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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】東寺観桜,真言宗根本道場に立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景

2024-05-09 07:00:14 | 写真
■寺院とさくら
 さくらの季節は四月中旬にはほぼほぼ閉幕しているのですがその情景は今思い返してもいとおしい。

 観桜の東寺、わたしは浅学にして当時にいつごろからここまでの桜並木が整備されたのかを知りません、いや実際拝観の際にゆっくりと春の木々を見ていますと椛もそう若葉の頃には先ず朱色を示す木々ですので桜並木だけではないと分かるのですけれども。

 禅寺を拝観してみますとあまり桜並木というものは植えられていません、金戒光明寺などは数本だけしかし三門の目の前の脇侍のように聳える桜の木々が印象的な三門ととられる情景や、そういえば三重塔もこの季節には墓地を隠すように桜は花咲くのですが。

 南禅寺も桜という印象が確かに植えられているのですけれども、数は多くなく東福寺などは幕府に要請して先ら並木を伐採して椛と変えてしまっていますし、大徳寺も、好きだったんだけどなあと思う最後の一本の桜が伐採されてしまったのはもう二十年まえ。

 東寺は密教なので桜をと説明するには密教が言うほど桜咲くところなのだろうかと思ってしまうのですが、昨今漸く色々読み物で学ぶようになりまして、考えれば当時に桜並木があるのは空海さんの影響なのだなあと、気づくようにはなりました。

 弘法大師空海、桓武天皇からここ東寺を託された。桓武天皇が空海と最澄を信頼していたというのは、これ歴史を見れば南都六宗の影響が強くなりすぎた故に平城京を廃都としたうえで長岡京に遷都した歴史があるのですが、官寺以外を平安京は認めない。

 東寺と西寺は、南都六宗の影響を隔てているものの国家宗教に当たる寄る辺を省くほど科学が振興していない時代故に必要な施策であったのでしょうけれども、此処に密教を入れたことは南都六宗への牽制と共に天台宗の影響をある程度分けたい背景があったか。

 空海さんはここに真言宗根本道場を開いたわけですが、ここで重視したのは高層建築物でも堂宇の広さでもなく、立体曼荼羅、密教の世界観の具現化です。空海さんは唐の蒼龍寺で灌頂を受けているのですが相当な努力と才能が有った故といえるもの。

 立体曼荼羅、空海さんは全国行脚とともに厳しい修行を経て、なにしろ富士山噴火の溶岩流さえ出会っているほど、修行の先に瞑想といいますか幻想といいますが経典に示された立体曼荼羅をある程度認識として共有できるほどに見えていたのだとおもう。

 大日如来を中心とする世界観、しかしこれを自分のような修行を経ていては日常生活と両立できないし、両立できないものだけでは国家運営は成り立たないという認識があったからこそ、立体曼荼羅、映画もCGもiPhoneもない時代に見られるようにした。

 桜並木というのは、講堂の堂宇に立体曼荼羅が二十一の仏像群とともに具現化されていて極楽浄土を醸すわかりやすい仏教観を示しているゆえに、仏教の極楽浄土の様な景観を、桜並木により、こちらも具現化したのだろうなあ、と考えるところでして。

 立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景、まさに仏教徒は、というものをわかりやすく見せられるものが日本のこの春の景色なのだろう、こう理解してみたわけです。つまりこの東寺というのは修行とともに、見てもらうための寺院、と。

 禅寺は修行のための寺院という事もあり、いや独立採算制を求められる政教分離で、とびぬけた資産家の少ない平等主義の日本においては拝観料収入というものが必要なのですけれども、なかなか観桜の名所足り得ないのでしょうが、東寺は、こうなのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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