一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

室谷由紀先生、お誕生日おめでとうございます!!

2014-03-06 12:40:35 | 似ている
きょう3月6日は、室谷由紀女流初段の21歳のお誕生日。おめでとうございます!!
その室谷女流初段は、タレントの「やない由紀」に似ていると思う。
やない由紀(本名・梁井由紀)は、1983年5月18日、三重県鈴鹿市生まれの30歳。大学在学中に芸能活動を始め、2003年から某企業のレースクイーンを務める。現在は日本テレビ系「news every.」の特集コーナーで、坂田陽子、犬伏まりらとグルメレポーターを務めている。
ふたりは下の名前が同じだが、ズバリ、顔がそっくりである。これまでの「似ているシリーズ」で、「室谷女流初段は、成海璃子(女優)、杉本有美(グラビアアイドル)、後藤理沙(タレント)、鷲尾いさ子(女優)に似ている」と書いたが、「顔の似ている度」では、やない由紀が最も似ていると思う。
さて室谷女流初段は、4月から関東所属になるらしい。関西在住のファンから見れば不愉快な話で、関東在住の私から見れば、申し訳ない気持ちである。まあ、「室谷先生をお借りします」といったところか。いずれにしても室谷女流初段は、棋界の宝。臆することなく、これからも伸び伸びと活動してほしい。
あと室谷女流初段がやるべきことは、ミス日本コンテストに出場することであろう。室谷女流初段が出場すれば入賞は確実、将棋の普及に大いに貢献することになり、履歴にもハクが付く。是非応募を考えてほしいところである。
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30年目の卒業アルバム

2014-03-02 12:38:00 | プライベート
30年前のきのう3月1日は、私が高校を卒業した日である。
私はその前年、我が人生最大の難事に見舞われ、最悪の精神状態にあった。それが引き金となったわけではないが、卒業式前日は床屋で坊主頭にしてもらい、式に臨んだ。級友からは「出家するのか」と笑われたものだった。
当日は卒業アルバムが配られた。私は前年に、アルバム委員に任命されていた。最初は女子生徒2人が選出されたのだが、「それでは心許ない。大沢、お前もやってくれ」と、担任のM先生直々に指名されたのである。M先生は2年生のときも私の担任で、修学旅行のイベントのときに、私が先生の似顔絵を描いたことがあり、こうした作業には私がうってつけとフンでくれたようであった。私はアルバム委員を了承した。
さてアルバムには写真がつきものだが、我がクラスには写真部がおらず、運動会や文化祭での写真が乏しかった。アルバムを作るにあたり、新たに写真は撮ったが、各イベントの写真がなければサマにならない。
私はほかのクラスの写真部員に、イベント時で我がクラスの生徒が映っているカットを貸してくれるようお願いした。しかし彼らとは特別親しくなかったので、いい返事は貰えなかった。「てめーのクラスの写真ぐらい、てめーで用意しろ」というわけであった。
女子委員は私に任せっきりで、会合にも出ない。全く戦力にならなかった。
窮した私は、級友の似顔絵を前面に押し出すことにした。全級友に着てみたいコスチュームを聞き取り、それをイラストで表そうというものである。
描くのはもちろん私。多少の絵心はあったから何とか描けそうな自信はあった。実際描いてみると、自分でも驚くくらいの、そっくりな似顔絵が描けた。ちなみに私は、仮面ライダーのコスチュームとした。
アルバムにはこれが、見開きでドーンと載った。一見大迫力だが、やはり写真には敵わない。冷静に見ればこんな似顔絵、私の自己満足以外の何物でもなかったのだ。
なんていうことをしたのか…。私はひどい自己嫌悪に陥った。
写真のほうは、似顔絵の周りに、申し訳程度に配置した。各生徒は万遍なく載せるつもりだったが、クラス一の美人だった女子を優先的に載せたのは、公平性を欠いてよくなかった。
そしてもうひとつ、アルバムには各人の顔写真が掲載される。これがまた問題だった。
我が校は当時、生徒の男女比が4:1で、男子クラスと共学クラスがあった。私は1、2年は男子クラスだったものの、3年時はかろうじて共学クラスになった。クラスの男子は28人、女子は15人。出席番号は女子が先となり、私は男子で5番目だが、出席番号では25番となった。
アルバムには女子→男子の順番で顔写真が掲載されることになっていたが、それでは無機質でおもしろくない。私は、男子と女子をシャッフルする手段はないかと考えた。
そこで女子の写真をハート形にすると、綺麗に収まるのだった。クラスではふだん、男女の交流があまりなかった。卒業アルバムくらい、男女が交じりあいたいと考えたのだ。
…という考えが大ウソだったことを、私は30年目にして、初めて告白する。
アルバム上での「男女の交流」なんてどうでもいい。私は男女をシャッフルすることによって、好きだった女の子と隣り合わせになるよう仕組んだのだった。
ただ別の案としては、顔写真のページを教室内になぞらえ、各自の席順をそのまま配置することも考えていたことを付記する。
ただし、これでは「彼女」と隣り合わせにならない。席の配置は別のページに改めて載せることにし、私は前者案で行くことにした。ここでも私は、己の独断を優先させたわけだ。何しろアルバム委員は実質的に私ひとり。先の写真選別もそうだが、好き勝手ができたのである。
話を戻すが、男女の出席番号を混ぜながら順番に配置すると、上部左から男→女→男→男→男→女→私となる。これで私の左に女子がくるのだが、彼女も私が思いを寄せていたひとだった。ふつうだったら両隣に男子がくるところを、強引に室谷由紀ちゃんを持ってきたといえば分かってもらえるだろうか。
だがこれもやはり、出来上がったページを見ると、私には自己嫌悪しか残らなかった。あまりにもやり方が陰険である。大切な卒業アルバムを私物化するとは、何たること! 
やはり、「教室の席順」を採用すればよかった――。この案のほうが、はるかにスマートだった。
しかし、後悔しても遅い。ネット上の修正とは違い、出来上がった卒業アルバムは、一切修正が利かない。さりとて級友に本音を告白すれば、袋叩きに遭う。私は口をつぐむしかないのだった。
私が卒業アルバム上で犯した最大の犯罪。それはこの、顔写真のシャッフルである。
あれから私は「3月1日」が来ると、当時の過ちを思いだし、いたたまれない気持ちになる。
「当時のオレは、十分頑張ったじゃないか。少しでもいいアルバムを作ろうと、努力したじゃないか」
そう自分を慰めてみても、最後は「お前は大切な卒業アルバムを、己の勝手な欲求を満たすために利用したのだ」と、もうひとりの自分が告発する。
私の半生を顧みて、待ったをしたい1年。それは高校3年時の1年である。
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