北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

今津駐屯地祭 詳報

2005-10-28 05:45:28 | 防衛・安全保障
 2005年9月11日、滋賀県高島市にある陸上自衛隊今津駐屯地において、駐屯地創設記念式典が行われた。
IMG_0595 今津駐屯地は第三戦車大隊及び第十戦車大隊の駐屯する戦車部隊の一大拠点で、日本原駐屯地(第13戦車中隊)とならび中部方面隊管区における機動打撃部隊を担い、且つ若狭湾・伊勢湾を結ぶ本州最狭部という戦略的要衝に立地する駐屯地である。また、戦車部隊に加えて第三特科連隊第五大隊が駐屯し、戦車勢力78輌、榴弾砲8門が配備されている。
IMG_0606 なお、駐屯地は開設53周年を迎えるも、駐屯する第三特科連隊第五大隊は、防衛大綱の改訂に伴う部隊縮減計画から今年度末に解散し、隊員は姫路の第三特科連隊に移るということで、部隊として最後の参加となる。
IMG_0628 正門から会場に向かう途中には、部隊の生き証人というべき61式戦車・74式戦車、そして155㍉榴弾砲M-1が展示されていた。こうしてみると、今津駐屯地は、駒門駐屯地と並び最も遅くまで61式戦車を運用していた部隊である事が思い出される。
IMG_0636 整然と分列行進で会場へ向かう機甲科隊員。自衛用の個人携帯火器としてM-3短機関銃と9㍉拳銃を携行していた。また、特科隊員は64式小銃を携帯していた。M-3は11.4㍉拳銃弾を使用するもので、第二次大戦で連合軍が大規模に使用したことで知られるが、老朽化は否めず、折畳式銃床型の89式小銃への更新が望まれる。
IMG_0672 指揮官巡閲。
 この後の指揮官訓示において、昨年末の新防衛大綱制定のなかで、新しい脅威に対応できる精強な部隊育成を強く望むと共に、国際貢献や災害派遣という多様な任務に対応できる柔軟性の重要性を説き士気を鼓舞した。
IMG_0712 観閲行進に先立ち、続々と移動し、会場左方に待機する車輌部隊。
 74式戦車の縦列が望遠レンズの圧縮効果により重なってみる事が出来る。
IMG_0732 観閲行進は、今年度末にて解散となる第三特科連隊第五大隊の82式指揮通信車、そしてFH-70榴弾砲を先頭に開始された。
 なお、今津駐屯地では、他の駐屯地とは異なり徒歩行進は無く、全てが車輌行進であるため、音楽隊の演奏も最初からテンポの速い軽快なものとなっている。
IMG_0758 第三戦車大隊の74式戦車。
 部隊マークが、獅子の背景に三本の白帯が描かれたものが第三戦車大隊、そして鯱が描かれたものが第十戦車大隊の所属を意味する。
 蛇足ながら、鯱も、淵の部分をなぞれば数字の10が現れるという。
IMG_0769 式典の最後を飾るべく、祝賀飛行を行うヘリコプター。
 参加ヘリは、OH-6観測ヘリ、そしてAH-1S対戦車ヘリの合計二機。
 贅沢かもしれないが半径250km以内で最大規模の戦車部隊駐屯地なのであるから、もう少しヘリを飛ばせないだろうか、せめてAH-1Sは三機編隊、OH-6も二機くらいは飛行して欲しかったものである。
IMG_0781 観閲行進終了。そして模擬戦闘へ移るべく準備が始まる。その間、音楽隊の演奏や、73式大型トラック上で行われる力強い機甲太鼓が会場を盛り上げる。
 これは東千歳駐屯地における第七師団創設記念式典でも見られた光景である。
IMG_0793 模擬戦闘が開始された。
 会場上空に観測ヘリが飛来する。観測ヘリは、目標を俯瞰でき、かつ発見が困難な樹海、尾根に身を隠し、特科部隊の戦闘に対して、目標の索敵、弾着観測等を行う。しかし、身を晒す時間が長ければ発見され、SAMによる攻撃を受けるばかりか、我が攻撃意図が露呈する恐れがあり、迅速俊敏が第一となる。これには瞬時の情景把握能力、そして機転が必要となる。
 尚、更に砲撃の正確性を高めるべく、特科連隊には対砲レーダーや音響観測装置、天候観測装置などを有する情報中隊が編成されているが、これは連隊本部が置かれている姫路駐屯地にある。
IMG_0818 観測ヘリが発見した目標の詳細を偵察すべく、偵察隊の87式偵察警戒車が前進する。意外に知られていないが、偵察隊は機甲科部隊に属している。
 偵察隊は名古屋市近郊の春日井駐屯地から駆けつけたもので、装輪装甲車の戦略機動能力を垣間見る事が出来た。
IMG_0829 発見した敵目標に対して、上空からAH-1S対戦車ヘリが攻撃を加える。夜間作戦能力も有する専用攻撃ヘリは、数千メートル(TOWの場合3750㍍)先から正確に攻撃を加える事が出来、搭載する20㍉機関砲は最も薄いとされる戦車の上部装甲、そして装甲車に対してはてきめんの効果を上げ、3.75inロケット弾はまさに飛行する砲兵としての地域制圧能力を有する。
 後継にAH-64D戦闘ヘリが選定されたが、高価格から配備は遅々として進まず、暫くは写真のAH-1Sの時代が続こう。
IMG_0833 猛スピードで増援に駆けつけたFH-70、牽引する73式大型トラックが泥土を跳ね上げつつ進入する。
 なお、トラックでは不整地突破能力に限界があり、空挺部隊ではないので牽引車輌に重量上限は無い。かつての73式牽引車ではないが可能ならば、重装輪回収車のような大型車体の牽引用への転用が望まれる。
IMG_0849 増援を含め六門の特科部隊が榴弾砲により目標を制圧する。長径55㍍、短径45㍍の地域を制圧可能な155㍉砲弾は露出する人員、車輌、物資を破壊し、貫徹弾を用いればコンクリートなどで出来た重目標の破砕も可能となっている。
IMG_0854
 目標に直接攻撃を加えるべく、74式戦車3輌が進入する。倉庫群の隙間から現れる戦車部隊はあたかも都市型戦闘を髣髴とさせるものである。
IMG_0865 油気圧式懸架装置により車体形状を変化させる74式戦車。74式戦車は射撃指揮装置にコンピュータを搭載し、避弾経始を重視した防弾鋳鋼の砲塔といった誇るべき特色があるが、やはり最大の特色は油気圧式懸架装置による姿勢変換能力で、上下左右に±200㍉の変更が可能である。これによって地形を最大限に活かし戦闘を遂行する事が可能となった。第四次中東戦争では、T-62、T-72といったソ連製戦車の多くが仰角俯角を行う事が出来ずイスラエル軍のM-60やベングリオン戦車に一方的に敗退した事を考えれば有用な装備であるといえよう。
IMG_0884 空砲が沸き上げた白煙の中から、74式戦車の精悍な車体が浮かび出てくる。目標の直前まで肉薄し、模擬戦闘は終了した。
 なお、蛇足ながら、今回の模擬戦闘は二箇所の銃座に展開した歩兵四名であった。オーバーキルのような感じもする。可能ならば、来年度は仮想敵に装甲車、可能ならば鉄板で他の戦車に偽装した74式戦車を用いての戦車戦闘を期待したい。他に、空からの攻撃の脅威が進む中、空砲で掃射するヘリを戦車が搭載する重機関銃での撃退という展示なども盛り込んでは如何だろうか。
IMG_0889 模擬戦闘の最終局面。
 目標に肉薄した戦車も前に敵部隊は玉砕か降伏を余儀なくされた、こうして大団円の内に模擬戦闘が終了し、停止した戦車部隊上空をヘリコプターが通過する。
IMG_0898 模擬戦終了後、北陸地方に進出していた低気圧と前線の関係で会場は豪雨に襲われた。豪雨の中で操作人員無きまま置かれるFH-70榴弾砲が、同部隊の解散を髣髴とさせもの寂しい。
 幸いにして豪雨は模擬戦闘終了直後であった、あと五分ずれていたらば、突然の豪雨に雨具だ傘だ、雨宿りだ、と観客席は大混乱となっていただろう。
IMG_0911 豪雨の中装備品展示の為に着陸を強行するAH-1S、時間をずらしOH-6も着陸したが、ローターが巻き上げる水滴が全てを物語っているが、豪雨の影響で戦車がキャタピラにより蹂躙したグランドは泥濘と化して、誰も近寄らず。今まで多くの機会でAH-1Sを見学したが、一般公開の機会で全く見学者が居ないというのは初めての経験であった。
IMG_0925 大隊本部管理中隊所属の60式装甲車。428輌が配備されたが現役にあるものは多くは無い。写真は会場からモータープールを撮影したもので、少なくとも10両ほどを確認する事が出来た。後継には73式装甲車か、96式装輪装甲車が充てられよう。なお、豪雨のなか、上部扉を開放していたが、大丈夫なのだろうか、迷彩塗装に部隊マークも明確に確認でき、銃架もそのままで、廃棄されたものには見えないのだが・・・。
IMG_0942 豪雨の中の装備品展示。奥の塔にIMADUの文字が確認できる。恐らく来年度は姫路駐屯地か豊川駐屯地からFH-70が駆けつける事となろう。また、福知山から第七普通科連隊の軽装甲機動車が駆けつけていた。なお、第三師団には今年から軽装甲機動車の配備が始まっている。
IMG_0949 今津は、JR湖西線で一本。敦賀・福井方面、京阪神、名古屋からは充分日帰圏内にある。
 駐車場も豊富で、戦車饅頭、そして名産である枝豆を偽装材よろしくまとって見学している人も居た。岐阜市からは自動車で一時間半。中部方面隊管区において戦車部隊を見るならば今津である!

 HARUNA

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富士・今津掲載予定

2005-10-27 19:54:41 | 北大路機関 広報
 北大路機関の広報についてです。
IMG_0386 今年度の富士総合火力演習、既に掲載しました前段演習に引き続きまして、後段演習の詳報を間もなくお伝えいたします。
IMG_0595 今津駐屯地詳報に関しましても今しばらくお待ち下さい。約80輌の74式戦車と8門の榴弾砲が繰り広げる壮大な観閲行進、そして戦車部隊ならではの模擬戦闘をお楽しみに。

 なお、小生は十一月三日には入間基地航空祭、十一月六日には岐阜基地航空祭に展開予定です。加えて、可能でしたらば靖国神社、また撮影が可能かは別としまして市ヶ谷の防衛庁に用がありますので、旧大本営の保存施設も撮影できましたらば掲載を予定しております。

 HARUNA

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第十師団創設43周年記念式典 詳報

2005-10-26 20:00:19 | 防衛・安全保障
 陸上自衛隊第十師団の創設記念式典が愛知県名古屋市の守山駐屯地にて行われた。
IMG_3620 第十師団とは、中部方面隊隷下にあり、東海北陸地方の陸上防衛と災害派遣任務に責任を負っている。
 隷下には第33普通科連隊(久居)、第35普通科連隊(守山)、第14普通科連隊(金沢)に加え、2004年度には第49普通科連隊(即応予備)が新設され、甲師団へと改編された。
IMG_3643 結果、人員は9000名となり、戦車や特科火砲も増強され、対戦車中隊の普通科連隊隷下への新編、新型迫撃砲の導入、後方支援連隊の改編、化学防護隊の独立などの改編がなされている。
IMG_3673 式典に当たって、師団長の大箱芳文陸将は、今年五月に実施されたイラク復興人道派遣任務の完遂を祝うと共に、新しい脅威に臨み、よりいっそうの部隊精強化と練度維持を求め、式典は観閲式へ移行した。
IMG_3706 観閲行進は、小銃を担ぎ整然と行進を行う普通科隊員から開始された。89式小銃に加え、後方の隊員は5.56㍉機銃MINIMIを携帯し観閲行進に臨んだ。
IMG_3723 音楽隊の奏でる行進曲のテンポが上がると共に車輌行進が開始される。折からの強風にのせられ会場には小雨がぱらついたが、勇壮な車輌行進の前には何の障害ともならず偵察隊から行進が開始された。
IMG_3739 観閲行進では、今や第十師団の主力装備となりつつある軽装甲機動車も一個中隊参加をした。軽装甲機動車は、既に隷下にある全ての普通科連隊一部中隊に配属されており、高機動車と併せ相当な能力が期待される。他には93式近SAM、81式短SAMといった高射装備や、対砲レーダー、天候観測装置、榴弾砲FH-70、各種施設装備に続き、戦車の行進が行われた。
IMG_3822 式典の最後は、祝賀飛行が飾った。UH-1Jを先頭にOH-6二機、そして明野の航空学校から飛来したUH-60JAとCH-47JAが上空から創設記念式典を祝賀した。
IMG_3845 さて、観閲飛行の後は、模擬戦闘(訓練展示)が実施された。写真のFH-70榴弾砲はAPUにより自走が可能で、砲の周囲を戦闘防弾チョッキに身を固め油断無く64式小銃を装備する特科隊員が不意の会敵に備え警戒している。
IMG_3858 訓練は、七階建ての高層ビルがテロ分子により占拠されたという想定で行われ、テロ分子は小銃を手に窓からリペリング降下により進入した隊員により瞬く間に制圧、人質は救出された。
IMG_3869 しかし、制圧したのも束の間、有力な敵勢力が装甲車を伴い反対側の建造物群を占拠、これに対し偵察オートバイが果敢な偵察行動を展開する。偵察隊員も戦闘防弾チョッキを着用している点に注目。
IMG_3880 偵察隊の索敵により判明した目標に対し、特科部隊の155㍉榴弾砲が火を噴く、瞬時に敵周辺は擬爆筒の白煙に包まれ、制圧という想定になった。しかしながら、敵部隊は装甲車から重機関銃を発砲し大胆にも我が特科部隊に肉薄を試みる。
IMG_3893 こうした目標に対して、進出した我が74式戦車が砲撃を加える。戦車の出現にたちまちの内に敵装甲車は沈黙し、装甲車を失った敵部隊は後退を開始した。
IMG_3913 戦果拡大を期して我が普通科部隊は突撃に移行する、高機動車を降車した隊員を軽装甲機動車が機関銃により支援、軽装甲機動車からも扉を盾として小銃射撃を敢行する。如何に近代兵器が発達しようとも戦闘は普通科隊員によってのみ決着がつけられる、こののち普通科隊員は敵部隊の潜伏する建造物に突入しこれを制圧した。
 以上、状況終わり。
IMG_3938 さて、模擬戦闘が終わり式典の行事も全て終了した。そして装備品展示が開始され、戦車・装甲車、そして発煙器3型や榴弾砲、通信可搬車といった装備品に訪れた市民は興味深く見入っていた。
IMG_4031 またモータープールには多くの車輌が整備され、有事即応を有言実行たらしめるべく、日々怠り無い備えが積み重ねられていた。
 会場は名鉄瀬戸線守山自衛隊前駅から徒歩五分、来年度は皆さんも足を運ばれては如何だろうか?

 HARUNA

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30口径機関銃の再認識

2005-10-21 19:14:35 | 防衛・安全保障
 陸上自衛隊では、現在、普通科部隊の装備する機関銃を22口径に統一すべく調達を継続中である。
 しかし、30口径機銃を新規に調達する必要があるのではないかとの立場から、議論を展開したい。
IMG_0620 22口径とは、0.22吋、即ち5.56ミリ口径を意味し、SS109規格の小銃弾を発射する機関銃は分隊支援火器に位置付けられる。
 写真の5.56ミリ機銃MINIMIは、89式小銃と同じ弾薬を使用可能という点で、利点としては補給体系の効率化が挙げられる。
IMG_0318 このMINIMIは、ベルギーのFN社製で米軍にも採用された高性能な装備ではあり、同時に軽装甲機動車の主要車載火器として用いられている。
 しかし、M-16小銃の16倍の火力を有するというMINIMIも、使用弾薬は22口径であり、より大型の30口径弾には威力は劣る。弾丸自体の破壊力をジュールで現すと5.56ミリ弾SS109は、7.62ミリ弾308よりも大きいとされるが、弾薬自体の重量が小さい為、射程距離が500㍍ほど小さくなってしまう。
IMG_0954 さて、代替され退役が進んでいるとされる62式機関銃であるが、30口径で、ガス圧方式のスペック上は優秀な機関銃として導入されたが、軽量化を重視しすぎ10.7kgと同規模の機関銃としては軽量な部類に区分されるも、軽量化が本体の構造を華奢なものとし、部品点数の多さが作動不良を著しく増加させる結果となった。この代替としてMINIMIが採用された訳である。
IMG_2242 しかしながら、威力の大きい30口径機銃の需要は今後増大する事が予測される。即ち、市街戦や閉所戦闘においては、火砲からの直接掩護が受けにくく、ここで使用されるのが機関銃となる。
IMG_2434 射程が実に1700㍍に達する30口径機銃は、22口径弾では貫通不可能な外壁部分を貫通し、また、閉所戦闘に多い突発的戦闘の際には、多少の距離を空けていても有効なかく乱射撃が可能である。加えて、徹甲弾などが用意されており、暫定的に装甲目標を抑える能力も期待できる。
IMG_0442 一方で、こうした理論展開を行うと、必ず50口径、つまり12.7㍉重機関銃により任務を代替すればよいとの意見が生じる。
 二発胴に命中すれば千切れるという強力な機関銃であるが、現用のM-2にしても改良型のM-3にしても重量が大き過ぎ、あくまで、陣地用若しくは車載用である、何より普通科部隊と共に第一線で携行するには弾薬も本体も重く、限界がある。
IMG_2447 加えて、30口径機銃は、74式車載機銃として戦車や偵察警戒車、装軌式装甲車の同軸機銃に採用されている。50口径機銃を同軸に用いているのはフランスのルクレルク戦車と、外装式で同軸としているイスラエルのメルカヴァ戦車しか見当たらず、陸上自衛隊も同軸機銃は今後も30口径機銃を運用していく事となろう。
 こうしてみると、普通科部隊に30口径機銃を装備しないことで弾薬体系の簡素化と効率化が可能となる理論展開は成り立たなくなる。
IMG_0817 従って、普通科部隊に新規に30口径機関銃を装備することも検討してもいいのではないか、と私は思うのである。

1129795405458s さて、話は変わり、昨日、北海道警と陸上自衛隊の間で初めての共同訓練が真駒内において実施された。ゲリラ部隊がわが国に浸透し、警察力では対処が困難となったことを想定し行われた。
 加えて、本日、五万人が犠牲となったパキスタン大地震に対応し、既に3機のUH-1多用途ヘリが派遣されているが、加えて更に3機の多用途ヘリを派遣すべく小牧基地から入間基地へC-130H輸送機が発進した。
 まさに、自衛隊は変革期にあることを印象付けられるといえよう。

追伸:はるな は、週末、守山駐屯地における第十師団創設記念式典に展開いたします。みなさんもお時間がおありの方は言ってみては如何でしょうか。

次いで事務的な話、北大路機関は当分、更新を毎日行うのではなく、水曜・木曜・金曜の週三回を基本として展開してゆきたいと思います。奮ってコメントなどをお書き下さい♪

 HARUNA

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UH-Xに関する一考察

2005-10-20 11:59:50 | 防衛・安全保障
 現在、陸上自衛隊には生産中ものも含めAH-64D戦闘ヘリ×4 AH-1S対戦車ヘリ×89 OH-1観測ヘリ×18 OH-6観測ヘリ×162 CH-47J/JA輸送ヘリ×50 UH-60JA多用途ヘリ×23 UH-1J/H多用途ヘリ×158 のヘリコプターを運用中である。00280014 これらのヘリコプターは、師団飛行隊と方面ヘリコプター隊、そして長官直轄の第一ヘリコプター団に配備運用されている。
IMG_1349 しかし、現在、事実上の主力となっているUH-1Jの出力不足が指摘され、陸上自衛隊では後継ヘリコプターの必要性を提唱している。UH-1Jとは、対戦車ヘリコプターにも用いられているT-53-K703エンジンを運用し、従来のUH-1Hと比して出力を向上させた点が大きな相違点である。
IMG_0274 UH-1Hとの相違点を他に挙げると、外見では機首部分の丸み、内装では夜間航法支援装置やIR警報機の装備等が挙げられ、総合的には著しい能力向上が為されている。
 しかしながら、携帯SAMなどの性能が著しく向上した現在戦闘では、更なる高い能力が必要である。IMG_0304 1998年から、夜間飛行能力と1662馬力×2の強力なエンジンを搭載し、若干の防弾性能を付与したUH-60JAの調達が開始されたが、調達価格が35~48億円と非常に高価であり、調達は年間数機程度で遅々として進んでいない。FH010032 海上自衛隊では哨戒ヘリコプターSH-60Jと最新のSH-60K計96機が配備され、主力ヘリコプターとして護衛艦搭載や、陸上基地から運用が展開されている。IMG_1111 加えて、航空自衛隊と海上自衛隊で、救難ヘリコプターとしてUH-60JAが約40機運用されており、いわば生産ラインは充分維持されている為、陸上自衛隊に対する少数長期調達が為されている訳である。だが、12億円程度のUH-1Jと比して如何にもこれは高価であり、残念ながらUH-60JAに完全大体できる見通しは全く無い。
 これに対して現在考えられているのは、UH-1を生産する富士重工が、独自にUH-1の近代化改修を行う方式であり、この方式はUH-1Jへの能力向上で既に前例がある。PANZER誌などでの報道において、想定されているのはUH-1Jの双発化である。FH000031 しかし、旧師団編成では師団飛行隊に対しては10機程度のOHを弾着観測用に配備していただけであるのに対して、95年大綱改訂から続く陸上自衛隊改編の一環として師団飛行隊へのUH配備が急速に進む中、特にUHの不足は将来的に否めない状況である。
IMG_2457 価格上昇を事由に調達が遅々として進まない装備には、UH-60JAと並んで観測ヘリコプターOH-1がある。映画『戦国自衛隊1549』では大活躍の後アッサリ撃墜されたOH-1であるが、1996年初飛行、高い機動性と総合型索敵サイトの採用、空中戦能力の付与という高性能を追求した結果価格は24億円となり、配備は18機に留まっているのが現状である。
IMG_0807 対して、更新すべきOH-6の機数は約160機に達し、とてもではないが完全代替は不可能である。
 考慮すべき点としては、UH-60JA、OH-1といった装備は、前者は方面ヘリコプター隊での直轄運用、またOH-1に関してはAH-64Dとの共同運用と、方面ヘリコプター隊に配備し方面特科部隊のMLRSの支援運用などに限定するのが唯一の道のように思える。
IMG_2834 また、師団配備のOH、UHに関しては、UHは富士重工による改修案を期待しつつ、同時にOH-6の発展的運用を可能にする装備を模索するべきである。例えば、写真の川崎BK-117は、ユーロコプター社との共同開発、軽装備人員11名を輸送可能であり、ユーロコプター社ではHOT対戦車ミサイルや索敵サイトを搭載した軍用型を提示、また日本でも道府県警飛行隊、警視庁航空隊などで運用される他、ドクターヘリとしても運用されている。
 また、25~35名程度を輸送可能な、国際共同開発のS-92(日本も開発に参加)、また海上自衛隊が砕氷艦搭載用に、また掃海ヘリとして採用されるものである。
00120025 これら二機種は、アメリカ海兵隊で運用中で老朽化が進むCH-46(航空自衛隊で運用中のV-107救難ヘリと同型)の後継にも候補として挙げられている。
 防衛大綱改訂以降、わが国は多様化する脅威に対応しつつも、緊縮財政という課題に向き合う必要性が高まっており、生産メーカーの変更など、可能な範囲内において考慮に入れる必要がある。従って、様々な選択肢から最良かつ柔軟な決定を下す必要があり、ここに幾つかを提示した次第である。

 HARUNA

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大型輸送機導入に関する一備忘録

2005-10-19 17:51:57 | 防衛・安全保障
 パキスタン大地震に関連して、わが国も航空自衛隊を人道支援のために派遣した。IMG_2851 小牧基地航空祭の前日に生起した地震に対しての派遣であり、航空自衛隊の即応性を垣間見た次第である。
 今回の派遣において特筆すべきは、陸上自衛隊第五旅団(帯広)の中隊規模の人員に加え、陸上自衛隊北部方面ヘリコプター隊のUH-1Hが派遣された事である。IMG_0274 UH-1Hは、陸上自衛隊で初めて導入されたタービンヘリUH-1Bの改良型であり、現在は最新型のUH-1Jが富士重工により生産、納入されている。なお、今回はUH-1HをC-130H輸送機に搭載して海外派遣となった。
 昨年のインド洋大津波では、派遣された陸上自衛隊のUH-60JA三機は、海上自衛隊の『おおすみ』型輸送艦に搭載されていた。FH030028 しかしながら、パキスタンのような内陸部への派遣任務には支障を来たす事はいうまでも無く、また艦船では速力に限界があることは否めない。従って、今回は輸送機による空輸となったわけである。
 ここで、考えなければならないのは、『おおすみ』型もそうであったが、C-130Hにより空輸の際にはヘリコプターのローター部分を取り外す必要があり、到着後飛行開始までに7時間程度を要するという事である。空輸のばあいは、米軍のCH-53ヘリ空輸にもローターを取り外している。結果、C-130Hに関しては致し方ないが、艦船に関してはエレベータの改修などによりヘリコプター搭載能力の拡充充実が望まれる(もしくは折畳式ローターのヘリを導入する等)。
IMG_3194 閑話休題、今回の派遣に際して、大野防衛庁長官より発言があったのが、大型輸送機の導入である。
 具体的な機種名は出されていなかったが、これは現在川崎重工において開発を進めているC-X以外のものを示すと見られている。
 中古機として導入が想定されているB-767輸送機の貨物型やC-17輸送機などが考えられるが、ここで感が無ければならないのは、C-1後継機としてではなく、新規に導入が必要という事だ。IMG_3162
C-17の搭載量はC-1とは比較にならないほど大きくオーバースペックであり、入間・美保の飛行隊に分配するには少なくとも24機が必要となる為、コスト的には見合わない可能性がある。なお、中古機の導入に関してはC-130Hの15号機の事例もある。
c-17 ここで、可能性として考えるべきは、イギリス空軍のようにC-17輸送機を借用する案である。イギリス空軍は5機のC-17輸送機をレンタルという方式で運用しており、航空自衛隊も緊縮財政下であり、あえて導入ではなく借用も道を模索するのはどうであろうか。
 無論、返還の際に、一種の武器輸出と見做される恐れがあるが、これは解釈で対応可能である。

 HARUNA

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小牧基地航空祭 詳報

2005-10-14 02:21:33 | 防衛・安全保障
 10月9日、愛知県小牧市にある航空自衛隊小牧基地において、航空祭が実施された。IMG_2829小牧基地には第一航空輸送隊や第五術科学校、そして小牧救難隊などの部隊があり、特に国際平和維持活動や国際人道支援派遣に欠かせない輸送機C-130Hがわが国で唯一配備される航空基地で、15機が配備されている。
 この他には、航空管制の支援などの教育を行う第五術科学校が運用するT-1練習機が保有航空機として特筆すべきだろう。IMG_2816T-1練習機は、わが国が第二次大戦後初めて国産開発したジェット練習機で、半世紀近くにわたって、航空搭乗員の練成や航空管制の支援、技量維持に当たってきたが、今年度中に全て退役する予定である。
IMG_2911 T-1練習機の展示飛行には、二機が離陸し、タッチアンドゴーや宙返り、急上昇などを展示し、一見F-86のような外見を持つT-1の、F-15やT-4とは異なる滑らかなフライトが印象的であった。
 また、小松基地航空祭に引き続き、築城基地の第五航空団より、F-1支援戦闘機とT-2練習機が駆けつけた。F-1支援戦闘機は、1977年より部隊配備が開始された日本初の国産超音速支援戦闘機であるが、T-1と同じく、今年度中に全機用途廃止となる予定だ。IMG_2821 空対艦ミサイルASM-1を運用する有力な支援戦闘機として期待され、搭載するアドゥーアエンジンの出力不足に悩まされながらも、新型のF-2支援戦闘機に座を譲りつつある。小牧へは、岐阜基地の開発飛行実験団のF-2が駆けつけ、F-1とF-2という貴重な集合写真を多くの観客がカメラや脳裏に納めていた。
IMG_3092 この他には、浜松基地と三沢基地より駆けつけた空中早期警戒管制機E-767と、早期警戒機E-2Cの貴重なツーショットを見る事が出来た。いうまでもなく、E-2Cは1979年のMiG-25函館亡命事件を契機に防空能力向上の観点から導入されたもので、E-767は、防衛予算に余裕の出来た時期にE-2C以上の性能を有する機体を、ということで開発された機体である。それぞれ、E-767が4機、E-2Cが13機配備され、全国の防空警戒任務に就いている。
IMG_2847 小松基地より飛来したF-15Jが、小松基地航空祭の際と同じように格納庫内で一般公開されていたが、その奥にはC-130Hが置かれている。小生には実感が余り湧かなかったが、同行した航空技師の友人が言うには、さすがはC-130Hの格納庫だけあって、天井が高い、ということだ。
IMG_2892 基地防空隊は、小松基地のようにVADSや81式短SAMを展示していたほか、岐阜基地より第四高射群第15高射隊のペトリオットミサイルが一式展示されていた。射程約100kmの地対空ミサイルであるが、破片効果により目標を撃破する方式は対航空機には有効ではあるが、弾道ミサイルに対しては必ずしも万能ではない為、射程を15kmとし、直撃方式で撃破するPAC-3型の配備が決定している。
IMG_2851 また、C-130Hの機内展示も行われ、あたかも邦人救出に飛来したC-130Hと難民のような様相を呈していた。なお、緑色迷彩は、低空飛行する場合の迷彩効果を重視したもので、逆に青色迷彩は、イラクなどでSAM脅威がある地域において螺旋状に降下するスパイラル降下を行う際に迷彩効果を高めるために為されたものだ。
IMG_3022 救難展示には、U-125救難機二機とUH-60JA二機が見事な連携を見せていた。写真では、二機の救難ヘリの間に一機、奥に一機U-125が写っている。同機は、航空自衛隊以外に海上自衛隊でも救難ヘリとして運用されており、陸上自衛隊では人員輸送用に運用されている。救難用器具を落下傘降下させた後、ヘリコプターから救難要員が降下、救助するという一連の展示を行った。IMG_3047 小松救難隊の青を基調としたロービジ塗装とは異なり、要救助者から視認性が高い救難機塗装となっている。これは日本海沿岸という小松基地、そして太平洋沿岸という小牧基地の地的背景が反映されているのだろう。
IMG_3069 救難と関係して、災害派遣任務に関する展示が行われた。
 これはCH-47J輸送ヘリコプターによる空中放水の様子で、6~8tの水を一気に放出し、森林火災に対して有力な効果を持っており、毎年のように発生する四国や山陰、中国地方での森林火災へ出動している。また、3年前に発生した岐阜市近郊においての森林火災への活躍も、記憶に新しい。
IMG_2957 さて、最後の飛行展示である災害派遣展示を行うべく、C-130H三機が続々と離陸してゆく。川崎重工C-1輸送機には劣るものの、世界有数のSTOL性を有するC-130は、米軍の記録では車輪を出さず強行着陸し装備を下し、車輪を油圧で出して発進するという強行輸送をヴェトナムでは何度と無く実施している。IMG_3097 災害現場を想定した15㍍四方の区画に救難物資を投下するC-130H、正確な物資投射能力を展示していた。この他、着陸しエンジンを回転させつつ、車輌を卸下する展示も行われ、航空自衛隊のワンボックスカーと73式小型トラックが飛び出した。IMG_3194 続いて着陸したC-130H二機が会場正面を通過すると、会場にはひと際強い疾風が飛んだ。しかし、エンジンを最大出力にすれば自動車一台、木の葉のように飛ばすだけの能力を秘めているという。
IMG_3230 展示飛行終了後、外来機の帰投が開始される。これはバイバイフライトといわれ、航空祭最後の見せ場として定評があり、1500時終了という事だが、1530時程度まで、申し訳ないと思いつつカメラを構え続けるファンは多い。IMG_3286 特に、F-1やT-2の帰投まで、多くのファンが名残惜しそうに列線を敷いていた。展示機は、E-767・E-2C・C-1・U-4・U-125・YS-11に加え、F-15J・RF-4・F-2・F-1・T-2、そしてT-3、CH-47、UH-60Jといった多数機が飛来しており、バイバイフライトは熱気に覆われていた。IMG_3330 しかし、小牧基地と県営名古屋空港の関係がよくないことは特に周辺住民であれば周知であろうが、反対デモも出ていた。他に、終日逆光であるのには閉口した。写真はF-1のバイバイフライトではあるが、可能ならば名古屋空港の見送りデッキから撮影できれば、順光の理想的な写真が撮れよう。

IMG_2902 さて、航空祭とは若干視点を変え、写真を掲載したい。
 小牧基地は輸送機の基点であるから、自衛官を輸送する場合もあり、こうした電光掲示板も、また待合室も設けられている。待合室は、体験飛行などでご覧になった方も多いと思うが、電光掲示板は、小生も初めて見たものであり、ここに掲載した。
IMG_2936 写真は着陸するT-1練習機、しかし注目して欲しいのは、背景にある電波塔、これは名古屋の中心繁華街、栄にあるテレビ塔である。他に名古屋駅前にあるツインタワーやトヨタビルも観る事が出来、小牧ではあるが、対面にあるのは名古屋空港であるという実感がああった。尚、今日、県営名古屋空港は小型機とチャーター機用になっており、小型機とボーイング747も接続可能な国際線ウイングが共存するというシュールな光景も見る事が出来た。
IMG_2806 以上が小牧基地航空祭の詳報である。
 名鉄小牧線牛山駅から徒歩五分、走れば三分。小牧線と地下鉄は接続してあり、交通は便利である。例年の観客動員は小松基地や岐阜基地航空祭の半分程度の6~8万人、ブルーインパルスが飛行展示を行わない場合は観客数に影響があり、写真撮影を行いたい場合は観客が少ないほうが好都合といえよう(それでも、あの富士総合火力演習の2~3倍だが)。
 屋台も盛況で、焼肉・たこ焼き・ビールにフランクフルト、秋でもカキ氷に加え、なんとパスタの屋台まで出ていた。
 皆さんも、来年は足を運ばれては如何だろうか?

 HARUNA

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阪神基地隊見学 詳報

2005-10-13 23:43:23 | 防衛・安全保障
 阪神基地隊を述べる前に、海上自衛隊掃海部隊に関する説明を行いたい。IMG_2705

 大日本帝國最後の年となった昭和20年、本土決戦の準備を着々と進める日本に対して、連合国側は、海上封鎖による食糧供給の断絶を通してわが国の継戦能力を削ぐ観点から、航空機や潜水艦による機雷敷設を展開し、実に12000個もの機雷が近海に敷設、わが国の船舶被害は終戦までの四ヵ月半で、670隻(140万トン)が被害に遭った。
 また、本土決戦に備え、着上陸阻止の観点からわが国が敷設した55000個の機雷も所在が明確とはいえ、航行船舶には自動的に脅威となった。
 当然ながら、機雷というものは終戦後も機能を停止せず、平和の時代を迎えつつあるわが国にとり、浮遊機雷や遺棄機雷の存在は深刻な脅威であった。
 これに対して、GHQは陸海軍の解体を進める一方で、機雷処理にあたる掃海部隊のみの存続は許され、航路啓開業務を継続した。この事から、現行の海上自衛隊掃海部隊はほぼ唯一断絶を経験せず海軍からの伝統を受け継ぐ部隊として知られる。
 また、殉職者一名を出した朝鮮戦争への掃海部隊派遣も忘れてはならないだろう。
 昭和28年末までに、機雷による被害は166隻、20万トンに達し、人的被害も1300名と看過できない被害を生んでいる。こうした中で、わが掃海部隊も15隻が損傷、77名が殉職する中で任務を着々と続け、今日に至るまで、今尚発見される遺棄機雷を相手に任務を展開している。

 さて、このような実戦に磨かれた海上自衛隊掃海部隊だが、実は今日の神戸港でも二ヶ月に一回程度の割合ではあるIMG_2705
が、遺棄機雷が発見されている事はご存知だろうか、重要な商業港である神戸港は重点的な機雷敷設の標的となり、昼間のB-29による高高度偵察の後、夜間、天候に関わり無く空中から投下し、戦後六十年に至るも、今尚負の遺産は発見されるという。こうした問題に対処するのが阪神基地隊の主要任務の一つである。
 基地に入ると、掃海艇の一隻の煙突から熱気が上がっていた。所属する第42掃海隊は隷下に掃海艇三隻を有しているが、内一隻がエンジンを掛けているのはこの為で、機雷発見の報に即応できる体制が整っている事を知った。

 さて、呉地方隊の隷下にあり、阪神基地は兵庫県大阪湾沿岸から紀伊半島西岸、そして四国島東岸を任務範囲とし、その隷下に由良基地分遣隊、紀伊警備所、仮屋磁気測定所がある。これらは、艦艇は配備されておらず、直接の防衛力に寄与するものではないが、燃料や物資補給、そして対機雷戦闘に必要な磁気調整などを行う部署であり、間接的にわが国防衛力に影響を与えている。IMG_2697
特に神戸は東アジア最大の潜水艦造船所があり、二社がわが国潜水艦隊が運用する全ての潜水艦を建造している為、阪神基地の神戸港保安維持という任務は、別の意味でも重要である事が言えよう。

 こうした内容のレクチャーを受けた後、『うわじま』型掃海艇の『くめじま』(満載排水量570t)を見学した。海上自衛隊には、『はつしま』型(満載排水量550t)五隻、『うわじま』型九隻、そして最新の『すがしま』型(満載排水量590t)10隻がある。
 『うわじま』型は、『はつしま』型と比して、水中カメラを搭載したS-7掃海具を搭載した点が特筆され、中深度掃海・掃討能力を充実させている。
 海上自衛隊の掃海艇の最大の特色は、全艇が木製船体である事で、アメリカの『オスプレイ』級、イギリスの『サンダウン』級や『ハント』級、フランスの『エリダン』級、ドイツの『フランケンダール』級がFRPや非磁性鋼を用いているのに対して、触雷時の衝撃吸収性や音響ステルス性に優れた木製船体は、建造が非常に困難であり、漏水の原因となりうる。アメリカ海軍の『アヴェンジャー』級掃海艦も木造船体ではあるが、上からFRPを貼っており、日本の木造造船技術の高さを端的に知る事が出来よう。
 しかし、艇内での機関長からの質疑応答の中で、小型であるから、波浪が高い際にがぶると、スタビライザーが無い分だけ不自然な揺れはないが、やはり食事の時は丼飯にオカズをかけて、抱えるようにして食べなければならないという。また、木造であり、どうしても老朽化すると天井から日光が漏れてくるという事があるようだ。
 乗員は40名であるが、幹部はそのうち四名、まさに狭い所帯の中で海の男が磨かれるフネという様相だ。
 機雷掃海には、係維機雷という水中に浮かぶ機雷を、沈降器というカッターを曳航して切り離し、浮上した機雷を機関砲により処理する方式、浮標から音響を出し、音響機雷を誘爆させる方式、磁気を生じさせる装置により爆破する方式がある。
 加えて、機雷処分具S-7は、超音波映像装置と水中カメラにより機雷を発見し、カッターで切断し浮上させる、若しくは搭載する処分用爆雷を用いて破壊する方式がある。

 こうして、処分具や士官室、厨房を見学して掃海艇を降りた。
 さて、掃海隊群は、横須賀と呉に二個群あったものが統合されたが、これにより幕僚機構の大型化という利点、指揮系統の単純化という利点があることを聞き、護衛艦隊改革にも似た事が言えるという。
 このように、掃海艇見学と同時に、様々な質問が出来、実り多いうちに見学は終了した。
 次回は、潜水艦入港時などに再び訪れたいと思いつつ、遠いJR駅まで友人と徒歩で帰った。

 HARUNA

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阪神→小牧 短報

2005-10-12 16:05:59 | 防衛・安全保障
八日から九日にかけて展開した阪神基地隊見学・小牧基地航空祭観覧の短報をお伝えしたい。IMG_2753 阪神基地隊とは、呉地方隊の隷下にあり、兵庫県神戸市に基地を構え、紀伊半島西岸から四国島東岸にかけての地域の防衛に責任を持つ部隊で、阪神基地には第42掃海隊の掃海艇三隻が所属している。
 当日は、基地隊副長の藤田一佐より掃海に関する説明を受けた後、写真の掃海艇“ひめじま”を見学した。

 さて、翌九日は、長躯愛知県小牧市の航空自衛隊小牧基地に展開し、小牧基地航空祭を観覧した。IMG_2829 同基地には、第一輸送航空隊のC-130H輸送機、第五術科学校のT-1練習機、そして小牧救難隊のUH-60J救難ヘリコプターと、U-125救難機が配備されている。
 IMG_2836 また、当日は航空祭ということで多くの外来機があったが、特筆すべきは、浜松基地よりE-767空中早期警戒管制機が飛来していたことであろう。
 以上が、短報である。
 基地見学及び航空祭の詳報は事後、本ブログに掲載予定である。
 お楽しみに。

 HARUNA

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2005-10-11 22:58:40

2005-10-11 22:58:40 | インポート
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