一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

里見香奈女流二冠の休場と、女流王座戦勝敗予想の答え合わせ

2014-08-31 00:46:01 | 勝敗予想
29日は、もうひとつの重大発表があった。里見香奈女流二冠が、休場期間を年末まで延ばすことになったのだ。
それに伴い、10月から始まる女流王座戦五番勝負は出場せず。残りの棋戦は、期間内に対局できない分は不戦敗の処置となった。

このニュースを聞いて、やっぱりか…と納得した将棋ファンも多かったと思う。当時は誰も言わなかった気がするが、マイナビ女子オープン五番勝負を戦っているときの里見女流二冠は頬がこけ、とても健常者のそれではなかった(もっとも、だから休場していたわけだが)。そして誰もが、この休場は長引く、と予感した。
しかし今回は、女流王座戦の五番勝負も出場しないというのだから、事態はそのときより深刻だ。タイトル保持者がタイトルを返上するのは初めてで、今回の決断は断腸の思いだったろう。
こうなった以上、里見女流二冠は、徹底的に病を治すしかない。外野の声にイチイチ耳を貸す必要はない。里見女流二冠は女流棋士である。自分が最善だと思う手を指せばよいのだ。
そして、4か月で帰って来ようとは思わないことだ。2年でも3年でも、治療に専念するがよい。それで奨励会三段リーグに支障を来しても、それが運命と受け入れることだ。
大丈夫、将棋ファンはそれまで待っていてくれる。

さて当ブログでは、7月23日に、第4期女流王座戦本戦トーナメント2回戦以降の勝敗予想をした。里見女流王座の休場により、挑戦者決定戦の加藤桃子女王と西山朋佳奨励会初段がそのまま五番勝負となったので、今回はその手前までの6局の、答え合わせをしてみよう。

<予想>
2回戦
○加藤桃子女王―●香川愛生女流王将
○中村真梨花女流二段―●渡辺弥生女流初段
●中井広恵女流六段―○伊藤沙恵奨励会1級
●清水市代女流六段―○西山朋佳奨励会初段

準決勝
○加藤桃子女王―●中村真梨花女流二段
○西山朋佳奨励会初段―●伊藤沙恵奨励会1級

結果から書くと、全問正解。私は奨励会員の力を高く買っている。彼女らの勝ちを軸にして組み立てればいいのだから、楽だった。
それにしても、タイトルホルダーの香川女流王将、実力者の中井女流六段、清水女流六段、中村女流二段がなす術なく負けるのだから、どれだけ奨励会員の実力はすごいのか、ということになる。
ともかくこれで、今期の女流王座戦も、奨励会員の頭上に栄冠が輝くことになった。
マイナビ女子オープンも含め、女流棋界最高の公式戦は、奨励会員のための棋戦、という位置づけになったと言ってよさそうである。
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第4回電王戦発表会雑感

2014-08-30 19:26:23 | 将棋雑記
きのうは「第4回電王戦における発表会」があるというので、楽しみにしていた。
といっても私はニコ生を見たことがないので、情報はすべてネットからの継ぎはぎである。
情報が小出しだったので分かりづらかったが、整理して以下に記すと、

・秋の3日間、選抜棋士と将棋ソフトがタッグを組み、トーナメント戦を行う。
・棋士対ソフトの第4回電王戦は来年3月より行い、5対5で雌雄を決する。
・棋士対ソフトの対決は来年をもって最後となる。
・2016年からは棋士とソフトがタッグを組み、高額賞金を懸けて争われる。

という感じだった。
最初に「タッグマッチ」という情報が出てきたので、これを「第4回」としてお茶を濁すつもりか、と私は訝ったが、これはプレシーズンマッチに相当する対局だったようである。
それにしたって、棋士とソフトがダブルスを組むのはどうなの、という疑問は残る。棋士とソフトは敵対関係にあると私は認識していたから、ダブルスに違和感を覚えたのである。
「本番」の棋士対ソフトは例年通り来年3月に行われるようでホッとしたが、何とこれが最終回とのこと。毎年楽しみにしていたのに、残念である。
もっとも私の認識では、ソフトの棋力はすでに棋士を越えている。何番勝負だろうと、最低でもソフトが勝ち越すと思う。いや本音を書けば、ソフト全勝である。それは相手が羽生善治名人でも新人四段でも変わらない。
棋士間から見れば、羽生名人など超一流の棋力は一枚も二枚も違うのだろうが、もはや将棋ソフトは、棋士トップレベルの棋力を凌駕していると思うのである。
しかし来年の五番勝負は、タイトル保持者は出場しないらしい。何とも尻すぼみの形で異種対決は終わるが、もう世間的に役目を終えた、ということなのだろう。

ただよく分からないのが、2016年からの対戦方式だ。電王戦が継続されるのはうれしいが、それが棋士とソフトのタッグマッチというので、ズッコケた。
上にも書いたが、棋士とソフトの組み合わせは、私の中ではあり得ないのである。これは花相撲、言っちゃあ悪いが、LPSA・1dayトーナメントのペア対決と変わらない。
とりあえず私たちは、残された「真剣勝負」を楽しむしかない。

それより私には、気になるニュースがあった。
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28日の未明に見た夢

2014-08-29 00:10:45 | 
28日未明、ヘンな夢を見た。

私は北海道を旅行していた。翌日帰京するというときに、私は稚内に行くことにした。
交通手段は数年前に廃止になった特急(急行)「利尻」である。夢の中だから、「利尻」は現存するのである。
本物の利尻はたしか23時ぐらいに札幌を出たが、夢の中では札幌始発が01時15分にダイヤ改正されていた。
ところが私が乗るときは、その発車時刻が03時15分に変更されていた。
私はその時間まで札幌駅付近で待ったが、それがどこだったかは分からない。辺りには何もない、寂しい田舎街だった。
ところが、いつの間にか時間は過ぎて、03時45分になっていた。どこかのオジサンが呼びに来てくれ、たまたま列車も遅れていたので、私は乗ることができた。
列車は3両編成で入線したが、大井川鐵道井川線のようなミニ列車だった。私は先頭の車両に乗る。しかし中の座席が異様で、それは四方の壁に沿って木製のベンチが設えられ、肘掛けで分けられていた。しかも横幅が50センチぐらいしかなく、とても大人は座れない。
私は後方の車両に移ろうとするが、ドアがない。ちょうど列車が止まったので表へ出たら、そこは駅ではなく、どこか白砂の上だった。
…というところで、何となく目が覚めた。

それにしても、日本最北端の稚内に行こうとするとはなあ…。
ヒトはさみしくなると、北へ行く。何か、己の未来を暗示しているようで、複雑な気分だった。
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タイトルを獲得したのにA級に昇級できなかった棋士(後編)

2014-08-28 00:24:32 | データ
中村修九段は昭和55年デビュー。昭和53年の「将棋マガジン」創刊号では中村修3級の記事が載っており、このときは「ついに四段昇段したか」と感慨深かった。
中村九段の同期には高橋道雄九段、南芳一九段、島朗九段、塚田泰明九段らがおり、彼らが後に大活躍したことから、「花の55年組」と呼ばれた。ただし、上の4人はすべてA級に昇級andタイトルを獲得したのに対し、中村九段はA級に昇級できなかった。
中村九段は居飛車も振り飛車も指し、その独特の棋風から、「受ける青春」「不思議流」と呼ばれた。
その中村九段の棋歴で特筆すべきは、第35期と第36期の王将獲得である。相手は当時名人の中原誠十六世名人。35期で奪取すると、翌期のリターンマッチも制し、堂々の2連覇となった。
きょうは、王将奪取が濃厚となった第35期王将戦の一局を紹介する。中村九段(当時六段)の2連勝で迎えた第3局である。

昭和61年2月3、4日
三重県二見ヶ浦「朝日館」
第35期王将戦七番勝負第3局・千日手指し直し局
先手・六段 中村修
後手・王将 中原誠

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲4八銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲5八金右△3二金▲7八金△7四歩▲6九玉△6四歩▲2六歩△6三銀▲2五歩△3三銀
▲6六歩△4一玉▲6七金右△7三桂▲3六歩△8五歩▲7九角△5二金▲3七銀△4四銀▲2四歩△同歩▲同角△2三歩▲6八角△5五歩▲2六銀△6五歩▲2五銀△4五銀
▲3七桂△5六銀▲3四銀△8六歩▲同歩△6七銀成▲同金△6六歩▲同金△5六歩▲5三歩△6六角▲5二歩成△同銀▲5三歩△7七角成▲同桂△6七銀▲1五角△3八歩
▲5一金△3一玉▲4二銀△2二玉▲2三銀成△同金▲同飛成△同玉▲2四歩△3二玉▲3三金(図)△同桂▲2三歩成△4二玉▲5二歩成△同飛▲3三角成△5三玉▲5二金△同玉
▲3二飛
まで、81手で中村六段の勝ち。

5手目▲7七銀が時代を感じさせる。矢倉模様の立ち上がりに、後手番中原王将の作戦は米長流急戦矢倉。
58手目△6七銀で先手玉が危ういが、▲1五角が不思議流の妖しい手。中原王将は飛車の横利きを消して△3八歩だが、これが敗着。なぜなら後手玉に即詰みがあったからだ。
中村六段は▲5一金から手順を尽くし、▲3三金(図)が妙手。芹沢博文九段は後に、「中原はこの手を見落としたのではないか」と看破した。以下、中村六段の勝ち。そして王将奪取、防衛を果たすのである。

大山康晴十五世名人は、「タイトルは防衛して一人前」と言ったが、中村九段は時の名人相手にこれをやった。それだけでも立派なのだが、その中村九段にして、A級ならず。将棋界はどれだけ厳しい世界なのかと思う。
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タイトルを獲得したのにA級に昇級できなかった棋士(前編)

2014-08-27 00:10:03 | データ
先日、「40歳以上でA級経験かつタイトル戦未経験の棋士」を発表したが、今度は「タイトルを獲得したのにA級に昇級できなかった棋士」を調べてみた。
すべてのタイトル戦を第1期から調べた結果、該当者は福崎文吾九段(54)、中村修九段(51)の2名のみだった。
福崎九段は第25期十段奪取(1987年)、第39期王座奪取(1991年)。中村九段は第35期王将奪取(1986年)、翌36期防衛。両者とも堂々のタイトル2期である。しかし順位戦は振るわず(とあえて書く)、最高位がB級1組だった。もっとも竜王ランキング戦では、福崎九段が1組10期、中村九段が1組11期を務めているから、これは両者とも、よほど順位戦に縁がなかったということだ。
両者は現在、順位戦はC級1組とB級2組に在籍している。さすがにこれからA級昇級は無理であろう。

さて、福崎九段といえば、振り飛車穴熊の名手、「妖刀」、「モナリザの微笑み」として有名である。
「妖刀」とは、何が飛び出てくるか分からないその指し手にある。また「モナリザの微笑み」とは、対局中の静かな笑みがモナリザのそれに似ていることから付けられたものであろう。
ちなみに私は中学生のころ、福崎九段に似ていると言われたことがある。
その福崎九段(当時七段)が十段を奪取した第25期十段戦は、相手が米長邦雄十段だった。下馬評では米長十段有利だったが、私はおもしろい戦いになると見ていた。
第1局は相居飛車の将棋から、福崎七段に△7五銀のタダ捨てが出て、福崎七段快勝。
第2局は福崎七段の三間飛車から、相穴熊になった。中盤、福崎七段が▲2二飛成とぶった切って、あとは小駒のみの攻めだが、ここからの手の繋ぎ方が巧妙だった。
ゴチャゴチャやっているうち、福崎七段が後手玉を寄せきった。
第3、4局は米長十段が返し、2勝2敗。次の第5局が天王山の一番となった。この将棋が、「私が選ぶ福崎九段の名局ベスト1」である。

昭和62年12 月9、10日
山形県天童市「滝の湯ホテル」
第25期十段戦七番勝負第5局
先手・十段 米長邦雄
後手・七段 福崎文吾

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△4二銀▲6八玉△5四歩▲7八玉△5二飛▲7八玉△6二玉▲5八金右△7二玉▲3六歩△8二玉▲2五歩△3三角▲4六歩△3二金
▲5七銀△9二香▲3八飛△4三金▲3五歩△同歩▲同飛△3四歩▲3六飛△9一玉▲2四歩△同歩▲3七桂△5三銀▲4五歩△同歩▲3三角成△同桂▲2六飛△3五角
▲2九飛△2二飛▲4九飛△8二銀▲4五桂△同桂▲同飛△4四歩▲4七飛△2五歩▲8八玉△7一金▲9八香△4二金▲4六銀△2四角▲9九玉△3三角▲8八銀△2六歩
▲5五歩△2七歩成▲4三歩△4一金▲5七飛△5五歩▲同銀△3七と▲6六銀△5二歩▲3七飛△2八飛成▲3四飛△1九竜▲3九歩△3二歩▲2三角△3一金▲3六飛△1七竜
▲5六角成△2七竜▲3三飛成△同歩▲7五桂△7四桂▲6五銀△6二銀▲5四角△2八竜▲6三桂成△同銀▲同角成△6一香▲5四馬△6五香▲同馬行△7八銀▲同金△5八竜
▲7九香△5九飛▲7二銀△5四竜▲同馬△同飛成▲7一銀不成△同銀▲6一飛△8二銀打▲6三銀△同竜▲同飛成△4五角▲5二竜△6六歩▲6一飛△7二銀打▲3一飛成△6七歩成
▲同金△同角成▲5八金△8九馬▲同玉△6六桂打▲6七歩△5八桂成▲同竜△6六歩▲6四桂△6一金▲7二桂成△同銀▲5三角△7一金打▲6六歩△同桂▲6八竜△7四桂
▲4四角成△5六歩▲4七金△5八角▲4八金△6七金▲5八金△同金▲7七竜△5七歩成▲4五角△8五桂▲6六馬△7七桂不成▲同馬△4九飛▲2七角△7九飛成▲同銀△6七金
▲4四馬△6八と▲8八銀△7八と▲9九玉△8八と▲同玉△7七銀▲同馬△同金▲同玉△6六角▲6七玉△5七角成▲7八玉△6八金▲8八玉△7七香▲4五角△6六香
まで、180手で福崎七段の勝ち。

福崎七段の中飛車で始まり、いろいろあって、またも相穴熊に落ち着いた。
中盤、▲7一銀不成~▲6一飛としたところで、福崎陣の守りは銀1枚。しかしここから穴熊特有の再構築が始まる。△8二銀打、△6一金、△7一金打と手順に固め、気が付けば福崎陣は、金銀4枚のガチガチになった。
さらに攻めては、△8九馬、△7九飛成と大駒を惜しげもなくブッタ切る。終盤は駒の損得よりスピード第一、風邪はひいても後手引くな、を地で行く好手だ。
最後は△6六馬で、次の△7八香成の両王手が受からず、それまで。盤上は、ほとんど福崎七段の駒になっていた。
福崎七段は、続く第6局も会心の寄せを見せ、見事十段奪取となったのである。
この七番勝負は、福崎将棋の魅力が存分に出ており、今でも語り草となっている。
しかしいいことばかりは続かない。翌年福崎七段は、B級1組から2組へ降級してしまう。
また十段の防衛戦でも、高橋道雄棋王に4連敗し敗退した。また振り飛車穴熊を見たい、というファンの期待には応えてくれず、全局相矢倉だった。

目を瞠る将棋を見せてくれたかと思えば、連敗を重ねて降級する。大豪からタイトルを奪取したかと思えば、それをあっさりと手放す。このムラが福崎九段の魅力でもあったのだが、それゆえに神は、A級昇級を許さなかった。
(つづく)
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