一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

将棋ペンクラブ幹事A氏夫妻、H氏と飲みに行った

2010-05-31 00:41:38 | プライベート
27日(木)は、終業後、東京・神田へ向かった。この何日か前、将棋ペンクラブ幹事のA氏(夫妻)に、飲みに誘われたのだ。私もヒトに酒を誘われる身分になったんだなあ、と思う。
待ち合わせの午後6時30分を1分すぎて、待ち合わせ場所の神田駅前に到着。別に飛行機や特急電車に乗るわけではないから、私は平気で遅刻する。A氏の奥さんの姿はなく、ほかに同クラブ幹事のH氏がいた。
神田駅へ降りるのは久しぶりである。サラリーマン時代は、毎週神田駅で降りていたから、地理的には詳しい。現在も得意先の本社が神田にあるのだが、ここ数ヶ月はすっかりご無沙汰していた。ちょっと見ないうちに東口もずいぶん変わっている。いつだったか新宿にぶらぶら出かけたときも、微妙に建物が変わっていてとまどったものだが、かように東京は変貌が激しい。
A氏に案内され、お好み焼きの店に入る。奥さまが先乗りでカウンターに座っていた。A氏は店主と顔なじみらしい。このメンバーで、昨年7月31日に立川で飲んだが、そこで入った店も、A氏とマスターが昵懇の仲だった。立川はA氏の縄張りだろうが、神田まで知己がいるとは…。A氏は顔が広い。
奥さんが、
「サンバ…」
と言う。「そこに新装開店の店があって、さっきサンバの人が踊ってたのよ」
サンバといえば対句になるのがチアリーダーである。サンバ派かチア派か。これはナカクラアキコとナカクラヒロミのどちらがタイプか、と同義の設問といってよい。
もちろん私はサンバ派である。スルド(大太鼓)のドン、ドン、ドン、という音を聞くだけで、もう、血が騒いでしまう。なぜ血が騒ぐのか。それは心臓の鼓動に似ているからだという説が有力である。
羽をつけているダンサー(「パシスタ」という)が身に付けている、お尻の露出度が高い水着のようなものを、「タンガ」という。下着のTバックは、その形状よりも、タンガのTからきている、という説がある。
…というようなことを話すと、私がサンバオタクに思われるので、このことは話さなかった。私にはただでさえ、「将棋オタク」「鉄道マニア」「アイドルオタク」「カメラ小僧」「AV女優好き」の怪しいレッテルがいくつも貼られているのだ。さらに昔は、エロ雑誌にしこしこエロイラストを投稿していた過去もあり、これ以上私のイメージが崩れるのはマズイと思った。
とりあえず、生ビールで乾杯。私はイケル口ではないが、このビールは泡がクリーミーで、美味だった。
さてこのメンバーなら、当然将棋の話である。植山悦行手合い係が金曜サロンを辞めることになって残念という話、加藤一二三九段のキャラクターの話、日本将棋連盟は何を考えてんだ、という話…。そんなことを、私たちは屈託なく話した。
私たちはとくにメニューを見るわけでもなく、カウンターすぐ向こうで調理しているマスターから、思い出したようにおつまみが出てくる。
10時近くになって、この店の関係者らしき人が2人、客として入ってくる。この人らとも、A氏は顔なじみだ。本当にA氏は顔が広い。
このお客さん、私の隣の区に住んでいたようで、私が出身中学を言ったら、ご存じだった。私の中学はガラが悪く、不良も数えきれないくらいいたが、不思議と私は「最悪クラス」には入らなかった。いま思うに、小学校の担任の先生が、中学校の学年主任に「大沢はイジメられっ子だから、クラス替えの際には気をつけて」と一筆書いてくれたのかもしれない。
もっとも、その「最悪クラス」には私が好きだった女子がいつもいて、結局3年間、そのコとはいっしょのクラスにはなれなかった。一度だけ、そのコが所用で私に話に来たことがあった。私はアガッてしまって、しどろもどろだった。
10時すぎに店を出る。お代はA氏がすでに支払ってくれていて、私が払おうとすると、
「きょうは店が忙しくて、マスターがあまり料理を出せなかったから、安くしてくれました。大沢さんにおもてなしが出来なかったので、きょうのお代は結構です」
と言って、頑としておカネを受け取らなかった。A氏はこういう男っぽいところがある。奥さんが惚れるのも分かる気がする。ごちそうさまでした。
帰り道で、A氏の奥さんが、「小諸そば」で蕎麦を食べたいという。小諸そばは立ち食いそばのチェーン店で、私もサラリーマン時代にはよくお邪魔した。もうひとつ重宝した立ち食いそばの店が「ゆで太郎」で、これは会社の近くにもあったことから、2日に1回は利用していた。味は小諸そばに劣るが、ゆで太郎は麵の量が多く、小諸そばの「もりそば大盛り」よりも、ゆで太郎の「もりそば」のほうが、量があった。
今回はしかし、小諸そばはもう店じまいしていた。仕方がないから、まだ開いていた「富士そば」へ入る。
富士そばと言えば、以前フジテレビ系「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナーの中に、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で富士そばがネタになり、演者が優勝したことがある。
しかし私は、その富士そばへ入ったことが一度もない。小諸そばやゆで太郎と比べると、もりそばの値段が高かったからだが、富士そばの味を知るにはいい機会である。
私はもりそば260円に、大盛り100円の食券を買う。上野店のもりそばは270円だった気がする。それよりも大盛り100円はちょっと高いと思う。小諸そばもゆで太郎も、大盛り料金は50円前後である。
ともかく、初めての「富士そば」である。緊張して食す。そばは挽きぐるみ、そばつゆは甘めだが、及第点だった。そば湯が熱いのもよかった。
私は東京の飲み屋に不案内なので、私を飲みに誘うときは難儀だと思うが、またA氏夫妻やH氏と飲める日を楽しみにしている。
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5月28日の金曜サロン・また会う日まで

2010-05-30 00:45:52 | LPSA金曜サロン
5月28日のLPSA金曜サロンは、昼が島井咲緒里女流初段、夕方が船戸陽子女流二段の担当だった。今回は美人女流コンビである。島井女流初段の昼担当はかなり久しぶりだし、船戸女流二段を金曜サロンで拝見するのも昨年11月以来だから、これまた久しぶりである。しかし今回はおふたりが主役ではない。主役は、今回で手合い係を退く植山悦行氏だ。
植山手合い係は、私が2年前の3月に金曜サロンに初見参した3週間後に、手合い係に着任した。それまでの金曜サロンは、女流棋士に将棋を教わってそのまま帰る、というイメージだった。だからそのシステムが続いていたら、私もマンネリ感を感じ、サロンにも疎遠になっていただろう。だから植山手合い係の存在は、本当に大きかった。
28日の話に戻る。この日は3時で仕事を終え、駒込に向かう。最近のサロンはちょっと閑散としているから、きょうは植山手合い係と記念写真でも撮らせてもらおうかな、と考えていた。私は携帯電話を持っていないので、デジカメ持参である。
サロンがあるビルの玄関の前に着くと、なんだか自分が「卒業」するような気分だった。植山手合い係が出て、ドアが開く。インターフォンから植山手合い係の声を聞くのも、これが最後なのだ。
サロンに入ると、異常に人がいた。数えてみたら16人もいる。もちろん島井女流初段の人気もあったと思う。しかし大半はセミレギュラー級の会員ばかりで、みんな「植山手合い係・最後の日」に予定を合わせて、駆けつけたのだ。
ここは植山手合い係、「捌きのアーティスト」の最後の腕の見せどころだが、さすがに手合いを付けるのに頭を抱えている。最後の日に相応しい難題だ。
このあとも何人か来席し、テーブルが足りなくなった。夕方の部の、船戸女流二段の指導場所を一時拝借して、そこで将棋を指す。
それでもテーブルが足りないので、壁際にあるテーブルを中央に置き、そこでも将棋を指す。まるでローカル線の廃止当日に、鉄道マニアと近所の住民が、最後の雄姿を拝みに来たかのような盛況ぶりである。
石橋幸緒・新代表理事と藤森奈津子女流四段が挨拶に見え、石橋代表理事が辞去したあと、藤森女流四段が、急遽指導対局の応援をしてくれた。その藤森女流四段、風邪をひいていて、カンゼンなハナ声だ。最初この声を聞いたとき、誰だか分らなかったくらいだ。しかしこれが声優のような、実にキュートな声なのである。私の場合は女流棋士の美貌に感激するのが常なのだが、声に感激するのは、初めてだった。
しかし、ああ…。それも藤森女流四段が全快してしまえば、その声も聞けなくなってしまうのだ。残念である。
船戸女流二段がいらっしゃる。しかし指導対局をするスペースがないので、しばらく待機してもらう。こんなケースはいままでになかった。
夕方になり、金曜サロンの編成担当である神田真由美女流二段が、対局の一時中断を宣言し、植山手合い係の辞任セレモニーが始まった。
植山手合い係に花束が手渡され、神田女流二段が
「カメラをお持ちの方はどうぞお撮りください」
と言う。そこで私もエコバッグからカメラを取り出し、植山手合い係にレンズを向ける。その左右には、船戸女流二段と島井女流初段が寄り添い、花を添えている。私は大阪などで島井女流初段をカメラに収めたことはあったが、船戸女流二段を撮るのは初めてなのである。
むう…。植山手合い係を撮るのが目的ではあるのだが、このメンツだと、植山手合い係が邪魔だ。F1ドライバーの左右にレースクイーンがいると思ってもらえればよい。それはとにかく、そうして撮った写真を自宅で確認したら、すべてピンボケで、激しい自己嫌悪に陥った。
植山手合い係の挨拶。
「まさかこんなことになるとは…」
と感無量のようだ。こうしたセレモニーが行われるのも、植山手合い係の人徳といえる。
このあとは全員そろって写真撮影。この時点で、20人の会員が集まっていた。
指導対局のほうは、9時を回って、残るは船戸女流二段とH氏との一局を残すのみとなった。体調が万全でない船戸女流二段は、ここまで20局の指導対局をこなした。その根性に、頭が下がる。
植山手合い係は「最後の指導対局」を見守る。私は船戸女流二段を鑑賞している。きょうは青の花柄のワンピースで、初夏を思わせる。このブログのトップページのデザインのようだ。
9時30分過ぎ、上手が劣勢を跳ね返して、逆転勝ちした。下手も上手も、力を見せた、というところだろう。
植山手合い係、これが本当に最後の最後の、ワンポイントアドバイスである。それを私は、神妙な面持ちで拝聴した。
植山手合い係が室内に一礼して、私たちは植山手合い係との最後の食事会に向かった。ファミレスに入ると、私はウェイトレスさんに、
「きょうはこちらの方が退職されまして…」
と、いらぬことを言った。
食事会は、わざわざこの食事会に駆けつけた方も含め、13名。さらに会社帰りの会員が加わり、最終的に14名となった。植山手合い係を慕う食事会メンバーが、ほとんど集まったことになる。
みんな、植山手合い係との別れを惜しんでいる。本当に植山手合い係は来週からいなくなってしまうのだろうか。来週もサロンにいらして、みんなと雑談しているような気がする。食事会にだけひょっこり現れそうな気がする。またあの笑い声が聞けるような気がする。
しかし来週私たちは、植山手合い係がいらっしゃらない現実を、否応なく受け入れることになるのだろう。
植山先生、2年2ヶ月もの長い間、たいへんお疲れ様でした。これからの先生のご活躍を、心よりお祈りしております。ありがとうございました。
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「将棋ペンクラブ関東交流会」に行く(後編)・ビバ!将棋ペンクラブ

2010-05-29 14:28:13 | 将棋ペンクラブ
ついに林葉直子さんにサインをいただき、大いに満足した私は、大広間に戻る。ゴキゲン中飛車氏は対局中なのに待ちぼうけを食わされ、憤懣やるかたなしだったはずで、申し訳ないことをしたと思う。そのうえ将棋は私の勝ち。重ねて書くが、本当に申し訳なかった。
林葉さんと入れ替わるように、滝誠一郎七段も指導対局にいらした。将棋ペンクラブはおカネがないので、男性棋士に指導料を払っているとは思えない。それでも棋士は指導対局を行ってくれる。扇子や色紙を提供してくれる。ありがたいことだと思う。
これで将棋はアガリだと思ったが、幹事氏が最後にもう一局手合いを付けてくれた。相手は柔和なお顔のお父さん。これも対ゴキゲン中飛車になったが、何とか勝たせていただいた。
これで今度こそ今年の交流将棋大会は終了。5勝2敗はまずまずの成績であろう。
このあとは大広間に長机を並べ、午後4時30分ごろから親睦会。まずは成績発表&自己紹介である。
今年は5勝が最高で、私を含め、4人いた。私は、安食総子女流初段に吹っ飛ばされたのが痛かった。
自己紹介の順番待ちをしている間に、床の間に並べられている扇子や色紙、著書などから、ほしい品物を選ぶ。
私は三浦弘行名人挑戦者の「眞」と揮毫された直筆扇子をいただく。三浦八段の書は達筆ではないが、棟方志功のような力強さと、ご本人の誠実さがにじみでている。
選んだ品物を披露して、自己紹介。持ち時間はひとり30秒である。
「時々『ペン倶楽部』に書かせてもらってます。次号には書いてませんが、また、書きます。きょうはあじあじ先生に将棋を教わったのですが、木端微塵に吹っ飛ばされました」
このあとも勝ち星の多い順に、自己紹介が粛々と進んでゆく。
私が自己紹介をしていたときに、私の席に斎田晴子女流四段が座られたので、私はその向かいに座り直す。私も何回か交流会に参加したが、親睦会で近くに女性が座ったのは、初めて。しかもそれが私の対面、斎田女流四段とあっては、緊張するなと言うほうが無理だ。もっとも斎田女流四段の右にバトルロイヤル風間さんが座ったので、話が停滞することはない。
斎田女流四段は、盤上では激しい将棋を指すが、盤を離れればおしとやか。声もか細く、とても勝負師には見えない。
将棋ペンクラブのスター、窪田義行六段がいらっしゃる。窪田六段はペンクラブイベントの席には必ず顔を出してくださる。普及、普及と叫ばずとも、ふだんからこうしてファンとの交流を図っている棋士こそ尊い。
それにしても将棋ペンクラブには派閥がないと思う。日本将棋連盟棋士。女流棋士会棋士。LPSA女流棋士。元女流棋士。所属に関係なく、みながひとつの部屋に集う。こんな光景はなかなかないだろう。
木村晋介弁護士もいらっしゃり、将棋ペンクラブ会長の就任の挨拶をされた。日本将棋連盟の顧問弁護士もされている同氏は多忙を極めているが、これからも将棋界への協力をたまわればうれしい。木村新会長の音頭で乾杯。
安食女流初段、松尾香織女流初段、梨沙帆さんとも交流を図りたいが、どうにもそのチャンスがない。しかし意を決し、安食女流初段のもとへと向かう。
私が安食女流初段表紙の「NHK将棋講座」6月号をおそるおそる差し出すと、安食女流初段は快く「一意専心」とサインをしたためてくれた。
バトルロイヤル風間さんが、「週刊将棋」のマイナビ女子オープン本戦・斎田晴子女流四段対島井咲緒里女流初段の観戦記を書かれたときの裏話を話してくださる。資料としてコンパクトデジカメに斎田・島井両女流を収めており、その画像も見せてくれた。
斎田女流四段から「駒桜」のデザインの入った名刺をいただく。しかしLPSAにどっぷりハマっている私が、「駒桜」に入会するわけにはいかない。山口恵梨子女流初段にお願いされてどうかというところで、ここがつらいところである。
席を移動すると、中野隆義氏が声をかけてくださる。「近代将棋」の元編集者と知己であることを、光栄に思う。
観戦記者の大御所、山田史生先生もいらしたので、挨拶する。観戦記の存在意義、新聞棋戦の今後についての見解を拝聴する。
と、梨沙帆さんが山田先生に挨拶に見えた。もう7時近くで、親睦会お開きの時間だが、梨沙帆さんは一足先に帰るらしい。
山田先生への挨拶が終わったので、私は思い切って梨沙帆さんに話しかける。
「実は私、梨沙帆さんを写真に撮ってるかもしれないんです。ミス・パラオというと、夏に新橋のビル街でモデル撮影会がありますよね」
「はい、1回だけですけど」
「私あれに何度か参加したことがあります。カメラ小僧なんで…。あと、秋葉原でDVD発売イベントがありましたよね」
「あ、はい。来てくださったんですか…」
「いえ、参加は…。だって梨沙帆さんにお会いしたときに水着姿が思い浮かんじゃうとアレなんで…」
と、怪しさ全開の打ち明け話をする。梨沙帆さんは「あまりこの人には関わり合わないほうがいいみたい」というような顔をし、大広間を出て行った。
楽しい時間はあっという間に終わる。7時になり、とりあえず中締めである。全員で三本締めをして終了。
帰り際、安食女流初段があらためて挨拶に来てくださった。恐縮してしまう。
「先生、きょうはありがとうございました。もう先生があまりにも魅力的で…あの、ファンランキングの8位に入りましたから」
「…?」
「あいや、こちらの話です」
すると、
「この人ね、ブログを書いてるんですよ」
と、新入会員のI氏が横から口を挟んだ。
「そうですか…。読みたいです」
「『一公』『将棋』で検索すれば見れますよ」
I氏が続けて、余計なことを言う。こんな変態ブログ、健全な方は読まないほうがよい。
「じゃあ、帰ってから拝見します」
あじあじが私のブログを読んでくださる。うれしいには違いないが、複雑な気持ちだった。
幹事のM氏、H氏、松尾女流初段らと連れだって、二次会の中華居酒屋へ向かう。松尾女流初段は白のスーツ。ブルーのアイシャドーが軽く入っており、きょうも魅力的だった。最近は、松尾女流初段に対する評価が高い。
「しかしそのショートカットの髪形、似合いますよねえ。何でバッサリいったんですか? 何か心境の変化ですか」
「春だから…」
もう初夏じゃねえか、と心の中で反論する。
「大沢さん、私にお酒をつぎに来てくれないんですもん」
「え? 私でよかったんですか? いや私なんかがお酒をついでも美味しくないだろうと思って…」
「……」
「いやホントですよ。私は岩根先生…じゃなかった、松尾先生のファンなんですから」
「もう、名前間違えるし! 知らない!」
いけね…また松尾女流初段を怒らせてしまった。
二次会の席では、その松尾女流初段とは同じテーブルになれなかった。ただ、湯川博士統括幹事ら重鎮のテーブルと一緒の席にならなかったのは幸いだった。
私の左には、A幹事の奥さんが座った。これは十分な席である。A氏がミニ将棋セットを持っていたので、奥さんと一局指すことになった。
うんうん唸る奥さん。周りで口を挟む会員たち。ワイワイ騒ぎながら、将棋漬けの1日は、過ぎてゆくのだった。
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植山悦行手合い係、最後の「捌き」

2010-05-28 00:10:12 | LPSA金曜サロン
きょう28日のLPSA金曜サロンは、植山悦行手合い係の、最後の職務となる。
私が初めて金曜サロンを訪れたのは2年前の3月14日。その3週間後に植山手合い係が着任し、以後、とても良くしていただいた。
しかし出会いがあれば、いつかは別れがやってくる。きょうは植山手合い係、最後の「捌きのアーティスト」ぶりを、この目にしっかりと焼き付けようと思う。そしていつものように、私のヘボ将棋にワンポイントアドバイスをいただこうと思う。なごやかな雰囲気を楽しもうと思う。いっしょに笑いたいと思う。よろしくお願いいたします。
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「将棋ペンクラブ関東交流会」に行く(中編)・安食総子女流初段のかわいらしさと、林葉直子さんのサイン

2010-05-27 01:09:45 | 将棋ペンクラブ
昼すぎに斎田晴子女流四段、安食総子女流初段がいらっしゃる。実は2局目の開始前、可能なら松尾香織女流初段との指導対局をお願いしていたのだが、何人か先約があったので、見送った。もっとも松尾女流初段にはLPSA金曜サロンで何回もキツい洗礼を受けており、無理に指導対局を受ける必要もない。
斎田女流四段、安食女流初段の指導対局を申し出ると、まだいらっしゃったばかりなので、2面指しにもかかわらず、十分空きがあった。幹事氏が
「どちらにされます?」
とおふたりの前で訊くので、安食先生で…と小声で答える。
「だって元女流名人に将棋を教わるなんて、恐れ多くて…」
と、斎田女流四段へのフォローも申し添えておく。指導対局を受けるほうも、いろいろ気を遣うのだ。
安食女流初段についてはあらためて説明するまでもないだろう。現在「将棋講座」で阿久津主税七段のアシスタントをしており、あのゆったりした話し方は、万人を脱力させる。「西のしーちゃん、東のあじあじ」と呼ぶに相応しい、癒し系女流棋士である。
そのあじあじが、いま自分の目の前にいると思うと、緊張してしまう。しかし何というかわいらしさだろう。安食女流初段も30歳を越えているが、とてもそうは見えない。この手のお顔は、歳を取ってもほとんど容貌は変わらない。トクだと思う。
左の方が棋譜をつけるようなので、私もそれに倣う。LPSAが販売している棋譜ノートだが、大丈夫だろうか。
将棋は私も左の方も、居飛車の明示。対して安食女流初段は両方とも四間飛車だった。
☖4三銀と上がったので、私は☗左4六銀と上がり、☗3五歩を狙う。対して安食女流初段は☖3二金。
大山流の一手で、安食女流初段は女流棋士には珍しい、受け将棋のように思われた。数手のちに、私は☗2四歩☖同歩☗2三角と打つ。
表向きの狙いは(☖5二飛なので)☗4一角成だが、その実は☗3四角成と金を取り、☖同銀に☗2四飛の走りを見ている。
実戦は飛車成りを受けずに☖6四角と打ったが、私も2八の飛車取りに構わず☗3四角成を決行する。以下☖3四同銀に☗2四飛と走った手が、銀桂両取り。これは優勢になったと思った。
しかし温泉気分でいたのはここまで。どうも安食女流初段に掌の上で踊らされていたようで、このあと安食女流初段の巧妙な反撃に手を焼き、いつの間にか逆転されてしまい、私は72手までで駒を投じた。
感想戦では、☗2四飛まで私の優勢が確認されたが、このあと☗3四飛と銀を取ったのが次善手で、☗2一飛成と桂を取りながら侵入するのが最善とされた。
しかし安食女流初段、あの柔和な顔にもかかわらず、厳しい手を指す。これだから女流棋士は恐ろしい。このまま引き下がるわけにはいかないので、
「あのう…あとで『(NHK)将棋講座』の表紙にサインをしていただくことはできますでしょうか…」
とお願いする。最新6月号は、安食女流初段が表紙なのだ。
もちろん快諾していただいただが、あいにく「将棋講座」は自宅である。なんだかバカバカしいが、1階の売店へ買いに行く。しかし見当たらず、近所の本屋へ出向いたが、「NHK囲碁講座」があるのみだ。
とりあえず4階へ戻ると、「近代将棋」元編集長・中野隆義氏との対局がついた。
私の四間飛車に、中野氏の棒銀。仕掛けられたところではもうこちらが指しづらく、角銀交換の駒損となっては、早くも劣勢となった。
林葉さんに手合いがついて、こちらへ戻ってくる。林葉さんも私も先ほどと同じ盤の前に座ったから、私はまたもや林葉さんを鑑賞する機会に恵まれた。林葉さんは相手から飛車落ちを所望されて、
「飛車落ちは指したことないから…」
とか言っている。その声にハリがない。
こちらの将棋は、ただでさえ形勢が悪いのに、林葉さんをチラチラ見ているから、私の敗勢になっていた。もう、どう指されても負けだったが、中野氏が香を捨ててから竜で金を取ったのが緩手で、私の☗2一角にも応手を誤り、さらに☗3二角打と手掛かりを増やしてから竜を外したら、中野氏が投了してしまった。
後手玉はたしかに危ないが、投了の局面から☖2二金とでも打って☗2三玉を防いでおけば、まだ後手に分があったのではないか。
中野氏とは昨年も当たったが、やはり終盤の難しい局面で、突然投了された。どうも中野氏、勝敗には無頓着のようだ。
一応勝ちになったものの、実質負けである。私は連勝連敗タイプなので、この流れはよくない。次の相手も私と同じ段の人。緒戦に勝ったらしいが、そのあとは負けが続いているという。
(こりゃあ1勝もらった)
と内心でほくそ笑んだが、こういうときがいちばん危ない。私の先手で☗7六歩☖3四歩☗2六歩と、強引にひねり飛車に誘導したが、この作戦がどうだったか。ふつうに三間飛車ぐらいを指すべきだったかもしれない。
本譜は☗4八玉☗8三馬☗9三竜、後手氏☖7七竜の局面で、私が☗9一竜と入ったのが大ポカ。後手氏に首を傾げながら☖8八竜と王手馬取りを掛けられては、勝負は終わった。
2年ぶりにぺンクラブ会員に負け、指導対局での敗退が加算されて、3勝2敗。最多勝に黄信号がともった。「将棋講座」は1階売店のカウンターにあるとのことで、再び買いに行く。私は今年の6月まで日本将棋連盟の支部会員なのだが(更新の予定はない)、NHKの発行物には割引は利かない。
戻ってくると、6局目の対局がついた。交流会では必ず当たる、ゴキゲン中飛車の使い手氏とだ。
左を見ると、向かいで林葉さんがまたまた将棋を指している。これでは私がストーカーをしているようだ。先ほど林葉さんがいた場所には、梨沙帆さんが座って将棋を指している。やっぱり船戸陽子女流二段に似ていると思う。
同じ列に、加賀さやかさんもいる。もうひとり女性もいる。つまり4人の女性が、並列で指していた。こんな光景は交流会始まって以来ではなかろうか。
林葉さんの相手は、私が安食女流初段に指導を受けたとき、左にいた人だった。先手氏の居飛車(矢倉)に、林葉さんの振り飛車。例によって、やや林葉さんが苦しい。それにしても、林葉さんの腕が細い。胸元に目がいってしまう。
それよりも私の将棋である。私は角道を開けず、二枚落ちの上手のような指し方で、5筋を厚くしていった。さらに☖4三金☖4二金の形から、☖5二飛と廻って優勢を意識した。中飛車氏は☗7七歩と謝った形がひどい。
林葉さんは☗7五桂☗8六香と玉頭を攻められ、☖5一金寄と受けるようでは苦戦である。しかし数手後、☖3六馬☖7四桂の形から、☖7八竜~☖8六桂打と、見事な寄せが出た。
だがそのあとがいけない。あとはどう指しても並べ詰みなのに、着手が遅い。手が見えていないのだ。こんな有様では、とても秒読みに堪えられない。これは中倉彰子女流初段との対局までにどんどん実戦をこなして、サビを落とすことが必要である。
私のほうは優勢を保っている。と、林葉さんが帰ることになった。サインは? サインをもらわなければ!!
私は部屋を出ていこうとする林葉さんを呼び止め、サインを所望した。すると幹事氏が思い出したように林葉さんを呼び戻し、会員に紹介をした。
林葉さんも立ったまま会員らに正対し、
「林葉です。今度将棋を指すことになりました」
みたいなことを言う。それはいいが、私はといえば、林葉さんのすぐ前でポツンと跪いた形になり、なんだか妙な図になってしまった。
挨拶が終わって再び出ていこうとする林葉さんに、サインを、サインを…と願い出る。
私は携えていたクリアファイルから1枚の紙片を取り出した。
それは約20年前に発行された「将棋マガジン」の表紙の一部を切り取ったもので、そこには林葉さんの対局姿が映っていた。これまで林葉さんの写真は数えきれないくらい見てきたが、私が最も気に入った「写真」がこれで、いままで机の抽斗に保管していたのだ。
これを見せると、さすがに林葉さんも驚いたようだった。当時21~22歳くらいだろうか。将棋盤を前にし、床の間を背にして、澄んだ瞳でこちらを見ている構図だ。
頬がほんのりとあかく染まり、本当に美しい。それでいて、何か憂いを帯びたような、訴えるような表情にも見える。現在の女流棋士でも、これほどの美人はいない。もう、格が違うのだ、格が。
左手の中指に、指輪を嵌めている。口元が里見香奈女流名人・倉敷藤花にそっくりなのが、意外だった。
4階の下駄箱の前まで移動すると、私はカバンからマジックを取り出し、林葉さんへ渡した。
林葉さんは左下に「林葉直子」と書いたあと、右上に「大沢さんへ」と書いてくださる。まだ書き足りないようで、右下隅に駒形の「と」を書く。さらに左上に、書くスペースがなくなっちゃう…とつぶやきつつ、「平成二十二年五月二十二日」と書いてくれた。
ああ、何という感激。これほど感激したのは、いつ以来だろう。いつでもこの「写真」を取り出せるよう保管しておいて、本当に良かったと思う。
そうして林葉さんは、ゆっくりと将棋会館を後にした。
(つづく)
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