一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

1月の検索キーワード

2017-01-31 00:06:46 | プライベート
goo恒例の「無料アクセス解析」が、22日から始まっている。
これは2か月に一度行われ、ふだんは有料のアクセス解析(閲覧の時間帯、訪問者の時間帯、検索キーワード、ページごとの閲覧数、閲覧元URL、ブラウザリスト)が10日間、無料で見られるというものだ。例えば初日だと、その前の10日分のデータも見られるので、実質20日近くのデータが見られることになる。
では18日と26日の分を転載してみよう。

18日
1.将棋一公(11PV)
2.十七世名人(2PV)
3.丸山棋士 竜王戦(2PV)
4.長崎アンデルセン(1PV)
5.永世名人は誰か(1PV)
6.将棋感想戦拒否(1PV)
7.夕日が丘の総理大臣の北川真弓 綺麗(1PV)
8.伊藤能(1PV)

26日
1.将棋一公(4PV)
2.熊坂学 ブログ(2PV)
3.飯野愛 -site:jin115.com -site:.esuteru.com -si...(1PV)
4.林葉直子グラビア(1PV)
5.大沢一公(1PV)
6.公の名は(53)(1PV)
7.一公ブログ(1PV)

検索ワードがすいぶん少ないが、これはYahoo!が集計方法を変えたためらしい。
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第44期女流名人戦予選・1回戦の勝敗予想の答え合わせ

2017-01-30 00:53:09 | 勝敗予想
27日に行われた女流名人戦予選2回戦・高群佐知子女流三段と中倉宏美女流二段の一戦は、高群女流三段の勝ち。
…しかし、あれ?
私は毎年女流名人戦予選の勝敗予想をしているが、高群―宏美戦はどちらを勝ちにしたっけ?
よく考えたら、今期はとりあえず1回戦のみの勝敗予想をしたのだった。もう2回戦も半数以上を消化していて、1回戦の答え合わせと2回戦の勝敗予想を完全にうっかりしていた。
では遅まきながら、1回戦の答え合わせをしよう。なお下の結果は、実際の勝敗である。

1枠
●和田あき女流初段―○里見咲紀女流1級…間違い
○長沢千和子女流四段―●石高澄恵女流二段…正解
○渡辺弥生女流初段―●真田彩子女流二段…正解
●上川香織女流二段―○塚田恵梨花女流2級…正解
○本田小百合女流三段―●北尾まどか女流二段…正解

2枠
○村田智穂女流二段―●鹿野圭生女流二段…正解
●久津知子女流二段―○武富礼衣女流3級…正解
●斎田晴子女流五段―○高群佐知子女流三段…間違い
●野田澤彩乃女流1級―○島井咲緒里女流二段…正解

3枠
●山口絵美菜女流1級―○長谷川優貴女流二段…正解
○高浜愛子女流2級―●大庭美樹女流初段…正解
●蛸島彰子女流五段―○藤田綾女流二段…正解
○千葉涼子女流四段―●中村桃子女流初段…間違い

4枠
●船戸陽子女流二段―○石本さくら女流2級…正解
○竹部さゆり女流三段―●飯野愛女流1級…正解
●堀彩乃女流3級―○相川春香女流初段…間違い
●安食総子女流初段―○カロリーナ・ステチェンスカ女流3級…間違い

以上、正解12、間違い5。まあ、こんなものであろう。
3回戦と決勝戦の予想はしたいと考えているが、また忘れてしまうかもしれない。
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角館の美女(第5回)

2017-01-29 00:41:59 | 小説
(2011年6月13日のつづき)

その年、つまり平成6年の夏に、私は務めていた工場を辞めた。この業界も景気が悪くなり、注文が少なくなっていた。そうすると真っ先に切られるのは、私のような中途半端な存在である。最初の会社がリストラ、そして今回も似たようなものだ。どうして私は会社運が悪いのだろう。
3か月ほど就職活動をして、次に務めた会社は小さな広告代理店だった。パソコン系の広告を扱っており、新卒の会社での業務と似ていたこともあって、即採用だった。
だがこの会社が安月給の上なかなかに激務で、皮肉なことに角館の美女のことを考える余裕はなくなっていた。
それでも心に余裕ができたある日、私は「会社四季報」を買い、以前郁子さんのご母堂がつぶやいた「3文字の会社名」を調べてみた。するとその会社名は実際にあり、かなりの大手だった。
ダメもとで電話を掛けてみる。人事課に繋がったので、私は「千葉郁子」という名前の女性が勤めていたかどうか訊いてみた。
すると相手方が
「その女性は昭和62年に入社して、翌63年7月に退職しております」
と言った。
私は半ば放心状態になった。
…同一人物だ…。郁子さんは本当にこの会社に勤めていた。ご母堂の言葉は本当だったのだ。
郁子さんはこんな大手に勤めたにもかかわらず、わずか1年余りで退職し、地元に帰った。そしてその1か月後、私は角館の武家屋敷で、彼女と巡りあうことになったのだ。
「そ、その女性の当時の住所を教えていただけませんか?」
私は平静を装って訊く。
「は? …そんなこと、お教えできません!」
ガチャリ、と物凄い勢いで切られた。…まあ、そうなるだろう。どこの誰とも分からぬ男に、そこまで突っ込んだ情報は教えられまい。それによく考えたら彼女は会社を辞めたあと、角館に戻り数年間住んでいたのだ。当時の住処はとっくに引き払っているはずで、そもそも訊く意味がなかったのだ。
彼女はM治大学文学部を卒業している。御茶ノ水にある大学の教学部に行って、何か情報を得られまいか。社交性の高い郁子さんだから、当時の友人といまも交流があるのではないか?
たとえば卒業生名簿を入手し、ほかの卒業生の電話番号に片っ端から掛ける。一人ぐらい親切な人が、郁子さんの近況を教えてくれないだろうか?
イヤ無理だ。どう考えてもこれは独善の読みである。そんなにうまくいくわけがない。
「探偵を雇えば?」
私の幼馴染は真顔でそう言った。「実家の住所と電話番号は分かってるんだろ? そりゃ探偵の手管はすごいらしいぜ。何かの業者を装って、シレッとウソをつく。言葉巧みに誘導して、ターゲットの現住所を聞きだしちまう」
確実に彼女の現住所が分かるのなら、一考の余地はある。しかし望みが叶って私がいきなり彼女の前に現れたら、彼女は驚くだろう。私がやっていることは、いまの言葉でいうストーカーなのだ。
いや住所が分かったら、最初に手紙を出せばよい。それで私が了承を得たら、初めて彼女と再会するのだ。
いやこれも独善だ。いきなり手紙が来たら、男がどうして自宅の住所を知り得たか、誰だって不審に思う。会うわけがない。それに切実な問題として、探偵を雇ったら、費用がいくらかかるだろう。軽く数十万はするだろう。私の貯金ではとてもムリだ。

その翌年、私は角館に向かった。例の理容院に入り、髪をカットしてもらう。店の夫婦は私のことを覚えていた。私は最初に訪れた時、ご夫婦には誠意をもって接したつもりだ。それが伝わったのか、今回私への嫌悪は感じられなかった。
郁子さん宅に行ってみる。緊張の一瞬である。その佇まいは変わっていないが、中に人がいるふうではなかった。
私は近所を当たってみる。すると、郁子さんのご尊父が体調を崩し、入院しているとの情報を得た。
サングラスの奥から覗くご尊父の濁った眼が、私の脳裏によみがえる。
が、今回の収穫はそこまでだった。

その半年後、私はまたも角館に向かった。郁子さん宅に向かう途中、市民病院があった。ここにご尊父は入院しているのだろうか。いや病状によっては、大曲市や秋田市に入院しているかもしれない。
だが入院先を知っても、私には意味がないと分かる。のこのこ御見舞いに行ったところで、「誰だお前は!! なんだお前は!! 帰れバカ野郎!!」と叩きだされるのがオチだ。
私はまた理容院に寄って、髪をカットしてもらう。もはや私のジンクスだ。会計の時、料金が少し安くなった気がしたが、勘違いだろうか。
郁子さん宅に人はやはりいなかった。付近で井戸端会議をしている輪があったので、そこに向かう。
かくかくしかじかと事情を話し、郁子さん宅の近況を訊いてみる。その最中、私がかつて話を聞いた、初老の奥さんが混じっていたことに気付いた。私に長男かどうか訊き、私を値踏みするような目で見、瞳の奥に警戒感と軽蔑の眼差しを宿していた人だ。
奥さんも当時の私と認めたはずだが、近所の目もあったから、私をあからさまに罵倒することはしなかった。
ただその奥さんは、
「千葉さんとこは秋田市に移転するみたいよ」
と言った。「そこで事業をするんですって」
商店は休眠状態だったようだし、再開するにしても誰が業務を継続するのかと訝ったが、その情報が本当なら、ついに私と郁子さんとを繋ぐ糸が切れる。
もはやここまでか…。私は観念した。

このころ鉄道業界では大イベントが進行していた。角館の路線である田沢湖線に秋田新幹線が通ることになり、改軌工事のため平成8年3月から1年間、田沢湖線が休止になったのだ。
その間は代行バスが走ったが、私は角館に行く気はしなかった。
平成9年3月22日、秋田新幹線が華々しく開業した。上野から東北新幹線と同じダイヤで走り、盛岡で秋田行き「こまち」が分離する。在来線上を走るが軌道は新幹線である。ただ地形の関係で新幹線ほどのスピードは出せないから「ミニ新幹線」となる。
それはともかく、上野から乗り換えなしで角館に行けるとは、昭和63年当時は思いもしなかった。値段を度外視すれば、中途半端な地方に行くよりよほど早い。便利な世の中になったものだ。
その角館には、その年の6月14日(土)に行った。ただこの時は正直、もう郁子さんには会えないと観念していた。何しろあれから9年近くも経過している。郁子さんも32歳、さすがにもう結婚しているだろう。
この時は「ウイークエンドフリーきっぷ」(15,000円)を使い、やまびこ・こまち27号に乗った。08時07分は、上野発。車内は満席だったが、途中で座ることができた。角館には11時52分着。3時間45分の新幹線旅だった。
駅前に出る。新幹線の停車駅だけあって、駅舎は面目を一新していた。武家屋敷の入母屋風で、東北の小京都にふさわしい。駅前は綺麗に整備され、人力車が人待ちをしていた。右手の秋田内陸縦貫鉄道も、駅舎は瀟洒な建物に替わっていた。
それまで角館は、時刻表ではただの特急停車駅だったが、この時は「周遊指定地」に昇格していた。
私は武家屋敷を一瞥したあと、郁子さん宅に向かう。
市立病院の角を曲がり田沢湖線の線路を越え、理髪店の先の道を右折すれば郁子さん宅である。
が、その田沢湖線の手前の道路が、大変なことになっていた。
(つづく。アップ日は未定)
コメント (2)
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2016九州旅行・7

2017-01-28 00:06:28 | 旅行記・九州編
結局私は買わなかった。買えば10億円が当たるかもしれないが、買わない宝くじは当たらない。この消極性が私のすべてである。
地下街を一通り回ったが、これといった店がなかった。私は引き返し、いったん地上に出た後、どこかのビルの地下街に入る。うどんの「杵屋」があった。もう一店、うまいうどんを食べさせてくれる店があるのだが、そちらの場所は分からない。
この杵屋は以前も入ったことがあったので、再び入店した。注文するは「ごぼ天うどん」である。ここで注意すべきは半玉大盛りにすることで、無料なのだ。
うどんはちゅるちゅる、ごぼ天も旨く、760円の価値は十分にあった。
私は博多駅に向かう。途中、福岡市役所前の広場を通ると、クリスマスイヴェントをやっていた。立派なゲートが設えられ、「TENJIN Christmas Market」の文字盤が貼られていた。ここは博多どんたくの時しか訪れたことがないので、ちょっと新鮮だ。天神駅前のイヴェントと連動しているのだろうか。
中はきらびやかな装飾に数々の飲食店があった。若者らで大いに盛り上がっていたが、ここでは自分の孤独がつらかった。
数年前なら十分楽しめたと思う。しかし来年の仕事のことを考えると、憂鬱になってきたのだ。



天神中央公園を通り、櫛田神社にお邪魔する。博多どんたくと逆ルートを行っている形だ。
「飾り山笠」がライトアップされていて、夜のそれもなかなかに鮮やかだった。私はここでもお賽銭の10円を投ずる。太宰府天満宮も同額だったが、5円玉が尽きたのだ。
中洲川端の商店街に入る。かなりの店が閉まっていたが、100円ショップは開いていた。今回旅ノートを忘れたので、ノートを購入する。もちろん外国製だが、3冊108円は涙の出る安さだった。
先を急ぐ。博多駅前といえば、先月(11月)8日、ここで道路の大陥没が起きた。その現場を見たい気もするが、ちょっと歩き疲れて、行く気がしない。そのまま最短距離を行き、博多駅に着いた。
私のイメージだが、夜の博多駅構内は新幹線をはじめJR在来線や地下鉄の乗降客でごった返していると思う。しかし表はビル街なので、意外に人の通りはない。そこは天神界隈のほうがはるかに賑やかである。
しかし今夜は駅前の木々が青紫にライトアップされ、ここでも盛大なイヴェントが行われていた。もちろん多くの人出である。
市役所前と同じうように飲食店やアクセサリー店が出展し、奥のステージではアイドルのミニコンサートをやっていた。辺りも青を基調とした装いで、雪景色を想起させる。食事処のテーブルは多く用意されているが、ほとんどが埋まっていた。
ゲートには「CHRISTMAS MARKET in Hikari no Machi HAKATA 11.15Tue▶12.25Sun」とあった。どうも、天神と合同の企画らしい。
私は何かを買うわけでもないが、天神中央公園や櫛田神社の静寂がウソのように人が大勢いて、私はほっとした。何か、歩いているだけで元気が戻ってきた。



帰りのスカイマークは21時15分発である。まだ午後7時半だから余裕があるが、空港でお土産を買わねばならない。
私は後ろ髪を引かれる思いで、19時48分発の地下鉄空港線に乗った。2泊2日半と短かったが、まあ充実した旅だったと思う。
来年、この時期に九州を訪れることができれば嬉しいが、そうなるかどうか。2017年は我が人生で最も激動の年になるだろう。そんな中、どこまで平常心を保ちながら過ごせるか…。
私にその自信はない。
(おわり)
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2016九州旅行・6

2017-01-27 00:47:02 | 旅行記・九州編
バス前方の掲示板に「筑紫野」の文字が見え、私は停車ボタンを押し、降りた。
私の記憶が確かならば、ここ二日市温泉は、私が学生時代に初めて九州を訪れた時の、最初の観光地だった。入った食事処が「すしかいぜん」というころで、ウエイトレスさんがとてもかわいかった。その1週間後、私は彼女に会いに、再びその店を訪れたほどだ。
その数年後に再び二日市温泉を訪れたとき共同浴場を利用したら、地元のおじいさんと話が弾み、しまいには「立派なもんを持っとる…」と感心されたのもいい思い出だ。
そんなわけだから二日市温泉で立ち寄り湯の手もあったのだが、今日帰京することを思うと、のんびりする気にはならない。何となく動きたくなった。
国道と思しき道を歩くが、西鉄(JR)には合流しない。30分近く歩いて、「太宰府→」の案内標識が見えた。
私は右折するが、駅はもちろん、太宰府へはまだまだかかりそうだ。
JRの線路を越えたが、最寄りの駅が分からない。太宰府行きのコミュニティバス停があったが、行き先が4つあり、どれに乗っていいか分からない。もう、分からないだらけだ。
先を急ぐとジョギング中のご婦人が目に入ったので、太宰府方面を問うてみた。
すると西鉄の小駅からバスが出ているとのことで、その駅もすぐ近くだった。
駅前……都府楼駅という雅な駅に着くと、バス停があった。しかし次の大宰府行きは20分後である。が、よく考えたらここは西鉄の駅なのだ。電車に乗れば即解決である。
次の電車に乗ると、これが太宰府行きだった。いままでの苦労が何だったのかというくらい、あっけなくゴールが見えた。
西鉄二日市で5分の停車があり、終着太宰府駅に降りたのは16時42分である。そろそろ黄昏時だが、観光客はまだ多かった。
太宰府天満宮は菅原道真を祀っており、年間参拝客は850万を数えるという。まさに押しも押されもせぬ大天満宮である。
駅前から参道を歩くと、両側に土産物屋が並んでいる。ここの名物は梅ヶ枝餅で、どこも一律120円である。これは帰りに買おうと思う。
太鼓橋を渡り、手水舎でお清め。御本殿に入り、参拝をし、お賽銭を投じ、おみくじを引く。今度は大吉だった。
心字池を回って参道に戻り、梅ヶ枝餅を買う。ホクホクサクサクモチモチで美味かった。
苦労したわりにはアッサリしたお参りだったが、勘弁しておらおう。
太宰府からは17時09分の大宰府線に乗る。タイム7分で西鉄二日市に着き、2分の待ち合わせで大牟田線に乗り換えた。
17時37分、西鉄天神着。迷いながら表に出ると、空は漆黒の闇に包まれ、どこかの公園の木々や庭がライトアップされていた。いわゆるクリスマス仕様で、若い男女が多かった。中年のオッサンがふらふらするには場違いだが、個人的にはそれでも楽しい。

地下に潜り、地下街をぶらぶらする。ここもどことなくクリスマス仕様で、シックな趣がある。
さて最後の晩餐をどこにするか…これも旅の楽しみである。
ぶらぶら歩いていると、右手に宝くじ売り場があった。あんでるせんでは、宝くじを買った人が高額賞金に当たった例がある。年末ジャンボを買おうか…。
(つづく)
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