北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

AH-2/UH-2新対戦車ヘリの可能性を考える【5】ヘリコプター打撃力は日本型の航空機が今後必要になる

2024-02-29 20:05:23 | 先端軍事テクノロジー
■ニッポンAH-2が必要だ
 AH-1Sの後継はAH-2でなければ多用途ヘリコプターの武装運用では機械化部隊への補給任務さえ危ないという視座に基づく特集は今回がいったんの区切りとしましょう。

 UH-2からのAH-2,この思考に至ったのは、等持院か光明院か本法寺庭園でなのかというのはさておき、偵察戦闘大隊という、戦車大隊と偵察隊を統合した近年続々と創設され、まもなく全廃される本州戦車部隊の代替という存在も一つあります。観測ヘリコプターと対戦車ヘリコプターの任務を統合できる可能性があるのではないか、という視座に基づく。

 偵察戦闘ヘリコプター、なにかとってつけたような、アメリカが既に失敗した方式のようにも今アメリカが仕切り直しを模索しているような方式にも見える様式です。ただ、着弾観測にもちいられたOH-6D観測ヘリコプターを偵察任務に用いていました時代がある自衛隊ですが、OH-6Dに観測はともかく偵察は可能か落とされないのか、と当時は危惧した。

 OH-6D観測ヘリコプター、既に全廃されている装備ですが自衛隊は無人航空機により代替するという。これは例えば純粋な観測機、TH-55ヘリコプターが想定したような着弾観測ならば、確かに師団や旅団の情報隊に装備されているスキャンイーグル無人機でも対応できると考えます、もっとも火砲はまもなし師団旅団から廃止されますが。これは別の話で。

 スキャンイーグルは一機2億5000万円とOH-6Dの3億円と比べれば安価で、長時間、実に24時間もの飛行が可能であるとともに100kmにわたる統合通信システムを搭載、近年火砲の砲身が52口径から62口径や70口径時代まで延伸され野砲の射程が100kmへ迫ることとなっていますが、スキャンイーグルはその射程さえも凌ぐ行動半径を有しています。

 しかし南西諸島防衛を考えた場合、この100km程度という行動半径は充分ではありませんし、何より陸上自衛隊が射程を延伸させる地対艦ミサイルを筆頭に考えますと、自衛隊自身が目標確認弾という、要するにミサイルに索敵を行わせる方法を模索していまして、これは平時の警戒監視やグレーゾーン事態ではミサイルは、簡単に運用できない事を示す。

 偵察任務に視点を戻しますと、OH-1観測ヘリコプターが開発された当時は、敵戦闘ヘリコプターの妨害を排除して偵察に当たる、というかなり踏み込んだ設計がなされていました。もともとあの航空機が250機配備されるけいかくであったのを37機で調達中断した、あのころに違約金を支払わない国との間で確執が生じていたのでしょうが。閑話休題です。

 OH-1観測ヘリコプターの視点に戻りますと、OH-1が開発された時代と比較しますと広域防空ミサイルの拡大、これは日本有事の際には先ず上陸地域が敵の広域防空艦の圏内に緒戦はどうしても入ってしまう、という状況が不可避となりますと、許容できない危険度であり、やはり無人航空機への転換は必要とも考えさせられる。ただ、それだけでよいのか。

 監視任務と偵察の違い、さてここで留意しなければならないのは、敵がいるかどうかを探る斥候と敵の戦闘能力を計る偵察の違いが、水陸両用作戦を含めた対着上陸戦闘にも当てはまる点で、ある程度相手の出方をみる必要がある、ということです。すると、偵察戦闘大隊のような概念が航空機にも必要であると気づかされますが。要するに連携が必要だ。

 MUM任務、Mこと007の上司ではなくここでは有人機、UMこと無人機、有人機と無人機の連接がここでも求められることになるのではないか。たとえば対戦車ヘリコプターのスタブウイングにHERO120のような徘徊式弾薬か、スキャンイーグル水準の空中発射型無人機を搭載し、まずここから斥候を行う、敵の有無を探るということ、その先の偵察だ。

 OH-1の時代には考えにくい運用ですが、無人機が敵対航空機を発見して、これは同時に無力化、撃墜されることで敵の広域防空システムの存在に接敵することになるのでしょうが、ここから対戦車ヘリコプターが匍匐飛行により戦闘を展開し、いわゆるところの相手の戦闘能力を計る偵察をおこなう、こうしたMUM方式が必要ではないか。技術的には可能だ。

 スキャンイーグルは防衛省では中型無人機に区分しているため、陸上自衛隊は大中無人機を導入する方針といいますから、もしましますとMQ-9無人機でも一定数導入する計画があるのかもしれませんが、スキャンイーグルだけでは展開できる地域がヘリコプターよりも限られるため、MUM任務に対応する航空機、専用機が必要になるよう考えます。

 偵察ヘリコプターでも戦闘ヘリコプターでもない、無人機だけでも有人機だけでもない任務、すると有人機にも一定以上の戦闘能力と何よりも生存性が求められますので多用途ヘリコプター派生やSH-60Lのような哨戒ヘリコプターでは生き残ることができません、こうした用途に適合する、日本型の航空機が今後必要になるよう、思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花祭,菅原道真そのひととは-高雄の峰々から暗雲が清涼殿落雷事件

2024-02-29 07:00:00 | 写真
■和歌を愛する詩人
 歴史を散策するのですから表面だけでは無くもう少し奥深い成り立ちや縁というものを思考の散策として楽しみたいものです。

 北野天満宮は梅園を花の庭として、2022年に再整備し完成させました。これは明治維新の後に破壊され縮小されていた部分の再生ということなのですが、その源流たる北野天満宮の祭神、菅原道真の配流という歴史はこれまでに経緯と経過を示しました。そのさきに。

 清涼殿落雷事件は、その再集団として発生した、しかし大きな事件でした。時は延長8年6月26日、西暦では930年7月24日、この頃京都は日照りに悩まされ、雨乞神事の是非を議論する太政官会議を醍醐天皇御座所の内裏は清涼殿にて行うところでした、そのとき。

 高雄の峰々から暗雲が垂れ込め内裏の方に雲行きが怪しくなったのは正午頃、当時の様子を記した日本紀略にはあり、平安京一帯は豪雨に見舞われるとともに1600時過ぎ、清涼殿南西に落雷がありました。落雷は電撃が廊下を瞬時に帯電させ結果死傷者十数名がでます。

 大納言藤原清貫卿はこの瞬間に即死、右兵衛佐美努忠包と内蔵頭平希世らほか数名が焼死し、扶桑略記によればこののち数回の落雷が内裏にあり、更に数名が死亡している。大納言藤原清貫卿は直撃を免れるも床を這った雷撃で立ったまま焦げて即死していると記録が。

 死穢、という、当時は遺体に触れたものに触れただけでも数日間出仕停止という穢れを避ける制度があり、実はこの為に鴨川河原などで一部を拾ってくるワンコさんは嫌われたのですが、その穢れが内裏の最中、天皇さえお隠れの際には出る内裏で起こったという訳だ。

 醍醐天皇は清涼殿から常寧殿に遷座し、穢れから距離を置いたのですが歩いている人間が目の前で立ったまま黒焦げて亡くなる災禍を目の当たりにした醍醐天皇はそのまま引きこもり三か月後に崩御、しかも驚かれたのは雷雲が高雄の方角からやってきたことでしょう。

 神護寺、和気清麻呂を祀る神護寺が置かれた高雄と愛宕は宮城の守り、すると菅原道真が引き起こした祟りを皇室守護で名高い和気清麻呂の神霊も黙認した事なのか、と大騒ぎになりまして、醍醐天皇の崩御もあり、改めて北野天満宮を造営することとなったのですね。

 吉祥院天満宮に始まり菅大臣神社や菅原院天満宮神社、果ては北野天満宮を創建せよと夢のお告げを受けた少女を祀る文子天満宮まで造営されていますが、即位された朱雀天皇は北野天満宮を造営、齢7歳の若冠ながら平将門や藤原純友が跋扈する時代に挑む訳です。

 歴史を慎重に見ていますと、菅原道真を道真公としてお祀りしました北野天満宮造営以降は大きな祟りはありません。いや、平将門の乱や藤原純友の乱の方も大変なのですが、北野天満宮はその後も公家や武家と町衆に愛され、今も梅園はひとびとの活気が絶えません。

 菅原道真公、こう紹介しますと没後は怖いこととなりますし、生前は何しろ天才という人物故に近寄りがたい印象を持たれるかもしれませんが、漢詩と和歌を愛し、仕事には丁寧ではあるものの言葉を荒げることはなく、盛り上がる酒宴では妖艶な和歌を残している。

 和歌を愛する詩人であり、また教育は大好きという言葉を残すものの子煩悩で子供の成長の旅に和歌を残し、それは毎日わが子の写真を撮るパパの平安朝版だ。和歌繋がりで親交深かった在原業平とは、ナイショで遊女の街である今の大山崎に度々あゆみ運ぶほどに。

 武官藤原滋実とも親交、天台宗の僧相応和尚とも親交、配流の藤原時平の弟である藤原忠平とも和歌を通じ親交を結び、渤海から帰化した王文矩、また私塾菅家廊下の弟子からも慕われ、醤油ご飯とお酒が好き、そんな一面もある、祭神の社は今年も梅花で満開です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花祭,浄妙院での謹慎を経て怨霊に-清涼殿落雷事件への長い道

2024-02-28 20:24:41 | 写真
■太宰府配流その先に
 梅花祭とともにしかし単に花を愛でるだけでは風流を実感するところまで至らずやはりその先と源流にある歴史を知りたい。

 北野天満宮、梅花が美しいのですがその背景には祭神となられました菅原道真公、配流先の太宰府で没した元右大臣を慰霊するという社殿でもあります。太宰府、あそこは酷い街だ二度と行きたくはない最悪だ、という印象は今行きますと九州には全くありません。

 太宰府配流、しかし現実はといいますと今の太宰府の街並みからは想像できないところがあったようです。先ず配流ですので太宰府への移動は全て自費で移動しなくてはなりません、いや配流ではなく左遷、と反論があるのかもしれませんが実態を見てみると。

 左遷か配流か、ですが太宰府には菅原道真に仕事がありませんでした、先ず官職が大宰員外帥といい、員外、という称号なのです。大宰府という地名は今こそ定着していますが、大宰というのは重要な行政機関であるものの、九州以外にはおかれていない制度でして。

 吉備国大宰、という役所が置かれた記録はあるのですが一時的なものであり、筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅、この9国を治め且つ離島地域、壱岐、対馬、奄美の離島地域を所管する、その長官には大宰権帥という官職の官僚が補職された。

 大宰員外帥、すると今風に言えば名ばかり管理職なのか、といわれますともう少しひどく、俸給と従者が認められませんでした。何より仕事がなく実質的に大宰府浄妙院での謹慎、というものが実態であったようで、これは左遷というのでは余りに、まさに配流だ。

 浄妙院での謹慎を経て怨霊に。太宰府配流から菅原道真が没したのは2年後、です。浄妙院といいますと今は祠がありますが、当時の浄妙院は放置された荒れ寺という様相であったようで、先ず壁が無かった、その上で雨漏りが。南国九州とはいえ冬は越せぬ。

 清涼殿落雷事件が有名ですが、菅原道真没したのちの、怨霊の仕業ではないか、と心当たりある方が夜眠れなくなるようなことは幾つか起きていまして、実際菅原道真薨去から清涼殿落雷事件までは実に27年間もありました、ただ27年間が平穏では無かった。

 菅原高視放免、実はこの菅原道真配流は、菅原道真その一人だけを配流したわけではなく一族郎党全員様々な場所に配流されているのですが、菅原道真没後3年を経て嫡子高視が放免され帰京を許されています、官職は大学頭、これで皆ひと段落と思ったのだけれど。

 藤原菅根死亡はその5年後でした、敦仁親王立太子に際し菅原道真が春宮侍読として推挙し、蔵人頭まで出世するのですが昌泰の変に際し内裏に向かった宇多法皇を追い返した官僚といい、その後に醍醐天皇治世下で参議となりますが、落雷に打たれ死んだ。

 藤原時平、藤原北家出身で左大臣として活躍し、しかし昌泰の変では菅原道真を配流に追い込んだ張本人とされています。この方は藤原菅根死亡の翌年に病死します。実はこのひと、習志野訓練場の近くにある二宮神社では祭神と祀られていて驚いたものです。

 二宮神社参拝の際に藤原時平を改めて別の角度から知る機会になったと喜んだものですが、大鏡、北野天神縁起絵巻、扶桑略記、今昔物語、大和物語、十訓抄、どれをみても好色とか下品とか引きこもりとか、散々書かれていました。没したのは39歳で早逝だ。

 清涼殿落雷事件はこうした幾つもの出来事の先に発生しまして、それまでに菅原氏由緒の場所にはいくつもの神社が創建され、慰霊を試みていたのですが、大事件と言える清涼殿落雷事件を経て、この地に北野天満宮が造営され、人々の集いの場となりました。

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【京都幕間旅情】北野天満宮-梅花祭,美しい梅花の先に菅原道真公と天神信仰の中心地で考える昌泰の変

2024-02-28 20:00:31 | 写真
■菅原道真公を祀る社殿
 寒い冬の戻りという割にはここのところ強風がものすごくいよいよ梅花の季節も風により強制的な終幕が近いこの頃です。

 梅の名所は天満宮、今出川通を京都府警上京警察署の向かい側に鎮座しています北野天満宮はその大鳥居から参道が続き、そして楼門へ本殿へ至る参道の道々には梅花と、そして西方には梅園が、ちょうどこの季節には梅花の美しさをみせているところで。

 北野天満宮、その歴史は無実の罪により配流となり、配流先の太宰府で没した菅原道真公を弔う、ことで当時頻発していた災害や不審死をどうにか祟らないでほしいと願う為に創建されたことは良く知られています。すると、菅原道真公に興味が湧くのですね。

 菅原道真公を祀る社殿、此処北野天満宮は菅原道真公と天神信仰の中心地であり、天暦元年こと西暦947年に創建されました。宇多天皇に重用された官僚、醍醐天皇の時代には右大臣にまで上り詰めました。宇多天皇といえば寛平の治の行革で知られる天皇さん。

 宇多天皇の寛平の治、平安朝の行政は摂政の系譜に在った藤原基経が清和天皇と陽成天皇と光孝天皇そして宇多天皇と四代の天皇に仕えるとともに実務を取り仕切り、事実上初の関白となります。宇多天皇は先ず藤原基経薨去を受け若手起用に乗り出します。

 藤原時平、源能有、菅原道真、藤原保則、こう若手起用といいますと語弊がありますか、実際には藤原基経の藤原北家嫡流のみによる政治を改め、藤原北家からは藤原時平を重用するとともに幅広い人材を起用し、そして行政改革に乗り出した、ということ。

 遣唐使廃止による冊封体制や朝貢関係等への一体化からの離脱、類聚国史編纂による歴史問題の明確化、問民苦使派遣による地方政治の規律強化、昇殿制の制定による文官登用制度への世襲から実力主義への転換、この行政改革はその後の日本史に影響が大きい。

 法皇宣下、しかし宇多天皇は譲位により天皇を退位すると東寺での受戒を経て仁和寺に出家し法皇となられます。そして仁和寺からの院政、この際に勅令を以て菅原道真公の大納言除目を発布し、藤原北家の藤原時平に続く第二位の官職を賜れたのですが。それはそれ。

 斉世親王、太宰府配流の要因となりました無実の罪というのは宇多法皇の皇子である斉世親王を菅原道真が天皇に即位させようとした、というもの。大納言となりました礼に普通の事ではないか、と思われるかもしれませんが時の醍醐天皇、その弟でもあったという。

 醍醐天皇に退位を強いるのではないかという嫌疑とともに、この斉世親王さんは菅原道真の三女菅原寧子と結ばれていまして、つまりは斉世親王さんは婿という係累となっていた。いやそもそも即位させようとしていないのでしょうが、ケシカラン、ということ。

 昌泰の変、こうした背景で進んでいました。院政の時代ですので醍醐天皇と宇多法皇の御世であったのですが、宇多法皇は高野山や比叡山と熊野詣を熱心に行っていまして、いまならば特急くろしお、特急こうや、日帰りが可能なのかもしれませんが、当時はそれは。

 熊野詣は当時特急くろしお等は運行されておらず当然オーシャンアローも運行されていない、つまり往復で一か月程度を要する行幸となりまして、これは時の権力者が相当安定した時期でなければ首都である京都を空けられないというのが当時の熊野詣という。

 菅原道真配流、この一報が宇多法皇に上奏された際には時すでに遅く、直ぐ内裏に向かうものの内裏の門扉は既に閉ざされ醍醐天皇に問うことも出来なかった、昌泰の変はこうして起こりまして、美しい梅花の先には、こうした悲しい歴史があったのですね。

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ウクライナ情勢-ロシア軍アウディイフカ西方ラストッチキネ村占領,パリ緊急会合-NATO加盟国は派兵検討開始

2024-02-28 07:01:01 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ戦争
 このところウクライナ情勢の展開が急すぎる印象があります、アウディイフカ占領までは毎日数十mの前進でしたから数kmを数日間で一気に攻撃を加える状況は新しい展開だ。

 ウクライナ軍はアウディイフカ西方のラストッチキネ村からも撤退した、27日付ロイター通信が報じました。撤退はアウディイフカ市街地から2km西方に当り、有利な防御陣地構築へウクライナ軍はアウディイフカ市街地を放棄してから二週間となりますが、2km先に構築しようとした防御陣地がロシア軍の戦果拡張を防ぐ事に失敗したことをしめします。

 アウディイフカ攻防戦ではロシア軍は四カ月間にわたり両翼包囲を行ったもののウクライナ軍防衛線は耐えていましたが、BBCなど一部報道にはアウディイフカからの撤退に際しかなりの行方不明者を出したとされ、ラストッチキネ村までの2kmをロシア軍が短期間で突破した事は、ウクライナ東部戦線において2022年以来の事態緊迫が生じた事を示します。
■欧州攻撃に備えるべき
 この発言は日本についても特に北海道に当て嵌まり得る。自衛隊は反撃能力整備により国土を戦場としない岸田ドクトリンへ転換中ですがロシア本土のどこを叩くとどういうミサイル戦となるのかを考えると戦車や戦闘ヘリの方が重要ではないか。

 フランスのマクロン大統領は26日、今後数年内に起こり得るロシア軍の欧州攻撃に備えるべきである、とパリにおいて開かれたウクライナ支援国会合において16カ国首脳を前に持論を示し、その上でロシア人との戦争を望まず、事態のエスカレートなど不測の事態を回避するための欧州各国における更なる軍事支援及び財政支援の必要性を示しました。

 ロイター通信が日本時間27日に伝えたところによれば、パリでの支援会合においては、ロシア軍のウクライナにおける攻撃再興を前に大きな危機感が在った、とオランダのルッテ首相の発言を紹介しており、一方欧州にはウクライナ支援委必要な砲弾などの生産が間に合っておらず、チェコ政府が提唱する世界中での弾薬調達構想などが話し合われたという。
■ウクライナ派兵を検討
 日本はウクライナに対して防衛装備品の中でも武器供与を拒んでいますが欧州は直接派遣の可能性に言及しています。

 NATO加盟国一部がウクライナ派兵を検討している、ロイター通信が日本時間2月27日に報じたスロバキアのフィツォ首相発言として、ロシア軍のウクライナでの攻撃がこの数週間で大規模に進展している事を受け、ウクライナとの二国間安全保障協力の形で欧州からの兵力派遣を検討しているという。なお、スロバキアは現在派兵は検討していない。

 フィツォ首相発言はパリでのウクライナ支援国会合を前に発言されたもので、この支援国会合そのものが緊急開催であり、欧州のウクライナ支援策がロシア軍事行動を抑制できていない緊急事態を背景に行われている事を示唆しています。ただ、フィツォ首相は欧州各国の軍隊がウクライナでのどういった任務に当るのかは明らかにできないとしました。

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【防衛情報】トマホーク対艦運用再開とF-110型ミサイルフリゲイトNSM搭載,ミエチュニク級フリゲイトシーセプター搭載

2024-02-27 20:01:58 | インポート
■防衛フォーラム
 こういう話題の際につかえる様に例えば2006年に名古屋へニュージーランド艦が来た際とか2021年オーストラリア艦の呉入港の際とか2023年のイタリア艦横須賀寄港の際に行っておけばよかったと。

 アメリカ海軍はトマホーク巡航ミサイルの対艦ミサイル運用を再開します、これは12月5日にブルームバーグ紙が報じたもので、これによれば台湾海峡周辺での緊張増大を背景にその対応能力強化の一環として行われます。具体的には、ハープーン対艦ミサイルではもはや射程が不十分となったため、トマホークミサイルを用いるとの事でした。

 トマホークミサイルは、新たに海上移動目標の照準システムを開発中との事で、このため既存のトマホークをそのまま照準するのではなく、したがって配備は2024年の10月1日以降になるもよう。中国海軍や中国空軍の対艦兵器は延伸し続けており、この接近阻止領域拒否能力に対抗するには1600㎞以上というトマホークの射程が必要となります。■

 ニュージーランド海軍はテマナからのシーセプターミサイル実験を成功させました。シーセプターミサイル運用能力は同型艦のテカハに対しても実施されています。テカハとテマナはニュージーランド海軍が有する唯一の型式であるテカハ級の2隻で、1997年と1999年に竣工、オーストラリアのアンザック級フリゲイトニュージーランド仕様艦です。

 テカハ級はシースパロー短距離艦対空ミサイル8発をVLSに搭載していますが、2020年代に入り射程8㎞のシースパローは陳腐化が指摘されていました。このため、オーストラリア海軍はアンザック級に射程50㎞のESSM発展型シースパローミサイルを搭載する改修を行っていますが、ニュージーランド海軍はシーセプターミサイルを選定しました。

 シーセプターミサイルはCAAMミサイルとも呼ばれ射程は25㎞、イギリス製でASRAAM空対空ミサイルを艦載型としたものです。テマナからのミサイル発射試験は二度に分けて実施され、全長2mの小型無人機を標的として実施され、内一度は僚艦防空試験でした。テカハ級は満載排水量3600tと小ぶりですが僚艦防空能力をもつこととなりました。■

 カナダ軍はCMMA次期哨戒機としてP-8Aポセイドン海洋哨戒機を選定しました。最大で16機を導入するとのこと。カナダ国防省はP-8A選定について、航続距離や巡航速度と搭載能力や耐久性能などの面でCMMA哨戒機として必要な要求性能をすべて満たすことができた唯一の航空機であるとし、カナダ国内運用基盤も問題ないとしています。

 P-8Aポセイドン海洋哨戒機、ボーイング737型旅客機を原型とした哨戒機で、ボーイング社によればNATO加盟国では5番目の採用国となるとともに、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドとともに構成される情報共有枠組み“ファイブアイズ”すべての参加国がこのP-8Aポセイドン海洋哨戒機を運用することとなりました。

 カナダ軍がP-8Aポセイドン海洋哨戒機を採用したのは、ある種の意外性を持っていました、それはカナダがこの数年間、当初次期戦闘機として決定したF/A-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の調達を突如キャンセルしボーイング社との関係が悪化、その上でカナダのボンバルディア社が独自の哨戒機を設計しており、本命視されていたためです。■

 スペイン海軍はコングスベルク社との間でNSMミサイルに関する新たな契約を結びました。スペイン海軍は現在建造中のF-110型ミサイルフリゲイトへ搭載するミサイルやF-100型ミサイルフリゲイト近代化改修用としてNSMミサイルを選定、この機種選定は2022年に決定していましたが、このほどその調達について正式に契約に至ったとのこと。

 コングスベルク社とスペイン国防省の契約は2023年12月15日に交わされたとのこと。NATO加盟国であるスペインは今回の調達に際しNSPA北大西洋条約機構支援調達庁の仲介を受けミサイルを取得するとのこと。今回のミサイル調達規模は3億0300万ユーロ規模で、重ねてスペイン海軍はロタ海軍基地へNSMミサイル整備施設を構築します。■

 エジプト海軍は新フリゲイトアルカディアを受領しました。ドイツで建造された輸出用フリゲイトMEKO-A200型フリゲイトのアルカディアは12月15日、ドイツのブレーマーハーフェンのティッセンクルップマリンシステムズ社造船所においてエジプト海軍に引き渡されました。アルカディアは2021年に起工式を迎え2022年に進水式を果たした。

 アルカディア、アルアジス級フリゲイトとしてエジプト海軍は4隻を導入する計画で、二番艦アルカハルに続き、アルカディアは3番艦、そして一番艦竣工から14か月間でエジプト海軍は3隻を受領しており、また4番艦アルジャバールはエジプトでライセンス生産が決定、アレクサンドリア造船所において建造中、こちらは2025年竣工とのこと。■

 カナダ海軍は極地哨戒艦フレデリックロレットの進水式を挙行しました。12月9日、カナダのハリファクス造船所において進水式を迎えたフレデリックロレットは、AOPS極地哨戒艦の5番艦となっており、NSSカナダ国家造船戦略の要諦一端を担う水上戦闘艦として建造されてきました。フレデリックロレットとは米英戦争で活躍した士官の名だ。

 極地哨戒艦とは、その名の通り北極などの極地において任務遂行可能という哨戒艦で、機関砲などを備え兵員輸送能力を有した砕氷艦というもの。気候変動に伴う地球温暖化により極地方である北極海は船舶航行が部分的に可能となり、新しい最前線となっています。この為カナダ海軍は極地哨戒艦を6隻建造する戦略を建て、現在は6番艦も建造中です。■

 カナダ海軍はアップホルダー級潜水艦後継検討を本格化させています。この次期潜水艦として求められる性能は、第一に通常動力方式としてディーゼル発電機とバッテリー方式を採用している点、第二に長距離航行能力を有する事、第三に北極海での運用が可能である事、第四にアメリカ製魚雷などの装備やアメリカ製戦闘システムの搭載に対応すること。

 候補となっている潜水艦は、ドイツ製潜水艦やスウェーデン製潜水艦と韓国製潜水艦及び黙示的な候補として日本製潜水艦等が挙げられています。例えば韓国はハンファオーシャン社が韓国のハブコックカナダ社との間で提携を発表しています。日本については日加GSOMIA秘密保護協定の交渉中で、この可否が可能性を左右するでしょう。

 アップホルダー級潜水艦はイギリス海軍が最後に導入した通常動力潜水艦の中古艦となっていますが、カナダ売却までの数年間の放置で一気に老朽化が進み、現役復帰に難渋し、一番艦は回航中の大西洋上で火災事故を起こし、ほとんどが基地に係留されているか造船所での整備中という、極端なほど非常に稼働率が低いことで問題視されています。■

 オーストラリア陸軍はヘンダーソン造船所で開発中の中型揚陸艦試作型を視察しました。オーストラリア陸軍は国防戦略見直しを受け、バリクパパン級汎用揚陸艦を退役させ、キャンベラ級強襲揚陸艦を導入したものの、これらを補完する従来型揚陸艦の延長線上にある中型と大型揚陸艦を新たに海軍ではなく陸軍用として建造することとなりました。

 ヘンダーソン造船所ではこの中型揚陸艦の試作型が建造されていて、中型揚陸艦は航続距離500浬、M-1エイブラムス戦車とレッドバック装甲戦闘車を各1両輸送する、若しくはHIMARS高機動ロケットシステム4両を輸送する。沿海域機動作戦能力として海軍は中型揚陸艦を2027年より就役させ、続いて大型揚陸艦を2028年より竣工させます。

 沿海域機動作戦能力の要となる大型揚陸艦については構想中で、計画ではM-1エイブラムス戦車6両とレッドバック装甲戦闘車11両、若しくはHIMARSを26両搭載するもので、併せて水陸両用車や揚陸支援艇などの母艦となる構想です。なお、ヘンダーソン造船所は、ソロモン諸島ではなく西オーストラリア州にあるヘンダーソンをしめしています。■

 ポーランド海軍はミエチュニク級フリゲイト防空ににシーセプターミサイルを採用しました。ミエチュニク級はポーランド海軍が初めて独自建造するフリゲイトで満載排水量は5000tにも達する大型水上戦闘艦です。しかし同時にポーランドが運用を想定するバルト海は北大西洋と比べ海域が狭く、その個艦防空能力が課題となっていました。

 シーセプターミサイルはイギリス海軍などがCAAMミサイルとして採用している射程30㎞規模の対空ミサイルで、製造を担当するMBDA社によればミエチュニク級にはMk41VLS垂直発射装置へクワッドパッキング方式にて搭載されるとのこと。もともとミエチュニク級はイギリスの31型フリゲイト派生型であったので妥当な決定ともいえます。

 ミエチュニク級フリゲイトの原型であるイギリス31型フリゲイトは老朽化した23型フリゲイトの代替として計画されたもので、26型フリゲイトよりも取得費用を抑え船体を小型化、デンマーク海軍のアイヴァーヒュイトフェルト級フリゲイトの設計を応用したもの、こちらの満載排水量は5700tでイギリスは5隻、ポーランドは3隻を導入します。■

 韓国海軍はAW-159哨戒ヘリコプターの後継選定を検討中です。計画そのものは韓国国防調達計画局が既に認可しており、2025年から2032年にかけ2兆8700億ウォン、米貨換算22億3000万ドルを投じて調達するもので、この中には初期に導入されたリンクス哨戒ヘリコプターの老朽化によりその後継機調達なども含まれているとの事です。

 AW-159ワイルドキャット哨戒ヘリコプターを運用する韓国海軍ですが、次期哨戒ヘリコプターについては機種を検討中としていて、具体的にはワイルドキャットが対潜哨戒能力を持ちつつ、導入当時に北朝鮮海軍が大量保有していた高速ミサイル艇などから艦隊を防護する目的として選定されていました。しかし、北朝鮮の脅威は変化し対応する必要が。

 MH-60R哨戒ヘリコプターとNH-90哨戒ヘリコプターがAW-159の増強に対する別の選択肢として示されており、この背景には北朝鮮海軍が建造を進めるミサイル潜水艦による海上からの韓国本土への核攻撃という懸念が高まった為です。この為、AW-159よりは滞空時間が長く多くのセンサーを搭載し対潜作戦能力強化に資する機種が候補機です。

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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-四条河原町,降雪無き二二六と永らく両儀織の"織"と読み違えたお店

2024-02-27 07:01:44 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 織じゃあなかったんですかい、いやあうっかりうっかり。というお店の話題なのですが先週までは物凄い暖冬ではあったものの突如寒気が南下し天候急変と空の境界に冬将軍の逆襲を感じる今日この頃です。

 雪が降ると思ったのだ、昭和維新を掲げ青年将校らが独断で部隊を動かし日本の政権中枢を占拠したクーデター未遂事件、二二六事件の際にも東京が雪だった、皇居占拠ならず、天皇陛下の一喝と海軍の迅速な対応により叛乱は首謀者以外に広がらなかったあの日の。

 戦艦榛名や金剛や長門に陸奥が反乱軍が占拠した国会議事堂に照準を合わせたその事件の始まりの日は東京は雪だったという。だからこの季節に京都に雪が降っても不思議では名じゃなないか、予報では雪予報も寒気も降りていた、だから休み返上で仕事もしたのだ。

 京都に雪は降らなかった、具体的には雪化粧した梅花を梅宮大社あたりで撮影したかったのですが、その気配はなくとぼとぼと、歩いたのではなく市バスか、バス停までは歩きよ、四条通を撤収しまして、河原町まで来ていた。気を取り直して確保した休日の〆といこう。

 八兵衛大明神が祀られる祠の近く、ここは中京区中之町にあります焼き鳥屋さんで、カウンターは予約でいっぱいという事で何故か静かな座敷に上げてもらいまして、ウィスキーハイボール濃い目に御通しの野菜スティック、これであとは串を数本注文し、さてさて。

 ホタルイカの沖漬を、ちょっとウィスキーよりは清酒にすべきだったかあと思いつつも、熟れた果実を醸すような蒸留の薫り高いウィスキーとともに、ちびちび、あ目玉か、と発酵の先にどくどくの塩辛さと旨味を兼ね備える様になりましたホタルイカさんを摘まんで。

 ずりの塩、一本一本炭火で丁寧に焼いてくれるのですが、出来合いが揃うまで待つことなく、焼き上がりを一本一本、この座敷まで運んできてくれます。焼き立ての熱いところを最初の一口は串先から齧るように頂く瞬間の美味しさを、だいじにしてくれるのですねえ。

 熾、ここは“熾”という名前の焼き鳥屋さんなのですが、お恥ずかしい、この店をかなり長い事“織”と読み違えていました、生きているのなら神様だって殺してみせる、両儀式さんの小説の読みすぎなのですが、こちらは鶏を十七分割しても屋号は“熾”、読みも違う。

 播州一献、気を取り直しひやでコップ酒だ。旨い焼き鳥に美味なる酒、雪景色を愛でようと思った当ては外れたけれども、それでもこういう美味しいお店を夕餉前にちょっと寄り道してみますと、まあ、それも日常であり大事なひとときなのさあ、と思い返す気力が生まれてきます。

 ハツはそんな回想の最中にやはりほそくせまい階段を上ってはこばれてきまして、おおこれはいい気分なのでキンミヤ焼酎でも頂こう、となります。座敷席はカウンターのある一階とは別の二階部分で会談が狭いのでなにかこう、坂本竜馬の隠れ家みたいな気分でして。

 キモはタレでやってきて、そんななかにもうお酒で気分いいところで且つ気が大きくなっているところに、日本一辛い黄金一味、というものが卓上に隠れていたものですからささっと振り掛けてみましたけれども、おう、あう、なんだこれ、すげえぞ、凄いなあとなる。

 かしわ、要するにモモ、やってきました。ぱりぱりの皮その向こうに肉厚の身が収まっているのですが、美味しいのは最早当たり前としてですね、この小皿の様子といいますか、柄が個性あるのがちょっと嬉しい所ですよね、今度の柄はどんな、とも楽しみになってね。

 阪急河原町駅の北側、ここは四条通から徒歩一分ほどの場所なのだけれども昔、一階がレコード店であった京極東宝の映画館、いまはスーパーホテル、からも指呼の距離で、暖簾の先に八兵衛大明神が祀られる祠が鎮座する細い路地の一角に、こんなお店があるのです。

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【防衛情報】P-1哨戒機派生型電子作戦機と護衛艦用新戦闘指揮システム,新艦対空誘導弾能力向上型開発開始

2024-02-26 20:23:50 | 先端軍事テクノロジー
■防衛フォーラム
 今回は防衛省が発表した新しい装備開発についての情報です。

 防衛省は新たにP-1哨戒機派生型の電子作戦機の開発の開発を開始します。海上自衛隊は現在、EP-3多用途機を運用していて、これはアメリカ海軍が電子偵察機として運用しているEP-3と同様の運用に当てられる航空機です、しかしP-3C哨戒機派生型であり、P-3C哨戒機が徐々に耐用年数を迎えている通りEP-3も耐用年数限界が近づいている状況です。

 電子作戦機は主として電波情報収集と画像情報収集を敵脅威圏外より実施するとしており、また探知と追尾に類別確認を行い、我が方の艦艇や航空機を直接支援するという。具体的にはEP-3に加えてOP-3画像情報収集機の後継機を目指しているといえるもので、EP-3とOP-3を一機種で統合する事で電子情報収集機の機数を増強させる可能性があります。

 EP-3とOP-3の後継として興味深いのは敵の識別対象として脅威艦隊の他に漁船群という名称がイメージ図に添付されており、現在南シナ海などで問題視されている海上民兵の行動を他の漁船と識別する為の情報収集能力も求められているのでしょう。EP-3の耐用年数は令和10年代半ばといい、ライフサイクルコストは7658億円を見込んでいるもよう。
■12式魚雷改良型
 魚雷で魚雷を。一部の国ではかつて自衛隊も装備していたボフォース対潜ロケット弾を魚雷迎撃用に転用する動きはある様ですが本邦は別の方策を目指す模様です。

 防衛省は12式魚雷の魚雷防御機能付与型開発を発表しました。これは潜水艦などから発射される長魚雷について、そのセンサー部分の探知性能が向上しており、なかでも航跡追尾方式の魚雷に対しては従来のデコイやジャマーによる音響欺瞞に効果が無い事から、魚雷そのものにハードキル機能を付与したものを新たに開発を開始するとのことです。

 12式魚雷は護衛艦などの水上戦闘艦に搭載するもので、潜水艦より発射される音響ホーミング魚雷などについてはデコイやジャマーといったソフトキルにより対処出来るという年頭の上で高性能魚雷に対抗する際にこちらから相手の魚雷にこちらの魚雷を命中させて無力化するという方式、これは無誘導魚雷に対してもある程度対抗できる余地があります。

 誘導魚雷について。実のところ世界海戦史を見る限り誘導魚雷による実戦戦果は未だ上がっていません、フォークランド紛争でもイギリス原潜コンカラーは敢えて無誘導魚雷を使用しアルゼンチン海軍巡洋艦を撃沈しています。なお、この改良型12式魚雷の本体製造費を含まないライフサイクルコストとしては774億円が見込まれているとのことでした。
■護衛艦用新システム
 むらさめ型護衛艦の次がそろそろ見えてくるのでしょう。

 防衛省は護衛艦用新戦闘指揮システムの研究を開始します、これは護衛艦隊護衛隊群へ配備される汎用護衛艦の後継となる将来護衛艦導入に繋がる要諦の一つとなるでしょう。現在、もがみ型護衛艦とこれを拡大改良型とした新型護衛艦の建造計画がありますが、はつゆき型あさぎり型を置き換えた護衛艦むらさめ型以降の護衛艦も老朽化が進んでいる。

 防衛省は護衛艦用新戦闘指揮システムを“戦闘様相の変化に応じた関連情報を抽出・整理し、的確かつ迅速な情勢判断に資する戦術情報の提供、最適処置の進言による意思決定サイクルの高速化及び省力・省人化を図るとともに、新規装備品の導入に伴う高い拡張性を有する護衛艦用の新たな戦闘指揮システムに関する技術を研究する。”と説明しています。

 将来護衛艦は現在の各種ミサイルに加えて高出力レーザー砲やレールガンに多数の無人航空機やマイクロ波兵器を搭載し、敵対勢力も従来のミサイル飽和攻撃や潜水艦攻撃に加えて無人機のスウォーム攻撃や超長距離からの各種兵器の攻撃や無人艇による飽和攻撃を想定する必要が生じる為、従来の判断速度では対応できない状況が想定される事となります。
■新艦対空誘導弾
 A-SAMがさっそく改良へ。

 防衛省は新艦対空誘導弾(能力向上型)の開発を発表しました。海上自衛隊はミサイル護衛艦に最大射程370kmともいわれるスタンダードSM-6の運用を開始しますが、今回開発される新型装備はミサイル護衛艦ではなく汎用護衛艦へ広範に搭載されるものとなります。現在、むらさめ型護衛艦の護衛艦は射程50kmのESSMミサイルを搭載していますが。

 A-SAM,能力向上型の原型となるミサイルは現在護衛艦もがみ型等に搭載を進めるミサイルで、陸上自衛隊が装備する03式中距離地対空誘導弾改良型と07式アスロックのブースター技術を応用したものとなっており、03式中距離地対空誘導弾そのものがESSMよりも射程が延伸されており、ブースター部分の強化と併せ一定以上の射程があるとされます。

 新艦対空誘導弾(能力向上型)は従来のレーダーでは捕捉が難しい低高度航空機や高高度高速目標を迎撃するとしており、これは具体的には極超音速滑空兵器や対艦弾道弾への対処能力を汎用護衛艦へも付与させるものと解釈できます。そして03式中距離地対空誘導弾についても現在同様の改良型開発が開始されており、歩調を合わせていると理解できます。

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ウクライナ情勢-ロシア軍A-50早期警戒機また撃墜,各国早期警戒機に突き付けられる長射程地対空ミサイル

2024-02-26 07:00:34 | 先端軍事テクノロジー
■防衛情報-ウクライナ戦争
 A-50早期警戒機が先月に続きまた撃墜されました。ロシア軍のウクライナ侵攻には少なからぬ影響を及ぼしそうですが今回使用されたものよりも射程の長いミサイルをロシアと中国も保有する。

 ロシア空軍はアゾフ海近海のロシア領空圏内においてA-50早期警戒機を喪失しました。ウクライナ軍地対空ミサイルにより撃墜されたものとみられ、ウクライナ政府は撃墜の様子を撮影したという夜間映像を公表しています。A-50早期家回帰はロシア軍が現在8機を運用している早期警戒機ですが1月にも1機が撃墜、その前に地上でも破壊されました。

 ウクライナ側が公開した映像には夜間、IRフレアーのような機体自衛装置を連続作動させる航空機付近で爆発が連続し起こる様子が記録、1発は機体をやや離れた場所で爆発しますが2発目が命中する様子が記録、狙われた航空機はミサイルを回避するためにかなり低い高度まで退避しているものの明けきれなかった様子と墜落後の機体が映されていました。

 A-50早期警戒機の撃墜には不確定情報ですが、ウクライナ軍がソ連時代に運用していたS-200地対空ミサイルが使用されたものとみられます。これは1960年代の古いミサイルではありますが、射程が300kmと非常に長くミサイルの機動性は低いものの戦域後方の航空機などや高高度を飛行する偵察機を撃墜する為のミサイルでウクライナから撃たれたもの。
■防衛情報-ウクライナ戦争
 早期警戒機のレーダー警戒範囲は400kmから500kmで場合によっては射程300kmの地対空ミサイル圏内を飛行する必要があるし空対空ミサイルの長射程型も存在する。

 A-50早期警戒機撃墜は実戦における早期警戒管制機運用の様相を切り替える可能性があります。長射程ミサイルの脅威に対応しているのは我が国航空自衛隊で、ロシア軍長射程ミサイルの圏内付近を飛行する三沢基地や中国軍長射程ミサイルの圏内付近を飛行する那覇基地の早期警戒機には空母艦載機で小回りの利くE-2CやE-2D早期警戒機を配備する。

 E-767早期警戒管制機は後方の浜松基地に配備されていて、本州上空において防空作戦の中枢を担う、としています。アメリカ空軍などは大型のボーイング707旅客機を原型とするE-3早期警戒管制機の後継機として比較的小型のボーイング737を原型としたE-7早期警戒機へ置き換える方針でイギリスやNATOもE-3をE-7へ置き換え、イギリスは完了した。

 E-7早期警戒機はE-3よりは小型ですが、この他にG-550-AEWのような更に小回りに聞くビジネスジェット機を原型とした早期警戒機の配備を進めるポーランドや韓国、既に導入したスウェーデンやイタリアの事例などがあります。他方、同様の状況で運用される対潜哨戒機は、無人機や戦闘機、高い脅威地域での運用方法などが模索されている最中です。

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【G3X撮影速報】航空学校創設71周年明野航空祭【4】明野レインボー飛行展示(2022-09-05)

2024-02-25 20:00:29 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■空往く明野レインボー
 観閲飛行が完了しました明野駐屯地上空へ新たなヘリコプターの編隊が接近して参りましていよいよ次の展示が始まる。

 明野レインボーの飛行展示が開始されました。明野レインボーとは航空学校の教官らで臨時編成されたヘリコプター展示飛行部隊であり、航空自衛隊のブルーインパルスとはちょっと違うのですが、ヘリコプターの各種機動性を展示するここ明野だけの飛行展示です。

 TH-480練習ヘリコプター4機とUH-2多用途ヘリコプターにAH-1対戦車ヘリコプターおよびOH-1観測ヘリコプターという編成です。自衛隊は観測ヘリコプターと対戦車ヘリコプターについては全廃する方針で、どんな機種かは不明ですが無人機を代替機とする考え。

 UH-2多用途ヘリコプターの機動性展示、ベル412EPをもとに軍用使用としたものでベル社もスバルUH-2として海外市場に提供している、一見2020年代の航空機の割には安直な設計のようには見えるのですが意外と新規採用する国が増えていまして、手堅く好評だ。

 スバル、いや富士重工の名の方が親しんでいるので旧称を用いてしまうのですがUH-2,価格管理には成功していると思う。川崎重工は防衛省の養成に応えCH-47JAをCH-47D型仕様からCH-47G型仕様とした結果、値段が各国のCH-47G輸送ヘリコプターと同水準に。

 AH-1S対戦車ヘリコプター、1970年代後半に自衛隊はHU-1Bへハイドラ70ロケット弾を搭載し武装ヘリコプター化を研究していました、ロケット弾発射機は10機分が取得されたものの芳しい成果をあげる事が出来ず、結果AH-1Sを検討、試験機が中々買えなかった。

 試験機を2か年の予算に分けて調達したのですが、評価試験では当時の第2戦車大隊が参加、普通科1個中隊の防御陣地にAH-1Sが2機支援に加わり戦車大隊の攻撃を受けるという想定での試験で戦車大隊が損耗八割の大打撃を受け、AH-1Sの費用対効果が示されます。

 富士重工がUH-1を、HU-1BからHU-1Hへとベル社とのライセンス生産契約を結び続けていましたので一旦AH-1Sの採用が決定するとAH-1Sライセンス生産契約はスムーズに流れ、結果自衛隊は96機、五個対戦車ヘリコプター隊と教育所要のAH-1Sを揃えました。

 OH-1観測ヘリコプターの機動飛行、この機体は増大する戦闘ヘリコプターの脅威下でどのように観測ヘリコプターが任務遂行するかというオペレーションリサーチの先に開発され、機動性の高い専用機に高度な観測器材と空対空ミサイルを搭載する、とまとまったもの。

 250機というまとまった数が調達されOH-6D観測ヘリコプター180機を置き換える構想でしたが、予算不足により試作機を含め33機のみが生産、OH-6Dの後継機が調達される事は無く、そのまま観測ヘリコプター全廃という。能登半島地震で、この機体が充分あれば。

 TH-480練習ヘリコプター、OH-6D練習ヘリコプターの後継に、本命はMD-500だったのですが総合入札方式でTH-480に決定、その直後メーカーであるエンストロム社が中国企業に買収され、更に倒産しアメリカで、とちょっと後継機が気になる練習ヘリコプターだ。

 UH-60JA多用途ヘリコプターの飛び入り参加へ。2000年から調達が開始され当初は多用途ヘリコプターを全てUH-1JからUH-60に置換える計画でしたが、そんな予算もあるはずなく、と。ライセンス生産を担う三菱重工は武装型をAH-1S後継機に提示していました。

 宮古島沖墜落事故が発生するまでは事故の無い機体として絶大な信頼を集めていましたUH-60JAですが、救難ヘリコプターと同水準の航法装置や全天候飛行装備を備えていた為に取得費用が高騰し、UH-1多用途ヘリコプターの四倍程度という高額なものとなりました。

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