Konkai Koumyouji Temple, Sakyo Ward, Kyoto City
さてさて、真如堂の次にワタクシ達は真如堂のすぐ近くにある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)へと向かいました。
金戒光明寺は浄土宗の大本山で、京都では「黒谷さん」の愛称で親しまれているお寺です。
広大な境内には多くの塔頭があるのですが、その中の一つ栄摂院(えいしょういん)は紅葉が見事なんですよ。
通常は参道のみの公開ですが、紅葉の時期のみ庭園が公開されています。真紅に染まる紅葉と苔むした階段、苔に落ちた紅葉など、
コンパクトながら枯山水庭園の魅力が詰まっているんです。
京都という町は、思わぬ場所に素敵な光景が見られるんですよね。
イチョウの木は見頃を少し過ぎていました。向こうに見えるのは御影堂です。
見事な山門がお寺の南側に鎮座しています。元々あった山門は応仁の乱で焼失してしまったのですが、
1860年に現在の山門が再建されました。1860年といえば桜田門外の変が起こり、江戸幕府が崩壊寸前の時です。
京都の町も政情不安定だったと思うのですが、よくぞこんなに立派な山門を造ることが出来たものですね。
その2年後の1862年、暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていた京都の町に、江戸幕府は京都守護職を置いて、
京都の治安維持を行わせることにしました。そして、京都守護職に命じられたのが会津藩主の松平容保なのですが、
容保が家臣千人を引き連れて上洛し、本陣としたのがここ金戒光明寺なんです。
そして、将軍上洛警固のために発足した浪士組をはじまりとする新撰組は、京都守護職預かりとなり、
名を「新撰組」とし、京都市中の治安維持の命を受けました。そのため、金戒光明寺は「新撰組発祥の地」ともいわれるんです。
かくして、「京都への紅葉狩り」はここ金戒光明寺を最後としました。この後は、京阪電車の神宮丸太町駅まで歩いて行き、
大阪への帰路につきました。とは言え、自宅に直行するわけではありません。電車ですので、飲んで帰るのも楽しみの一つです。
使用したカメラ:4、6枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
この日はこの後、大阪に戻って夕食を食べに、いや飲みに行くのですが、早朝から京都の東山をよく歩いた一日でした。
家に帰ってスマホを見ると、26330歩を歩いていました。相棒の「今では晴れ男さん」と日帰りであれ、泊まりがかけであれ、
遠出をすると2万歩歩くというのが標準になっています。元気な六十路のジイさん達ですわ。
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さてさて、真如堂の次にワタクシ達は真如堂のすぐ近くにある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)へと向かいました。
金戒光明寺は浄土宗の大本山で、京都では「黒谷さん」の愛称で親しまれているお寺です。
広大な境内には多くの塔頭があるのですが、その中の一つ栄摂院(えいしょういん)は紅葉が見事なんですよ。
通常は参道のみの公開ですが、紅葉の時期のみ庭園が公開されています。真紅に染まる紅葉と苔むした階段、苔に落ちた紅葉など、
コンパクトながら枯山水庭園の魅力が詰まっているんです。
京都という町は、思わぬ場所に素敵な光景が見られるんですよね。
イチョウの木は見頃を少し過ぎていました。向こうに見えるのは御影堂です。
見事な山門がお寺の南側に鎮座しています。元々あった山門は応仁の乱で焼失してしまったのですが、
1860年に現在の山門が再建されました。1860年といえば桜田門外の変が起こり、江戸幕府が崩壊寸前の時です。
京都の町も政情不安定だったと思うのですが、よくぞこんなに立派な山門を造ることが出来たものですね。
その2年後の1862年、暗殺や強奪が日常化し、手のつけようのない状態になっていた京都の町に、江戸幕府は京都守護職を置いて、
京都の治安維持を行わせることにしました。そして、京都守護職に命じられたのが会津藩主の松平容保なのですが、
容保が家臣千人を引き連れて上洛し、本陣としたのがここ金戒光明寺なんです。
そして、将軍上洛警固のために発足した浪士組をはじまりとする新撰組は、京都守護職預かりとなり、
名を「新撰組」とし、京都市中の治安維持の命を受けました。そのため、金戒光明寺は「新撰組発祥の地」ともいわれるんです。
かくして、「京都への紅葉狩り」はここ金戒光明寺を最後としました。この後は、京阪電車の神宮丸太町駅まで歩いて行き、
大阪への帰路につきました。とは言え、自宅に直行するわけではありません。電車ですので、飲んで帰るのも楽しみの一つです。
使用したカメラ:4、6枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
この日はこの後、大阪に戻って夕食を食べに、いや飲みに行くのですが、早朝から京都の東山をよく歩いた一日でした。
家に帰ってスマホを見ると、26330歩を歩いていました。相棒の「今では晴れ男さん」と日帰りであれ、泊まりがかけであれ、
遠出をすると2万歩歩くというのが標準になっています。元気な六十路のジイさん達ですわ。
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