北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】岐阜基地日常風景,C-1輸送機初号機/C-1FTB飛行訓練(2024-04-27)

2024-05-25 20:24:39 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■C-1FTB飛行訓練
 C-1は撮影出来る時に撮影しておこう。

 岐阜基地に隣接する三井山の三井城跡に少しだけ時間がありましたので上って参りました。こういいますのも、そろそろC-1輸送機の完全退役という時代が見えてきましたので、COVID-19新型コロナウィルス禍下でのファントム撮影を少し思い出した構図で。

 T-4練習機、岐阜基地では定番のように飛行しています。考えれば岐阜の飛行開発実験団でも運用されていますがそもそもT-4を開発したのは川崎重工であり、そして川崎重工岐阜工場においてT-4は製造さえているのだから本場といえばT-4の本場なのです。

 C-1FTBが動き始めた。この写真だけをみますと雪山を背景にT-4練習機が力強く浮き上がっている様子しかみえないのですが、よくよく注目しますと誘導路を進んでいますC-1FTBがみえています、つまりこれから離陸するという状況でもあるのですね。

 T-4練習機の旋回、タッチアンドゴーを繰り返しているのですが三井山からはその滑走路にタッチしてゴーの為に離陸した直後の旋回をよく、眼下とはいわないまでも、地上で撮影するよりも若干近い位置から撮影できてしまう、だから山に登りました。

 C-1FTB,離陸準備のために滑走路エンドに進入しました。岐阜基地を眼下に納めることのできる撮影位置としてはここ三井山のほかに東海自然歩道という山の稜線に沿った遊歩道がありまして、実はその道をたどると比叡山まで続いているのですけれども。

 とんだ、飛び上がったC-1FTB,川崎重工岐阜工場と岐阜工場で定期整備としてはいっていますP-1哨戒機とともに構図に収めました。C-1は短い滑走距離でふわりと舞い上がるように離陸しますから、動き始めたC-1はファインダーからはずさないように。

 三井山から撮影できる構図というのは、各務原市街地の一部を順光の構図で航空機写真とできるところでして、基地から離陸する航空機を眼下に納められる構図、岐阜基地以外だと、小牧山と小牧基地は遠く小松基地と白山は遠すぎるため、貴重な立地、か。

 東海自然歩道から撮影する場合は、実はかなりこの三井山よりも標高が高いために名古屋市のビル群を背景に構図に収められるというのですが、逆光なんですよねえ、というのは建前の言い訳、標高が高い分三井山よりも上るのに時間がかかり、そして疲れる。

 EOS-M5で撮影したものなのですが、実はこの日、このほかに一眼レフを持っていませんし2400mm超望遠を誇るG3Xも手元にありません、所用ついででしたので本当にミラーレスだけをもって、しかし身軽でしたので三井山頂上まで10分で上ってしまえた。

 ミラーレスには十年近く放置していた55-250mmISという、EOS-KissX7を2014年に購入した際のダブルズームキットのキットレンズにEF-Mレンズコンバータを取り付けて無理矢理M-5で使っているものなのですが、250mmレンズは無いよりマシ以上の性能が。

 雪山とC-1FTB,ちょっと雪山にしては雪が少ないですけれども上々といえるところか。EOS-7Dほどの性能はないものの軽量なので行ける機会と身動きが身軽というものは撮影機会を増やせることにつながるのか、実際短時間でこうした構図を撮れたのだし。

 C-1輸送機、日常風景に溶け込んだといいますか基地間輸送から空挺部隊や実任務まで便利に使われていました航空機なのですけれどC-2輸送機の数がそろってきましたので、そろそろ、という時代がきてしまいました。悔いのないよう、写真に収めよう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】中部方面混成団創設17周年記念大津駐屯地祭,事(2024-04-27)

2024-05-16 20:24:26 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■中部方面混成団祭
 ゴールデンウィークの序章という季節に行われました大津駐屯地祭の観閲行進の様子その続きを掲載しましょう。

 自衛隊はかつて新隊員という制度がありまして、そのむかしは誰でも試験を受けて合格しますと新隊員となれたわけですけれども、現代では自衛官候補生という身分から始まります、そして昔は曹候補士という制度があったのですが、いまは曹候補学生、と。

 曹候補士と曹候補学生、文字ではよく似ているのですが全く異なる制度でして、昔ありました曹候補士では、どんな状況でもいつかは陸曹に昇進できるという一種の終身雇用制度でした、これが曹候補学生となりますと七年以内に昇進できなければ退職という。

 七年以内というのは長いようで実は、例えば五分の遅刻が数回重なりますと昇進に影響する、と言いますか陸曹に昇進できる枠が予め決まっていますので、しかも遅刻というのが課業外の時間、夕方の外出などでも門限があり帰隊遅延というのがおこりうる。

 課業開始時刻に遅刻するならば懲罰ものというのは理解できるのですが、交戦中の軍隊が占領地にいるわけではないのですから課業時間外に門限や遅刻を設定すること自体、これが日本社会では普通としていけ入れられるのかなあ、という印象があるのです。

 陸曹は、しかしその分選ばれているといいますか、もともと日本の下士官は世界一という評判、なにしろ沖縄戦では2個師団で42万の米軍相手に大立ち回りしたのだから、こういう評判がある通り、今の自衛隊の陸曹の水準も高いことは確かなのですが。

 観閲行進の装甲車両は、過去の大津駐屯地祭と比較しますと過去には中部方面混成団の隷下部隊であり即応予備自衛官主体の第47普通科連隊と第49普通科連隊が、それぞれ海田市と豊川からまとまった車両を派遣していましたが、今年少ないのは残念だ。

 能登半島地震災害派遣の関係で、あの元日の地震災害は起こりうると分かっていても緊急地震速報が鳴り響いた後で頑丈なコンクリート製の家屋が実際に揺れて驚かされたのですが、この際に即応予備自衛官も召集されて派遣されたゆえ、即応性に驚く。

 即応予備自衛官という名の通り、とは驚いたのですが、考えてみると正業があっての予備自衛官なのですから、日曜日に、いや事前準備と撤収に車両点検を考えると三日仕事となる、即応予備自衛官を集めて式典参加というのは無理があったのかもしれない。

 第3師団隷下部隊も中部方面特科連隊、中部方面特科連隊というと三月に新編したばかりの編成完結間もない部隊、この参加とともに見慣れたFH-70りゅう弾砲だけれども、見慣れない名称の部隊、四国では見慣れていたのか、これもまた新鮮に思える。

 16式機動戦闘車は2両参加してくれました、第3偵察戦闘大隊、アナウンスでは略して第3偵察大隊と流していたので、もしかして新しい部隊改変があったのか、と驚かれたようですが、さすがに昨年の今年で戦車大隊を再編できるほど自衛隊は器用ではない。

 偵察戦闘大隊、大隊本部にくわえて偵察中隊と戦闘中隊という、そのうち隊本部に無人偵察機隊が加われば本部管理中隊か指揮情報中隊に拡大されて偵察戦闘隊と隊編成に格上げされるのだろうか、もしくは別個に情報隊が第8師団のようにできるのだろうか。

 105mm砲を備えた16式機動戦闘車は有用な装備なのですが、即応軌道連隊の機動戦闘車隊が2個中隊基幹であるのにたいして偵察戦闘大隊の戦闘中隊は一個中隊の身ですので、2両参加でも大変、昔の第2戦車大隊のように中隊定数が増えればとも思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】中部方面混成団創設17周年記念大津駐屯地祭,自衛官候補生たちの初記念行事(2024-04-27)

2024-04-30 20:00:54 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■大津駐屯地祭二〇二四
 土曜日に撮影して参りました今年度の大津駐屯地祭の様子を速報の形でしょうかいしましょう。

 中部方面混成団大津駐屯地創設記念行事、行って参りました。大津駐屯地、中部方面隊の教育訓練総本山であると共に即応予備自衛官部隊の教育訓練も一手に担う駐屯地です。第2教育団、旧称はこのように呼ばれていまして善通寺駐屯地から移駐してきました。

 指揮官入場、各部隊の指揮官が入場します。特に中部方面混成団隷下には第109教育大隊と第110教育大隊が隷下にありまして、自衛官候補生、昔は新隊員と呼ばれていましたが最近はすんなり自衛官にはなれずに自衛官候補生と呼ばれる、その教育を担います。

 野崎混成団長の巡閲、昔はすごい人数であったのですが、第110教育大隊が善通寺駐屯地から大挙式典に参加していましたので、二個大隊ずらりと並んだ様子は壮観でした、けれども現在は大津に駐屯しています第109教育大隊と陸曹教育隊だけが整列しています。

 第47普通科連隊と第49普通科連隊も混成団隷下に在りまして、連隊旗が2振り並んでいますが、こちらも連隊幹部だけの参加となっていまして、前は一個中隊位は並んでいたのになあ、と日曜日に部隊を動かさないのはこれ、働き方改革、なのでしょうかねえ。

 観閲行進の開始、今回のEOS-M5には15-45mmSTMレンズだけを装着していましたのでちょっと望遠が厳しい、PowerShotG3XとEOS-7DmarkⅡの写真は現在整理中となっています。この混成団隷下の普通科連隊は即応予備自衛官を招集し能登地震にも派遣された。

 第109教育大隊が本田大隊長を先頭に観閲行進、戦車乗りであった大隊長さんは後方や地本勤務なども長く、考えてみると戦闘職種でも最先鋒を担う戦車乗りから様々な任務にあたったかたで、こういう人材をたくさん練成してきたのが陸上自衛隊の強みなのかも。

 教育大隊長という任務は、多くの自衛官にとり昔風に云う軍隊生活において初めて接する大隊長、2士には2佐というのは遥か高みというところですが、その人となりは自衛官生活では長く印象に残りまして、例えば陸曹昇進や部内から幹部に任官しても影響はおおきい。

 自衛官候補生の観閲行進、女性自衛官の教育中隊となっています。大津駐屯地は撮影適地が多く、観閲行進をこの側面から観閲台とともに撮影する事も出来ますし真正面から撮影する事も出来ますし、椅子席も一部が一般に開放されていますので其処からも撮れます。

 第4陸曹教育隊の観閲行進、今年ちょっと残念であったのはスタンド席が準備されなかった事です、いや、スタンド席は全て関係者用なのですが、ここは新隊員、じゃない自衛官候補生、その部隊なので父母の方が観覧に来られるのですね、その為のスタンド席という。

 スタンド席はどの駐屯地祭で利用しましても、眺望は良いものでして、最前列でなくとも行事の様子というのはりっかり見えるものなのですけれど、今回はテントとなっていまして、いや小雨の際には濡れないのですが、その反面ちょっと見えにくいのですよね。

 陸曹教育隊をみますとちょっとほっとします、こういうのも陸曹に昇進しますと、漸く定年まで勤められるという事になるからです、それまでは曹候補学生ですと7年以内に昇進して陸曹教育隊を出ないと退官、任期制自衛官は2任期4年で狭き門をくぐらねば。

 幹部自衛官は終身雇用なのですけれども、自衛隊へ就職するという視点で見ますと昔の曹候補生のようにいつかは陸曹に昇進できる事実上の終身雇用制、公務員の安定した身分というものが過去のものになってしまっていますので、募集広報は苦労が続いているのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】久居駐屯地創設72周年記念行事,新年度最初行事紹介は機甲装備抜き(2024-04-07)

2024-04-14 20:00:26 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■久居駐屯地祭訓練展示
 観閲行進がすすみます。自衛隊の普通科部隊は120mm迫撃砲を装備していますので比較的火力が高い所なのですけれどもさて。

 久居駐屯地祭の訓練展示は、戦車が無ければ、という事を現実という形で展示させることで警鐘を鳴らしているのではないか、という印象でした。第10戦車大隊廃止、そして任務を引き継ぐ偵察戦闘大隊は車両不足なのか16式機動戦闘車さえ来ていません。

 16式機動戦闘車は、そう87式偵察警戒車の後継として考えるならば非常に優れた車両だと考えます、25mm機関砲だけの装甲車両では敵に前衛を突破しての偵察は出来ず、実際第7師団では偵察小隊に90式戦車を置くも87式偵察警戒車は斥候小隊にある。

 105mm砲を突き出した機動戦闘車、威力偵察には十分な戦力がありますし状況が不利な場合には高速で離脱することも出来るでしょう、けれども、それにしても偵察を行うにはある程度数が必要でして、それが揃っていない。だから訓練展示でもどうしても。

 偵察戦闘大隊の人員規模は250名程度なのですから、普通科連隊の普通科中隊は220名、それほど人員規模が違うものではない、すると連隊戦闘団を編成する際に各普通科連隊の隷下に偵察戦闘大隊を置く程度の編成でなければ本来の任務は出来ないのでは。

 軽装甲機動車は配備されていますので防御戦闘の主体となる、そうした展示なのですが軽装甲機動車は1990年代に開発が進み2000年代初めの、国際平和維持活動などの増大を背景に設計された小型装甲車です、大規模戦闘への対応を想定しているのか。

 小型装甲車として軽装甲機動車が構想されていた時代には小銃班を2両乃至3両に分散配置し、下車戦闘ではなく乗車したままでも下車戦闘のように広い地域を分散して制圧できる運用を考えていた、という。それはもちろん2000年代初頭、普戦協同が前提で。

 日本製鋼所によるパトリアAMV装甲車の量産が開始され、一応指揮通信車などの用途もあるようですが普通科連隊にも回る計画だという、即応機動連隊所要には別枠で共通装輪車両の歩兵戦闘車型が配備される計画ですのでもう少し待てば装甲化も進むのか。

 三菱重工のハーケイ装輪装甲車と丸紅エアロスペース輸入のイーグルⅣ装輪装甲車が軽装甲機動車後継車両として評価試験と選定作業を進めている最中ですので、装甲車両は普通科連隊にパトリアAMVともう一車種、装備される事で強化されるのでしょうが。

 中距離多目的誘導弾くらいは戦車大隊廃止に伴う装備強化の一環として入っているのではないかと期待しましたし、なにより16式機動戦闘車が、豊川駐屯地は遠いといわれるかもしれませんがここ三重県は豊川駐屯地のある愛知県の隣県、来なかったのは、ね。

 訓練展示はグレーゾーン事態から非正規部隊の浸透と敵地上部隊の侵攻という展開でしたが、仮設敵は若干規模の装甲車両と、何故か対戦車ヘリコプターに偵察警戒車を加えた陣容でした。ただ十数人規模の攻撃というのは昨今のロシア軍の攻撃と似ているよう。

 ロシアウクライナ戦争では、緒戦の大規模な信仰の後にロシア軍は戦力の組み直しを続け、しかし動員によりロシア軍は150万規模にまで膨れ上がるとともに、アウディイフカやバフムト近郊では小隊規模の攻撃を極めて頻繁に繰り返しているという状況なのだが。

 しかし普通科連隊、地域配備師団と即応機動師団の区分が国家防衛戦略により廃止され、有事の際には最前線に展開するわけですから、装甲車と対戦車ミサイルに無人機などの装備、また戦車についても代替手段、機動砲など、考えねば、と痛感する展示でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】久居駐屯地創設72周年記念行事,新年度最初の行事紹介は第33普通科連隊(2024-04-07)

2024-04-11 20:17:51 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■久居駐屯地祭二〇二四
 今年度最初の駐屯地祭はお伊勢さん近くの此処に行きました。

 久居駐屯地祭、日曜日に行ってまいりました。旧陸軍歩兵第33連隊の兵営を継承した第33普通科連隊、三重県ということで3を重ねた駐屯地、とともに中部方面隊では最初に軽装甲機動車を受領した部隊の様子を、片手間に撮影したEOS-M5の写真にて。

 EOS-M5,本格的なレンズが出そろう前にCANONがEF-Mレンズ規格を廃止してしまった故に取り残されたユーザーの一人なのですけれども、ぼやいても仕方ないので15-45mmSTMレンズにて久居駐屯地祭を撮影、もちろんサブのサブカメラですが。

 金子洋幸連隊長、2022年補職の連隊長さんで昨年、コロナ禍下でも国民の方々へ部隊を見てもらおう、と全国に先駆けて完全一般開放を再開した部隊の一つとなりました。前職は東北方面総監部情報部情報課長、妙に遠いところですが、若く見える方ですね。

 近鉄久居駅前の久居駐屯地、現在は津市久居となっていますが前は久居市、ここは駅前ロータリーに隣接して駐屯地があるという、第10師団管内では一番駅に近い駐屯地です。守山駐屯地でさえ守山自衛隊前から信号を渡って坂を上るのですから数分かかる。

 第33普通科連隊、今年2024年は対戦車中隊廃止から10年となりました、僅か10年間ではありましたが2004年の第10師団改編に際し第10対戦車隊が廃止され各普通科連隊に対戦車中隊が新編される改編を受けましたが、それも10年、そらから10年だ。

 師団改編、毎回のように思うのは2004年の改編を最後に第10師団の改編はその都度装備が減らされ、火力も打撃力も低下してゆきまして、大丈夫なのかなあ、というところ。この春の師団改編ではとうとう第10戦車大隊が廃止され、戦車の無い師団に。

 偵察戦闘大隊が、今津駐屯地の第10戦車大隊と春日井駐屯地の第10偵察隊を編合し新編されたのですが、人員は200名ちかく減っていまして、戦車30両を置き換えるのは一個中隊の16式機動戦闘車という。しかも今年の行事には機動戦闘車は来ません。

 師団普通科連隊の編成で、4個普通科中隊と重迫撃砲中隊に本部管理中隊、という編成です。ただ、昨今の燃料価格上昇を受け、昔は高機動車化された3個中隊のうち幾つかの中隊は高機動車で観閲行進に参加していたのですが、現在は徒歩行進のみ。

 高機動車も、ここ久居駐屯地は駐屯地祭を駐屯地ではなく隣接する久居訓練場にて執り行う為、観閲行進参加車両が訓練場にずらりと並ぶのが恒例でして、高機動車が十数台加わるかどうかというのは、意外と重要な情景だったのですが、そんな時代だ。

 部隊整列、参加規模は280名といいまして参加車両も27両、田舎の普通科連隊ですとそんな感じと思われるかもしれませんが、昔は対戦車中隊が加わり、そして後ろに車両が並ぶとともにV-107輸送ヘリコプターの用廃機も置かれ、雰囲気があったのに。

 V-107輸送ヘリコプターとUH-1H多用途ヘリコプターの用廃機は、航空学校が近い関係でしょうか、これも撤去されている。駐屯地のモータープールには輸送小隊のトラックや施設作業小隊の建機が並ぶ様子が駅から見えているだけに、ちょっと寂しいなあ。

 ロシアウクライナ戦争の緒戦を見ると軽装備の部隊でも粘り強く戦うことは出来ます、しかしその結果、自国民がブチャのように虐殺され、戦争が数週間ではなく数年単位となり、徴兵制まで必要となる、こうした戦訓を日本は活かせていないようで残念です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】かがDDH-184ヘリコプター搭載護衛艦呉基地停泊(2024-03-15)

2024-04-08 07:01:52 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■改装成った護衛艦かが
 呉基地の様子は昨日掲載する予定でしたがいろいろありましたのであさの話題として。

 かが。呉基地に停泊している様子を撮影してまいりました。そう、呉基地探訪は何度もあるのですが基地の中に入れてもらうことがほとんどでして、散策のように高台を右往左往したのはいつぶりでしょうか。お好み焼き屋さんに寄ったりして前は、ねえ。

 ヘリコプター搭載護衛艦かが。大分変わった、と書いたら佐伯でしたかと前にいわれた、大分県ではなくだいぶんかわった、と。それはF-35B戦闘機搭載改修として、滑走距離を最大限確保するために甲板形状と艦首形状を大幅に変更したということ。

 係船堀桟橋、訓練支援艦てんりゅう、くろべ二隻が揃って停泊しています。ここは遊歩道の先にあるところで、しかし崖などがあって危険なので崖から5mほどのところに安全柵が設置されているところ、一脚や自撮り棒があると安全に撮影できるところ。

 うみぎり。艦番号はロービジ塗装により見えにくくなっていますが、舷門のところに“護衛艦うみぎり”と記されています。この撮影位置は、呉産業神社という、昔の高射砲台の跡地から続く参道というか散歩道の最中にありまして、撮影には250mmレンズを。

 春の訪れとともに危機後小枝が伸びていますのでもうしばらくしますと葉が生い茂りこの撮影位置からは視界を隔ててしまうのかもしれませんが、いまはこんな感じで、しかし随分と護衛艦かが、改修により逞しくなったというか一変したとわかるのですね。

 そうりゅう型潜水艦、おやしお型潜水艦が並ぶ潜水艦桟橋もこんな感じでみることができます。もっとも、近傍の閉鎖された製鉄所跡地を防衛省が購入し、ここに艦艇施設などを拡張するという計画がありますので、今後は潜水艦は見えなくなるのかも。

 F-35B搭載改修、海上自衛隊も彼岸と言いますか、これはヘリコプター搭載護衛艦なのですが空母のように運用できる艦艇が日本に戻ってくることとなります。日本が最初に建造した空母は鳳翔、1921年に竣工しこれが建造された世界最初の空母でした。

 いずも型護衛艦はヘリコプター搭載護衛艦ですが個艦戦闘能力は最小限に抑えられ、これが艦砲と甲板以外は通常の護衛艦といわれた護衛艦ひゅうが型との相違点で、能力を発揮するには多種多様な航空機が見込まれ、F-35Bも含まれると考えられてきた。

 飛行甲板改修とともに自動着艦支援装置が搭載されており、曲芸飛行とまで言われた戦闘機の発着艦作業を大幅に自動化できているという。そして艦首形状も、優美な曲線は箱型のよな、圧縮効果でより顕著にこう見えるのでしょうが、大きく変容していて。

 護衛艦にもこうした能力が求められる時代になっているのだ、それは安全保障情勢の激変が背景にあり、ロングピースとさえ言われた冷戦構造の国際秩序はこうした艦を平和憲法下でも必要とするような時代になっているのだ、としみじみと考えるものです。

 EOS-M5カメラにEF250mmレンズを装着して撮影しました、要するに普通のカメラに普通な望遠レンズを装備したものでして、いまならば普通の機材、大きなレンズが無くともこうした情景が撮影できます。広角レンズだけでは若干遠いのかもしれませんが。

 呉基地の護衛艦かが。F-35B戦闘機発着能力試験のためにもう間もなくアメリカ東海岸へ展開することとなっています、すると暫くは呉基地には戻ることができなくなるでしょうから、撮影を、という方は早めに呉を散策してみてはどうか、と思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影速報】練習艦隊-令和6年近海練習航海部隊&外洋練習航海部隊江田島出航-続報(2024-03-16)

2024-03-23 20:24:58 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■M-5撮影速報
 最近速報という割には半年前の話題を延々とと言われてしまうのですが仕事の合間に写真を加工して文章を作成して添削して校閲して掲載するのだから遅くなるのは致し方ない、けれども先週の話題ならばまだ速報と云い得る。

 練習艦隊江田島出航、わたしは本格的に撮影をはじめたのは2012年ですので長いこの当たりからの撮影の歴史を振り返りますとまだまだ新参者なのですが、艦隊入港は2006年以来毎年撮影しています、いやそれにしてもまだ新参者なのか、デジタル黎明期ではあったが。

 津久茂瀬戸、というのでしょうかこの高台から俯瞰風景を撮影する様になりましたのは2016年から、ですね。古鷹山はじめ江田島の美しい地形を背景に撮影できる、という利点があるのですが、実際問題この撮影場所にたどり着くまではまさに試行錯誤の連続でした。

 高田港付近で、撮影していましたのははじめのころですが、江田島の風景とはいえ牡蠣筏の存在感が凄かったものですから、単縦陣の艦艇がどの位置ならば真正面にみられるのか、というところで苦労したのです。民間撮影船の航路妨害などでけっこう単縦陣はまがった。

 江田島基地付近で、という事も考えたのです。実際、高田で撮るよりも間近の構図になるのですが、それでも艦隊を真後ろから撮影する、というのではなんのために陸上から撮っているのか、となるのですよね。観艦式や展示訓練、昔はよく後ろから撮っていましたし。

 津久茂瀬戸側から撮影、そんな選択肢ももちろん検討したのですが、逆光になってしまうので、それでは勿体ない。雨天の時なら逆光は関係ないといわれるかもしれませんが、ぎゃくにいえば雨降る最中にあの場所まで移動するのはちょっと考えたくないようにおもう。

 雨降る中と云えば過去、もう土砂降りだったので高田港の屋根の下から撮影しまして、構図的にはちょっと厳しかったのですが、艦隊出航の直後の広島行高速船に乗る事が出来ました、すると、あきづき型護衛艦とかを高速船で追い抜きながら撮影出来たのはさいわい。

 岩風呂山、今回の撮影位置にたどり着いたのはそうした試行錯誤の先です。しかし、此処で撮影していますと地元の色々な方とお話しできまして、なんと若い頃、呉空襲を実際に見ていたという方のお話を聞く事も出来ました。まさに海軍とともに歩んだ江田島、と。

 撮影位置に墓地がある高台を選ばれる方はいるのですが、あれ、了承とったのでしょうかという事で気になるのですよね。いや、法的な事を除いて、誘われた事もあるのですが、なにしろ前述の通り地元の方と交流もありまして、中にはいま墓地にいるかたも、多少は。

 わたしがもし、この地に縁を持っていずれその墓地に迎え入れられるようなことが有るならば、そういう場所から眺めるということも良いかなあ、と思った事もあるのですが、それはまだまだ先の話、すると、地元のお散歩の方々と雑談とあいさつを交わし、撮りたい。

 M-5撮影特報、という事でしょうかいしていますこの写真ですが、撮影はEOS-M5,先日CANONが形式消滅を発表したEOS-Mシリーズです。ミラーレス時代ということで販売員の太鼓判で買ったカメラですが、レンズの揃いにCANONのやる気を感じなかった。

 EOS-Mの中望遠は細長過ぎて使いづらく、結局今回は15-45mmSTMという短いレンズで撮影したのですが、45mmでもトリミングしますと何とか使えるのだなあ、と。もっとEFレンズを携行しコンバータを使えば望遠も可能なのですが、荷物が多くなり過ぎるのだ。

 M-5,しかしEOS-7Dmark2やG3Xとの片手間に撮影したにしてはスナップ写真としては広角を活かした面白い構図にはなっているのかな、ともおもうのです。こんな感じで撮影を完了し、バスが有れば小用経由で呉へ、高速船ならばそのまま広島へと戻る事にしました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影速報】練習艦隊-令和6年近海練習航海部隊&外洋練習航海部隊江田島出航(2024-03-16)

2024-03-17 20:22:57 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■練習艦隊江田島出航!
 EF100-400mmIS装着の7Dmark2や最大2400mm望遠のG3Xに比べると今回速報記事を作成した45mmまでのEF-MレンズだけのM-5では厳しかったか。

 江田島の練習艦隊出航、北大路機関では2012年以来撮影を継続できている行事でして、近海練習航海はWeblog北大路機関創設当時から撮影し続けていますから、COVID-19新型コロナウィルス感染症という分断の三年間さえ継続して撮影出来ている唯一の行事といえる。

 練習艦隊江田島出航、今年は北陸新幹線敦賀開業のダイヤ改正日と同日となりまして、新幹線はどうでもいいけれどもブルーインパルスは貴重だ、という事で北陸本線にてダイヤ改正前に乗り込み、ハピネスラインふくいで帰路に就く、そんな行程の方も多かったのか。

 幹部候補生学校の卒業生たち。ブルーインパルスにも少し惹かれたのですが、やはり長いこと撮影出来ている行事ですので、この練習艦隊の江田島出航を撮影しよう、と新幹線にて広島へと向かいました次第です。そして今年は広島市ではなく呉市に泊まってみました。

 令和6年近海練習航海、外洋練習航海、さて今回の艦隊出航では近海練習航海部隊は、第74期一般幹部候補生課程卒業生が乗艦していまして、令和5年度外洋練習航海(飛行)には第76期飛行幹部候補生課程卒業生の方々が乗艦、世界への船出へと歩み進める。

 安全保障情勢は厳しさを増し、呉基地にはF-35B搭載改修を完了した護衛艦かが停泊、国家防衛戦略により自衛隊は従来射程180kmまでの地対艦ミサイルの後継に射程2500km規模の巡航ミサイルを導入、一般幹部候補生課程修了者たちの未来は、さてさてどうなるか。

 かしま、さわぎり、うらが、むらさめ。練習艦隊出航の陣容はこうした通りでして、しかしこの数年、好事家を載せたチャーター舟が艦隊出航の目の前に居座りまた横切るなどの、海上衝突予防法すれすれの事案が多く、艦隊は各艦の間隔をあけて航行していたもよう。

 単縦陣で航行する艦隊、この数年間、先頭を往く旗艦の練習艦かしま、チャーター舟の異常接近で急制動など、これは小舟とはいえ船乗りなのだからシーマンシップをだなあ、とおもう事が連続し、艦隊が急制動に備え間隔をあけてしまい、単縦陣もむずかしくなった。

 総監部の街である呉、愉しかったですね、12年ぶりに有名な居酒屋さんにも行けましたし、そして深夜のBAR散策、呉はお客さんが良いのか、その街の水準はBARにあらわれると考えています。もう一つの指標は古書店だが、最近は減って指標には難しくなっていますね。

 呉市から江田島までは、タクシーで移動すると距離がとんでもないことになりますので、呉港から小用港まではフェリーで移動し、そこから路線バスを乗り継いでいつもの高田港へ移動する予定が、これ、“路線バス人情ふれあい旅”などで定番のミスをやってしまう。

 バス停は同じ名前のバス停が離れていて、いや、京都でも北大路堀川のバス停が9系統で12系統でも違うように、江田島でも乗換のバス停が違ったのですよ、しまったと気付いた時にはあとの祭りで次のバスは三時間後、この時間差は京都だとなかなかきかないもの。

 舞鶴行の高速バスでも次のバスまで三時間待ちというのは。ただ、そのうちなんとか移動しまして撮影位置までたどり着いた、その途中に美味しいものを頂いたりできましたので、撮影位置への展開、広島から一辺倒よりも呉から移動してみるのもよいものだなあ、と。

 江田島撮影、改めて高台から撮影しているのですが、高台まで撮影機材から椅子まで一式備えて登るのは毎年思うのだけれども厳しいなあとおもいつつ、一眼レフにミラーレスとコンデジの写真を後から見返すと、まあまあ登ってよかった、とも思い返すのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】令和五年度小牧オープンベース,ニッポン自衛隊巨人機時代と日本ハリアー昔話(2024-03-03)

2024-03-16 20:00:59 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■青空の航空祭
 小牧基地航空祭の地上展示機を色々と回った際の写真です。

 KC-767空中給油輸送機とB-777政府専用機、巨人機の時代、という言葉が合致する様な、航空自衛隊の航空機も大きくなったと実感する描写です。そして純白の塗装には、こうした青空の順光という航空祭日和の快晴が嬉しい、なにしろ前日は雪が舞っていたのだから。

 P-1哨戒機、初号機の初飛行を撮影する事はできませんでしたがその昔三度目か四度目の試験飛行を撮影する事が出来まして、そう、考えてみると着実に海上自衛隊においてP-3C哨戒機を置き換えている航空機です、対潜性能に特化した事が2020年代の情勢に対応した。

 U-36訓練支援機、ながらく海上自衛隊唯一のジェット機、となっていましたがP-1哨戒機がジェット機でしたので。そして訓練支援の在り方も転換しており、ミサイルの機動をジェット機で再現するという無茶なU-36訓練支援機はその任務を終える事となりました。

 T-7練習機、昨年に次期初等練習機教育システム資料提供要請に関する公表、というものが発表されまして後継機選定はいよいよ始まります。ただ、前任のT-3練習機を考えますと寧ろ後継機をいそがなければならないのはより古いT-4練習機の方ではないか、と思う。

 F-2戦闘機、名古屋生まれの戦闘機です。一昔はF-16の派生型的な扱いでしたが、形状は良く似ているが、肝心の飛行制御システムがアメリカのF-16の安定性を補正するものから不安定を元に安定させ高い空戦性能を持たせるというT-2CCVの発想で、別物といえる。

 UH-60J救難ヘリコプター、相方となるU-125救難機は稼働率が低下している。自衛隊は救難機を廃止する方針ですが、例えば“航空機事故を想定し任意の場所に輸送ヘリから用途廃止機を投下させ捜索救助”する実証実験などを行って、可否を考えるべきではないか。

 U-680A飛行点検機、実は飛行点検気構えU-125を用いていた関係から救難機もU-680になると思っていました、欧州やアメリカと異なり日本の航空自衛隊訓練空域は基本的に、ではなく全て海上、墜落事故はそのまま海上での生存という、厳しい状況となります。

 U-125を廃止するならば、例えば海上自衛隊のUS-2救難飛行艇を岩国基地だけではなく、厚木基地への配備再開というよりももう一つ厚木に飛行隊を置くとか、訓練空域を常時MQ-9無人機のようなもので哨戒し、墜落事故を即座に把握できる体制が必要とおもう。

 C-130H輸送機、と後ろの方にC-2輸送機、C-130Hも今後維持するならばプロペラ換装等が必要になるだろうけれども、H型を延命してもあと10年は厳しいのではないか。C-130Jはどんどん費用が高騰、2022年にオーストラリアが24機導入した際は63億ドルでした。

 政府専用機、ボーイング777です。C-130HとC-130Jの割高という話題を前に一つ想うのは、機体自衛装置などの近代化は、勿論その分費用は大きいけれども、性能を第一とするにはアメリカ軍と歩調を合わせる選択肢がある。政府専用機は機体自衛装置の問題がある。

 政府専用機ですが、もう小牧基地航空祭は昨年と今年とで二年連続で政府専用機が参加しました、これはなかなか貴重な事で、なにしろ航空祭には来ない高茎という事でその昔、真夏の夏休み料金で割高な旅客機を利用して千歳基地航空祭まで出かけたのですから、ね。

 再度U-36,さて、そういえばその昔海上自衛隊がなんとかハリアーを導入しようとして、訓練支援艦にハリアーを搭載する方式を検討していた事が有りまして、その先にもう少しハリアーを搭載出来る護衛艦の検討というものがあったという。ハリアー昔話がありました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【M-5撮影特報】令和五年度小牧オープンベース,空往く輸送機桃の節句-小牧基地航空祭の活況(2024-03-03)

2024-03-03 20:00:18 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■小牧航空祭
 本日開催の行事を活気活況興奮醒めぬその日そのときの内に紹介するというものがこれぞ速報というべきでしょう。

 小牧基地航空祭へ行って参りました。2024年3月3日、流し雛など桃の節句に関する神事を、とも考えたのですが、今年の航空祭はブルーインパルスも参加せず、いわゆる昔ながらの航空祭、混雑していないゆったりとした中での航空祭というものを散策できるゆえ。

 C-1輸送機、入間基地から長躯展開してくれまして、いよいよ来年度末に全機用途廃止となります、現在3機が残っているようですが1機が部品とり用となっていて、ただ、よびぶひにょさんが無いだけで機体寿命は残っているという。入間航空祭の中止はご承知の通り。

 AH-1S対戦車ヘリコプター、こちらもどんどん数が減っていまして、また来年再来年というわけではないようですが、遠くない将来に完全用途廃止となる。第1戦闘ヘリコプター隊など集約される装備となっているのですが、専守防衛には必須の装備とも思うのですね。

 U-36訓練支援機、これ、来てくれるとは思わなかった、年度末用途廃止ですから来週か再来週の用途廃止というもの。P-1哨戒機配備開始まで長らく海上自衛隊唯一のジェット機となっていて、ミサイルなどを機動を模して護衛艦部隊の訓練を支援するための装備なのだ。

 F-15戦闘機、こちらはいつもの。お隣のF-2戦闘機にGPS端末が取り付けられていたとちょっとお世話になっている方が興奮して喜んでいて、なるほどそういうものなのか、と感じました。関心事はF-15の近代化改修で、性能向上が期待されるのですが費用も凄いことになる。

 UH-60J救難ヘリコプター、救難教育隊が置かれている小牧基地では看板航空機のひとつ。ただ、昔は編隊飛行でUH-60が5機編隊で飛行してくれたものですから、救難飛行展示で1機が飛行しただけ、というのはちょっと寂しかったです。数は一定数必要な航空機です。

 U-125A救難機、なんと小松救難隊の外来機なのだ。なんでも救難教育隊に稼働機が無いという事で、最近会場での航空機救難で成功した事例が無く、人命を難だと考えているのかと思うと、この種の救難機、廃止する計画というがV-22でも買ってはどうか、とおもう。

 C-2輸送機、美保基地から展開しました。小牧と云えばC-130の基地なのですが昨今C-130Jシリーズの価格高騰が酷い事になっていてNATOや韓国とインドなどブラジルのKC-390採用の動きがあります。本邦のC-130は高価なC-130Jを思い切るのか、いっそC-2でも。

 C-1輸送機、先程の機体なのですが、実はこのC-1,百里基地航空祭でしっかり見る事が出来ませんでしたから、今回はこのC-1輸送機の前で編隊飛行も祝賀飛行も撮影し、広角レンズでC-1を手前に編隊飛行を構図に収めていました。個人的に本日の主役といちづけ。

 C-2輸送機とC-1輸送機、考えてみるとC-1輸送機は道を譲る後輩がしっかりしたものが出来たと思う。けれども、機体自衛装置の追加や輸送以外の任務等、せっかく国産開発したC-2輸送機を世界水準の輸送機として運用し続けられるよう、これからが大切なのです。

 美保基地にはC-2輸送機の第403飛行隊とKC-46A空中給油輸送機の第405飛行隊、そして小牧にもC-130H装備の第401飛行隊とKC-767空中給油機装備の第404飛行隊が居まして、今後は入間基地にKC-46装備の第406飛行隊でも新編されるのだろうなあ。

 小牧基地航空祭、今回はEOS-M5カメラにて速報的に紹介しました。ちょっと飛行展示が寂しかった印象が無いでもないのですが、しかし邦人救出模した緊急退避体験など、これまでにない航空祭の試みが有りまして、考えれば災害派遣などの中工夫が感じられました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする