よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

世界遺産のお寺-京都市下京区:西本願寺

2023年02月16日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
Nishi Honganji Temple, Shimogyo Ward, Kyoto City

さてさて、東本願寺に続いて、ワタクシ達は西本願寺を訪れました。
昨日のブログにも書きましたが、東本願寺は浄土真宗本願寺派の本山になるお寺です


本願寺は、各地に寺基を移転した後、1591年に豊臣秀吉より京都七条堀川の地(現在の場所)を寄進され、地震や火災を経て、
1636年に御影堂を建立、1760年に阿弥陀堂を再建し、ほぼ今日に近い姿となったそうです


境内にはこの写真の阿弥陀堂や御影堂をはじめ、桃山文化を代表する建造物や庭園が受け継がれており、
1994年には、ユネスコの世界文化遺産に登録され、2014年に、阿弥陀堂・御影堂が国宝に指定されました


京都の世界遺産は「古都京都の文化財」として、17の寺社(二条城だけは寺社ではなく城ですが)が選定されています。
その中には清水寺、鹿苑寺(金閣)、慈照寺(銀閣)のように知らない人はまずいないであろう超有名なものから、
宇治上神社のように比較的知名度の低いものまであるのですが、どれも世界遺産にはふさわしいのではないかと思います


ただ、最近は世界遺産が乱発気味で、ワタクシにはどうもその価値が低下しているように思えるんですよねぇ


皆さん、日本に幾つの世界遺産があるかご存知でしょうか。
実は世界遺産は25もあるんです。25の世界遺産を全てスラスラとその名前を言える人って、そういないんじゃないでしょうか


ワタクシが住んでいる市にも世界遺産があるのですが、なにせ選定されたのは古墳ですので中に立ち入ることも出来ませんし、
高い場所からでなければ前方後円墳の形も大きさもわかりません。地上から見ても、ただのこんもりした森にしか見えません。
ですので、観光客を呼び集められるような世界遺産ではないので、市に経済効果はほぼ無いようですね


現在、日本には「古都鎌倉の神社・寺院」「彦根城」など、さらに5つの世界遺産候補があるんです。
ここまでくると、もう世界遺産の有り難みが無いように思うのですが、各自治体は経済効果を考えると、
世界遺産を誘致したいようですね


西本願寺は、境内に桃山時代以降に建てられた名建築がずらりと立ち並んでいます。
宗教的にはもちろん、文化財の観点からも、世界遺産に選定されるのに十分にふさわしいと感じました

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


西本願寺も訪れたのはずいぶんと久しぶりで、15年ぶりくらいになるでしょうか。
西本願寺、東本願寺というのはJR京都駅からほど近い場所になるのですが、京都駅周辺って私はあまり行くことが無かったんですよ。
遠方から京都に電車で来る人は新幹線を利用することが多いので、京都駅周辺というのが一番身近な京都なのでしょうが、
私は電車だと京阪電車か阪急電車で行くことが多く、京都駅界隈って案外空白地帯のようになってたんですね。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




「お東さん」と「お西さん」-京都市下京区:東本願寺

2023年02月15日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
Higashi Honganji Temple, Shimogyo Ward, Kyoto City

さてさて、ワタクシ達は東本願寺へとやって来たのですが、東本願寺から10分も歩けば西本願寺があります。
それぞれ「お東さん」「お西さん」と京都の人は呼ぶのですが、なぜ本願寺は東と西の二つがあるのでしょうか。
同じ浄土真宗でありながら、東本願寺を本山とする真宗大谷派と西本願寺を本山とする本願寺派に分かれたのは
ざっと説明すると次のような経緯があるんです


実は本願寺は今から500年前の戦国時代には1つでした。
しかし織田信長が今の大阪城の場所にあった石山本願寺を攻めた石山戦争をきっかけに2つに分かれたんですよ


当時の石山本願寺は、室町時代に浄土真宗を再興した蓮如(れんにょ)によって建立された浄土真宗の一大拠点であり、難攻不落の砦でした。
織田信長は、石山本願寺を10年以上攻め続けましたが、結局石山本願寺を降伏させることはできませんでした。
しかし浄土真宗との戦いに天下統一の足止めされることを嫌った信長は、当時の正親町天皇を間に入れて和睦を求めました。
その時に本願寺内で信長と和睦するか、徹底的に戦うかで議論が分かれ、この2つの考えによって本願寺内が2派に分かれてしまったのです。
これが本願寺が東と西に分かれるきっかけなんです


当時の石山本願寺のトップは顕如(けんにょ)でしたが、顕如と三男の准如(じゅんにょ)は和睦を主張し、
長男の教如(きょうにょ)は徹底抗戦を主張し、激しく対立しました。
最終的には顕如が和睦を決め、石山本願寺を明け渡して准如と共に和歌山の鷺森別院に移転したのですね


これで信長と浄土真宗の争いはひと段落しましたが、争いの火種はまだ残っていました。
信長はその火種を完全に消そうと明智光秀に本願寺の攻撃を命じましたが、光秀は「敵は本願寺にあらず、本能寺にあり」と言って、
本願寺ではなく本能寺に攻め入って信長を討ってしまいました。これが本能寺の変ですな。
この結果、浄土真宗は滅亡の危機から逃れることができました


しかし顕如と教如の間に生まれた溝は埋まることがなく、顕如は浄土真宗のトップの座を長男の教如ではなく三男の准如に譲りました。
納得できないのは教如です。時代の支配者は徳川家康に移っていましたが、家康にとっても浄土真宗は目の上のたんこぶでした


家康はこの勢力を弱めようとして、不満を持っている教如に寺地を寄進して、東本願寺を別に建てさせました。
この結果、本願寺は東と西に完全に分かれ、敵対してしまったのですね。
ちなみに本願寺派の信者は約790万人、真宗大谷派の信者は約320万人と言われています。
両方を合わせれば門徒の数は軽く1000万人を超えるのですから、浄土真宗って紛れもなく最大の宗派なんですね


こんなものがありました。自分の持っているスマートフォンでQRコードを読み込むと、おさい銭を納めることができるという仕組みです。
便利と言えば便利なのでしょうが、なんとも味気ないなぁと思うのはワタクシの感覚が古いんでしょうかねぇ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


宗教が、世界の平和や紛争の解決にたとえ微々たるものであっても、なんらかの力を持っているのではないかと私は思っていました。
しかし、ロシア正教会トップのキリル総主教は、ウクライナ侵攻を「祝福」しました。
他国への侵略を認めるだけでなく、それを「祝福」する。全面的な支持を与えたのです。
世界の宗教指導者は、この状況をどう感じているのでしょうね。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




「お東さん」へ-京都市下京区:東本願寺

2023年02月14日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
Higashi Honganji Temple, Shimogyo Ward, Kyoto City

さてさて、美味しい蕎麦を食べてお腹も満足したワタクシ達は、さらに京都の町を南に向かって歩いて行きました


そして、ワタクシ達がやって来たのは東本願寺です。向こうに見えるのは京都タワーですね


東本願寺は浄土真宗大谷派の本山で、1602年に東本願寺の12代教如が徳川家康から寺地を与えられ、建立されました。
この時に西本願寺と分派し、現在東本願寺は「お東さん」、西本願寺は「お西さん」と親しみを込めて呼ばれています。
東本願寺と西本願寺に関しては、またブログで触れていきたいと思います


東本願寺にやって来て、まずその大きさに驚かされるのが、この御影堂門です。
この門は正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級だそうです。
木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われています


そして御影堂門をくぐって境内に入ると、目の前に広がる巨大な建造物が御影堂です。
御影堂は宗祖・親鸞聖人の御真影が安置される重要な建物です。
世界最大級の木造建築で、高さ38m、正面76m、側面58m、堂内の畳は927枚と規格外の大きさです


1864年7月の禁門の変に伴う火災で御影堂は焼失しました。現在の建物は、1880年に起工し、1895年に完成したものなんです。
東本願寺は、江戸時代に4度の火災に遭っており、その火災の多さから「火出し本願寺」という有り難くない呼ばれ方をされたそうです。
この呼ばれ方には親鸞聖人も憤慨するでしょうな


ワタクシは関西に暮らしてるので、大きなお寺院や神社を見る機会が多く、巨大な建造物を見てもさほど驚くことはないのですが、
この御影堂の大きさには圧倒されます。今の時代にこれだけの建造物を造ろうと思うと、技術的にはなんら問題はありませんが、
木材がなかなか揃わないでしょうねぇ


あらためて浄土真宗の力の大きさを実感します。あの織田信長でさえ、浄土真宗(一向宗)の存在には手を焼きました。
大阪の石山本願寺との戦いは、信長にとっては最も苦労した戦いではなかったでしょうか


ではでは、東本願寺の境内をもう少し見ていくとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


東本願寺を参拝するのは、実に40年ぶりくらいになるでしょうか。学生時代以来になると思います。
烏丸通に面しているお寺なので、何度も何度も前を通っているのに、いつも素通りするばかりでした。
年を重ねたせいでしょうか。若い時に東本願寺を訪れた時とは、いい意味で随分と印象が違いました。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




身体が温まる「あんかけ」の蕎麦-京都市中京区:「そば処 一休庵」

2023年02月13日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
“Ikkyuuan”, Nakagyo Ward, Kyoto City

さてさて、錦市場を歩いていたワタクシ達は昼食を食べようと、市場の中にあるうどん屋さんに行ったんですよ。
ところが人気のうどん屋さんで、すでに30人くらいの行列が出来ていました。
ワタクシも相棒さんも行列に並ぶのが苦手なので、「どこか別の店に行こうか」「歩いているうちに美味そうな店があるやろ」と、
錦市場から烏丸通の方に向かって歩いて行きました


するといい感じの蕎麦屋さんがあったんです。「そば処 一休庵」というお店でした。
ワタクシも相棒の「今では晴れ男さん」も蕎麦好きです。ワタクシ達は、このお店で昼食を食べることにしました


新しくて綺麗な店内でしたが、あまりお客さんがいなかったので「あまり美味しくないのかなぁ」と思ったのですが、
ワタクシ達が入店した後は次々にお客さんがやって来ました。店を出る時には並んでいた人もいたので、ワタクシ達は幸運でした


メニューを見て何を食べるのかを考えるのですが、ワタクシが赤く囲ったところを見てください。
この4つのメニューは全て「あんかけ」なんですよ。「けいらん」は「卵とじ」をあんかけに、「たぬき」は「きつね」をあんかけに、
「のっぺ」は「しっぽく」をあんかけにしたものを、京都ではこう呼ぶんですよ。
大阪でも「あんかけ」のうどんはよくお店にありますが、「あんかけ」の蕎麦はありません。
ワタクシも相棒さんも、あんかけメニューを注文することにしました


蕎麦が運ばれて来る前に、ビールで乾杯です。電車で行くとお酒を飲めるのがいいですなぁ


どーですか。相棒さんは「たぬき」を注文しました。あんかけには生姜が合うんです。身体がポカポカしますよねぇ


どーですか。ワタクシは「湯葉あんかけ」をいただきました。メニューに「湯葉」があるのが京都らしいですね


蕎麦も美味しかったのですが、お出汁が実に美味しかったんです。いいお店で蕎麦をいただくことが出来ました

「そば処 一休庵」…京都市中京区東洞院通四条上ル阪東屋町670

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


お店の可愛い店員さんは、ちょっと日本語が辿々しかったので「どちらのお国の方ですか」と訊くと、
「ベトナムです」と素敵な笑顔で答えてくれました。留学生がアルバイトをしているのかなと思いますが、
どうか日本でいっぱいいい経験をして、たくさんの思い出をベトナムに持ち帰ってほしいなぁ。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




「京の台所」を散策-京都市中京区:錦市場

2023年02月12日 | 京都市(北区、上京区、中京区、下京区)
Nishiki Market, Nakagyou Ward, Kyoto City

さてさて、ワタクシ達は美味しいコーヒーを飲んだ後は、繁華街である新京極通を南に向かって歩いて行きました


すると錦天満宮という神社があるんですよ。「天満宮」ですので、もちろん菅原道真を祀った神社ですね。
京都では『錦の天神さん』として親しまれているんです


新京極通の商店街の横にあるので、お買い物がてら学問の神様・菅原道真に参拝できる便利な立地なんです。
そんな場所柄もあってか、御利益は知恵・学問に加えて商才も謳われています


そして、この錦天満宮を西へ向かうと、大いに賑わう場所があるんですよ


これが「京の台所」と呼ばれる錦市場なんです。錦市場は魚、京野菜といった生鮮食材のほか、乾物や漬物、
おばんざい(京言葉で日常の惣菜)などの加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場です。
京都独特の食材は、ほぼここで揃うんです。最近はこの錦市場で食べ歩きを楽しむ観光客が随分と増えました


京都はお漬物の種類が豊富です。全国的には「千枚漬け」が有名でしょうが、ワタクシは「すぐきの漬物」が大好きです


錦市場は新鮮な旬の食材の品質の良さや豊富な品揃えが支持されて、市民生活と密着しています。
質の良いものを揃えているために価格を高めに設定する店もあるが、高品質や豊富さから「ほんまもん」(本物)を扱っていると信頼し、
納得する市民が多いんですよ。錦市場というのが、一つのブランドになっているんですね


京都の人は揚げが好きです。(関西では「揚げ」のことを「お揚げさん」と呼びますが)
ワタクシも揚げが好きで、厚揚げも油揚げもよく食べます。錦市場を歩いていろんな食材を見ていると、猛烈に空腹感を感じました。
朝早くから家を出てきたので、時刻はまだ11時半ですが昼食を食べに行くことにしたんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


日本国内でも、外国に行った時でも、市場やマーケットを歩くのが大好きです。
その土地の食材がよくわかるし、地元の人達の飾り気の無い素顔を見ることが出来ますからね。
そろそろ外国の市場を歩きたいという欲求が高まってきます。3年間、我慢しましたからねぇ。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね