一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2月25日のLPSA芝浦サロン(後編)・中井広恵女流六段【美人】

2011-02-28 00:29:02 | LPSA芝浦サロン
2009年8月に「第1回・私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」を発表してから、今月の第4回発表まで、船戸陽子女流二段がずーっとトップをキープしていた。その船戸女流二段が陥落するとは思わなかった。ただ、順位は日々変動している。8月発表(予定)の第5回が自分でも楽しみである。
私たちは芝浦サロンを出ると、先に退席していたW氏に連絡を取り、植山悦行七段と中井広恵女流六段、ドイツのFさんがいる酒の席に乱入した。
私が芝浦サロンに行って女流棋士に教えを請うことを羨ましいと感じる将棋ファンも多いだろうが、私だって指導料を払っているので、そこは「ギブアンドテイク」である。
しかしこのような場に同席して素顔の(女流)棋士とお話ができることは明らかな余得で、将棋ファン冥利に尽きる。
参加者は上記4人と私のほかに、Kun氏、Y氏、Kaz氏。8人揃って、あらためて乾杯となった。
きょうの島井ちゃんはかわいかったなあ、という話になる。そこはW氏がしっかりチェックしていて、
「それはネ、島井ちゃん、少し髪を切ったからだよ」
という。
「ああっ、島井ちゃん、また髪切ってたの!?」
私は頓狂な声を出す。
「うん、オレそう言ったら、島井ちゃん喜んでたよ」
そうか…それで島井女流初段、きょうはいつもよりキュートキュートだったのか…。全然気づかなかった。
以前も書いたが、私は女性の髪型の変化に疎い。しかしW氏は、女性の髪型に敏感である。将棋のほうはちょっとアレだが、こちらのほうはわずかな変化も見逃さない。
店内が薄暗いからだろうが、中井女流六段がゾクッとするくらい美しい。昨年末の「1dayトーナメント・フランボワーズカップ」での中井女流六段もアンニュイでいい感じだったが、きょうも洗練されたオトナの色香が漂って、私がいままで拝見した中で、最も美しかった。
「そうだ、きょうは大沢さんに見せたい写真を持ってきたのよオ」
その中井女流六段が、旧いミニアルバムの中から一枚の写真を見せる。
それは17歳のときの中井女流六段だった。お人形さんが着るような白のワンピースを着て、ちょこんと座っている。
「これは…かわいいです」
当時の女流棋界は、元祖アイドル棋士の藤森奈津子女流四段を除けば、林葉直子派と中井広恵派に分かれていたと思われる。芸能界でいう小泉今日子派か中森明菜派か、みたいなものだ。
私はやはり林葉直子派だったが、17歳の中井女流六段も純朴でかわいらしい。中井マニアにはたまらない一枚だろう。
中井女流六段はミニアルバムごと見せてくれた。佐瀬勇次名誉九段邸の門前で撮った、若き日の植山七段と、中井女流六段、ご母堂のショットがあった。植山七段はアフロヘアーで、すこぶる怪しい。しかし植山七段、こんなに髪があったのかと思う。時の移ろいは残酷だ。
中井女流六段とご母堂は、さすがに親娘だけあって、雰囲気がそっくりだった。
平成元年の結婚式の写真もある。ウエディングドレス姿の中井女流六段が綺麗だ。このときはハタチだったはずだが、いまとあまり変わらない。いまが若々しいのか、当時から大人びていたのか。
Fさんは将棋を指したくてたまらないようだ。3月1日(火)は芝浦サロンに行くらしく、「オオサワサンモ、キテクダサイ」と誘われてしまった。私もかつてFさんと一局指したことがあるが、Fさんの筋のいい指し手が印象深い。あれからFさんも将棋の研鑽を重ねているだろうし、またお手合わせ願いたいと思っている。
なんだか、相変わらず私ばかりしゃべっている。Kun氏は自ら進んで発言することはなく、静かな酒である。余計私のおしゃべりが目立ってしまう。
将棋で至福のときを過ごしたKaz氏は
「大沢さんと将棋を指したかったですぅ」
と、気持ちのわるい言葉をかけてくる。このフレーズ、できれば女流棋士から言われたい。
Y氏は5月からの社団戦に照準を合わせているようだ。今年は新加入の人もいて、4部星組も5部月組も、メンツは手厚い。
この居酒屋は人気があるのか、それとも時間制だったのか、早々にラストオーダーになり、私たちはせかされるように精算を済ませた。まあ最近は終電を逃す会員も多いので、この辺で切り上げるくらいが、味がいい。
ともあれ今週も楽しい週末だった。またこういう機会があれば嬉しい。
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2月25日のLPSA芝浦サロン(中編)・入れ替わる

2011-02-27 00:34:45 | LPSA芝浦サロン
植山悦行七段と中井広恵女流六段がいらっしゃることが分かっていれば、早く仕事を終えたのに…と嘆いても詮無い。
この日は島井咲緒里女流初段との指導対局のほかに、22日から新設された「芝浦ナイタートーナメント」もあった。指導対局は午後6時の回が1席空いていたので私はそこに入れてもらったが、トーナメント戦に出るためサロンに来た人もいたようだ。LPSAの狙いは新規のお客さんを取りこむことにあるはずで、まずはめでたい。
島井女流初段との指導対局に入る。右にはW氏が座っている。島井女流初段はきょうも一段とプリティーだ。何と言っても「私が勝手に選ぶ女流棋士ファンランキング」の2位である。こちらも将棋を指す気合が違う。
この日の気温は20度近くまで昇った。島井女流初段も一足早い春の装いである。
「(チョコレート)12番勝負の2局目です。憶えてますか」
「もちろんおぼえてます!」
これは意外な返答だった。私は「なんでしたっけ」とかいう答えが返ってくるかと思った。島井女流初段にはグダーッというイメージがあるが、意外としっかり者かもしれない。
指導対局が終わり、一般対局に入る。Kun氏とのリーグ戦がついた。リーグ戦を指すのは久しぶりでそれはいいが、Kun氏とは21日のジャンジャンマンデーでも対局しており、若干味が悪い。しかし好敵手との対局は燃えるものがある。
戦型は21日に続いて、Kun氏の早石田。私も21日と似たような形で進めたが、Kun氏は☗7三歩成から☗7四歩と押さえ、☗6五歩と捌きに出る。
☗7四歩☗7八飛、☖6三金☖8一桂☖8二飛の局面からKun氏は☗7三角と打ち、思わぬところで火の手が上がった。
私も敵王を攻め、間接的に自陣を受ける。以下も危ないところがあったが、私の辛勝となった。
対局後は、植山七段と中井女流六段が加わっての感想戦となった。これも懐かしい光景である。私たちクラスの将棋に口を挟んでもらえるとは、ありがたいことだと改めて思う。
四者による検討では、☗7三角(☗6五歩)の決戦は、先手の攻めが無理気味、との結論になった。しかし実戦的には難しかった、というのが実感である。
小休止していると、この日手合い係の大庭美夏女流1級から、3月13日に行われる「スプリングトーナメント」の案内をいただいた。
今年からLPSAは、毎月1回、休日にトーナメント戦を行うようだ。今回の審判棋士は島井女流初段。私は参加の予定はないが、島井女流初段に
「お待ちしてまーす」
と言われ、ちょっとグラッときた。
次は新潟から出張の方と対局。あとで聞いたのだが、新潟氏はこのブログを読んでくれているという。ありがたいことである。
新潟氏の星を見ると、指導対局や一般対局などで5連勝中だ。棋力は「初段」とあるが、それは過小申告だろう。もっとも「段位の過小申告」はサロンの伝統で、金曜サロンでは私たち会員のほとんどが、全国の標準的な棋力よりひとつ低い段位を申告していた、という笑い話がある。
とりあえず私が角を落として対局。しかし新潟氏の攻めが鋭く、困った。
☗6六角☗7六飛☗8七歩☗9六歩☗9九香 持駒・歩2、☖7三桂☖7四歩☖8二飛☖8五歩☖9一香☖9四歩
の局面で、☗9五歩が好手。やむない☖同歩だが、☗9二歩が次善手だった。ここは☗9四歩と垂らし、☖8三飛☗9五香☖9二歩☗9六飛で決まっていた。
ただし☗9二歩☖同飛のあとも、☗9三歩☖6二飛に☗9五香と走れば、下手の攻めが通っていた。
しかしこれで下手が不利になったわけではない。このあとも新潟氏快調の攻めが続いたが、最後は新潟氏が秒読みに追われ、これも私の辛勝となった。
いやはや勝つには勝ったが、冷や汗をかいた。新潟氏といつもこんな将棋ではたまらぬ。私は大庭女流1級に、新潟氏の二段昇段を進言した。
トーナメント戦も終了。時間も午後9時を回った。私たちも帰ろうとすると、島井女流初段が、
「大沢さん、また(次回)」
とわざわざ声を掛けてくれた。
かっ、かわいい…!! いや、この一言は利いた。…ああっ…こ、この瞬間、ファンランキングの、順位が、入れ替わった…!!
(つづく)
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2月25日のLPSA芝浦サロン(前編)・植山悦行七段礼賛

2011-02-26 02:03:56 | LPSA芝浦サロン
2月から仕事の終業時間が午後5時までになったが、来月はさらに時間が取れ、また金曜日の午後が休みになりそうである。そんな状態では仕事自体が危ぶまれるのに、私は「これでまた、LPSA芝浦サロンに明るいうちから通える」とほくそ笑んだりしている。人間のクズだと思う。
そんなわけで、25日(金)も、早びけしようと思えばできた。しかしさすがにそれは…と控えた。ところがこれが逸機になるとは、夢にも思わなかった。

25日の芝浦サロンは、島井咲緒里女流初段の担当だった。上記のとおり、私は5時に仕事を終え、6時少し前にサロンに入った。
と、室内がいつもよりにぎやかだ。見ると、植山悦行七段と中井広恵女流六段が指導対局をしていたので、驚いた。
言うまでもないが、植山七段はかつて、駒込金曜サロンの手合い係を務めていた。植山七段は気さくな人柄で、有段者にも初心者にも、レギュラー会員にも初顔の人にも、分け隔てなく接してくれた。私たちが指している将棋を横目で見て、その将棋が終わると、いつも寸評をくれた。いい将棋はほめてくれ、ひどい将棋のときは、愛情のこもった、辛辣な言葉をくれた。
そんな植山七段を私たちは慕った。ヨーコでも島井ちゃんでもひろみんでも天神でもない。植山七段の笑顔に接したくて、私たちは金曜サロンを訪れた。
その結果、金曜サロンには多くの会員がつどった。これすべて、植山七段の人徳によるものである。
そんな植山七段が手合い係の仕事を辞したのが、昨年の5月だった。いつかはその日が来ると心のどこかで覚悟しつつ、いざそのときが来ると、私たちは大いに嘆き、植山七段との別れを惜しんだ。
たぶん金曜サロンはこの時点で、実質的に終焉を迎えたのだと思う。もちろんその後も金曜サロンは継続したが、私たちの心にはポッカリ穴が開いていた。大きな虚無感があった。これから私たちは、何を楽しみにサロンに行けばいいのだろう。いったい、何の楽しみがあるのだろう。
その後私たちは、惰性で金曜サロンに通った。やがて訪れる会員も、ひとり、またひとりと、減っていった。
そしてLPSAは芝浦に移転し、植山七段復帰の目は完全に消えることとなる。埼玉在住の植山七段に、芝浦は遠すぎる。それより何より、芝浦での体制が、植山七段を必要としなくなっていた。
しかし数字は正直である。芝浦に移転してから、サロンは苦戦を強いられた。「芝浦サロン」の認知度が低いとはいえ、移転してから5ヶ月。1日あたりのサロン来客数は、駒込にはるかに及ばない。
これすべて、植山七段の辞任が根底にある、と考えるのは穿ちすぎだろうか。植山七段を礼賛しすぎだろうか。

今回植山、中井両棋士が芝浦に見えたのは、友人でありアマ高段の腕前であるドイツ人のF氏が来日したため、ここにお連れしたということらしかった。
植山七段、中井女流六段が指導していた会員は、Y氏とFu氏である。どちらも金曜サロンの準レギュラーだったが、芝浦に移ってから、訪れる回数は減った。しかしそのふたりが来たときに植山七段がいたとは、天の配剤と思わざるを得ない。
植山七段とY氏との指導対局が終わり、続いてSu夫氏との指導対局となった。金曜サロンでは、植山七段とSu夫氏の二枚落ち対局は、お馴染みの風景だった。年配のSu夫氏は、お世辞にも将棋の上達は早くなく、いつも植山七段から
「これは先週教えましたよねえ」
とお決まりの言葉を浴びていたものだった。そのたびにSu夫氏は苦笑し、私たちもつられて笑った。それはなごやかな光景だった。
その光景が数ヶ月の時を経て、再び私たちの前に現れた。Su夫氏は緊張からか、指し手が覚束ない。植山七段は、指導を交えながら、駒を進めている。その手つき、その口調。ああ、金曜サロンが戻ってきた。
私は胸が熱くなり、その光景をしばらく眺めていた。
(つづく)
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2月21日のジャンジャンマンデー(後編)・暴言をお詫びします

2011-02-25 01:02:45 | LPSAマンデーレッスン
芝浦サロンで私が最強と思う会員はO氏である。序・中盤の形の明るさ、研究量は他の追随を許さない。そして二番手グループの筆頭格がKun氏と思う。Kun氏もやはり不断の研究が光る。得意は振り飛車だが、相居飛車の乱戦も指しこなし、序・中・終盤とも穴がない。指していてイヤな相手である。
この日の4局目、Kun氏に勝てば三賞の光がはっきり見えてくる、大事な一戦であった。
振り駒で私の後手。余談だが、帰宅後この将棋を並べ返したら、どうも手数が合わない。ここで初めて、私が後手番だったことに気がついた。ずーっと、先手番だと勘違いしていた。
☗7六歩☖3四歩☗7五歩☖8四歩☗7八飛。ここで☖8五歩とすると、☗7六飛の菅井流でくるのだろう。そうなってはKun氏の研究範囲だから、私は☖8五歩を保留して、駒組みを進める。これで先手にはのびのび指されてしまうが、それで後手が作戦負けになるほど、将棋は簡単ではない。ひねり飛車の後手方だと思えば、対策はいくらでもあると思った。
数手後、☗1六歩に☖4四歩。これに☗4六歩は☖4五歩☗同歩☖同銀で1歩を手持ちにできるからよい。したがって先手は☗1五歩だが、私は☖4五歩と伸ばして、これで手に困らなくなった。
私は☖4三銀~☖4二金~☖4四角~☖3三桂と、着々と厚みを作ってゆく。
Kun氏は☗4八飛と回り☗4六歩☖同歩☗同飛と1歩を手にしたが、私は☖4五銀☗4八飛☖4六歩とガッチリ守る。次に☗4七歩☖同歩成☗同金ならこの位はなくなるが、先手の金が守りから離れるので、それは指さないだろうと思った。
4四と6五でお互い金銀を取りあったあと、私は6三の金を味よく☖5四金と上がる。これは厚みが生きる展開になった。
しかし☖8六歩☗同歩に、☖4三金と立った手がココセ級の緩手だった。指したあとに☗6四歩の垂らしに気づいた。実戦も☗6四歩。これを☖同金なら☗4四歩の叩きが厳しい(☗7七角が利いている)。よって☖6六金☗同銀☖同歩と進めたが、☗6六同角と歩を払わず、☗6三歩成とされて参った。
私は勢い☖6七歩成☗4四歩だが、ここで☖7七とがどうだったか。☗4一銀☖同玉☗4三歩成とされていたら、後手玉はほぼ受けなしで、投了もあった。
ところが本譜はたんに☗4三歩成だったので、☖同玉と取り、これは一遍に玉が広くなった。
以下は☖8六飛と走り、数手後の☗4七同飛に☖4六歩☗4九飛☖8八飛成と王手で成りこめては、さすがに優勢を意識した。
ではここで、終盤のハイライトを記してみよう。ここからは便宜上、先後逆とする。

先手・一公:1六歩、1九香、2二竜、2九桂、3七歩、5六銀、5七歩、6三金、6四歩、6五桂、6六玉、7五歩、8六歩、9七歩、9九香 持駒:角2、金、歩3
後手・Kun氏:1一香、1四歩、3三桂、3五歩、4七と、5三歩、5四銀、6一飛、7二金、7三歩、8一桂、8二王、8三銀、8四歩、9一香、9五歩 持駒:金、銀、歩

☗6三金に☖5四銀まで。私の残り時間は2分余り。Kun氏は30秒の秒読みに入っていた。
ここで私は☗7二金☖同銀☗7三桂成☖同桂☗7二竜☖同王☗8三角からの詰みを考えた。しかしちょっと過激か。じゃあ☗5三桂成と緩めるか。しかし自玉は大丈夫だろうか。桂馬がないので即詰みはないと思うが、危ない。いま見れば自玉に詰めろもかからないのだが、対局中はずいぶん危険に思っていた。
船戸陽子女流二段が、観戦に来ているのが分かった。いや松尾香織女流初段だったかもしれない。残り1分30秒。ここでいいところを見せてやれ、と、私は☗7三桂成と踏み込んだ。これを☖同桂なら、☗7二金☖同銀☗同竜…で、先ほどの順に戻る。ところがKun氏は☖9三王!
まったく読みにない手を指され、私は焦った。逃げる手は簡単に寄りだと考えていたからで、私はとりあえず☗8二角と打つ。しかし当然☖9四王と上がられ、8二角がスカタンになった気がした。☗8二角では黙って☗7二成桂か☗7二金、あるいは☗8三成桂☖同金☗7二角でよかった。
ここから私は乱れまくる。

☗6七角☖8五銀☗同歩☖6五歩☗同銀☖5五金☗7七玉☖6五銀☗8四歩☖7六銀打☗同角☖同銀☗同玉☖8五角☗8七玉

二枚目の角を打って銀を使わせたが、その銀を取っている間に、こちらも角を取られてしまった。「米長の将棋」では、「むやみに王手を掛けるべからず」と教えているが、こうなっては☗6七角も、貴重な持ち駒を使って、損だった。ここでも、黙って☗9六歩があったかもしれない。
本譜は明らかに流れがおかしい。さらに指し手を記してみよう。

☖6三飛☗同歩成☖8二金☗同竜☖6五角☗8八玉☖8七金☗7九玉☖6七角成☗6八金☖5七と☗6七金☖7八歩☗8九玉☖6七と

☖6三飛と質駒を取られて焦ったが、☗同歩成☖6七角成には☗7七金で受かると思った。ところが☖6七角成の前に、☖8二金と8二の角を取られて青くなった。ここで☗8二角の罪が具現化した。持駒を打つ罪のひとつは、「相手に取られる可能性がある」ということだ。自分の駒台に置いておけば、相手に渡ることは絶対にない。
私は仕方なく☗8二同竜だが、ここでは☗8三歩成と詰めろをかけておくほうがよかった。いまは竜を働かせるよりも、8四の歩を消去するべきだったのだ。…と対局中は考えていたが、☗8三歩成では☗8六金と攻防に打ったほうがなお良かった。
Kun氏は手順を尽くして☖6七角成。これが詰めろ逃れの詰めろになって、勝負あった。☗8三歩成なら、少なくともこの手はなかったのだ。
私は☗9一竜の王手。Kun氏は☖9二銀と引く。銀冠の8三銀で移動合いされ、クサッタ。賞品がかかっていなければここで投了というところだが、投げ切れなかった。ここからの数手は記すのをためらうが、自戒のために記す。

☗7六角☖同角☗9二竜☖9三角☗8三竜☖8五王☗9六銀☖同歩☗7四竜☖8六王☗8五飛☖同角☗9五銀☖7七王☗8六銀打☖6八王 まで、Kun氏の勝ち。

実は☗7六角と逃げ道を封鎖して、寄りがあると思った。しかし現実は全然詰まない。☗8三竜以下の指し手は見苦しく、棋譜を汚しただけだった。
投了したあとは、どちらも放心状態。ただもちろん、私のほうがショックが大きかっただろう。終盤のあの将棋を負けたら、勝つ将棋がない。いやはや、自分がこんなに弱いとは思わなかった。これでは天河戦で惜敗した船戸女流二段や松尾女流初段を笑えない。
船戸女流二段が、どちらが勝ちましたか、と聞きにくる。
「私です」
とKun氏。これはつらい瞬間だった。
駒を駒箱にしまって、受付でたむろしている女流棋士らの元へいく。松尾女流初段に、
「(天河戦で)中井先生に負けた松尾先生の気持ちが分かりました」
と憎まれ口を叩く。
「ムカツク~」
と松尾女流初段。
Kun氏がお手洗いに行ったのを確認して、
「いや~、必勝の将棋を負けましたよ」
と嘆く。すると藤森奈津子女流四段が
「私なんか現役時代しょっちゅうだったわよ」
と言う。「大沢さんも、陽子ちゃんとの将棋とか、悪いのを拾ったのがあったんでしょう?」
「ああ、だけどあれは……」
「負け将棋を勝ったりすることもあるんだから、これでおあいこ。文句を言わないの」
とたしなめられてしまった。おフクロ…。
中倉宏美女流二段が、
「大沢さん、この前はワイングラスありがとうございました」
と言う。
「いえいえ」
「あれ手作りで…高かったんでしょう?」
「いえ、まあ、はい。手作りだから、買う時にこう、4脚出してもらったんですけど、それぞれ微妙に違いましてね、中倉先生の輪郭に最も似ているモノを選びました」
「……」
「こう下ぶくれのやつを」
「…………」
「あああっ!! いや違います、あのっ、白ワインのほうは限定品のやつでして、現地でしか買えないものだったんですから。ネットでも売ってないやつだったんですから! グ、グラスだって初日に買うのは味が悪かったんですけど、ずーっとカバンに入れて、だ、大事に持ってきたんですから」
「…………」
どうもいかん、熱くなって、心にもないことを口走ってしまった。しかしこのままここにいると、自分でも何を言いだすか分からない。
私はKun氏とTat氏を誘い、サイゼリヤに向かったのだった。
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2月21日のジャンジャンマンデー(前編)・連勝止まる

2011-02-24 01:07:31 | LPSAマンデーレッスン
21日(月)は、LPSAジャンジャンマンデーに出向いた。ジャンジャンマンデーとは、マンデーレッスンS講師の藤森奈津子女流四段、船戸陽子女流二段、松尾香織女流初段の発案による「LPSA将棋部」のことで、ひたすら実戦を積むことを目的とする。第1回は1月31日に行われ、15人前後の部員が集い、熱戦が繰り広げられた。21日は全3回(第1期)の2回目だった。
午後6時開講。藤森女流四段の挨拶のあと、私も指名を受ける。私は前回4戦全勝で、参加部員中、最もよい成績だった。よって「本日の一日部長」となり、部員を代表して、挨拶することになったのだ。
部長挨拶。
「2時間半ですが、濃密な将棋の時間を過ごしましょう。悔いのない将棋を指しましょう」
この日はHak氏が来席、めでたく入部を果たした。またIz氏も久しぶりに顔を見せ、講師陣から盛大な歓迎を受けていた。あれが私だったら、あんな歓迎を受けただろうか。答えは否、であろう。Iz氏がちょっと羨ましかった。まあそれはともかく、Iz氏も元気そうで、なによりだった。
松尾女流初段が対戦カードを読み上げる。私はサロン仲間のTat氏と。後で分かったのだが、私が連勝中なので、Tat氏がストッパーとして、名乗りを挙げたらしい。
振り駒の結果、私の先手。ジャンジャンマンデーでは、これで5局連続先手だ。☗7六歩☖3四歩☗4八銀。Tat氏はゴキゲン中飛車を得意としているので、今回は二枚銀を中央に集めて、手厚く指すつもりだった。
ところがTat氏は☖9四歩。以下☗5六歩☖9五歩☗6八玉に、Tat氏は☖4四歩から四間飛車に振った。
ゴキゲン中飛車に開眼する前のTat氏は純粋振り飛車を指していた記憶があるが、Tat氏のゴキゲン中飛車には手を焼いていただけに、四間飛車に振ってくれて、正直ホッとした。
右では松尾女流初段-Iz氏戦が行われている。ジャンジャンマンデーは棋力を問わず総平手・振り駒なので、下手にはかなりきつい。Iz氏も辛い手合いだが、Iz氏も最近は定跡書を読みこんでメキメキ上達しているという情報を得ている。このカードは好勝負だと思った。
「(Izクンに、私の)連勝止められちゃうかな」
と、私がIz氏に軽口を叩く。と、
「ちょっとー、あたしがいますけど~」
と松尾女流初段。何を勘違いしたら、この言葉が出てくるのか。よく分からぬが、その天然ぶりが松尾女流初段の大きな魅力であろう。
角交換のあと、Tat氏☖6五歩。これに私は☗7七桂~☗6五桂と二段跳びして、歩を食べる。
この桂を只取りしようと、Tat氏は☖1五歩から香を犠牲に☖6四歩と打ってきたが、私は☗5三桂成から☗1一香成とし、2歩得で指しやすくなった。
実戦も以下、私の攻めがつながり、制勝。感想戦でTat氏は、☖9五歩と端歩を取れたので、普通の振り飛車にスイッチしたと言った。作戦変更がアダになったわけで、Tat氏には不満の残る将棋だったと思う。
松尾-Iz戦は、松尾女流初段の貫禄勝ち。しかしIz氏も、終盤近くまで健闘していたようである。
私の2局目はTak氏と初対局。これも私の先手。☗7六歩に☖3二飛。こういうとき、私はふつうに指す。☗2六歩☖6二王☗2五歩☖3四歩に私は☗4八銀と指したが、角を換えて☗6五角はなかったか。
局後それを問うと、Tak氏は
「それには☖7四角があります」
と即答した。そんな手があったのか。自分の勉強不足を恥じるしかなかった。
「ヨホホホ」
という声がする。中倉宏美女流二段の声にそっくりだが、幻聴だろうか。この日の芝浦サロンは船戸女流二段の担当だし、中倉女流二段がいるわけがない。声がする受付の方を見る。あの後ろ姿は中倉女流二段に見える。幻覚だろうか。
将棋に戻る。Tak氏は穴熊を志向し、☖9一王と潜ったが、これが悪手だった。
私はこの瞬間角を換え、☗6五角。今度こそ角成りが受からず、これで私が優位に立った。
顔を上げると、中倉女流二段がこの将棋を見ていた。おお、これは間違いなく夜のナカクラヒロミだ。またちょっと艶やかである。最近の中倉女流二段はよりしっとりとして、和風美人にいっそう磨きがかかった感じだ。
私は得した桂を☗4七に打ち、☖3五の角を詰ます。と、Tak氏が突然の投了を告げた。
これで角損確定だから攻防ともに見込みがないとはいえ、ここで投了はなかなかできない。頭金で詰まされるまで指す女流将棋を見ている私には、この投了が新鮮に映ったものだった。
ともあれこれで6連勝である。今期のジャンジャンマンデーでは、「最多勝利」「最高勝率」「最多対局」の三賞が設けられている。この時点では三部門第1位だったはずで、ちょっと賞品がチラついてきた。
3局目は大庭美樹女流初段と。どうも、大庭女流初段も私の連勝阻止に自ら名乗りを挙げたようである。
最近は手合い係が板についてきた大庭女流初段と指すのは久しぶりだ。振り駒でまたも私の先手。☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖3五歩。最近はプロもアマも石田流が大流行だが、大庭女流初段もそれにならってきた。
私は☗4六歩~☗4七銀から天守閣美濃を目指したが、これは作戦がチグハグでよくなかった。美濃にするなら☗4六歩では☗5六歩とし、角の通りをよくするべきだった。
本譜は☗9八玉から銀冠にしたが、続けて☗6八金右だと☖3六歩~☖同飛~☖4六飛を狙われ、変化はあるものの居飛車が苦しい。そこで☗4七金と上がったが、これでは勝利が遠くなった。
ここで、中盤の一部分の駒の配置を記す。

先手・一公:☗5五銀☗6四歩☗7五銀☗7六歩☗7八金☗8六歩☗8七銀☗8八角☗8九桂☗9六歩☗9八玉☗9九香
後手・大庭女流初段:☖5六馬☖8三歩☖8四飛☖9一香☖9四歩 持駒:銀、歩…

ここで大庭女流初段は☖9五歩。私は普通に☗同歩と取ったが、☖9六歩とタラされて焦った。☗9六同銀は☗7八の金がタダ。捨ておけば次の☖9五香が厳しい。ここで私は秒読みの声にせかされ☗7七金と上がったが、これが意味不明の大悪手。当然☖9五香と走られ、☖9七銀から角を取られた上に☖5五馬と銀も取られ、完敗となった。
戻って☗7七金では☗8四銀と飛車を取り、☗7七角と上がるのがよかった。次☖9五香には☗8八玉と寄って耐える。これでも先手が悪いが、こうやって勝負を長引かせるしかなかった。
ついに連勝がストップ!
「うおあー!! やっぱり米長玉にしたのがよくなかったなあー!! ☗4七銀型と天守閣美濃の組み合わせはよくないよ。分かってたんだけどなー、失敗した」
私は負けた腹いせに吠えまくる。対して大庭女流初段はニコニコ顔だ。
「やったー!!」
とバンザイをされた。む~、プロがアマに勝って喜ぶとはあべこべだが、本日3人目の刺客として任務を遂行したから、喜びもひとしおなのだろう。
私も悔しがっているヒマはない。ジャンジャンマンデーだから、ジャンジャン対局がつく。4局目はきょう2月24日誕生日のKun氏と(おめでとうございます)。しかしこの対局が、忘れられない将棋になろうとは、このときは夢にも思わなかった。
(つづく)
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