一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

角館の美女、50歳

2014-07-31 00:58:53 | プライベート
日付変わってきょう2014年7月31日は、角館の美女・郁子さんの50歳の誕生日である。
私が郁子さんと会ったのは1988年9月2日で、そのとき彼女は24歳だった。その彼女が50歳とは、感慨深いものがある。
もっとも郁子さんは東京オリンピックイヤーの生まれだから、当然そういうことになる。そして、あれから倍以上の歳を重ねたという事実にあらためて驚く。もっとも、美人はフケても美人、は私の持論である。もちろん例外もあるが、そこは美しい郁子さんのこと、いまも上品にフケていると信じたい。
そして私もまた、角館の美女に知り合ってからの人生のほうが長くなってしまった。だけど私はあの日から、肉体的には衰えたものの、精神的にはちっとも成長していない。まったく、穴があったら入りたい気分である。
いま、郁子さんは何をしているのだろう。きっと結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築いているんだろうな。あらためてお誕生日、おめでとうございます。

なお小説「角館の美女」は2011年6月13日のアップを最後に休止しているが、これはもちろん完結させるつもりである。ゴルゴ13の最終回ではないが、プロットは私の頭の中に入っている。ただ、それを書き出す馬力がない。今年中には何とかしたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松尾香織先生、お誕生日おめでとうございます。

2014-07-30 01:03:04 | 女流棋士
日付変わってきょう7月30日は、松尾香織女流初段40歳のお誕生日。おめでとうございます。
十の位が変わるのは10年に一度。人生80年として、40歳は折り返し点となる。私も数年前に経験したが、これは20歳や30歳のときと比べて、格段に辛かった。
20歳や30歳はまだ未来があったが、いざ不惑に到達すると、あとは暗黒の復路しか見えなかったからだ。
――と感じてしまうのは、それまで私が、何の実績も残さなかったからだ。いや本当に私は、何もしていないのだった。
こうならないために、10年後の自分を想像しなさいよ、とあんでるせんのマスターは口を酸っぱくして言っていたのに、私はその言葉を受け入れなかった。いまにして後悔しても遅い。こうなることが分かっていたのに、やっぱり悔やむ。
後半の40年はさらに辛くなる。体力や容姿は衰えていく一方だし、途中でフェードアウトという可能性も大いにある。事実4日前の7月26日、私の近所に住む同年代の社長が、心臓の病で急逝した。40歳以後は否応なく、死を意識せざるを得ない年齢に差し掛かっているのだ。
その他もろもろもろもろ、将棋のように数年先、数十年先を考えると、どう転んでも自玉に必至がかかり、発狂しそうになるのだ。

それはともかく、香織女流初段である。香織女流初段は女流棋士という花形職業になり、結婚もして、順風満帆の半生といえる。肝心の将棋はいまひとつのところもあるが、女流王将戦では本戦トーナメントに入ったりして、時々あれっという活躍を見せる。そこが香織女流初段の魅力でもある。
ふだんのほほん、と構えている香織女流初段、これからも飄々と生きていくのだろう。そんな彼女を、私はこれからも応援していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸名に駒の名前が入っている女性芸能人・2

2014-07-29 00:33:37 | 将棋雑記
きょうは、2011年4月15日に、LPSA芝浦サロンで石橋幸緒女流四段に教わった将棋を紹介しようと思ったのだが、肝心の棋譜ノートをどこかに紛失していまい、アップを先延ばしにせざるを得なくなった。

そこできょうは、2009年11月13日にアップした、「芸名に駒の名前が入っている女性芸能人」のPart2を紹介する。

歩…吉沢明歩(よしざわ・あい)
AV女優。アイドルデビュー後、2003年にAV女優に転向した。以後、30歳になる現在まで「現役」のようである。サイクルの早い業界にあって、これは異例の長寿である。彼女は引退後も、芸能界に残るだろう。
ちなみに私は、彼女のビデオを鑑賞したことはない。

と…さとう珠緒
プン、プン! のさとう珠緒も当年とって41歳である。もうここまで来たら、永久にこのキャラで通してもらいたい。
ちなみに女流棋界にも「たまお」がいるが、こちらは「圭生」。かように日本語は複雑でおもしろい。

香…香坂みゆき
歌手・女優。香坂みゆきは14歳でデビューしたことを覚えている。歌手として何枚ものレコードを出しているが、私は1982年発売の「レイラ」が印象に残っている。「レイラー!!」と歌いあげる豊かな声量は、さすがに歌手だと思った。

桂…渡辺桂子
元歌手・タレント。1984年デビュー。2局目のシングル「赤道直下型の誘惑」は、ずいぶん大仰なタイトルだったので、よく覚えている。しかし渡辺桂子の名前を全国区にしたのは、翌年放送されたドラマ「乳姉妹」(ちちしまい、ではなく、ちきょうだい、と読むらしい)での好演だろう。といっても、私は観たことがないので、感想は述べられない。ちなみに共演者には森恵がおり、彼女も懐かしい名前だ。
1986年に結婚、すぐに離婚し、以後グダグダな芸能生活になったようだ。

銀…桂銀淑(ケイ・ウンスク)
駒の名前が2つ入っているが、ここでは「銀」。桂銀淑は韓国出身の演歌歌手。ハスキーボイスで日本でも人気があったが、その後事件を起こし、日本には入国できないでいるようだ。

金…松金よね子
元・劇団東京乾電池所属の女優。道理で演技が怪しいわけだ。松金よね子といえば、1981年に放送された「翔んだライバル」の記憶がある。番組最後のNGコーナーで、彼女は口に含んだピーナッツをブフォッとやってしまい、スタジオが爆笑だった。
松金よね子は年齢不詳なところがあり、どんな役でもこなす、日本を代表するマルチプレーヤーである。

角…角替和枝
女優。かくがわり、ではなく、つのがえ・かずえ、と読む。夫は俳優の柄本明。2人の息子・祐、時生も俳優である。
角替和枝も劇団東京乾電池出身。ドラマの主役級は張れないが端役にはピッタリで、刺し身のツマのような味わいがある。なくてもいいが、なければ困る存在である。

馬…有馬稲子
1932年4月3日生まれの82歳。元宝塚。私見だが、宝塚女優は、歳を重ねても美しい。入学試験のときの審査がよほどしっかりしているのだろう。

飛…真飛聖(まとぶ・せい)
1995年、宝塚入団。2011年、退団。
いわゆる元宝塚だが、私には2012年から出演している、テレビ朝日系「相棒」での笛吹悦子役しか印象にない。しかし、なぜ「相棒」への出演だったのか。
花組トップ時代の2009年、舞台で「相棒」が上演され、真飛聖が杉下右京役を演ったことが関係あると思う。
こういうサッパリした女性は、私の好きなタイプである。ぐいぐい引っ張ってもらいたい。

竜…龍真咲(りゅう・まさき)
宝塚三連発で申し訳ないが、龍真咲も宝塚である。
2001年入団。月組に配属され、昨年ついに、月組のトップになった。
龍真咲は、身長が171cmあるのが素晴らしい。ちなみに私は、女性との立ち話は、相手が170cmぐらいのときがいちばんリラックスできる。どうでもいい情報で申し訳ない。

玉…安藤玉恵
わが東京都荒川区出身の女優。劇団出身で、コマゴマとテレビ出演していたが、彼女の存在を有名にしたのは、今年の4月から放送された「SMOKING GUN~決定的証拠~」での、小宮山祥子役であろう。ちょっとトボけた調査員を、巧みに演じていた(西内まりやも良かった)。
なお安藤玉恵は、よく見ると美人である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月4日は「関ジャニ7」に刮目せよ!

2014-07-28 00:03:46 | 将棋雑記
26日(土)のスポーツ報知に出ていた記事である。
「関ジャニ∞」が進行役を務める日本テレビのスペシャル番組の第2弾が、8月4日午後11時59分から放送されることになった。「関ジャニ7」というタイトルで、ひとつの業界をそれぞれのメンバーが独自の切り口で「取材」するものだ。ちなみに第1弾は「相撲」で、4月に放送された。
今回のテーマはズバリ「将棋」。メンバーの取材先は以下の通りである。

・横山裕…「駒職人」
・村上信五…「羽生善治名人にインタビュー」
・安田章大…「竹俣紅女流2級」
・渋谷(しぶたに)すばる…「棋界の事情通」
・丸山隆平…「中村桃子女流初段」
・錦戸亮…「東大将棋部」
・大倉忠義…「将棋サロン」

この番組は取材の完成度によって、割り当ての放送時間が変わるのが妙味。個人的には、「棋界の事情通」と「将棋サロン」が楽しみである。これらの放送時間が長くなってくれれば嬉しい。
ささ、これを読んだ皆さん、いますぐ録画のご準備を。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山の迷局・1

2014-07-27 01:22:38 | 名局
きのうは大山康晴十五世名人の受けの妙技を紹介した。が、名人も人の子。ときにはヘンテコな将棋も指してしまうわけである。きょうは、大山十五世名人がちょっとしくじった将棋を紹介する。

昭和51年11月17日
第3回名将戦・決勝三番勝負第1局
先手:棋聖 大山康晴
後手:八段 有吉道夫

▲7六歩△8四歩▲7八銀△3四歩▲6六歩△6二銀▲6八飛△4二玉▲4八玉△3二玉▲3八玉△1四歩▲1六歩△5四歩▲2八玉△5三銀▲6七銀△4二銀上▲3八銀△3五歩
▲4六歩△3三銀▲5八金左△5二金右▲2六歩△3四銀▲2七銀△4四歩▲5六銀△8五歩▲7七角△7四歩▲4七金△7五歩▲同歩△7二飛▲6五歩△7五飛▲3六歩△同歩
▲3八飛△8六歩▲同歩△5五歩▲7六歩△同飛▲6七銀△7四飛▲3六銀△4三銀▲7六歩△3四歩▲5六歩△同歩▲同金△7三桂▲6六金△8四飛▲5六銀△4二金上
▲5八飛△5五歩▲7五金△5六歩▲8四金△6五桂▲6六角△5七銀▲同角△同歩成▲3八飛△5六角▲3七飛△8九角成▲8一飛△5六と▲3九飛△4六と▲2七銀△4五馬
▲3六歩△5七桂成▲2五歩△5一歩▲2六銀打△4七と▲1七玉△4六馬▲3五歩△4五歩
まで、90手で有吉八段の勝ち。

名将戦は、かつて週刊文春に掲載されていた、全棋士参加の公式戦。本局はその決勝戦だから、けっこうな勝負であった。
その第1局、大山は四間飛車に振る。有吉は玉を固めて猛烈に攻める棋風。本局は玉頭位取りに舵を取った。
大山は▲3八飛と袖飛車に振り直す。大山の袖飛車は、対棒銀の急戦などにも用いられたが、ほかに指す棋士はおらず、大山独特の作戦だった。
大山55手目に▲5六同金と取り金銀バラバラだが、大山はときどきこんな形を平気で指していた。
さて62手目の△5五歩が本局のハイライト。ここで大山は▲7五金と出たが、これが一局を棒に振った大悪手。有吉に黙って△5六歩と銀を取られ、大山は予定どおり飛車を取ったが、この取引は、大事な金がそっぽに行ったうえに後手を引き、おもしろくなかった。
有吉、勇躍△6五桂と角取りに跳ね、私だったらバカバカしくて、この時点で投了しているところ。
もっとも大山だって以下は指してみたにすぎず、90手目、△4五歩と角道を開けられたところで投了した。
続く第2局も有吉が勝ち、同棋戦初優勝となった。

強者と対戦するときは、その人の敗戦譜を並べると自信がつく、は私の持論である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする