よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

お花見-奈良県東吉野村:高見の郷

2024年05月04日 | 奈良(奈良市以外)
Takaminosato, Higashi Yoshino Village, Nara Pref.

さてさて、ワタクシ達は「高見の郷」の満開の桜を楽しんでいました


春になれば桜が咲く、桜が咲けば花見に行く…日本人にとって当たり前の光景となった「お花見」なのですが、
そもそも、お花見という風習はいつ頃から始まったのでしょう


1000年以上前の農民は、お米を作る田んぼに「田の神様」がいると考えていたそうです。
田の神様は寒い冬の間は山へ行き、暖かい春になると農民たちが住んでいる村へ帰ってくると信じられていたそうなんですね


そして、春になって桜が咲くと農民たちは「田の神様が帰ってきた」と考え、桜の木のまわりに集まり、
田の神様におもてなしをしたことが、お花見のはじまりといわれています。(もちろん諸説ありますが)
でも、その頃のお花見は今のようなお花見とは違い、「お米がたくさんできますように」という
「豊作祈願」のようなものだったと言われています


「田の神様をおもてなしする行事」から、いまのように「美しく咲いた桜を楽しむ」というお花見のもとになったのは、
平安時代のことだそうです。平安時代の貴族たちが、美しい桜の花を見ながら歌を読んだことが、
現在のようなお花見のもとだと言われているようですね


庶民がお花見を楽しむようになったのは江戸時代の寛文年間のころからです。当時は寺社の境内に咲く桜の観賞でした。
享保年間に八代将軍吉宗が、飛鳥山や隅田川堤、小金井堤などに数千本の桜を植えて庶民のお花見を奨励します。
このころから庶民は咲き誇る桜を見に繰り出し、桜の下でお弁当を食べながらお花見を楽しみました


吉宗といえば「享保の改革」で知られるように、様々な幕政改革を実行した人物です。
ワタクシには吉宗といえば「質素倹約」を旨とした将軍という印象が強いのですが、
そんな吉宗がお花見を奨励したというのはちょっと意外な気もします


今ではお花見という風習はすっかりワタクシ達の間に定着しましたね。
それどころか、お花見を楽しみに来日する外国人観光客も多いというのですから驚きです


逆光の中で撮影したこの一枚なのですが、桜の木の枝振りも良くって、今回の撮影の中ではワタクシのお気に入りの一枚です

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


徳川吉宗が財政立て直しのために様々な施作を行うのですが、無駄遣いの根源である大奥の改革に乗り出したのは有名な話です。
4000人いた大奥の女中を大量に解雇し、1300人まで人員削減するんですよね。その時に解雇した女中の基準が面白い。
吉宗は容姿端麗な女中から解雇してるんですよ。理由は「彼女達なら大奥を出ていっても、十分に暮らしていけるだろう」とのこと。
大奥にうつつを抜かすアホ将軍に比べて、吉宗の優秀さを伝えるいいエピソードだなと思いますわ。



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