北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【6】多国籍空挺部隊出動(2024-01-07)

2024-06-08 20:20:56 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■チヌーク大挙登場
 チヌークことCH-47輸送ヘリコプターが続々と習志野訓練場に出動しますと展望台のまえを大きく旋回し着陸態勢へ。

 CH-47輸送ヘリコプターが続々と飛来しました、C-130J輸送機が空挺降下可能な経路を飛行しつつそのまま航過したため、強風で降りられないらしいという事は分かったのですが、しかし自衛隊は降下したのに各国空挺部隊は降りれないとは、と思った矢先で。

 自衛隊航空はUH-60JA多用途ヘリコプターの調達失敗によるUH-1JのUH-60JAでの置き換え中断、OH-6観測ヘリコプターのOH-1観測ヘリコプター調達失敗による観測ヘリコプターの形式消滅、続いてAH-1S対戦車ヘリコプターも同様の道を辿る。

 AH-1S対戦車ヘリコプターのAH-64D戦闘ヘリコプターへの置き換えはミサイル防衛予算を捻出するために年間1機程度の調達鹿予算が確保できず62機予定を13機で打ち止めとし、富士重工との間で係争となり調達失敗、CH-47は例外的に調達できまして。

 輸送ヘリコプターは第1ヘリコプター団の航空機で、アメリカの第101空中機動師団に次いで大規模な空輸能力を持つヘリコプター輸送部隊、川崎重工においてライセンス生産することで、旧型のCH-47D相当ですがCH-47Gの三分の一程度の費用で揃う。

 ゴジラvsビオランテではV-107輸送ヘリコプターの大編隊が丹沢山地の防衛線へ輸送する様子が象徴的に描かれていましたし、ガメラ大怪獣空中決戦ではこれがCH-47の大編隊に置き換わり、言い換えればこの輸送ヘリコプターは自衛隊の象徴的装備なのか。

 これだけの輸送ヘリコプターの数を揃えるのは簡単ではなく、川崎重工での生産に感謝したいところですが、政府がやはり新型のCH-47Gに切り替えるべきとの英断の結果、製造ラインを組みなおしたことで製造費が三倍、F-35より高くなったのは記憶に新しい。

 CH-47Gは製造費が三倍になった事で、やっぱり国産は税金の無駄、と憤る方がいるようですが実はボーイングがドイツ陸軍に納入したCH-47Gと費用面では同程度で別段高くない、結局無理に最新型としたことで、普通の値段になっただけ、という。

 各国空挺部隊の登場だ、そう、空挺降下する予定でした参加各国の空挺部隊が続々とヘリコプターから展開してきました訳です。そう、これを待っていた、なにしろ日本では89式小銃しか見られない、C7カービンやL-85にFA-MAS,全部見れるわけで。

 FNCみたいな小銃持ってるぞ、AR-18っぽいな、SIG-550みたいなストックだ、と声が上がるのですが、わたしは一言、あれハチキュウのエアガンじゃないかな、と。とたん、周りが、言ってはならない事を言いやがった、と非難の視線が全周からとどく。

 ああ、そういうことか、流石に多国籍空挺部隊の参加といっても全員日本に小銃を持ち込むのは旅客機で来日する場合の税関とか難しかったので、自衛隊が閉所訓練教材として導入していました東京マルイの89式小銃エアガンを全員に持ってもらったのかあ。

 イギリス空挺兵とオランダ空挺兵が揃って89式小銃のエアガン、第16空中機動旅団と第11空中機動旅団、みんななかよくハチキュウを携行するというのは、時代も変わったものだなあ、と感じます。しかしオランダのボディーアーマー、軽快そうで羨ましい。

 各国空挺部隊の戦闘加入により仮設敵は撤退を強いられ状況終了となった、という感じ。展示演習は図上演習と違い勝利まで明確に示されている。しかしこれまさに連合国軍という印象で、時代も変わったものなのだなあ、としみじみ思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】中部方面混成団創設17周年記念行事【1】琵琶湖畔は大津駐屯地の記念行事開始(2024-04-27)

2024-06-01 20:14:00 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■大津駐屯地祭二〇二四
 大津駐屯地記念行事の様子を若干遅くはなりましたけれどもG3Xにて撮影しました写真にて紹介いたしましょう。

 第109教育大隊の自衛官候補生がややぎこちないが揃って整列するとともに、しっかりとした行進で第4陸曹教育隊の隊員たちが式典会場に入場しまして、そう、背景には東山の峰々が続くそのすぐむこうに京都の街並みが広がることに不思議を感じて。

 ここは大津駐屯地、陸上自衛隊中部方面隊の教育訓練における総本山というべき駐屯地が琵琶湖畔に広がり、そう、思えば白いマフラーの自衛官候補生たちは四月に入隊したばかりの、しかし四月下旬に自衛官候補生として初めての行事に臨んでいる訳で。

