北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】五山送り火,夜空に向けられる京都はお盆の伝統行事で如意ヶ岳に灯る大文字と台風七号の爪痕

2023-08-17 07:00:18 | 日記
■京都の夏-五山送り火
 お盆もこれでおわりという昨夜執り行われました五山送り火の模様をお伝えしましょう。

 五山送り火、昨年は色々ありました故に点火したものの確認できない、いやNHKが点火の様子を中継している云々、というCOVID-19以来久々の五山送り火なのに、という一幕がありました。今年は、台風七号の進路で、護摩木は集めていましたが不安は残りました。

 如意ヶ岳の点火を遠景に視認出来た際は正直安堵したのですけれども、一方で友人知人で関東在住の連中は新幹線で大変な難渋しているという状況、これを聞いていましたので、ちょっと難しい状況で五山送り火に誘ってしまった、と報道をみるにつれ反省してしまう。

 台風7号の置き土産は静岡県内で記録的な豪雨をもたらし、15日の計画運休明けの東海道新幹線は今度は運転見合わせ、小田原三島間の運転見合わせは徐々に名古屋へ、そしてとうとう東京と新大阪で東海道新幹線が全面運転見合わせ、という状況になっていました。

 計画運休明けでも不測の運転見合わせが有る可能性はJR東海もJR西日本も予告はしていましたが、まさか全面運転見合わせになるとは思わず、聞けば2200時台でも新幹線電光掲示板は1500時台の列車が掲載されていたといい、二時間以上の遅れです、と表示、確かに。

 本日17日は始発から平常通り運行、というJR東海とJR西日本は16日の時点で発表していますが、お盆やすみの予定を台風に翻弄された方はそうとういるでしょうから、例えばどれだけ遅れても寝れば済む寝台列車の再評価や、在来線に長距離急行の必要性など思う。

 五山送り火は、しかしそういう中にありましても無事執り行われました。仄かな光が一瞬一瞬に文字へと変容する様子には思わず感嘆の声がまわりから自然とわき起こるもので、妙法と舟形と左大文字、遠い鳥居型を除けば灯る様子は、日常が戻ったと実感させました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,四条御旅所で素戔嗚尊さんと櫛稲田姫命さんに八柱御子神さん奉じる御輿を詣でる

2023-07-25 07:00:56 | 日記
■神々巡る四条御旅所
 山鉾を見上げた宵山の最中に冷涼感を感じ、これぞ御利益かと思いきやオープンキャンパスの隣のビルから冷房の冷気が流れてきただけという、これが縁というものかな。しかし本日はその先のはなし。

 祇園祭、八坂神社の神事である一か月間の祭事は、ご神体で素戔嗚尊と櫛稲田姫命そして八柱御子神を奉じた神輿が主役です。ご利益を賜ろうという訳ではありませんが、せっかくの祇園祭ということで神輿へ詣でに四条寺町の御旅所へ行ってまいりました。

 四条寺町の御旅所、阪急河原町駅のほぼ真上、修学旅行生に有名でちょっとマニアックなホビーショップなどもあります新京極のアーケードからも目の前という。そして鴨川の向こうに朱色の楼門が見えますが、その朱色こそこの祭事執り行う八坂神社という。

 八坂神社はそもそも、京都に疫病が流行した1154年前、牛頭竜王の神霊を京都に分祀することで災厄から京都を守ろうとした際の神事を再現したものです、が、COVID-19感染拡大の際には寧ろそれが感染を広げるとして長期にわたり中止されていたのです。

 山鉾巡行の様子が勇壮であり、なにより長刀鉾はじめ高さがありますので、その様子を祇園祭、と思われる方が多いようですが、山鉾巡行はもともと、この神輿が市中を巡る際に露払いをする神事というもので、前祭山鉾巡行の日の夕刻、神幸祭が行われる。

 神幸祭は八坂神社を夕方に出まして、市中を練り歩き深夜にここ四条御旅所に到着、三座の神輿がどう御旅所に入るかの歓声吶喊とともに湧き上がる熱気が風物詩なのですが、そうして還幸祭にて八坂神社に戻るまで、ここ四条御旅所に神輿はとどまるわけで。

 後祭山鉾巡行はまさしく還幸祭として戻る道中の露払い、という位置づけにありまして、神幸祭還幸祭の時には迫力に気圧される神輿へ素戔嗚尊さんと櫛稲田姫命さんにそして八柱御子神さんへ、ゆっくり手を合わせて平安を願うことができるのがお旅所です。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,鷹山は二〇二二年に196年ぶりの山鉾巡行に復活遂げた祇園祭後祭の華

2023-07-23 18:11:19 | 日記
■天を衝く鷹山を見上げて
 熱いのだけれどもこの界隈は少しだけ建物から流れ出てくる冷房で涼しさを感じたような気がする。いよいよ後祭り宵山は間もなくの日没とともに最盛期を迎えます。

 祇園祭後祭、注目の山鉾はこの鷹山です。しかしこの新しいPCは山鉾を矢麻帆子と変換するんだが有名人なのでしょうか。鷹山、別に隣にセクシー大下がノっているわけではないのですが、江戸時代に天明の大火に見舞われ休止していた山鉾なのです。

 暑い、というより熱い京都、ただ、後祭では前祭ほど宵山は混雑しません、四条通交通規制が行われないのと、あとは出店が出されないというところが重要なのでしょう。その分は街中のお店がテイクアウトを頑張り、出店には出ないような美味が勢ぞろい。

 宵山の本日にも真新しい山鉾を見ることができますが、あたらしいのもそのはずでして2022年に復活したという。休止期間は実に196年、あと少しで200年というくらいですので、忘れ去られず熱意があれば時間がかかるが復興を果たせるという一例だ。

 鷹山は一応天明の大火のあとにも再建は為されたのですが、文政年間に豪雨被害に見舞われ休止、休止しているうちに今度は幕末におきた蛤御門の変にて大火災により焼失、その後は明治大正昭和平成と休止されたまま、令和時代を迎えたというおはなしで。

 山鉾としては、しかし奉じていた人形三体だけ蛤御門の変では町衆が持ち出して退避に成功、復興の機会を待っていたという。時間はかかりました、なにしろ幕末からなんとか復興を考えていて、しかし機会がなかなか巡らず平成も終わり令和を迎えている。

 令和時代に入り先ず、唐櫃巡行に鷹と犬の木彫りとともに参加したのが2019年、山鉾巡幸に参加を果たしたのが2022年です。蒸し暑い京都は日が暮れても汗だくだくのねっとりしたつらく息苦しい時間帯が続きますが、話題としては爽快な山鉾なのです。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,函谷鉾を四条通にて見上げつつ思い返す先週の前祭り宵山の物凄い混雑

2023-07-22 14:11:21 | 日記
■函谷鉾佇む祭りの四条通
 函谷鉾が京都の中心部である四条通に鎮座している様子は近代都市と歴史都市の分水嶺に栄える京都は夏の風物詩とおもう。

 宵山が、凄かった。いや今夜も宵山でしょうと言われるかもしれませんが、前祭宵山、三連休の日曜日に宵山に行ってみたのですが、いやもう、ある程度は予想していたのですがその先週の宵山は、凄かったというか、昔はあんなに混雑しませんでしたよね。

 舞鶴展示訓練の前日であった昨年は、COVID-19に引っかかると折角の展示訓練が大変な事になるので、ちょっとだけ撫でる程度の祇園祭でした、祇園祭は2019年以来というけれども舞鶴展示訓練は2014年以来、ちょっと優先度を考えると祇園祭は、ねえ、と。

 昔は宵山、夕方に9系統バスでそろそろ交通規制が始まるかなという頃合いに四条通に入りまして、なにしろ嵐山の方は未だ明るいですから東山の峰々をビルの谷間に山鉾を撮影して、そして路地に一つ一つ撮影へ、とカメラを片手に散策していたものでした。

 四条烏丸の交差点を横断するのに10分近く掛かった、それ程混雑していた。先週の宵山はそんな感じです、普段なら10分あれば四条通から五条通りまで行けてしまう程の時間ですが、要するにそれだけ人口密度が凄くて危険な程に歩ける訳が無かったという。

 カメラバッグから望遠レンズを取り出して付け替える、なんてことができる訳ではなく、いや人に触れてレンズに他人の脂分がついてしまうような人口密度でしたので、狭い路地を抜けて迂回に迂回を、迂回路も混雑していたけれども、なんとか長刀鉾は撮った。

 山鉾巡行の当日は、行きたかったけれども正直なところお仕事が立て込んでいて、ちょっと勿体ない事をしたとは思う。けれども祇園祭は期間が長いものですから、行ける時にちょっと散策する、こういう愉しみ方が町衆に支えられた祭事故の巡り方なのかもしれない。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,前祭り山鉾巡行まもなく開始-京都夏の風物詩を巡る

2023-07-17 07:00:04 | 日記
■祇園祭を巡る
 宵山の混雑が凄かった。昔はここまでじゃなかったよなあとも思いつつそして輪を掛けて凄いのは猛暑熱波灼熱というものですが本日は。

 祇園祭は今朝まも無く山鉾巡行が開始されます。長刀鉾を先頭に進むのは前祭り山鉾巡行の象徴的な情景でして、四条烏丸から四条河原町を経て京都市役所前をもとの山鉾町まで巡行する。さて、この撮影ですが、ちょっと昨晩の宵山の混雑が、凄すぎて驚きました。

 宵山、コロナ前もオーバーツーリズムが凄かったのですが、此処までだったかなあ、轟いたところ。山鉾巡行も祭日に行われるのですから、混雑はかなり覚悟しておかねばなりません。そうした中で、上手く撮影するには。個人的な経験ですが望遠レンズをつかうこと。

 山鉾巡行、近ければ近い程撮影は困難ですので100m後ろに下がりましょう、望遠レンズで可能ならば250m下がる、できればもっと後方から超望遠レンズと脚立を駆使しますと、いっそ八坂神社あたりから撮影するならば、最早混雑とは無縁ですがこれは遠すぎるか。

 大宮駅から長刀鉾が見えた、もともと大宮駅近くの梛神社から八坂神社への巡幸の際に、これは1150年以上前の話なのですが、旗指物とともに町衆がついていったのが山鉾巡行の始まりといいますので、見えてもおかしくはないのかもしれませんが、実際見ると驚く。

 日本三大祭りですので混雑は凄い、そして葵祭ほど遠距離を練り歩くわけではありませんから撮影できる場所は限られる、限られるのだけれども四条通と河原町通りと御池通りでは直線区間が続きますので、見通しの利く遠い場所から撮影することは、可能でしょう。

 神幸祭、山鉾巡行は八坂神社から御輿が一帯を巡る神幸祭の露払いが目的ですので、いよいよ祇園祭は最盛期を迎える、というところなのですが、撮影の際も周辺に気を付けて事故の無いようにしたい、すると混雑していない場所から望遠で撮影するのが、お勧めです。

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【京都幕間旅情】葵祭,下鴨神社へ向かう行列-京都三大祭を迎える2019年と2023年とでかわったこと

2023-05-21 18:11:50 | 日記
■葵祭を,撮る
 祭事行列の撮影はやはり自衛隊行事の観閲行進の撮影とは違うものなのですね。市街パレードではここまで長距離を移動しませんし戦車も来ません。

 葵祭、実は新しいカメラ機材の性能を試してみたい、という理由もありまして、一寸無理して時間を捻出したのです。それは、EOS-M5ミラーレスカメラ、従来のEOS-M3ミラーレスカメラを補完する新しい装備として導入したのです、EOS-R10はもう少し先に。

 EOS-M5,良いカメラなのはスペックからは判るのだけれども、なにしろミラーレス機種に良い思い出は無い、店頭で試すだけではわかりにくく、特に使い慣れたEOS-7Dとは根本から操作方法が違い、何処をどうもったら誤作動が起こるのか、これを使って熟知したい。

 M3とM5,まずボタン操作の位置がかなり変わっているので、習慣の様に指を動かしますと恐らく失敗する、しかし、誤操作がどういうときにおこるのかは使てみないと判りません、誤操作が起る背景が分っていれば、操作時に注意する事でそもそも起らないのですからね。

 ダイヤルスイッチ、結局のところいしきせずにカメラを保持しようとして押してしまう事が多き、気づけばM3ではISO感度が12800に誤操作で切り替わって写真を台無しにすることが在った、そしてMFにカメラを保持しようとしてもった際かえてしまう事も。

 電源の位置がM3とM5では違うのだけれども、M5の切替レバー方式はEOS7Dと同じ位置なのだと解釈していた、けれども、EOS7Dは電源を入れたままでもシャッターボタンに指を掛けなければ自動で電源が落ちて、しかしシャッターを押す事で即座に撮影できる。

 M5は電子光学ファインダーの接眼検知装置に不用意に触れる事で電源が復帰してしまい、これが電池の電力を大量消費する事に気付いた。使ってみないと判らない事がある、使い勝手は数値化できないだけに、慣れる為には場数を踏まなければならないのですね。

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【京都幕間旅情】葵祭,青空の京都は新緑溢れる五月の鴨川をわたり下鴨神社へ向かう京都三大祭歴史行列

2023-05-20 14:41:09 | 日記
■上皇猊下も天覧
 晴れてよかったという言葉を改めてかみしめるのです。

 葵祭、行ってきました。例年五月のこの季節は忙しくなってしまい、まあ毎年観ようと思えばみられるし、ねえ。と悠長に構えていましたらやってきたのは歴史行列ではなくCOVID-19の災厄、そう、もう丸々三年間、葵祭の行列そのものが無かったという。

 上皇猊下と上皇后陛下が天覧されるという葵祭、考えてみれば凄いことなのだなあ、令和時代を迎えられて良かったと感慨深いのですが、それと同じくらい感慨深いのは、果たして撮影する事は出来るのか。撮影場所も大切なのですが、先ず現地へ行けるのか、と。

 月曜日は忙しいホントに忙しい、残念だ、かなしい、せめて火曜日ならナア。こう思っていたところに不幸中の幸いと云いますか、月曜日が雨天となり、火曜日に順延となりました。火曜日も忙しい、残念だなあ、というよりも順延が決まったので猛烈にお仕事した。

 火曜日は午後からなんとか時間を確保できたのだけれども、引き継ぎを早めに終われば行列の開始には間に合わないけれども、正午近くになんとか行けるかもしれない、すると1030時に京都御所を出発するところは間に合わないけれども、葵橋のあたりまでは行けるか。

 河原町今出川のあたりならば、間に合いそうか。大規模な交通規制が敷かれる京都市内ですが、脇道は確実にぬけられる幾つかの経路が有りますので、移動経路を慎重に考える。すると、行けたのだけれども府警さんが、立ち止まって撮影しないようよびかけている。

 行列を視られただけでも良かったと考えまして、わたしも行列のように、立ち止まらずに歩きながら撮影、と。望遠レンズで圧縮効果を狙うのも良いかもしれませんが、しかし歩きながらでもなかなか良い絵になるものなのですね。それにしても晴れてよかったです。

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US-2を増強せよ-2.5,飛行艇を維持するならば相応の調達と製造能力維持を,不要ならば代替装備取得を

2022-10-31 07:01:41 | 日記
■防衛産業の視点から
 今朝は頂きましたコメントへの御返事という形で補足的な話題を。

 US-2を増強せよ、この主眼は便利だから残すべき、こういう論調にもなっていますが、最も重要なのは"救難飛行艇を残すならば製造ラインが維持できる数を発注すべき"であり"製造ラインを残す数を発注しないのならば部隊を解散して別の手段で救難体制を確立しなければならない"という。現状は若干機必要、新明和の苦労は知りません、といわんばかり。

 製造ラインを維持できる数としては、毎年1機か3年間で2機で中期防あたり4機の継続的発注、中期防あたり3機では製造ラインを維持できないし、現状として部品メーカーの撤退が相次いでいる為にこのままの維持では残り若干機を製造してそのまま製造終了となり海上自衛隊から飛行艇という装備が消える。これを防衛省も認識しているはずですがね。

 対潜支援任務や情報収集などの用途を挙げましたが、救難用として外洋に発着できる飛行艇があることで本土から遙かに離れた海域で例えばP-1哨戒機などの遭難事案に対応することが目的ですので、単純に救難飛行艇に新しい用途を見いださずとも、もう一つ飛行隊を例えば那覇航空基地に新編するだけでも良いのです、調達数は増えるから最善ではある。

 OH-6観測ヘリコプターにAH-1S対戦車ヘリコプターとRF-4戦術偵察機、防衛省は後継機調達に失敗してそのまま自然死のようなかたちで形式消滅している機体が幾つもある、しかし、OH-1観測ヘリコプターにAH-64D戦闘ヘリコプターやRF-15戦術偵察機を必要数調達を計画していた以上、元々必要ではなかった航空機ではないのです、正に自然死だ。

 US-2救難飛行艇、外洋で発着できるいまのところ唯一の飛行艇で、特に自衛隊、というよりも政府が南シナ海に防衛力の関心を向ける以上、日本の洋上での航空運用は欠かせない、こうした航空部隊を運用する以上は事故に備える必要がある、事故がないことに越したことはないが福島第一原発のようにそれがあったときに打つ手なしは困る。対策は要ります。

 V-22オスプレイとKC-130空中給油機を海上自衛隊が必要数揃えるならばUS-2救難飛行艇などを置き換えることはできるかもしれません、絶対にUS-2を揃えなくとも、予算さえ気にしなければ代替装備は揃えられます、ただ、US-2はこの滅茶苦茶な調達計画でも170億円に抑えており、V-22とした場合は遠くない将来の生産終了を見越す必要が出てくる。

 部隊を維持するならば製造も維持しなければならない、製造を維持するならば製造ラインを維持できる調達を行わなければならない、考えてほしいのは逆であっては駄目だろうという事です、つまり人員がいない装備は使えないということであり、募集難の現在に防衛省はこれを認識している筈なのに、装備と人、逆転の視点でなぜ見られないのか、という。

 新明和工業は努力している、ならば防衛省もUS-2を増やす努力をすべきでがんばっている防衛産業をこれ以上苦しめる施策を続けるべきではないのです。もっとも、部隊を増やさずともかつて潜水艦を16年で退役させていたように、毎年1機調達し数年で退役させ、中古機を輸出するという選択しもあるのですが、なんとなれ防衛省も努力が必要なのです。

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三菱機動装甲車-東京九州フェリーターミナルにて目撃情報,次期装甲車選定のパトリアAMVへの優位性を考える

2022-10-05 07:00:40 | 日記
■話題の自衛隊新型装甲車
 三菱機動装甲車、見てみたいもので幸運というのはどのあたりで決まるのだろうと呟いたらば隣の芝は青いと言われてしまいました。

 三菱重工が開発中の“機動装甲車”が東京九州フェリーのターミナルにて目撃され写真を撮影した方のSNS投稿が話題となっている、昨日こちらのコメントなどでお教えいただきました。撮影された写真は検索しますとすぐ見つかりましたが、三菱重工の16式機動戦闘車車体を応用した派生型、APC型と機関砲塔を備えたFV型が夜景に映えていました。

 機動装甲車は、96式装輪装甲車の後継として開発され、フィンランド製パトリアAMV装甲車と共に競合している車輛です。96式装輪装甲車については、兎に角安価という利点がありますので、御本家フィンランドがAMV装甲車とともに安価なパシ装甲車を並行調達している通り、耐爆車両や汎用装甲車としてハイローミックスすべきと考えているのですが。

 完成度が高い、こういうのが率直な印象です。実はDSEI-JAPAN2019においてこの機動装甲車の原型車が三菱重工により展示されていたのですが、16式機動戦闘車の車体をそのまま転用しただけの安普請な車両にみえまして、何か不採用となった60式装甲車原型で不採用となった小松製作所の56式装甲車Ⅰ型のような無理矢理の形状という印象でしたが。

 東京九州フェリーのターミナルにて撮影された車体を見る限り完成度は高く、三菱重工はありあわせの車体でパトリアAMVに挑むというものではなく、真剣に装甲車として開発している事が読み取れました。パトリアAMVはアフガニスタンで実証された非常に高い防御力の実績と稼働率、IEDと重機関銃とRPGの同時攻撃に耐えた実績が利点といえます。

 16式機動戦闘車の改良型を将来開発する可能性を残すならば機動装甲車、防御力と共に水陸両用性能などを評価するならばパトリアAMV,というのが率直な印象でしょうか。パトリアAMVの利点をもう一つ加えると浮行性能があり、例えば津波被災地の長期浸水地域などはそのまま踏破できるのですね、水害で水没した街路を踏破する事もできるでしょう。

 将来改良する余地はあるのか、こう前述しましたのは、16式機動戦闘車も遠からず120mm砲の搭載を迫られる時代が来るためです。この種の装備の鏑矢は、まあフランスのAMX-10RCや南アフリカのロイメックなどはありますが、装輪戦車と讃えられたのがイタリアのチェンタウロです、これは装甲偵察車ではなく第二世代戦車の後継という位置づけ。

 チェンタウロは105mm砲を搭載していましたが、その車体を応用しフレシア装輪装甲戦闘車が開発、この際に車幅を拡張した為、このフレシアを逆に機動砲に再転用したのがチェンタウロ2なのですが、主砲は105mmから120mm砲となりました。当初はユーロサトリ国際装備展に出された程度でしたが、2021年にイタリア軍がその採用を決定しました。

 APFSDS弾よりも現在世界ではHEAT-MP弾の開発が主流です、これは戦車以外の標的を想定したものなのですが、戦車に対しても威力は大きく、MP弾の特性として初速による威力減衰が限定的です。すると低圧砲でも意味があるのですね、国産装備の将来発展性を考えるならば120mm砲型機動戦闘車を見込み、まず装甲車を国産とする選択肢も、あるのかもしれません。

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ミサイル防衛専用艦,ひゅうが型設計応用案の備忘録,16DDH原案回帰といえるSPY-7用上部構造物追加案

2022-09-05 07:00:34 | 日記
■ミサイル防衛専用艦
 考えてみればミサイル防衛専用艦に提案したこの形状は昔ものすごい議論になったあの"16DDH原案"そのものなのか、ふとそんな事に昨日気付かされました。

 ミサイル防衛専用艦ひゅうが型設計応用案について。ひゅうが型護衛艦の全通飛行甲板中央部にSPY-7レーダーアンテナを配置するという方式は、考えてみれば護衛艦ひゅうが型がまだ16DDHと呼ばれていた頃、イメージ図として示された全通飛行甲板を採用していない頃の、中央部に巨大な構造物が配置されていた案に先祖帰りしたような案なのですね。

 16DDH、今考えれば牧歌的で平和な時代ですが、提案された2000年前後にはまだ全通飛行甲板型の艦艇は、航空母艦なので根拠は無いけれども憲法違反だ、こうした認識と気風が空気の様に立ち込めていた時代がありました。そんな中で海上自衛隊が護衛艦はるな型の後継となるヘリコプター搭載護衛艦を要求する際に、不思議な形状の案を出しました。

 ひゅうが型は全通飛行甲板構造を採用していますが、防衛省が提示したイメージ図には全通ではなく、飛行甲板の中央部に今の護衛艦ひゅうが型艦橋構造物に沿って船体を両舷に横断する大型格納庫のようなものが描かれていまして、余りに無駄な構造物であろうし航空機発着には危険だ、と当時はかなり議論され江畑謙介氏など専門家には批判されました。

 ミサイル防衛専用艦ひゅうが型設計応用案、イメージとしてはあの“16DDH原案”への回帰です。陸上用に製造されるSPY-7レーダーは大きさや重量の制約が無い為に、まや型など自衛隊のイージス艦には搭載は厳しい大きさなのでしょうが、ひゅうが型であれば満載排水量で19000tあり、多少レーダーが重くとも航空機を積まねば復元性は失われません。

 16DDH原案、この設計図が有るとは思えませんが、IHIには護衛艦ひゅうが型建造時の設計図がありますので、機関部や船体構造などは踏襲する事で設計費を浮かせられます、そして、迎撃用スタンダードSM-3を搭載するVLS,ひゅうが型にはVLSは16セルしかありませんが、二つあるヘリコプター用エレベータを転用すれば、61セルVLSを複数積める。

 ヘリコプター用エレベータの位置をVLS区画に転用すれば、244セルくらいのVLSは余裕で搭載できます。また、航空機を搭載しないのであれば航空機格納庫区画をそのまま乗員居住区に転用できますので、全乗員に個室を用意し、士官室と先任下士官室に加えて乗員娯楽施設や休息施設も追加出来るでしょう。16DDH先祖帰り、一つの選択肢とは思います。

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