北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

大規模災害時における情報共有の問題

2007-01-31 18:16:27 | 防衛・安全保障

■阪神大震災と新潟中越地震

 毎年、一月になると決まって地震災害に関する特集番組が放送され、災害被害を如何に局限化するかが論点として話し合われている。昨日、NHKにおいて災害と情報に関する特集が恐らく再放送であろうか為されており、本日提出の大学院の論文校閲への手を休め思わず見入ってしまった。

Img_8087_1

 写真の機体と同じ機体であろうか、兵庫県警航空隊の震災当時に被害状況把握のために飛行したパイロットの話として、震災直後の神戸市内では家屋倒壊や火災の黒煙により状況把握、とくに位置情報が確定できず、この教訓から新しく1億3000万円の費用を投じ、撮影した情報が何処であるかを把握するGPSとの連動したカメラを導入している。こうした機体は全国に100機程度配備されており、大規模災害時には応援のヘリを加え、連携した対応を行えるとの事である。

Img_7005  阪神大震災に続く、被害の記憶生々しい新潟中越地震では、ちょうど空中機動旅団である第十二旅団の管区内ということもあり、新潟県知事より災害派遣要請を受けた第十二旅団は隷下の航空隊よりUH-60JA多用途ヘリコプターを出動させ、暗視装置により孤立した村落の克明な映像を送信している。気象レーダーや暗視装置により高い夜間飛行能力を有するUH-60JAは、夜間という状況下で孤立した山古志村の状況を撮影し、旅団司令部に状況を映像として報告した。

Img_0408  旅団(写真は第6施設群)はこの情報を基に災害派遣部隊を編成、高機動車や中型トラックを駆使し、翌朝に部隊を派遣した。しかし、この画像情報が新潟県知事に届いていなかったことが後日問題を引き起こした。災害対応計画を立てる上で情報は全て開示されて然るべきとする新潟県と、軍事組織である自衛隊は全ての情報を開示するわけにはいかないという言い分の衝突であるが、災害時という非常時に統合連携した対応が必要であることを考えれば、情報不開示の方に問題点が見出せるのではないか。

Img_3134  災害時の端緒において、特に平時では想定できないほどの火災、道路障害、負傷者の発生がライフラインの断絶と共に生起する為、ここでは消防や自治体の能力を超えた部分について、自己完結能力を有する軍事組織、つまり自衛隊の出動による負荷緩和は重要である。しかしながら、復興計画など、誤解を恐れずに言えば48時間以降は自衛隊から自治体へ活動の中枢は移行を初め、復旧から復興への過渡期には自治体が主導権を担う必要が生じる。

Img_7843  この場合、航空救急搬送や公共施設の機能回復など、自衛隊の能力は応急的なものであり、無限ではないことに気付かされるが、結果的に災害派遣は自衛隊に外注する、というものではなく、自治体との協同が必要となるものである。従って、情報は共有されるべきものであるが、他方、御巣鷹山の日本航空旅客機墜落事故における航空自衛隊のRF-4のように、安全保障上、全ての情報を開示できるものではないという、限界についても考慮は当然必要となる。

Img_2164  この点、自治体と自衛隊、若しくは復興計画を支援する政府機構との間を取り持つ機構が必要になる。こうした議論は様々な分野でなされているが、例えばアメリカ連邦緊急事態管理庁FEMAのような特定事態に際して指揮権を統括できる機構が必要ではないかと考える。アメリカではFEMAが新設された国土安全保障省に統合され、権限などが制限されてしまったが、常設機構として、政府の関係機関や全国都道府県知事連絡会よりの出向者で固めた緊急事態庁を内閣府の下に創設する必要があるのではないかと考える。

Img_7850  特に、携帯情報端末などの普及により電子化された情報収集はこれまでよりも容易且つ迅速に構築できる。こうした情報を組織の垣根を越え統合する為の、いわば巨大災害という有事に備えた枠組は重要である。如何なる方策にしても、国民保護法の制定に伴い、実行性の高いシステムが求められているのは確かである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸海空自衛隊関連行事 二月期実施詳報

2007-01-30 17:59:54 | 北大路機関 広報

■自衛隊関連行事

 二月期は一月期に引き続き一般公開を行う駐屯地祭、基地祭、航空祭は予定されていない。しかし、年度末ということもあり、部内では様々な行事が行われる。

Img_9431_1  二月期、若しくは三月に行われるであろう行事として一般には報道関係者を除き原則として公開されないが、T-3初等練習機のラストフライトが岐阜基地・静浜基地において開催される見通しである。昨年はMCH-101を撮影するべく展開した際にT-1,T-2のラストフライトを偶然撮影することが出来たが、文字通り偶然であるので、本ブログではT-3のラストフライトに関する情報を事前に入手する予定は無く、匿名掲示板などに出所不明の情報が載る事もあるが、これら情報を特集、掲載する予定も無い。

Img_8071  ただ、固定翼、回転翼問わず、航空自衛隊のパイロットはこの初等練習機から全ての訓練を始めるわけで、パイロットには思い出の深い機体であろう。なお、このT-3はラストフライト以外でも飛行を望見出来る機会はあり、やや投機的ながら、時間に余裕のある方はカメラを片手に基地へ向かわれてみては如何だろうか。戦後日本航空史の一枚を担ったT-3を現役の間に目に焼き付けておく最後の機会が迫っていることも確かだ。

Img_2833  現役を去るT-3やMU-2に対して、小牧基地には二月末ごろに空中給油輸送機KC-767が到着する。これは昨年夏に中日新聞が報じた情報であるが、写真のE-767空中早期警戒管制機と同じ巨大な機体が配備されるということである。特に、小牧基地は県営名古屋空港としての性格も有する為、基地としては珍しく敷地外からの展望もよく、式典や催事以外の行事においても航空機を撮影する上で条件の整った立地であり、撮影に成功した暁には、本ブログにおいて紹介する予定である。

Img_9315_1  写真は2006年2月16日に就役した最新鋭護衛艦“すずなみ”で、3月18日の舞鶴基地週末桟橋一般開放に際して撮影したものである。去る1月15日、護衛艦隊旗艦“たちかぜ”が退役したが、同時にこの時期は自衛艦艇の就役の時期でもあり、聞くところでは長崎市のグラバー園では新型のイージス護衛艦“あたご”を望見できるという。海上自衛隊の基地は週末に桟橋を開放しているところもあり、公開行事の無い、こうした時期だからこそ、基地を訪れてみるのも一興ではないだろうか。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

二月に実施予定ナシ。

HARUNA

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。 (行事の無いこの時期にこの記述も論議を招きそうですが慣習上掲載した訳であり、他意はありません)

■北大路機関アクセス解析07.1

 これまで不定期に掲載してきたアクセス解析情報ですが、様々な意見などを統合し、今回から毎月一ヶ月に一度、関連行事実施詳報と同時に掲載することとなりました。

Statsimg070127_1 現時点でのアクセス数は23121件、たくさんのアクセスありがとうございます。

 2006年12月31日から2007年1月29日までの月間アクセス数は9895(フォトアルバムを除く)、一日平均は329で、最低アクセス数が1月2日の177、最大アクセス数が1月27日の466となりました。この内、検索からのアクセスは3952で最高は“北大路機関(54件1.4%)”です。なお、本ブログに対して行われた違法性の疑いがある金融取引のTB、更にいわゆる出会い系のTB、明らかに本文とは全く関係のない広告用TB54件について、掲載について検討した結果、削除としたことをこの場にてお伝えします。より良いブログ運営の為のご理解とご協力をいただきますようよろしくお願いいたします。

北大路機関

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自衛隊の予備自衛官・即応予備自衛官

2007-01-29 12:46:10 | 防衛・安全保障

■日本の予備役制度

 日本ならずとも世界各国の軍事組織では、平時における軍事力に加え、有事の際には動員令を発令する。平時兵力が大きすぎる場合は隣国との無用な緊張を生む為、例えばカントの“永遠平和のために”では、常備軍は段階的に廃止するべき、という言葉にも端的に表れている。本論では、予備自衛官の能力向上の為に即応予備自衛官との統合と、有事の際に不足するであろう上級通訳、法務官の幹部養成の必要性を問うものである。

Img_2350  陸上自衛隊においても1954年より予備自衛官制度として自衛官経験者の退職者の中から希望者を募り、有事における予備部隊としての性格を与えている。

 写真は伊丹駐屯地における中部方面隊創設記念行事での予備自衛官の観閲行進であるが、迷彩戦闘服ではなく、66式作業服(OD作業服)に66式鉄帽という、いまでは中々目にすることのできない装備である。

Img_2349  予備自衛官は、自衛隊に一年以上いた経験者であり、士長までは37歳以下、陸曹や幹部で異なり、最大で2佐までが資格となっている。任期は三年間で、希望者には継続任用も可能となっているが、年間五日間の訓練参加が義務付けられる(ただし、罰則規定は無いとの事、更に分割参加も可能)。有事の際には駐屯地警備隊や弾薬整備中隊として召集される。また、有事の際に充足する、とされる一部の普通科部隊にも配属される可能性があり、現役時代の職種や勤務状況が考慮されるのだろう。

Img_0394_1  この予備自衛官制度において問題とされるのは、まず人数が45000名前後と非常に少ないことで、現役よりも予備役が少ないというのは先進国としては稀有、最低でも現役の0.9倍は維持するのが各国の常態であるから、三自衛隊を合わせ、現行の四倍程度の予備自衛官がいてもおかしくないのではないかという意見もある。更に、年間五日の訓練では、例えば小銃や個人装備の更新、車輌の近代化や技量維持が不可能ではないかとの論議もある。

Fh030019_1  この為、1998年より開始されたのが即応予備自衛官制度で、従来の予備自衛官が配属部隊に関して平時では未定であったのに対して、動員の際の所属小隊まで確定しており、訓練日数を年間30日としたもので、実質訓練期間は六倍、射撃などの機会もあり、更に即応予備自衛官を雇用する企業には給付金が出されるとの事で、15000名分の枠が設定、1998年に第四師団で始まり、第六師団、第十三旅団と全国の部隊に拡大、写真の第七師団第73戦車連隊も即応予備自衛官により編成されている。

Img_9224_1  即応予備自衛官の部隊は、平時にあっては例えば一個連隊の内の本部管理中隊や中隊本部などを現役とし、即応予備自衛官を中隊基幹要員として招集することで編成され、写真の第49普通科連隊のように初めから即応予備自衛官基幹普通科連隊として新編された部隊もある。ただ、年間30日という訓練期間も諸外国の予備役制度を比べた場合決して長期ではなく、むしろ現行の予備自衛官制度を廃止し、45000名の予備自衛官枠をそのまま即応予備自衛官枠としてはどうかとの議論もあるようだ。

Img_7885_1  2006年3月、第六師団の即応予備自衛官基幹部隊である第38普通科連隊が、東北方面隊直轄部隊として新編された東北方面混成団に第一教育連隊と共に編入された。38連隊は軽装甲機動車なども装備する部隊であるが、教育訓練部隊と統合されたのは、新規装備の習熟に必要であった為か、それとも現役部隊との協同には練度に難点があったからかは不詳なれど、73戦車連隊など現行の即応予備自衛官基幹部隊が今後どのように扱われるかは興味のあるところである。

Img_2480  即応予備自衛官制度に加え、有事の際には戦闘要員の他、広く様々な人材が必要とのことで近年募集が始まったのが、自衛官の経験が無くとも応募できる予備自衛官補制度で、三年間に五十日間の訓練を受け応募資格を得る一般予備自衛官補と、二年間に十日間の訓練を受け資格を得る技能予備自衛官補が導入され、技能区分では医療従事者、語学、情報処理、通信、電気、土木建築、整備の資格保有者から選定されるものである。

Img_0537_1  予備自衛官補制度については、大学生も夏季休暇だけで20万円程度貰えるとの事で参加する学部生を何人か見かけたが、語学に関しては英語、朝鮮語、中国語、ロシア語とされている点に、例えば国際貢献任務の本来任務化を受け、紛争地で用いられるポルトガル語やフランス語なども募集要員として多く必要ではないかと考えると共に、有事の際には法務官の不足が問題化する可能性がある。家屋などの障害除去や民有地における陣地構築、捕虜取り扱いなど、法務官は不足しているように思う。

Img_9205_1  語学特技に関してはどの程度が要求されているかは不詳ながら、調査学校普通英語課程(POE)が求めるTOEIC550点程度は最低必要とされてしかるべきである。しかし、考え方を換え、大学生を対象とした予備語学幹部として、大学院留学レベルに必要とされるTOEFL600、更に法曹資格を有する者を資格として予備法務幹部、上記の資格を有する上に国際法を専攻した修士以上の者を対象とする上級法務予備幹部というような制度が必要と考える。ここは更に進め、法曹や専門通訳の任用を本気で考えなければなるまい。

Img_9200_1  日本版ROTC(予備将校養成課程)という大袈裟なものではないが、有事法制の整備により超法規での防衛行動が不可能となり、文民統制の下での自衛隊の活動が定められたことで、特に法務幹部は戦闘基幹部隊である中隊本部毎に必要となろう。中隊幹部に意見する為には予備であっても立場上幹部の資格が必要となろうし、語学幹部にしても海外派遣において英語圏以外の派遣任務(国際人道任務やPKOで英語圏に派遣されたことは無いが)を考えれば、リエゾンオフィサーの通訳として人員が必要であり、上級部隊同士の調整を行うにはやはり2士や士長ではなく、予備幹部である必要性が生じると考えるのだが、どうであろうか。

HARUNA

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陸上自衛隊最先任上級曹長制度は定着するか

2007-01-28 15:39:28 | 防衛・安全保障

■制度検証中の最先任上級曹長制度

 陸上自衛隊では、2006年4月1日より、陸上幕僚監部、中部方面隊において、最先任上級曹長制度の制度検証を実施している。幹部に昇進せずとも曹士を率いる曹長の昇進をさせ、任官したての幹部を補佐する制度は出来ないものか、ということで試験的に導入された制度である。

Img_6782 指揮は将校(幹部)が行うが、戦闘を行うのはいつの時代も兵士(曹士)である。さて、『ワンス・アンド・フォーエヴァー“WE WERE SOLDIERS”』という、ヴェトナム戦争を描いた映画があった。第七航空騎兵連隊が遭遇した“イアドランの戦い”を取り扱った作品で、ヴェトナム戦争の実話を扱った作品としては最も秀逸なものであったが、作品中にメル・ギブソン扮する連隊長のハル・ムーア中佐とともにその傍らで的確な助言と部隊の指揮鼓舞を行い、45口径拳銃を片手に任務完遂に大きな功績を挙げたプライムリー上級曹長の役割も印象的に描かれていた。

Img_2219  閑話休題、写真は第二教育団付の最先任上級曹長、青い腕章が眩しい。この最先任上級曹長制度とは、アメリカ軍の司令部付最上級曹長にあたる、いわば下士官の長というべき存在で、これは陸上自衛隊においても1981年に階級として曹長を設置して以来、その必要性が論議されていたものである。旧軍時代から極めて狭き門ながら下士官の将校への昇進制度を導入していたが、この制度は自衛隊にも継承され、防衛大学校や一般幹部候補生以外にも部内から3尉へ昇進する制度がある。

Img_2286_1  しかしながら、海千山千の経験を積もうとも、曹士から試験をパスして幹部となれば、防衛大学校や一般幹部候補生を経て任官した3尉と階級の上では同じ扱いとなる(ただし、B、U、Iというように防衛大学校、一般大学、部内選出は区別される)。教育隊において三ヶ月間の前期教育、その修了後に職種毎の後期教育が行われ、更に陸曹教育では73課目400時限を六ヶ月間で修了、更に経験を積み部内選出として合格し、その後BOCとして3尉に必要な教育を受けている。

Img_0355_1  これだけの経験を積んだ部内選出の幹部も、一概に同じように扱われるのは勿体無い、ということで特に米軍などでは将校に昇進せずとも司令部付最上級曹長制度が創設され、大隊付上級曹長などが創設、特に統合参謀長に直接意見を述べられる参謀総長付最上級曹長制度までが創設され、兵士や下士官を最も知る曹長として、部隊の円滑な運用に寄与している。このように、幹部に昇進せずとも昇進できるよう考えられた制度が、アメリカの司令部付最上級曹長の導入である。

Img_2236  新しく制度検証しているのは、陸上自衛隊最先任上級曹長、中部方面隊最先任上級曹長、師団最先任上級曹長、旅団最先任上級曹長、指揮官将補最先任上級曹長、指揮官1佐職及び2佐職最先任上級曹長で、腕章を装備している。従って、方面隊、師団、旅団、団、連隊、群、大隊、隊(これは師団、旅団改編により創設された特科隊、施設隊などを示し、隷下に戦闘基幹部隊である中隊は有さないが、中隊よりも上級部隊とされている)の司令部付隊や本部管理中隊に配置される。

Img_0390  階級は基本的に准尉であるから階級では幹部よりも下という扱いにはなるが、司令部付隊に直属しており、指揮官に付き添う形で指揮命令に意見することもでき、特に部隊把握や、戦闘能力を曹士の視点から助言することが出来る。特に、一つの部隊に勤務している期間が十年二十年となれば、空気一つ、隊員の顔色一つで状況を判断でき、特に指揮幕僚課程(CGS)を経て上級幹部へ経験を積むべく二年に一度の転勤が常態となる指揮官を的確に補佐することが可能である。

Img_0816  さて、海上自衛隊では旧海軍から伝統的に先任伍長という制度がある。旧陸軍の下士官としての伍長とは全く異なり、兵曹長(陸軍では下士官扱いであったが海軍では准士官扱い、つまり旧軍の海軍兵曹長は陸軍の准尉にあたる)野中から選抜された、いわば軍艦(自衛艦)における兵士、下士官(曹士)の代表を意味し、巡検などでは副長とともに先任伍長は艦内の状況を点検する。艦長を含め幹部自衛官は数年おきに転勤があるが基本的に転勤の無い先任海曹から最先任の者があたる。

Img_1240  先任伍長と聞いて馴染みの無い方は防衛白書や自衛隊関連の書籍をめくってみればわかるのだが、先任伍長という階級は海上自衛隊には無く、従って制度的に継続されているものであり、言い換えれば名誉職というものであるが、考えれば先任海曹というものも階級としてではなく、一種の名誉職としてではあるものの、何分旧海軍以来の伝統があり、特に一隻をひとつの集団として戦う艦艇にあっては、必要かつ、合理的な教育システムであったのだろう。

Img_2675  写真は、海上自衛隊阪神基地の先任伍長室。

 護衛艦などの艦艇における先任伍長の扱いは、幹部に準じており、科員室とは別に先任海曹室という内装も幹部室に準じた部屋が用意されており、幹部を補佐し、艦内の士気を鼓舞、規律を徹底し、また団結の強化を行う重要な位置を占めている。特に、シーマンシップ育成に先任伍長の責務は重く、海上自衛隊の艦艇が世界で最も清潔で、規律が行き届いていると海外メディアに評価されるのもここにある。

Img_9735_1_1  先任伍長といえば映画は散々であったが原作は面白かった『亡国のイージス』でも大きく扱われたことを思い出すが、先任伍長の護衛艦における役割や、その地位、幹部との関係などに興味をもたれた方は原作の方の『亡国のイージス』を読まれれば、護衛艦を熟知した先任伍長と北朝鮮工作員の戦いを通じて、海上自衛隊の先任伍長制度をじっくりと知ることが出来よう(映画の方は『戦国自衛隊1549』でいわれているように幕僚監部広報室と制作陣の確執が作品の出来に影響したことは想像に難くない)。

Img_4547  さて、海上自衛隊の先任伍長制度やアメリカ軍の司令部付最上級曹長制度に準じた制度が試験的に導入され、制度としての検討が為されているが、幹部の命令を末端に届かせる様々な可能性を有するこの制度が全陸上自衛隊に採用されることを期待したい。

HARUNA

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航空自衛隊 前線・機上航空統制員の不足

2007-01-27 02:16:38 | 防衛・安全保障

■近接航空支援の死角

 私見に基づき、補助戦闘機としてのT-Xの必要性や、多用途性能を有するF-16Cの導入などを述べてきたが、航空自衛隊や陸上自衛隊には現在、近接航空支援を指揮する前線航空統制員の不足と質的不充分、更に機上航空統制員の不在という問題が圧し掛かっている。本論では、これら統制員の養成に関するNATO水準の専門学校設置の必要性を挙げるものである。

Img_6384  支援戦闘機、要撃機、対戦車ヘリコプターを問わず、空からの攻撃とは航空優勢の間隙を突いて実施することが出来、当然ながら特科火砲のような陣地構築が不要であり、迅速に進出、的確な攻撃を行うことが出来る。その威力は大きく、近接航空支援に多く用いられる500ポンド通常爆弾Mk.82の威力は炸薬量で86kg、155㍉榴弾砲の炸薬は43kg程度であり、実質二倍、これがF-4EJ改であれば近距離任務で24発搭載出来、編隊から投射される火力の大きさは何よりも数字が物語っている。

Img_7855  2005年まで富士総合火力演習において近接航空支援を展示したF-4EJ改。

 三沢基地第三航空団第八飛行隊から1997年より運用が開始されたF-4EJ改支援戦闘機は、要撃機より改修されたものだが、元々米空軍に戦闘爆撃機として運用されていただけあり、近距離任務で24発、遠距離任務でも12発のMk.82を搭載可能であり、搭載された火器管制装置、特に爆弾投下の管理コンピュータの搭載により高い精度を以て火力行使が可能である。

Img_1160  2006年の富士総合火力演習より近接航空支援の展示を行ったF-2A支援戦闘機(ただし、予行のみ、本番では天候不順により展示を見合わせた)。

 最新鋭の支援戦闘機であり、特にASM四発を搭載し、対艦戦闘任務にあたるものだが、洋上阻止任務以外にも対地近接航空支援能力も優れており、新装備である2000ポンド通常爆弾など強力な火力投射能力を有する。

Img_6385  しかし、強力な火力投射能力を有するも、それは近接航空支援という任務の特性上、陸上部隊が必要とする目標に対して的確にその火力を行使できなければ、無意味である。しかし、航空支援が必要な切迫した状況にあっては、彼我戦力の距離が接近している場合があり、地上部隊が必要としている地域に対して的確に火力が行使されることは戦史の上では少なく、逆に味方部隊が誤爆の被害を受ける事例も決して少なくない。

Img_1159_1  結果的に、近接航空支援では、陸上部隊が必要とされる目標よりも、航空部隊が発見した目標の内、攻撃に適したものを適宜判断し、攻撃を加えるというのが常態である。これは、特に偽装された、乃至地皺を利用して部隊の露出を抑えた地上目標の発見は困難であり後述する対空火力の脅威からの自衛という必要上やむをえない部分があり、結果的に投射される火力に比して、その効果は極めて限定的であるという結果に繋がる(ただし、航空攻撃により攻撃目標の行動を阻害するということで効果はあり、当然ながら効果が皆無というわけではない)。

Img_0375  近年では、従来の対空用機銃(概して12.7㍉、14.5㍉)携帯式地対空ミサイルの普及により、固定翼航空機が3500㍍以下の高度に進入することは非常に危険となっており、事実、湾岸戦争ではイギリス空軍のトーネード攻撃機が低空攻撃により13機の犠牲を出している。一方で2500㍍程度を境界として地上車輌の識別は困難とするデータがあり、特に夜間は顕著になる。従って、湾岸戦争以降の武力紛争では誤爆による被害の割合がヴェトナム戦争期の四倍程度まで増加している。

Img_9626  こうした空からの誤爆を防ぐ観点から、航空部隊より統制要員を陸上部隊に派遣し、第一線からその指揮を行う方式は、古くは第二次世界大戦より行われているが、近接航空支援に関する戦術・方法・手順(略してTTPと称される)の方式が、速度、性能、射程を含む航空技術の進歩にもかかわらず改善されなかった為、驚くべきことに1998年のユーゴスラビア空爆においても基本的に第二次世界大戦中に作成されたTTPを現場において必要に応じて解釈し、運用していたという。

Img_9387_1  この反省から、アメリカ軍ではNATOとの合同で新しいTTPの作成にかかり、新しいTTPは2004年末頃に完成したとされる。現在、米軍を含むNATO軍では、この近接航空支援を誘導する前線航空統制員の訓練を、NATO標準化合意3797号として共通マニュアル化し、第一段階として12の課程修了後に付与される「限定戦闘対応可能認定」、更に各国ごとの訓練を修了し「実戦可能」認定を受け、六ヵ月毎に最低六回の任務/訓練を条件に前線航空統制員の資格をえる。この為、前線航空統制員養成を目的とした専門学校が置かれている。

Img_1136  NATO諸国の場合は以上である、対する日本、航空自衛隊や陸上自衛隊には、前線航空統制という任務は当然あるのだろうが、NATOのような厳格な訓練に基づく前線航空統制員は存在せず、更に専門課程や専門学校も皆無である。従って、有事の際に、米空軍から陸上自衛隊が有効な近接航空支援を受けることは、通訳の有無に関わらずほぼ不可能なのが現場である。イギリスやドイツなどのNATO諸国では四名の前線航空統制員からなる戦術航空統制班を現在三個、将来的には四個を各師団に、三個を各旅団に配置し、近接航空支援を統制する構想である。航空機を指揮する必要上、パイロットが望ましく、将校であることが求められる。

Img_0532  NATOの場合は、地上戦に関する知識が無ければ的確な攻撃指示を行えず、また、航空機の特性に理解が無ければ現実的に可能な統制を行えないということで、陸軍・空軍の両方に勤務したものが充てられる。対して自衛隊の場合は、原則として訓練事前の綿密な打ち合わせがあり、更に言うならば射爆場の制約もあり、事実上決まった演習場以外での近接航空支援を展開する能力は無い可能性があり、この場合、従来の特科火力と比してその効果は極めて限られたものとなる危惧がある。つまり、有事の際の応用が利くか、ということである。これらは机上の演習だけでは補いえるものではない(実地演習を繰り返すNATO軍でも誤爆被害が出ていることがこれを端的に示している)。

Img_0269_1  こうした意味で、前線航空統制員の養成という命題は、航空機を用いた近接航空支援という運用を前提とするならば、文字通り急務である。現段階では、例えば、レンジャー課程(これには航空自衛隊の航空救助要員も参加する)の中に、新しく前線航空統制員資格の特技課程を設置し、更にイギリス軍が挙げているAH-64Dの全パイロットに対する前線航空統制員資格の付与(ただし、英軍ではAH-64Dは空軍が運用)という政策のように、陸上自衛隊の着弾観測による修正射を要求する観測ヘリコプターの乗員の養成プログラムと併せ、前線航空統制員の養成プログラムを組むことが考えられる。

Img_6768_1  現在、最も理想とされている近接航空支援の指揮体系は、地上の前線航空統制員と、航空機に搭乗した機上航空統制員との連携であるといわれ、後者には複座式航空機が充てられる。英軍のAH-64Dパイロットへの訓練も同様の目的が背景にあると考えられるが、実際にアフガニスタン空爆では米海軍のF-14Aの後部席に双眼鏡を手にした機上航空統制官が搭乗し、指揮を執った事例がある。航空自衛隊の場合はF-2BやF-15DJなどがこれに該当する。また、T-4などを着弾観測機に改修し、これに充てることも考えられる。

Img_0109_1  いずれにせよ、現行の陸上自衛隊師団・旅団規模からは英軍並みに前線航空統制員を養成すれば200名程度の要員が必要となる。この訓練費用やその為のパイロットの余裕など、考えるべき命題は多いものの、現行は異常である。有事法制や憲法をも含めた“戦える自衛隊”を志すと同時に、陸上、航空自衛隊協同での人員養成による近接航空支援の滞りなき展開能力の整備が、現段階では急務であると考える。以心伝心、として訓練や制度上の不備を平時の慢心で補うことでは、有事の際の大きな遺恨を残すことにもなりかねない。如何に強力な支援戦闘機を揃えようとも、的確な近接航空支援の実施が目的であり、航空機をそろえることはその手段であることを忘れてはならない。

HARUNA

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先進技術実証機“心神”のT-X転用案

2007-01-26 01:46:06 | 防衛・安全保障

■次世代戦闘機への布石をT-4後継機へ

 技術研究本部では、予てより次世代戦闘機への技術開発を精力的に進め、昨年五月には画期的な先進技術実証機のRCS模型を発表した。その実物大模型は、単なる模型に終わらず2014年に実機が飛行する計画であり、次世代における日本の空へ期待を抱かせるに充分なものであった。

Img_7936  技術研究本部では、過去にT-2高等練習機を母体としたCCV試験機などを運用し、その具術が後のFSX計画において大きな役割を果たしたが、技術研究本部より発表された先端技術実証機は、ステルス性を重視した、まさに第五世代戦闘機の基本となるものであった。なお、非常に残念ながら技術研究本部HPや航空専門誌にはその写真が掲載されていたものの、著作権上微妙な部分があり、今回はその本体の写真を掲載できないことを初めにお断りしておく。

Img_7898_1  さて、技術研究本部は三菱重工を主契約企業として2010年度を目処に開始する次世代戦闘機への技術的基礎研究として、この先進技術実証機を用いる構想で、ステルス性を第一に、これを損なわない範囲内で最大限の高運動性能を付与させる計画という。更に、機体の一部にコンフォーマルレーダーを搭載し、従来の戦闘機では死角となった部分からの脅威確認に充てる構想という。また、同実証機には、推力変換機構を備えたエンジンや、新複合素材などが新技術として開発されるという。

Img_7285  これは、F-15Jを越える将来戦闘機を開発するに当たり、特にこれまで蓄積した技術の応用として、更に技術実証を目的として開発されるもので、結果的に基礎研究の集大成と将来戦闘機開発リスクの低減を意図したものである。研究試作は2014年の実証機初飛行を計画しており、石川島播磨重工によりアフターバーナー機能を有するXF5-1の開発が進められている。機体の形状はコックピット後方がF-1のように遮られており、ステルス性を高める直線で構成され、双発、双垂直尾翼の形態となっている。

Img_9984  実証機は離陸重量8㌧、XF5-1エンジンの双発により10㌧の推進力を発揮するが、先進技術実証機ということもあり、RCS実物大模型などを確認する限り兵装搭載能力は付与されていないようである。さて、ここで気付かされるのが、自重7.5㌧というT-4練習機との関係である。1985年に初号機が初飛行したT-4は、今年で初飛行から22年、そろそろ後継機の選定が必要であり、これに国産案として先進技術実証機の改良型を充てる構想があっても良いのではないかというのが、今回の記事の本旨である。

Img_1503_3  先進技術実証機“心神”の実物大RCS模型は、コックピット後方に覆いがあり、後方視界などがF-1支援戦闘機のように悪そうであることは述べたが、この部分に技術試験情報の記録装置が搭載されていることは想像に難くなく、言い換えればこの機材を取り除くことで、複座航空機に転用できるのではないか、という可能性を見出すことも出来る。特に離陸重量の10㌧は、F-2の離陸最大重量22㌧やF-15の30.8㌧と比して非常に軽く、このままでは戦闘機への転用は不可能である。

Img_2823_1  他方で、練習機用途であれば、前述したコックピット後方部分を充分に活かせればその転用は比較的容易となろう。また、各5㌧の推進力を有するXF5-1エンジンは、出力重量比であれば世界有数の性能を見込むとあるが、流石に三発四発機にでもしなければ、そのまま次期戦闘機に応用することは考えにくく、更に、多用途機用のエンジンへの転用もアフターバーナーを考えればその意義は無い。しかし練習機用途を見込めばその所要分は大きく増加する。

Img_1723_1  現実問題として、212機が生産されたT-4の後継機問題はそろそろ検討が必要であるが、該当機種は国産を除けばT-4の再生産、若しくは米韓共同開発のT-50超音速練習機など限られており、この大きな需要を国産航空機にて代替するか否かは、必然的に日本の航空産業水準の維持に大きく関わってくる。また、超音速機能が不要であれば、XF5-1エンジンからアフターバーナー機能を廃することで、コスト低減を期することも可能である。例えば、T-2やジュギュアが搭載するアドゥーアエンジンからアフターバーナー機能を除いたものを、亜音速練習機ホークが搭載しており、これも現実的に考えうる選択肢である。

Img_2821  また、先進技術実証機“心神”には、機首部分にコンフォーマルレーダーを搭載しており、更に赤外線により索敵を行うIRSTなどを搭載し、少数のハードポイントを加えることにより、補助戦闘機として運用することも可能となる。特に生産数を削減されたF-2などは当初高等練習機への一部転用も考えられていたが、防衛大綱の改訂により戦闘機数を制限された航空自衛隊にあって、航空作戦に対応できる練習機というのは価値がある。

Img_3322  この練習機の補助戦闘機化という政策は、既にT-2後期型において実行されており、後期型には火器管制装置、20㍉機関砲M61が搭載されており、また計器訓練などではロケット弾の実射も行っていた。これは有事の際には、ベテランパイロットである教官が搭乗し、超音速性能を最大限に活かし、サイドワインダー空対空ミサイルを用いて要撃戦闘を展開し、通常爆弾Mk.82やロケット弾を以て近接航空支援(ただし、F-1のような爆撃コンピュータは搭載していない)などを展開できることを意味した。

Img_9873  T-4自体、開発に際しては武装訓練型を生産し、有事の際には亜音速機能を活かし、木目細かな近接航空支援などを実施する計画があったが、最終的には単なる練習機となっている(ただし機体性能に若干の余裕があり、1400kg程度の兵装は可能とする資料もある)。特に専守防衛を国是とする自衛隊の場合、陸上自衛隊が近接航空支援を必要とする際に航空自衛隊は航空優勢確保に全力を投入しているはずで、支援戦闘機(この区分は間もなくなくなるが)も対艦攻撃と要撃支援で余裕が無く、予備となる戦力を練習機から抽出する構想は無駄ではあるまい。

Img_1966_2  2014年に初飛行を迎えるであろう先進技術実証機、このまだ飛行さえ迎えていない航空機を、T-4の後継機としてはどうか、そうした提案であるが、様々な先進技術が盛り込まれた最新鋭の航空機を練習機とする提案は、検討に値するのではなかろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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国産擲弾銃開発が遺した課題と可能性

2007-01-25 12:08:00 | 防衛・安全保障

■1970年代の遺訓

 国産擲弾銃に関しては過去に類似の記事を掲載したが、解析により多くのアクセスをいただいた一方で、その写真の大きさに関してのコメントも幾つかいただき、今回改めて掲載することとした。

Img_4009  国産擲弾銃は、1970年代に三菱重工顧問で、61式、74式と戦車開発に携った近藤清秀技師が陸上幕僚監部時代に推進した普通科部隊用の携帯火器で、口径は66㍉、狭い塹壕内や秘匿銃座からの運用を考慮し、発射後にロケットが点火するという設計により後方爆風が出ない点が特色である。1960年代末には、10発中2発程度を除き弾道の安定性に問題があったが、推進剤部分を担当する日産自動車宇宙開発部の努力により、1970年代半ばには10発中8発程度が高い命中精度を発揮するように改善されていたという。

Img_1491_1  なお、陸上自衛隊では現在も新旧二つの“小銃用擲弾”というものが装備されているが、本論で挙げる擲弾銃はこれとは全く異なるものである。

 小銃用擲弾とは、誤解を恐れずに書けば空包により手榴弾を投擲するもので、擲弾銃は66㍉の擲弾を発射する専用の発射筒のことを示す。その運用方式は、いわぱ対戦車ミサイルとのギャップを埋める装備であり、火力投射装置であった。

Img_0266  冷戦期にあって当時の陸上自衛隊では、押し寄せるソ連戦車軍団を地形を利用し如何に無力化するかが最大の課題であった。理想としては充実した戦車、装甲車により戦車戦を展開するのが望ましいが、予算の制約はそれを許さず、当時、最大の脅威正面である北海道には、一個機械化師団(後の機甲師団)と三個師団が配置されていたものの、機械化師団以外は現在の北部方面隊とは異なり、師団輸送隊により辛うじて普通科連隊一個をトラックにより自動車化できるという時代であった。

Img_0348  戦車部隊に数的限界がある中で、普通科部隊、特に戦闘基幹部隊である普通科中隊の戦力が戦車部隊を食い止め、いわゆる前線を形成できれば、ここに集中的に機甲戦力を投入し、各個撃破の可能性を切り開くことが出来るが、中隊規模では、81㍉迫撃砲や106㍉無反動砲、更に12.7㍉機銃が数基配備されているに留まり、基本的には小銃班が運用する64式小銃と、連射性能に難があるといわれた写真の62式機銃、更に携帯式対戦車火器として、89㍉ロケット発射器“バズーカ”という装備を以て立ち向かうしかなかった。

Img_6711  写真は84㍉無反動砲であるが、いわゆるバズーカは、この無反動砲と同じように、発射の際に後方爆風が出るため、最低限、後方25㍍の安全区画が必要であり、塹壕からの運用は制約があり、特に天蓋を設けた陣地での運用は事実上不可能であった。この点で、国産擲弾銃に求められた天蓋により野砲の弾幕射撃の危険から防護された地下秘匿陣地から運用できる能力は普通科部隊の火力を飛躍的に向上させるとの期待がなされたのは、ある意味当然といえよう。

Img_0633_1  特に、今日では普通科中隊対戦車小隊に射程2000㍍の中MAT4基が、普通科連隊の対戦車中隊に射程4000㍍の重MAT12基が配備されているが、当時は師団対戦車隊に師団長最後の手札として射程1600㍍の64式MATが16基配備されているだけであった。一方で1966年にソ連地上軍で歩兵支援用の73㍉低圧砲を搭載した歩兵戦闘車BMP-1が制式化され、機甲部隊の脅威を排除する降車歩兵の制圧も普通科部隊の課題となった。

Img_4014  さて、この擲弾銃の開発は、技術研究本部において基礎研究を行い、基礎研究を元に陸上開発官が具体的装備を開発するという従来の流れで進められる筈が、研究用の装置が人間工学に基づいた銃身長、重さ、弾薬初速などを計算する為に銃の形状をしていた為、内局が研究用装置ではなく試作品と誤解し、基礎研究が終わらぬまま、陸上開発官に開発を命令した為、頓挫する。予算を預る内局としては、基礎研究なども最低限の予算に収め出来る限り多くの装備を開発する事が至上命題であった為、一概に非難できないが、不充分な基礎研究の下で開発が行われ、冒頭に挙げた命中精度の低下という問題から“失敗”と結論付けられた訳である。

Img_2279_1  国産擲弾銃は、米軍や各国軍が用いるM-203やM-79の40㍉口径よりも大きい66㍉であり、さらに発射後推進剤に点火する方式であり、90年代にフランスが開発した肩撃式水平射撃用迫撃砲SAMURAIと良く似た性格の装備であり、66㍉という口径からBMPやBTRといった装甲車に対しては有効な打撃を加えることが可能であったと思われる。しかし、技術研究本部から不充分な基礎研究のまま内局により陸上開発官に投げ渡された事で、80年代の対戦車火器増勢まで、普通科の火力は不充分なまま放置された訳である。

Img_0684_1  今日では01式軽対戦車誘導弾などにより対戦車火力は大きく改善されたが、近接戦闘に関する機材は今尚整備の途上にある。近年では、軽装甲機動車や高機動車などのように、開発や制式化の過程に柔軟性を付与した方式が用いられ、擲弾銃の時のような問題は無くなりつつあるが、こうした過去の歴史と向き合い、装備品開発を進めることも重要であろう(なお、擲弾銃の展示に関しては06年より撮影禁止となっているが、写真は禁止以前の05年に撮影したおのである)。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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19年度護衛艦隊改編後の艦載回転翼機

2007-01-24 14:25:42 | 防衛・安全保障

■地方隊の護衛艦隊編入と艦載ヘリ

 平成19年度における海上自衛隊の組織改編は、特に地方隊の護衛隊を護衛艦隊に編入するというタイプ編成への移行という意味で、海上自衛隊の組織体系を根本から再編する野心的なものである。

Fh020026  海上自衛隊では、機動運用を担う護衛艦隊と、沿岸警備を担当する横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の地方隊を置いて日本列島とシーレーンの防衛に当たっており、かつては機動運用部隊である護衛艦隊にはヘリコプター護衛艦やミサイル護衛艦、大型の対潜護衛艦により編成され、地方隊は二個護衛隊6隻の護衛艦と、掃海艇や輸送艦艇、魚雷艇などの部隊により沿岸警備を担当していた。その時点では、護衛艦隊と地方隊は拮抗していたのだが、ミサイル護衛艦の充実によるいわゆる八八艦隊構想に基づく護衛艦隊の巨大化は地方隊との任務遂行能力の格差を拡大していった。

Img_0781  1982年から1987年にかけて12隻が就役した“はつゆき”型護衛艦は、満載排水量4000㌧、ガスタービン推進であり、対空・対艦・対潜各誘導弾と対潜ヘリコプターを搭載した護衛艦隊用大型汎用護衛艦として整備が進められたが、それにつづく“あさぎり”型8隻、“むらさめ”型9隻、“たかなみ”型5隻と航続する汎用護衛艦が就役するにつれ、護衛艦隊にて余剰となった艦艇がそのまま地方隊に配備されるようになった。

Img_9328_1  沿岸警備を任務とする地方隊には、大型の護衛艦は不向きとして、“いすず”型、“ちくご”型、“いしかり”、“ゆうばり”型、“あぶくま”型というような比較的小型の護衛艦を整備してきたが、冷戦構造終結を受けての平和の配当論が国際的に高まったことから、細川内閣時代に防衛大綱の改訂が提唱され、護衛艦定数10隻の削減が確定されたことから、その皺寄せは主に地方隊護衛隊数の半減という政策にて具体化し、定数削減を艦艇の大型化にて対応するという理解が為された。

Img_1110  しかし、1999年3月の能登半島沖工作船浸透事案に際して、舞鶴地方隊の護衛艦が臨時に護衛艦隊第三護衛隊群の隷下に入り運用されたことで、特に艦艇の一括指揮下に置くことが提唱されていた。こうした中で、平成19年度防衛予算概算要求には、現行の横須賀地方隊21護衛隊を11護衛隊に、呉の22護衛隊を12護衛隊に、佐世保地方隊の23、26護衛隊を13、16護衛隊、舞鶴の24護衛隊を14護衛隊、大湊25護衛隊を15護衛隊に改編し、護衛艦隊の指揮下に改編することが盛り込まれた。

Img_1270  さて、現段階で地方隊に配備されている“はつゆき”型護衛艦は、2006年2月までに護衛艦隊から全艦が地方隊と練習艦隊に異動した。

 この際に地方隊用の護衛艦からは哨戒ヘリコプターの運用能力を除き、ヘリコプター格納庫は必要に応じてヘリコプター運用能力を回復できるとされるが、この“はつゆき”型の護衛艦隊への再編入を以て哨戒ヘリコプターの運用能力は再度付与されるのであろうか。

Img_1437  現在、護衛艦籍にある艦艇で、ミサイル護衛艦を除けば地方隊用の護衛艦9隻が、ヘリコプター格納庫を装備していないが、これらは第25護衛隊(4隻)、大湊地方隊直轄艦(1隻)、第26護衛隊(3隻)と大型汎用護衛艦との混成編成として第24護衛隊に一隻が配備されているが、再度ヘリコプター運用能力を付与するとなれば、ヘリコプター運用能力を有さない艦艇に対しての任務相互補完能力を如何に維持するのかという問題が残る。

Img_9684_1  一方で、従来の護衛艦隊が有する汎用護衛艦は、5500t型のいわゆる19DDと併せ、護衛隊群を構成するDDHグループの護衛隊に2隻、DDGグループの護衛隊に3隻が配備される為、旧式艦艇が置かれる二桁護衛隊と新鋭艦で構成され護衛隊群の隷下に置かれる一桁護衛隊とで、一応の区分は残るようである。この場合、写真の“あさぎり”型護衛艦がいよいよ余剰となり地方隊、つまり今後の護衛艦隊の二桁護衛隊に配備されることとなる。

Img_9803_1  この場合も、現行のヘリコプター運用能力を維持するかが問題となろう。問題点は3点、19年度に予定されている“はつゆき”型の護衛艦隊編入と同時にヘリコプター運用能力が付与されれば艦載型のSH-60Jが11機必要となる為同じく自衛艦隊の航空集団に編入される小松島航空隊、大村航空隊、大湊航空隊のヘリコプターを艦載用に転用するのか。また、二桁護衛隊へのヘリコプター運用能力が付与されないならば今後“あさぎり”型などはどうするのかということだ。

Img_0715  更に、“いしかり”“ゆうばり”型は2009年まで、写真の“あぶくま”型6隻は2013~2018年にかけて近代化改修が為されなければ耐用年数限界を迎えるが、少なくともこれまでの間は、二桁護衛隊の中ではヘリコプターの運用能力の有無という性能差が残り、この均衡を保つことが重要となろう。付け加えるならば、この後は16隻の地方隊枠が残り、これにヘリコプターを搭載するか否かにより、海上自衛隊の洋上作戦能力は少なくない差異が生じる。

Img_1444  哨戒ヘリコプターは対潜哨戒に加え、機銃を搭載しての工作船対処(新型のK型からはミサイルを搭載しての小型高速艇への対艦攻撃能力も付与)、在外邦人救出や島嶼部防衛における人員輸送という任務も有しており、改編後の護衛艦へのヘリコプター搭載に対する判断とは、海上自衛隊全般の戦力投射能力を左右するという理解が必要であろう。

HARUNA

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80年代F-X選定 “F-15+F-16”という仮定

2007-01-23 14:12:13 | 防衛・安全保障

■次期主力戦闘機選定

 航空自衛隊では2000年ごろから、現行のF-4EJ改の後継機となるF-Xを選定中であり、F-22、F-15E、F/A-18E、タイフーンなどを挙げ、選定作業を進めている。そこで、今回は、前のF-X選定について一つ記事を掲載したい。航空自衛隊もF-16Cを導入するべきであった、というのが本論の主旨である。

Img_0766_2  さて、現行の主力戦闘機であるF-15Jは、1976年のMiG-25函館空港亡命事件における防空能力の部分的欠如という教訓から導入されたもので、特に戦闘機をミサイル発射母機としての設計思想により開発された世代に含まれるF-4Eを補完し、更に老朽化が進むF-104の代替を意図して選定作業が進められ、結果的に高い空戦性能を有するF-15Cが選定され、1981年3月27日、嘉手納基地より岐阜基地へ日本向けのF-15J二機が到着し、航空自衛隊のF-15J運用が開始された。

Img_7393_1  この他F-X候補に、米海軍機F-14A、米空軍が運用するF-16、欧州共同開発のトーネード防空型などが提示された。ソ連極東軍の北海道侵攻に際して、在日米軍の支援が到達するまでの間の航空優勢確保を実施するとの任務完遂を考え、戦闘行動半径、野戦整備作戦稼働率、対脅威戦闘力比較、消耗部品相互互換性といった多面的な比較が為され、トーネードが在日米軍備蓄との部品互換性で落選し、当時、中距離AAMの運用性能で難ありとされF-16が落選。F-14Aも戦闘空中哨戒能力でF-15Cに敗れた。

Img_1222  航空自衛隊はF-15Cをライセンス生産により120機程度の導入計画を立てたが、導入計画は年毎に改訂を重ね225機もの計画に膨れ上がっている。戦闘爆撃機であるE型を除けば、米空軍以外にサウジアラビア空軍が72機、イスラエル空軍が115機を輸入しているが、それでも有償軍事供与、しかも十年間二段階の調達計画に基づく導入であり、他方、航空自衛隊が120機の導入計画を提示し、その後225機に拡大する過程で、ソ連極東軍の数的増勢がその拡大に比例するかの研究は充分行われたとは耳にしない。

Img_7258  さて、航空自衛隊が当初掲げた120機のF-15J装備計画が完了に近付くころには、米空軍のF-16三沢基地配備が開始され、開発当初高価であったF-15Cとのハイローミックスのロー部分を担うとされたF-16は、レーダーの改良により中距離AAMの運用性能を付与され、高い推力重量比が有する潜在性から、制空戦闘のみならず、対地、対艦攻撃に用いられるようになり、更に電子戦機材を搭載した防空制圧任務や、場合によっては偵察用途にも用いられる多用途戦闘機として認識が改められていた。

Img_7397_1_1  1974年2月2日に試作機が初飛行したF-16は、既に4000機以上が生産/配備され、イスラエル空軍の260機(更に00年、I型60機購入を発表)、オランダ空軍の223機、エジプト空軍の220機といった200機以上のF-16を配備する空軍も幾つか現れており、わが国周辺では韓国空軍、台湾空軍がそれぞれ150機程度を導入し、運用している。したがって、航空自衛隊もF-104の一部をF-16により代替するという選択も有得たではないだろうか。

Img_7372  E-2Cと地上の防空システムをリンクさせれば、要撃性能は充分なものがあり、更にAWACSとのリンクによりF-16の運用柔軟度は向上するため、F-15Jの120機調達計画完了後は、F-16Jとしてライセンス生産を実施することも出来たはずである。航空自衛隊が導入すると仮定した場合、エンジンをF-15の同型のものから推力増加型に改め、AIM-120AMRAAMや対レーダーミサイルシュライク、マーベリック対地誘導弾の運用能力を含めたブロック32、もしくは夜間飛行能力が高められたブロック42が導入されていた可能性がある。

Img_7377  特に、1995年の新防衛大綱施行に伴う戦闘機数削減決定以前に発注が行われていれば、F-15J120機に併せ、以前から必要とされていた電子戦機型、さらには一部のRFの代替とあわせ140機程度のF-16を導入が実現した可能性も高い。

 また、場合によっては一部のF-4EJの代替に用いられていた可能性も有得ることから、この数は更に伸びたともいえよう。

Img_1156  付随的には、先頃94機という最終調達数が発表されたF-2支援戦闘機の開発に際して、F-16Cの導入が前向きの結果をもたらした可能性も指摘できる。特に、その開発に当たってはフライバイワイア方式のソースコード開示が日米間の係争となったが、F-16Cの三菱重工によるライセンス生産が行われていれば、その障壁は更に低下したはずであり、設計における計画遅延は解消、当初計画された130機という生産数が達成された可能性も高く、航空自衛隊の戦力投射能力は大きく向上したはずである。

Img_7271  加えて、F-2とF-16の“規模の経済”(130機のF-2と、それに匹敵するF-16Cという意味)により段階改修時の予算効率性は向上したはずである。戦闘機は、OSのようなもので、機体を構成するシステムの更新を怠ってから陳腐化は加速度的に進む。この点、機種は絞られるべきであり、機種あたりの数的規模は大きくあるべきなのだから、特に、F-2の数的下方修正により、今後、特にコンピュータシステムや電子戦機器の近代化改修頻度が鈍化すれば、航空自衛隊全般の戦力投射に大きな影響が出かねない。

Img_7407_1  他方で、初期に導入されたF-15Jは近代化改修の対応度合の低い、いわゆる非MSIP機が含まれる為(事実、非MSIP機は偵察型のRF-15Jに改修される計画が進行中であり、電子戦機への改修も予算との均衡を計算しつつ推進中とされる)、一概にF-16Cだけを推す訳には行かないが、“虎の子”というべきF-15Jと“優等生”であるF-16Cとのハイローミックスという運用形態はあってよかったのではないかと、愚考するのである。

Img_9383_1  さて、所変われば現代、F-4EJ改の後継機選定が進行中である。個人的には数的不利を差し置いて絶対航空優勢を確保する少数の航空機を虎の子として、通常の要撃任務には多用途性が高く、全般航空作戦に従事する多数の多用途航空機により構成されるべきと考えるのだが、いよいよ決定は間近と伝えられ、興味は尽きないところである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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9ミリ拳銃 (シグザウエルP220) 海上自衛隊仕様

2007-01-22 18:03:05 | コラム

■防衛省誕生特別企画!

 防衛省誕生特別企画、と銘打ったが実態はネタ切れ救済企画である。タナカ社製P-220自衛隊仕様と9ミリ拳銃の特集を掲載したい。

Img_4346  先日、89式小銃の企画を本ブログに掲載したところ、アクセス解析などではかなりの好評であった事がわかり、今回は9ミリ拳銃について特集したい。実銃の9ミリ拳銃は、1975年に欧州多国籍企業であるシグ・ザウエル社が発表したもので、1982年に自衛隊への配備が開始された。これを1998年にエアソフトガンとしてタナカ社が発売し、ガスブローバックガンとしてその優れた形状の再現には定評がある。ちなみに言うまでも無いが新銃刀法規格内合法品である。

Img_4343  桜に錨を象った刻印が表わすように、タナカから限定品として発売された海上自衛隊仕様の9ミリ拳銃であるが、まだ、市場には少なくない数が流通しており、基本型となるs陸上自衛隊仕様の他、航空自衛隊仕様も販売されている。実はこれまで、専ら東京マルイ社製のP-226を愛用していたが、89式小銃の導入に至り、この9ミリ拳銃への移行を計画した。P-226は自衛隊でも閉所戦闘訓練に用いられていると雑誌報道されているが、やはりホンモノのレプリカ(?)で揃えたいものである。

Img_4347  まるで官公庁に納品されたような箱に納められている。ちなみに海上自衛隊仕様であるのは、HNが“はるな”ということと、何より在庫処分的な価格の下に更に◎割引とあった為である。また、自衛隊仕様ということで、脱落防止用のランヤードの取付部が握把(グリップ)下部に設置されている。TOP社が64式小銃を電動エアソフトガンにて発売したのが1997年、更に9ミリ機関拳銃などのモデル化を期待したい。なお、近く、本ブログにおいて、P-226とP-220の比較特集などを掲載しようと思う。

■自衛隊における9ミリ拳銃

 陸海空自衛隊において、11.4ミリ拳銃M1911の後継として行き渡った9ミリ拳銃であるが、これについて記載したい。

Img_0687_1  自衛隊創設時から運用されてきた45ACP弾を発射する11.4ミリ拳銃M-1911が、米軍供与品ということもあり特に第二次世界大戦初期や大戦以前に製造されたものが老朽化により作動が困難となりつつあったことから、後継拳銃として国産のものも含む幾つかの拳銃の試験を行い、最も優れている拳銃として導入されたのがシグザウエルP-220で、ミネベアにおいてライセンス生産が行われ、1990年代の半ばには全て新型に代替されている。

Img_0493  整列した37連隊の隊員、一番前に立つ連隊幹部は弾帯に9ミリ拳銃を収めたホルスターを下げている。陸上自衛隊では、基本的に3佐以上の幹部が自衛用に携帯する他、無反動砲手や機甲科隊員、警務隊など小銃の携帯が任務遂行に支障を来す場合に装備する。一部の式典では新型の9ミリ機関拳銃に更新されているようだが、基本的に機関拳銃と拳銃の用途は異なり、更に9ミリ機関拳銃の調達度合いから判断して、こうした風潮は全陸上自衛隊的なものとはならないようだ。

Img_0633  今津駐屯地祭において、式典会場入場に備え、整列を始める第三戦車大隊(第十戦車大隊の可能性もあるが、入場順序から判断)の機甲科隊員。乗車帽にゴーグルとともに拳銃ホルスターが印象的である。

 車内容積が限定的である戦車には、全ての隊員が小銃を持ち込むことは困難であり、機甲科隊員たちは、M-3短機関銃、89式小銃といった大型の小火器か、携帯性に優れた拳銃を携帯している。

Img_8081  東北方面隊記念行事において観閲行進を行う第六戦車大隊の74式戦車。戦車という巨大な火力と拳銃、なにやらアンバランスのように思えるかもしれないが、降車警戒時の自衛用や接近する歩兵排除には拳銃は必要である。俄には信じがたいが、近年の事例として2003年のイラク戦争においては米軍のM-1戦車に対して民兵が爆薬を担いで肉薄するという状況が実際にあり、ベレッタM92F9ミリ拳銃を用いて砲塔に取り付いた民兵を無力化、排除するという実例がある。

Img_2061  この他、司法警察任務を介して部隊の治安維持にあたる警務隊も、拳銃を携行している。平時には司法警察任務にあたる警務隊も有事の際には米軍の野戦憲兵と同じように交通整理や捕虜の取り扱いも行う為、いわば警察官が短銃を携帯し運用するものと同じ用途であると考えればよい。

 写真は千僧駐屯地祭における司令部付隊隷下、警務隊の観閲行進の様子。

Img_2435  また、近年では自衛用途としての拳銃から、いわば戦闘に直接用いる装備として拳銃が見直されている。写真は、伊丹駐屯地祭における訓練展示の様子であるが、ロープ降下しつつ、窓からの進入に備え、拳銃を構えている。一発一発確実な射撃が行えることもあり、特に市街地などを想定した閉所戦闘訓練では拳銃が多用されているとされ、今後は普通科部隊においても拳銃の装備について例えば初級幹部や上級陸曹に対しても支給すべきというような再検討が為されるときも来るかもしれない。

Img_6379  海上自衛隊でも、幹部用に拳銃が護衛艦などに搭載されている。軍艦において将校が拳銃を携帯する事例は、大航海時代まで遡ることが出来、暴動鎮圧用とされているが、近代に入ってからはシンボル的な意味以上のものはもたないようだ(ただし、途上国海軍ではいまだに暴動などはあるときく)。特に、各国海軍との交流が多い海上自衛隊にあっては、レセプションなどの場において、幹部自衛官に拳銃携帯を求められる場合があることは想像に難くない。

Img_6263_1  海上自衛隊の艦艇には、落水者救助に際しての鮫避けなどの用途に用いる為、20丁前後の64式小銃もしくは散弾銃などが搭載されているとされる。また、近年では、インド洋対テロ支援任務への派遣を契機として、自爆ボート対処を目的とした12.7ミリ機銃や、62式機銃が搭載されることもあるが、これら火器は基本的に 武器ロッカーにしまわれているのにたいして、拳銃は幹部が自室にて保管するようになっているようだ。

Img_6292  この他、能登半島沖工作船侵入事案を受け、臨検用に拳銃が用いられることもある。また、拡散防止イニシアティヴ(PSI)構想への日本の参加により、臨検という任務は今後増加することが予測され、9ミリ拳銃の必要性は今後高まることとなろう。

 写真は、護衛艦に装備されている浮揚式防弾チョッキ。従来の防弾チョッキでは落水時に危険であったが、これは浮力を有している。

2005116_029  航空自衛隊でも、幹部自衛官は拳銃を支給されている。

 写真は笠取山分屯基地祭における第14高射隊(白山分屯基地)隊員によるペトリオットミサイルの再装填作業の訓練展示であるが、端に写っている3尉は、弾帯に拳銃用ホルスターを吊り下げている。レーダーサイトや野外で運用されるミサイル、レーダーはコマンド部隊の攻撃を受ける可能性があり、また基地警備部隊も拳銃などの火器を装備して有事に備えている。

Img_1195  この他、冷戦時代にはアラート任務に当たる戦闘機パイロットは拳銃を装備していたという。何に用いるかは不明だが、パイロットの拳銃装備は今も続いているかは不明である。参考までに、パキスタン輸送支援任務に展開した輸送機には自衛用に拳銃を携行した隊員が乗ったという。

 このように、拳銃は自衛隊にあっても未だ欠くべからざる装備なのである。

HARUNA

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