 中部方面混成団本部と第109教育大隊に第4陸曹教育隊が駐屯する大津駐屯地、西大津駅、いや今は大津京駅か、琵琶湖畔を走る湖西線の駅からは指呼の距離であるとともに、京都から京津線と石山坂本線を乗り継げば直ぐという位置に所在する駐屯地だ。

 指揮官入場、混成団とはいいますが、隊員教育と共に即応予備自衛官の教育訓練も担うことから、かつて第10師団隷下に在った第49普通科連隊、かつて第13旅団隷下であった第47普通科連隊を隷下に編入していまして、こうして式典には連隊旗二振り揃う。

 大津駐屯地祭、毎年、かつては五月中旬あたりに行われていまして、千僧駐屯地祭と大津駐屯地祭に大久保駐屯地祭という、京都市周辺の3駐屯地祭が行われますと、もうすぐ夏が来るのだなあ、と感じたものですが最近大津は四月下旬に駐屯地祭が行われ。

 駐屯地は琵琶湖畔に位置するのですが、それはこの敷地が元々は海軍大津航空隊の水上戦闘機強風の訓練基地であった歴史を経ていまして、しかし会場は琵琶湖が見えるところではなく東山の峰々を背景に、そう、ここからだと近江神宮の方角を向いて。

 部隊旗入場、大津駐屯地は航空隊跡地ということで案外と広い、そして会場も広いのですが一般開放される場所が限られていまして、撮影する場所は何処が良いのかということを考えると、ここだ、という王道の一角が実は無い難しい駐屯地でもある。

 桜並木の、この日は曇天でしたがかつて五月中旬に駐屯地祭が行われたころ、直射日光で友人がもう危険なほどの日焼けとなってしまいましたことがあるのですが、そのころから観閲行進は、桜並木が式典会場に沿って続き、ここから撮ることとしています。

 直射日光、自衛官候補生たちは四月に入隊して若干の訓練を経て四月末に行事というのは大変なのですけれど、しかし五月中旬に行事が行われていた頃は直射日光の熱中症で少なくない候補生が失神し倒れて搬送されていましたので、あれはあれで、と。

 第109教育大隊が部隊紹介に併せ中隊旗の敬礼動作を執り行う。今年は曇天で、少しあつさを感じるのだけれども熱すぎることはなかったので良かったなあ、と暑いよりも熱いというこの数年の春の高温を思い出しつつ、少し減った参加部隊をながめて。

 第2教育団、と中部方面混成団が呼ばれていた時代には、教育大隊は大津の第109教育大隊に加えて善通寺の第110教育大隊、もともと第2教育団本部は善通寺に在ったのが第2混成団創設に併せ大津に移駐した、昔はその2個大隊が式典に参加していた。

 自衛官にも働き方改革の時代が来たのだろうか、指揮官訓示のはじまりとともに式典参加部隊が減っている概況をこう思ったりしました。しかし年次行事を行わないわけにはいかない故に、こう、規模を縮小させるほかないのか、とも思ってしまうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二四【3】近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊(2024-03-16)

2024-05-30 20:01:12 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■堂々の艦隊出航
 高田港からこの高台までは兎に角毎年のようにこんなに上り坂きつかったかと思う苦労が有るのですが、近海練習航海部隊と外洋練習航海部隊が動き出すとともにこの撮影位置に陣取ってよかったと思う。

 かしま出航、続いて護衛艦さわぎり出航とつづいています。超望遠ズームレンズの特性というべきなのでしょうか、かしま、さわぎり、全長ではあまりかわらない大きさなのですがレンズの圧縮効果により護衛艦の方がかなり大きく見えていますね。

 さわぎり、かしま後方にはいりまして単縦陣を構成してゆきます、江田島基地の幹部候補生学校では、そうこの撮影位置からは4kmちかく離れているのですが、多くの見送りに並ぶ、教官と家族の方でしょうか、人垣がここからでも確認できるほどの賑わい。

 艦隊出航、この数年で艦隊出航におけるおおきな課題はヲタ船とよばれる好事家のチャーター船による航路妨害でしょうか、このために単縦陣でも急制動をかけることがありますので、さわぎり航行がちょっと離隔に留意している航跡がみえてしまうのです。

 幹部候補生学校を背景に、2隻の艦艇とともに。撮影位置を考える際に難しいのは単縦陣をうまく構図にいれることで、それは必ずしも標高の高い場所で撮影することは最適解ではないのかもしれませんが、低い撮影位置では、ヲタ船が紛れ込んでしまう。

 うらが出航、海軍兵学校校舎を背景に掃海母艦がゆっくりとうごきだします、海軍兵学校校舎ですので軍艦を模した校舎の設計となっていまして、実際に戦艦陸奥搭載の41cm艦砲が海を向いている様子がはっきりとみえまして、これが生きている歴史、と。

 海軍兵学校校舎、毎年といいますか毎日一般公開されている幹部候補生学校校舎なのですが残念ながらこの卒業式の一日は関係者のみの公開となっています、けれども。今年は此処撮影位置まで例年通り広島からではなく呉から江田島にわたり、ここに至る。

 呉からここ高田の撮影位置まで、路線バスにて江田島基地のまえをとおりましてそして出航準備を行う艦艇を車窓からみたのですが、陸上からみているのですよ、それでも、こんなに大きいのか、と舞鶴の岸壁でみるよりも存在感を大きく感じ不思議でした。

 うらが、さわぎり後方から続きます。圧縮効果とかいろいろ説明しましたが、うらが満載排水量は7200tありまして、あさぎり型護衛艦である護衛艦さわぎり満載排水量は5900tですので、実感するのはやはり掃海母艦は母艦というだけあっておおきいなあ。

 単縦陣、近海練習航海部隊3隻が並んだ様子です。ここに外洋練習航海部隊の1隻がくわわるのですが、ヘリコプター搭載護衛艦が練習艦隊旗艦を臨時でつとめていた年度の出航は、後ろにもう少し護衛艦型の参加艦艇が並び、なかなかに壮観だったもの。

 くらま、練習艦隊臨時旗艦に出航したときなどは、はつゆき型、あさぎり型と一昔の護衛隊群をおもわせる編成でした。いせ近海練習航海参加のときはもっと期待したのですが満載排水量19000tは江田内には大きすぎたのか呉基地で待機だったのは残念でした。

 むらさめ、動き出したのが見えました、こちらが外洋練習航海部隊を構成する一隻のみの護衛艦でして。しかし部隊を名乗るからには、ここにもう一隻、護衛艦でも訓練支援艦でもなんでもいいから加わってほしいなあと思うのは、わたしだけなのだろうか。

 江田内から広島湾にむけて、かしま、ややゆっくりとですが確実に進路を進めています。写真に仕上げるとながながとしていても、実はすばらしいと納得できる構図は一瞬でもあるので、カメラを構え続け、三脚持ってくるべきだったかと今更気づくのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】横須賀軍港めぐり【5】軍港巡り遊覧船は吉倉桟橋逸見岸壁へて帰港(2024-01-06)

2024-05-23 20:20:49 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■軍港巡り遊覧船
 軍港めぐり遊覧船はいよいよ帰港へ。その乗船料金はほぼほぼ映画一本分という水準なのですが映画一本よりも迫力ある日常風景を眺めているわけですね。

 いかづち、たかなみ、おおなみ。遊覧船は吉倉桟橋にもどってきましたが、むらさめ型護衛艦、たかなみ型護衛艦という1990年代にまとまった数を建造できた護衛艦の目の前を進む。いま厳しい国際情勢に日本が対応できるのは、無理してこれらをそろえたゆえ。

 吉倉桟橋、橋のように突き出ているのが桟橋で陸地に接岸できるようになっているのが岸壁、横須賀サマーフェスタなどではこの吉倉桟橋と隣の逸見岸壁が開放されます。歩いてみると結構な距離がありまして、真夏の楽しい一日は後で日焼けとかすごいことに。

 むらさめ型が手前の107いかづち、110たかなみ、たかなみ型の一番艦で111おおなみ、は二番艦、ステルス設計とともに汎用護衛艦は220名必要だったものを思いきった自動化で165名まで省力化した、が1990年代の設計なので個室化などまでは踏み込んでいない。

 はるな型護衛艦の船体設計をそのまま応用して、むらさめ型、たかなみ型、あきづき型、あさひ型を設計しているのですが、次世代の汎用護衛艦は長期航海に備え乗員の個室化とかスターリンク衛星接続による個人インターネット環境などが必要になるよう思う。

 さわぎり、くまの。くまの、もがみ型護衛艦2番艦ですが小型護衛艦や旧式護衛艦だけではなく掃海艇の一部を置き換えることを考えるとかなり巨大であるし重武装です、ただ、これでも有事の際に九州沖縄近海が中国海軍のミサイル圏内に入るため軽武装という。

 日本は島国であり海洋立国であるために海上自衛隊が重要だ、という点は事実なのですが、陸上自衛隊よりも海上自衛隊のほうがという優劣論になりますと、戦艦は陸上砲台に勝てない、の原則のように今後は陸上配備型ミサイルの重要性もたかまるようにも。

 きりしま。かなり逆光になってしまいました、仕方ない話なのですが遊覧船の始発は1100時で、午後から横須賀は地形の関係で逆光になってしまいます、夏休みシーズンとか0900時ころに始発を運航してくれればなあ、と太陽を見上げ、思ってしまうものですね。

