Matsuyama-jo Castle, Matsuyama City, Ehime Pref.
さてさて、愛媛県松山市にやって来て、道後温泉に宿泊したワタクシ達ですが、旅の最終日には松山城へと向かいました。
松山城は勝山という山の上にある平山城でして、ロープウエーやリフトがあるので観光客の大半はそれを利用します。
しかし、歴史好きのオジサン達はそれをよしといたしません。「城に来たからには当時の侍の気分を味わわねばならぬのじゃ」などと言いながら、
スタコラホイホイと坂道を登って行くのでありました。おお、立派な櫓が見えてまいりました。
天候に恵まれた四日間でしたが、その中でもこの日が一番の晴天でありました。
もう、ワタクシの同行者の呼び方も「元恐怖の雨男」に変えなくてはなりませんな。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちの一つでして、見えているのは江戸時代以前に建造された天守なんです。
城の歴史は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名な伊予の国の加藤嘉明が、
関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となった際に城を作ったのが始まりです。
当時の天守は五重だったので、今よりも立派だったのでしょうね。残念ながら火災によって焼失し、現在の天守は1854年に再建されたものなんです。
今や日本中「ゆるキャラ」だらけになりましたが、松山城のこのゆるキャラは「よしあきくん」というんですよ。
もちろん、初代城主の加藤嘉明から名づけたのですが、嘉明も自分がゆるキャラになるとは思わなかったでしょうね。
ではでは、本丸へと登城するとしましょうか。正面は大天守、左は小天守…実に見事ではありませんか。
ワタクシも、同行者の「元恐怖の雨男さん」も歴史が好きでして、けっこういろんな城郭を見てきているのですが、
「これは立派やなぁ」「これは見る価値がありますなぁ」と感嘆の声をあげておりました。
「威風堂々」「荘厳華麗」「絢爛豪華」…そんな四文字熟語が頭の中に浮かんできます。
しかし、この天守を再建したのは1854年。ペリーの来航の翌年ですから幕府は上へ下への大騒ぎだった頃なんですよ。
よく天守を再建するだけの財力があったものだなぁと思うワタクシでありました。
ではでは、美しい天守に登るとしましょうか。ここを訪れてから、もう2か月になるのですねぇ。門松が懐かしいです。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
いろいろなお城を訪ねてきました。その中でも、私がすぐに思い浮かべるのは松本城、彦根城、熊本城でしょうか。
今回、松山城を訪れてみて、このお城もこれからは忘れがたいお城になりました。
戦国時代の城郭建築は、日本が世界に誇れる素晴らしい文化ですね。
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さてさて、愛媛県松山市にやって来て、道後温泉に宿泊したワタクシ達ですが、旅の最終日には松山城へと向かいました。
松山城は勝山という山の上にある平山城でして、ロープウエーやリフトがあるので観光客の大半はそれを利用します。
しかし、歴史好きのオジサン達はそれをよしといたしません。「城に来たからには当時の侍の気分を味わわねばならぬのじゃ」などと言いながら、
スタコラホイホイと坂道を登って行くのでありました。おお、立派な櫓が見えてまいりました。
天候に恵まれた四日間でしたが、その中でもこの日が一番の晴天でありました。
もう、ワタクシの同行者の呼び方も「元恐怖の雨男」に変えなくてはなりませんな。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちの一つでして、見えているのは江戸時代以前に建造された天守なんです。
城の歴史は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、20才の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名な伊予の国の加藤嘉明が、
関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となった際に城を作ったのが始まりです。
当時の天守は五重だったので、今よりも立派だったのでしょうね。残念ながら火災によって焼失し、現在の天守は1854年に再建されたものなんです。
今や日本中「ゆるキャラ」だらけになりましたが、松山城のこのゆるキャラは「よしあきくん」というんですよ。
もちろん、初代城主の加藤嘉明から名づけたのですが、嘉明も自分がゆるキャラになるとは思わなかったでしょうね。
ではでは、本丸へと登城するとしましょうか。正面は大天守、左は小天守…実に見事ではありませんか。
ワタクシも、同行者の「元恐怖の雨男さん」も歴史が好きでして、けっこういろんな城郭を見てきているのですが、
「これは立派やなぁ」「これは見る価値がありますなぁ」と感嘆の声をあげておりました。
「威風堂々」「荘厳華麗」「絢爛豪華」…そんな四文字熟語が頭の中に浮かんできます。
しかし、この天守を再建したのは1854年。ペリーの来航の翌年ですから幕府は上へ下への大騒ぎだった頃なんですよ。
よく天守を再建するだけの財力があったものだなぁと思うワタクシでありました。
ではでは、美しい天守に登るとしましょうか。ここを訪れてから、もう2か月になるのですねぇ。門松が懐かしいです。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
いろいろなお城を訪ねてきました。その中でも、私がすぐに思い浮かべるのは松本城、彦根城、熊本城でしょうか。
今回、松山城を訪れてみて、このお城もこれからは忘れがたいお城になりました。
戦国時代の城郭建築は、日本が世界に誇れる素晴らしい文化ですね。
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でも大天守だけでも残ったのが不幸中の幸いです。
和歌山城も戦災に遭わなかったら国宝として
残っているのですが。
ポチ♪
が、松山城のゆるキャラには出会えませんでした('_')
記憶にあまりなかったのですが
こんな立派なお城だったのですね。
行きたくなりました。
応援P
現存12天守は知ってます!^^
>嘉明も自分がゆるキャラになるとは思わなかったでしょうね
確かに(笑)
現代の状況も信じられない世界でしょうしね^^
あの時代の方々が、現在の平和を喜ぶか、堕落を嘆くか
ちょっとわかりませんけどね。
白黒も 好きです
青空に映えて
ステキな景色ですね(*^_^*)
☆~
本当に門松を見ると、懐かしく感じます。
人間の気持ちって面白いものですね。
(元恐怖の雨男さん)では気の毒でしょう^^
これだけ好天気の権現様なのに・・・
お蔭で私たちも素敵な写真を見せていただくことができました。
四国遍路の時に、
「あれが松山城です」と遠くを指さされて臨みましたが、今回は近くで^^見せていただくことができました。
立派な天守閣ですね~。
現存12の天守の内の一つを拝見できて、
嬉しかったですね♪
よしあきくんも、可愛いです♪
凸
もう2か月ですもんねぇ。
まだ明けたばかり。。何て思っていても
時はどんどんどん過ぎ去っていく。
たのしまなくちゃ^^
見たことはありませんが今度はお参りのついでに行ってみたくなりました。
☆