よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

堂々たる山門-京都市左京区:金戒光明寺

2023年12月23日 | 京都市(左京区、東山区)
Konkai Koumyouji Temple, Sakyo Ward, Kyoto City

さてさて、真如堂の次にワタクシ達は真如堂のすぐ近くにある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)へと向かいました。
金戒光明寺は浄土宗の大本山で、京都では「黒谷さん」の愛称で親しまれているお寺です


広大な境内には多くの塔頭があるのですが、その中の一つ栄摂院(えいしょういん)は紅葉が見事なんですよ


通常は参道のみの公開ですが、紅葉の時期のみ庭園が公開されています。真紅に染まる紅葉と苔むした階段、苔に落ちた紅葉など、
コンパクトながら枯山水庭園の魅力が詰まっているんです


京都という町は、思わぬ場所に素敵な光景が見られるんですよね


イチョウの木は見頃を少し過ぎていました。向こうに見えるのは御影堂です


見事な山門がお寺の南側に鎮座しています。元々あった山門は応仁の乱で焼失してしまったのですが、
1860年に現在の山門が再建されました。1860年といえば桜田門外の変が起こり、江戸幕府が崩壊寸前の時です。
京都の町も政情不安定だったと思うのですが、よくぞこんなに立派な山門を造ることが出来たものですね


その2年後の1862年、暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていた京都の町に、江戸幕府は京都守護職を置いて、
京都の治安維持を行わせることにしました。そして、京都守護職に命じられたのが会津藩主の松平容保なのですが、
容保が家臣千人を引き連れて上洛し、本陣としたのがここ金戒光明寺なんです


そして、将軍上洛警固のために発足した浪士組をはじまりとする新撰組は、京都守護職預かりとなり、
名を「新撰組」とし、京都市中の治安維持の命を受けました。そのため、金戒光明寺は「新撰組発祥の地」ともいわれるんです


かくして、「京都への紅葉狩り」はここ金戒光明寺を最後としました。この後は、京阪電車の神宮丸太町駅まで歩いて行き、
大阪への帰路につきました。とは言え、自宅に直行するわけではありません。電車ですので、飲んで帰るのも楽しみの一つです

使用したカメラ:4、6枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


この日はこの後、大阪に戻って夕食を食べに、いや飲みに行くのですが、早朝から京都の東山をよく歩いた一日でした。
家に帰ってスマホを見ると、26330歩を歩いていました。相棒の「今では晴れ男さん」と日帰りであれ、泊まりがかけであれ、
遠出をすると2万歩歩くというのが標準になっています。元気な六十路のジイさん達ですわ。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




京都の紅葉に思う-京都市左京区:真如堂

2023年12月22日 | 京都市(左京区、東山区)
Sinnyodou Temple, Sakyo Ward, Kyoto City

さてさて、真如堂の紅葉も十分に見応えがあるものでした


日本では平安時代からすでに、人々は紅葉の美しさに心惹かれていました。
「枕草子」や「源氏物語」にも登場したりと、当時から紅葉は美しいものだとされていたようです


ただ、現在のような「紅葉狩り」はまだ一般的ではなく、有力な貴族など特別な地位の人だけの人気行事でした。
そして、江戸時代になってからようやく庶民も紅葉狩りに出かけるようになったようですね


春夏秋冬と季節が移り変わる日本では、秋になると紅葉を楽しめるのが当たり前という感覚ですが、
地理的に日本と近い韓国や中国から、ドイツやフランスといったヨーロッパでも紅葉を楽しむことができるんですよ


赤や黄に色づく紅葉を見ることができるのは当然ながら落葉樹だけです。
落葉樹林が広がるのは、日本をはじめとする東アジアやヨーロッパの一部、北アメリカの東部に限られています。
その中でも特に日本は落葉広葉樹の種類が多いので、紅葉の見どころが多いというわけですな


当然のことですが緯度が北である方から、標高が高い場所から紅葉前線は南へと、標高が低い場所へと進んできます。
北海道の大雪山あたりが、9月中旬には紅葉の見頃を迎えるのが紅葉前線のスタートととなり、徐々に南下していくんですね


紅葉前線が関西に近づいてくるとワクワクします。気分が紅葉してきます。あ、違った。気分が高揚してきます。
でも、紅葉が散ってしまうと冬の訪れとなり、どこか物悲しさを感じるんですよ


気がつけば京都に紅葉狩りに行ってから、もう一ヶ月が過ぎました。今年もあと残すところ10日となりました。
今年もまた「今年は良い年じゃなかったな」という1年になってしまいましたね


ではでは、もう少し京都の紅葉を楽しむとしましょうか

使用したカメラ:1、5、7、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


年末恒例の「今年の漢字」ですが、私は「虎」かなぁと個人的には思っていた、いや、期待していたんですよ。
でも、「税」という漢字が選ばれましたね。国民が今の税制、あるいは税の使われ方に不満を抱いているからでしょうか。
「和」「幸」「福」「共」「協」なんて漢字が選ばれる年が、私が生きているうちに来るのでしょうか。来てほしいのですが。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




着物姿-京都市左京区:真如堂

2023年12月21日 | 京都市(左京区、東山区)
Sinnyodou Temple, Sakyo Ward, Kyoto City

さてさて、慈照寺銀閣の拝観を終えたワタクシ達は、さらに次の目的地へとテクテク歩いて行くのでありました


次に向かったのは、ここも紅葉の名所である真如堂です。真如堂は正式には真正極楽寺という天台宗のお寺です。
真正極楽寺という寺名は正真正銘の極楽の寺という意味で、真如堂はもともと本堂の呼び名であったということです


ここ真如堂ですが、普段は比較的静かに参拝できるお寺なのですが、紅葉の時期は混雑するんです。
2019年の秋には「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンの舞台として真如堂が17年ぶりに再登場しました。
テレビCMではお隣の金戒光明寺とともに美しい紅葉&夕暮れ景色を見せてくれましたが、その年は大混雑だったようです


紅葉の下で写真を撮ってもらっている女性がいました。顔立ちからして東南アジア系の女性かと思われました。
京都にはあちらこちらに着物レンタルのお店があるので、そういう場所で着付けをしてもらうのでしょうね


和服(着物)というのは、およそ「活動的」「機能的」という言葉からはほど遠い衣装ですが、見た目の美しさは言うまでもありません。
外国人観光客にとっては、「着物」と「紅葉」の組み合わせというのは、「超日本的」なのでしょう


真如堂の紅葉は見頃間近という感じでしょうか。なかなかいい色づきになっていました


今年は紅葉狩りのために遠出をしたのは、この日の京都だけだったのですが、この日一日で十分に紅葉を堪能した気がします。
「今年は紅葉の色づきはイマイチだ」とも聞いていたのですが、思いのほかいい紅葉を見ることが出来ました


「どうせ観光客で大混雑してるしなぁ」と京都に行くのを避けて、別の場所に行こうかなとも考えていたのですが、
やっぱり京都に来てよかったと思った一日でした


ではでは、紅葉に彩られた真如堂の境内を、もう少し歩いてみるとしますか

使用したカメラ:3、7枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


着物レンタルというのも、コースによって様々な価格設定があるようですが、おおよそ5000円前後というのが相場のようです。
私などはそういうものには全く興味が無いのですが、日本人でもカップルで着物を着て歩いている人も少なくはありません。
考えてみたら私は、和服というものを一度も着たことが無いように思いますわ。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




足利義政-京都市左京区:慈照寺銀閣

2023年12月20日 | 京都市(左京区、東山区)
Jishouji Temple, Sakyo Ward, Kyoto City

さてさて、銀閣寺の呼び名で知られる慈照寺を訪ねたワタクシ達ですが、見事な庭園はいつ見ても素晴らしいものでした


ところで、昨日のブログにも「慈照寺は室町幕府八代将軍足利義政が建立した」と書いたのですが、
この足利義満は「無能な将軍」「ボンクラ将軍」などと書かれることが多いんですよ。
ただ、そう書かれてしまうにはちょっと可哀想なところもあるんです


足利義政は、9歳で将軍職を継いだ兄の足利義勝が、その後わずか8ヶ月で病死したことで将軍職を継ぐことになります。
もともと将軍になるはずではなかった義政も幼少であったことから、幕府は実質的に有力守護大名によって運営される
連立政権の体をなすことになります。成人した義政は、なんとか将軍中心の政治を行おうとしました。
しかし、その頃には細川氏と山名氏を巻き込んだ勢力争いが勃発しており義政が思うように政治を行える状況ではありませんでした。
義政の母親や、正室の実家である日野氏までもが政治に介入し、若い将軍の存在は飾り物同然になってしまったのですな


実子に恵まれなかった義政は、早く将軍をやめたいと考えていました。そこで弟の足利義視を次期将軍にさせようとします。
しかしその矢先に実子の義尚が生まれたことで、義視派と義尚派に分かれて有力者たちが争いを始めるようになり、
それがピークに達した時、京の町を中心として応仁の乱が起こるわけですね


この応仁の乱、将軍の後継争いに加えて、有力な守護大名達の勢力争いも絡み合って、なんとも複雑な戦いとなります。
戦乱は全国へと拡大し、収拾がつかない状況になっていくのですが、細川勝元と山名宗全の両名が死ぬと、
義政も将軍職を義尚に譲って隠居します。ま、このあたりは「ええかげんな将軍やなぁ」と思いますわな


そんな中、ここ東山に隠居した義政は趣味の世界に耽っていくわけですね。彼は東山山荘(東山殿)を造営して銀閣を建立し、
絵画や能楽など文化的な活動に力を注ぎ、芸能・芸術に携わる人たちへの支援を積極的に行います


義政の支援で栄えた文化は「東山文化」と呼ばれ、日本文化の伝統の「わび・さび」の世界はここから始まっていきました。
ですので、義政は確かに「凡将」ではあったのですが、優れた「文化人」だったんんですよ


幼い頃に兄の代わりに将軍の座に引っぱり出され、実際には周囲の大人たちが連立政権を組んで政治を行っている。
やっと自分が大人になったのでちゃんとやろうとしても、誰も言うことを聞いてくれない。
だからさっさと将軍職を辞したかったのに、今度は自分の跡継ぎ問題でゴタゴタが発生し、そこに有力大名が勝手に乗っかってきて、
自分たちの家督争いが原因の大喧嘩を始めるのです。「やってられへんわ」と言いたくなるのも分かる気がしますね

使用したカメラ:3、4、5、7枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


義政のようにトップが無気力になると組織も衰退するというのはひとつの歴史のパターンですが、これは現在でも同じですよね。
組織のトップに立つ人間の気力、勇気、そして何よりも部下のモチベーションを高める言葉。
これが無いと組織は衰退し、いずれは滅んでいきます。さて、我が国のトップはと言うと…



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね




東山文化の粋-京都市左京区:慈照寺銀閣

2023年12月19日 | 京都市(左京区、東山区)
Jishouji Temple, Sakyo Ward, Kyoto City

さてさて、美味しい「にしん丼」を食べて満足したワタクシ達は、次の目的地へと向かいました


向かったのは慈照寺ですが、慈照寺と言っても「そんなお寺があったかなぁ」と思う人もいることでしょう。
慈照寺はまたの名を銀閣寺と言います。というか、銀閣寺の呼び名の方が一般的かと思います。
しかし、ワタクシはきちんと慈照寺と呼びたいんですよねぇ


慈照寺は室町幕府八代将軍足利義政が建立した東山殿(ひがしやまどの)全体を指しています。
この東山殿内に建てられた二層楼閣(観音殿)を銀閣と称し,それが寺全体の象徴的な建物となったことから,
慈照寺は銀閣寺と通称されるようになったんですね


創建当初,この観音殿には実際に銀箔を貼る計画があったともいわれています。
しかし、創建者の義政が建設途中に没したため,詳しいことはわかっていないんですよ


結果的に銀箔は貼られなかったものの,やがて江戸時代以降になると,室町幕府三代将軍足利義満の建てた鹿苑寺の金閣に対して,
慈照寺の観音殿は銀閣と呼ばれるようになり,さらには寺そのものも銀閣寺と称されるにいたったのです


足利義政の時代に栄えた文化を「東山文化」と称します。東山文化の大きな特徴の一つは、禅宗の強い影響を受け、
質素・簡素なものの中に美しさを見出すだことだと、中学校の歴史の授業でも学んだことだと思います


東山文化の代表的な建築物の一つがこの銀閣です。これはもう個人的な好みの問題になりますが、
ワタクシは華美で豪華な金閣よりも、質素で落ち着いた銀閣に心を惹かれます。
うまく表現出来ないのですが、華美なものや無駄なものを省いた「引き算の美学」をワタクシは感じるんですよ


世界遺産にも選定され抜群の知名度を誇る慈照寺銀閣です。この日も多くの人が慈照寺を訪れていました。
一度でいいので、この庭園を人がいない静寂の中で眺めてみたい。そんなことを思いますが、これは絶対に実現不可能ですな


ではでは、慈照寺の拝観を続けていくとしましょうか。やっぱり素敵なお寺ですわ

使用したカメラ:2、4、6、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2


京都のお寺を訪ねる時は、国風文化(平安時代)、鎌倉文化、東山文化(室町時代)、桃山文化(安土桃山時代)、
そして元禄文化(江戸時代)などの大まかな特徴、代表的な建造物や絵画、芸能などを知っているだけで、
寺院の建造物や庭園を見る時に一層興味が高まると思うんです。
私はまだまだ知らないことが多く、歴史の勉強はこれからも続けていきたいです。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね