一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

4代目・桃の木を買いに行く(前編)

2024-05-25 02:19:50 | 旅行記・その他の地域
昨年8月14日に枯死した我が家の桃の木だが、私は懲りずに、「4代目」を購入することを目論んでいた。ちなみに「3代目」を購入した25年前(もっと以前の可能性高し)は、とりあえず山梨駅に行き、そこから種苗業者を見つけるという計画のなさだった。
それでも無事桃の苗木を買えたのだが、それこそ若さのなせる業であって、歳を取って体も弱ってきた今、もうあんな無計画なことはできない。
私はネットを漁ってみる。今回も購入は山梨県である。すると、苗木専門店・前島園芸というホームページがあった。そのトップには美味そうな桃の写真が載っており、丁寧に価格表も掲げられていた。
苗木はどこで買っても同じだと思うが、値段が安いに越したことはない。私が買わんとする「白鳳」は1,650円だった。25年前は1,500円だったから、2023年の今、かなり良心的な値段設定である。
そして何より、これだけ手の込んだホームページを作成しているところで、すでにポイントが高い。このお店は信用できると思った。
現在11月。苗木の販売は12月からとのことで、ちょうどいい。ここは通信販売もやっていたが、できれば自分の手で持って帰りたい。それで、12月13日に電話をした。
最初に出たのは男性だが、途中で女性に変わった。話を要約すると、現地に来ての購入はもちろん可。私は最寄りのバス停を聞いたのだが、どうもハッキリしなかった。ただ、甲府駅や石和温泉駅からバスが通じているようだった。
ちなみに25年前、私がお世話になった種苗店は、廃業したとのことだった。できればまたこの店で買いたかったが、この情報で逆に、割り切ることができた。
そして前島園芸へ伺う日を、12月19日(火)と伝えた。

さて、当日である。この日は一日オフだから、いつ出発してもよい。ただ、陽が短いので、庭に苗木を植えることを考えると、早く家を出たい。
でも私はグズグズしてしまい、特急を利用することにした。25年前だったら鈍行利用一択、現在なら高速バスも視野に入れていいが、結果、いちばん散財する順を選んでしまった。このあたりも、私が歳を取った証左だ。
最寄り駅のみどりの窓口で、石和温泉までの自由席特急券を求める。すると、自由席は廃止されたという。
この閑散期になんで座席指定をしなくちゃならないんだと思うが、仕方ない。新宿10時30分発のかいじ15号を購入した。
10時20分、新宿で乗り換え。かいじはすでに入線していたが、指定券を持っている私は余裕である。7号車5Dに座り、かいじ15号は定刻に出発した。
ところで、私が都内発の在来線特急に乗るのはかなり珍しい。私が20代のころ北陸を旅行したときに、都内からL特急白山を利用した記憶があるくらいだ。ところがこの白山、自由席が1両しかなく、私は立って行くしかなかった。
しかも、いつまで経っても席が空かず、私はその日のうちに金沢に行くことも視野に入れていたのだが、あまりにも立ちん坊で疲れ、直江津の手前の高田で途中下車した。たしか4時間15分くらいかかったと思う。
それでそのあと、ポルノ映画館に入った気もするのだが、どうだったのだろう。
話を戻し、我がかいじは静かに走る。いつもは首都圏仕様の電車利用で、乗客がうじゃうじゃいる。しかもロングシートだから、景色を見る角度も違う。今回は周りに乗客もそれほどおらず、要するに快適な旅だ。
タイム1時間29分で、石和温泉に着いた。文化放送「親父熱愛(パッション)」の1コーナーに、元石和温泉観光協会のホサカマユミさんが出てくる。棒読みのセリフが面白いが、ともあれそんな石和温泉だからひとっ風呂浴びたいが、きょうはそんな時間はない。
すぐに駅前の観光案内所に飛び込み、私が乗るべきホームを聞いた。
次のバスは12時03分だったが、11分遅れた。バスは、火曜日とはいえ観光客もいたが、通学の男女の姿が目立った。私は電車通学だったが、あのころを思い出して、切なくなった。
バスは後れを取り戻せず、12時28分、私は県道沿いにある「夏目」で降りた。事前の調べでは、どうもこの停留所で降りるのがスマートらしかった。
ただしここからの方角が分からない。すぐ右に種苗店があったので、前島園芸を聞いてみる。すると、快く教えてくれた。
そこの細い道をしばらく行き、四つ角に出たら右にひたすら行く、とのことだった。
私がこの店に聞かなかったら、とりあえず県道沿いを行き、道に迷っていただろう。きょうはツキがあった。
言われたとおりの道を行く、四つ角を右に行き、もう間違えることはない。この、少ない情報で目的地に向かうさまは、初めて訪れるユースホステルを探すときのそれに似ている。そしてユースホステルといえば、思い出すのは南足柄市の美女・滝本夏子さんだが、それはまた別の話である。
右手に多くの幟が見えてきた。やっと着いたか! 夏目から徒歩20分で、これは想定通り。ここが前島園芸である。
受付の事務所に行くと、電話に出た人とは違う、年配の男性が応対してくれた。
要件を言うと、男性は「あそこにあるよ」と指をさした。そこはきょう引き取り分の苗木で、その中の1本に、私の苗字が貼られてあった。
これが、4代目とのファーストコンタクトだった。
(つづく)
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2014年・年末麺紀行5

2015-12-14 23:30:33 | 旅行記・その他の地域
翌、2014年大晦日。泣いても笑っても、今日で2014年が終わる。大晦日は「NHK紅白歌合戦」を観るのが定跡になっているので、午後6時頃には帰宅したい。
上越線は本数が少ないので、さすがの私も列車ダイヤはしっかり調べる。旅先の早起きは苦にならないので、朝は07時06分の上りディーゼル車に乗った。
車内はガラガラで、ある意味快適だ。前日にさんまの番組を放棄していれば、今日はこの列車を丸ごと省略できた。しかし滅多に乗らないローカル線は、明るい内に乗って景色を楽しみたい意味もある。もっとも今回はうつらうつらしたので意味はなかったが。
08時24分、長岡着。5分の待ち合わせで、次の列車にリレーする。今日の予定は、群馬県水上で温泉につかり、年越し蕎麦を食べるのだ。
なるべく雪景色を楽しみ、10時24分、水上着。屋根に雪は積もっているが、道はしっかり除雪され、普通に歩ける。
駅前の観光案内所で、温泉街のパンフレットをもらう。紹介されている店舗にはサービス券が付いているものもあり、楽しい。
「ふれあい交流館」は入浴料が550円と安く、ここに入ることにした。上越線の右側を歩き、途中で右折し、温泉中心街に入った。しばらく歩くと郵便局があったが、大晦日は休みなので、貯金はできない。
右を見ると蕎麦屋があったが、ほかにそれらしき店もなかったし、入るならここか。
その先にふれあい交流館があった。瀟洒な建物である。中に入りパンフレットを提示すると、温泉入浴の条件で、生米をくれた。
と、風呂上がりの旅行者と思しき男性が、スタッフ嬢に食事処を聞いていた。「旅先では地元の人に聞くのが一番」とか言っている。声質が戦場カメラマンの渡部陽一みたいで、かなりの話好きに見えた。が、私の苦手なタイプでもある。
スタッフ嬢には「まるよし」と教えられていたが、これは私がさっき見た蕎麦屋ではないか?
壁には入浴マナーのポスターが貼られていた。マンガ風イラストが描かれているのだが、その中のママさんが裸だった。まあ、当たり前なのだが。
それはともかく、肝心の温泉は、湯船がやや小さかったが、いい湯だった。
さて、年越し蕎麦である。他に店もないので…と言ったら失礼だが、私はまるよしに向かった。
戸を滑らせると、さっきの男性がいた。さっきの会話を聞いてこの店に入ったように思われそうで面白くないが、しょうがない。
店内は満員に近く、やはりみんな蕎麦を食べている。あの男性氏は迷っているようだ。
もりそばは650円で、私の予算を越えているが、まあよい。その大盛りを頼んだら、800円になった。
さっきの男性は、さんざん迷ってカツ丼を頼んだ。年越し蕎麦は夜に食べるということか。まあ私も、帰宅したら改めて年越し蕎麦を食べるのだが。
大もりは、蕎麦の上に海苔ではなくカイワレ大根が載っていた。蕎麦は更級で、しこしこして美味かった。値段がアレだが、相応の味だったと思う。
店を出るが、朝食を摂っていないので、もう少し入りそうだ。水上駅に戻る途中にさびれた??食堂があり、「おっきりこみうどん 1,200円→1,100円」の貼り紙があった。
おっきりこみうどんはこの地方の名物らしく、ほかの食堂でも見た。1,100円は、割引後でもやや高いが、中は空いていたので、入った。
おじちゃん2人で営業しているようで、先客は1組。私はもちろんおっきりこみうどんを頼む。
すぐに女性の2人組が入ってきた。接客係のおじちゃんは話好きのようで、彼女らに世間話をする。おじちゃん、楽しそうだ。私には目もくれないが、それでいい。
ところがその後も客がどんどん入る。若い女性、混合グループ、外国の方、さまざまだ。最初は人がいなかったのに、満員御礼になる。こういう経験は、かつてススキノのラーメン屋でもあった。
さて客の注文は、半ば強制的におっきりこみうどんだ。おじちゃんも世間話をする余裕がなくなり、厨房に入ったりした。
出されたおっきりこみうどんは、季節の根菜類にうどんが入った鍋物、という感じだった。寒い冬におっきりこみうどんは美味かった。しかし今回の旅行は、本当に麺類ばかり食べた。
水上駅に戻る。12時56分の列車は、スキー客や帰省客などで満員だった。
今度は座れて、高崎着14時01分。まだ時間があるので高崎観音などを見学できるのだが、もう疲れた。13分の待ち合わせで新宿湘南ラインの特別快速があったので、これに乗った。
それにしても高崎から「湘南」の名称の列車に乗るとは、便利な世の中になったものである。
15時41分、赤羽着。タイム6分の待ち合わせで再び宇都宮線に乗り、16時07分、上野に着いた。
ここまで来れば、もう家に着いたようなものだ。私は上野で下車して、めいとおいにオモチャを買い、TSUTAYAでマンガなどを買った。TSUTAYAでは店員が、コミックにカバーをかけてくれなかったのが不愉快だった。
家には余裕で帰れた。さて、2015年はどういう1年になるだろう。さしあたっては、ズキズキする左上の歯の治療だろうか。
(おわり)
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2014年・年末麺紀行4

2015-12-13 00:42:54 | 旅行記・その他の地域
今年も長崎県川棚の「あんでるせん」でマジックショーを楽しんだ。でもちょっと、行く日にちを間違えた。来週の19日にするのだった。
あくまでもこれは私の「イメージ」だから、何とも言えないのだが…。

(11日のつづき)
そろそろと歩いていくと、前方に百貨店があった。砂漠でオアシスを見つけた気持ちで、私は恐縮して入店する。階上のトイレで、本日2度目の快感となった。もしここに百貨店がなかったら、マジで大変なことになっていた。私は書店に入り、柳ゆり菜表紙の「フライデーダイナマイト」を買った。我慢できずに大惨事になっていたと考えれば、御礼の680円は安いものであった。
ちなみに百貨店の名前は「清水屋」といった。清水市代女流六段の笑顔が浮かんだ。
しばらく歩くと、年季の入ったラーメン屋があった。私のアンテナにピンと来たのだが、いま入るわけにはいかない。
改めて山居倉庫へ向かう。途中地元の人に聞いて何とかいう川を目指すと、橋を渡った先に山居倉庫があった。
倉庫は鮮やかに化粧を施し、12棟が整然と並んでいた。まさに威風堂々の趣である。裏手に回るとこちらは建築当時のままか、木目が黒く変色していた。その色が渋い。冷静に考えれば何てことはない建物なのだが、そこは小樽運河の倉庫群に通じるように、ある種のノスタルジーがある。
遊歩道をはさんで大欅がそびえ、なるほどこれは確かに、一幅の絵にしたいところだ。
その奥に行くと、大きな土産物屋が入っていた。さすがに酒田市、客をタダでは帰さないのである。
私はあんぽ柿を買う。あんぽ柿とは干し柿の一種で、半生のようなもの。中はジューシーで、私はどちらかというと、こちらのほうが好きだ。
山居倉庫の見学はこんなものでいいだろう。橋を戻ると、コミュニティバスの停留所があった。「るんるんバス」といい、この路線は火、木、土の運転だ。1日4本しかないが、今日は火曜日、運行日だ。しかもしばらく待てばタイミングよく15時45分の酒田駅行きバスが来る。大いに興味を惹かれるが、これに乗るわけには行かない。
私は徒歩で、先ほどのラーメン屋に向かった。酒田市のラーメン屋は、その7~8割が自家製手もみ麺らしい。だからどうだということはないけれど、ラーメンに対する意気込みを感じるではないか。
店は大通り沿いにあり、屋号を「三日月軒」といった。中に入ると、ばあちゃんがカウンター向こうの厨房に入っていた。4人掛けのテーブルが3、カウンター6の小さな店だ。むかしウチの近所にこれと同規模の中華料理屋があったので、懐かしくなった。

さらに驚くべきはそのメニューで、中華そば(小)550円、(中)600円、(大盛り)750円、チャーシューメン750円しかなかった。つまりラーメンしか作っていないということだ。これは逆に期待できるではないか。ラーメン一本で勝負してきたのだから、よほど旨いラーメンを食べさせてくれるのだろう。
私は(中)を頼む。しばらく経つと、じいちゃんが出前から帰ってきた。この役割分担で、二人は数十年を営業してきたのだろう。
待望のラーメンが運ばれてきた。さっそく食べるが、麺は手もみで、美味い。ただ、スープがかなり薄味だった。…と、私のような味オンチはつい文句を言ってしまうが、二人はこの味で勝負してきたのだ。
今、加藤一二三九段の将棋内容に文句を言う人いまい。生ける伝説、加藤九段の将棋が見られるだけでありがたいのだ。
ここのラーメンにも同じことが言える。老夫婦のラーメンを食べられることが奇跡なのだ。毎日食べても飽きない味、といえた。

店を出て、今度はアーケード街を通って酒田駅に向かう。
駅に近いところでお茶屋さんがあったので、100gほど買う。おまけに2015年のポスターカレンダーをくれた。こうしたサービスがうれしい。
今日の宿は新潟市内を取ってある。前夜の調べでは、長岡に3,800円で大浴場付き、いかがわしいビデオが無料のホテルがあったのだが、早く宿に着いてテレビを観たかったので、見送りとした。
酒田駅から、17時24分発の羽越本線に乗った。時刻を調べるのにスマホしかないから面倒だが、新潟には21時08分に着くようだった。
今夜は明石家さんまの「踊る!御殿3時間スペシャル」があり、これを観たいのだ。
が、しばらく列車に乗って再びスマホを繰ると、今度は新潟着が21時24分になっていた。…このロスはどこから来たのだ…?
私はとりあえず、20時57分に新津で降り、信越本線に乗り換える。この新潟着が21時24分で、確かにこれは合っていた。では、さっきの21時08分着の表示は何だったのだ?
真相はこうだ。新津の途中の新発田で20時17分に下車し、白新線に乗り換えるのだ。この新潟着が21時08分だった。つまり最短距離で行けるところを、私は迂回してしまったわけだ。
新潟駅に降りても、ホテルが容易に見つからない。さんざん道に迷って、ホテルに着いたのは22時08分になっていた。さんまスペシャルも3分の2以上が終わり、夜の予定が瓦解した。
ただ、本日最終ランナーの信越本線の車両が、昭和の製造というレトロ?なもので、これに乗車できたのは幸運だった。
(つづく)
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2014年・年末麺紀行3

2015-12-11 01:23:58 | 旅行記・その他の地域
トイレだ!! 千本だんごのトイレに入った時、トイレットペーパーホルダーの上に置きっ放しにしてきたんだ!!
私は店主に断りを入れ、千本だんごに走る。しかし長年の運動不足で、脚はパンパンに張り、息が苦しい。とはいえ徒歩圏内だったのは不幸中の幸いだ。もし列車に乗っていたら、それこそ面倒なことになっていた。もっとも、それはスマホが見つかったらの話だが…。
トイレに入ると、スマホはなかった。私は軽く絶望して、店舗に入る。スマホを…というやいなや、店のお姉さんが「あっ!!」」と言って、ビニール袋に入ったスマホをくれた。
ああ、ありがたい!! きっと、お客さんが届けてくれたのだろう。むかしネプチューンの番組で、スマホを紛失した時の恐ろしさをやっていたことがあったが、とんでもない。日本人は本当に親切だ。日本に生まれてよかった、を実感した瞬間だった。
蕎麦屋に戻る。板そばがきた。縁のあるまな板のような上に蕎麦が乗っている。2人前分から注文可、なので2人前はあるのだが、3人前はありそうだ。
麺つゆに蕎麦をつけてズルズルッ…。コクがあって、美味い! シャレた蕎麦屋に入ると、ザルの上に蕎麦がちょこちょこっとしか乗っておらず、二口三口すするとなくなってしまうことがあるが、ここは違う。食べても食べても減らない。ちょっとした贅沢である、これは。
終盤になって、さすがに満腹になった。大石田に来た時は、最低でも2軒はハシゴしたいと考えていたのだが、とんでもない。時間的制約もあるが、ここ1軒で十分になった。
大いに満足して、大石田駅に戻る。列車が到着して、小学校低学年と思しき女の子が降りた。改札の向こうには年配の夫婦が手を振っていた。女の子はたぶん、一人で列車に乗ったのだ。そしてじいじとばあばが孫の到着を待っていたのだろう。
が、改札を抜けたところで、駅員に止められた。女の子の切符に不備があったようだ。
一瞬不穏な空気が流れたが、何事もなかったようで、3人は晴れて再会できた。とりあえずはめでたしめでたしである。
さて、私が次に向かうは酒田である。12時31分の奥羽本線に乗る。
12時53分、新庄着。ここ新庄は山形新幹線の終着駅で、今も新幹線が出待ちをしている。しかし新幹線は高嶺の花で、私には無縁の乗り物だ。せいぜい写真を撮って、虚しさを紛らわせるしかない。
駅構内には歌舞伎を模した山車が所狭しと飾られていた。市内を観光したいところだが、時間がない。

ここから陸羽西線に乗り換える。定刻を6分遅れの13時17分、新庄発。終点余目には9分遅れの14時11分に着いた。
さらに羽越本線に乗り換える。14時05分発だったが、この列車も9分遅れ、無事に乗ることができた。
酒田には7分遅れの14時27分に着いた。日本の鉄道ダイヤは世界一正確だけれど、日本海側は風も強く、しかも雪も降っている。このくらいの遅れは許容範囲である。
さて、ここ酒田には悲しい歴史がある。1976年10月29日午後5時40分ごろ、市内の映画館のボイラー室から出火があった。観客は全員逃げたが、酒田市は当日強風が吹いており、炎は瞬く間に隣接の民家やビルに移った。建物は木造ばかりで火のまわりは速く、その勢いは増すばかり。しかも火の粉や飛び火で消火もままならず、辺り一帯は文字通り火の海と化した。結局翌朝5時の鎮火までに、22万5千平方メートルを焼き尽くした。これが世にいう「酒田大火」である。私は以前、酒田市の資料館で航空写真を見たが、古い民家と新築の民家がハッキリ分かれていて、あまりの被害の大きさに言葉を失ったものだった。
私は酒田を何度か訪れているが、そのたびに鎮魂の思いに浸るのである。
酒田からは船で1時間15分の距離に飛島という小島があるのだが、いまだに行く機会がない。ということは、今後も行かないのだろう。本当に行きたければ、何を置いても行くはずだから。
駅内で観光パンフレットをもらう。評判のラーメン屋を紹介してもらったが、駅の裏手なのでパス。行き当たりばったりで、これはと思う店に入ることにした。
まずは駅前の郵便局で貯金をする。「酒田駅前郵便局」、1,230円。日付と同じ額を貯金しているので、今日が1年で最も大きい貯金額となる。
しばらく歩くと、等身大の「ヴィーナス誕生」の石像があった。これ、市内ではけっこう目立つモニュメントで、どこかの店の所有物なのだが、いつも気になる。一応、彼女とも再会を果たしたわけだ。
また歩くと、八雲神社というところに着いた。すっかり初詣の装いで、私の前には、晴れ着を着た小さな子供連れの家族がいた。私も20代や30代の時は、こんな光景を夢見たものだが、ついに叶わなかった。私はたぶん幸せなのだろうけれど、他人から見たら気の毒に映っているんだろうと思う。
八雲神社でも御朱印をいただく。旅行貯金は1日1回のみと決めているが、御朱印はその限りではない。
ラーメン屋もいいが、ここ酒田は「山居倉庫」も有名だ。簡単にいうと米の貯蔵庫で、酒田のポスターではよくここが登場する。
そこに向かうべく、ぶらぶらする。最短距離でなくとも、だいたいの方角が合っていればよい。
大きな道路に出た。しばらく歩くと、巨大な獅子舞があった。顔だけ鎮座していて、それが人の背の高さくらいある。これも酒田では有名なのだろう。

…それはいいが、また腹がおかしくなってきた。今度はくだり気味である。
しかし近くに公衆便所などありはしない。どこかの店に入るにも、これといったところがない。
ええ? いや、ホントにマズイ…。踏ん張ったら漏れちゃうし、どうしようもない。
私は絶体絶命のピンチに立たされた。
(13日につづく)
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2014年・年末麺紀行2

2015-12-10 01:20:22 | 旅行記・その他の地域
(8日のつづき)
店内は椅子席も豊富にあった。注文は自販機でチケットを買う。店内のコンセプトと料金設定は、立ち食いソバとふつうの蕎麦屋の中間ぐらいの位置づけか。私はもりそばの1.5人前(390円)を選択した。
出された蕎麦は香り高く、麺の量も多くて美味かった。ダシは枕崎産カツオブシを使用。食後に蕎麦湯で薄めて飲み干すと、口の中に何ともいえない香りが残った。ただ、本日3食目の蕎麦はいささかキツかった。蕎麦は1日2食までがいいと思う。
さて、今夜の宿は山形市内に取ってある。よって、また移動だ。
19時38分発の仙山線に乗る。杜の都仙台は、たった40分の滞在だった。
仙山線は途中駅に立石寺(山寺)を擁する観光路線で、沿線風景も変化に富み、時間があれば日中に走破したいところである。
仙台発だけに車内は混んでおり、陸前落合まで立って行った。21時02分、山形着。なお話が前後するが、山形までの時間を有効に使うなら、福島から奥羽本線周りで行く手はあった。これなら福島で1時間半、余計に時間を取れるからだ。ただ、もう陽は落ちているし、大した観光はできない。それよりは車内にいるほうが快適と判断した。
さて、今夜の宿は駅から徒歩2分の「コンフォートホテル山形」である。事前の調べでは「枕」に力を入れているようで、部屋に入ると、枕が奇妙な形をしていた。これが快眠に最適の形らしい。
ちょっと遅くなったがサスペンスドラマを観た後、レンタルパソコン(500円という安さ!)でブログを書いたりして、結局ズルズル夜更かしをしてしまった。

翌30日(火)。枕のおかげかどうか知らないが、昨夜は短時間ながら熟睡できた。
朝は朝食バイキングで、美味しくいただいた。これで宿泊料4,000円は激安である。「コンフォートホテル」、覚えておこう。
今日は山形県内で蕎麦、ラーメンを食らう予定である。蕎麦は村山や大石田が有名だが、村山は駅から距離があるので、大石田で食すことにした。私は公共の乗り物のみの利用なので、だいぶ行動範囲が限定される。でも、その条件下で楽しみを見つけ出す。
08時42分の奥羽本線に飛び乗り、定刻を3分遅れの09時33分、大石田に着いた。まずは駅前の観光案内所で蕎麦マップをいただく。蕎麦屋は20軒以上あるが、徒歩で行けるところとなると、店は限られるのではないか。
観光地は、大石山乗船寺、というのがある。横たえている釈迦涅槃像が有名らしい。他は「センボンダンゴ」、というのも名物らしい。
釈迦涅槃像は無料で見学可能とのこと。御朱印もいただけそうだし、まずはそちらに行くことにした。
街中は当然雪景色である。でもしっかり除雪がされている。その途中、最上川を見る。空はどんより曇っているので、川も鉛色だ。しばらく佇んだが、虚しくなったので、先を急ぐ。
乗船寺に着いた。釈迦涅槃像は波板の掘っ立て小屋(失礼)の中にあった。もっと巨大なものを想像していただけに意外だった。小窓から中を拝観すると、金色の釈迦涅槃像が横たわっていた。
私は社務所へ御朱印をもらいにいく。檀家か誰だか分からないが、社務所内に誘われた。
中ではゆんたくをやっていて、住職と思しき人と、その奥さんも現れた。私のようなヨソ者がこういう席にお邪魔していいものかと思うが、年末の慌ただしい時期に御朱印をもらいに来る旅行者も奇特らしく、歓迎された。
テーブルの上のお菓子の中に、餅菓子がある。「しそ餅(しそ巻)」という地元の和菓子で、味噌やクルミを練り込み、それをしそで巻いて、揚げる。各家庭で作るポピュラーなものらしい。作り手によって味が微妙に違い、そこが奥さんの腕の見せ所らしい。
私もいただいたが、外はサクサク、中はもっちりとして、美味かった。
テレビの旅番組は「人とのふれあい」を前面に出して鼻につくことがあるが、今回の親切は本当にうれしかった。
その先に「最上川千本だんご」があった。何かと思ったら、和菓子屋だった。ただ、和風の建物は大きく、かなり有名と見てとった。



「あん団子」と「醤油団子」を1本ずつ買う(計220円)。談話室が隣接しており、お茶のサービスや地元の資料もあって、充実している。店の人はノータッチだし、ここでのんびりするのも手である。ちょっとお腹が膨れているので、団子は夜食にする。
…と、腹の調子がおかしくなってきた。今朝はまだ「大」をやっていない。トイレに駆け込み、快感。こういう時、ヒマつぶしにスマホを繰ってしまう。まったく、スマホが我が生活にこんなに入り込んでくるとは思わなかった。
さて、いよいよ蕎麦屋に行く。マップには写真付きで紹介されており、これだけ店があると目移りしてしまうが、前述の通り、入る店は限られている。というか、駅に戻る途中にある「そば処 善之助」しか候補がない!
地図を頼りに探すと、善之助はすぐに見つかった。表は蕎麦屋だが、中は民家を改造したふうな感じで、というか民家そのもので、一気に旅情があふれ出た。これはテレビや雑誌がほっとかない佇まいである。

私は板そば(750円)を頼む。さて…とスマホを取りだそうとするが、あれ? …ない。
え? どして? 私はリュックから荷物をすべて出す。でもやっぱりなかった。
やべえ…どこかで落としたのか?
…あ!!
(つづく)
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