放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

2024ビワイチ4

2024年06月06日 16時31分48秒 | サイクリング

ビワイチ、2日目の午後。昼食後に国道303号線で小さいがきついピークをこえ、県道557号線におれて琵琶湖の北端の大浦にむかうと、リヤ・タイヤから、ゴットン、ゴットンと嫌な振動がでだした。チューブラー・タイヤはリムに接着剤でとめてある。それが賤ケ岳のくだりではずれたのだろうとおもって点検すると、やはりタイヤがずれてしまっていた。

タイヤが進行方向にずれて、エア・バルブがひっぱられて歪みがでたのだ。さっそくタイヤをリムにはりなおそうとしたが、接着剤が古くてきいていない。しかも接着につかうリム・セメントをわすれてきてしまった。修理をすることはできず、このままゆくほかない。このあとはずっとゴットン、ゴットンとやりながら走ることになった。

湖北ではお祭りをやっていた。神輿がでて、裸の男たちがかつぎ、羽織袴の世話人たちがついている。良いものを見させてもらった。

湖北は人も車もすくなく、風景もすばらしい。

湖水の透明度もたかく、清々しかった。ただアップダウンがありきつくもあった。

マキノサニービーチにやってきた。高校2年のときに、能登半島から京都をまわったサイクリングの際にキャンプした地である。そのころは施設はほとんどなく、湖沿いに野営場があるだけだった。今は建物がたっていて受付があり、その先は宿泊者でないと入れないし、トイレを使用するのも料金100円と書かれている。

45年前は柵などなくて、夜になると近隣の方がフルートの練習にきていた。家では思うままに吹けないからだが、湖岸には自由に出入りができたのだ。

今は芝生がはられてテントとタープがならび、キャンプ場もいくつもある。当時をなつかしむよすがはのこっていなかった。それはそうだ45年も前のことだから。

今津浜でトイレによった。ここでは鯉釣りをしている人たちがいる。釣れるのかなとおもっていると、ファンファーレがなりだした。当たりを知らせる警報音で魚がかかったのだ。ひとりがリールを巻いて魚をひきよせはじめ、友人がたも網をかまえてとりこみをたすけようとしていると、友人の竿からもファンファーレがなりだした。友人はたも網をおいて自分の竿にはしってゆく。

鯉はちかづいてきた。私はたも網をとって加勢しようかとおもったが、ゆきづりの人間がやるのはどうだろうかとおもってやめた。魚は3メートルまでよってきたが、そこで針をはずして逃げてしまった。釣り人は足元までよってきた魚をどうとりこむのか迷ったのだ。一瞬糸がゆるんだ隙に、鯉はもがいてにげた。たも網をかまえていたら、そこに鯉をまっすぐに引きいれて、とれただろうとおもわれる。釣り人は、70センチくらいの小物だ、といって悔しそうな素振りはみせない。朝はもっと大物がかかったのだそうだ。

時速15キロのペースをまもってゆく。若いサイクリストのグループと抜きつつかれつしてすすむ。彼らのほうが全然速いが、一度休むと人数がおおいし、女性もいるから長くなるのである。私は休憩せずにノロノロ走行をつづけるので、彼らとおなじペースになった。またお祭りに遭遇して、祭り行列に遠慮する若者を尻目に先行する。

14時半に高島でやすむ。17時の時点で琵琶湖大橋の東岸の堅田まで何キロのこっているか、どのくらい疲れているかで、今日の走行を切り上げるか決めることにする。わずかな距離ならば無理をしてでもビワイチを完走するが、力がぬけるほどのこっていたら、輪行して堅田に行き、ピエリにもどって、明日つづきをすることにした。あと2時間半でどこまでゆけるかだ。今日はどんな結末をむかえるのだろうとかんがえて走りだすと、白髭神社18キロ、琵琶湖大橋36キロの看板がでている。2時間半あれば36キロは十分にはしれる。今日のうちにビワイチは完走できるだろう。力がわいてきた。

若者たちよりも速くノロノロ走行の私が白髭神社についた。

神社にたちよる余裕はもうない。

あと18キロで琵琶湖大橋である。

白髭神社から先がきつかった。ルートは湖沿いから湖西線の横をゆくようになり、いつまで走っても琵琶湖大橋がみえてこない。体力を消耗してしまい、バテバテですすんだ。

ノロノロ走行でねばっていると、堅田4キロの看板があった。もう少しだ。ファミリーマートによって力水をとる。

堅田から琵琶湖大橋をわたり、16時55分にピエリ守山にもどってきた。走行距離は125キロ。ビワイチを完走したのだ。車のとなりにはマウンテン・バイクのグループがいた。かるく挨拶をして、リヤ・タイヤをはずしてゴットンの部分を修正していると、変速機のダブル・レバーがカッコいいですね、カンパですか、と声をかけられた。50くらいの方だ。そうです、40年前の自転車なんですよ、20代のころから乗ってます、とまた話したが、私のオールド・レーサーは50以上の人にうけるみたいだ。若者は古いものはわからんよね。彼らのマウンテン・バイクはEバイクのようだった。

この日は琵琶湖大橋をわたり、雄琴温泉の『スパリゾート雄琴あがりゃんせ』にいった。数年前に家内と利用してよいイメージがのこっていたスーパー銭湯だ。

あがりゃんせの料金は1850円とお高いが、琵琶湖のみえる展望風呂や、リラックス・チェアなどの施設が充実している。

館内で着る服も料金にはいっているのでソファやマッサージ・チェアでくつろぐことができる。

ただ時間がなくてゆっくりできないのが残念だった。

演劇もやっていてこれも無料だ。

あがりゃんせは朝から晩までたのしめる施設だった。

滋賀県にはちゃんぽん亭というチェーン店がたくさんあるので、利用したいとおもっていた。しかしあまり腹がすかないので、コープで買い物をして道の駅『びわ湖大橋米プラザ』にゆく。ピエリ守山と琵琶湖大橋をはさんだ対岸に位置している道の駅だ。カツオの刺身にローストビーフ、それに三輪そうめんで一杯である。

カツオの刺身がうまい。ローストビーフもいい。そして三輪そうめんである。

関東人の私には三輪そうめんがめずらしい。出汁も具も関西風でよかった。2024シーズン16日目の車中泊。ビワイチはきついところもあるが爽快だった。気持ちよく走れるから、癖になりそう。

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2024ビワイチ3

2024年06月03日 18時17分23秒 | サイクリング

5月4日。土曜日。道の駅あぐり栗東の朝。天候は晴れ。GWの4連休はずっと晴天の予報である。

朝食はカップ麺だ。

ピエリ守山の駐車場は7時半からなので時間調整をして、給油もした。燃費は10、1K/L。

7時15分にピエリにつくと駐車場はもうあいていた。気温は16℃。日中はまた25℃を上回る予報だ。

準備をととのえて7時半すぎに出発する。

まず12キロ走行して野洲駅に到着した。足は快調でついついペダルを踏みこんでしまうが、今日は長丁場になるから自重する。しかし不安だった右膝も痛まないから気持ちがかるかった。

野洲駅前で自転車を分解する。

サドルだけ袋におさまらない。輪行袋のショルダー・ベルトを肩にかけて、サドルをもってホームにあるいた。8時30分の電車にのる。

弾丸電車で田園地帯をはしりぬけ8時50分に彦根駅についた。

自転車を組み立てて9時5分にスタートする。まず米原駅にいこうとおもうがビワイチのコースは駅に近づかない。

湖沿いをゆくのだ。時速15キロのマイペースですすんでいると、私よりも年上のサイクリストにぬかれた。その方は時速30キロくらいで走っていたから、速いなと感心した。サイクル・ジャージを着た方だ。私は長袖Tシャツに短パンのサイクリング・スタイルである。

長浜の入ると大仏がたっていた。

初心者コースは長浜城公園の中をゆく。

城址公園をぬけるとまた湖の横をゆくようになった。

さきほど抜かれた早い方が後ろからやってきた。どこかで休んでおられたようだ。その方に「トーエイ・ロード、いいですね」、と声をかけられた。自転車をとめて話すと、石山に住んでいらっしゃるHさんとおっしゃる方で、私よりも6つ上の68歳とのこと。トーエイ・ロードは40年前に組んでずっと乗っていますと話すと、それはすごい、とおっしゃっていた。Hさんはクロモリ・フレームのロードに心酔していて、オークションなどで古い自転車を買いあつめ、10台も所有されているとのこと。この日の自転車は『クリバラ』というハンドメイドのものだそうだ。10台も自転車を購入するのもすごいが、置いておけるスペースがあるのも家がひろくないと不可能だ。こんどは私が、それはすごい、と言う番だった。10台のうちの8台がビワイチ用なのだそうだ。私の自転車のカンパなどの部品を見て、20代のころにこれを買われたのはだいぶ気張りましたな、とおっしゃる。たしかに何か月もかけて、少しずつ部品を手に入れて完成させたのである。そのおかげで60代になっても乗っていられます、と言うと、元をとらはりましたな、と笑った。関西の方は気さくで人懐こい。関東の人間はシャイでかまえてしまうから、こうはいかない。だから東京の人はつめたいなどと言われるのだろう。そうでもないんだけどね。

H氏は先にいかれた。湖北の木之元にむかう。

事前に情報を得ていた、右側の歩道を通行する狭小トンネルについた。右側にしか歩道がないのだ。

右側の歩道を通行してトンネルをぬける。この後は左側通行にもどって木之元にはいってゆく。木之元では食事をしたいとおもっていたし、サイクリストに人気のパン屋ものぞいてみたいとかんがえていた。しかしコースにしたがってすすむと、旧道に誘導されて、木之元の町にはゆかずに、賤ケ岳への登坂にはいってしまう。この上りがきつい。私のオールド・レーサーは昔の流行でギヤ比が高い。いちばん低いギヤは40×21なのだ。このギヤでは坂でペダルを踏み込めない。足をつきそうになるが、我慢してねばっていった。

上り坂はきつかったが距離はみじかかった。トンネルをぬけるとピークだ。

ここにはビュースポットがあった。

峠からくだって琵琶湖の北部をゆくと、湖にたちこんで釣りをしている人がいる。ビワマスをねらっているのだろうか。琵琶湖には鳥がたくさんいる。水鳥やサギにヨシキリなど。見たことのない黒い水鳥もたくさんいて、なんという名前なのだろうかとかえってからしらべてみると、オオバンという名だった。オオバンは琵琶湖ではふえているそうだが、関東では絶滅危惧種とのことで、どうりで見たことがないわけである。

木之元でちゃんぽんをたべるつもりだったので空腹だった。どこかに店はないかとおもっていると、湖北ほくほく亭をみつけた。たすかった。

ほくほく亭でラーメンとチャーハンのセットをオーダーした。なつかしい感じの、毎日食べられるラーメンとチャーハンだ。980円。

 

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2024ビワイチ2

2024年05月30日 17時57分49秒 | サイクリング

湖岸を北上してゆくと延々とキャンプ場がつづくようになり、たくさんの人たちがバーベキューをやっていた。肉を焼くにおいがただよっている。ヨシ原も点在していてオオヨシキリが鳴いていた。ビワイチのサイクリストもたくさんいる。

13時すぎ。疲れてきたので道の駅草津でやすむことにする。日差しがつよくなり日陰をさがしてやすんだ。ここまで39、8キロ走行したとスマホに記録されている。メモをとり水分を補給してまた走りだした。

すすんでゆくと琵琶湖大橋が見えてきた。琵琶湖は南のほうは生臭い水のにおいがするが、大橋くらいまで北上するとそれがなくなる。出発点の琵琶湖大橋までもどると走行距離は45、8キロで、右膝がすこし痛むがまだゆけそうだ。時刻は13時44分。明日の走行を楽にするために距離をのばすことにする。先までいって、電車にのって守山にかえってくる作戦である。つまり輪行だ。

サイクリストの集団と走っていると、彼らが道をはずれて公園にはいってゆく。なんだろうとおもったら、琵琶湖サイクリストの聖地碑があった。ここはゆきたかったところなのでさっそく写真をとった。このモニュメントはビワイチを達成して喜んでいる様子をあらわしているそうだ。

アルファベットの琵琶湖オブジェでも写真がとりたかったが、大人気なので断念した。ここは守山市の第2なぎさ公園である。

ビワイチは今やっておかないとできなくなるかもしれないとおもってやることにした。60をすぎると、体がどうなるのか自分でもわからない。病気やケガだけでなく、とつぜん死んでしまうことだってありえるのだ。したがってやりたいことはサイクリングにしろ、スキーにせよ、できるうちにやっておくべきなのだとおもう。長命寺の手前でやすんだ。日差しがつよくなりへばってきた。ベンチに座りこんで水分を補給する。

長命寺の手前の交差点で、海岸線をゆく上級者コースと、内陸をまわる初心者コースにルートがわかれていた。ここでなんとなく上級者コースをえらんだ。

するとこのコースはアップダウンのはげしい道だった。

上り下りとくりかえしていた道は、登り、またのぼりとなる。休暇村近江八幡をすぎて初心者コースと合流するまできつい登り坂を10キロほど走行した。初心者コースは楽だったのかもしれないと、上級者コースをえらんだことを後悔した。

15時半。近江栗見新田のセブンイレブンで冷たい飲み物を補給する。バームクーヘンも買ったが喉をとおらない。この時点で今日のゴールは彦根駅か米原駅だと見当をつけていた。どこまでゆけるかは体力と時間しだいだが、おそくとも17時にはいずれかの駅につくようにしようとかんがえていた。そうしないとピエリ守山にもどるのがおそくなってしまうからだ。

北上してゆくと、また上級者と初心者のコースがわかれる地点についた。長命寺で上級者コースをえらんで苦労したので、初心者コースをゆくと海岸にたくさんの人がいる。それでここが『あのベンチ』だと気がづいた。まったく偶然出会うことができたのだが、ここも立ち寄りたい場所だったのだ。上の画像のオレンジの自転車がたてかけてあるのが『あのベンチ』である。

『あのベンチ』はただベンチがおかれているだけなのだが、なかなか出会うことができないので、幸運のベンチとよばれているそうだ。NHKのドキュメンタリー番組の72時間の舞台にもなったから来てみたかった。

滋賀には暴走族がいる。タイヤを八の字にしたシャコタンや族仕様のバイクがはしっていた。いまどき族ははやらないが、それがカッコいいとおもう悪い子が、一定数いるのだろう。そんな男の子を見ると、年をとったせいか若いなと微笑んでしまった。ほどほどにしとけよ、と。

今日のゴールは彦根駅にした。米原までゆきたいが、彦根から6キロもあってもういけない。できれば明日の自分にこの6キロもプレゼントしたいが、体力がのこっていなかった。

湖岸から彦根駅にゆくのに3キロほどある。この距離がつかれた体にきつかった。上の画像にちいさく彦根城がうつっている。

17時前に彦根駅についた。

駅前で自転車の前輪をはずして輪行の準備をする。輪行ははじめてなのだが、一度家で練習をしてきたのでスムーズに袋につめることができた。

17時5分にホームにゆくと、17時22分の快速があった。この電車は弾丸のごとく疾走する。ピエリは野洲駅でもその先の守山駅からでも距離がおなじくらいなので、手前の野洲でおりた。彦根から3駅だが駅間がながい。17時47分に野洲駅について料金は590円である。3駅でこの料金なので距離がわかるとおもう。

明日はまた彦根駅からスタートするので野洲駅の時刻表をチェックしておいた。

野洲駅前で自転車をくみたてる。スマホでピエリまでの距離を確認すると、12キロもあった。彦根でゴールした気になっていたのでショックである。ピエリ守山まで5キロくらいだろうとおもっていたのだ。12キロを走るのは小1時間かかる。気落ちしたままで18時に走りだした。

電車にのっているうちに休めたので、おもっていたよりも足がかるかった。2週間前に100キロ走っておいてのもよかったのだとおもう。これが足慣らしになって足がつくれたし、膝もいたまないですんだのだ。それでも12キロはとおい。18時39分に車にもどってきた。本日の走行は100キロだ。

ピエリにあるスーパーマーケットのトクヤで買い物をして、やはりピエリにある守山温泉・水春で入浴する。料金は1090円。風呂の施設は充実していたがは混雑していた。

名神の栗東ICからピエリにはしってくる途中に道の駅『あぐり栗東』があった。近くだとおもったのでそこで車中泊をしようとおもってゆくと、これまた12キロくらいあった。21時半に道の駅についてわかさぎの南蛮漬けと豚の生姜焼きで一杯である。スーパーにめぼしいものはこれしかなかったのだ。

道の駅あぐり栗東は小さな道の駅たが、駐車場は車中泊の車でほぼうまっていた。新幹線が横をはしっているので、ゴォッと音がするが飲んでしまえば気にならない。2024年シーズン15日目の車中泊。

明日はまたピエリに車をとめて、自転車で野洲駅まではしり、そこから彦根駅まで輪行してビワイチをつづける予定だ。しかしピエリから野洲駅まで12キロもあるのがひっかかる。琵琶湖大橋もまたわたらなければならない。それらが余計な走行になるのだ。車を琵琶湖大橋の西岸にある堅田にとめて、そこから野洲駅までタクシーに自転車を積んでゆけば、ロスはないが金がかかる。タクシー代は払いたくないので、12キロと琵琶湖大橋をまた走ることを、あまんじてうけいれることにした。車できてビワイチを効率よく走るのはむずかしいことである。

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2024ビワイチ1

2024年05月25日 09時33分52秒 | サイクリング

2024年のGWに、サイクリングをはじめた10代のころからやってみたかった、ビワイチ(琵琶湖一周サイクリング)にゆくことにした。

GWの5月2日。木曜日。平日の夜に車で第2東名をすすみ駿河湾沼津SAで休憩する。時刻は20時過ぎだがフードコートは混雑していた。

今夜のうちにできるだけ琵琶湖に近づきたい、少なくとも渋滞ポイントの音羽蒲郡は通過したいとおもっていると、その先の岡崎で車の流れがとまってしまった。時刻は22時だ。30分停滞したが、車7・8台がからむ事故だった。

23時に岡崎SAについた。今夜はここで泊まることにする。鯛とイサキの刺身、鳥の唐揚げで一杯である。2024年シーズン14日目の車中泊。

5月3日。金曜日。岡崎SAの朝。6時前に起床した。天候は晴れ。スーパーで買ってきたおにぎりとなめこ汁の朝食をとる。今日からGW後半の四連休のスタートでSAの駐車場はすでに満車状態だ。6時半に出発する。琵琶湖大橋の東岸にある、守山市の『ピエリ守山』というショッピングセンターやスーパー銭湯のある施設にむかう。ここの駐車場がビワイチ用に開放されているのだ。ナビによるとピエリには9時につくとのことだった。

名神をすすみ伊吹PAで休憩する。

ここも混雑していた。

栗東ICで高速をおりて、9時半にピエリ守山の駐車場のE区画に到着した。E区画がビワイチ用に開放されているのだが、この区画はピエリよりも琵琶湖大橋よりにあるので、場所がわからずにいったりきたりしてしまった。でも駐車場をつかわせてもらえるのはありがたいことである。

今回の相棒はロードバイクだ。走行中は車内にねかせ、車中泊をするときには右にたてかけてやってきた。

このロードバイクは約40年前に組んだ自転車で、もうクラシック・レーサーになっている。クロモリ・フレームにチューブラー・タイヤ仕様だ。自転車については『ロードレーサーの紹介』をどうぞ。

10時に出発した。ピエリは琵琶湖大橋のすぐ横にあるのでまず大橋をわたる。今日は大橋の南側50キロを走行し、余裕があれば守山から北の琵琶湖東岸を北上したいとおもっていた。大橋から南の一周は約50キロで、北側は150キロだ。つまりビワイチは200キロである。明日だけで150キロを走るのはきびしいから、今日のうちに距離をかせいでおいて、翌日の走行を楽にするつもりなのだ。若いころは200キロくらい1日で走るのはなんともなかったのだが、60をすぎた今は無理だ。100キロは先々週も走っているから(2024緑のヘルシーロードサイクリング)自信があるが、スキーで痛めた右ひざが不安だから、2日目の距離をすこしでもすくなくしておきたいとおもっていた。

琵琶湖大橋の最高地点についた。すばらしい眺望だ。当日は気温が25℃になるとのことで、長袖シャツに短パンで走行した。

琵琶湖大橋をわたると県道558号線で南下する。道路上には上級コースのペイントがあった。初級コースもあり、そちらは山の手をゆくのでこちらのルートをえらんだ。

ビワイチは右回りでも、左まわりでもよいのだが、反時計回りがよいとされている。自転車は左側通行だから、反時計回りだと琵琶湖の横を走ることのなる。すると湖がよく見えるのである。それで私もそのように走行した。

ビワイチははじめてだが、琵琶湖には二度来たことがある。一度目は高校二年生のときのサイクリングで、能登から下ってきてマキノサニービーチでキャンプをした。二度目は大学生のときに紀伊半島ツーリングにきて、帰りに大津の皇子山(おうじやま)ユースホステルにとまったのだ。そこにたちよりたいとおもっていた。

皇子山公園はすぐにみつかった。スポーツ公園で野球場などの施設がある。

ここに滋賀県立スポーツ会館があり、これがユースホステルの跡地だろうと考えて受付の方に聞くと、以前は宿泊もできたが、現在はできないとのこと。ここにちがいないとおもったのだが、かえってからしらべてみるとちがっていた。そもそも名前が皇子山ユースではなく、大津ユースだったのだ。大津ユースホステルは皇子山公園ではなく、すぐ近くにある皇子が丘公園に隣接していた。私が泊ったのはびわ湖毎日マラソンの前日だったが、マラソンに出場するという方と話をした。その人は30くらいの青年だったが、フルマラソンを3時間で完走するというので、それはすごいですね、とこたえたことをおぼえている。マラソンの前日にユースホステルに泊まるのというは、1980年代でもストイックな行為だとかんじられたが、一般参加の選手の費用は自腹だからそうしたのだろう。そのびわ湖毎日マラソンの発着点が皇子山陸上競技場だったから、記憶ちがいをしたようだ。

当初は由緒のあるお寺を拝観していこうかと考えていた。しかしそんなに寄り道をしてはいられない。行きたいところを限定することにして、先にすすんだ。大津駅前を通過してゆくと昼時となった。丸源ラーメンがあったので入ることにする。

丸源ラーメンは関東にもあるが、利用するのははじめてなので、イチ押しの肉そばと半チャーハンのセットにした。肉そばは背脂のきいたこってりスープに豚バラがのり、もみじおろしで味変するラーメンだ。ボリュームもある。体をうごかしたときにはこういうのがいい。

チャーハンは鉄板に薄焼き玉子を敷き詰めた上にのっている。これをよくかきまぜてたべる趣向だ。いいね、丸源、気に入った。1034円。

滋賀県のドライバーは自転車にやさしい。ビワイチが認知されているようで、交差点や右左折では何度もこちらを優先させてもらった。

ビワイチの南端の瀬田の唐橋にやってきた。琵琶湖大橋の南側一周の折り返し点である。

瀬田の唐橋から琵琶湖方向をみる。

東岸を北上してゆくとボートの競技大会がひらかれていた。

高校生と大学生の競技のようでたくさんの人が観戦、応援にきていた。

ビワイチのコースには青いラインがひかれているからわかりやすい。

時に橋をわたってゆくと琵琶湖がひろがる。ペダルをふむ速度は時速15キロだ。還暦すぎの私にはこのペースがちょうどよい。このスピードだと2時間で30キロ。4時間で休憩をいれて50キロという進度で、クランクをまわしていった。

 

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セローのリコール

2024年05月23日 18時16分02秒 | ヤマハ・セロー250

2022年につづいてまたセローのリコールの案内がきた。О2センサーが正常なのに異常と検知して、警告灯がついてしまうトラブルだそうだ。通知がきてからそのままにしていたのだが、いつまでも放置しておけないので、お世話になっているショップにいってECUを書き換えてもらった。前回もソフトの修正だったが、パソコンをバイクにつないで修理するのは、昭和のキャブレター世代には不思議なかんじがする。作業は20分ほどで終了した。距離は12089キロ。

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