一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2月19日の4時から男(後編)

2017-02-28 01:09:42 | 新・大野教室
Shin氏が空いたみたいなので、私はW氏に自戦解説をやめてもらい、対局を優先した。振ってもらって私の先手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金。角換わりは指す気がしなかったので、▲6六歩とひるんだ。この手は軽蔑の対象だが、横歩取りを避けたわけではないので、罪悪感はない。
その後は相矢倉に進む。Shin氏は△7五歩▲同歩△同角。この「△7五歩(▲3五歩)派」はU君もそうだ。私は▲6五歩と反発したが、のちに△6四歩▲同歩△同銀とさばかれ先手不満になった。
私は▲7九玉と寄る。しかしこれが悪手で、△6五歩と位を張られたら私が敗勢に近かった。
本譜はShin氏が△6二飛だったので、▲6六歩と収めて一安心。これでも先手が作戦負けだが、負けるよりはいい。
その後私が盛り返して、むしろ私がジリジリ差を拡げる展開になった。
第1図はShin氏が△6六銀と絡んだ局面。

第1図以下の指し手。▲5九角△8六桂▲6七金△7五銀▲同銀△7八金▲同飛△同桂成▲同玉△8八飛打▲7七玉△8七飛行成▲6六玉△6五歩(第2図)

本局は教室最後の一番で、大野八一雄七段と残っている会員が全員観戦していた。
第1図では▲6三角△3一玉▲7四角成が簡明だ。以下△7七銀成▲同金△5七角▲6八歩で、次に▲6四馬もあって先手よし、と見ていた。
ただ▲5九角と引いても余せると思ったのが躓きの始まり。結局こちらを選んだのだが、△8六桂と跳ばれて驚いた。この桂跳ねがあるのなら、やはり▲6三角を選ぶべきだった。
それでも▲6七金と上がって残していると思ったら、△7五銀から△7八金と打たれて驚いた。
飛車の横利きがあるから即詰みはないと読んでいたが、飛車を取られたのが痛い。私はどこかで▲9六角を利かせておくべきだった。
私の動揺はなおも続く。二枚飛車で追われて△6五歩。▲同玉は△6七飛成で先手敗勢。さりとてほかに指す手もないので投了したら、大野七段やOg氏から疑問の声が上がった。
「▲5七玉があるじゃないの」
「あっ」
…私には時々こういうポカがある。ただここまで優勢にしたのに、なんで二枚飛車に追われなきゃいけないんだという不満はある。これはもう私の将棋ではないのだ。Shin戦はとくに勝敗も数えていないし、ここは潔く負けを認めておこう。

感想戦では大野七段に序盤からみっちり教えていただいた。例えば先のShin氏の△6二飛ではやはり△6五歩が正着で、以下は自陣の整備にあてる。先手が無理をして攻めてきたら駒をためてカウンターパンチ、が要諦だ。
終盤、▲6三角以下の私の読みは、△5七角に対して▲6八歩ではなく▲8八玉で先手優勢。この、ひょいと玉を逃げる感覚が私にはないのだ。
これで今日の将棋は終了。前回の「4時から」では8局指したが、今日は4局指して1勝3敗だった。私の神経が正常なら4勝0敗でもおかしくなかった。
それをひとりごちると、Og氏が「体調がわるいときにこそいい将棋を指せる場合もありますよ」と。それもたしかに云える。
さて、夕食である。参加者は大野七段、W氏、Og氏、Hon氏、Tod氏、Shin氏、私の7名。近くの定食屋に行った。
そこはどのメニューも美味いのだが、私はうどんモノを頼む。これも確かな味で美味かった。
食後もしばらくおしゃべり。帰り際に話の流れで、前日は和田あき女流初段の食事代を私が持った、みたいなことを大野七段に言うと、大野七段は意外そうだった。
まさか大野七段も和田女流初段の分を払ってしまったのだろうか。ふつうならレジで気が付くはずだが、店員はアジア系外国人である。そこまで細かく調べず、おカネを受け取ってしまったかもしれない。真相は分からないが…。
ガストに河岸を替えることにする。参加者はShin氏をのぞく6人。
ここでもどうでもいいおしゃべりに花が咲くが、10時ごろにHon氏が退席。翌日から仕事なので、みんな冷静だ。
さらに30分後、Tod氏が退席。徐々に会員が欠けていくさまは、かつてのジョナ研を見ているようだ。
あっという間に時間は過ぎて、時刻は12時近く。私は終電があるので、これでお開きとさせていただいた。
川口駅に戻ると時刻は0時を過ぎたばかりで、次は0時11分。ところが赤羽止まりで、私が本当に乗るべき電車はその次の0時19分(最終)となった。ただこれなら、みなとあと15分はおしゃべりできた…。
明日からまた仕事か…。しかし廃業が決まっていては気合も入らない。川口駅ホームのベンチに座ると、虚しさがこみあげてきた。
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2月19日の4時から男(中編)

2017-02-27 01:37:14 | 新・大野教室

第3図以下の指し手。△7二銀▲4四成銀△5一飛▲3三成銀△5四歩▲4二成銀△5三飛▲7五桂△6二金引▲4五金△7四歩▲5四歩△7三飛▲8五桂△7五歩▲7三桂成△同金▲4四角△5六桂(第4図)

大野八一雄七段はとうに指導対局を終わり、早くからこの将棋を観戦していた。
私は▲4四成銀から▲3三成銀。桂を得しても成銀の動きがおかしく、変調である。
△5四歩に▲同歩△同金▲5五歩は△6五金がある。△5四歩を横目に私は飛車と金を責めるが、なんとなくおかしい。
以下▲7三桂成△同金で駒得を拡大したが、厳密には二枚換え。「おかしい、この指し方は違う気がする」とつぶやいた。
私は▲4四角と出て一手勝ちを狙うが、△5六桂が飛んできた。

第4図以下の指し手。▲2一飛△6八桂成▲同金△9二玉▲4三角△5六桂▲6九金△2九飛▲7九金△5七銀成▲6一角成(第5図)

△6八桂成▲同金に、Sar君は△9二玉の秘手。今の子供はこんな手も手筋の一つとして覚えているのだ。これではオトナが敵わないわけである。
▲4三角は冴えないがほかに手が見えなかった。Sar君は再度の△5六桂。まったく、いい駒を渡してしまった。
▲6九金に△2九飛が詰めろ。まさかこの将棋に詰めろがかかるとは思わなかった。
とはいえ▲6一角成で先手が一手勝っていると思ったのだが…。

第5図以下の指し手。△6七成銀▲同玉△7九飛成▲5六玉△6五金▲5七玉△5六歩▲5八玉△6一銀(投了図)
まで、Sar君の勝ち。

△6七成銀をうっかりした。△6一同銀▲同飛成△7九飛成▲同玉△6八桂成▲8八玉△7九角▲9八玉で不詰みと読んでいるのだから話にならない。
▲6七同玉△7九飛成に、私は秒に追われて▲5六玉。一手の価値がないが、ここではどう指しても私が負けている。勝ち将棋鬼のごとしとはよく言ったもので、半分タコだった△3七銀・△4八銀が綺麗に捌けている。私は呆れる思いだった。
Sar君は決めるだけ決めて△6一銀。アホらしくなって投げた。

「この将棋を負けるかね」
私は自嘲する。前々回の将棋もヒドイ逆転負けだったが、この将棋もヒドイ。またく、アホちゃうか。
感想戦は大野七段が加わってくれた。
まず、第1図からの▲4五桂△4二角▲5三歩には、△5四歩と銀出を防いで後手十分とのこと。私はこの手が見えておらず、命拾いをした。
続く▲4三銀△5三角(第2図)に▲同桂成は普通の手の認識だったが、大野七段は▲3三桂成!を指摘した。なるほどこうやって無条件に桂得すれば、次に▲4二成桂や▲4二銀不成を見て、先手は指す手に困らない。
さらに途中図の▲5五歩もヘンな手で、「なぜ▲5六歩(参考1図)と打たないんですか」と大野七段。

そうか言われてみればそうだ。同じ受けるなら角道を通したまま受けるのが当然だ。これなら後の△5六桂もなかった。
さらに▲4四成銀~▲3三成銀もヘンな動きで、▲3三成銀では▲4二角がよかったとのこと。
決定的な悪手が第4図からの▲2一飛。ここは▲5二成銀(参考2図)だった。

以下△6八桂成▲同金△5六桂には▲6一成銀で先手勝ち。
「ヨコに利く駒を残しておかなきゃダメだよ」
と大野七段。そういえば前々局のOg氏との将棋でも、持駒に金がなくて苦労したのだ。あの時の教訓がまったく活かされていない。本局も、遊んでいる成銀を活用させるのは普通の感覚で、この手を逃したのは不覚というほかはなかった。
ほかの将棋は、W氏が珍しくE氏と対局していた。しかし終盤読み抜けがあって、トン死。それがW氏らしい。
感想戦を終えたあと、W氏が悔しそうだったので、大盤で並べてもらう。
「でもさあ」とW氏がつぶやく。「アマ四段同士が指しているのに、これだけダメ出しされるって、どんだけレベルが違うんだろうね」
私たちのさっきの将棋だ。まったくおっしゃる通りで、私は苦笑するよりなかった。
(つづく)
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2月19日の4時から男(前編)

2017-02-26 00:06:26 | 新・大野教室
Abema TVの飯野愛先生、あの1日のスケジュールはウソだろ? ライバルを油断させるためのフェイクだろ?

   ◇

19日(日)は夕方に大野教室に行った。いわゆる「4時から男」で、昼過ぎからガッツリの将棋はお腹いっぱいの向きには、夕方から軽く、のスタンスが心地いい。
私は今月4回目の教室となったが、これは数年振りだ。「4時から――」を含むとはいえ、これでは将棋好きのレッテルを貼られても否定できない事態になった。
駅前でShin氏といっしょになり、教室に入った。中は日曜なのに会員がいっぱい。ますます快調の大野教室である。
講師の大野八一雄七段は奥の和室で指導対局中。会員の増加に伴い、試験的にレイアウトを替えたようだ。
私は誰と指してもいいが、また奇数になって指す相手がいない。しばらくしてOg氏が来たので、一局お願いする。Og氏は大野七段の兄弟弟子で、元奨励会初段。退会はだいぶ前だが棋力に衰えはなく、その秀でた将棋理論には唸ることが多い。
平手で私の先手。Og氏は三間飛車できた。▲4六歩に△5四銀。Og氏はこう腰掛けることが多い。私は▲6六銀と応じ(かつてOg氏に教わった手だ)、▲5五歩に△6三銀引。ダイヤモンド美濃ができた。
私は5筋位取りに転じ、Og氏は銀冠から△7五歩。これを▲同歩は△7七歩▲同角△6五桂の角銀両取りがある。でも桂歩2と銀の交換なら悪くないと思い、私は堂々と▲7五同歩。Og氏は唸って、△7七歩を指さなかった。
その後数手進んで、私は金取りに▲4四歩。これに△同角が強手で、もし△同金なら▲同銀△同角▲3四飛と捌いて先手よし、と読んでいただけに意表を衝かれた。
その後私の飛車は金銀を打たれていじめられ、先手が劣勢に陥った。
せめて一太刀と▲4三角。

第1図以下の指し手。△5五飛▲同角△同金▲5一飛△7一歩▲6一角成△3九角▲7一馬△同金▲同飛成(第2図)

▲4三角には△5三飛ぐらいでも先手が負けと読んだが、Og氏は△5五飛。以下△7一歩までと進み、ここで▲5五飛成は△3七角がある。
ここでの読み違いは痛く、私は▲6一角成としたが、これでは全然自信がなかった。
△3九角に▲2七飛を読んだが、これでは勝てないだろう。続いて▲7二馬を読んだが、△同銀左でこの銀が働くのが気に食わない。それでちょっとヒネって、▲7一馬と指した。△同金▲同飛成。この局面を改めて見ると、意外に後手玉が受けにくい。

△7四銀引▲同歩△8二銀は、▲同竜△同玉▲7三金で詰み。といってほかにめぼしい受けも考えられず、おかしな展開に首をひねっていたら、何とOg氏が投了してしまった。
「▲7一馬をうっかりした」
とOg氏の第一声。
▲7一馬では▲7二馬でも難しかったと思うが、それはともかく数手前までは私が悪かっただけに、キツネにつままれた気分だ。
感想戦は中盤を中心に行なわれた。中盤、私が▲4五銀と金取りに突っ込んだ場面があったのだが、そこは▲4五歩と穏やかに指して先手十分。私は駒をぶつけるのが元気ある指し方と読んでいたので、この素朴な手に感銘を受けた。
ともあれ本局は、Og氏が巧妙に緩めてくれたと取りたい。
2局目はTod氏と指す。Tod氏は最近、大野教室によく参加している。それに比例して将棋も強くなっている。一応私の二枚落ちだが、油断のならない相手だと思った。
Tod氏は4筋の位を取ったあと、居飛車で臨む変則的な指し方。いくぶん損だが、堂々としていてよい。
Tod氏が5筋の歩を突かないので私は△5五歩から△5三金。しかし次に△4四歩と突いたのは悠長だった。ここは△4四金と上がって▲3五歩を取りに行くところ。せっかく優位になるチャンスだったのに、先は長いと動かないのはマズかった。
その後ゴチャゴチャした戦いになったが、私が銀2枚を手持ちにし、この流れなら私の勝ちかと思った。
ところが――。

第1図以下の指し手。▲2二歩△同金▲9七角△7四歩▲4三銀(投了図)
まで、Tod氏の勝ち。

Tod氏は▲2二歩を利かして▲9七角。これに私が△7四歩と打ったのがココセだった。▲7五銀を気にしたものだが、それなら△6三金と引いて何事もない。
Tod氏は▲4三銀。直前の▲2二歩△同金が利いて、ここに打てるのだ。これに△6三玉は▲6四角△同玉▲5四金で詰み。この時△7四歩が玉の逃げ道を塞いでいる。

といって▲4三銀を△同玉も▲6四角が厳しく、▲3一角成と▲7三角成を見られて上手が勝てない。これ以上指しても見苦しいので、投了した。
Tod氏は強くなったが、まだこの手合いを変えるつもりはない。次は頑張りたい。
会員はいるのだが、何となく対局がつかない。3局目はSar君と指す。
Sar君はゴキゲン中飛車の使い手で、攻めっ気100%。私も手を焼き、まだ1回しか勝った記憶がない。良い将棋は逆転負けをし、悪い将棋はそのまま負ける。我ながらどうしようもない。
私の先手で、今回は超速▲3七銀戦法を採った。Sar君の速攻には速攻で対抗である。
しかし第1図での次の手はマズかった。

第1図以下の指し手。▲4五桂△4二角▲5三歩△8二玉▲5五銀左△3三桂▲4四銀△同歩▲4三銀△5三角(第2図)

第1図で▲4五銀は、△5五銀がイヤだった。それで▲4五桂と跳ねたが、やや早かった。
それでも△4二角に▲5三歩は利いていると思った。
これにSar君の思考が狂ったか、△8二玉~△3三桂はマズかったようだ。
私は▲4四銀と取り、▲4三銀。△4六歩なら▲4二銀不成で先手勝ち。どうするのかと見ていると、△5三角ときた。

第2図以下の指し手。▲5三同桂成△同飛▲3四銀成△4五歩▲5七銀△6五桂▲5五歩(途中図)

△5七桂成▲同金△3七銀▲6八飛△4八銀打▲5六金(第3図)

私はよろこんで角を取る。△6五桂の反撃には▲5五歩(途中図)と受けた。
するとSar君は銀を取って、△3七銀! 貴重な手駒をここに使うとは…!!
▲6八飛にはさらに△4八銀打! 私は▲5六金と上がり、この将棋はさすがに負けないだろうと思った。
でも私は負けた。

(つづく)
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激闘に拍手

2017-02-25 10:21:58 | 女流棋戦
23日未明に見た夢を軽く記しておく。
私はどこかの駅にいた。同行は高校時代の友人。彼とは現実の世界で15年以上も会っていないが、なぜ夢に現れたのかは分からない。鉄道は全長4.2キロのミニ路線だが人気があって、駅前の広場では乗車待ちの長い列ができていた。
女性の車掌さんがきて切符の提示を求められた。私は買った覚えはないが、服の下から切符が出てきた。
いよいよ乗車となったが、列がぐにゅぐにゅしているのでほうぼうで途切れ、混乱をきたした。
…という感じで目が覚めた。23日はほかにもいろいろ夢を見たのだが、忘れてしまった。

   ◇

22日は女流名人戦五番勝負最終局があった。ここまで里見香奈女流名人の●●○○。上田初美女流三段から見れば○○●●となる。これが私には少なからず意外で、まさか上田女流三段がこんなに素晴らしいダッシュを掛けるとは思わなかった。
何しろ上田女流三段は先ごろ出産し、現在は子育ての真っ最中。将棋の勉強もはかどらないだろうし、子供の笑顔を見ていれば闘争心も薄れる。
片や里見女流名人は女を捨てて将棋一本に賭けている。しかも押しも押されもせぬ女流五冠、奨励会三段である。どう見ても里見女流名人が有利で、私は女流名人の3連勝で幕を下ろすと信じて疑わなかった。
ところがフタを開けてみればかくのごとくで、第1局、2局は好手妙手を織り交ぜて上田女流三段が快勝。私はあっけにとられたのである。
だが私は、これでやっと五番勝負がおもしろくなったと思った。つゆほども「里見防衛」を疑わなかった。上田女流三段にはわるいが、里見女流名人への信用はそのくらいのものであった。事実そこから里見女流名人は巻き返し、2勝2敗。22日が天王山の一戦となったのである。
将棋は後手里見女流名人のゴキゲン中飛車に上田女流三段の居飛車穴熊。どちらも得意形で、熱戦が期待された。
序盤は上田女流三段の作戦負けのような気もしたが、そこはうまく駒を捌いて、▲8六に馬を作ることに成功した。その後竜は作られたものの、端を押し返し、控室の見解は先手有望。これ、私たちアマならそのまま先手が勝つ。しかし後手は奨励会三段の里見女流名人である。やがて里見女流名人が形勢をひっくり返すと思った。
…というところで▲5四歩△6四角▲7七馬△4九竜▲4八銀。これが私のようなアマには不可解な手順だった。ここ、△4七に竜がいるから、一刻も早く自陣に引いてもらいたくなるのが人情である。すなわち▲4八銀△4四竜の2手を入れたくなってしまう。
然るに上田女流三段は△4九竜と潜らせてから▲4八銀とフタをした。しかしこれ、銀が動いたら竜が暴れ出すわけで、私にはとても指せない順だった。
事実上田女流三段は▲5七銀。里見女流名人は△3九竜。とたんに竜が暴れ出した。以下▲5八飛△2九竜と進んでは、もう後手持ちである。アマ同士なら、今度は絶対後手が勝つ。実際控室の見解も後手有利となった。
私は女流棋士のファンランキングを発表しているが、ランク外同士の対戦はニュートラルである。だが本局に限っていえば、上田女流三段を応援していた。大豪に挑むママさん棋士の構図となれば、応援したくなるではないか。
だがこの展開はいかにもまずい。この後数手見たところで私はスマホでの観戦を打ち切った。すなわち「里見防衛」を断定したからだった。
夜になって散歩に出る時、スマホを繰ってみた。もう将棋は終わっているが、再生を進めると、意外や上田女流三段が再逆転していた。あの里見女流名人を相手に終盤で逆転するとは並大抵のチカラではなく、私は上田女流三段の力量を大いに再評価した。このひとは本当に強い。
だが再生を進めると、上田女流三段は大事な終盤でことごとく正着を逃す。これがふだんの彼女かと訝った。だが極限状態の中での秒読みだし、里見女流名人の指し手もいくぶんよれていた。これがタイトルへのプレッシャーということなのだろう。
最後は里見女流名人が抜け出し、202手まで上田女流三段が投了。里見女流名人は薄氷の防衛となったのだった。
ふたりは5年前の第39期でも五番勝負をまみえ、最終局は将棋大賞・名局賞特別賞を受賞した。本局もそれに準ずる内容だったと思う。
里見女流名人は女流六冠に向け視界良好。上田女流三段は残念だったが、たたき上げの女流棋士でも奨励会三段と対等に戦えると証明したのは大きい。そしてこの二人がマイナビ女子オープンの挑戦者決定戦で相まみえるとは、作ったようではないか。
対局日を心待ちにしている。
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関根茂九段、逝去

2017-02-24 00:09:43 | 男性棋士
2月22日、関根茂九段が亡くなった。享年87歳。
関根九段は1953年四段昇段。農林水産省の技官からプロになった異色の経歴だった。
1968年A級八段。その期に降級したものの、1973年に再びA級に昇級し、その期は6勝4敗の好成績を挙げた。A級は通算3年。このころの「近代将棋」に、パイプの煙をくゆらせながら順位戦を指す関根九段のグラビアが載っていたのを憶えている。
関根九段を語るうえで欠かせないのは1964年・第4期棋聖戦五番勝負の登場である。七段でのタイトル戦登場は史上初で、大きな話題になった。時の棋聖は大山康晴。当時大山棋聖はすっかり振り飛車党になっており、関根九段は後輩の山田道美八段(当時)らと振り飛車破りの研究会を行い、万全の態勢でタイトル戦に臨んだ。それが図に当たり、3局を終わって2勝1敗、大名人をカド番に追い込んだのである。いずれも急戦のキビキビした将棋で、関根九段の名局であった。
ところが大山棋聖もさる者、第4局で矢倉に作戦をチェンジしたのだ。ここで大山棋聖が勝つと、続く最終局も矢倉となり、こちらも大山棋聖が勝ち。文字通り薄氷の防衛としたのだった。
関根九段は残念だったが、大山棋聖に振り飛車を捨てさせた棋士として、負けても名を大いに挙げたのだった。
では、その第3局を載せよう。

1964年(昭和39年)7月9日
第4期棋聖戦五番勝負第3局
▲七段 関根 茂
△棋聖 大山康晴
於:滋賀県大津市「芳月楼」
持ち時間:7時間

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲3六歩△7二銀▲9六歩△9四歩▲2五歩△3三角
▲6八銀△5二金左▲5七銀左△6四歩▲5五歩△4三銀▲5六銀△1四歩▲4六歩△1三香▲3七桂△4一飛▲4五歩△同歩▲同銀△5一角▲2四歩△同歩▲7九角△3三桂
▲5六銀△2一飛▲2五歩△5四歩▲同歩△同銀▲5三歩(図)

△5三同金▲2四歩△4七歩▲同銀引△2五歩▲5六銀△3五歩▲同角△6二角▲5五歩△4三銀▲5七角△7四歩▲2五桂△同桂▲同飛△3七歩▲2三歩成△3八歩成▲1三角成
△4八と▲同金△8四角▲4九歩△5四歩▲9五歩△同歩▲9三歩△5五歩▲同飛△4四銀▲2五飛△4七歩▲5八金寄△3九角成▲5七香△8四歩▲4七銀△5五歩▲2二と
△5一飛▲3二と△5二飛▲5五香△9三香▲4二と△同飛▲5三香成△同銀▲2三飛成 △5一香▲5四歩△同銀▲9四歩△同香▲8六桂△8三銀打▲3一馬△4三飛▲6四馬
△7三銀▲3二竜△4二歩▲同馬△同飛▲同竜△6二歩▲9三歩△6四角▲5三歩△7五歩▲9四桂△7二玉▲9二歩成△同銀▲6六香△1九角成▲9一飛△8三銀▲9二金
△同銀▲同飛成△8二香▲8三銀△7一玉▲8二桂成△同銀▲7四香
まで、135手で関根七段の勝ち。

2002年引退。87歳は大往生であろうが、いくつであっても亡くなられるのはさびしいこと。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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