一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

A氏のブログ

2021-01-07 00:29:30 | 愛棋家
昨年12月24日、PCを見ていたら、私のことが書かれているブログにたまたま当たった。それは将棋ペンクラブ幹事・A氏の某ブログで、昨年8月19日にアップされたものだった。サブタイトルは
「ブログを毎日更新できる人は『技』を持っている」
だった。
読むと、私が毎日ブログを更新していることを持ち上げていたのだがその一方、
「しかし大沢さんのブログを読んでいると、毎日更新することのコツというのも見えてくる。サボりというか、力を抜いた(と読者が思ってしまう)エントリーがぽつりぽつりと挟まれているのだ。」
と、なかなかに核心を衝くところもあって、私は苦笑を禁じ得なかった。
記事はそこから発展し、A氏自身の過去記事ベスト5を選出するに至っていた。

以前も当ブログに記したが、A氏は「文章はスピードである」、私は「文章はリズムである」を標榜し、よく文章談義をしたものだ。それはややもすると、将棋を指すより楽しかった。
しかも作家のA氏はなぜか私の文章の大ファンで、それゆえなのか、私の存在が脅威?に映っていたようだ。私が図らずも無職になったとき、「大沢さんがこの機会に本気になって小説を書いて、どこかに入賞したらどうしよう」と恐れていたという。これを取り越し苦労という。
むかし脚本家の長坂秀佳がテレビのプロデューサーと衝突して干されたとき、時間ができたからと小説を書き、江戸川乱歩賞を獲ったことがあった。才能がある人は、谷川浩司八段がそこにあるミカンを取るがごとく名人を獲ったように、意識せずとも傑作をモノにできるのである。
作曲家の宇崎竜童は作曲の際「音符が天から降ってくる」と言ったがこれこそ天才の言葉であって、凡才の私には無から有を作り出すことなどとうてい出来ない。天から文章など降ってこない。
当ブログも毎日のネタ探しに苦労しているし、文章もかなり推敲を重ねている。しかし旬日が経ち読み直すと、ところどころ瑕疵が見える。文章の途中で微妙なつっかえがあり、平坦な道に石ころが転がっている感じだ。どう整備しても、がたつきが残っているのだ。
そこへいくとA氏の文章はうまい。さすがプロというかその文章は、潮が引いて真っ平になった砂浜のごとくで、何のストレスもなくスラスラ読める。A氏が将棋のプロなら私はせいぜいアマ有段で、ここに彼我のレベルの差を痛感するのだ。
それなら私がA氏の文章を熟読し勉強すればいいのだが、そこまで私は向上心を持ち合わせていない。だからA氏のブログも積極的に読んでいない。ここが私の甘いところである。
ブックマークだけでもしとこうか。
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2019年九州旅行(おまけ)

2020-03-03 00:15:58 | 愛棋家
私たちはお互い確認する。間違いでないようだ。
「おお、どうしてここに⁉ 私は長崎県に行ったんだけど」
「オォ、私ハサッキ、サッポロカラ来マシタ」
彼はドイツ人の教授で、かつてLPSA芝浦サロンで指したこともある。負かされたこともあり、強豪のひとりだ。ただ、その彼の名前が思い出せない。
「あ、ああそうなんだ。え、いま日本にいるの?」
「エエ、来年ノ3月マデ、サッポロノ大学デ講義ヲヤリマス」
当初、私は彼の職業を知らず、何かの拍子で「人生、一生勉強ですよ」と言ったことがある。そしたら植山悦行七段に
「大沢君、彼は大学の教授だよ」
とたしなめられたものだ。
今回は一休みで東京に戻ったようだ。
「キョウハホッカイドウノ将棋連盟ニ行ッテ来マシタ」
「いや私は毎年この時期に、長崎県の喫茶店でマジックを見ることになっていてさ」
私はそう言うと、ぐにゃぐにゃに曲がったスプーンを見せた。
「コレハ……モウ使エマセンネ」
「あ? ああ、そうだね」
どうも彼とは、視点が違うようだ。
「ナガサキノ気候ハドウデシタカ?」
「暑いね。この格好でも汗が出たよ」
「私モコノ格好デ、寒カッタデス」
2人は同じような服装をしている。
「ワハハハ、そうだね、日本は縦に長いからね」
私は彼に何か聞きたいのだが、名前が思い出せないので、ついよそよそしくなってしまう。
「最近将棋ハヤッテマスカ?」
「ああ、アプリの将棋をやってるくらい。勝率は2割くらいだね。このくらいの勝率がちょうどいいよ」
「勝チスギテモ面白クナクナッチャイマスネ」
私たちは京浜東北線に乗った。彼は次の新橋で降りるとのこと。私はボロを出さなくて済んで、ちょっと、ホッとした。
私は最寄り駅で降りた。しかし、彼は何という名前だったか。カタカナで4文字だった気がする。「ルイスポ」とか「ケイント」とか。
私は帰宅しても、思い出せなかった。
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乃木坂46・伊藤かりんさんに期待する

2018-11-01 01:11:22 | 愛棋家
10月28日(日)に録画したNHKEテレ「将棋フォーカス」を観た。今週の特集は「かりんの武者修行」で、今回は第9弾。私はそんなに見た覚えがないが、かつて渡部愛女流王位や旧室谷由紀女流二段がアシスタントをしていた時、とりあえず録画だけしといて観なかった回がいっぱいあるので、その時にもやっていたのだろう。
今回は千駄ヶ谷にある津田塾大学の将棋部が相手。同年代の女子大生を相手に3番勝負となった。
第1局、後手の乃木坂46・伊藤かりんさんが四間飛車に振ったのに驚いた。もちろん中飛車党だったからで、新戦法の開拓は本人のヤル気を証明するものである。
そして中盤、▲3七桂・4六飛・4七歩、△3五歩の局面で、かりんさんが△3六銀と打った手に驚いた。善悪は分からないが、何となく手厚いではないか。玄人筋はこういう手を評価しそうな気がするのだ。
この将棋はもちろん、かりんさんが快勝した。
続く第2局は相四間飛車。これは難しい戦いだったが、最後はかりんさんがトン死で勝った。
最終第3局は部長が相手。しかもこの女子は囲碁がアマ六段ということで、これだけ強いと、将棋にも考え方を応用できそうな気がする。さすがにこれは、かりんさんの分が悪いと思われた。
ところがこれもかりんさんは堂々とした戦いぶり。中盤、△3三角に当てて▲4四銀と打った手が、これまた手厚そうな一手。終盤も緩みなく寄せた。いやはや強い!
かりんさんが日本将棋連盟の企画で森内俊之九段と二枚落ち戦を戦い、初段免状を授与されたのは3月だったか。私はこういう「お好み対局」での勝敗を評価しないので、かりんさんの「初段」も眉唾で見ていた。
しかし今回の将棋を見る限り、初段は十分にありそうである。とにかく手厚い将棋になったのがすごい。対局態度も凛としていて、女流棋士のようだ。
いままで将棋番組のアシスタントといえば、古くは参議院議員の山東昭子、ちょっと昔では岩崎ひろみがいたが、いずれも仕事のひとつと割り切って、収録以外では勉強しなかったと思われる。
しかしかりんさんは違う。たぶんプライベートでも相当勉強していると思う。
将棋は私たちレベルのアマなら、死ぬまで棋力が向上し続けると思う。かりんさんもそうで、今後の努力次第でどんどん上に上がれる。次のステージが果てしなくあるわけだ。今後のかりんさんに期待したい。
なお、今回の「将棋フォーカス」の再放送は、今日15時(失礼、15時30分は誤り)からある。
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かりんの▲3九歩

2017-08-14 01:57:10 | 愛棋家
NHK-Eテレで毎週日曜日に放送されている「将棋フォーカス」は、将棋講座の部が室谷由紀女流二段の進行なので、毎週録画保存している。
まあ由紀ファンなら当然の行為だが、そんなわけだから、いつでも観られる将棋フォーカスは、リアルタイムで観なくなってしまった。
しかし13日はビデオデッキのHDD容量がなくなって、録画できなかった。もっとも将棋フォーカスは木曜日に再放送があるから問題はないのだが、そんなこともあって今回は、途中からリアルタイムで観た。

船江恒平六段の詰将棋が終わると、乃木坂46・伊藤かりんちゃん進行の特集で、今回はかりんちゃんの「武者修行三番勝負」だった。
舞台はNHK文化センター青山校で、ここはたしか植山悦行七段が講師を務めているところだ。
果たしてそうで、VTRでは植山七段の姿が見えた。野月浩貴八段の姿も見え、現在は野月八段も講師に加わっているようだ。
今回は野月八段立ち合いのもと、かりんちゃんはここの生徒と三番勝負をするらしかった。
さて対局。1局目(対女性)はやや苦しめの将棋に見えたが、かりんちゃんの勝ち。
2局目(対女性)はさらに苦しく、これはかりんちゃんが負けたと思った。
が、△4九竜と迫られた手に対し▲3九歩と金底の歩で受けたのがかりんちゃんの好手。これが相手の動揺を誘い、相手の悪手に乗じて逆転、素早く寄せて、かりんちゃんの勝利となった。
3局目は実年の男性で、教室の最強者だという。これはかりんちゃんも厳しい手合いに思えたが、相中飛車から終始気持ちよく攻めたようで、殊勲の銀星となった。
終わってみれば3連勝で、これはかりんちゃん、お見事だった。
振り返って私が感心したのは、2局目の「▲3九歩」である。「金底の歩、岩より固し」と格言は教えているが、実際に指せる人は意外に少ないものだ。昭和54年5月24日に指された第18期十段戦リーグ・▲米長邦雄九段VS△大山康晴十五世名人戦で、米長九段が▲6一竜と入った手に大山十五世名人が△7一歩と打ち、先手の攻めをピタリと抑えて快勝したことがあったが、あの局面を想起した人も多かったと思う。
野月八段も述べていたが、プロが評価するのは、快勝した将棋より、苦戦を逆転勝ちした将棋だと思う。今回かりんちゃんは苦戦になっても粘り強く指し、実に強かった。
将棋というのはイヤイヤ勉強しても強くならないから、かりんちゃんはふだんから自発的に研鑽を積んでいるのだと思う。
野月八段は最後に「このぶんなら有段ももうすぐ」と述べていたが、まったく同感である。このままメキメキと実力を付けて、かりんちゃんには芸能界の女流名人になってもらいたい。応援しています。
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テンパる男

2017-06-08 00:06:33 | 愛棋家
1日は、「近代将棋」元編集長・中野隆義さんのお通夜に行った。
夕方、「仕事中」にもかかわらず、「ミスDJリクエストパレード」をRadikoで聴いていたら、得意先の上役が突然いらして、聴取が中途半端になってしまった。
5時になり、私は外出の用意である。私は黒のスーツを持っていないので、それに近い色で誤魔化す。香典袋を袱紗に包み、お数珠を用意し、念のため名刺入れも内ポケットに入れた。
イヤホンをスマホに付けて、家を出る。Radikoのタイムフリーは一度再生すると、聴取を中断しても、その番組は3時間で聴けなくなってしまうので、できるだけ長く聴きたいのだ。
しかし電車内は意外と騒音がひどく、千倉真理のDJがうまく聴き取れない。こりゃダメだと諦め、イヤホンをポケットに仕舞った。
重要なのはお通夜だ。私はお通夜に列席したことがあまりないので、予習をしておく。スマホで該当するサイトを開き、「香炉の抹香は3回つまむ」「振る舞い膳は断らずにいただく」等々を頭に入れた。
赤羽駅で下車する。目指すは南口だが、繁華街のほうに下りたら東口で、若干時間をロスした。
会場の「千代田赤羽駅南口ホール」は、埼京線の高架下にあった。受付には観戦記者のS氏、将棋ペンクラブのA氏がいた。
香典を渡すと、まず待合室に通された。いきなりお焼香ではないらしい。
指示された席に座り待っていると、将棋ペンクラブの三上氏らが見えた。一呼吸して左を見ると、大野八一雄七段がいた。このお通夜は将棋関係者が多く列席するはずだ。
三上氏がきて挨拶される。私は頭を垂れるのみである。
お焼香が開始された。1テーブルごとに呼ばれ、やがて私たちのグループも呼ばれる。
3人一組でお焼香のようだ。隣の祭壇室の手前に来ると、右手にご遺族とご親族、左手に佐藤康光会長、渡辺明竜王がいた。
私は3人組のいちばん右。皆さん荷物はどうするのかと見ていると、左手の空いている椅子の上に置いていた。私もセカンドバッグを抱えている。
私の番がきた。しかし荷物置き場?は左手で、ここからは遠い。スタッフの女性は、「右手に置いてください」というが、右手はご遺族の席で、空いている席が見つからない。
私が動揺すると、スタッフさんが「ああ、私が持ちます」と預かってくれた。
その間、左のふたりは祭壇の前に進んでいた。その手には数珠がある。あ! 数珠!
私はご遺族とご遺影に一礼したあと、ポケットをまさぐる。あった…と出したら、何とイヤホンだった。これじゃドリフのコントじゃねえか!
私はイヤホンを戻し、またポケットをまさぐる。さっと出したらさっきのイヤホンだった。バカが、イヤホンを数珠代わりにしてどうするんだ!
数珠は!? セカンドバッグの中か!? しかしそれはスタッフさんが持っている!
完全に我を忘れた私は、そのまま合掌して回れ右をすると、スタッフさんからバッグをもらい、顔から火が出る思いで、向かいの談話室に入った。
案内された円卓の席に座ると、右手に見覚えのある美女がいた。私が思い出せずにいると、「Aです」。
そうだそうだ、「A氏の奥さん」だった。
以前私と八枚落ちで将棋を指し、私が勝勢になったら「大沢さん、ずるいー!!」と駄々をこねた、あのA氏の奥さんである。
「ああAさん、久しぶり。いやさっき数珠の代わりにイヤホン出しちゃってさ…」
「キャハハハ」
中野さんとご遺族に何と詫びればいいのか。バッグの中をあらためると、しっかり数珠が入っており、私は天を仰いだ。ああ、そもそもバッグを預ける必要はなかった。ふつうに腋に挟んで、お焼香をすればよかったのだ。
周りを見ると、私の2つ左に森下卓九段、その右に佐藤義則八段がいた。場所が場所なら森下九段には「花みず木女流オープン戦の解説を毎年楽しみにしています」、佐藤八段には「第18期と19期十段戦の予選決勝は惜しかったですね」と一声掛けるところだが、ここではうかつな発言ができない。
振る舞い膳のお寿司をつまみ、若干落ち着きを取り戻す。
Fuj氏も来室し、同じ円卓についた。A氏の奥さんに、「彼は将棋バカです」と紹介すると、「大沢さんがそう言うくらいなら、かなりの…」と笑った。
しんみりした席がちょっと和んだ。
ほかのテーブルを見ると、森内俊之九段、郷田真隆九段、植山悦行七段、中井広恵女流六段、湯川博士氏、美馬和夫氏らの顔が見えた。
私の左の席は空いているが、そこに中田功七段が座った。中田七段は近代将棋のアマプロ戦に出場したことがあり、奨励会二段の時に、アマ強豪に屈したことがある(はずだ)。
私は「今月号の将棋世界の、三間飛車講座はおもしろかったです」と言いたかったが、やはり口をつぐむ。
円卓の席が埋まったところで、あらためて献杯となった。
Hak氏がきた。「大沢さんのブログは、本人が(実生活で)失敗すればするほど、おもしろいですね」
私は苦笑いするのみである。
お坊さんの読経が終わったようで、私たちは再び祭壇室に呼ばれた。ご遺族のあいさつがあるようだ。
私たち全員は中に入れないので、大半が廊下で聞く。私の右には中田七段、左には森下九段がいた。
佐藤会長の弔辞が始まったが、マイクの関係でよく聞き取れなかった。
渡辺竜王は、自身が「近代将棋」に連載を持っていたことから、「中野さんにはよくしていただいた」という旨の弔辞だった。
続いて中野さんの奥さんのあいさつである。
「主人は、将棋を愛し、家族を愛し、友を愛し、酒を愛し…酒を、愛しすぎました。素晴らしいひとでした」
何とも泣かせるあいさつではないか。中野さんの苦笑いしている姿が浮かんだ。
続いてご遺体との対面になる。行きがかり上、弔問客のすべてが拝顔することになった。中田七段に私の前を譲る。順繰りに拝顔し、私も中野さんを拝顔した。中野さんは交流会の時と同じ顔だった。
(中野さん、いい具合に酔っぱらって、温泉に入ったんですか?)
中野さんは答えない。ちょっと笑ったようにも見える。
私の前の中田七段が、「中野さんには私が15の時から近代将棋にお世話になりました…」と言う。「大きくなって」とご遺族が返した。
私も何か言うべきなのだろうか。私は口を開く。
「先日のペンクラブの交流会では、中野さんと将棋を指させていただきました。いい思い出になりました。ありがとうございました」
しまった、お通夜の席で「ありがとう」はないだろう。しかも語尾はごにょごにょと濁さなければならないのに、ハッキリと発音してしまった。私は再び自己嫌悪に陥る。
表へ出ると、湯川恵子さんに挨拶された。
「大沢さんのブログ、よかったですよ」
「最新のですか?」
将棋ペンクラブ交流会の記事は、中野さんが亡くなる前に書き終えていたものだ。「あれはあえて記事を訂正することなく、そのまま載せました」
「……」
恵子さんはあまり反応がない。ああ、交流会ではなく、中野さん逝去の記事のことを云っていたのかもしれない。
とにかく今回のお通夜は、私は最初から最後まで、失敗の連続だった。

中野さんのご冥福をあらためてお祈りいたします。
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