北大路機関

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憲法記念日二〇二四(5),平和憲法と日米同盟が調和した冷戦時代と21世紀の平和憲法活用の道

2024-05-07 20:00:09 | 北大路機関特別企画
■本来の平和主義へ
 ゴールデンウィークが昨日終了しましたので今年の憲法記念日特集もいよいよ本日で区切りといたしましょう。

 武力行使という概念、国際法上では経済制裁など影響力を行使するものを含むが、日本では武力行使という概念は軍事攻撃だけと理解している。いやたとえば、警察官の拳銃使用も警察官職務執行法ではホルスターから取り出した時点で拳銃使用ですが一般には発砲で初めて拳銃使用と考えられている、こういう部分と同じでは、と。

 国連憲章二条四項のように憲法九条はかりに大きな防衛政策の変更があった場合でも併存することは可能ですし、どんな防衛政策を進めるのかはまさに民主主義により選挙民が定めている、陰謀論や不正選挙の主張があるがそれならば選挙制度のたとえば投票用紙保管方法の強化などを行えば、国の道を決めるのは主権者なのだから。

 看板としての平和主義ですが、こう考えますと無理に捨てる必要はないように思えまして、逆に内容多寡に係わらず世界には平和憲法を改正した、という部分だけが広がり改正の内容までは精査することはないでしょう、日本だって憲法九条は日本国憲法だけ注目されるのであってドイツ基本法九条とか合衆国憲法九条は注目しません。

 アイディンティティという視点ではもう一つ、日本国民であれば自衛隊が存在する事を知らない方は恐らく居ないでしょうし憲法九条についても知っていることでしょう、その上で、平和主義という国是を動かしてしまいますと、奈良時代の日本のように、日本とは何者か、なにが正義かという問いに答えられなくなるようにも思うのです。

 国家の構造を示すという意味での憲法なのですから、このあたりの視座を、日本は自衛隊こそ保有するけれども平和主義の国家であり、必要な防衛は行うが対外領土獲得などはおこなわず文字通り平和主義を堅持し人類文明が宣そうと軍事力を必要としない高い次元まで進むのを見守っている、と国民の価値観を示すことができるでしょう。

 平和趣味ではあってはならない、ということと同時に日本の平和憲法はその制定とともに、戦後復興の必要という、この資材捻出は容易ならざるものがあったのですが、一種の特需のようなものが醸成された時期のものであり、そして期せずしてここが一段落する前に朝鮮戦争が勃発、これは朝鮮特需という好景気を醸成しました。

 資本主義国の工場として、日本には朝鮮特需を端緒として高度経済成長期という1973年まで、景気変動の波こそ確かに存在しましたが好景気と経済成長が続いていました、逆に日本は朝鮮特需と高度経済成長が一種の歴史的要素として認識されているのですが、世界を観れば戦後すなわち好景気、という認識はそれほど一般ではない。

 冷戦構造とともに欧州ではハンガリー動乱やキューバ危機にベルリンの壁、プラハの春といった激動に対応するべく、北大西洋条約機構の立ち上げとともに膨大な国防費を捻出する必要に見舞われ、高度経済成長のような戦後の平和の配当という恩恵は考えられなかったのですね。しかし日本の場合はここを平和憲法により逆手に。

 石油危機とともに日本の高度成長は1973年に終焉を迎えるのですが、これもいまみますと鈍化したとはいえ年間経済成長は5%や8%という数字を維持していましたのでいまの中国経済よりは成長が大きかったわけです、しかし、平和憲法、日本の認識ではアメリカが押しつけた、この非武装平和主義のような主張で軍事費を抑制できていた。

 事業評価、という平和憲法がどの程度世界平和のために機能しているかを、日本の平和主義意外の世界からの視点で冷静に分析する必要があるとは前述しました通りですが、同時に、憲法をアメリカから押しつけられた、GHQというべきでしょうか、少なくとも大正デモクラシーの時代まで戻す憲法の松本案はGHQに棄却されている。

 日本が決めたわけではないものに従っているのだからここで急な軍事力の出費を強要するのは、という認識がいまでも一部知識人と世論の一部に存在することは理解していますが、しかし、結局日本国憲法は帝国議会での改正手続きを経て制定されたという、なにしろ国家の基本制度を戦勝国が勝手に変えるのはジュネーブ条約違反だ。

 帝国議会において改正が決議された憲法である、というのが世界の認識です。これが外圧によるものと反論するのであれば、同じように外圧が当事者の立場では少なくとも感じられた日韓併合も、非合法、ということになりかねません。日韓併合の手続きと日本国憲法への帝国議会決議は、そういう意味で同質なのですから。

 憲法を理由として防衛力に制約を加えることは、とにもかくにも国連憲章二条四項のように、すでに周辺国へ領土併合を目的とした軍事攻撃を行わないというものが一種の国際公序となっているのですから、整合性はとれるわけです。するともう一つここで認識しなければならないのは、平和憲法を理由に非合理的な防衛政策は、と。

 非合理というのはたとえば武器輸出、これを行わないことで国産装備が費用面でたかどまりしている現状や国際装備共同開発への制約などの現状、防衛費が結果的に非効率となり高くなることを国民は、憲法を平和の結果ではなく手段とすることを黙認することで間接的に容認していることになるのです、そのコスト、容認すべきなのか。

 平和趣味ならば、趣味というものはお金がかかるものなのだ、という認識なのかもしれませんが、結果的な平和を求める本来の平和主義に立ち返るならば、平和へ残すと認識というものを、なにしろ民主主義の国なのですから、もう少し防衛産業や世界情勢と軍事技術に関心を持って、観てゆく必要があるようにおもうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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憲法記念日二〇二四(4),平和趣味であってはならない平和憲法その事業評価という視点

2024-05-06 20:12:50 | 北大路機関特別企画
■平和主義の事業評価
 平和憲法は世界的にも評価されているという一部主張がありますが果たしてどの程度世界に理解され又周辺国の軍事力拡大への抑止的機能を有しているのかという視座です。

 日本における憲法九条は、世界における国連憲章二条四項のようなもので、空文化していると指摘を受けたり危惧されたとしても、その条文があるために抑制的となる、これが日本の平和政策としてありえるのではないのか、実際、令和の岸田内閣では慎重ですが昭和の岸内閣では政府答弁として平和憲法の元での踏み込んだ発言はあった。

 二条四項の存在は、たとえば明らかな逸脱行為であったとしても、その二条四項と対をなす存在である五十一条、自衛権などに言及してその正当性を主張する場合が基本であり、つまりその存在を意識していることにほかならない、といえる。日本の憲法九条においてもこうした機能を期待し、必要な防衛政策を進めるべきではないか。

 九条について、重要な点は、大日本帝国憲法とは対照的な価値観の主柱に平和主義をおいているものであり、日本の平和主義を代名詞的な存在として世界に示しているためにこれにかわる新しい理念をいま、日本の憲法制定権力というものを一から脱構築してゆくことは可能なのか、という疑問にもつながるのです、そして。

 平和主義の事業評価というものをしっかり行っているのか、という疑問符が。日本の平和主義は、一応世界の教養人、少なくとも世界政治に関心がある、もしくは国際政治などを大学などで履修した限りでは、ある程度周知されているとはいえるのですが、しかし九条の存在はともかく、九条二項まで周知されているのか、ということ。

 コスタリカの軍隊を持たないという政策や、スイスの永世中立国政策、この言葉の上面程度の認識程度しか世界には周知されていないようにも。コスタリカの政策は、2000年代に一部日本でも支持を集めていましたが常備軍を持たないというものであり、また安全保障の多くをアメリカに依存しており、反米的主張は違法行為となる。

 スイスの永世中立国政策は、これは日米安保反対を掲げる方に長らく支持されてきましたが永世中立というものは有事の際にどこからも防衛協力を受けられないということであり、スイスは過去核武装さえ検討しており国民皆兵の膨大な予備役を抱える重武装の国家であることが周知されますと手のひらを返すように支持は薄まりました。

 スウェーデンの重武装中立は、もうNATOに加盟したよ、という一言で参考としようという機運は生まれてこないのでしょうけれども、ゴトランド級潜水艦にJAS-39グリペン戦闘機と、少し古いですがSタンクやバンドカノン自走砲という防衛産業と輸出という実例がありますので、やはりこれも平和主義として参考とはできません。

 事業評価という視点で、しかし日本の平和憲法をみてゆきますと、結局のところ平和を戦争準備、日本のではなく周辺国の、これに悪用されただけではないのかという疑念が生まれてくるものでして、やや、といいますか多くの部分で自己満足的な平和主義、平和趣味というべき状況があったのではないかと振り返るのですね。

 日本には軍隊がない、事業評価で困るのはアメリカ世論の同盟にかんする負担論です、実際、トランプ大統領が護衛艦かが表敬訪問というアメリカ大統領として初の自衛隊護衛艦表敬訪問が実現して、その様子がCNNやFOXニュースなどを通じて報道されてはじめて、あの大きな空母のように見えるフネはなんだい、と自衛隊が周知され。

 軍隊がないと誤解されることは、アメリカ軍が日本を防衛しているという誤解が、なにしろアメリカ国民の大半は生まれた州から出ず一生を過ごし国外にでるのはさらに一部、海外情勢には興味がないという実態がありますから、日本の自衛隊が9個師団6個旅団、戦車の数はイギリスとフランスの合計より多いことをしりません。

 平和趣味であってはならない、ただ、平和主義という看板を維持するならば、看板は自由なものですから現行憲法のまま、しかし平和を周辺国の戦争準備に悪用させないよう、実定法の整備をしっかりと進めてゆく、こうした施策への切り替えの方が、重要ではないかと思うのです。ただしそれでも最高裁判所が違憲判決を出すならば。

 最高裁の違憲判決が出されたときが、要するに改憲しなければ違憲という判決にほかならないのですから、統治行為論という政治の問題ではなく司法府として憲法を変えるべきという勧告の際に改めて政治的課題としての憲法改正を進めるべきではないかと思うのです。実際問題、憲法上の概念と一般的な概念の違いはあるのですから、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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憲法記念日二〇二四(3),本土決戦主義旧防衛政策と危惧される世代交代の平和趣味巡る世論分断

2024-05-05 20:12:55 | 北大路機関特別企画
■七七年間の日本国憲法
 専守防衛を厳正に解釈しますと本土決戦等着上陸を待ってからしか防衛戦闘が行えないという憲法上の制約が少なくとも二〇二二年まではありました。

 本土決戦主義、と揶揄され批判こそあり、批判の中には特にシーレーン防衛というような日本国家の存続を考えた場合に、本土だけ無事であっても国家が機能しない状況というものが当然あり得る、という批判もあれば、憲法改正にも本土決戦にもハンタイという、日本そのものにハンタイする声もあるほどで複雑でしたが。この矛盾点の議論は薄いのです。

 ソ連核実験前に制定された憲法、という視点は既に記しましたが、その後のソ連核実験や朝鮮戦争といった転換点を前にした場合でも憲法の冗長性は、若干傍目には無理があるのではないかという視座であっても自衛隊の創設と日米安全保障条約締結により、憲法の範囲内である故の国会での立法により正統性を得ました。立法府は国権の最高機関である。

 統治行為論、日本に憲法裁判所を、という声は日本維新の会などの声はありますが、憲法裁判所が設置されているフランスなどの事例をみますと軍事など安全保障にかんする訴訟は基本的に統治行為論、政治問題とされるゆえに受理さえされないという実状があります、これゆえに統治行為論、政治の問題は司法府が管轄外としている実情があるのですね。

 77年間の日本国憲法、冗長性の枠内として現代の安全保障を是認するのか、それとも改正の手続き、何しろ一応日本国憲法は大日本帝国憲法から改正されて誕生したという議会手続き上の事実があるのだから、戻すとまでは行かずとも、改正を真剣に考えるのかについては一応の議論の余地があるようにも思うのですけれども。そして77年という期間は。

 軍事技術について、ともあれ冗長性により解釈をかえるという手法を用いて憲法の枠を越えることなく超えた構図が現在の防衛にはあるのですが、2022年国家防衛戦略による反撃能力整備、これは1947年当時には想定されなかった戦術ミサイルの射程延伸、接近拒否領域阻止の具現化のために膨大なミサイルが日本を射程に収めたという情勢の変化ゆえ。

 マルチドメインドクトリンと接近拒否領域拒否、要するに中部太平洋と中国大陸を挟んだミサイル戦が、最後の手段ではなく恐らく最初の第一撃となるであろうアメリカと中国のインド太平洋を巡る緊張関係を前に、日本を移動させるでもできない限り、現状のままの防衛政策では無理がある、ということは少なくとも現状を分析し知っておくべきなのか。

 軍事技術が脅威として顕在化しているもので、この脅威を実定法ではない憲法に求められるのか。さて、こうした状況を背景に痛感するのは手段としての平和主義か結果としての平和を求めるのか、憲法は国民に平和を強いるのか、平和を約束するのか、という憲法における平和の位置づけというものへの問いです。これは世代交代を考えるとより難しい。

 移民に日本は排他的過ぎる、とはバイデン大統領がこのGW期間中に発言し物議を醸したところですが、もう一つ、云わずとも空気を読め、ではありませんが、過去の戦争の反省、というものを、戦争での従軍経験のある方が多く旅立たれた今日、過去の戦争というとそもそも今の世代の方に、原罪のようなキリスト教じゃああるまいし、共有できるのかと。

 移民の方にとっては、そもそも日本で第二次大戦を経験した訳でもなく、逆に日本に侵略された経験を持つ国からの移民さえある中で、日本人になったのだから反省しろ、そしてその為に侵略されても無防備で蹂躙され奪われ犯されることさえ受容れろ、というのは流石に無理があり過ぎます、そして国家が国民を守らない事こそ、異常と映るでしょう。

 イギリスへの移民の方の発言、この世代や出身の多様化というものを痛感したのは、昨今の新興移民の方がBBCなどの取材に応じた発言の中に、チャールズ三世国王の為には死ねない、という発言が在った為でして、要するに平和の強制というような手段を用いた場合、今後日本は世論の分断を引き起すのではないか、という危惧があるのですよね。

 世論分断というものは、アメリカを見る通り難しいといいますか恐ろしいものが有ります。これはアメリカの場合は人種的な伝統と云える分断とともに昨今は陰謀論による世論分断があり、ここにフェイクニュース、その流布には第三国の政治的意図が、認知戦というかたちで介在している分析もあるのですが、これにより分断の溝が拡大しているという。

 原罪のような平和の強要というものには絶対反対で、それは世代交代や、その受け取る世代や所属とともに受け止め方が違う事から一種の差別や世論の分断というものを生み得る事となります、すると敗北と荒廃からの平和主義というものは本来平和創造が目的であり平和趣味のような安全保障への無関心とは真逆のものといえるのではないでしょうか。

 手段としての平和主義というのは、結果が戦争であっても戦争を防ぐための努力に平和的ではない予防外交などは許さないので、結果が戦争であったとしても失われる人命や財産は国民全体で哀悼し受け入れようというもの、現行憲法を厳粛に解釈しますとこのような、国民の犠牲というものの強要にちかいこととなってしまう。少なくともこれが現実です。

 結果としての平和を希求するならば、すると九条二項をどう解釈するのか、憲法上、私兵を認めているわけでもなく、すると憲法上の軍隊でなければ際限ない武装と運用が可能、と考えることとなるのですが、それはそれで憲法を冗長性という一文だけで乗り越えるには限界がないかということなのですが、ここまで議論が進まず、なし崩し的な今がある。

 解釈改憲、こう揶揄され政治用語とまでなっています現行憲法ですが、その上限があるのか、ないのか、そして周辺では北朝鮮核武装とロシアウクライナ戦争、台湾海峡の問題をまえに、どこまで日本としての平和主義を維持することができるのか、手段としての平和主義の継続に関するコストというもの直視しているのか、という視点も必要なのですね。

 平和のコストというのは、手段としての平和主義、つまり戦時に国家が軍事力により国民を守る事に制限を、憲法を厳正に解釈するならば制限どころか被害を被る際に国家は憐憫の言葉を示す以外には何もできない、こうなる為、コストを支払うのは国民自身が家屋を爆撃により破壊され人命を蹂躙されて財産を失うこと、このコストを容認しろ、という。

 ただ、今後日本が大きく移民を受け入れる余地、若しくは太平洋戦争の記憶を共有できる世代からの世代交代へ向かう現実を正面から受け止めるならば、この条文で大丈夫なのか、若しくは有事の際に憲法上国家が国民を守れないならば私兵など武装の自由を認めるか難からの代替手段が無ければそれは国家ではない、という批判が生じるのは必至ではないか。

 統治行為論という選択肢がある以上、改憲が絶対に必要であるとは考えないものの平和というものを結果ではなく手段としてしか認めない平和趣味のような政策では、下手をすると世論の分断を生んでしまう、それは結果的に平和主義というものを共有する事は出来ない。そして太平洋戦争敗戦から79年、過去の戦争価値観共有は物理的に難しいのです。

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憲法記念日二〇二四(2),改正は必要か?国連憲章二条四項の存在と同じ様に日本国憲法九条を位置づける

2024-05-04 20:20:57 | 北大路機関特別企画
■政治の問題
 統治行為論というと難しく感じる単語がりますが英語をわかりやすく和訳しますと”政治の問題”となる。

 憲法について、一つの選択肢として憲法の精神を動かしたくはないが喫緊の安全保障情勢に対応するならば現行憲法のまま統治行為論、つまり憲法ではなく行政が立法府の代表として行う安全保障政策を現行憲法の範囲内、というよりも憲法の精神とともに安全保障政策を進めるという選択肢は存在します、つまり憲法の存在が防衛政策を抑制的とするもの。

 国連憲章二条四項の存在と同じ様に日本国憲法九条を位置づける、ということです。日本では憲法九条は理解されているしそらんじる事はできるけれども、日本国憲法がぜん部で何条まで存在するかを把握せず九条だけを主張する方が居ます、それと同じように国連憲章二条四項、武力行使禁止原則というものが存在しますが、顧みられているのか、と。

 武力行使禁止原則、当然だと思われるかもしれませんが国際法上の武力行使の定義をしっかり学びますと、日本であっても遵守できていない事が含まれます、それは武力攻撃とは別に武力行使という定義が存在し、二条四項の武力とは強制力という意味合いを含め、軍事攻撃と定義した武力攻撃とは一線を画しているのです、そこに含まれるものとは何か。

 武力攻撃は軍事攻撃を示すものですが武力行使とは、経済制裁を含む相手に対する圧力を示すものであって、国連加盟国は遵守する義務がありますし、国連憲章第43条には国連の支援義務として、国連安全保障理事会が求める加盟国軍隊の派遣に応じる義務というものがあります。日本の場合は自衛隊は軍隊ではないという強弁が成立つのかもしれませんが。

 国連支援義務、明確に軍隊の派遣要請に応じる事が示されていますが、国連軍事参謀委員会は朝鮮戦争以来召集されていない為に各国軍隊の装備統一や訓練体系統一などに踏み込まず、という以前に入り口の部分で国連へ軍隊を派遣することを多くが躊躇する為に、安保理所管の国連軍というものを創設できず、すると支援義務とは何かという議論が生じた。

 支援義務とは、がんばれー、と応援する様な義務という視点も含むものではないかということとなり、結局この条文は無視されているものでもある、けれども国連憲章を改正していない事もまた事実であり、二条四項については、結局各国が有志連合であれ様々な軍事行動を起こす際にその正当性に総会決議や安保理決議を応用、援用している事実がある。

 憲法九条についても、例えば日本が必要に迫られ台湾海峡有事や台湾有事、南シナ海危機やフィリピン有事と朝鮮半島有事、中東有事というような非常事態に対して、自衛隊を派遣しなければならない状況を想定した場合でも、憲法九条の範囲内において、と憲法を意識した上で武力行使の先にある武力攻撃を行う選択肢は、あり得るのかもしれない、と。

 空文化というならば。自衛隊の前身となる警察予備隊が創設された1950年は、6月25日に朝鮮戦争が勃発しており、しかし事実上の再軍備であるとしてソ連は極東委員会を通じて抗議するところとなりました。既に警察予備隊の時点で105mm榴弾砲やM-24軽戦車の供与が開始されていましたが、当時の吉田政権は装備は貸与装備と強弁したこともあった。

 憲法は実定法ではない為に冗長性がある、ならば憲法を改正せずとも、国会決議とともに司法府が統治行為論の範囲内であると付随的違憲審査権を行使するか、憲法裁判所のような枠組みでもフランス憲法裁判所のように政治問題には判断を行わず行政裁判所、つまりフランスの場合は議会、判断されるならばこちらを支持するならば、改正する必要はない。

 冗長性といいますと、軍隊ではない自衛権のための実力集団という曖昧なかたちで創設された自衛隊ではあるのですが、結局、自衛隊法を国権の最高機関である立法府が民主的選挙により選ばれた代議士の過半数賛成をもって成立させたものであり、統治行為、つまり政治問題として立法府が選んだ行政府の決定ではあるのです。故に選挙は慎重に、と。

 軍隊ではない自衛権のための実力組織としての自衛隊、こういう位置づけではあるのですが、憲法の冗長性を活用する形で創設された自衛隊は年々近代化を、いや戦車と火砲とヘリコプターの縮小を目の当たりにしますと一概に近代化とはいいたくはないのですが、まあ装備や増大する任務への対応能力は順次整備されてきまして。しかし敢えて建前主義を。

 専守防衛、今後大きな議論となりますのは2020年代初頭まで日本の防衛はダウンフォール作戦の続きを考えていたものでした、具体的には防衛計画の詳細は発表こそされないのですが、ソ連軍の夏季北海道北部侵攻という高い蓋然性のもとに、道東地区や石狩湾上陸、新潟侵攻による首都圏全面侵攻など、いわば本土決戦に備えて。なのでした。

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憲法記念日二〇二四(1),日本国憲法施行の日は大日本帝国憲法が改正された記念日

2024-05-03 20:23:55 | 北大路機関特別企画
■本日は憲法記念日
 旗日であり祝日の一つではあるのですけれども本日は。

 5月3日、本日は憲法記念日の祝日です、日本国憲法施行の日、大日本帝国憲法が改正された記念日です。日本国憲法制定は太平洋戦争敗戦後、そして新生日本の建国を祈念して制定された、非常に先進的な憲法であり、たとえば男女同権が明示されている憲法は世界には未だ日本国憲法のみですし、平和的生存権の明記という点でも世界に先駆けたものが。

 憲法とはその国の制度を示した、構造、という単語と共通するものでありいわば日本のあり方そのものと倫理観や国家体制のあり方というものをしめした法体系です。ただ、実定法というような機能を有するものではなく、また併せて、刑法や民法などは明治憲法施政下に制定されたものであり、憲法の精神との、その齟齬なども幾度も問題視される。

 明治憲法と現行憲法の民法や刑法をめぐる齟齬というものは、昨今であれば同性婚の問題、少し前であれば象徴的なものとして義務教育でも教えられるのは尊属殺重罰規定、厳正に解釈すると憲法には冗長性のはばがあります、そして冗長性の幅を実定法のけんけつに当てはめたものが憲法解釈であり、その冗長性の幅も時折議論となる事は確かでしょう。

 58年、憲法記念日その都度にやはりNHKなどの政治討論番組などで論点となりますのは憲法改正という視点です。そして2024年は1947年から77年を経た年となるのですが、1947年というのが、明治憲法制定の1889年から58年を経ての憲法改正が日本国憲法なのですから、58年と77年、明治憲法よりも日本国憲法は長生きしているのですね、ゆえに。

 解釈という憲法の冗長性を考えるならば、それは司法と立法府の工夫とともになにより良心が試されるとも思うのですがしかし、その冗長性を無視絵現に認めてしまいますと文字通り憲法の立ち位置というものが曖昧になり、ともすれば空文化という問題が生じてしまうのではないか、憲法の意義の喪失、という懸念が生じることはご承知の通りです。

 九条、そして憲法問題を考える場合において避けて通れないのは、憲法九条の問題です。同性婚の問題や尊属殺人の問題に環境権やプライバシー権利、もちろん重大な問題ではあるのですが、個人の世界に関わる問題ではある一方で、安全保障に直結する九条の問題は世界そのものに関わる問題ではあるのですから、これは本題となりますが、重要な視点で。

 構造、国の方向性を示すものではあるのですが九条の問題は、しかし安全保障環境と軍事技術の基盤が根本から変容している中にあって77年の時間というものを考えるにはあまりに長すぎるのではないかという視点です。なにしろ憲法制定の1947年はアメリカが唯一の核保有国、ソ連さえも核実験の前であり、核兵器を保有していなかった時代なのですから。

 日本国憲法と日米安全保障条約は一体のものである、こう理解されるのはもともと日本が安全保障を依存する構想であったのは進駐軍による安全の確保であり、これは後に1956年に日本が国連加盟を果たしたのちにも国連警察軍のような超国家的な集団安全保障の枠組みも実現することはなく、日本の安保依存の基盤が形成されていました。

 憲法の問題、毎年のように考えなければならないことは、現実の議論と思いこみの議論、後者についてはフェイクニュースなのか無知なのかの分水嶺で議論が進むためにかみ合わない状況画議論を進められず、しかし危機というものは制御しなければ進んでゆくために制御せず放置することはかえって事態を危機的な方面へ導いているという認識も必要だ。

 九条を念頭に議論しますと、即座に徴兵制の話題をもちだして子供が戦場で死ぬという、論理の飛躍がありすぎるような展開が、これはWeb上などで散見されます、そして何度も同じ方が同じ投稿をしている場合もみられ、これはいわゆる認知戦なのか無知なのかというところが傍目にはみえなくなってしまうのですけれども。

 認知戦や接近拒否領域阻止という概念、憲法の安全保障を巡る問題で難しいのは日本国憲法施行当時には核兵器さえアメリカ一国が独占している状態であり、確実なパックスアメリカーナ、自由と公正という意味で、成り立っていた瞬間があるのですが、日本国憲法施行から僅か2年後にソ連が核実験に成功し、ここで平和憲法の土台は崩れていたのですね。

 1950年の警察予備隊創設、1951年の日米安全保障条約締結、1956年の集団安全保障機構である国際連合加盟、本来ならばここで解決しておくべきであった安全保障との向き合い方ではあるのかもしれませんが2020年代、ロシアウクライナ戦争と台湾海峡、そして朝鮮戦争という日本に影響が及ぶ緊張を背景に、今一度向き合い方を考えるべきなのでしょう。

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二〇二四年度-本日より新年度,新しい年度もWeblog北大路機関をどうぞよろしくお願いいたします

2024-04-01 07:00:58 | 北大路機関特別企画
二〇二四年度
 新年度、みなさま本日四月一日より新年度2024年をがはじまりました。新年度も北大路機関をどうぞよろしくお願いいたします。

 Weblog北大路機関というWeblogは2005年に阪急十三駅の乗換を待つ時間帯に立ち上げました、当時はエアエッジというPHS端末をノートPCに挿し込む方式であり、通信速度は32kbpsという、現在のスマートフォン4Gや5G通信やWifi通信とはけた違いの遅さではありましたが、2005年の時点で携帯端末から写真の掲載など既に可能となっていました。

 北大路機関そのものは既に先行して、在日米軍再編と沖縄基地問題を考える大学生の自主ゼミとして創設されていましたが、Weblog北大路機関も、安全保障と防衛に関する多彩な情報と考え方などを提示し、また自衛隊行事の紹介を通じて実際の防衛力の現状などを考える一つのメディアを形成していて、毎日複数回の記事更新を継続的に維持出来ている。

 EOS-Kiss-NはEOS-7DmarkⅡに、VAIO-UはiPadに、機材は大きく変化していますが、同時に国際情勢の変化も大きく、考えてみますと2005年には多彩な防衛関連の専門Webサイトがありましたが、その多くは更新を終了していて、一方で国際情勢の激変は著しい変化を日々展開するとともに、我が国防衛力整備も2005年とは次元が違う状況となった。

 防衛は、しかし現在の国際情勢は新聞報道を見るだけでも、ロシアウクライナ戦争、北朝鮮の核兵器及び長距離ミサイル開発、台湾海峡の緊張、中東情勢緊張の世界への波及、アフリカ地域の政情不安拡大、サイバー空間での認知戦の広範化、何れ一つとっても、第二次世界大戦後にここまで世界危機が導火線を編み物のように並べた事が在ったでしょうか。

 しかし、認知戦の問題などは複雑ではあってもサイバー空間は見方を変えれば個人の価値観を公の価値観と議論させるかつて難しかった障壁を多くひき下げている事もまた事実であり、こうした中にあって長文を掲載するWeblogという媒体は短文を主体としたSNSに押されている事もまた事実ではあるのですが、新年度も今まで通り掲載してゆこう、と。

 北大路機関、もちろん完全ではありません、時事関連の情報は情報精査や部内研究会での情報を開示情報として掲載する為に遅く、部隊行事紹介も執筆能力から時間もかかり、依然として誤字脱字は存在するとともに、手持ち写真で代用する為に誤報虚報と誤解される事も多い実情がありますが、2024年度もWeblog北大路機関をよろしくお願いいたします。

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年度末-新年度も北大路機関をどうぞよろしく,明日から2023年度から2024年度/令和五年度から令和六年度

2024-03-31 20:14:24 | 北大路機関特別企画
■明日から新年度
 年度末の御挨拶です。今年度もいろいろありましたがWeblog北大路機関の掲載を継続する事が出来ましてこれも読者皆様のおかげです。

 今年度もいよいよ本日まで、明日からは来年度です。2023年度から2024年度、北大路機関としては大きな改編計画もなく年度末改編や改組も当然ながらありません。ただ、2023年度は2022年より本格的に毎日二記事体制を開始し、朝には時事情報、とはいいつつ実際にはウクライナ戦況分析を、夜には通常の記事を掲載しています。

 防衛情報、北大路機関は新型装備や艦艇動向などの情報を創設以来逐次夜の記事として、しかし時事情報故に不定期として掲載してまいりましたが、こちらは月曜日と火曜日、第二北大路機関の時事情報インポート記事と最新時事情報を分けて毎週二回掲載してまいりましたが、COVID-19新型コロナウィルス感染症世界的流行禍以来の改訂でした。

 防衛情報を毎週前半にまとめ、そして毎週中盤に名所旧跡紹介を、しかし単純な観光案内ではなくもう少し、日本とは日本人とは日本文化とは、という歴史と文明の形成まで持論と解釈を盛り込んで掲載しています。実際には、行く場所が好奇心以上に多くなるために撮影に対して文章が追い付かないという状況ですが2回から3回掲載しています。

 京都幕間旅情と京都発幕間旅情、京都か京都以外か、という大雑把すぎる区分ではあるのですが、あまり防衛に自衛隊に軍事ばかりを掲載するよりも、駐屯地の周りには、というよりも国防の国防たるゆえんの国というものを焦点として掲載しました話題は、何故か現場の方にはいい反応がありまして、こちらも定着しました印象があります、が。

 京都発幕間旅情が実質として城郭特集となっていますので、実は京都以外の寺社仏閣もそうとうに巡っていますし、例えば永平寺、例えば善光寺、例えば善光寺、例えば三井寺、思い浮かぶこうした大寺の歴史と日本文化への影響の度合いを考えましたならば、こうした写真を掲載せずそのまま蓄積している状況は、どうにかしなければ、とも思う。

 日記カテゴリなど、もしくは旅行カテゴリ、既にOCN時代から旅行記というカテゴリがあるためにgooブログテンプレートの旅行カテゴリと区分化できていない状況がありまして、京都発幕間旅情の寺社仏閣特集はこうした部分を活用できればなあ、と思うのですが、一方で、毎週何曜日にこの話題を含めるのかについては、まだ検討中のところ。

 グルメについては、定着できた。毎週土曜日の昼過ぎと日曜日の夕方に掲載し不定期で朝の話題としても紹介しています。こちらもグルメというのはgooブログのテンプレートカテゴリに含まれていましたので掲載するところとしましたが、題名は迷いに迷って、榛名さんの総監部グルメ日誌、というどうみてもどこからか影響を受けた題材でして。

 榛名さんの総監部グルメ日誌、もともとは2020年の3月に練習艦隊江田島出航を、COVID-19の上陸がいよいよ始まったころに撮影した後、二か所ほどカレーや巡りと楽しんだのですが、両方の店が夏までにコロナの外食自粛影響を受け廃業してしまったという実情に驚き、こういう飲食店があるんだ、という視点から開始した話題でした。

 榛名さんの総監部グルメ日誌、毎週二回の掲載ですが、今のところ、京都四回、京都以外四回、という連続で掲載しようと編集しています。味覚表現の拙さなどはご笑覧とご勘弁を、と思うところですが、見守っていただければ、とおもいます。2023年度もいよいよ本日限り、新年度もWeblog北大路機関をどうぞよろしく、お願いいたします。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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本日は東日本大震災発災十三年、あの東北地方太平洋沖地震発生から十三年目を迎える日となります

2024-03-11 07:00:31 | 北大路機関特別企画
■忘れ得ぬ3.11
 本日は東日本大震災発災十三年、あの東北地方太平洋沖地震発生から十三年目を迎える日となります。

 ミッシングマンフォーメーション、本来は政治家や軍人の追悼の為に編隊飛行を行う航空機の内、一機が高く急上昇し、さっきまで居た人とのわかれを編隊から一機が欠ける事で再現し、一機の不在の様子に故人の冥福を祈る。あの東日本大震災の後には、航空祭でもこうした慰霊飛行からオープニングフライトが行われていた事を、印象的に思い出します。

 マグニチュード9という巨大地震は歴史地震などの世界で確認するものと思っていましたが、いまの日本列島、地球上と歴史の地球上は同じ近くの上に位置している事を思い起こさせると共に、緊急地震速報から二分いや三分以上を経てゆっくりと、そう大型船の航行のよな揺れ方を、NHKが報じている東京撮って、の悲鳴の先に感じたのは忘れられません。

 巨大な津波、襲来までは時間が有りましたが当初の波高3m以上という数字はみるみるまに計測不能となり、政令指定都市を含め無差別に沿岸部を蹂躙し港湾を田畑を市街地を空港を、原発を、人命もろとも呑み込み押しつぶし避難する車列や安全とされた高台の避難所さえ蹂躙する様子は、全て空撮が世界中に報じる中、祈る、という行為以外できません。

 二万の人命が僅か数時間で失われる。ロシアウクライナ戦争やイスラエルガザ戦争、世界では戦火が絶えないところではありますが、数時間で二万もの人命が失われる状況、第二次世界大戦では確かにあった悲劇ではありますが21世紀にこうした状況、ハイチ地震や四川地震やトルコシリア地震など、やはり地震は常識外の被害を及ぼすと実感してしまう。

 災厄は数多経験者が話すものですが、あの日の夜は珍しく編隊飛行するヘリコプターの機影が見えた。巨大な津波により仙台空港が蹂躙され、地震により滑走路が確認できない成田空港と沿岸部の羽田空港、海上埋め立ての中部国際空港と関西国際空港は閉鎖、航空管制支援に航空自衛隊はE-767を派遣、AWACSの災害派遣は世界でも初めての事例でした。

 自衛隊災害派遣一つとって派遣規模10万、延べ派遣部隊は1000万を超え、少しでも乗れるものは輸送機にとT-400練習機まで輸送機に。史上初の地震による原発事故により当時の技術研究本部からも派遣され、輸送力の限界から那覇の第15旅団はオーストラリア空軍が輸送支援を行う。これは想定の片隅に置かれた事案ではあっても中心に据ええなかった。

 災害派遣の現地の様子を最初に写真で発表したのは名古屋の第10師団であったか、東北方面隊の部隊は全て現場に忙殺されていた、撮られた映像は後日示されたもの。東北方面隊の情報伝送機だけは確かに、気仙沼の津波火災などを冷静に伝え、報道のような余分な音声の無い静かな映像は、それが現実であると。歴史地震は再来する、いや、再来した。

 3.11、東日本大震災が起きた2011年から13年目の本日です。アメリカでは同時多発テロを忘れぬよう9.11という言葉が定着しましたが、日本では歴史地震が再来するという意味で3.11という言葉が定着しています。起きないと願っただけでは起きうることの被害を避ける事は出来ない、今日一日はそうした3.11の追悼とともに、過ごしたいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ロシアウクライナ戦争開戦二年,あなた方は戦う準備はできているのかという問いと平和を悪用させぬ覚悟

2024-02-24 20:24:22 | 北大路機関特別企画
■戦争開戦二年
 2022年2月24日のあの日から二年です。日本は依然として平和を謳歌していますがその平和は維持する努力と覚悟が無ければ願うだけの平和主義では成果としての平和は受け取れない。

 ロシアウクライナ戦争は本日、開戦二年目を迎えました。戦線は膠着していますが、総力戦体制を完成させたロシア軍の人命や装備を考えない攻勢を前に、総力戦体制を固めつつも国力の限界と、現在の戦争を限定戦争と見做している欧米支援の低調や欧米軍需産業の限界により、緩慢ではあるもののゆっくりと押されている、これが二年目の戦争の現状だ。

 支援疲れ、ウクライナを支援する有志国のなかにあって例外的なのは日本なのかもしれません。それは憲法上防衛装備品の提供を自粛し、いや高機動車や個人防護装備と糧食や衛生器材などは奥ているが、そして言語の壁からウクライナ避難民も数千の規模であり十数万を受け入れる諸国とは事情が違う、復興支援や人道支援はODAの規模に留まっている。

 ウクライナ支援、すると世界にウクライナ支援の余力があるのは日本だけではないのかと思うのです。それは、ウクライナを敗北させる事は遠い視点では日本有事に間接的に響くものであり、一方的な侵略を受けたウクライナを敗北させる事になれば、日本の戦後平和主義や平和政策を土台から覆され、大東亜戦争さえ正当化させる時代の再来を意味します。

 捨てている装備位そのまま税金を積んで解体するのではなくウクライナに供与してはどうか、毎年数機のAH-1S対戦車ヘリコプター、毎年数十両の90式戦車、毎年数十門のFH-70榴弾砲、毎年数両のMLRS多連装ロケットシステム、毎年数セットの81式短距離地対空誘導弾、毎年1隻の潜水艦、毎年1隻の護衛艦、毎年数機のC-1輸送機を使えても廃棄へ。

 捨てている装備を、ウクライナへ直接供与できないならば、ウクライナへ軍事供与を行い現役部隊の装備が定数割れとなている欧州諸国やオーストラリアとカナダへ譲渡してもいいのではないか、例えば潜水艦、稼働潜水艦を調達するには邦貨換算一千億円近くが必要で、これを高々20年使っただけの動く艦を供与するならば、受領した国は国防費に余裕が。

 90式戦車やFH-70榴弾砲は、稼働する火砲の少なくない数を供与したことで再生産まで定数割れのまま、全面稼働生産でも代替装備が揃わない国には干天の慈雨というべき装備となりますから、ウクライナへ供与した分の装備補填が無く不足している故に追加生産の装備費用も高騰している国へ廃棄する装備を供与しては、とも思うのです。せめてそれ位は。

 次は西欧の番なのでしょう。ロシア政府はウクライナ軍を相手に大量の損耗を強いられている実情を国内に公式説明する際、公然と、ウクライナ軍との戦いはNATOやアメリカとの戦いとなていると説明し、国内世論に既に解決が難しい欧米諸国との対立の種をまいています。しかし同時に、その欧米諸国にはロシア世論として、日本も含まれているのです。

 あなた方は戦う準備はできているのか。ウクライナのポドリャク大統領補佐官が、ロシアウクライナ戦争開戦二年目に関するNHKの特別インタビューにおいて話されたうちのひとことです。それはウクライナが苦戦を続けている最中、欧米や豪州の有志諸国の軍事援助が滞りがちとなっている状況で、ウクライナが敗れれば次ロシアが向かう先を示唆した。

 日本は制度上、北海道ではロシア軍の上陸を想定した防衛体制を冷戦時代から維持していますし、長年防衛空白地帯といわれてきました九州沖縄南西諸島の防衛も水陸機動団や南西航空方面隊と戦闘機増強に離島防衛ミサイル部隊の強化や早期警戒機増強、その強化を順次進め、間もなく那覇の第15旅団は第15師団へ拡大改編され、一定の目処はつく。

 自衛隊の防衛基盤構築は創設以来大車輪で進められていて、実のところ少ないと言われ続けた弾薬備蓄なども、欧州の現状などを比較した場合は一概に少ない水準ではない。ただ唯一の問題は、戦う準備の優先度で、2000年から2020年代初めまで日本の防衛はミサイル防衛を第一としていたため、ヘリコプターなどがかなり削減されてしまっているのだが。

 自衛隊の準備が出来ているのは、自衛隊は冷戦後戦車と火砲はかなり減ったのですが、それでも欧州NATO諸国を視た倍、自衛隊以上の火砲や戦車を持つ国はアメリカやトルコなどごくわずか、そして冷戦取穴時に最大の護衛艦は、くらま、満載排水量7200tでしたが、今は護衛艦かが、満載排水量27000t、早期警戒機や輸送機などもかなり増強されています。

 冷戦後も防衛力を堅持した背景には、欧州正面ほど平和の配当、というような緊張緩和が北東アジア地域には成り立たなかった事と、もともとGNP1%防衛費、という最小限の防衛費しか長らく財務当局や国民世論が認めていなかった為に、憲法上集団的自衛権行使できず一国で戦わねばならない日本には減らす余地がなかった、ともいえるのかもしれません。

 本土決戦、そう日本の防衛は専守防衛、憲法9条のもとでの防衛は相手を本土に迎え撃って戦うという制度である為、1945年の沖縄戦のような戦いが日本の防衛戦略の基本形となります。自衛隊は絶対後悔されない防衛計画として、あらゆる地域に上陸される事を想定し、相手の輸送能力や部隊規模から防衛戦略を定め、侵攻宗教と揶揄されるような徹底で。

 しかし、これは制度と防衛戦略で、これを担保するのは憲法である、憲法が国民の平和的生存権を担保する為に本土決戦までは国民負担を求めないが、しかし本土決戦となった場合には国民にも、憲法そのものをまもるための負担というものを求められる、という事を、国民、いや群体としての日本社会が覚悟を共有しているのか、という素朴な疑問はある。

 集団的自衛権さえ、漸く第二次安倍政権で、つまり2010年代に、行使し得ることを法制度に盛り込んだため、つまり日米同盟や国連加盟国ではあるものの、日本は専守防衛と本土決戦主義を1954年の自衛隊創設以来堅持し続けてきました訳で、また集団的自衛権の行使は2024年の今日でも制限があり、無制限の行使は出来ず、一国で戦わねばならない。

 あなた方は戦う準備はできているのか。ウクライナのポドリャク大統領補佐官が問うた、日本への宿題のような問いには、日本社会全体で考えなければならないようにも思うのです。そして同時に、マニアの知識と笑われるのですが、ロシアが既に一万発以上をウクライナへ打ち込んでいる自爆用無人機の飛行距離は1500km、沿海州から日本にも届くのだ。

 平和、というものを考えなければならない、少なくとも軍事力による現状変更を試みる世界の国々の為政者に、日本の平和主義を悪用させてはなりません、平和は目的であり国際公序である、すると平和主義を第三国が様々な影響力を通じて日本に手段としての平和を求め結果としての平和よりも重視させるよう機運を醸成させることは、あっていいのか。

 平和を悪用させない、例えば日本が1930年代からの戦争に際して、平和を手段として用いるよう中国やアメリカで交錯していたらどうなったか、というようなものです。その真逆の行動を突き付けられているのではないか、それは社会全体で、平和の定義というものと手段としての平和と結果としての平和、どちらが尊いのかを考える機会が必要と考えるのです。

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新年防衛論集二〇二四【11】ラピットドラゴンやハーベストホークのような運用とその先の専用航空機

2024-01-07 20:00:41 | 北大路機関特別企画
■泥縄式防衛力整備の限界
 B-17はもともと爆撃機ではなく哨戒機であり沿岸防衛用であった、実際アメリカは第二次大戦緒戦に誤報でしたが戦艦榛名撃沈を発表しています。

 自衛隊は地上配備型として、その射程から射程内の周辺国に敵意を突きつける地対地ミサイルを大量配備するという現在の施策を採るよりも、安全保障協力法により活動範囲が拡大したことを受け、敢えて航空防衛力に現在整備されている反撃能力を転換してゆくべきではないのか、という視点でミサイルキャリアーを整備すべきと思う。

 B-21爆撃機、アメリカのノースロップ社が現在開発しているB-2爆撃機の後継機は爆撃機としての運用に加えて空対空ミサイルを大量に搭載し、DMO分散型ドクトリンに基づいた、ほかの警戒監視システムが標定した目標に対して空対空ミサイルを大量投射する運用を模索しているという。肝心のB-21初飛行はもう少しさきのようだが。

 C-17輸送機をミサイル母艦のように運用するラピットドラゴン計画やKC-130空中給油輸送機にミサイルを搭載するハーベストホーク計画など、輸送機をミサイル運用に、つまりミサイルキャリアーとして運用する計画は既に複数存在していて、防衛装備庁もC-2輸送機ミサイルキャリアー化の研究を開始したことが2023年に報じられた。

 C-2輸送機、アメリカが輸送機をミサイルキャリアーとして運用する計画の背景には、もはやアメリカ軍が将来想定する戦場では超長射程のミサイルが乱れ飛ぶ厳しい戦場となるため、安穏とヴェトナム戦争のように最前線へ輸送機が物資を輸送できるような状況ではないという念頭に、では輸送機の有事の任務とは、という視座がある。

 ラピットドラゴンやハーベストホークのような運用は日本でももちろん考える必要があると思う。いやそれ以上に、入間と美保に配備されているC-2輸送機はC-1輸送機と同程度まで機数を回復させるべきであるし、小牧のC-130Hも、取得費用が高騰しているC-130JなどではなくC-2を配備すべき、そしてもう一個飛行隊増やすべき。

 しかし、そのさきに、です。日本としてはこのまま地対地ミサイルを増強する、陸上自衛隊のミサイル自衛隊化というべき状況を進めるべきなのだろうか、それよりは様々な地域へ展開させるための装備であると方便が成り立つ、オーストラリアが一応検討したB-21爆撃機のようなものを導入すべきではないか、とおもうのですね。

 F-35戦闘機とともにイギリスとともに共同開発を進めるGCAP次期戦闘機計画と、F-15戦闘機近代化改修計画、航空自衛隊の防空能力は大きく強化されてゆく過程にはあるのでしょうけれども、それ以上に我が国周辺ではJ-20戦闘機の量産強化や既に膨大な数となっているJ-16戦闘機と、日本の防空強化は既に後手となっている状況だ。

 爆撃機とは、と反論される方もいるのかもしれませんが、これは都市爆撃など、日本で記憶されているB-29のような運用を念頭としたものではなく、海洋哨戒と対艦攻撃を念頭としたB-17のような運用、というべきなのでしょうか。もちろんB-17は使い方によっては爆弾搭載能力も大きく、というよりもドイツでは都市攻撃に用いられましたが。

 航空優勢を確保できる戦闘機、といいますか要撃機、これを確保することが理想なのでしょうけれども。かつて中国空軍が4000機と世界最大の空軍を保持していた時代にはその戦闘機はJ-6やJ-7,日本は沖縄県を含めその戦闘行動半径外でした。しかし現在は機数こそ大幅にコンパクト化しましたが、Su-27やJ-10などは西日本まで戦闘行動半径に含む。

 F-2戦闘機でも充分な数が合れば、中国軍に対して、反撃能力とか、敵基地攻撃能力というような踏み込んだ防衛力を整備せずとも、つまり今までの種類の装備で充分対抗できるのかもしれませんが、それはF-2戦闘機をかつてのF-86F戦闘機のような数、F-86Fは420機ほど名古屋で製造されましたが、これくらいなければ足りません。

 年産36機程度、というところでしょうか。もちろんF-35の配備やGCAPの開発と並行して量産して、なんとか中国空軍の圧力に対抗できる、という印象です。ここまでの大幅な拡張は非現実的である、と成りますと、何か選択肢を変える必要はないか。ここでB-21のような航空機とC-2のラピッドドラゴン運用を提示しました次第です。

 結局のところ、防衛力は現状では不充分なのですが、継ぎ足し方式の戦闘機定数のような泥縄式の防衛力整備だけで十分なのか、ゲームチェンジャーのような画期的な防衛力の核心を行う必要はないのか、と考えるのです。もっとも、これは今政府が進める反撃能力こそがこれに当るのですが、そのほかにも選択肢はないのか、考えてみました次第です。

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