一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

立川談志の「芝浜」

2022-12-29 23:34:08 | 落語
文化放送25日の「龍角散pesents・志の輔ラジオ落語DEデート」のゲストは山田邦子。はっちゃけた話が面白かった。
そして名作落語は、立川談志の「芝浜」。1966年5月7日、渋谷・東宝演舞場での噺である。
立川談志については、あらためて語るまでもない。
1952年、五代目柳家小さんに入門。1963年、真打に昇進し、(七代目)立川談志を襲名する。
1966年には「笑点」を企画し、自ら司会を務めた。第1回の放送は5月15日で、上記「芝浜」が演じられた8日後だった。
1983年、立川流を創設し、家元となった。
2011年11月21日、75歳で病没。
談志の落語は弁舌なめらかで、粋な江戸弁を堪能できる。芝浜でも、夫婦の会話が圧巻。当時談志は30歳で、最も脂が乗っていた時期だと思う。若さゆえの勢い、みずみずしさが感じられた。
私の好きな談志のエピソードを2つ挙げる。
談志が大御所になってからの話。ある落語で、前列の席で居眠りをしていた客にヘソを曲げ、落語を止めて袖に引っ込んでしまったことがあった。
たとえば「あんでるせん」のマスターも、客が集中しないでマジックを見ていると、憤慨することがある。一流の芸には、こちらも一流の客として臨まねばならないのである。
もうひとつ。談志とその付き人がタクシーに乗ったときのこと。運転手が「芸能人はいいなあ。テレビに出て好きなことをして、いっぱいおカネをもらえるんだから」と、談志に嫌味を言った。
談志は黙って聞いていたが、聞き終わって、「その通りだよ。なんであんたはやんねえんだよ」と言った。痛快な一言である。
これ、将棋に置き換えると、「棋士はいいよなあ。将棋を指しているだけでおカネをもらえるんだから」となる。これにももちろん、上の答えがそのまま当てはまる。結局、何をやるにも才能が要るということだ。
さて「芝浜」は人情話の最高峰で、サゲの「よそう。また夢になるといけねえ」は、日本で最も有名なサゲであろう。
この夫婦の会話は、亭主が芝浜で財布を拾ってから、3年目の大晦日だった。よって、芝浜は年の瀬に演じられることが多い。
今回分の「落語DEデート」は、Radikoで1月1日まで聴くことができる。興味のある方は、あさっての大晦日に聴いてみてはどうだろう。
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第3回 新春CI寄席(6)

2020-02-05 00:14:29 | 落語
私は言う。
「大沢と申します。私は将棋ペンクラブには1993年に入会したと思います。初投稿は2003年でした。ブログと紙媒体でどちらも書いていますが、直しが利かないという点で、紙はブログの数倍の緊張感がありますね。
例えばブログで間違えたら、その場で直しちゃえば問題ありません。だけど印刷物はそうは行きません。次の号で訂正できればまだいいですが、その号しか持ってない人は、間違えた文章が載ったままです。だから印刷物に文章を書くのは、素晴らしくいいことなんですよ。
……もっとも私は、ブログに力を入れてますけど」
とりあえず下げたので、佳しとする。求職のウラ話はしなかった。
「ブログに食の名店の紹介をしてほしいな」
と、寺川俊篤住職が言った。
その気持ちは分かるが、私は旅に出ても牛丼チェーン店に入って満足しているクチなので、とても紹介はできない。ただ、ふらりと入った店で気に入ったところはあるので、それらの紹介はできそうだ。その店がいまも健在かどうかは別だが。
最後に石畑梅々氏。
「きのうは浅草で講談がありまして、今週も地方に行かなきゃならない。それで頭がいっぱいになっちゃいましてね、今日は失敗しちゃった」
永田氏もそうだが、実は梅々氏もさっきからこれを繰り返している。確かに高座のとき詰まった箇所があったが、客は演出と取り、何とも思っていなかった。しかし当事者は悔やむのだ。
これで長い自己紹介が終わり、また雑談が始まった。
私は酒が飲めないので、小川敦子さん、参遊亭遊鈴さんやTanさんは、時おりお茶を勧めてくれる。こうした配慮は女性ならではで、とてもありがたい。
その敦子さんと永田氏は、オシャレな関係にあるらしい。私は絶句してしまったが、なるほど昼に抱いた感触がズバリで、私の直感も満更ではないと思った。
湯川博士氏いわく、この4月は浜松で将棋ペンクラブ交流会があるという。浜松の企業で、スポンサーになってくれるところがあるらしい。博士氏は本当に人脈が広い。
「ところでキミは何者なんだい?」
また梅々氏に聞かれる。
ホントにその通りで、私以外は「先生」と呼ばれる方や一流企業に勤める方ばかり。私だけが何の取り柄もないのに、この新年会に参加している。場違いだと思う。
私は梅々氏の講談のラストの「男の花道とは――」のあとを忘れてしまい、そのセリフを改めてお聞きしたいのだが、何となく躊躇われる。将棋ペン倶楽部にその部分を載せたいのだが、このぶんだと、適当に創作せざるを得ない。
ここで恵子さんが詩吟を披露する。朗々と唄うそれは玄人はだしで、恵子さんは本当に多芸だ。博士氏ともども、理想的な第二の人生といえるだろう。

夜も更けてきて、三々五々散会となる。とりあえずタクシーを2台呼んだ。表は雨が降っていた。私がたまに外出するとこうだ。
タクシーには女性陣が中心に乗り、あと1台呼ぶことになった。
私は歩いて帰りたいのだが、恵子さんは「いっぺんにみんな帰っちゃうとさびしいから、残ってよ」と言う。それでタクシーは保留し、俊篤住職、Kan氏、永田氏、敦子さん、私の5人がしばし延長することになった。
「煮物、あまり出なかったね。来年は作るのをやめよう」
と恵子さん。
大根と人参の煮物が大皿にいっぱい残っている。これは私も食したかったのだが、テーブルの端にいるので、取れなかったのだ。
私はいまがチャンスと、煮物ばかりバクバク食べる。
恵子さんが「あ!」と頓狂な声を挙げた。「今日の落語、話し忘れたところがあった!」
それで披露してもらうと、
「まんじゅうをそんなに食べると、シャベルみたいに糖尿になっちゃうよ」「それで死んじゃったらどうするの?」「殺人罪にならないからいいんだよ」
だった。確かに可笑しい。
今日の小丸の落語、噺に破綻はないが、妙にアッサリしていると思ったのだ。なるほどこれが、小丸のカスタマイズだったか。
演者は今回の出来でも素晴らしかったのに、もっといい笑いを提供できた、いい演舞を披露することができたと、自責の念にかられるのだ。
ただその思いがあるから、さらに芸が上達するとも云える。
私の横では、すっかり酔い潰れた博士氏が、頭を垂れてブツブツつぶやいている。もう限界のようで、布団をかぶせて寝てもらった。
さて、さすがに帰ることとする。博士氏、恵子さんには今年もお世話になりました。恵子さんの手料理は美味かった。ごちそうさまでした。
来年もこの席にいられればありがたいが、それは無職を意味する。そんなのはイヤだ。
恵子さんがタクシーを呼んだが、私のタクシー嫌いを察してか、恵子さんが「タクシー代はKanさんが払ってよ」とか言っている。
永田氏と敦子さんも帰りたいふうだが、恵子さんは泊まってもらいたいようだ。
結局、タクシーはKan氏と私だけが乗った。聞けばKan氏は、行きは美馬和夫氏とタクシーで来たという。じゃあ皆さんは相当、早く着いたのだ。私の遅刻は、ホントに罪が重かった。
「行きは美馬さんにタクシー代を出してもらったんで、ここはボクに出させてよ」
とKan氏。それじゃあ私が惨めすぎるので、ほんの気持ちだけ負担させていただいた。
(おわり)
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第3回 新春CI寄席(5)

2020-02-04 01:25:00 | 落語
永田氏は、仏家シャベルの「鰍沢」で、男の発砲の際、音入れができなかったことを悔やんだ。
「師匠の噺にタイミングを合わせられなくて……失敗しました」
でもハタから見れば鉄砲音がなくても問題はなく、私たちは普通に落語を拝聴していた。
このように、当事者は悔やんでも第三者は全く気にしないケースは、日常生活でもよくある。ただそのくらい、永田氏は気合を入れて臨んでいたということだ。
湯川博士氏と永田氏が居場所を替わった。博士氏は中央でシャベりたいらしい。まあそうであろう。
私が永田氏にライブの出来を褒めると、逆にたいそう感謝された。結果お互い恐縮して、握手ばかりを繰り返す妙な光景である。
かように新年会は盛り上がっているが、博士氏等、しゃべる人は限られているので、永田氏の仕切りで、順番に自己紹介となった。まずは美馬和夫氏から。
「将棋ライターをやっています……」
しかし言ったそばから博士氏らが補足をしていく。
「美馬君は昔は、書いた文章をすぐボクに見せてきてねえ……」
美馬氏は全国区の将棋アマ強豪で、湯川夫妻と私はその実力を知っているが、ほかはピンと来てないのがもどかしい。「昔は文章の終わりに(笑い)とか書いてたんだが、今はだいぶ文章が上達した」
「私はブログに(笑)を使ったことは一度もありません」
と、これは私。だが美馬氏に対抗してどうしようというのだ。こう言われたら美馬氏だって不愉快だろう。
ただこのセリフは本当である。(笑)と書かなくても笑っているな、と思わせるところがブロガーの矜持である。
美馬氏は現在その文章力を買われ、「将棋世界」と「将棋ペン倶楽部」で健筆を振るっている。
ここから時計回りならよかったのだが、Kan氏に行ってしまった。Kan氏は元社会科の先生だ。Kan氏は美馬氏と同学年だったことに驚き、急に親しみが沸いたふうだった。
続くHiw氏とSuwさんは誰もが知る大手旅行会社の元上司と部下である。湯川夫妻の寄席には、観客として欠かせぬ存在である。
恵子さんが言う。
「ある冬の食のイベントの時ね、お蕎麦を提供する係をやったんだけど、400人分作ることになってね、とても手が足りない。そこでHiwさんに頼んだら快く引き受けてくれてね、まあHiwさんが寒い中、黙々と蕎麦を作ってくれて――」
この時の蕎麦を食べたかったと思う。
しかしさっきのKan氏もそうだが、ひとりしゃべるごとに補足が入るので、自己紹介が遅々として進まない。いっぽう私は妙なプレッシャーがかかり、何を言おうか考えてしまう。求職中のエピソードはいくらでもあるのだが、それがどのくらいウケるだろうか。
次は岡松三三さん。
「オオウ! ミミ! ミミ!! ミミーーーーーッ!!!」
と、石畑梅々さんが絶叫する。梅々さん、激しく酒癖が悪い。ようやく静かになったところで、三三さんの言葉を待つ。
「私は恵比寿に住んでいて、空き家が3つあります」
地方にいくと空き家問題があるが、それは東京でも同じことがいえる。私も他人事ではなく、頭が痛い。
続く恵子さんは落語を覚える苦労を話す。博士氏が代弁する。
「オレはあまり落語の稽古はしないんだ。寄席の2、3日前になったらチャッチャッとやるくらいだけど、恵子はよくするんだよ。道を歩いてても、急にしゃべりだす。『まんじゅうなんか嫌いだ!』って叫ぶから、ヨソ様が驚いてこちらを見るわけよ。違う違う、いまのはコイツがしゃべったんだ、って――」
何だか博士氏がしゃべると、みんな落語に聞こえてしまう。
恵子さんは女流アマ名人戦5回優勝の強豪だが、昔は女流棋士の頭数が少なかったから、プロへのスカウトもあったらしい。
「だけどオレが断ったんだ」
と博士氏。以前女流アマ名人戦の決勝で、山田久美という少女に勝って優勝した時、取材陣は恵子さんを撮らず、相手ばかりを撮っていたそうだ。
「優勝したのは私なのに、肩越しにカメラがあるんだから――」
これではプロになっても先が見えていると思い、博士氏の意見を尊重し、プロになるのを見合わせたという。
「その判断は、いまでは間違ってなかったと思う」
と博士氏。博士氏、相当酒は入っているのだが、時々まともなことを言う。
寺川俊篤住職は、今回CI寄席を聞いて、運営その他で学ぶところがいっぱいあったという。ただそれは反面教師の部分が多く、客の目からは何気ないことでも、運営の視点からは修正点があったようだ。
湯川邸へも何度も来ているという俊篤氏、今年の大いちょう寄席も期待したい。
博士氏は飛ばして、Tanさん。彼女と博士氏、参遊亭遊鈴さんが高校の同級生ということは、昨年のこのブログでも述べた。
「博士さんは高校生のころかわいくて人気があってね、あぁ私もケイコなので、恵子さんとは同じ名前です。私も博士さんのことを快く思っていたけど、大したもんだと思ったのは、結婚相手を間違えなかったことよ」
一同「??」
「だって恵子さんのような、素晴らしい人を選んだんだもの――」
何だかみんな、いいネタを披露している。
遊鈴さんは小話を披露する。
「じゃあ、節分の小話をやります。
ある家に間男がしのびこんだ。男は女とよろしくやっていたんですが、そこに旦那が帰って来た。二人は慌てて、ああアンタ、ベランダへ逃げて! 家では豆まきが始まった。
『福は内、オレは外』」
みんなゲラゲラ笑う。マジで落語の延長戦である。
小川敦子さんは知る人ぞ知る画家である。
「小川さんの絵を観た時ね、湯川さんが、綺麗な絵だね、って言ったのよ。私も同じ意見だった」
と恵子さん。そこで「将棋ペン倶楽部」の表紙を描いてもらうことになったのだ。
いよいよ永田氏の番だ。永田氏は、また効果音の失敗を懺悔した。
聞けば事前に打ち合わせはやったらしいのだが、シャベルはあんな感じでほとんど聞いてないので、本番では永田氏が、独自のタイミングで音のボタンを押していたらしい。それでシャベルのペースに合わず、失敗した……。
「オレは打ち合わせは、あまり聞いてなかったから。オレは落語で失敗したって、素知らぬ顔で続けちゃうよ」
と博士氏。そういえば今日の噺でも「話は戻りますが――」と、さりげなくリカバリーする場面があった。だが一発勝負の効果音は、それが許されなかったのだ。
そしてついに、私の番が来た。
(つづく)
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第3回 新春CI寄席(4)

2020-02-03 11:59:11 | 落語
若干険悪な雰囲気が流れたが、その客が退場し、平穏が戻った。仏家シャベルの噺が再び熱を帯びる。仏家ジャズルの効果音も冴え、そのたびに私たちは「ひっ」と背筋を伸ばしてしまうのだ。
旅人はついに鉄砲で命を狙われる。海に飛び込んだ旅人の命運やいかに……というところで意表の下げとなった。会場はやんやの拍手である。掛時計を見れば、予定終了時刻を20分オーバーしていた。やはり、シャベルのマクラが長過ぎたか。
最後は演者が勢ぞろいし、お客は盛大な拍手をもって感謝の意を表した。全5席はバリエーションに富み、大満足であった。

このあとは湯川邸で新年会である。もちろん私も参加させていただくが、出演者はまだいろいろあるだろう。私はKan氏や美馬和夫氏といっしょに向かえばいいのだが、孤独が好きな私はそれができない。私は湯川恵子さんに断りを入れると、ひとりで歩いて行く意を示した。
「道は分かる?」
「大丈夫です」
まずは駅前に行き、立ち食いそばの店に入る。ここの信州の蕎麦が美味かった記憶がある。このあと湯川邸でたらふく食事ができるのだが、時刻は午後4時を過ぎているし、軽く入れておきたい。
もりそば(390円)は期待に違わぬ美味さだった。
そのまま20分ほど歩き、見覚えのある道、というか景色になった。湯川邸の住所は3丁目15番だが、ここは3-11、向かいの建物は3-16だ。ああもう着いた、と思うが、その先がどうもはっきりしない。
ここで私は堂々巡りし、同じ道を行ったり来たりする。また大道路に戻ったりして、二股の根もとにある焼肉店は何回通っただろう。
郵便局の前に来た。なぜ開いているのか分からないが、今日は平日だったのだ。
また少し歩き、番地を見ると4丁目である。民家に入って3丁目を聞くが、分からないという。期待外れだが、私だってひとつ前の数字の丁は分からない。
こういう時、スマホの地図で確認すればいいのだが、焦っている私はその余裕がない。思えば昨年は、武者野勝巳七段と詞吟の先生とで向かったがやはり道に迷い、大幅に遅刻したものだ。今年も同じ轍を踏むとは……。
あたりはすっかり暗くなってしまった。もう湯川氏一行はとっくに新年会を始めているはずで、私がまだ到着していないことに立腹しているに違いない。
あ、スマホに電話が来ているかもしれない……。しかしそれも確認する余裕がない。
ある整骨院に入って道を聞く。スタッフはこっちだと言うが、マッサージを受けている人はあっちだと言う。
混乱する中、スタッフの言うことを信じて、そちらに舵を切る。結局、いちばん最初に来た景色のところに戻ってきた。その先を思い切って行くと、見覚えのある景色になった。こっちだったか!
近くの家で湯川邸を聞き、やっと着くことが出来た。時刻は5時20分。ざっと40分間迷っていたことになる。
恐縮してドアを開けると、恵子さんと岡松三三さんが出た。
「あらあどこ行ってたの! 何度も電話を掛けたのよ」
「すみません、スマホの着信音を消していたので、分からなくて」
これは咄嗟についたウソである。確かに落語のときケータイの消音を促されたが、私は何もしなかった。とはいえ大幅な遅刻で、私は平身低頭で陳謝である。
そしてここに、私の人生の縮図が表れている。ヒトのいうことを信じて行動すればいいのに、身勝手な行動をしてみなに迷惑を掛ける。その結果がいまのザマだ。
「もう奥の席しか残ってないわよ」
宴席には関係者が勢ぞろいし、だいぶ飲み食いした跡があった。奥の席がポッカリ空いていて、恐縮である。そしてそれは上座を意味していた。奇しくも、私が昨年座ったところでもあった。
「さっきからこの席が空いてるんで、どんな人が来るかと思ったよ」
と、右に座っていた石畑梅々氏。
ビールをもらい、遅ればせながら乾杯である。私には苦いビールだった。
宴席はテーブルを2つ繋げている。テーブルには美味そうな料理がズラリ。いずれも恵子さんのお手製で、今日は午前4時起きで作ったと言っていた。
改めて参加者を記すと、私の向かいは湯川博士氏。以下時計回りに小川敦子さん、参遊亭遊鈴さん、Tanさん、永田氏、長照寺・寺川俊篤氏、台所に湯川恵子さんと三三さん、折り返してSuwさん、Hiw氏、Kan氏、美馬氏、梅々氏、そして私の総勢14名だ。ヒトは無意識に定位置があるもので、連続参加の人は、だいたい昨年と同じ席だった。
早速料理を食べると、美味い! 恵子さんは料理が本当に上手で、小料理屋でも開けば繁盛すると思うが、そうしないところがいいのだろう。
そんな恵子さんが焼菓子をくれた。
「私だけに…?」
「そう、君だけに」
と、これはTanさん。どうも、皆さんに配られたようだ。恵子さんの配慮には頭が下がる。
「もう、電話してくれればよかったのに。なんでこんなに遅くなったの」
と恵子さん。その通りだが、電話をすれば「こちらの負け」になるという気持ちもあった。だがそんな意地を張るべきではなかった。
「いや実は駅前の蕎麦屋に寄ってまして」
「ああそれで」
いや、蕎麦屋にいたのはせいぜい10数分だ。
「いえいえ、私が道に迷いました」
永田氏に今日の演奏の出来を聞かれる。もちろん素晴らしく、
「(演者)5人の中で、いちばん感銘を受けました」
と返した。しかしほかに演者がいる中でこれは、失言だった。
俊篤住職は、当ブログを読んでいてくれたようだった。「今年の大いちょう寄席をやる時に、去年の様子はどうだったのかと思って、検索してみたんですよ。そしたら大沢さんのブログが先頭に出て……。他人の目にはどう映っていたのか分かって、興味深かった」
大いちょう寄席の模様をSNSに上げるのは私くらいだから、当然そうなるのだろう。とはいえ俊篤住職が読んでいてくれていたとは感謝である。「CI寄席のも、ブログに書いてくれるんでしょ?」
「はあ、そのつもりですが、今回は将棋ペン倶楽部にも書く予定なんで、ブログは軽めに書こうと思っています」
俊篤氏の期待はありがたいが、そうせざるを得ない。しかし文章制限のないブログにこそいっぱい内容を書けるわけで、結局、ブログのほうも5日間くらいの連載になりそうな気はする。しかしそうすると編集部のほうから、「先に発表しないでくださいよ」的なクレームが来やしないか?
「湯川先生、今日の落語もよかったです。江戸の風俗が勉強できました」
「うん、今日は落語と同時に、江戸の文化も話そうと思った。ある種の講義だね」
狙いはバッチリ当たって、博士氏も満足そうだ。
梅々氏は酒をグビグビやっている。本来は私が「今日の講談はよかったです」と酒をつがなければいけないのだが、半井源太郎よろしく、私はかしこまっているだけだった。
(つづく)
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第3回 新春CI寄席(3)

2020-02-02 00:22:30 | 落語
後半1本目は、仏家ジャズル(永田氏)の「ミニミニライブ・童謡&ブルース」である。
ジャズルは音楽家で、将棋ペンクラブ大賞贈呈式のBGM担当でおなじみだが、あらたまって生演奏を聴くのは初めてである。
「仏家ジャズルです。新春ということで、ヒゲを10センチ切って参りました」
私たちは首を傾げる。それでも顎ヒゲはかなり伸びていたからだが、そうか、ここは笑わせるところなのだ。「私は仏家一門の三番弟子なんですが、二番弟子の仏家スベルが失踪しまして、私が二番弟子に上がりました……」
ジャズルは静かな語り口だが、地味なギャグが私にはかなりヒットしている。
「和光市駅の南口……私はCIハイツ口と呼んでるんですが、この前に清水かつら先生の石碑が立っていますね。まずその曲を弾きたいと思います」
ジャズルはピアノを軽快に弾き、粘っこい口調で歌いだした。
「おぅてぇてえぃ、つぅないでぇい……」
これは作詞:清水かつら、作曲:弘田龍太郎「靴が鳴る」である。年配にも馴染みの童謡を、ジャズとブルースで聴かせるという趣向だった。
ジャズルの編曲は見事で、童謡がゴージャスな着物をまとい、豪華になっている。歌声はレイ・チャールズのごとくで、またもお客が聴き入っている。
2曲目は作詞:北原白秋、作曲:草川信「ゆりかごのうた」である。
「ゆぅりかご、の、う、たは、カァナリヤ、が、う、たう、よ」
これもジャズならではの郷愁が漂い、その情景が浮かび上がる。そしてなんだかクセになる歌い口である。こうなると、次の曲が楽しみになってきた。が、
「早くも次の曲が最後になってしまいました」
お約束の「えーー!?」を叫びたいところである。
最後は作詞:相馬御風、作曲:弘田龍太郎「春よ来い」である。これも渋く歌い上げ、私はアンコールをかけたくなった。
今回の寄席では甚だ異色だったが、ジャズルの演舞は大ヒットだったと思う。
ひとつ思うのは、駅前の石碑の話が出たが、あの碑を見たから「靴が鳴る」を演奏曲に入れたのか、それともたんに偶然だったのか……。
前者なら永田氏は恐ろしき力量の持ち主、後者なら凄まじき偶然ということになる。
トリは仏家シャベル(湯川博士氏)である。凄まじき貫禄で高座に上がる。
「仏家シャベルでございます。私は60過ぎて落語を演るようになったんですが、お陰さまであちこちからご依頼をいただくようになりました。最近は埼玉病院からお話をいただいたんですが、ギャラが出ないというんですね。
だけど交通費だってかかるしねぇ……。でも引き受けました。というのは、オヤジが埼玉病院で亡くなったからなんですね」
シャベルは小丸を連れてお邪魔したという。
「落語といのは、トリだけじゃできないんです」
ほう。「落語は前座がいてはじめて、トリができるんですね」
なるほどこれは真理で、野球もいきなり4番バッターじゃ味がない。1番から順番に行くから、4番が引き立つ。小丸も、前座以上の重要な働きをしていたわけだ。
そしてシャベルと小丸は病院で噺をするのだが、場所柄シュールな出来事が多く、それが妙に可笑しい。それだけで一本の噺ができてしまいそうだ。
「病人に笑いは特効薬ですから、ゆくゆくは病院が噺家を雇うかもしれません」
なおもマクラは続く。「私は落語が好きで、上野の鈴本にはよく行きました。そこでよく聞くマクラが『皆さまもう少しの辛抱でございます』。これは1万回くらい聞きました。そこで私は、高座に上がったら、プロが演ったギャグは使わない、と決めました。
私の知り合いに木村家べんご志というのがいるんですが、彼はマクラがあまりうまくなかった。ところがある日、新ネタを作りましてね。木村家はその名の通り本業は弁護士なんですが、ある裁判のとき、口の悪い検事がいた。それで木村家が、『なに言ってやがんだ、それなら出るところへ出ようじゃねぇか! …あ、もう出てるのか』って、これはうまかった」
ヒトのマクラを紹介するのもどうかと思うが、確かに可笑しい。
さらに江戸の犯罪やそのお仕置き方法などを面白く語る。
「江戸のお役人は約10万人、そのうち同心は約300人、与力は約30人だったらしいですナ。ずいぶん少人数です。
盗みなどの軽犯罪を働くと、腕に黒の輪っかを入れられる。これを入れ墨というんですね。入れ墨も三両くらいまででね、十両になるとあぶない。一発でコレです」
死罪ということだ。「二度目の盗みは2つめの輪っか。もう夏になってもこう、袖で隠してね。ところが3つ目はない。死罪になるからです」
ちなみに背中などにある緋牡丹や昇り竜は入れ墨とはいわず、「彫り物」というらしい。このあたりの蘊蓄はなかなかタメになる。
心中なども重罪で、恥辱罪になるらしい。生き残ったほうは日本橋の袂などで晒し者にされる。これは経費がかからないからお上も好都合だったという。
「いまはそういう刑はなくなりましたが、復活させて晒したほうがいいかもしれない、というヒトはいますよねえ……」
さらに花魁の話も出る。花魁は25歳~26歳が花の盛りだったらしい。
マクラが長すぎるが、もう噺に入っているのだろうか。
今日の噺は「鰍沢」。身延山久遠寺の参詣を済ませた旅人が、鰍沢で吹雪に遭い、道に迷ってしまった。
ここで「ヒラヒラ」という降雪の効果音が入る。永田氏の協力によるもので、なかなか斬新だ。
ある一軒家に辿り着くと、そこには妙齢の美人・お熊がいた。旅人は一夜の宿を頼むとお熊も快諾し、旅人は人心地が付いた。
その夜、旅人はお熊から卵酒をいただく。だが、旅人は全身にシビレがきて、横になってしまう。
旅人が大金を持っていたこと、さらにお熊はもと花魁で、旅人がその過去を知ったがために、お熊から命を狙われたのだ……。
今度の噺は笑いがなく、サスペンス調である。それをシャベルが緩急よろしくシャベル。
だが、傍らで誰かがしゃべっている。客のひとりの帰宅時間が過ぎたらしく、付添いが迎えに来たのだ。
だがそのヒソヒソ話さえ邪魔に聞こえ、客席の数人はそちらを向き睨みつけている。つまりそれほど、お客は噺に聞き入っていたのだった。
(つづく)
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