 イージス艦、海上自衛隊は8隻をそろえていまして艦隊防空とミサイル防衛に当てていますが、昨今はミサイル防衛に任務が偏重し艦隊防空の訓練が十分できないという難題も、しかし先日アメリカのイージス艦が宇宙空間でイランの弾道弾撃墜に成功してしまうと。

 ミサイル防衛は、銃弾を銃弾で落とすようなもの、と難易度の高さが1990年代に指摘されていましたが、丹念に根気強く日米ともに資金と人員を投じて技術開発しますと、不可能といわれた中距離弾道弾の宇宙空間での撃墜に世界で初めて成功したという訳で。

 こんごう型護衛艦一番艦こんごう竣工は1993年ですので艦齢31年、きりしま竣工から30年です。ミサイル防衛専用のイージスシステム搭載艦がミサイル護衛艦とは別枠で建造され、純粋にイージス艦の数は増えるようですけれども、ミサイル防衛はどうなるのか。

 むらさめ型など汎用護衛艦の後継艦にもイージスシステムを搭載してはというオールイージスドクトリンという話題が海上自衛隊幹部学校記事に乗せられたのは10年ほどまえでしたか、国産のレーダーシステムとあわせ、今後の建艦計画が大きな関心事だ。

 カラスが、艦首旗のマストにしっかりとたたずんでいる様子が。軍港巡り遊覧船はここで出発点に帰港したのですが、乗船前に噴水にいたカラスさんかなあ、とイージス艦に佇むカラスさんをながめつつ、ちょっとだけの航海からの帰港として陸にあがりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】久居駐屯地創設72周年記念行事【2】第33普通科連隊観閲行進準備(2024-04-07)

2024-05-18 20:00:07 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■観閲行進準備
 記念行事は訓示と祝辞に続いて祝電披露までが無事完了しまして観閲行進準備の号令がかかりました。

 観閲行進準備へ車両の移動がはじまります。式典会場のよくみえるところに車両が並ぶというのは、なにしろ装備品がそろっているのですから見応えがある、姫路とか今津とかあとは豊川とか富士とか、あああと駒門も戦車以外は並ぶ。

 駐屯地のモータープールにはもっとたくさんの車両がならんでいますから、ここに整列しているといいますか行事に参加している車両はごくごく一部の式典参加部隊の車両なのだけれども、ひとだけ並ぶのか装備が並ぶのかで、やっぱり迫力は違うよね。

 高機動車と軽装甲機動車と、十年前にはここに対戦車中隊の重MATこと79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載した小型車もならんでいた、あと普通科中隊はもうすこし車両行進が多かった、自衛隊が縮小しているという印象をどうしても受けてしまうのですがさて。

 軽装甲機動車、中部方面隊ではここ第33普通科連隊から配備が開始され、最初は土足であがっていいものかとまようほどの新装備だったといい、当時はMINIMIはまだ配備前で64式小銃を据えていた最初のころ。あれからもう22年も経つことにちょっとおどろく。

 後継装備が丸紅輸入のスイス製イーグルⅣか三菱重工ライセンス生産のオーストラリア製ハーケイかが選定中ですが、結局のところ排気問題で小松と防衛省が対立したことで後継装備を国産できなかったわけで、正直に謝って軽装甲機動車を毎年200両買っては。

 小松の装甲車が誇るべき点は安さと中庸だが低くはない品質だとおもう。ハーケイにしても2億円、円安の影響はあるものの軽装甲機動車の2700万円とは文字通り桁が違う、排気規制に問題があるならば自衛隊が受領後にフィルター装着など独自改造を行えばよい。

 車体が小さすぎるという批判があるようだけれども、CH-47輸送ヘリコプターの機内に搭載できるのが強みで、この後継に大きな車両をいれてしまうと装甲のないパジェロと高機動車だけしか空中機動できない、年産200両買っても予算で問題ない装甲車は少ない。

 本部管理中隊の情報小隊に配備される偵察オートバイと後方には発煙装置3型、最近オーストラリア軍は電動自転車のモペット、105km/hまでとばせる車両をボクサーCRV偵察装甲車に搭載して偵察に使っている、普通科連隊の情報小隊にもこの種の戦闘車が必要だ。

 第10音楽隊の入場、式典があれば必ず参加する部隊が音楽隊、日曜日に休めるのは年間でどのくらいなのだろうとおもう。有事の際には司令部警備や捕虜取り扱いと諸外国では憲兵が行う任務をも任されるのだから、もう少し音楽隊は人数が居ていいのではないか。

 82式指揮通信車を先頭に観閲行進準備です。この車両の後継はやはりパトリアAMVになるのだろうか、さいだい16名を詰め込めるAMVならば強力な通信機材を搭載できて、ランセットドローンに発見されてもAMVの装甲防御ならばなんとなく生き残れそうな気が。

 三重県旗がまず行進の先陣、”み”の文字を連想させるわかりやすい県旗だ。ちなみにこのパジェロの愛称で知られるこの小型、諸外国というかフランス軍などはついに市販車をそのまま塗装して戦車部隊とかに配備している、いっそスバルとかに変えてはどうか。

 連隊旗とともに副連隊長が敬礼、もともとはこの車両も小型装甲車として1970年に高速道路網を駆使する四輪駆動装甲車として開発されたものの、その直後の石油危機で量産できなかったものを指揮通信車とした、232両が量産され部隊の本部車両として活躍します。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】小牧基地航空祭2024【3】KC-767空中給油輸送機給油展示(2024-03-03)

2024-05-11 20:01:01 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■KC-767とF-2とC-130H
 戦闘機が配備されていない小牧基地ではありますがF-2戦闘機くらいならばやってくるというのが小牧基地なのです。

 F-2戦闘機とKC-767空中給油輸送機、小牧基地航空祭の名物展示のもう一つ。ただ、先日開催された岩国基地日米フレンドシップデイではF/A-18F戦闘機同士がバディ給油の空中給油を実際に接続して実施したようで、小牧基地では実際に給油まではしない。

 機動飛行を行うF-2戦闘機、岐阜基地からの参加です。飛行開発実験団の置かれる岐阜基地はしばしばF-2戦闘機をはじめすべての自衛隊戦闘機の故郷、と言われるところですが、しかし製造はこのお隣の三菱重工小牧南工場ですので、これこそ里帰りといえる。

 F-2戦闘機はその昔の俗説でASM-2対艦ミサイル4発を搭載すると機動飛行できない、と軍事ヒョーロン家の方に税金の無駄遣いダヨと批判された翌年か、小牧基地で岐阜のF-2がASM-2を4発搭載して機動飛行したのは有名な話です、最早認知戦の世界だ。

 KC-767空中給油輸送機が着陸態勢へと大きく旋回に入りました、が、やはりきになるのはこの地上の風景でしょうか、圧縮効果という、望遠レンズで撮影すると構図がギュッと狭まってしまうのですが、それでも大変な混雑に見えてしまう航空祭の会場です。

 P-1哨戒機とKC-767空中給油輸送機、大型機同士を絡めた、こういう構図が好きですし撮りたかったのだ。人垣越しに撮影しますと、航空祭で撮ったのだなあ的な仕上がり。小牧基地は基地内に若干の高低差というか起伏があって脚立なしでこういう構図が。

 G3Xの性能限界というところでしょうか不思議な構図になっているのは、お隣はEF100-400mmSI2レンズ、G3Xはコンパクトデジカメなので格納庫の隣から急に編隊が出てきた際にも直ぐに超望遠にはできないので、直ぐ24mm広角で撮った為の椿事という。

 C-130H輸送機3機編隊、望遠側に充てた際には間に合わなかったけれども、まあG3Xでは撮れなくともなんとかEOS-7Dmark2では仕上がったので、G3Xは予備カメラ、という立ち位置を考えれば仕方ないのだけれども、まさか格納庫の陰から来るとは。

 格納庫の陰から編隊飛行、といいますと過去には木更津航空祭で、木更津では過去滑走路の端から編隊飛行が来ていた、として撮影位置を見誤ったことがありまして、その教訓はさらに次の航空祭で見晴らしの好い撮影位置を確保する、と活かせましたけれど。

 KC-767空中給油輸送機、タッチアンドゴーの飛行展示を行います。奥に見えるのは東京スカイツリーで高さが6340mもあるので小牧からも見える、というわけではなく普通の鉄塔なのですが、先の写真と違う構図になる様にちょっと移動したが、なんとも、ね。

 ヘリカル着陸飛行の展示をおこなうC-130H輸送機、イラク復興人道支援任務において戦術輸送機が飛行場付近で携帯地対空ミサイルを構えて待つ武装勢力に対応するべく編み出した着陸方法、通常の輸送機は滑走路の延長線上にアプローチするのだけれども。

 イラク復興人道支援を前にヘリカル着陸飛行というのは、着陸する滑走路上空に高高度で進入して、そこから螺旋状にくるくると小規模な旋回を繰り返して、滑走路付近は米軍と有志連合が安全確保しているために、滑走路から離れずに高度を下げてゆく。

 硫黄島基地において自衛隊は、模擬地対空ミサイルの発射まで行いながらこの着陸飛行技術を会得して、そして小牧基地からイラクへと乗り込んだわけです。こう考えると、小牧の飛行隊は実戦経験というか実任務の緊張を豊富に経験していることがわかります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【5】機甲部隊と空中機動部隊(2024-01-07)

2024-05-09 20:06:03 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■10式戦車登場!
 戦車というものがもう本州では非常に珍しいものとなってしまいまして少し不安を感じるところです。

