北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】大須赤門ニッパチ祭,尾張名古屋は仮装で賑わう!ハロウィン月の仮装催事

2018-10-31 20:09:32 | 旅行
■大須28コスプレパレード
 本日はハロウィン、日本では仮装行列の日となっています。一方、名古屋では毎月仮装に関して面白い催しが。

 名古屋大須、中京都市圏の中枢であり、東京秋葉原、大阪日本橋と共に日本三大電気街の一つである名古屋大須電気街では毎月28日に赤門縁日が開かれています。そして2016年5月28日、第一回パレード挙行にはじまり、毎月コスプレパレードが挙行されています。

 アスナさんとユウキさん。名古屋世界コスプレサミット、という催しが毎年恒例となっていますが、あいにく毎年一度も行ったことがありません、苗ならば、その日は毎年富士学校創設記念行事富士駐屯地祭が開かれていまして、コスプレパレードよりも10式戦車観閲行進を優先したかたち。

 10式戦車も良けれども、コスプレサミットも興味あるなあ、と考えていた一方、今年は16式機動戦闘車が初登場するし、前年は新装輪装甲車が出ないか、その前はAAV-7が見れないか、そのその前は12式地対艦誘導弾、と毎年流れていましたが、別の催しがあると知る。

 大須赤門ニッパチ祭、赤門商店街を主催者として執り行われている催事で、電気街として多くの電気専門店や電子専門店等が並ぶと共にサブカルチャー文化の関連店舗も並ぶ現代日本風の電気街でもある大須、電子部品の他に様々な趣味の品々を求めに人が集う場所だ。

 日向師匠が場に落ち着きを、瑞雲は御留守番のもよう。ハロウィーンの喧騒に首都圏が悩む中、名古屋大須では10月28日、恒例の赤門ニッパチ祭が開かれ、過去最大の200名以上のコスプレイヤーが集結、大須電気街を大須観音へと商店街を進みました。ハロウィーン仮装行列と勘違いされる方も多々いましたが少し違う。

 コスプレパレードは赤門商店街HPによれば第一回が2016年5月27日で当日1600時に集合場所であるスタジオピーク前に集合、この集合場所に集まれば事前登録などは不要で、ここからUFO信号、変な信号、独特の呼称のある特殊な形状の信号へと催しは進みます。

 血小板さん。撮影には規約がありまして、主催者であるOS-Uオフィシャルブログによれば、パレードを遮らないようにという点と、近寄りすぎての撮影禁止、パレード以外での許可を得ない撮影は禁止、という点でした。将来にわたる催事継続の為にも節度を守りたいものですね。

 セーラーウラヌスさん。大光院、赤門通りはこの門前町として発達した場所で電気街であると共に古くからの名所旧跡が残り、織田信長の父が祀られている万松寺も近くに立地しています。28日のパレードはこの大光院の縁日に併せて執り行われており、赤門通りもこの日は歩行者天国となる。

 赤門商店街の界隈には、まんだらけ名古屋店、ジーストア名古屋店、ジャングル名古屋店、サブカルチャーの専門店だけでも二桁の店舗が続いていまして、昨年末には当方もフィギュア“艦隊これくしょん榛名改Ⅱ”を調達したのに続き、旧軍艦艇を揃える拠点の一つ。

 非日常感、といいますか、この種の催しは見慣れた街の情景が一変するという風情が面白いのですよね。勿論、28日の縁日という事で歩行者天国となるだけでも非日常というところなのですが。そして先週紹介しました京都時代祭とも大分違う装束の方々が歩いてゆく。

 ターニャデグレチャフ大尉殿、再放送おめでとうございます。電気街としては京都にも寺町商店街が電気街として知られていますが、寺町の電気街はここ十年間だけでも、年々観光客向け土産物店へと転換しており、所謂趣味の品々を探すには寺町ではなく阪急と地下鉄を乗り継いで大阪の日本橋まで進出しなければなりません。

 レーベさん。大須観音、元々は徳川家康が岐阜県から名古屋城下町造営と共にこの地へ遷座した社殿です。そして驚く事にここ大須観音では毎月8日と18日に28日と縁日を開いています。規模はそれ程ではありませんが、毎月三回開かれる縁日というものには少々驚かされますね。

 パレードはここ大須観音を通り、商店街をUFO信号、変な信号、独特の呼称のある特殊な形状の信号へと戻ってゆきます。電気街としての大須は赤門通商店街界隈を示すのですが、大須仁王門商店街として平行しもう一つの商店街があり、此処を一周する、というかたち。

 仁王門商店街は繊維被服の商店街から1992年入管法改正に伴うニューカマーの来日に併せブラジル料理店が並び、ここにインド料理やドイツ輸入ビール店等多国籍の料理が並ぶ新しい商店街と伝統的な商店街が合わさった元気なアーケード街です。ピルスナー美味しい。

 こうしてパレードは一時間ほどかけて赤門商店街から大須観音と仁王門商店街を通り出発点へと戻りました。UFO信号の前では記念撮影会が開かれ、終了となりました。2016年から始まる新しい試みですが、街の活性化に新しい試みを積極的に進める、面白いですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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戦場報道とシリア内戦取材,高まる戦場報道の重要性と敵対するテロ組織プロパガンダの脅威

2018-10-30 20:07:40 | 国際・政治
■報道とテロ組織の対立構造
 日本にとって、シリア内戦報道は重要だったといえます、なにしろISILは虚偽情報を交え日本国内で戦闘員募集を行っていましたから、ね。

 戦場報道の重要性は分かるのですが、この必要性を報道関係者が掲げるのであれば、せめて戦場保険や安全管理など、膨大な取材費用を担保するように呼びかけてはどうか、と考えます。要するに戦場保険に加入していないフリージャーナリストの戦場報道は買わないが、買う以上は戦場保険に加入できる経費を必要経費として提供する、負担すべき、と。

 日本人がシリアへ行き取材する必要はあるのか、日本メディアの記者が外国人であってはならないのか、つまり現地ジャーナリストの取材ネットワークをシリア以外の安全地域で構築し、現地記者ネットワークを広げて行く事は出来ないのか。戦場取材は必要であるとしてもオールニッポン人だけで世界の危険な紛争地での取材をする必然性はあるのか、と。

 AFP通信は2015年にシリア内戦のフリージャーナリスト記事を採用しない、と宣言しました。これはシリア内戦において多くの記者が身代金目的で誘拐され、殺害される事例も多くなる。こうした中でAFP通信は現地報道の重要性と膨大なジャーナリスト戦闘被害を天秤にかけ、AFP全体として買わないので行かないように、という決断を下したわけです。

 AFP通信は2013年からシリアでの現地記者、市民記者という制度を構築し現地からインターネットを通じて得た写真や動画のネットワークを構成し、検証プロセスに重点を置き、メッセージサービスアプリ等を駆使して撮影者への確認、撮影者と撮影機材や撮影場所からの検証、捏造写真を看破する真贋判定とを行い、安全性の高い戦場報道を続けています。

 戦場報道は重要ではある、しかし戦場報道の形も変わってきている。イラク戦争や湾岸戦争は中継されましたが、ヴェトナム戦争は中継よりも従軍長文記事や長期取材と写真報道が多く、第二次世界大戦では従軍取材を許可する場合には連合国も枢軸国も検閲等の一定の制約を課していた、戦場報道の形は変わっている、そして今はどうなのかを考えるべき。

 CNNのピーターアーネット記者の活躍と共に、イラク軍弾道ミサイル攻撃のイスラエル被害現地中継を以てイラク軍に着弾修正に資する情報を与えた、との批判もありましたし、イラン国境へ無理にイラク入国を試みたBBC取材クルーがイランイラク国境地雷原に入った後に行方不明という悲劇もありましたが、戦場がそのまま中継される時代を迎えます。

 ユーゴスラビア内戦では、ジャーナリストが死傷する事例も多々ありましたが、これは従軍取材を行った際に取材中の部隊が攻撃を受け、結果的に戦闘に巻き込まれる事例や、スナイパーストリートを代表するような戦闘員非戦闘員無差別殺傷の群衆の一人にジャーナリストが巻き込まれてしまった、という構図で、少なくとも積極的な標的ではありません。

 ISIL台頭とイスラム過激派の跳梁、戦場取材を大きく変えてしまったのは、そもそも自らの正統性と正当性を世界に訴える事で共感を得る、というヴェトナム戦争のようなジャーナリストと紛争当事者の関係が成り立っていない、という構図があるでしょう。一方の当事者の無差別テロ、世界で共感を求められる行動ではなく最初から共感を全て捨てている。

 ジャーナリストが標的となるイラクシリアやアフリカ地域の現状は、テロ行為を行う時点で世界からの共感を捨てている為、現状を世界に示す必要が無い、ということ。当たり前ですが、テロを正当化するテロ組織も自らが安定政権を執った際にはテロ、自らへのテロ、これを否定するでしょう。この二重基準に依拠している為、ジャーナリストは邪魔という。

 アマーク通信という独自の報道機関を、ISILは有していまして、実質プロパガンダ機関であるのですが、ISILの価値観に併せた正義や勇気や暴力行為正当化へのくだらない言い訳などを報じています。具体的に言うならば、ISILはアマーク通信が報じる価値観、占領地は解放区であり、ISILに加入すればみんな幸せ、という以外の情報を敵視している構図だ。

 一方でシリア内戦では、自由シリア軍に代表されるような、内戦当時の2011年においてシリア政府の非民主的な政策と人権問題への自由と民主化を目指した内戦、という構図ではあったのですが、この状況下でのシリア政府影響力低下を契機にISILがシリア領内で大規模浸透する事態を招き、混沌化、身代金目的の外国人誘拐が横行するような状況となった。

 身代金目的のジャーナリスト人質、ジャーナリストが狙われているのではなく、外貨獲得手段として外国人を標的とする場合に戦場で入手できる外国人人質がジャーナリストしかいないという部分、そして介入する外国軍隊の戦闘要員を確保しようとするならば大火力での反撃と特殊作戦による救出という反撃のリスクがありますが、ジャーナリストは、と。

 身代金ビジネスの一要素として外国人が標的とされ、大金を確保出来る金銭的背景と自衛能力の低いジャーナリストが低リスクの標的として狙われ、狙う側としては世界に示す正当性もテロという手段の正義を示す根拠もない為に、ジャーナリストを襲撃する事で国際世論を敵に回しても、もう回した後なので怖いものが無い、という実情も加味する必要が。

 ジャーナリストを排除する現代の戦場、勿論ISILやシリア内戦等のようなテロ勢力が独自の価値観を報じたい場合のみであり、戦場報道の価値はウクライナ東部紛争やマリ内戦、戦場ではありませんが民族浄化が批判されているミャンマー一部地域の問題等、真実の価値がまだまだ高い、そして真実の価値だけならば、シリア内戦においても同様、といえる。

 戦場報道の重要性は高い、とは本論冒頭に最初に示した内容ですが、実際には武装勢力が覆い隠す真実があるからこそ、実態はどうなっているのか、を報じる意味はあるのです。無理に報道しなくとも、と思われるかもしれませんが、現実論を示せば、寧ろ実態が隠されている方が戦場から遥か離れた日本を含めた先進国地域においても事実の重要性は高い。

 日本へ真実を伝える必要性、これはISILの勢力が非常に虫の息以下に鎮圧された現在では忘れられがちですが、ISILの戦闘員募集はISIL勢力が最盛期に日本国内でも行われていた事を忘れてはなりません、ISILは月給一万ドルという高額示し、現地女性との結婚を約束する等、そして、実際に戦闘員募集に応じた事例も極めて稀有ですが摘発された事例が。

 プロパガンダ機関の言い分を信じて参加してしまい大変な事となった、これは北朝鮮への戦後日本からの帰国事業にて、地上の楽園と云われ北朝鮮へ帰国したものの大変な事に、という1950年代の事例、1970年代には自由主義圏一部諸国のヴェトナムへの対抗からカンボジア国外に亡命した知識人や技術者がポルポト政権下の母国へ帰国した後は、等と。

 真実を敵視する勢力のプロパガンダ機関、それだけに実際はどうなっているのか、という実情が必要になる訳でして、生きた情報というものが、例えば北朝鮮帰国偉業に際して北朝鮮の政治体制が当時の日本と比較してどうであったか知れば大日本帝国から日本国へ帰化した事でしょうし、民族浄化の可能性があればカンボジアへは帰国しなかったでしょう。

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戦場報道とシリア内戦取材,邦人フリージャーナリスト密入国2015年拘束後40ヶ月ぶりに解放

2018-10-29 20:11:50 | 国際・政治
■テロ時代の戦場報道変容と保険
 内戦下のシリアへ取材目的で密入国し2015年に拘束された邦人フリージャーナリストが10月24日、40ヶ月ぶりに解放されました。

 安田純平さん解放、いきて帰ってきたことは喜ばしい事なのですが、必要な準備を怠り危険な地域へ入り当然の結果となった。安田純平さん自身は経験抜群の玄人を自称しているようですが、軽装で立ち入り禁止地区へ無謀登山へ臨む慮外者と似た印象を受けます。演習場位しか知らない当方ですが、安全確保の費用試算を行えば、全く無防備無謀としかいいようがない。

 太平洋戦争では日本陸海軍は軍事報道を重視し、勿論大きな制約と検閲と共に従軍記者を必要であれば第一線に動向を許可し、戦場取材を実施しました。報道とは世論へ直結するものであり、アメリカをはじめ各国が戦場取材へ従軍記者へ便宜供与を図ってきまして、日本もその例外ではなかった訳です。逆の表現では戦場取材とは、日本でも歴史が長い。

 戦場取材をすべて否定するわけではありません、寧ろ報道により現実を広く主権者が共有できなければ、健全な民主主義の土台というものが揺らいでしまうとさえ思います。ですから、戦場取材という、外務省が渡航禁止を勧告している地域において現状を取材し世界に知らせる、という行為そのものを否定する社会であっては、民主主義は脳梗塞に陥る。

 しかし、準備は必要です。戦場に行くのですから軍隊でも充分な訓練と準備に後方支援体制を以て臨む、戦闘が目的ではなくとも戦闘が発生する可能性のある地域へ向かう際には、例えば自衛隊のイラク復興人道支援任務派遣でも充分な装備と訓練要因に後方支援体制を以て派遣されました。戦場や戦闘の可能性ある地域に行くのであるならば、準備が必要だ。

 ジャーナリストの準備というのは、カメラと着換えに航空券、ホテル予約にガイドブック、という程戦場取材は甘くはありません。防弾チョッキとかではなく万一の際の保険が必要、そもそも、戦場に現地人でもない人が飛び込む正当性、つまり他の取材方法で代替出来ないのか、現地特派員雇用や電話取材、という検討を含めて準備と慎重さが必要ということ。

 戦場取材は必要である、という論点の上で、しかし準備を行わず戦場に飛び込むのは自殺行為でしかありません、そして自殺は民主主義と相いれるものではありません。具体的には、せめて保険に加入し、可能であれば護衛、万全の準備が必要でした。無保険状態で危険地域に飛び込み、自己責任という名の国の救済を念仏のように唱える、これはいけない。

 ロイズ戦場保険、最も有名なものは、戦場死亡保険やオプションに戦傷保険に人質特約等が含まれている保険に加入するべきだった、この一点に尽きるでしょう。戦場死亡保険は1991年の湾岸戦争において有名となったもので各国メディア等が多国籍軍従軍取材を行う際に、流れ弾や取材に同行した部隊が大打撃を受けた場合に備えて提示されたものでした。

 戦場人質保険特約は、保険会社がオプションとして提示するもので、取材中に武装勢力等に拉致された場合、戦場経験ある保険会社現地要員が人質解放交渉と身代金支払いの交渉を行い、保険により身代金支払い上限は異なりますが、邦貨換算40億円程度までの身代金支払いまで対応するものも存在します。今回事例、入っていれば解放は早かったでしょう。

 身代金支払いを政府に呼びかけたフリージャーナリスト仲間の共同声明が一昨年に出されていますが、この点について。今回解放が成ったフリージャーナリストの安田純平さんは拘束期間が三年以上に及びましたが、拘束されている最中にも幾度か武装勢力から、動画が配信されていまして、この際に欧州では身代金を支払う事で解放された事例をしめしたもの。

 日本政府はテロリストに対し身代金を支払う事は原則論として行いません、これは個人の誘拐事件が発生した場合でも身代金を警察などの公的機関が支払わない事と同義です。しかし、ダッカ事件、日本政府は過去に国際テロリストによるハイジャック事件にて身代金支払いと拘束中のテロリスト釈放を行い、結果テロが拡散、世界から批判されたことが。

 ダッカ日航機ハイジャック事件は1977年に日本赤軍がバングラディッシュの首都ダッカにおいて日本航空旅客機をハイジャックした事件です。日本政府は解放交渉を行うも話し合いによる解決の道を断念し、ハイジャック犯が要求した赤軍派等逮捕者9名の超法規的措置による釈放とパスポート交付、600万ドル当時レートで16億円の身代金を要求します。

 三菱重工爆破事件や皇太子火炎瓶襲撃事件、横浜銀行現金襲撃事件、ハーグフランス大使館占拠事件、クアラルンプール米瑞大使館武装占拠事件、殺人事件、ハイジャック犯が開放を要求した収監者は上記の通り凶悪事件を発生させた凶悪犯であり、ハイジャック事件の脅しに凶悪犯を釈放し多額身代金や旅券を持たせ出国させた事への世界の批判は大きい。

 今回のジャーナリスト拘束事件に際しても、日本政府は世界から孤立して多額の税金を支払う事は出来ない、という実情があるのでしょう。出来る事と云えば、憲法や自衛隊法を超法規措置として拡大運用し、外務省情報局の支援下での自衛隊特殊作戦群の派遣による救出作戦実施、若しくは人質が殺害された場合への報復示唆ですが、これも憲法上の制約から実質難しい。

 戦場保険の人質特約へ加入していれば、日本政府ではなく保険会社が保険金の上での交渉を行い、民間団体である保険会社とテロ組織との間での身代金支払い、となりますので、日本政府としては、遺憾の意を表明する事はあるでしょうが、保険会社へ、特に日本国内の保険会社は戦場保険が無い為に海外の保険会社、特段の制裁措置等は行わないでしょう。

 戦場保険は幾つかの会社が提供しているもので、基本的に掛け捨てで、一日だけでも住宅火災保険の十倍以上の費用を要します。戦場保険人質特約等は一日当たり40万円程度を要するものがあり、一か月間の保険料は邦貨換算一千万円を越えます。しかし、高くともAFP通信やロイター通信、世界の大手メディアは特派員には保険加入させて派遣しています。

 ニューヨークタイムズはイラクでのISIL武装勢力攻勢が激しかった当時、バクダッドでの取材コストを一日一万ドル、と見積もりを出しています。記者戦場保険費用、取材現地仲介者、ボディーガード、通訳者、運転手、これだけを揃えますと一日一万ドル、という費用を要するという。ボディーガードは大手の民間保安会社職員で危機回避助言も行います。

 AFP通信は2018年8月31日に“戦場取材-調査報道に立ちはだかる「コストの壁」”という記事を配信、ヴェトナム戦争時代やユーゴスラビア内戦当時にジャーナリストは武装勢力の標的となる事は無かったが、現在は全く変わってしまった、とジャーナリスト団体ビザ-プール-リマージュ代表の話で、現在はジャーナリストが標的となる実情を示しました。

 ヴェトナム戦争の時代は、北ヴェトナム政府と南ヴェトナム及びその支援に当るアメリカ軍は、ともに世界へその軍事行動の正当性と政治体制や軍事介入の正統性を示す必要があった為、双方ともに表現は悪いのですが世界世論を味方とする為に利用していた、協力関係があったのです。ソ連軍アフガニスタン介入の報道協力でも似た状況だといえましょう。

 湾岸戦争多国籍軍取材では、従軍取材に明確な行動協定を盛り込むことで、従軍記者が戦闘中に部隊から離れて敵部隊や周辺住民の取材を行わないような範囲内での取材を行う事で、特に多国籍軍が絶対航空優勢下での地上戦闘を展開した事もあり、大きな被害はありませんでしたし、イラク国内での取材も絨毯爆撃が行われなかった事で比較的安泰でした。

 しかし、現在は国同士の戦争や正統政府と民族自治権を求める武力紛争のような、ジャーナリストを通じて世界へ正統性を求める為の紛争当事者とジャーナリストとの共益関係がありません。ジャーナリストは現在、標的となる地域がある。すると、戦場保険や安全管理など、膨大な取材費用を準備できる記者以外足を踏み入れるべきではない、と考えます。

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【日曜特集】岐阜基地航空祭2014【8】岐阜航空祭終幕と航空機続々着陸(2014-11-23)

2018-10-28 20:03:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■将来技術拓く岐阜飛実団
 大編隊の飛行展示は順次解かれ、着陸へ。岐阜基地航空祭2014特集は今回が最終回となります。

 戦闘機開発、一つの巨大なプログラムに統合するのではなく、分散し無数の技術が並行し研究されているわけですね。あたかも部品部品を毎週買い続けて結果膨大な費用を投じて完成品に長期間を経てたどり着く、週刊雑誌ディアゴスティーニのような、開発である。

 週刊エアクラフト、という印象だ、と云おうと思ったのですが、週刊エアクラフトという雑誌が実際に在り、小冊子を毎週毎週バインダーに詰め込んで長大な航空雑誌を造る、というものでした。友人知人も買っていたり書いていたり拾っていたり、これは別の話しだ。

 FSX,として日本はF2戦闘機をアメリカとの共同開発により実施しましたが、すべての機体を日本独自で開発することはかないませんでした。当初は双発でステルス性に配慮した双尾翼構造を採用し、新しい第五世代戦闘機として運用可能な航空機を志向していました。

 純国産FSX計画ではカナード翼構造により高い空中機動性を確保する新型機を検討していました。主任務は対艦攻撃で、空対艦ミサイルを搭載、敵の艦隊防空網を突破し、日本上陸へ向かう敵艦隊を一挙に制圧すると共に、空対空戦闘能力を有し防空戦闘にも参加する。

 しかし、日米貿易摩擦による貿易黒字相殺へF16を直接輸入する外交圧力が高まり、F-16をそのまま調達しては日本の国産開発能力が全く育たない、という懸念に直面します。またF-15戦闘機まで維持してきたライセンス生産での製造基盤も直輸入では失いかねない。

 この結果、日米共同開発によりF16を原型として新型機を開発、このために必要な技術を相互に提供する、という玉虫色の結論にいたりました。この画定で日本の戦闘機開発は頓挫したとも考えられたのですが、一方で、必要な技術研究だけは継続されていたのです。

 F2の開発はとの途中にアメリカがF16を基本としつつ、その中核技術であるフライバイワイア機能の提供をソースコード提供の協定を一方的に破棄するという事案がありました、フライバイワイア技術のソースコードを提供されないものでは戦闘機は飛行できません。

 しかし、擬医術を研究していたことが結果につながりました、T2練習機を原型とするCCV実験機が岐阜基地において長期間フライバイワイヤ技術を蓄積していまして、純国産FSXもフライバイワイヤを用いる計画でした、この応用を行うことで対応できたのですね。

 フライバイワイヤ技術は、そもそもステルス機などが航空力学を無視しレーダーに反射しにくい形状を採用しています、レーダーに反射しない事は戦闘機の生存性を高めるのですが、それで飛行中に簡単に安定を喪失し墜落してはまず最初に実用戦闘機となりえません。

 FSXの開発では、フライバイワイヤ技術を、操縦士が上昇する、と操縦動作した場合、通常の舵操作では方向舵を可動させた場合に横風などで揚力を喪失し墜落する懸念がありますが、フライバイワイヤの技術は操縦者が送受動作を行った通りに演算装置が補正を行う。

 フライバイワイヤ技術を通じ飛行安定化へ計算を重ねた操舵を行うことで、上昇したい操縦手の意志をそのまま航空機の上昇動作へ転換する、というシステムです。航空力学よりもステルス性を重視した航空機では、それを飛行させるための技術が必要、ということ。

 アメリカはF16から本格的に実用化していますが、この導入へは開発に多くの技術蓄積を要し、特に議会が国防総省による日本への技術提供に拒否の姿勢を突きつけたわけです。しかし日本はCCV実験機での実績により、この状況をFSX計画は打破できたわけですね。

 F-2開発は実験航空隊以来の技術開発の積み重ねが生んだ成果ですし、F-2戦闘機へ至る際に日の目を見なかった純国産FSX計画の技術はそのままさらに蓄積され、現在のX-2実験機へと繋がり、いつかは将来戦闘機F-3戦闘機へと結実する技術といえるでしょう。

 P2実験機により、CCV実験機寄り前にも日本ではフライバイワイヤ技術の研究を実施していまして、P2実験機による成果がT2実験機としてのCCV実験機へ応用されています。P2実験機では最初の研究で電子操作で操縦動作をフラップに伝送するだけのものでした。

 もちろん、P2実験機より以前にも航空機に搭載しない形で陸上実験設備を用いての長い技術蓄積が行われていたことはいうに及びません、極論で言い換えれば、第二次世界大戦中の海軍局地戦闘機紫電改が採用した空戦フラップ技術の延長線上にあるといってもいい。

 このようななかなか日の目を見ない、長い長い技術開発が応用されているわけです。戦闘機開発では、通常メーカーごとに蓄積した技術を、開発計画が具体化した時点で正式に発動します、しかし日本の技術開発は、開発が具体化した場合でも、そこが終点ではない。

 実用機開発が見送られた場合でも開発計画だけは継続している。日本の実用機開発は、開発が決意された時点での進められている技術研究の成果が総合的に具現化される方式を採っているといっていい。全ての技術開発と研究に終点は無い、というところでしょうか。

 F2は必要であれば当時持っていた技術を総合し、当時の技術の限界範囲内で国産機を開発できましたし、日米共同開発ならばアメリカの技術が提供されない部分や、日本独自の要求性能に基づく仕様へ必要な技術を組み合わせることもできた、選択肢があるということ。

 X2とF2ですが、F2開発の時点ですべてを国産開発した場合、戦闘機という複雑で膨大な技術をプログラムとして一体化させ包括し統合した兵器システムとして完成させることができたのかは、未知数です。国産初の超音速戦闘機であったF1支援戦闘機などは、それ。

F-1支援戦闘機は、電子戦能力の致命的欠如や、ミサイルによる対艦攻撃を行う状況での出力重量比の限界に依拠する機動性への悪影響、射撃管制装置搭載位置に起因する後方視界の影響、中距離空対空戦闘能力欠如、F1支援戦闘機は設計と実性能が及第点以下といえる。

 要員の戦術研究と運用体制に補強され、必要な性能を辛うじて発揮していました。この問題の根底は個々の分野の技術に秀でたものはある一方、システム全体を統合化するプロジェクトマネジメントの手法と意見集約方法へ、未熟な部分があったかもしれません。

 将来戦闘機を開発するに際して、やはり大きな問題は第五世代戦闘機に続く第六世代戦闘機の運用と必要な能力、戦術と戦略を開発者と運用者が意見と認識を一致させ、その上で航空機というシステムへ反映させることができるか、という部分に収斂するでしょう。

 これは、しかし同時に防衛産業と防衛省の癒着と誤解されかねない構図ともいえ、もちろん戦闘機という単純な零戦や飛燕の時代とライトニングやイーグルに続く戦闘機システムとしての複雑を理解したならば、長期化、開発と関係する企業も複雑化する事は自明です。

 岐阜基地航空祭はこうした日本の戦後航空機開発、特に草創期は徒手空拳というべき予算も無ければ技術も廃れ、その中で文字通り世界に追い付くための血の滲む努力が進められてきました。飛行展示を終えた航空機は、その技術を抑止力へ繋げる熱意の結晶といえましょう。

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【くらま】日本DDH物語 《第四九回》はるな型護衛艦とPS-1対潜飛行艇,外洋対潜作戦模索

2018-10-27 20:07:04 | 先端軍事テクノロジー
■PS-1対潜飛行艇大量運用構想
 神戸市の新明和工業、戦前の川西飛行機は飛行艇名門企業として今日もその技術を洗練し受継いでいます。

 はるな型ヘリコプター搭載護衛艦と同時に海上自衛隊では潜水艦を制圧するためのいくつかの研究が進められています、この中で個性的といいますか各国海軍でも例を見ない事例として、対潜飛行艇PS-1を挙げてみます。PS-1は現在の海上自衛隊救難飛行艇US-2、US-1の原型にあたる航空機で1967年に初飛行を果たし1970年より運用を開始しました。

 PS-1対潜飛行艇は一旦洋上に着水してソナーを展開する方式を執っています。P2V対潜哨戒機やアメリカ海軍において運用が開始されていましたP-3哨戒機、ソノブイを海上に投下し潜水艦の徴候を探すとともに、対水上レーダーや磁気探知装置を駆使して潜水艦の徴候を探します、しかし、一つ、直接聴音する吊下げソナーだけは搭載する事が出来ません。

 HSS-2対潜ヘリコプターはホバーリングし洋上から海面下に吊下げソナーを展開します。海上自衛隊の地方隊展示訓練等でSH-60J/K哨戒ヘリコプターが吊下げソナーによる対潜哨戒展示を実施する様子をご覧になった方も多いのではないでしょうか、トランデューサを海面の下に展開しますと、海水塩分濃度層や変温層の下部まで届かせる事が出来ます。

 二式大艇として日本海軍は太平洋戦争中に大型で航続距離の大きな飛行艇を開発し、ちょうど日本には飛行艇を開発する独自の技術があり、海上自衛隊としてはこの技術を応用する格好の手段として対潜飛行艇という運用を開拓しました。なにしろ二式大艇は今日の視点でも大型の航空機、この技術を応用すれば非常に大型のソナーを搭載出来る機体になる。

 海水濃度は河川の河口は勿論潮流などにより当然変化しますし、冷水塊や海面太陽光の関係から層というものは複雑に広がります。固定翼航空機からはソナーを海中に投じた場合、失速しない速度で曳航した場合でも掻水がそのまま雑音となりますし、その前に航空機の飛行速度で曳航してはトランデューサも索も強度が足りず即座に破損してしまうでしょう。

 PS-1飛行艇は直接海上に着水し展開できます。海上自衛隊ではこのPS-1対潜飛行艇を固定翼哨戒機と共に運用し、頻繁な離着水を繰り返し対潜情報を収集、徐々に潜水艦を制圧するという独自の運用を構想します。PS-1対潜飛行艇を岩国航空基地、大村航空基地、大湊航空基地へ配備する計画を示し、当初の計画ではかなりの数を調達する計画でした。

 はるな型護衛艦のHSS-2を洋上にて運用するという構想の一つの対案が、PS-1飛行艇です。実際飛行艇でも固定翼航空機なのですから飛行速度も進出速度もはるかに速いもので、そして二式大艇の技術を応用した新型機PS-1は80km/hという定速での離水性能や波浪3mでの発着能力、非常に高性能の航空機として完成しましたので自衛隊の期待も大きかった。

 しかし、飛行艇としては大型とはいえ、艦艇と比較すれば港湾哨戒艇程度、波浪のある太平洋上で運用しますと、機体が波浪で揺れソナーの軸線が安定しません。これはソナーの揚収に予想以上に時間を要する事が実運用を経て判明する事となり、潜水艦を追って捜索と離水に着水と捜索、と一連の作業が当初の想定程迅速に行えない事が判明してきました。

 PS-1対潜飛行艇はその発着能力の高さから救難飛行艇US-1にUS-1AとUS-2へ改修改良されてゆきましたが、一方でソナーの技術に苦労しているうちに対潜ヘリコプターの対潜哨戒技術が改良され、結局海上自衛隊は1989年には対潜飛行艇の運用を終了します。ヘリコプター搭載護衛艦はその後も改良と新型が今日に続き、選択肢の正解はこちらでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成三〇年度十月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.10.27-10.28)

2018-10-26 20:04:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 台風26号が進路不逞のまま接近する最中ではありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 知念分屯基地開庁記念行事、第16高射隊のペトリオットミサイル部隊が展開する那覇基地の分屯基地で、南城市佐敷字佐敷にあります。ペトリオットミサイルは発射装置や火器管制装置のほか、野外自活用の各種車両や警備用の車両なども展示されます、創立45周年記念行事ということで、事前抽選制のCH-47Jヘリコプター体験搭乗も行われるとのこと。

 南城市には航空自衛隊と陸上自衛隊の地対空ミサイル部隊が展開しています、陸上自衛隊知念分屯地という第15高射特科連隊第1中隊、なにか第16高射隊と1ちがいといいますか、似た名称の部隊が南城市知念字知念にいますが、お間違えなきよう。特筆すべきは、琉球最初の統一王朝を築いた第一尚氏の初代国王、尚思紹王の古墳がある分屯基地です。

 さて撮影の話題を。カメラバック、撮影に展開する際にどの規模のカメラバックを選定するかは毎回悩むところです。当方は基本的にご近所なのか、日帰りなのか、一泊するのか、二泊するのか、航空祭で単焦点の大型レンズを携行するのか、という区分で分けています。そしてもう一つ、この日は降りそうか、曇天なのか、特に大雨で大変な事になりそうなのか、で分ける。

 特に日帰りを想定する比で、しかし荒天の覚悟の中で進出する場合等は、雨具専用のバックを準備し、そしてバックパックタイプのカメラバックに全ての撮影機材と関連機材をビニールで厳重に梱包防水し、取り出す順番を慎重に考えて収納します。バックパック型カメラバックは、なにか撮影第一、撮影以外何も考えていない印象、を与えてしまいますが。

 しかし、撮影第一といいますか、豪雨で器材が濡れてしまっては撮影が続行不可能となりますので、もうなりふり構っていられないので機能一点張り、となる訳です。しかし、ゴアテックス雨具着用、防水防滴バック、靴にも防滴カバー、そしてゴアテックス半長靴、気力充分気合いは天に満つ、という状況で目的地に到着しますと、実は天候回復に向かっていて雨天で無く曇天だったりする。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・10月27日:知念分屯基地開庁記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/chinen/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【G7X撮影速報】中部方面隊創設58周年記念伊丹駐屯地祭.“生々躍動”の姿(2018-10-07)

2018-10-25 20:09:08 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■74式戦車&16式機動戦闘車
 中部方面隊創設58周年記念伊丹駐屯地祭、後半の様子を少々遅くなりましたが紹介しましょう。

 16式機動戦闘車と74式戦車、中部方面隊の将来を担う装備の交代劇、というところでしょうか。16式機動戦闘車と74式戦車は今年度の富士学校創設記念行事では訓練展示において仮設敵と攻撃部隊とで参加しましたが、中部方面隊創設記念行事模擬戦では協同しました。

 発砲焔が74式戦車並に迫力ある16式機動戦闘車は、最新鋭車両という事で注目度が大きく、ただ、二両参加した内で空包射撃を行ったのは奥の一両のみ、74式戦車は両方とも空包射撃を展示しましたので、発砲焔を撮影を志す写真愛好家の面々は一寸残念でしたね。

 105mm砲を搭載する16式機動戦闘車は、今年度の富士総合火力演習において実弾射撃が初公開され、その初速は低圧砲ではなく高初速砲である事が示されています。ただ、低圧砲を採用する諸外国のこの種の車両、近年第三世代戦車への対抗能力に限外も指摘される。

 74式戦車は第二世代戦車にあたり、戦車の三要素である打撃力機動力防御力の内、防御力をある程度断念した設計です。第三世代へ軽量且つ強靭な複合装甲が開発されるまで、第二世代戦車は上記三要素の内、二要素しか充分に設計に盛り込むことが出来ませんでした。

 機動砲、というべき装備は16式機動戦闘車のような装輪装甲車に105mm砲などの同世代戦車に匹敵する大口径火砲を搭載する車両として第一世代戦車と同時期から開発されています。その任務は防御力を断念した戦車駆逐車であり火力支援車、装甲偵察車というもの。

 40mmCTA機関砲が、世界を見ますと機動砲の先駆者で先進国というべきフランス軍では機動砲の後継に位置付けられている様で、スフィンクス/ジャガー装甲偵察車として40mmCTA機関砲と対戦車ミサイルを搭載した新装甲偵察車が開発されています。CTA機関砲、特殊な弾薬と構造により連射速度を高めた設計です。

 16式機動戦闘車は2016年に制式化されましたが、フランス軍は四輪装甲車に90mm砲を搭載したAML-90を1950年代から大量配備しており、その後継として105mm砲を搭載したAMX-10RC装甲偵察車と空挺用の90mm砲を搭載したERC-90機動砲を運用している。

 第三世代戦車の強靭な正面装甲に105mm砲がどの程度威力を発揮するのか、この種の装備ではイタリア製のチェンタウロ装甲偵察車がそのまま活用されていますので時代遅れではありませんが、フランス軍はAMX-10RCとERC-90,そして機械化歩兵部隊のVAB自走対戦車ミサイルの後継にスフィンクス/ジャガーERCを開発、砲塔やミサイルを積む三種類の装甲車両を統合する計画です。

 火力支援任務を考えた場合、フランスが選んだ40mmCTA機関砲の威力は105mmMP弾のような多目的榴弾を置き換える事は可能なのか、と素朴な疑問がありますが、発射速度がCTA機関砲は段違いに大きく、必要な火力指数は発揮し得る、という事なのでしょうか。

 16式機動戦闘車について重ねて考えますと、先ず、AMX-10RCが開発されたのは1976年ですので、根本的に新しく、特に火器管制装置と連動した車体技術から行進間射撃が可能となっています。この為、むしろフランスに提案したい程の高性能ではあるのですが、ね。

 即応機動連隊から戦闘偵察大隊まで、陸上自衛隊では16式機動戦闘車を本州四国における74式戦車の後継として運用する事となります。ただ、防御力では雲泥の差がありますし、車体構造がそれ程強靭な増加装甲を受け入れられるとは考えられません。この点きになる。

 戦闘偵察大隊は戦車大隊と偵察隊を統合し新編される部隊という事ですので、16式機動戦闘車が陸上自衛隊の装備体系や運用体系にどう内部化されるのか、自動迫撃砲搭載の火力支援車やCTA機関砲搭載の装甲戦闘車へ発展するのかを含め、長く見守ってゆきたいです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】時代祭-平成最後の京都三大祭を往く,河原町御池の維新勤王隊&維新志士列

2018-10-24 20:02:10 | 写真
■時代祭,京都G7X撮影速報
 平成最後の年となりました京都、密かに今上陛下のご退位の後には上皇陛下としてお戻りいただければ、と願う今日この頃です。

 時代祭を撮影しました、平成最後の時代祭です。1895年に平安遷都を記念した平安神宮創建と共に始まった祭事で、祇園祭、葵祭、と並ぶ京都三大祭となっています。京都御所から京都市役所前と三条大橋を経て、平安神宮へ行列が巡幸するという秋の風物詩という。

 桓武天皇と孝明天皇の御霊を御輿とともに洛中を巡幸する行事、1895年からの祭事ですのでまだ百年と少々の歴史しかありませんが、京都遷都から東京遷都へ繋げた感謝として造営されました平安神宮の神事、御輿と共に明治維新から平安朝までの時代行列が続きます。

 尊王攘夷、現代訳したならば天皇陛下万歳、外国人いてまえ、というそれはそれで物騒というか凄い言葉です。時代祭の行列は明治維新の維新勤王隊から始まります。騎馬の指揮官と鼓笛隊と共に当時最新のミニエー銃を携行する小銃部隊が京都市内を堂々歩んでゆく。

 京都市役所前、御池通を河原町通へ時代行列が進む情景を撮影です。京都市役所は昨年から耐震補強工事を進めており、成程平成最後の時代祭を記録するには、数十年に一度の改修工事の模様と共に撮影しましたらば、この年に撮影したものと後世も判別できましょう。

 京都三大祭の一つ、平安遷都は794年10月22日に挙行されたというもので、この日は月曜日、しかし前日日曜日の八尾駐屯地祭や姫路駐屯地祭や国際金融学会を断念してお仕事しまして、月曜日の時間を創った構図です。日曜日、行きたくともカメラ修理中であった。

 PowershotG7Xmark2が脱落し破損した。CANONのコンパクトデジタルカメラの中では屈指の性能を誇るのですが、カメラストラップ用のアタッチメントが小型過ぎ、半年使わないまま摩擦で切断し落下してしまったという、落下は保証外という事で少々泣きました。

 CANON定額修理料金は27000円、ちょっとこの金額は痛い、27000円あれば、ぷらっとこだま新幹線で東京往復と一泊、つまり入間基地航空祭往復交通費と宿泊費にほぼ相当する費用です。あのアタッチメントの細さは欠陥ではないのか、なんとなれ27000円は痛い。

 観閲行進でFH-70榴弾砲やUH-1J多用途ヘリコプター大編隊も撮影したいが、何しろカメラ修理中で無理、諦めてたところでカメラ修理完了のお知らせ、じゃあ近場で。何処からどう撮影するか、自衛隊行事撮影の経験を活かすべく準備し、いそいそと時代祭撮影へ。

 平安神宮の祭神は平安遷都の桓武天皇と幕末動乱期の孝明天皇、昔京都御所を出発する情景を撮影すべく事前現地調査を行ったのですが、基本的に招待席が大半を占めますので、撮影には脚立が要る、しかし脚立はその後の撮影へ陣地変換に物凄く荷物になってしまう。

 EOS-7Dmark2にEF18-200mmISレンズ一つ取り付けて、EOS-KissX7は今回御留守番、修理成ったPowershotG7Xmark2とを一番身軽なカメラバックに収めて、気軽に撮影へ臨んだのですが、流石にこの日お祭りで、河原町通界隈のご飯屋さんは混雑しているなあ。

 富士総合火力演習を思い出して当日の午前二時には撮影位置に進出し、折り畳み椅子と防寒具で朝になるまで丹念に場所取りとを行い万全の撮影、という変なことはせず、交通規制10分前に事前予定していた河原町御池の交差点付近に進出し、撮影しました次第です。

 明治維新時代の時代装束とともに始まる時代祭行列、この撮影角度は千僧駐屯地祭に真駒内駐屯地祭や帯広駐屯地祭なんかで毎回の撮影角度と重なる場所ですね、行列を望遠レンズの圧縮効果でしっかりと撮影することができる。快晴の秋晴れと共に撮影状況開始だ。

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INF全廃条約破綻危機,国連総会第1委員会の米ロ対立とボルトン補佐官-ラブロフ外相会談

2018-10-23 20:11:47 | 国際・政治
■深刻な21世紀核軍拡競争懸念
 21世紀に入り早2018年ですが、現在、20世紀のような核軍拡競争の懸念が現実化しつつあるようです。その厳しい現状を少しみてみましょう。

 INF全廃条約として知られる中距離核戦力全廃条約が瓦解の危機に曝されています。アメリカのトランプ政権がロシアによる違反の疑いが濃厚であるとして条約の破棄を主張し、米ロ対立に新しい火種を生みつつあります。トランプ政権が批判しているのは、ロシア軍が装備している射程2500kmのカリブル/クラブ巡航ミサイルの地上発射型について等です。

 国連総会第1委員会軍縮委員会にて22日、中距離核戦力全廃条約が討議され、アメリカはロシアの違反が明白であるとし、強く批判したのに対し、ロシア側は純粋に防衛用の物であり問題は無いとした上で、東欧に配備するアメリカの欧州NATO諸国防衛用陸上型イージスシステム“イージスアショア”が核抑止の均衡を破綻させたとして逆に批判しました。

 ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官が訪露しラブロフ外相と会談、プーチン大統領に中距離核全廃条約から離脱方針を伝えるという。この条約は米ソ、つまりソ連を国家継承したロシアとアメリカの条約なのですから、アメリカ離脱という事は条約終了を意味します。元々、この条約には中国が批准しない為、米中緊張下での戦力的空隙も指摘されている。

 レーガン大統領とゴルバチョフ大統領が1987年に合意に達した中距離核戦力全廃条約、中射程、及び短射程ミサイルを廃棄するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の間の条約、この略称であり全面核戦争の脅威が現実的に存在した冷戦時際において、限定的ながらも一分野の核戦力とその運搬手段全廃は画期的なもので、欧州は特に恩恵が大きい。

 SS-20中距離弾道弾が1979年東京サミットにおいて脅威として定義され、当時の大平首相がSS-20を何たるか知らずに国際的な笑いものとなった事がありました、中距離核戦力全廃条約が成立へ大きな努力が為されたのはこのSS-20の存在が大きい。射程5000km、150kt核弾頭をCEP500mの精度で投射する移動式発射ミサイルは欧州にとり死活的脅威でした。

 ただ、フランスがアルビオン高原に配備しソ連中枢を射程に含める中距離弾道ミサイルは、そもそもこの条約が米ソ間の条約である為に除外されていますし、ソ連に条約締結を促進させるためにアメリカは当時開発途中であった中距離弾道弾パーシングⅡの配備を前倒しし、合意成らねばNATO核戦力が増大するとの圧力をかけ、との背景はあったということ。

 カリブル/クラブ巡航ミサイルはロシア版トマホークとして1985年に開発され、インドや中国とヴェトナム等へ輸出されていますが、射程が300kmであり、ロシア軍が装備するカリブル/クラブ巡航ミサイルについても射程は300kmであると考えられてきました。しかし、2016年シリア内戦介入に際し投入され、少なくとも1500kmの射程があると判明しました。

 Intermediate-range Nuclear Forces、中距離核戦力とは500kmから5500kmの射程を有する地上発射型の弾道ミサイル及び巡航ミサイルを示します。射程500km未満の戦術核ミサイルや核爆弾、射程5500km以上の大陸間弾道弾等はこの定義から外れます。トマホークミサイル等も、地上発射型については定義に含まれ、地上発射型が廃止されています。

 中距離核戦力全廃条約は米ソ間の核軍縮条約であり、当時としては短距離核戦力として奇襲攻撃に用いられる核爆弾等が残ると共に長距離巡航ミサイルや大陸間弾道弾と潜水艦発射弾道弾等全面核戦争に用いられる戦略核兵器の廃止が盛り込まれなかった、という事で締結当時には、根本的な核軍縮となっていないとの批判はありました。しかし本当なのか。

 西欧諸国、とくに欧州NATO諸国から中距離核戦力全廃条約を考えますと、そもそも、欧州への最大の核戦力の脅威の定義には中距離核戦力が最も該当するもので、短距離核戦力によるNATO第一線への奇襲攻撃の危険と同等にNATO主要兵站拠点を射程内に収めているソ連の中距離核戦力は非常に大きな脅威、その全廃の意義は決して小さくはありません。

 NATOの欧州第一線において、現在、アメリカが中距離核戦力全廃条約を離脱する事により条約レジームそのものが瓦解する事は、特に欧州にとり死活的な問題となります、何故ならばソ連崩壊後、旧東欧諸国がワルシャワ条約機構解消により中東欧諸国のNATO新規加盟を果たした今日、西欧NATO諸国はロシアの核戦力脅威からかなり逃れていたのです。

