまた永瀬王座の先手だ。
いっぽう後手は桂損したうえ銀を手放し、全然得をしていない。これは豊島九段、大損したのではなかろうか。
しかもそこは永瀬王座である。実は実戦もそう進んだのだが、△2五銀にノータイムで指せるところを、1時間12分の長考のお返しをした。むろんこの間、豊島九段もいっしょに考えているわけで、ここで劣勢を悟ったのではなかろうか。
以下、83手まで永瀬王座の勝ちとなった。消費時間は、永瀬王座3時間4分、豊島九段4時間17分。長考派の両者がこれだけ時間を残したのだから、永瀬王座の快勝だったといえる。
永瀬王座は2勝1敗、もちろん有利になったが、星1つの差では、タイトルの行方はまだまったく分からない。
第4局は来週4日で、早い。外野としてはフルセットまで見たいが、さて……。
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羽生九段、52歳に

2022-09-27 23:21:10 | 男性棋士
きょう9月27日は、羽生善治九段の52歳の誕生日である。この歳になれば誕生日などうれしくもないだろうが、おめでとうございます。
さて、史上最強の棋士と言えば、この前までは大山康晴十五世名人と羽生善治九段の名前が挙がっていた。
現在では藤井聡太竜王が割って入って有力候補だが、20歳で史上最強の称号は早すぎる。「史上最強棋士」は、高齢になってからの評価がウエイトを占めているのだ。その意味で、大山十五世名人の50歳以降の成績は相当なポイントとなる。
ではここで、おもな棋士の51歳と52歳時の成績を記してみよう。上段が51歳、下段が52歳の成績である。

・大山康晴十五世名人
1974年3月13日~1975年3月12日 50勝27敗.649
1975年3月13日~1976年3月12日 46勝24敗.657

・中原誠十六世名人
1998年9月2日~1999年9月1日 24勝21敗.533
1999年9月2日~2000年9月1日 19勝24敗.442

・米長邦雄永世棋聖
1994年6月10日~1995年6月9日 29勝22敗.569
1995年6月10日~1996年6月9日 26勝17敗.605

・加藤一二三九段
1991年1月1日~12月31日 28勝20敗.583
1992年1月1日~12月31日 32勝17敗.653

・谷川浩司十七世名人
2013年4月6日~2014年4月5日 14勝22敗.389
2014年4月6日~2015年4月5日 12勝21敗.364

・羽生善治九段
2021年9月27日~2022年9月26日 22勝19敗.537
2022年9月27日~2023年9月27日   ?

やはりというか、大山十五世名人の成績がすごい。51歳で50勝、52歳で46勝はケタ違いだ。
また加藤九段も、52歳で32勝している。棋戦の増減があるとはいえ、特筆すべき数字といえる。
羽生九段は前年度不調だったが、今年度はここまで12勝5敗の勝率7割越えで、51歳時の成績を勝ち越しにした。大山十五世名人の数字には及ばないが、今後に期待を抱かせる。
52歳の成績はどうなるだろうか。
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31手目の駒柱

2022-09-26 21:19:21 | 将棋雑記
先日、当ブログの読者からコメントがあり、氏の印象に残った将棋を教えてもらった。
それが第41回NHK杯3回戦・小林健二八段VS先崎学五段(段位はいずれも当時)だった。いまから31年前の、11月20日の対局である(放送は1991年12月8日)。
先崎五段の初手▲4八銀から始まり、くんずほぐれつの戦い。結果、200手を越える熱闘を小林八段が制したのだった。
ところで私が注目したのは序盤である。下図はその31手目。

何と、この序盤で駒柱ができていた。放送時の解説は福崎文吾八段(当時)だったが、これに気付いていたかどうか。
駒柱の説明はするまでもない。タテ1列に双方の駒がびっしり並ぶことをいう。
たとえば居飛車対振り飛車で双方銀冠になり、どちらかが桂を跳ねれば駒柱が出来上がる(これは勘違い。最初に桂を跳ねた時点で、駒柱にならない)。
だから2筋や8筋にできやすいともいえるが、とにかく泥仕合の熱戦に多い。
しかし古来から「駒柱ができると縁起が悪い」といわれており、昔は駒柱ができると投了してしまった棋士もいたらしい。
この駒柱ができる確率はどのくらいのものだろう。私も生涯で2、3回しかないと思う。
この統計を調べるのは相当難儀だ。誰かやってください。
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