独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

奈良だよりのご紹介 ー 9 ー

2015年03月30日 21時13分11秒 | 奈良だより

                                    座 禅 草 の 群 生 地







前田様のメールより
26日は久しぶりの好天に恵まれて高校の同窓生のゴルフコンペに参加しました。
27日も引き続き好天でしたので、少し遠出して滋賀県の高島市へ座禅草の群生地を見に行きました。
2月の雪のある頃がいいのですが、片道168kmもあって雪道ではちょっと不安ですし、3月一杯ならまだ見られるとのことだったので思い切って出かけました。
ついでにマキノのメタセコイアの並木道も見に行きました。
こちらは今「枯れた」状態で一番悪い時期のようでした。

前田様、初めて座禅草の群生地を拝見させて頂きました。 素敵なお写真を有り難うございました。
最近は、庭のお花をお届け下さっておりました友人が体調を崩されました報に寂しく思っておりましたので、前田様のお便りを有り難く心待ちに致しております。
おかげさまで昨日も多くの皆様に御覧頂きましてとても嬉しく思っております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
お訪ね頂きました皆様にも御礼を申し上げます。
有り難うございました。

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奈良だよりのご紹介 - 8 -

2015年03月29日 19時48分49秒 | 奈良だより

奈良の前田様より早くからご案内をいただいておりましたが、私の都合でご紹介が遅くなりまして大変失礼をいたしました。
ご紹介のように素敵なお写真と説明をいただきましたのでご覧いただけましたら嬉しゅうございます。

前田様のメールより
吉野郡下市町の広橋梅林を中心に、ウォーキングをしてきました。
下市は杉の割箸が有名ですが、山岳仏教のメッカ「大峰山」への入口として古くから栄えた町です。
写真と説明は添付の資料を見てください。

 広橋梅林→奈良県三大梅林(月瀬・賀名生・広橋)の一つを訪ねる。
 

下市御坊=願行寺

願行寺は応仁2年(1468)本願寺の蓮如上人が高野山から下市に来て、吉野地方の要地伝道の本拠地として開基。
右は↑室町時代の禅宗寺院の庭園を代表する枯山水の様式を整えたもので、後の本堂が山を表す借景となっている。
左は↑五條代官所が願行寺境内の竹木をみだりに伐採することを禁じた高札です。この寺の大書院には10数枚の高札がかけられています。
写真の高札は五條代官鈴木源内の高札ですが、天誅組が五條で決起した時は真っ先に五條代官所が襲撃され、代官の鈴木源内は誅殺されます。
天誅組の乱では、下市の町も戦火に焼かれます。

釣瓶鮨屋「弥助」は義経千本桜鮓屋の段に登場します。
三位中将平維盛が父重盛の旧臣宅田弥左衛門(鮨屋の主)宅に下男弥助として隠れ住んだとされ、鮨屋「弥助」の庭園内には維盛の遺骨を埋めた供養碑が建立されています。

つるべすし 弥助では鮎すしを主とした定食2,700円のランチがお勧めです。
 
↑前菜=ナマコと胡瓜の酢のもの・枝豆と烏賊のカラスミ・ラッキョウの天ぷら・ホタテの塩焼き。→メイン=鮎の炙り焼き押し寿司・鮎の唐揚げに(エンドウ・人参・椎茸・玉ねぎ)のあんかけ。
吸い物とデザートが付きます。

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2015(平成27年)第46回 千葉市民展開催  その2

2015年03月22日 17時47分34秒 | 千葉の事

彫刻の部  役員27展 会員15展 公募36展 計78展

                   彫刻の部展示会場                 「想」(理・審)中嶋 知恵子先生(元子供の先生)

書道の部  役員127展 会員72展 公募104展 計303展

             審査員の先生方の作品会場                             入賞者の皆様の作品会場


                  「心月輪」(審査員)後藤先生の作品                      「心月輪」良寛書 HPより転載させて頂きました

         「心月輪」という鍋ぶたの解説 http://www.ac.auone-net.jp/~ryoukan9/Temari/temari409.html

(HPより一部転載)
分水町牧が花の解良家に、良寛の筆で「心月輪」と記した円形の坂がある。これは、昭和29年2月に、新潟県の重要文化財(書跡)に指定されて名高い。

この板は、直径42.2センチ、厚さ9ミリで、上方三分の一弱の所にさけ目が入っている。字の書いてある面から見ると、左から右に向かって入ったさけ目である。
良寛は、右から左に向かって「心」「月」「輪」と書き、左側の中ほどから小さく「良寛書」と、縦に書いている。

良寛の書の由来としては、いくつかの話が伝えられている。
その一つとして、次の話がある。

ある時良寛が解良家を訪れると、桶屋が大きな鍋のふたを作っていた。削り終えた桶屋は、取っ手をつけるために溝を彫ろうとした。
彫りやすいように、板の木目に沿って鑿(のみ)をあてて槌(つち)で叩いた。そのとたん、さけ目が右から左へ走ってしまった。
がっかりして割ろうとした桶屋を見、良寛はその板をもらい、裏に「心月輪」と書いてやった。
解良家では、その板を台所の梁(はり)へ掛けておいたので、すすけて字が消えそうになってしまった。
そこで、字の輪郭を彫って白い墨を入れたものという。

鍋は三升だきの物で、ふたには取っ手が二つ付くはずであったという。そのため、中央より上方に、一本溝が彫られようとしたのである。
今でも鑿の跡が、はっきり残っている。初め、熱い鍋を置いたのか、少し焦げ目のような跡がある。そこで鍋敷きにしたことがあったのではないかという説もある。

市民展会場において市川蘭華先生から良寛さんの「心・月・輪」の説明を頂きました。
この度、良寛さんの歌を学ばせて頂きましたので先生のお話に興味深く、改めてHPにて学ばせて頂きましたのでご紹介させて頂きました。


 「高野素十の句」(理・審)師作品       依嘱100名余から1名のみ推薦作品       「山里」 かなの書き方を学ぶ先輩作品

                 「土方歳三の歌」かなの書き方を学ぶ先輩作品                   「良寛の歌二首」 私の作品

以上、ご紹介のほかに出品部門は 日本画 計78展、写真 計64展、グラフィックデザイン 計45展 総出展数1025展の作品が一同に展示され、毎日多くの来訪者を頂いて
おりますことをお伺い致しました。

市民展出展2年目の未熟な作品ですが、良寛さんの優しさ、春の風景が表現できますように墨の色などに注意してお清書致しました。
書道公募者104名の中に加えて頂けましたことに健康に留意して今後も精進して参りたく考えております。
最後までお訪ね頂きまして有り難うございました

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2015(平成27年)第46回 千葉市民展開催  その1

2015年03月19日 22時57分43秒 | 千葉の事


    表紙作品日本画 理事・審査員「早春」大島婦美枝様               ご案内状

工芸部門  役員33展、会員16展、公募57展 計106展

              展 示 会 場               「ひと滴」(理・審)土肥
紅繪先生 (高校の先輩)

洋画の部  役員142展、会員107展、公募141展、計309展

            先生方の展示会場            「時の忘れもの」(理・審) 濱田 清先生(元子供たちの先生)

    「自画像」千葉市長賞の作品         「清風の森」
庭のお花をご紹介下さる友人の作品       「春のばら」 高校の先輩の作品 

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日本遺族通信 平成27年3月15日号 遺書と九段短歌    

2015年03月18日 19時03分20秒 | 日本遺族通信


                                  平成27年3月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お父様が戦死の頃に中学校進級のお話ですので、高齢者のお方と存じますがご健勝にてお過ごし頂いておりますことをお祈り申し上げながら拝読させて頂きました。

今号にも全国各地の遺児、遺族の皆様12名の鎮魂の歌を掲載頂きましたので選者の先生のお言葉と共に12首をご紹介させて頂きます。
今年は戦後70年を迎えますことから、70年に思いを寄せられましたお方が多いように思います。
ご一読いただけましたら嬉しゅうございます。

選者 三井 勝生先生のお言葉
國學の四大人の一人本居宣長の、「敷島の大和心を人問へば朝日に匂ふ山櫻花」といふ歌があります。
同じ國學者の伴信友が、本居大平に聞きました。
「この大和心とはどういふ心ですか」と。太平は、「麗しきよしなりと、先師いひ置れたり」と答へてゐます。
即ち「麗しい心が大和心の本当の意味ですよ」といふことです。
宣長は「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山櫻、美しさを知る、その麗しさに感動する、そのやうな心です」といふことであり、頭の下がる思ひです。

    はるみ沖船見送りて七十五年別れの笑顔今も眼の前に          船橋市 遺児女性
    徴兵の無き世となりて七十年赤紙の父はいまだ還らず            南相馬市 遺児男性
    赤道を越えて来にけり慰霊碑に思ひは深し六十余年経て       富士吉田市 遺児男性
    つゝじヶ崎信玄公の夢のあと遺児ら肩組み団結誓ふ           甲府市 遺児男性
    三十八で戦死せし父に老後などなきこと思ふ孫とたはむる        足利市 遺児女性
    若き日の写し絵の父七十年慕ひ続けて護国に参る           名古屋市 遺児女性
    戦死せし父の位牌を抱きしとふわれは幼く喪主をつとめし        上田市 遺児女性
    両陛下のご訪島決まりてペリリューは七十年の願ひ叶ひぬ        青森県 遺児女性
    戦争のテレビを見つつ辛さ増し涙こぼしぬ雨の降る日に         甲州市 遺児女性
    若いまま遺影の父は七十年時は止まりて平和は続く           甲州市 遺児男性
    キラキラと落ちる夕日に見とられて慰霊の旅はやがて終りぬ      佐世保市 遺児男性
    鎮魂と思慕を詠みたるわが歌の百首となりぬ南海の父よ            千葉市 私

最後まで御覧頂きまして有り難うございました。
本日18日に届きました「遺族通信」を祈る気持ちで開封致しましたが、おかげ様で105首目の掲載を頂く事ができました。

 

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第8回 川中美幸様のお店でカラオケ大会

2015年03月16日 19時01分06秒 | カラオケ

            日   時 平成27年3月15日(  の予報に心配しましたが何とか

                 参 加 者 32名
                 昼食会場  「おこのみ焼き かわなか」
                  会場
  「バー まいどおおきに」
                   (所在地) 東京都渋谷区宇田川町34-6
                   M&Iビル4F お問い合わせ 
03-3463-5318
                                                                                                          
             昼食会場「かわなか」のご紹介会場「バーまいどおおきに」のご紹介

                「お好み焼き かわなか」 http://teppan.kawanaka-miyuki.jp/       
 
若柳汎之真先生にご指導を頂いております私たちカラオケグループ一同は、東京渋谷で川中美幸さんがプロデュースしております
「お好み焼き かわなか」 にて
昼食を楽しみ、その後「バー まいどおおきに」http://maidookini.kawanaka-miyuki.jp/ にて 大会を楽しみました。

第1部 第8回 美幸ちゃんのお店で 大会 約 100分
オープニングは「バー まいどおおきに」のご繁栄をお祈りして、美幸さんのヒット曲「まいどおおきに」を全員で歌いました。
第1部では美幸さんの歌に限らず、好きな歌を熱唱しました。
トップバッターは、元気よく なでしこ姉妹の「じょんから姉妹」 から始まり、最後は 松原健之の「愛の歌」 を熱唱して1時間半に及ぶ第1部を楽しみました。

第2部 美幸さんを囲んで 大会 約 2時間の熱唱

      美幸様から歓迎のお言葉を頂きました               美幸様から  頂きました 弦 哲也先生の著書

美幸様からお母様が腰を痛めて会場にお出でになれないお詫びのお言葉を頂きましたが、幸いにもお元気なお姿をTVに写してくださり皆様で大きなをお贈り致しました。
 頂きました弦 哲也先生の著書の1文より(抜粋)
川中美幸 = かけがえのない 「しあわせ演歌」 のパートナー「川中美幸です」そう言ってにっこり笑い、頭を下げた彼女の姿を、今もはっきり覚えています。それほど素敵な笑顔でした。
       中  略
『ふたり酒』、『二輪草』で、美幸さんは「しあわせ演歌の美幸」と呼ばれるようになりました。
美幸さんだけでなく、「しあわせ演歌」は、私とたかさん(作詞家 たかたかし氏)の代名詞ともなっています。
       中  略
歌手も作曲家も、必ず悩み苦しむ時期を体験します。美幸さんと私は、そんな時の話し相手でもあります。
「長い人生、うまくいかない時もあるよ。でも、絶対に切り抜けられる。」
お互い、何度励まし合ったことでしょう。私にとって川中美幸は、自分のメロディーに魂を入れてくれる歌い手であると同時に、歌謡界でともに闘い続ける 戦友であり、並んで歩める同志でも
あるのです。と結ばれております。

2部では川中美幸さんの前で、ご本人のヒット曲を歌いましたので32名の皆様がとても緊張致しましたが、歌い終わった時の美幸さんからの温かい拍手に記念写真は思い出に残ります幸せな
時間を頂きました。
ちなみに私は平成26年1月1日発売の 「祇園のおんな」 を歌わせて頂きました。 

第3部 美幸さんのショータイム&新人歌手工藤 あやのさんのご紹介」 約1時間

     はじめに「ふたり酒」を熱唱する美幸さん         「花咲く丘」を熱唱するあやのさん(20歳)


    一番新しい曲の「吾亦紅」のDVDを頂きました           工藤 あやのちゃんから  の色紙 

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中学校の恩師 足木茂和先生ご逝去

2015年03月08日 00時40分22秒 | 恩師・同窓会関係



千葉市立花園中学校3年生担任でご指導頂きました足木先生がご逝去されました。合掌
お酒が好き、カラオケがお上手な先生を囲んで30年余になりますでしょうか  旅行にも参りましたし長い間、懇親を深めて参りました。
昨秋、最後の楽しいお食事会をご一緒致しましたのが先日の事のように思い出されます。

桜が咲きます頃に先生の米寿をお祝いして「花見酒の会」を開催予定でしたのでとても残念に存じます。
急な事でしたが、お通夜に男女会わせて15人の友人が参列致し、心から先生のご冥福をお祈り申し上げました。
又お生花にもご賛同を頂き「花園中学校昭和30年卒業生有志」 ↑  と先生に捧げる事ができました。

友人からのお言葉より
寂しいですね。
お通夜の前に先生の生前の紹介と、遺書の一部が披露され、恩師、先輩、同輩、後輩、生徒等との交流に感謝。
そして「人との関わりが人生だった。」との言葉が心に浸みました。
クラス担任以外の生徒にも、明るくおおらかに接して受け入れ、優しく指導して下さった姿が目に浮かびます。
ご冥福をお祈りいたします。合掌

お通夜は大勢の弔問客のために、交代にてお焼香をしましたので残念ながらゆっくりお言葉を伺うことができませんでした。
告別式に参列されました恩師からも、先生が関係の皆様に遺されたご丁寧な遺書に涙しましたと。
そして、最後に歌った「蛍の光」がとても悲しかったと。
「感謝の人生」だったと素敵なお言葉を遺された先生に心からご冥福をお祈り申し上げました。と頂き、新たな涙があふれました。

先生とご一緒しました懐かしい思い出を過去のブログから少し辿ってみました。


  平成19年傘寿お祝いの会 於 倶楽部 泉水
  
           傘寿お祝いの折に泉自然公園散策時                平成22年11月18日 於 ベルサイユ

  叙勲受賞をお祝いして詠む

   教職の道一筋に来しわが師誉れと受くる瑞宝双光章
   瑞宝双光章の栄に輝くわれらの師この後も一(いつ)に健やかにあれ
   先生の受章祝ひに集ひしは親しきわれら花中生徒

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考えられない出来事に再び感激!

2015年03月03日 16時14分29秒 | 書道

昨年26年8月号のペン字作品がホープ作品に総評を頂き、とても考えられない出来事に天にも昇る思いでした。
そしてこの度、あれから4ヶ月後の12月号の作品が再びホープ賞に総評を頂き、未熟な作品がなぜと  恥ずかしい思いでおります。
毎月ペン字に悩み、練習だけはしておりますが、納得できる作品ができません。
先生からの「日頃の鍛錬の賜物」とのお言葉を有り難く頂きました。
ちなみに今号のペン字師範提出総数は288名でした。
毛筆と違い、ペン字は練習にとても時間を要しますので大変ですが、ペンが持てなくなる日まで努力を続けて参りたく考えております。
私の未熟な作品の紹介で申し訳ございませんが、他のお方の素晴らしい作品を御覧いただけましたら嬉しゅうございます。
最後までご覧頂きまして誠に有り難うございました。

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