 空挺部隊を支援するべく機甲部隊が戦果拡張の為に前進を開始しました、10式戦車と16式機動戦闘車で、これまでこの空挺降下訓練始めで勇猛をとどろかせた74式戦車は既にその姿なく、いやまだ全国にこの時点で6個中隊残っていたのだけれども流石に。

 10式戦車、富士教導団機甲教導連隊の所属です。そう、第1戦車大隊は師団改編胃より既に廃止されており、この空挺降下訓練始めの翌々月には本州に残る最後の戦車大隊、第9戦車大隊と第10戦車大隊、旅団の大13戦車中隊は廃止されてしまうのですね。

 第12偵察戦闘大隊の16式機動戦闘車、考えてみると初登場という。わたしが初めて第12旅団を撮影した当時は未だ軽装甲機動車さえ配備される前で偵察警戒車さえなく装甲車は化学防護車のみという時代でしたので、偵察戦闘大隊の新編は朗報、なのかな。

 軽装甲機動車と高機動車は空挺団の装備です。ただ、アメリカの第82空挺師団ではM-10ブッカー装甲機動砲、軽戦車のような38tの機動砲を配備開始したのが4月に話題ですので、軽装備というけれども自衛隊の軽装備は度を越して軽すぎないか、とも。

 機械化部隊は第一線へ向かう、けれどもちょっと数が少なすぎやしないか、第1空挺団にも空挺戦車小隊が配備されていた時代があるのだし、対戦車小隊ではなく戦車小隊です、もっともM-24軽戦車というゴジラ相手に歯が立たなかった軽戦車なのですが。

 富士教導団機甲教導連隊と第12偵察戦闘大隊の増援、10式戦車はそれほど高い戦車ではないのだけれども製造し続けないと戦車の製造基盤が崩壊しますと欧州のように戦車一両30億円というようなことになりかねないのです、毎年30両程度生産できないか。

 AH-1S対戦車ヘリコプターの航空支援、政府が陳腐化している為に廃棄するという装備ですが、まあTOW対戦車ミサイルを搭載しているもののその射程は3750mと短い事は確かです、けれどもその気になって改修するならば8kmくらいのものは積める。

 対戦車ヘリコプターの空中打撃力というものは迅速さと即座の致死性というものがあります、前線が危機的な状況で200km/hの俊足を持て匍匐飛行で駆け付け、見た瞬間に機関砲とロケット弾とミサイルで刈り取り、というもの。この写真が全てを物語る。

 C-130輸送機が飛来しました、航空自衛隊のC-130Hではなく横田基地のアメリカ空軍のC-130J輸送機ですね、そう空挺部隊の増援展開だ、まさにマーケットガーデン作戦のようなもので、先程にまして青さ増した大空に真白く開く薔薇のよう、という感じか。

 みよ落下傘空に、舞い、舞う、はずなのですが普通に通過してゆくもので更に海上でゃなんのアナウンスも無く、AC-130じゃあないのか対地攻撃機の、という声が上がるといやAC-130なら旋回するはずだろ、そもそも横田には無いし尾翼には374とあるよ。

 CH-47輸送ヘリコプターの編隊がやってきまして、C-130はそのまま通過してしまいました、そして、此処で放送が入ったのですが、ここで、多国籍空挺部隊が降下する予定だったのですね、けれどもこの日は強風だったという、いやそんな風は強くない。

 ヘリボーン強襲が行われる、要するにこういうことです、空挺降下をこの狭い習志野訓練場で行うには、各国の異なる訓練環境などを考えるとこの風でも結構あんぜんせいをこうりょしなければならない、ということなのですね。さあヘリボーンの展開だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】百里基地航空祭2023【6】そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし(2022-12-04)

2024-05-02 20:23:59 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■茨城か茨木か!F-2決戦!
 百里基地航空祭速報が延々と続きましたが今回でいよいよ大団円というところです。

 茨城か茨木か。このF-35戦闘機の向こうを飛行するF-2戦闘機の機動飛行は頂上決戦という装いで行われていまして、茨城出身の操縦士と茨木出身の操縦士の勝負という。ちなみに茨城は”いばらき”で茨木は“いばらぎ”、阪急特急が停まるのはここ。

 茨木がんばれえご近所さーん、という声が最前列の一角から響くとレンコン式とかクラスター干しイモとか鮟鱇鍋とかで武装した北関東連合軍に袋叩きにされてカメラを強制的にミラーレスに買い替え、というようなことはなく、でも聞き違えるよねえ。

 F-35戦闘機にはローターが二つ付いているように見えますが、これこそが護衛艦かが艦載機として垂直離着陸する最新鋭F-35B戦闘機、というわけではなく三沢基地の第301飛行隊F-35Aの真後ろに入間ヘリコプター空輸隊CH-47ヘリコプターの重なり。

 百里基地には茨城県出身の操縦士と共に大阪府茨木市出身の操縦士がいるのかあ、と感慨深い所です、そして茨木出身の方も奮戦したのですが、評価によれば茨城の勝ち、茨城の空は守られたという。ううむ、ウォッカ飲み比べならば参戦して応援するのに。

 F-2戦闘機の旋回と筑波山を背景に撮影してみました、ここ百里基地というのは午前中順光で午後から逆光になってゆくのですが、快晴でさえあれば筑波山の稜線がくっきりと浮かび上がりますのでその借景と共に航空機を収めると印象的な構図となります。

 狼と香辛料、その麦畑の麦帆みたいな情景のススキを背景に着陸を開始したF-2戦闘機、そうか逆光だとこういう構図も成り立つのだなあと感慨深い。考えてみると桜の花々なんかも逆光の方が花の色が透けて逆にきわだつものですから、と妙に納得してしまう。

 風の谷のナウシカっぽい、F-2戦闘機がこんな黄金色の大地と共に描いたミリタリーワッペンに“そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし”と文字をかいたものがありましたが、そうかこういう感じなんだ、と変に昔買い逃したのワッペンを思い出しました。

 ヴァイパーゼロとも云われるF-2戦闘機ですが、救難のブラックホークも同じ海洋迷彩でしたか、すると、“そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし”という構図はヘリコプターでも成り立つのですね。現場で気づけばそういう構図で撮れる。

 そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし、ああコンクリート上に到達してしまった、もう少し早く気づいていれば色々な構図も撮影できたのになあ、と思う。ススキが黄金色になっている狼と香辛料みたいな季節でこそ撮影できる構図、と。

 シンゴジラでもレーザーJDAMをゴジラに命中させてゴジラの信仰進路をじゃっかん変えさせた描写で知られる第3飛行隊のF-2戦闘機、こうずらりと並んだ海洋迷彩を、飛行展示が終了したという事で撤収と共に様々な角度から航空機を撮影する事とした。

 状況終了、全ての飛行展示が終了しました。FSX日米共同開発は、日米外交史を考える一つの試金石として、大学時代にはアメリカ外交研究の先生にいろいろと話をお教えいただく機会があり、元首相補佐官の方や元大蔵省主計官の方へ探訪したものでして。

 F-2戦闘機はわたしにとり好きな戦闘機です、それは開発経緯と共に配備後の運用まで関心が及びまして、そのなかで冷戦時代に北海道防衛を担った第3飛行隊の航空祭を、快晴の空と共に撮影出来まして満足満喫の上、惜しみながら石岡駅へと撤収しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二四【2】近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊(2024-03-16)

2024-04-27 20:23:45 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■幹候学校を背景に出航
 練習艦隊は江田内から近海練習航海と外洋練習航海のその第一歩を踏み出しました。

 かしま、出航に向けて準備が進むところですが、幹部候補生学校卒業式は交通船や練習船、こんなにいろいろな支援船があったのかと驚くような種類の支援船で候補生課程修了者たちが練習艦に乗り込んでゆくのですがいままさに舷門に横付けし乗り込んでいる。

 自衛隊のフネでしょうか、と隣で望遠レンズをのぞき込んでいた同好の方が怪訝な、いまはどのフネですと迷うことなくホラこれとカメラの画像データで見せてくれる、昔は現像してみせるまで現像液準備とか大変でしたが、いや、あれは堅気のフネじゃあない。

 ルパーンまてー、というような描写ではないのですが、後ろの支援船は海上自衛隊の練習船で基本的な航行などを修得するための小型船なのですが、これ、どうみても航路上で邪魔な一般船を追い立てているという構図にしかみえないのですね。

 かしま出航、おお動き出したと声が挙がりまして直ぐこちらも望遠レンズをのぞき込みますと、艦尾からもう白い航跡がみえていまして、ゆっくりと動き始めています、ルパーンまてー的な様子を見過ぎていたならばその最中にもう出航を始めていたもようで。

 幹部候補生学校の施設を背景に出航する練習艦、卒業、という瞬間はいずれの場合でも心に残るものですが、案外ここはそのなかでももっとも心に残る瞬間なのでしょうか。幹部候補生学校に対して高級幹部を養成する幹部学校の修了式をみてみたいものだが。

 新任幹部たちのご家族でしょうか、岸壁に並んでいるようすがわかります。昨今は軍事をシステマティックに考えすぎている方がいるようで、理系の公式をそのまま軍事力に当てはめる、あたかも1960年代のアメリカ軍のような風潮の方が論者を気取るようですが。

 軍隊と言いますか軍事機構も結局のところ人間の集合体ですし、ギデンズ社会学ではないのですが人間は社会的な動物という、そして政治学のイーストンでさえも文化というものを主要な要素として含めるべきという視座をきょうしているのですから。

 うらが出航、掃海母艦うらが型1番艦うらが、もうすこし標高の高い位置で撮影していたならば、こうした茂みに視界をはばまれることもなかったのかなあ、とおもいつつ。そしてこの距離を隔ててなお、卒業生たちの登舷礼の陰影が象徴的なように際だつ。

 さわぎり出航、護衛艦あさぎり型の1隻です。ミサイル護衛艦はたかぜ型の護衛艦はたかぜ、護衛艦しまかぜ、その練習艦移管が行われていますが、なぜか練習艦は旗艦かしま一隻のみとなっていまして、はたかぜ型練習艦をみたかったような気もします。

 あさぎり型護衛艦、今後護衛艦もがみ型量産とともに消えゆく護衛艦なのですが、これ、そのうちフィリピン海軍やヴェトナム海軍などに貸与するというような議論も出てくるのでしょうか、それなりに大型で、もちろん運用は大変ですが数は8隻とそろっている。

 かしま、江田内から出航するべくこちらに向かって航行してきます。この岩風呂山は、まるで真正面のような、完全な真正面ではないのですけれども、艦隊航行を正面から撮影することができる撮影位置、まさにこの構図は真骨頂を描いているといえるでしょう。

 練習艦隊出航、考えると、というまでもなく護衛艦が多数参加しての展示訓練などは艦艇の任務増大でほとんど行えず、昨年は唯一計画されていた佐世保の展示訓練、いせ一隻のみ開放しての訓練は悪天候で中止、その緊張と多忙の海へ、出航してゆくのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2023【7】岐阜基地北側会場!ブルーインパルス展示飛行(2023-11-12)

2024-04-25 20:15:43 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■航空祭大団円
 岐阜基地航空祭も大団円へ向かう。

 ブルーインパルスの飛行展示もいよいよ最終盤にはいってきます、いろいろありましたが航空祭名物お化粧室渋滞に巻き込まれて一時はブルーインパルス撮影も難しいかと危惧したのですが、まあ、何とかなったということで由としなければならない。

 垂直系の展示飛行は曇天では視界不良により中止されてしまいますから、それでもまわりから、わあっ、というような歓声が上がる様子とともにT-4練習機の限界を示す最大限の飛行展示をみていますと、航空祭が日常に戻ってきたことを実感できるのだ。

 航空祭というのは天候に左右されるのだなあ、ということは毎回知識として走っているのですけれども、曇天の航空祭でも苦い経験はいつしか上書きされて快晴の航空祭という記憶がのこるものでして、しかし改めて曇天の航空祭を探訪しますと、ああ。

 曇天、南側会場は順光というのが売りなのだから、滑走路回って曇天のままだと残念な気分となるのですが、それでも人口密度はメイン会場ほど凄いことにはなっていませんので、ほぼほぼ最前列を確保できましたが、メイン会場の混雑は凄いですよね。

 岐阜基地航空祭、実のところ航空祭全般にいえることなのですけれども、ブルーインパルスが飛行展示を行う場合は、ざっと四万から五万ほど来場者が増える、という印象です。一万の誤差は周辺人口により左右されるというところなのですけれども。

 混雑の度合いは、南側会場からも有る程度みえていました、滑走路に着陸した航空機と管制塔やメイン会場の地上展示航空機を構図に含めて航空祭らしさを演出しようとしますと、おお混雑が凄いんだなあ、というのはと梅にもわかりますから。

 滑走路脇の最前列、というものをこのメイン会場で狙いますと、それはもう大変なことになるのですが、岐阜基地と小牧基地、日常的に撮影する基地の場合は無理に最前列へ行かずとも後ろのほうから撮影すると、混雑している航空祭、という情景が。

 満員御礼、そんな言葉がありますが実際のところここまで混雑していると、いろいろな視点を通り越してもはや潔い、いや心地よいなんていう情感がわき起こります、けれども地上展示航空機を撮影するにはここを横断しなければならないのだなあ。

 T-4練習機の続々と着陸する様子を望見する。岐阜基地航空祭はなにが公開されているのか、地上展示のなかにXASM-3やJDAMなんかが初公開された場所が岐阜ですから、地上展示をしっかり撮影しなければ後々に、出ていたのか、と驚き残念に思うことも。

 格納庫のなかを順番にみてから、そして航空機の方をみるか。あまりのんびりしていると格納庫の一般公開が終わってしまうけれども、問題はこの観衆をかき分けて移動するのは難しいので混雑していない側を、凪をみて撮影に移動することかなあ。

 岐阜基地航空祭、基地の規模としては巨大すぎるものではないのですが、なにしろ見所が覆い基地ですし、それ以上に滑走路の北側と南側を移動できる航空祭というのはそれほど多くありません、それでいて南北とも見所がおおいだから忙しい。

 航空祭は体力を使うのですけれども、配備されている航空機の種類も多いものですし、異機種大編隊というここでしかみられない展示もありますから、帰路にいっぱいやりに寄ってみてグラスを片手に写真をカメラでみるだけでも、達成感を感じられるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする