一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

不明を恥じる

2016-04-30 18:00:41 | 女流棋戦
27日(水)は、福島県郡山市にて、マイナビ女子オープン五番勝負第2局が行われた。
12日(火)の第1局は、終盤まで室谷由紀女流二段が優勢だったが、最後にうっちゃられた。加藤桃子女王と室谷女流二段の実力差を考えると、室谷女流二段が2番勝てれば上出来。それなのに勝てそうな将棋を落としたのだから、今後の展開は推してしるべしと、私は暗澹たる気持ちになった。加藤女王、余裕の防衛になると思った。
さて第2局、私のスマホでは局面を見られないので、情報入手が細切れだ。
昼に見たら、さっそく駒がぶつかっていた。加藤女王が▲9八香と上がっているから穴熊を明示したのだが、▲8八玉型のままだ。しかも先に仕掛けたのは加藤女王のほうらしく、ちょっと真意が分からない。▲9八香と上がったからには、▲9九玉~▲8八銀を一刻も早く指しそうなものだ。
何となく、室谷女流二段がノビノビ指しているように思えた。
夕方に見たら室谷女流二段が勝勢になっており、しばらくしたら、将棋が終了していた。今回は室谷女流二段がスッキリ決めたようである。

夜、PCで棋譜をあらためて確認する。新人王戦の近藤誠也四段の時もそうだったが、すでに室谷女流二段が勝っている将棋を再生するのは精神衛生上よろしい。
将棋は室谷女流二段の角道を止める振り飛車だった。やはり振り飛車はこうでなくてはいけない。
加藤女王の仕掛けの後は、室谷女流二段が巧みに攻めた。とくに左の桂が△5七に成りこんだのは会心の跳躍だ。
以下、際どい手順前後があったものの、流れるような手順で、室谷女流二段の快勝となった。

本局、私が感心したのは62手目の△5三飛(第1図)と、82手目の△2一飛(第2図)だ。


私クラスの棋力だと、自陣の飛車は縦に使おうとしがちだ(ちなみに、敵陣の竜は横に使いたがる)。だから▲4四歩に△5三飛が、意外に浮かばない。室谷女流二段は、振り飛車を自分のものにしていると思った。
82手目の△2一飛にもしびれる。振り飛車は飛車を大事にしていては勝てない。時には相手の駒と刺し違えることも必要なのだ。これぞ振り飛車の捌きである。
ともあれこれで1勝1敗。室谷女流二段が2局とも全力を出し切った感じで、充実している。
反対に加藤女王は、本調子ではないようだ。ちょっと、地に足がついていない感じ。
私はまだ加藤女王が優位と思うが、以前「加藤女王が3―0で勝つ」と書いたのは当然ながらお詫びして撤回。室谷女流二段が女王を奪取しても、もうマグレだとは思わない。
私は室谷女流二段の実力を誤認していた。おのが不明を恥じるのみである。
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植山の名局・余話

2016-04-29 02:09:05 | 将棋雑記
映画「ちはやふる<下の句>」、本日公開。




   ◇

第7期竜王戦ランキング戦5組準決勝、植山悦行五段と真田圭一五段との一戦は読売新聞将棋欄に掲載されなかったが、深浦康市四段との決勝戦は、武者野勝巳・現七段の筆によって、1994年7月3日から8日まで掲載された。
今回はその観戦記の一部を引用させていただく。

【第1譜】
◇…若手キラー
植山ほど不思議な星の偏りを見せる棋士はいないだろう。なにしろこの若手棋士全盛の将棋界にありながら、新鋭プロにはめっぽう強い。となればこれほど心強い味方はいないのに、さほど勝率の高くないおじさん棋士には、反対にさっぱり勝てないからだ。
(中略)
この「おじさん棋士」は、植山が先輩に愛着を込めて使う呼称。どうやら植山にとって新鋭とおじさんとの分水嶺は自分の年齢にあるようで、「今期の竜王ランキング戦は一回戦から大野六段、小倉五段、加瀬五段、真田五段と一人もおじさん棋士に当たらなかったのが幸いした」と胸を張る。
(後略)

ベテランに弱く若手棋士に強いとは、何となく植山七段らしくて可笑しい。
もう全文を引用したいのだが、もう一箇所だけ引用させていただく。

【第4譜】
◇…意表の勝負手
植山には「みずも」ちゃんという二歳のまな娘がいる。(中略)しかし対局は深夜に及ぶことも多い。そこで郷里の四日市から母を迎え、親子三代で住む家を埼玉に買うことにしたそうだ。植山「ローンも大変だし、頭金をしっかり稼がなきゃあね」と、これは昼休みの会話。
(後略)

棋士だから書ける裏話だ。しかし現在では個人情報保護法云々で、ここまで突っ込んだ話は書けなくなっていると思う。
しかし年月が経って読み返してみると、ニンマリするのはこういう観戦記である。少なくとも、指し手の変化満載のそれより、はるかに彩りがある。
ちょっと局面も見てみよう。

第1図から▲7一銀△7二飛▲6三歩△6一歩▲8四飛△7一飛▲8二飛成(第2図)と進む。

後手の飛車が詰んでいる。深浦四段は「▲7一銀からの一連の構想をうっかりした」とホゾを噛み、植山五段は「してやったり」の表情だった…と観戦記は伝えている。
しかし実際は、形勢は逆だったというから将棋は難しい。植山五段は苦労して飛車を入手したが有効な使い道がなく、対して深浦四段は△1九角成~△2九馬~△6四香(△6三香)など、指したい手がいっぱいある。
実戦もそう進み、終わってみれば、深浦四段の快勝となったのだった。
戻って植山五段の▲7一銀では、じっと▲6二歩と垂らすのがよかったらしい。

勝った深浦四段は決勝トーナメントに進出し、6組優勝の行方尚史四段と対戦するも、敗退する。勝った行方四段はあれよあれよという間に挑戦者決定戦まで勝ち進み、時の羽生善治名人と三番勝負を戦うことになるのである。
勝負事に「たら、れば」を言っても詮無いが、もし5組決勝で植山五段が勝っていたら――。栄誉や賞金云々はもちろんだが、「若手キラー」の植山五段である。行方四段との勝負は、おもしろくなっていたことだろう。
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植山の名局

2016-04-28 00:07:07 | 名局
24日の「99.9刑事専門弁護士」に出てきた居酒屋「酔の助」って、神保町の将棋ペンクラブ御用達「魚百」の、ナナメ向かいにある店ではないか??

27日の「ホンマでっか!?TV」で、澤口先生が「男子クラスで共学がよい」と語っていたが、この環境はけっこう辛いと思う。

   ◇

日付変わって今日4月28日は、植山悦行七段の59歳の誕生日。おめでとうございます。
その植山七段の名局を紹介したいと思うのだが、植山七段は大一番を指したことがあまりなく、実戦譜が棋書などに紹介されたこともあまりない。
超大物に勝った将棋といえば、棋聖戦の大山康晴十五世名人戦が思い浮かぶが、それはすでに紹介した。
そこで今日は、1994年4月5日に指された、第7期竜王戦ランキング戦、5組準決勝の将棋をお届けする。
竜王ランキング戦はどの対局も大きいのだが、準決勝は昇級が懸かっている。この期植山五段はよく勝ち、準決勝戦に臨んだ。相手は棋士3年目の真田圭一五段(現七段)だった。

1994年4月5日
第7竜王戦ランキング戦 5組準決勝
東京「将棋会館」
持ち時間・各5時間

▲五段 植山悦行
△五段 真田圭一

第1図までの指し手。▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲6六歩△6二銀▲5六歩△5四歩▲4八銀△4二銀▲5八金右△3二金▲6七金△4一玉▲7八金△5二金▲6九玉△7四歩▲7七銀△6四歩
▲2六歩△8五歩▲2五歩△7三桂▲7九角△5三銀左▲2四歩△同歩▲同角△2三歩▲4六角△4四銀▲3六歩△5五歩▲3七桂△6三銀▲5七銀△1四歩▲7九玉△6五歩(第1図)

植山五段の先手で、矢倉模様に進む。注目すべきは出だしの手順で、5手目は▲7七銀でなく▲6六歩である。現代では常識化されているが、22年前に▲6六歩が指されていたことが興味深い。
真田五段は米長流急戦矢倉で迎え撃つ。
△6五歩に植山五段の応手は。

第1図以下の指し手。▲6五同歩△同桂▲6六銀右△7七桂成▲同金寄△1三角▲3五歩△同銀▲6八角△8六歩▲同歩△6七歩▲同金寄△3六銀▲1三角成△同桂▲3三歩△2二金▲7三角△8六飛
▲8七歩△8一飛▲5五角成△3五角▲8八玉△6四銀打(第2図)

恐れず▲6五同歩と取ってしまうのがよいようだ。△同桂で両取りがかかるが、ひるんで6五に位を取られるよりよい、という大局観である。そういえばかつて渡部愛女流初段も、同様の局面で堂々と歩を取ったものだ。
本譜▲3五歩△同銀に▲5五角は△4四銀があるので、▲6八角と引く。
△8六歩▲同歩に△6七歩は▲同金寄と取られてもったいない気もするが、後の△8六飛に期待したものだろう。
△6四銀打に次の手は。

第2図以下の指し手。▲4五馬△同銀▲同桂△6五歩▲7七銀△4四歩▲3二銀△5一玉▲2三銀不成△2七歩▲同飛△4九角▲2八飛△2三金▲同飛成△6二玉▲3四竜△2六角▲5五桂△6七角成
▲同金△5九角成(第3図)

植山五段は▲4五馬と体当たりした。ふつうは▲4六馬だが、△同角▲同歩△3七銀不成でおもしろくないと見たものか。
もっとも▲4五馬にも△3七銀成はあったが、真田五段は△4五同銀。やはり駒得は大きい。
植山七段は▲3二銀と待望の打ち込み。このための角銀交換である。
真田五段は竜を作られたが、△6七角成と切り、△5九角成と肉薄する。かなりの迫力である。

第3図以下の指し手。▲9五角△7三銀打▲4四竜△6九馬▲6三桂成△同玉▲7八銀△4三金打(第4図)

▲9五角と打ち、駒を使わせる。
△6九馬の詰めろには▲6三桂成から▲7八銀がギリギリの受けで、これで一手勝っているという読みだ。
後手は△4三金打と竜をしかるが、ここでOk氏の好きな手がある。

第4図以下の指し手。▲7三角成△同銀▲6四歩△同銀▲同竜△同玉▲6九銀△4四金▲5五銀△同金▲同歩△6三銀▲5三銀△同金▲同桂成△同玉▲5四金△同銀▲同歩△6二玉
▲5三金△7一玉▲6二角△8二玉(第5図)

バッサリ▲7三角成といった。△同銀に▲6四歩と叩き、△同銀には▲同竜と、竜まで切ってしまう。
アタリになっていた駒を一掃し、▲6九銀と角を取る。これが▲5五角の先手で、優勢が見えてきたようだ。
本譜△4四金には▲5五銀、△6三銀には▲5三銀と打ち、守備駒をはがす。これが寄せのコツである。
△8二玉には格言通りの一手がある。

第5図以下の指し手。▲7二銀△8五飛▲7三金△9二玉▲8一銀不成△同飛▲7二飛(投了図)
まで、127手で植山五段の勝ち。

「玉の腹から銀を打て」の▲7二銀が好手。△同玉には▲7三金△6一玉▲7一角成△5一玉▲8一馬で先手勝ち。
真田五段は△8五飛と頑張ったが、植山五段は▲7三金から自然に追って、▲7二飛まで真田五段の投了となった。以下は△8二歩に▲7一角成で後手玉は受けなし。

本局、植山五段の緩急自在の指し回しが冴え、持ち味が十分に出た名局だったと思う。
これで植山五段の4組昇級が決まり、結果的にこれが、棋士人生唯一度の昇級となった。
一方の真田五段も、昇級者決定戦で勝ち、4組に昇級した。そして3年後の第10期竜王戦で、挑戦者になるのである。
なおこの将棋は、他の重要対局に押し出され、観戦記に載らなかった。
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マンガ家追悼

2016-04-27 12:36:08 | プライベート
今年に入って、著名なマンガ家が相次いで亡くなっている。

まず、ちば拓が2月27日に亡くなった。享年56歳。
代表作は1982年から週刊少年ジャンプに連載された「キックオフ」で、高校のサッカー部が舞台でありながら、主人公の永井太陽と川村由美がお互い見つめあって「永井くん」「由美ちゃん」とつぶやくシーンが毎週のようにあり、それだけが印象に残っている。

3月10日は聖日出夫が逝去。享年69歳。氏の代表作は「なぜか笑介」で、若手サラリーマンの奮闘記が我が人生と重なって、毎週興味深く読んでいた。
ちなみに私は中学生の時、同人マンガを描いていたが、級友から、私のキャラが聖日出夫の画風に似ていると言われたことがある。
氏のマンガでは、週刊少年サンデーに連載されていた「試験あらし」が好きだった。さまざまなカンニング方法を駆使して東大を目指すもので、毎回の奇抜なカンニングには唸ったものだった。

小山田いく、は3月にひっそりと逝去。享年59歳。代表作に「すくらっぷ・ブック」がある。これが連載されていた1980年前後の週刊少年チャンピオンは同誌の黄金期で、水島新司「ドカベン」、手塚治虫「ブラック・ジャック」、山上たつひこ「がきデカ」、石井いさみ「750ライダー」、古賀新一「エコエコアザラク」など、錚々たるマンガがそろっていた。
小山田いくの絵柄はほのぼのとしていたが、それゆえあまり読んだことはなかった。

望月三起也は4月3日に逝去。享年77歳。望月三起也といえば言わずと知れた「ワイルド7」で、テレビでは小野進也の印象が鮮やかだが、原作は週刊少年キングでの連載である。約10年間の長期連載だった。
私は原作を読んだことはほとんどないが、登場人物の一人「ユキ」が、「夏にユキが降ってくる」という老婆の予言のもと、最終話では本当にユキが天から落ちて終わった(と記憶している)のが印象的だった。

ご冥福をお祈りいたします。

話は変わるが、先月ある女流マンガ家が、あるマンガ編集者との会話をツイートした。ちなみにこの女流マンガ家は、現在将棋をテーマにしたマンガを連載している。
会話はこんな感じだったらしい。

編集者「なぜ将棋を(題材にしたの)?」
マンガ家「棋士と漫画家は似たところがあるような気がして」
編集者「どこが!? だって棋士は命を賭けてるんだよ!?」

――マンガ家は命を賭けていない、ということなのだろう。
マンガ編集者とは思えぬ暴論に、私は口をあんぐりした。こういう、棋士を盲目的に崇拝するあまり、アホなことを口走る手合いが意外に多いが、その矛先が同業者とは、開いた口が塞がらない。
私に言わせれば、マンガ家ほどわが身を削って仕事をしている人はいないと思う。つねに読者の望む作品を紡いで、その姿はストイックでさえある。私は将棋とマンガ、両方の世界を知っているつもりだが、マンガ家を将棋に譬えれば、順位戦を毎日戦っているようなものである。
だからマンガ家は短命が多い。有名どころでいえば、手塚治虫は60歳、藤子・F・不二雄は62歳、石ノ森章太郎は60歳で逝去した。ちば拓も小山田いくも、還暦前に亡くなった。
もちろん、やなせたかしや水木しげるなど長命のマンガ家もいるが、マンガ家の平均寿命は、日本人のそれを下回ると思う。
私の仕事はとても命を賭けてはいないが、肉体的な危険はわずかにある。しかしマンガ家のそれには遠く及ばない。でもわずかながら、命を削って、仕事をしているつもりである。
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1973年以前の将棋大賞を考える

2016-04-26 00:06:49 | 将棋雑記
第43回将棋大賞の最優秀棋士賞は、羽生善治名人が受賞。1989年の初受賞から、実に21回目の受賞となった。この27年間、将棋界は羽生名人を中心に回っていたことが分かる。
この将棋大賞は1974年から始まり、第1回の最優秀棋士賞は大山康晴十段・棋聖が受賞した。
もし将棋大賞がむかしからあったなら…。最優秀棋士賞は誰が受賞したのか、考えてみた。1951年から記してみる。

1951年 木村義雄名人
1952年 木村義雄名人
1953年 大山康晴名人
1954年 大山康晴名人
1955年 大山康晴名人
1956年 大山康晴名人
1957年 大山康晴名人
1958年 升田幸三名人
1959年 升田幸三名人
1960年 大山康晴名人
1961年 大山康晴名人
1962年 大山康晴名人
1963年 大山康晴名人
1964年 大山康晴名人
1965年 大山康晴名人
1966年 大山康晴名人
1967年 大山康晴名人
1968年 大山康晴名人
1969年 大山康晴名人
1970年 大山康晴名人
1971年 大山康晴名人
1972年 中原誠十段・棋聖
1973年 中原誠名人

名人の権威絶大ナリ。名人を獲得した棋士が受賞となろう。
微妙なのは1952年で、1951年度は、第10期名人戦で木村名人が升田八段に4―2で勝って防衛。第2期九段戦では大山九段が南口繁一八段に3―0で勝ち防衛。第1期王将戦では升田八段が木村名人を4―1で香落ちに指し込んだ。
殊勲は王将戦の升田八段なのだが、「陣屋事件」でミソをつけた。よって、最優秀棋士賞は木村名人とした。

1972年も激戦だ。
まず、大山名人は名人・王将・王位を防衛。
次に中原二冠は、十段・棋聖(前・後期)を防衛。当時は準タイトル戦だった王座戦も防衛。最強者決定戦も中原二冠が優勝。さらに名人挑戦を決めた。
タイトル戦の直接対決は、第12期王位戦・大山4―3中原、第10期十段戦・中原4―2大山、第18期棋聖戦・中原3―1大山。一般棋戦も含めると、大山8―10中原となっていた。
以上を勘案して、中原二冠を最優秀棋士としてみた。
ちなみにこのタイトルの分布は、この2年後にそっくり入れ替わる。その時は大山十段・棋聖が最優秀棋士賞を受賞したから、上の判断も間違いではないと思う。

以上、夢の将棋大賞を含めると、大山十五世名人の受賞は19回となる。あらためて羽生名人の受賞の多さが際立つのだが、ほかの棋士は何をやっているのだろう。奮起してもらいたい。
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