 ベルリンとミンスクは950km、パリとモスクワの距離は2700km、この距離を示しますと500kmから5500kmまでの射程の兵器を中距離核戦力運搬手段として廃止させた意味が大きさが理解できるでしょう。条約は空対地型と艦対地型についてはその規定外ですが、空対地型は空軍基地を監視する事で、艦対地型は欧州周辺の海洋防衛で、脅威を抑止できる。

 ロシアによるクリミア併合とウクライナ東部紛争介入を契機として、NATOとロシアの対立関係は非常に懸念すべき水準にあります。その上で中距離核戦力全廃条約が解消されるならば、NATOはロシア核戦力の直接脅威に曝される事となり、欧州NATOにはEU欧州連合を離脱するイギリスと一度軍事部門から離脱したフランスが核兵器国としてあるのみ。

 影響は限定的となるとは考えられません、例えばロシアの中距離核戦力再整備は条約無効化により確実に進みます。これに併せ現在の在欧米軍縮小が更に進むのであれば、ドイツが核武装へ転換する懸念もありますし、これが朝鮮半島核廃絶交渉へ影響を及ぼし、日本を巻き込むような核軍備管理体系そのものが破綻する可能性さえあり得る、重大問題です。

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新防衛大綱とF-35B&EA-18G【21】F-35B艦上哨戒機,情報優位が脅威を潰す戦域優位へ

2018-10-22 20:05:59 | 先端軍事テクノロジー
■F-35Bセンサーノード運用
 呉基地の護衛艦かが艦上にF-35Bを搭載する、この一点で政府与党と自衛隊が一致したとしても、運用まで同じ考えとは限りません。

 情報優位が脅威を潰す戦域優位へ直結する、これが現代戦です。この為に早期警戒管制機等高価な装備品の優位性がある。F-35B戦闘機を固定翼艦上哨戒機として運用する、しかし、固定翼艦上哨戒機として運用する前提で導入する場合でも、F-35Bに優れた空対空戦闘能力がある事は否めません。勿論これ自体は悪い事ではありません、何故ならばセンサーノードとして運用するF-35BがSu-30やJ-21戦闘機等からの航空攻撃を受けた際には排除してでも生き残る必要がある。

 防空能力、しかし問題なのは海上自衛隊がF-35Bを導入した場合、艦隊のセンサーノードとして必要なのですが、問題なのはその高性能故に南西有事の際、局地防衛へ特定海域へ貼り付けるよう政治的要求が為される可能性がある点です。南西諸島に危機が迫る際に、戦闘機をセンサーノードという任務から外すのが責務だろう、と押される可能性がある。本来艦隊防空用であるイージス艦、その優れた性能故に弾道ミサイル防衛へ専従を強いられた構図と似ているでしょう。

 艦隊防空、イージス艦がありますので、艦隊防空にF-35Bを必要とする需要はそれ程大きくは無い、必要性があるとすればイージス艦に射程370kmのスタンダードSM-6艦対空ミサイルを運用する際に、イージス艦のレーダー覆域外からの低空脅威への哨戒が挙げられましょう。言い換えれば艦隊防空でのイージス艦の有するポテンシャルはそれ程に大きい。

 F-14A戦闘機が1980年代のアメリカ海軍空母航空団では一定数が艦隊防空用に配備されていましたが、現代ではF-14Aは既に引退し、我が国でも2002年の厚木ウイングスにて飛行展示を行ったのが最後で、F/A-18C戦闘攻撃機とF/A-18E戦闘攻撃機へ置き換えられています。F/A-18E等は優れた機体ですが、防空専用機であるF-14Aの優位性は高かった。だからこそ、アメリカ海軍の空母航空団は艦隊防空をイージス艦に依存し、それよりも打撃力を重視した結果、F/A-18E主体の編制となっている訳ですね。

 F/A-18Eは戦闘攻撃機で制空戦闘から航空打撃戦まで対応する機種なのですが、艦隊防空を考える場合、長射程のフェニックス空対空ミサイルを運用し、複数目標同時対処能力を有するF-14Aは古いながらも空飛ぶターターシステム艦といえるものでした。そのF-14Aが近代化改修でなく除籍となったのは、イージス艦へ艦隊防空が依存出来た為というもの。

 ヘリコプター搭載護衛艦が、ひゅうが、いせ、いずも、かが、と四隻揃った海上自衛隊ですが、同時にイージス艦の整備も進んでおり、アメリカ海軍の様に全ての巡洋艦とズムウォルト級3隻を除く全駆逐艦大半のイージス艦化というほど極端ではありませんが、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら、その整備は進んでいます。

 まや型ミサイル護衛艦まや進水式、としまして海上自衛隊は護衛艦隊に残るターターシステム艦2隻を練習艦隊へ編入する方針で、新たなイージス艦まや型ミサイル護衛艦の建造が進んでいます。護衛艦隊を構成する4個護衛隊群へ各2隻が配備されます。護衛艦隊には僚艦防空能力を有する護衛艦と個艦防空能力の高い護衛艦で全体が構成されています。言い換えれば、艦隊が生存するという意味の艦隊防空、しかし艦隊が残っても国土が灰燼に帰しては意味がありませんので、艦隊には国土に脅威を及ぼす脅威を水上戦闘により排除する必要がある、この為に情報優位に直結するセンサーノードへF-35Bが必要、という論法ですね。

 局地防空、F-35Bを導入する際に勿論、自衛隊の任務として必要があれば政治の要求に対応する事が求められるのですが、センサーノードとして用いる機数と局地防空として南西諸島の航空優勢を維持する機数とでは、後者の方が圧倒的に必要な機数が大きくなり、勿論、後者を念頭にF-35Bを80機100機と導入するならば別ですが、前者目的では逆だ。

 単なる推測ではないか、と思われるかもしれませんが、論理の構図は単純です、対領空侵犯措置任務は航空自衛隊の任務であって海上自衛隊の任務ではない。そして海上自衛隊も航空自衛隊からこの任務の移管を希望した事も創設以来事例が無い、一方で海上自衛隊の任務は海上防衛力を通じたシーレーン防衛、つまり海上自衛隊がF-35Bを導入研究を行ったとしても、航空自衛隊の任務である対領空侵犯措置任務の補完を買って出た、という構図ではない事は、自明というもの。

 センサーノードとして導入するならば、敵戦闘機の大編隊と正面から戦うのではないのですから数はそれ程必要ありません、敵戦闘機の大編隊はイージス艦がまとめて無力化できる。ですから、各艦6機で稼働と整備で24機を維持できるよう航空集団全体で予備機も含め30機あれば充分です。しかし、護衛艦隊全体30機で南西諸島局地防空を求められた場合、護衛艦隊は他方面でのシーレーン防衛等の任務を遂行不能となります。F-35Bを導入する場合、どの用途に用いるかの政治と第一線の理解共有が必要でしょう。

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